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第一章
6-4.「いちいち慣例に従わんと動けんのか貴様等は――っ!」
しおりを挟む「痛ぇ―――っ! くそ、ガルアの奴等やりやがったな、ぶっ殺してやる!!! あああ畜生痛ぇ!!!」
「雷帝様、暴れては傷が! おい、治癒はどうした!」
「それが、上手く魔法がかからず……血が止まりません!」
雷帝様の悲鳴、そこに駆けつけた治癒師が苦悶の声をあげる。
ガイレスを初めとした特級医師が治癒魔法をかけるが、何らかの理由で、戸惑っている。
未だ炎と悲鳴が巻き上がり、兵士達がなだれ込む中――
ハタノは血塗れの妻を前に、らしくもなく、言い訳を探した。
チヒロの方が致命傷だから、彼女の治癒を優先すべき。
雷帝様には、ガイレスを初めとした特級治癒師がついている。
雷帝メリアスは肩を撃たれただけであり、存命の可能性も十二分にある。
故にハタノは、チヒロの治癒を優先すべきである――
そんな屁理屈は、
「甘えないで、ください。旦那様」
チヒロの柔らかな一喝に、払われる。
己の血を代償に、チヒロは死に瀕した瞳でハタノを睨む。
「旦那様。あなたは治癒師として、今までも命の選別をされてきた、はずです。……救える命が限られた時、傲慢にも、優先度をつけ冷徹に切り捨ててきた。私も、勇者としてそうしました。なのに、自分が切り捨てられる側になった時だけ、助かろう――等という都合のいい道を、選ぶな」
「っ……!」
「私と雷帝様、亡くなられた時に帝国の損失となるのは、どちらか。考えるまでも、ありません」
分かっている。
雷帝様は、この国の最高戦力であり要。
いま帝国に攻め入りつつある王国連合軍も、雷帝様の力があれば容易くはねのけられることだろう。
三柱が健在である限り、我が国が脅かされることはない――それが帝国の礎であると分かっていながら、ハタノは自分でも理解できない程に胸が苦しく、荒れ狂う感情に、身体が追いつかない。
時間の無駄だと脳が理解し、己の愚かさを知りながら、それでも。
「しかし、チヒロ」
「旦那様。あなたはこういう時、私を見捨てられる方だ。だから私は、あなたと居る時間が嫌いではなかった」
「……っ」
「それに、私とて容易く死には致しません。勇者ともあろう女が、心臓に穴がひとつ空いた程度で、死ぬとでも……?」
「――でも」
「雷帝様を救って頂きたい。それは、私からのお願いでもあります。……それとも。旦那様は、この可愛らしい妻が、人生で初めて頼むワガママを、聞いてくださらないのですか?」
そんな人は、私の夫に相応しくありません。
離婚ですよ――?
