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家族の皿 後編
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父の車が峠道で見つかった。
これは異常な事態であった。
私の地元で峠、というのは国道428号線沿いの峠道のことで、山を一つか二つ跨ぐほどの長距離である。(ちなみに急カーブも多いことから走り屋が多い所でもある。)
その峠道の頂上付近で、木に引っかかった父の車が見つかったというのだ。
私は一気に血の気が引き、一目散に実家へと向かった。正直二度と帰るまいと考えていた実家だったのに、向かう時は父の無事を祈ることしか頭に無かった。
向かう途中、ハッとする。
そうだ。母なら何か事情を知ってるんじゃないか。
そう思い、嫌々ながらアドレス帳に登録されているあの女の番号にかけた。
程なくして電話がかかる。
「もしもし!?母さん!?あの、親父が……!」
私もあまりの事態に気が動転してしどろもどろだったが、何が知っているなら教えてほしい。その一心だった。
だが、電話から聞こえてきたのは一言。
「人違いじゃないですか?」
氷のような、冷たい女の声だった。
あれやこれやと考える余裕のなかった私は「失礼しました」と言ってそのまま電話を切って、「いや間違ってないよな」と首を傾げた。再度確認しても、番号はあの女の番号に相違なかった。
実家に向かう途中で父は見つかったという知らせを受けた。
どうやら峠の頂上から車ごと飛び降りを図ったらしく、全身傷だらけだが発見が比較的早かったため幸い一命は取り留めたらしい。
というわけで、父が搬送された病院に行く前に、一度実家に集まろうという話になった。
久しぶりに帰ってきた実家は、見た目は何年か前に私が出ていったままだった。まるで時間が止まったように、ひっそりと佇んでいた。
だが隣に停められた、父が乗っていたであろう車が、私を現実に引き戻した。峠に放置するわけにもいかないので、持ち主の元に返されたのだ。父の車はフロントガラスが全て割れ、ところどころに血の痕が残っていた。父は車が木に引っかかった為、車からさらに飛び降りたらしい。
一体何故そんなことをしたのか。私はこれから知る羽目になった。
玄関横のポストには、いつから取り出してないのだろうか、無数の請求書が詰め込まれていた。
もうこの時点で異常を感じた私は、ゴクリと息を呑み込んで、久方ぶりの実家の玄関の扉を開けた。
玄関先は、鳥肌が立つほどに静寂が漂っていた。
あの女たちの耳障りな会話も聞こえない。ドタバタと歩き回る音も聞こえない。無人、という事実が、この家をより一層広く不気味に感じさせた。
中へ歩みを進めると、家の中は異様に綺麗に片付けられていた。ただゴミ箱は満杯の状態。冷蔵庫の中の食べ物は全て腐っていた。
そうして、西日の射す食卓の上には手書きで何か書かれた一枚の紙が置いてあった。
奇しくもそこは、「除け者」扱いされていた私が座らされていた席だった。
「車の分は支払いますので、残りは全て払ってください。」
紙にはそう書いてあった。
後で聞いた話だが、あの女はどうやら「妻」という立場を利用して父の名義で好き放題買い物をしていたらしい。
その額は総額で数千万円を超えていた。
金のことに関してあの女に任せきりだった父はそのことに気づかないでいた。だが突然その置き手紙を残してあの女は知らんぷりで行方をくらませたのだ。現実を受け止められなかった父は数日ただ呆然としていたという。そして全てに絶望した父は峠から飛び降り、自殺を図ったというわけだ。
私は沸々とあの女へ怒りが湧いてきた。
あの再婚が父の幸せにつながると信じていた。
それなのに。
あの父に振り撒いていた笑顔はなんだったのか。
私があの罵倒や嫌がらせに耐え続けていた日々はなんだったのか。
これも後でわかったことだが、あの女は過去に2回の離婚歴があったらしい。おそらく以前にも似たようなことで別れたのだろう。つまり、最初から父の金が目的だったのだ。
私は怒りに拳を固めつつ、何はともあれ、父の搬送された病院へと向かった。
父の容態はどうなのか。
あの借金はどうすればよいのか。
そしてあの女にどう決着をつけてやろうか。
様々な思いが頭の中をグルグルと回る。
そうこうする間に、父の運ばれた集中治療室に案内された。
えらく厳重でデカい自動ドアの奥の部屋のそのさらに奥に、包帯で全身をグルグルに巻かれた父の姿が見えた。父は私の姿を見ると、
「おう。」
と、バツの悪そうな顔で言った。
それに対して私も、
「おう。」
と、ぶっきらぼうに答えた。
信じられないくらい最悪の状況だというのに、何年かぶりの再会だというのに、久しぶりの家族との会話は、言葉足らずの、不器用で、いつもの、私たち父子の、日常の会話だった。
とはいえ、私は次の言葉が見つからなかった。信じていた人に裏切られて、財産も失って、死ぬこともできなかった男に、なんて声をかけたらいいのか?
