3 / 15
会社員井口の場合 1
しおりを挟む
某企業S社にて、ぼ~っとしている一人の会社員がいた。
井口というこの男はもう25歳。周りはぼちぼち結婚する者も出て来ている中、この男はいまだ身を固められないでいた。
……というか、仕事に対しても今ひとつ情熱を捧げられない。いわゆるぐうたら社員であった。
「おい…井口。井口。」
「……。」
「井口!」
「…ふぁっ⁉︎は、はい!」
気がつくと、彼の上司である課長が目の前で目を尖らしていた。
「お前、ちゃんと仕事してんのか?」
「は、はい!もちろんです!」
「……さっきまで手が動いてなかったが?」
「それは…ちょっと休憩ですよ。休憩…。」
「休憩時間はまだ一時間後だ!バカモン!」
オフィスに課長の怒声が響き渡る。彼のその後の説教を、井口は身をすくませて聞いていた。
「はあ……。」
課長から大目玉を食らってため息をつく井口。実はこんな説教は井口にとっては毎度の事なのだが、とはいえやはり気が滅入っていた。
「よう!またこってり絞られたな。」
落ち込む井口を見かねてか、彼の同僚が声をかけてきた。
「……なんだよ。からかいに来たのかよ。」
「はは。ちげえよ。また気分直しに一緒に飲みにでもどうかと思ってよ。どうだ?行くか?」
「……行くよ。」
彼の返事を聞いて同僚は飛び跳ねるように喜んだ。
「よっし!決まりだな!またいつもんとこにいつもの時間集合な!」
「……ああ。」
陽気な同僚と対照的に、井口は気のない返事で答えた。
「カンパァ~~イ!」
いつもの仲間たちと共に、井口はいつもの飲み屋にやって来ていた。これが退社後の唯一の楽しみである。
「いや~しかし井口、また災難だったな。課長に絞られてよ。」
「…全くだよ。俺が何したんだよ。ったく……。」
「いや何もしてなかったのが問題だったんだろ。気付いたらぼけ~としてたんだから。」
「だからってあんなにグチグチ説教しなくていいじゃないか。そう思わねえ?」
「ハハ…!お前、全然反省してねえな!」
井口の事を笑う同僚。しかし中には真剣な表情で話を聞く者もいた。
「……なあ、井口。お前、いつまでもそんなんでいいのか?周りの奴らは出世もした。結婚もした。お前はどうだ。いつまでも独り身でヒラのまんまじゃないか。」
「…あん?なんだよ。お前まで説教かよ。」
「真面目な話をしてるんだ。お前、このままだったら絶対後悔するぞ。せめて奥さんでも持って身を固めたら、仕事にも身が入るんじゃないか?」
「……余計なお世話だ。チクショー。」
井口は同僚の忠告を振り払うようにビールを煽り、空になったジョッキをガン!と置いた。
「おーい!ビールおかわり!」
「おお⁉︎いつになくいい飲みっぷりだな!」
「今日は飲むぞ~!ガンガンもってこい!ガンガン!」
そんなこんなで、その日の飲み会は夜遅くまで続いた……。
……翌日の日曜日。
井口は自宅の寝室で目が覚めた。いつのまにか帰宅していたらしい。
「……う~……。頭が痛え……。」
完全に二日酔いである。井口はあれから自分がどうやって帰ってきたのかの記憶すらなかった。頭はガンガン痛み、胸はムカムカする。最悪の気分だ。
「……うん?」
井口は自室に見慣れないものがあることに気がついた。
一体の人形が、彼の横でちょこんと座っていたのだ。
「…あっちゃ~……。またやっちまったか。」
彼は以前から、酔っ払った勢いで帰り道になにかを持って帰ってしまうくせがあった。ひどい時はどこかの看板やマスコット人形を持ち帰ったこともある。どうやら今回もご多聞に漏れず持ち帰ってしまったらしい。
「参ったな……。これ明らかに誰かの所有物だぞ。返すにも返せないし……。かと言って……。」
どうしたものか困り果てた井口。
というのも、拾ってきた人形が愛玩用、つまりラブドールであったからだ。拾得物として警察に持ち込もうにも、外に持ち出すのもはばかられる。
「しかし……それにしても……。」
井口は人形をまじまじと見つめた。
その人形は実に精巧に出来ており、人間にも見劣りしない程の出来栄えだったのだ。
顔は外国人の女性を象っていて、目元はパッチリと二重で眼は透き通ったブルー、鼻筋も通っていて顔も小さめ。人間であるなら間違いなく美人と言える顔だ。
胸や両脚も美しく均整がとれていて、なおかつ艶めかしい。