告げられたハタノは、強く、奥歯を噛みしめた。
心底に疼く濁流を飲み込み、理性で分厚く蓋をする。
ハタノの本心がどちらを優先したいか。そんなものは当然知りながら、ハタノはぐっと己の太股を握りしめ、誘惑を打ち払う。
心を冷やし、疼く葛藤を抑えつけた。
震える膝を立ち上がらせ、ハタノは妻に背を向け、息を吐く。
それが、妻を見捨てる選択だと、知りながら。
……時間を無駄にした。
治癒師の仕事は生存者を増やすこと。死体に構うようでは名折れ。
ハタノは冷たく足を踏み出し、最後にひとつ、妻へと囁く。
「チヒロさん。すぐに戻ります。それまで生きていて下さい。……ただ、一つだけ」
「はい」
「チヒロさんのこと、私も、嫌いではありませんでした。さようなら」
「ええ。私もです。さようなら、旦那様」
そしてハタノは彼女に目もくれず、雷帝様の元へと走り出す。
心の悲鳴を、強く、深く、押し殺しながら。
……その去りゆく背中を見つめ、チヒロは薄れゆく意識の中、心の底から好感を持つ。
さすがは、私の旦那様。
そんなあなただから、私はあなたを愛していないけど嫌いでもないのです、と、チヒロは笑う。
……それにしても、ああ。
命を失うことを、惜しいとは思わないけれど――叶うなら。
もう少し、彼と抱き合いたかったな、と思う。
彼の腕に包まれている時、チヒロは業務と知りながらも、愛おしさを感じていた。
肌を重ねる時だけではない。
食卓を共にする時。
風呂を共にする時。
お互いに会話がなくとも、こちらをさりげなく意識し、けど口には出さない居心地の良さが、愛おしかった。
(ああ。私は、自分が思っていたよりも、深く、旦那様を好いてたのかもしれません)
あの時を思い出すと、チヒロは……死にたくないな、と。
らしくもない名残惜しさを覚え、後ろ髪を引かれる。
けど同時に、ここで彼女を見捨てられる旦那様だからこそ、チヒロは彼に好意を抱いたのだとも、理解している。
であれば、この結末は必然――だと、しても。
(もう少し、粘って、みますか)
チヒロは瞼を閉じ、己の自己治癒力を限界まで活性化させる。
余計な思考をそぎ落とし、ただ生存のためだけに魔力を使う。
自分は死ぬ。
間違いなく死ぬ。それ位、理解している。
が、死ぬからといって素直に諦めるようでは、旦那様に顔向けできない。
生にすがりつく姿が見苦しい、と言われても構わない。
人はいつか死ぬのだ。であれば物理的な死を迎えるまで、最善を尽くすべき。
そうして死ぬまで生き続ければ、チヒロの旦那が奇跡を――起こせる、等と夢見ることはないが、可能性を残すことは大切だ。
その自己治癒が、チヒロの苦痛と死への恐怖を際限なく引きのばすだけの、無為な行為と知っていても、彼女は抗う。
それが、チヒロ=キラサギという女の、在り方だ。
*
「聞け、ハタノっ。これは”才殺し”だ! 理屈は知らんが魔力を弾く代物だ、なんとかしろ!」
雷帝様の怒声が落ちる。
他の治癒師が狼狽える中、彼等をかきわけて飛び込んだハタノに告げられたのは、未知の現象。
才殺し。初見の言葉に眉をひそめつつ、ハタノも治針を取り出し、穿たれた左肩へと治癒魔法を放ち――パチン、と魔法が解除されたことに目を見張る。
(なんだ、これは……!)
治癒魔法が届かない。反発する磁石のように、治癒を行うと打ち消されるのだ。
「あああ痛い、くそっ、こんな所で余は死なんぞっ……!」
うめく雷帝様の左肩は、未だ出血が続いている。
腹部や心臓でなくとも、四肢からの大量流血で人は容易に死に至れる。そして雷帝様は、魔力での生命維持を行えない。
ハタノは傷口を観察。怪我そのものの形状は、超高速の槍で貫かれたようなものだ。
えぐれた角度からして、右前方より左肩奥へ向け、何らかの物体が貫通したと推測。……貫通?