辛かったな、か?
苦しかったな、か?
いっそのこと、ざまあみろ、と言ってやろうか。
違う。
なんだか、どれも私の気持ちと違うような気がした。
少しの間考えて、私は口を開いた。
「生きてて、良かったよ。」
ただ一言だった。本心だった。
どんな目に遭っても、どんなどん底だろうと、この人は父で、唯一の肉親で、そして今こうして生きている。それで良いじゃないか。
それからしばらく、私と父はたわいない会話を続けて笑いあった。
久しぶりの、本当に久しぶりの「家族」の会話ができたような気がした。
とはいえ、大変なのはそれからだった。
父は診断の結果、両足を複雑骨折しており入院を余儀なくされた。
とはいえ行方をくらませたあの女も放ってはおけないし、借金も何とかしないといけない。
私はそれからしばらく休みの日を使って、見舞いとあの女の捜索、それから借金返済を父のために行わなければならなかった。
なんだか大変なことになった……と思いきや、事は意外とすんなりとスムーズに上手くいった。
まず借金について。
どうしようもないと当初は思ったが、いとこの伝手で弁護士を紹介してもらい、自己破産で何とかなることになった。
弁護士の依頼料はもちろん私が立て替えた。
次にあの女について。
どうやらあの女は父の妹である叔母と繋がっていたらしく、私が警察やら弁護士やらに話を出すとあっさりと姿を現した。
そういうわけで離婚はうまくいったのだが、法律の微妙な関係で慰謝料などはもぎ取れなかった。(おそらくこの辺りもあの女は心得ていたのだろう。)
あの女と繋がりがあることがバレた叔母は、
「もう二度と私を探さないでください。」
というメッセージを残してどこかへ消えた。
父の方はというと、時間はかかったが、徐々に体調は快復し、最終的には一人で歩けるようにまでなった。ただ女に騙された後だというのに看護婦さんにデレデレしていたのは腹が立ったが。
まあそんなわけで、あの女への恨みは消えないが、父は死なずに済み、家族の絆も戻り万事丸く収まった。
あの当時使っていた「皿」は未だに手元にあるが、私はもうこの「皿」に嫌悪感は抱いていない。
何故ならもうここに「除け者」はいないのだから。
孤独を感じることもないし、肩身の狭い思いもすることもない。
私はようやく、あの「狭く苦しい家」から解放されたのだ。
これは異常な事態であった。
私の地元で峠、というのは国道428号線沿いの峠道のことで、山を一つか二つ跨ぐほどの長距離である。(ちなみに急カーブも多いことから走り屋が多い所でもある。)
その峠道の頂上付近で、木に引っかかった父の車が見つかったというのだ。
私は一気に血の気が引き、一目散に実家へと向かった。正直二度と帰るまいと考えていた実家だったのに、向かう時は父の無事を祈ることしか頭に無かった。
向かう途中、ハッとする。
そうだ。母なら何か事情を知ってるんじゃないか。
そう思い、嫌々ながらアドレス帳に登録されているあの女の番号にかけた。
程なくして電話がかかる。
「もしもし!?母さん!?あの、親父が……!」
私もあまりの事態に気が動転してしどろもどろだったが、何が知っているなら教えてほしい。その一心だった。
だが、電話から聞こえてきたのは一言。
「人違いじゃないですか?」
氷のような、冷たい女の声だった。
あれやこれやと考える余裕のなかった私は「失礼しました」と言ってそのまま電話を切って、「いや間違ってないよな」と首を傾げた。再度確認しても、番号はあの女の番号に相違なかった。
実家に向かう途中で父は見つかったという知らせを受けた。
どうやら峠の頂上から車ごと飛び降りを図ったらしく、全身傷だらけだが発見が比較的早かったため幸い一命は取り留めたらしい。
というわけで、父が搬送された病院に行く前に、一度実家に集まろうという話になった。
久しぶりに帰ってきた実家は、見た目は何年か前に私が出ていったままだった。まるで時間が止まったように、ひっそりと佇んでいた。
だが隣に停められた、父が乗っていたであろう車が、私を現実に引き戻した。峠に放置するわけにもいかないので、持ち主の元に返されたのだ。父の車はフロントガラスが全て割れ、ところどころに血の痕が残っていた。父は車が木に引っかかった為、車からさらに飛び降りたらしい。
一体何故そんなことをしたのか。私はこれから知る羽目になった。
玄関横のポストには、いつから取り出してないのだろうか、無数の請求書が詰め込まれていた。
もうこの時点で異常を感じた私は、ゴクリと息を呑み込んで、久方ぶりの実家の玄関の扉を開けた。
玄関先は、鳥肌が立つほどに静寂が漂っていた。
