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第一章

4-2.「これは浮気ではありません。正当な診療行為ですので」

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 猫。古くから愛される、可愛いにゃんにゃん。
 そのキュートな尻尾がどれだけ複雑な構造をしているか、考えた者はいるだろうか。

 四足歩行動物のバランスを担い、また感情表現や威嚇にも使われる尻尾は、椎体より繋がる尾椎という骨を軸に、神経、筋肉そして血管を張り巡らされた立派な器官だ。
 尻尾で獲物を仕留める魔物もいるように、生物によっては第三の腕とも言うべきそれを「可愛いから」という理由でアクセサリみたいに生やされては大変困る。

 そもそも治癒魔法の原則は、肉体の再生力を糧にした復元だ。
 元々存在しない血管や神経系を構築することはできない。考えること自体、馬鹿げている。
 まあ噂によれば、人工的に作られた臓器を人体に移植する手術もある、と聞くが……その前に、だ。

「フィレイヌ様。その尻尾は、どのようにしてつけたのですか?」
「え、治癒師さんにお願いしたよ? お尻の皮膚とくっつけて、って。でもただくっつけただけじゃ全然動かなくってぇ」
「……それはまあ、別生物のものをくっつけただけでは、神経や血管も通ってませんし……」

 当然、ハタノも即日却下。
 むしろ尻尾を強引に縫いつければ縫合部が汚染したり腐食したりと、逆に生命の危険を伴うだろう。
 よって今すぐ尻尾を除去すべきだが――

(とは思うのですが、雷帝様の提案を、即座に断って良いのだろうか……?)

 安易に返答しようものなら、一呼吸と置かずハタノは黒焦げになるかもしれない。
 自分の命に執着はないが、死にたくない、程度にはハタノも思う。

(とはいえ、尻尾をつけるなんて、どう考えても)

 どうしよう。どうしたものか――
 ハタノにしては珍しく、話を誤魔化す意味も込めて、フィレイヌに問う。

「……その。尻尾は、どれくらい動かすのを希望ですか」
「んー。自由自在! って感じじゃなくていいんだぁ。ただ、自分と繋がってる感覚が欲しいのね? 緊張したらぴーんと立てて、気分が落ち込んだら、ずーんって感じで」
「現状把握のため、尻尾を拝見しても?」
「いいよぉ? あ、でもお尻はあんまり見ないでね、恥ずかしいからぁ」

 彼女がハタノにお尻を向ける。
 腰元から別れた長いスリットをめくり、まっさらな下着を「もう、変態っ」と言いつつ、そろりと下げていくフィレイヌ。

 ハタノはチヒロに注釈した。

「これは浮気ではありません。正当な診療行為ですので」
「理解しています、旦那様。そも、私達は業務上の夫婦であり子を成せばよいので、浮気を咎める権利はありませんが……」
「チヒロさん!? そういう話は人前であまり……」
「くく、なんだ貴様等、意外と相性が良いではないか。夫婦仲は良好なようだな?」

 けらけらと雷帝様が笑い、チヒロに椅子を差し出した。

「チヒロ。愛しの旦那が治癒してる間に命令がある。聞け」
「はい」
「近々ガルアと戦争になる。”勇者”は三名投入予定だが、人手が足りなくてな。お前は大事な母胎ではあるが、場合によっては……ああ、暗殺業務に従事させることはないが――」

 チヒロが雷帝様と打ち合わせを始めた隣で、ハタノは改めてフィレイヌの尻尾を拝見した。

 人間の太股くらいある、大きな狸の尻尾だ。
 毛並みはかさつき、力なくだらんと項垂れてる。つぶさに観察すると、毛はすでに幾つも抜け、黒ずみ始めていた。血管が通ってないため壊死が起き始めてるのだろう。それを治癒魔法で強引に補っているようだ。

(他の生物の尻尾を無理やり縫い付けたのと同じ。自ら病気になってるようなものだ)

 ハタノとしては、看過できない。

「フィレイヌ様。こちらの尻尾ですが、一旦切除した方がよいと思います。このままでは、本来の皮膚であるお尻にまで悪影響がでるかと」
「えー? なんとかならない?」
「一介の治癒師としては、命を危険にさらすことは了承しかねます」
「魔力でうまく接続できない? ほら”才”の高い人だと心臓を貫かれても魔力で生き続けられるって言うでしょ?」

 確かに”才”が高く、膨大な魔力を保持している人間は、生命機能を魔力で置換することが可能だ。チヒロが草だけ食べて生存しているように。
 が、さすがに血流のない臓器を維持し続けるのは無理がある。

「じゃあその血管? を、結びつけちゃえばいいんじゃない?」
「無茶言わないでください……」

 解剖はどうする。尾椎の隙間から尾骨神経を無理やり魔力で復元増幅しつつ、”創造”魔法で血管を何処からかバイパスで通すか?
 いざ繋げたとして、その神経や血管を、脳や身体はどう認識する?