細部のパーツも、指先や髪の毛の一本一本に至るまですべて丁寧に仕上げられ、また手入れもされている。
その人形のあまりの美しさに、井口は思わずうっとりしてしまった。
「……なんて……綺麗なんだ……。」
……ありがとう……
「……へっ⁉︎」
気のせいだろうか?突然女の声が聞こえてきた。
「…まだ酔ってるのかな?」
「酔ってなんかないわ。」
「ひぁっ!?」
井口は段々と声の主の正体が理解できてきた。ここは自宅。自分以外に誰かが居る訳がない。とすると……。
「もしかして……。この人形が……?」
「そうよ。私はずっと貴方の目の前にいるわ。」
「お、驚いた……。話ができる人形だなんて。」
「ふふふ……。普通は驚くでしょうね。でも綺麗だなんて言ってもらえて、私嬉しかったの。だからつい話しかけちゃったの。驚かせてごめんなさい。」
こちらに語りかける人形はあいもかわらず無表情だったが、丁寧な態度に井口は幾分か安心した。
「い、いや。いいんだ。俺の方こそ、君を勝手に持ち出しちまって悪く思ってる。」
「あら、そんなこと気にしなくていいわ。あなた、寂しかったんでしょう?」
「え……?」
「あなた、ひとりぼっちで暮らしていて寂しかった。だから私を持ち出して寂しさを紛らわそうとした。ね、そうでしょう?」
「そんなこと……。」
井口はそれ以上の否定ができなかった。
なんだか身の入らない仕事。どんどんと幸せになっていく同期。取り残される自分。埋まらない心の穴……。
人形の考察は、そんな自分を見透かしたように感じられた。
「……。」
「ねえ……。そんなに寂しいなら、私があなたの心を満たしてあげようか?」
「え……?」
「私があなたの恋人になってあげる。そうすればあなたは寂しくなくなるわ。」
「いや、しかし人形の恋人なんて……。」
「嫌なの?」
人形は突然虚ろな表情のまま起き上がり、井口を睨みつける。その美しい瞳はやがて黒く濁っていく。どこまでも深い昏い漆黒へと……。
「あなたは私の恋人。あなたは私に尽くすのよ。あなたの全てを私に捧げなさい……。」
「君が……俺の……恋人……?」
井口の目が段々と暗くなる。まるで麻薬を流し込まれたように、頭は判断力を失い、何も考えられなくなる。聞こえるのは彼女の声だけ……。
「私はミリア……。あなたの恋人の名よ。」
「み……り……あ……。」
「そして言葉に出して言うの。『ミリア、愛してる。今日から俺たちは恋人同士だ』。」
「ミリア、愛してる。今日から俺たちは恋人同士だ。」
「うふふふふふ……。」
井口は言われるがまま、彼女の言葉に従った。理由も根拠もない。だが彼女の言葉がなぜか心地よかったのだ。
「ミリア、愛してる……。」
【さあ、遊びましょう……。】
井口というこの男はもう25歳。周りはぼちぼち結婚する者も出て来ている中、この男はいまだ身を固められないでいた。
……というか、仕事に対しても今ひとつ情熱を捧げられない。いわゆるぐうたら社員であった。
「おい…井口。井口。」
「……。」
「井口!」
「…ふぁっ⁉︎は、はい!」
気がつくと、彼の上司である課長が目の前で目を尖らしていた。
「お前、ちゃんと仕事してんのか?」
「は、はい!もちろんです!」
「……さっきまで手が動いてなかったが?」
「それは…ちょっと休憩ですよ。休憩…。」
「休憩時間はまだ一時間後だ!バカモン!」
オフィスに課長の怒声が響き渡る。彼のその後の説教を、井口は身をすくませて聞いていた。
「はあ……。」
課長から大目玉を食らってため息をつく井口。実はこんな説教は井口にとっては毎度の事なのだが、とはいえやはり気が滅入っていた。
「よう!またこってり絞られたな。」
落ち込む井口を見かねてか、彼の同僚が声をかけてきた。
「……なんだよ。からかいに来たのかよ。」
「はは。ちげえよ。また気分直しに一緒に飲みにでもどうかと思ってよ。どうだ?行くか?」
「……行くよ。」
彼の返事を聞いて同僚は飛び跳ねるように喜んだ。
「よっし!決まりだな!またいつもんとこにいつもの時間集合な!」
「……ああ。」
陽気な同僚と対照的に、井口は気のない返事で答えた。
「カンパァ~~イ!」
いつもの仲間たちと共に、井口はいつもの飲み屋にやって来ていた。これが退社後の唯一の楽しみである。