あの女たちの耳障りな会話も聞こえない。ドタバタと歩き回る音も聞こえない。無人、という事実が、この家をより一層広く不気味に感じさせた。
中へ歩みを進めると、家の中は異様に綺麗に片付けられていた。ただゴミ箱は満杯の状態。冷蔵庫の中の食べ物は全て腐っていた。
そうして、西日の射す食卓の上には手書きで何か書かれた一枚の紙が置いてあった。
奇しくもそこは、「除け者」扱いされていた私が座らされていた席だった。
「車の分は支払いますので、残りは全て払ってください。」
紙にはそう書いてあった。
後で聞いた話だが、あの女はどうやら「妻」という立場を利用して父の名義で好き放題買い物をしていたらしい。
その額は総額で数千万円を超えていた。
金のことに関してあの女に任せきりだった父はそのことに気づかないでいた。だが突然その置き手紙を残してあの女は知らんぷりで行方をくらませたのだ。現実を受け止められなかった父は数日ただ呆然としていたという。そして全てに絶望した父は峠から飛び降り、自殺を図ったというわけだ。
私は沸々とあの女へ怒りが湧いてきた。
あの再婚が父の幸せにつながると信じていた。
それなのに。
あの父に振り撒いていた笑顔はなんだったのか。
私があの罵倒や嫌がらせに耐え続けていた日々はなんだったのか。
これも後でわかったことだが、あの女は過去に2回の離婚歴があったらしい。おそらく以前にも似たようなことで別れたのだろう。つまり、最初から父の金が目的だったのだ。
私は怒りに拳を固めつつ、何はともあれ、父の搬送された病院へと向かった。
父の容態はどうなのか。
あの借金はどうすればよいのか。
そしてあの女にどう決着をつけてやろうか。
様々な思いが頭の中をグルグルと回る。
そうこうする間に、父の運ばれた集中治療室に案内された。
えらく厳重でデカい自動ドアの奥の部屋のそのさらに奥に、包帯で全身をグルグルに巻かれた父の姿が見えた。父は私の姿を見ると、
「おう。」
と、バツの悪そうな顔で言った。
それに対して私も、
「おう。」
と、ぶっきらぼうに答えた。
信じられないくらい最悪の状況だというのに、何年かぶりの再会だというのに、久しぶりの家族との会話は、言葉足らずの、不器用で、いつもの、私たち父子の、日常の会話だった。
とはいえ、私は次の言葉が見つからなかった。信じていた人に裏切られて、財産も失って、死ぬこともできなかった男に、なんて声をかけたらいいのか?
辛かったな、か?
苦しかったな、か?
いっそのこと、ざまあみろ、と言ってやろうか。
違う。
なんだか、どれも私の気持ちと違うような気がした。
少しの間考えて、私は口を開いた。
「生きてて、良かったよ。」
ただ一言だった。本心だった。
どんな目に遭っても、どんなどん底だろうと、この人は父で、唯一の肉親で、そして今こうして生きている。それで良いじゃないか。
それからしばらく、私と父はたわいない会話を続けて笑いあった。
久しぶりの、本当に久しぶりの「家族」の会話ができたような気がした。
とはいえ、大変なのはそれからだった。
父は診断の結果、両足を複雑骨折しており入院を余儀なくされた。
とはいえ行方をくらませたあの女も放ってはおけないし、借金も何とかしないといけない。
私はそれからしばらく休みの日を使って、見舞いとあの女の捜索、それから借金返済を父のために行わなければならなかった。
なんだか大変なことになった……と思いきや、事は意外とすんなりとスムーズに上手くいった。
まず借金について。
どうしようもないと当初は思ったが、いとこの伝手で弁護士を紹介してもらい、自己破産で何とかなることになった。
弁護士の依頼料はもちろん私が立て替えた。
次にあの女について。
どうやらあの女は父の妹である叔母と繋がっていたらしく、私が警察やら弁護士やらに話を出すとあっさりと姿を現した。
そういうわけで離婚はうまくいったのだが、法律の微妙な関係で慰謝料などはもぎ取れなかった。(おそらくこの辺りもあの女は心得ていたのだろう。)
あの女と繋がりがあることがバレた叔母は、
「もう二度と私を探さないでください。」
というメッセージを残してどこかへ消えた。
父の方はというと、時間はかかったが、徐々に体調は快復し、最終的には一人で歩けるようにまでなった。ただ女に騙された後だというのに看護婦さんにデレデレしていたのは腹が立ったが。
まあそんなわけで、あの女への恨みは消えないが、父は死なずに済み、家族の絆も戻り万事丸く収まった。
あの当時使っていた「皿」は未だに手元にあるが、私はもうこの「皿」に嫌悪感は抱いていない。
何故ならもうここに「除け者」はいないのだから。
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