味の思い出

hyui

文字の大きさ
上 下
18 / 18

奈良で出会った味

しおりを挟む
 九州での生活にも慣れて数年が経った。
 もうこのまま九州に骨を埋めるのか、なんて思い始めた頃に、辞令は突然やってきた。
 どうやら次は「近鉄奈良駅」の店舗らしい。
 九州から奈良。
 全国転勤だからまあ文句はないんだが、強いて言うならパッと美味いものが思い浮かばないところか。

 車で移動すること数時間。
 睡魔との戦いで本当に死にそうな目に何度か遭いながらようやく辿り着いた頃には夜になっていた。

 奈良という町は、周知の通り歴史的な建造物の多い土地だ。
 だが京都と決定的に違う部分がある。
 それは一度も建て直しがなされていないという事だ。
「つまり当時の状態がそのまま残っているってことなんだよ!これがどれだけすごいことか分かるかい!?」
「は、はぁ……。」
 古都マニアの先輩社員が鼻息を荒くして説明してくれたが、どうにも私にはその熱意は伝わらなかった。
 だがその事を誇りに思っている住人も数多くいるらしく、様々なスーパーなどの出店も、景観を損ねる、という理由で断られ続けたらしい。自分が住む街が大好きで誇りに思う、なんと素晴らしい事じゃないか。

 さて店舗の方はと言うと、近くに東大寺や正倉院などが近くにある繁盛店で、当然ながらイベントの影響をもろに受ける店であった。
 正倉院展のときなどは40人、50人の予約が当たり前のように入る店のため、イベントの把握がより重要であった。
 一番ビビったのは奈良に天皇陛下がいらっしゃった時だ。
 天皇陛下が参拝に来られた時、SPらしき人がいきなり店舗にやってきて、窓を全てカーテンで隠し、
「お客さんを誰一人出さないでください。」
 と言われた。
 どうやら狙撃などを防ぐための厳戒態勢らしいが、店側からしたらいい迷惑である。

 ある意味で他では味わえないことが様々あった奈良だが、中でも厄介だったのはお客さんでもなく、地元イベントでもなく、パートの方だった。
 なんでも西日本でも5本の指に入るほどのややこしいパートさんで、転勤1日目にしてその人専用のマニュアルも渡された。
 このパートさん、何がややこしいかというと、とにかく自分ルールが多過ぎるのだ。
 全国に展開するチェーン店だからマニュアルが変わることも多いのだが、それを伝えると、
「私らはずっとこのルールでやってきてんの!」
 と言って受け入れない。それでも無理にやってもらおうとすると、
「ペーペーの小僧が!私らが何年やってると思ってんの!」
 などと言い始め、バックヤードまで連れ込まれて1時間近くのお説教だ。
 もちろん、その間他の人は2人少ない状態でやらないといけないのは言うまでもない。
 それで仕事が人一倍出来れば文句もないのだが、残念ながらそうとも言い切れない。
 年齢のこともあり腰を痛めてしまったため、屈んだり重いものを持ち上げる作業が困難なのだ。したがってやってもらう作業も、かがまない作業に限定される。
 正直他のアルバイトに代わってもらった方が早いのだが、それは頑として譲らない。
「なんかあったら訴えるからね!こっちはいつでも訴えられるんやから!」
 と、分が悪いとみるとこのセリフだ。これを言われるとこちらはこれ以上何も言えない。この年齢層は自衛手段と相手への口撃手段、根回しを熟知してるもんだから、もう仕掛けた時点で負け戦だ。
 …だったらもうちょっと大人しくしていてほしい。
 とはいえ、周辺のイベント情報とその対策は熟知していたのでそこはさすがのベテランである。
 これでもうちょっと聞き分けが良かったらなあ。

 はてさて、殆どあのアルバイトの人への愚痴になってしまったが、思い出の味はもちろんある。心身共に疲れきった私は、休みの日はもっぱら奈良公園に行っていた。奈良はとにかく鹿が多い。公園だけでなく、家の敷地内や公道にまで鹿がやってくる。「鹿の飛び出し注意」の道路標識があるのも奈良くらいではないか。
 そんなわけで奈良公園にも当然のように鹿がたむろしているのだが、そんな中で随分と年季の入った団子屋があった。
 メニューは「みたらし」と「みそ」の2種類のみの至ってシンプル。注文を受けてから、団子を火鉢で片面ずつ焼いていく。
 私はいつもここでみそ味を頼む。みたらしならどこでも食えるが、みその団子なんてそう滅多に食えるもんじゃない。
 パチッ、パチッという音と共に、団子が徐々に焼けていく。この待っている時間もたまらない。団子の焼けていく香りが鼻腔を刺激し、早く早くと口内の唾液が出来上がりを急かす。そいつらを落ち着かせながら、私は出来上がりをジッと待つ。
 十分に焼き上がったら、両面に味噌を塗り完成。代金を支払い、待たせていた口に団子をぶち込んでやる。

うまい。

まずアツアツなのがいい。
団子というのはコンビニなどで売られている冷めたもののイメージしかなかったが、出来たての団子のなんと旨いことか。
アツアツだから噛むたびに香ばしい風味が口、喉から鼻を通り抜け、その度にウットリする。団子とは本来こんな味だったのか。
そして極め付けが味噌だ。
米と味噌。
日本人ならわかるだろう。この究極の組み合わせ。旨くないわけがない。(焼いた味噌は貧乏神の好物という話もあるが気にしてはいけない)

そんな団子を堪能しながら奈良公園を散歩する、というのが休日の過ごし方となっていたのだが、ここで一つ注意しなければならない。
それが鹿だ。またしても鹿だ。
奈良の鹿といえば鹿せんべいばかり食べてるイメージだが、決してそんなことはない。彼らは人間の手に持っているものを餌と認識している。したがって、団子だろうがアイスだろうが容赦なく食いにくる。鹿には常に警戒しなければならない。
食べた後も要注意だ。彼らは食べ終わった後の串やアイスの棒なども飲み込んでしまうので、そのまま死んでしまうケースも多々あるそうだ。食べ終わったら鹿をかわしながらゴミを確実に捨てる。これが重要である。



……とまあ、そんなこんなで奈良には1年ほど勤務した。
年末の東大寺に圧倒されたり、厄介なパートの方にケチョンケチョンに言われたり、親父が自殺未遂をしたり(ここの詳しい話は「家族の皿」を参照願いたい)、色んな事があったが、ようやく慣れてきたな、という頃に本部から辞令がきた。

「次から大阪ね。よろしく。」

と。
やれやれ。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

信じた物に巣食われる!?~カルト宗教団体潜入体験レポート2~

水野松太朗@しょむ系政治勢力研究会
エッセイ・ノンフィクション
 怪しいカルト宗教団体の勧誘に敢えて引っかかってみて、体を張って潜入体験してみた体当たり実話レポート其の2。

男性向け(女声)シチュエーションボイス台本

しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。 関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください ご自由にお使いください。 イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...