ハタノは「失礼」とメリアスの左肩を持ち上げ、裏側を覗き込む。
背部に、傷跡がない。
矢のように貫通したなら、後方にも抜けた傷跡があるはず。ということは。
「雷帝様。敵の攻撃は、小さな矢のようなものを高速で射出したものと推定されます」
「っ、そうだ。奴等が使ったのは銃だ、銃とは弾丸という、ちいさな金属片を打ち込む」
「であれば、その金属片が未だ肩にめり込んだままだと推定されます。それが”才気殺し”という魔法を弾く物質であるなら、治癒魔法が弾かれる理由を説明できる」
そして才気殺しが雷帝様の体内にある限り、彼女は死ぬ。
”才”の塊のような人間に、”才殺し”を埋め込む。猛毒を抱えているに等しい。
けれど、正体が金属片だと分かるなら。
ハタノは無言でナイフを取り出した。
「雷帝様。失礼ながら、肩を裂いて異物を除去します。金属片さえ取り除ければ、治癒魔法が再び効く可能性があります」
「ら、雷帝様のお身体を切り裂くだと!? 貴様、正気か!?」
「治癒魔法が効かないなどあり得んぞ!」
背後でガイレスを初めとした治癒師が騒ぐが、無視。
特級の治癒魔術が効かない時点で、他に方法はない。
が、そんなハタノの暴挙を止めようと、治癒師と兵士がその背中に手を伸ばし――
「貴様等、邪魔するなっ!」
「「「っ!?」」」
雷帝の怒声に、ハタノすらも引きつった。
「この愚か者共が! 治癒魔法が効かんのは見ただろう! 貴様等の目は節穴か、黙ってこの男にすべて任せろ!」
「し、しかし雷帝様。外傷に、治癒魔法が効かなかったことなど歴史上ありえず……これは、何かの間違いで」
「間違いでもなんでも現実に効いてないのは効いてねぇんだよ馬鹿か貴様は―――!」
近寄るガイレスを蹴り飛ばし、ハタノ! と、雷帝メリアスが叫ぶ。
ハタノは構わず彼女の肩に触れ、なぞり、傷口の形状から金属片が入り込んだであろう角度を推定する。
「ハタノ、やれ! 貴様に任せる! ただし失敗するなよ? 余が死んだら貴様も死刑だ!」
「承知しました。では、効果は薄いかもしれませんが鎮痛を」
「いらん! 無駄な魔力を使うな、温存しろ! そして余を助け、残った力でチヒロを救え!」
「っ……」
「死力を尽くして死ぬなら天命。だが、無駄なことをして最善を尽くせなければ貴様の罪だ。生涯後悔させてやる! 分かったならさっさと余を抉れ! 世界一の美少女たる我が身を切り裂けることを、光栄に思いながらなぁ!」
了解しました、と、ハタノはナイフ先に魔力を込めつつ、内心に浮かぶ恐怖心を押し殺す。
肩の治癒そのものは、何度も経験した。
ただし、治癒魔法なしで傷口から遺物を除去した経験は、当然ない。
治癒師にとって治癒魔法が使えない。それは目隠しをしながら治癒するようなものだ。
もし一度でも血管を誤って傷つけてしまえば、治癒で塞ぐことができず雷帝様は死に到る。
――だからどうした、と、ハタノは心を押しつぶす。
失敗すれば雷帝様は死ぬが、失敗しなくても死ぬのなら同じこと。精神的な焦燥はあれど、やるべきことは変わらないのだ、と自らに言い聞かせ、動揺を顔に出さないよう指先に力を込める。
「ハタノ以外の者! 鎮痛はどうせ”才殺し”のせいで効果は薄い、なら余の口に棒切れでも咬ませろ、そして全身を拘束しろ! 痛みのあまり可愛い余が舌を嚙んでも知らんぞ!」
「ですが、雷帝様に猿ぐつわなど」
「いちいち慣例に従わんと動けんのか貴様等は――っ!」
怒喝に兵士が飛び上がり、数名がおそるおそる彼女の両足や身体を押さえ込む。
兵士の一人が馬乗りになるような格好で彼女を固定し、その横からハタノは彼女のえぐれた肩口へとナイフを延ばす。
逸るな。焦るな。
しかし最善を心がけよ。
人間の身体など、所詮は肉と血と細胞による物理的機構に過ぎない。そこに魔力を足しただけだ。
そう自らに言い聞かせつつ、ハタノは雷帝メリアス様の肩口へ向け、そっとナイフを沿わせ――
刃が、止まる。
切れない。
ハタノは声を失い、すぐに、ナイフに込めた魔力が”才殺し”により弾かれているのだと、理解した。
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