 無理だ。絶対無理。意味不明すぎる。
 まあ”勇者”くらい”才”があれば、血管さえ通せば魔力でゴリ押し出来るかもしれないが――だとしても他生物の血管を、人間の血管に縫合してしまえば、肉体、魔力の双方で拒絶反応が出るに違いない。

 ハタノはそう結論づけ、フィレイヌに向き直った。

「すみません。現状の私の知識では、無理、としか言えません。人体と人外の血管や神経を結びつけるなんて、論外です」
「えぇ~? どうしてもダメぇ?」
「人体にどんな影響が出るか、責任が持てませんので」
「ねぇ、メリィちゃん、この子あたしの言うこと聞いてくれないんだけどぉ。どうする?」
「ほう。フィレの命を聞かぬと? それ即ち、余の命に背くと言うのだな、ハタノ?」

 チヒロとの会議を終えたメリアスが、ハタノをきつい三白眼で睨み付ける。
 帝国三柱にして、皇帝陛下の右腕たるメリアス様に逆らう――それが死を意味することは、理解している。
 ハタノは知らず緊張し、うっすらとした冷や汗が、頬を伝う。

 無論、ここで「引き受けます」と頷くことは出来る。
 前任者のように、無理やり尻尾を縫い付け誤魔化すだけなら、ハタノは上手くやれるだろう。

 が、それは治癒師の観点からみて好ましいものではなく、無為に命を危険にさらすことは、できない。

「申し訳ありません。誤魔化すことは、不可能ではありませんが……私は、少なくとも現状では出来ないと申し上げます」
「死んでもその意は変えぬか、ハタノ?」
「はい。――私は、雷帝様の知人を、命の危険に晒すことはできません」

 雷帝メリアスが、ハタノにそっと手の平を向けた。
 ハタノは黙る。仮に殺されても、譲れない一線だ。

 その隣で、チヒロが「雷帝様」と手を伸ばそうとし――

 くく、と、雷帝様が笑った。

「冗談だ、チヒロ。余は稀代のワガママだが、友の命を危険にさらせぬとまで言われれば、手は出さんよ。本気かどうか試しただけだ」
「……すみません、お力になれず」
「案ずるな。元より無謀な計画だと理解している。が、代わりに命ずる。ハタノよ。もし人体に、尻尾に限らず他生物の臓器を移植する手段を思い付いたなら、余に報告せよ。報酬ははずむぞ?」

 と言われたものの、それは人体改造と同義であり、もはや“治癒師”の仕事ではない。
 が、頭の片隅に入れておいても良いだろう。

 無謀な話ではあるが、もし……
 もし人体に他の生物のパーツを移植できるのなら、腕や足がなくなった人、臓器を失った人に対し、なんらかの外部臓器を移植できるかもしれない――なんて。

(夢の見過ぎですね。現実的じゃない)

 ハタノは自己否定しつつ、了承する。

「必ず達成できるとはお約束できませんが、私の全力をもって検討してみます。それと、フィレイヌ様の尻尾ですが、やはり早めに切除された方が宜しいかと。このまま腐敗すれば、彼女の臀部にまで汚染が広がる恐れがあります」
「やーん、あたしの可愛いお尻が病気になるのはやだぁ」
「いいだろう。お前が切除しろ、ハタノ」

 頷き、ハタノは治癒のための準備を始める。
 元々、ただ尻尾を縫い付けただけだ。そのまま切除し、切除部を治癒魔法で癒せば問題ないだろう。

 ハタノは手元の袋から執刀用のナイフを取り出し、施術を開始しようとして――
 ……その前に、チヒロと雷帝様に目を向ける。

 ……めちゃめちゃ、二人に見られている。
 視線を感じる。
 別に正当な医療行為なので構わないのだが、しかし、である。

「すみません。部屋を変えましょうか」
「別にここでやっても構わんだろう? ……ああ。妻の前で、べつの女の尻を丸出しにして治癒をするのは気が引けるか? フィレは胸も尻も、余と違って無駄にでかいからな? 治癒という建前で患者に催眠魔法をかけ、意識のない間にその卑猥な指先であれこれと……」
「やーん、あたしお医者様にイケナイ悪戯されちゃうのぉ?」
「チヒロさん。断じて、そのような爛れた願望を私は持っておりませんので」
「存じております旦那様。が、私は業務上の夫婦ですので、仮に旦那様がそのような願望を持ってても否定する訳には……」
「チヒロさん!?」
「お前達じつは夫婦仲めちゃくちゃいいだろ。余の先見の明は素晴らしいな! まあ最初に見繕った時は、全然そんなつもりは無かったがな!」

 雷帝様ちょっと黙っててもらえませんか!?
 大体こんな事になったの、元を正せば全部あなたのせいなんですけど!?

 ……等と言えるはずもないハタノは、その顔を珍しく赤くしながら、妻と知人の見ている前で治癒に励む。


 ああもう全く、とんだ恥を搔いた――と、ハタノは珍しく顔を赤くしながら、悪体をつくのであった。
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