「いや~しかし井口、また災難だったな。課長に絞られてよ。」
「…全くだよ。俺が何したんだよ。ったく……。」
「いや何もしてなかったのが問題だったんだろ。気付いたらぼけ~としてたんだから。」
「だからってあんなにグチグチ説教しなくていいじゃないか。そう思わねえ?」
「ハハ…!お前、全然反省してねえな!」
井口の事を笑う同僚。しかし中には真剣な表情で話を聞く者もいた。
「……なあ、井口。お前、いつまでもそんなんでいいのか?周りの奴らは出世もした。結婚もした。お前はどうだ。いつまでも独り身でヒラのまんまじゃないか。」
「…あん?なんだよ。お前まで説教かよ。」
「真面目な話をしてるんだ。お前、このままだったら絶対後悔するぞ。せめて奥さんでも持って身を固めたら、仕事にも身が入るんじゃないか?」
「……余計なお世話だ。チクショー。」
井口は同僚の忠告を振り払うようにビールを煽り、空になったジョッキをガン!と置いた。
「おーい!ビールおかわり!」
「おお⁉︎いつになくいい飲みっぷりだな!」
「今日は飲むぞ~!ガンガンもってこい!ガンガン!」
そんなこんなで、その日の飲み会は夜遅くまで続いた……。
……翌日の日曜日。
井口は自宅の寝室で目が覚めた。いつのまにか帰宅していたらしい。
「……う~……。頭が痛え……。」
完全に二日酔いである。井口はあれから自分がどうやって帰ってきたのかの記憶すらなかった。頭はガンガン痛み、胸はムカムカする。最悪の気分だ。
「……うん?」
井口は自室に見慣れないものがあることに気がついた。
一体の人形が、彼の横でちょこんと座っていたのだ。
「…あっちゃ~……。またやっちまったか。」
彼は以前から、酔っ払った勢いで帰り道になにかを持って帰ってしまうくせがあった。ひどい時はどこかの看板やマスコット人形を持ち帰ったこともある。どうやら今回もご多聞に漏れず持ち帰ってしまったらしい。
「参ったな……。これ明らかに誰かの所有物だぞ。返すにも返せないし……。かと言って……。」
どうしたものか困り果てた井口。
というのも、拾ってきた人形が愛玩用、つまりラブドールであったからだ。拾得物として警察に持ち込もうにも、外に持ち出すのもはばかられる。
「しかし……それにしても……。」
井口は人形をまじまじと見つめた。
その人形は実に精巧に出来ており、人間にも見劣りしない程の出来栄えだったのだ。
顔は外国人の女性を象っていて、目元はパッチリと二重で眼は透き通ったブルー、鼻筋も通っていて顔も小さめ。人間であるなら間違いなく美人と言える顔だ。
胸や両脚も美しく均整がとれていて、なおかつ艶めかしい。
細部のパーツも、指先や髪の毛の一本一本に至るまですべて丁寧に仕上げられ、また手入れもされている。
その人形のあまりの美しさに、井口は思わずうっとりしてしまった。
「……なんて……綺麗なんだ……。」
……ありがとう……
「……へっ⁉︎」
気のせいだろうか?突然女の声が聞こえてきた。
「…まだ酔ってるのかな?」
「酔ってなんかないわ。」
「ひぁっ!?」
井口は段々と声の主の正体が理解できてきた。ここは自宅。自分以外に誰かが居る訳がない。とすると……。
「もしかして……。この人形が……?」
「そうよ。私はずっと貴方の目の前にいるわ。」
「お、驚いた……。話ができる人形だなんて。」
「ふふふ……。普通は驚くでしょうね。でも綺麗だなんて言ってもらえて、私嬉しかったの。だからつい話しかけちゃったの。驚かせてごめんなさい。」
こちらに語りかける人形はあいもかわらず無表情だったが、丁寧な態度に井口は幾分か安心した。
「い、いや。いいんだ。俺の方こそ、君を勝手に持ち出しちまって悪く思ってる。」
「あら、そんなこと気にしなくていいわ。あなた、寂しかったんでしょう?」
「え……?」
「あなた、ひとりぼっちで暮らしていて寂しかった。だから私を持ち出して寂しさを紛らわそうとした。ね、そうでしょう?」
「そんなこと……。」
井口はそれ以上の否定ができなかった。
なんだか身の入らない仕事。どんどんと幸せになっていく同期。取り残される自分。埋まらない心の穴……。
人形の考察は、そんな自分を見透かしたように感じられた。
「……。」
「ねえ……。そんなに寂しいなら、私があなたの心を満たしてあげようか?」
「え……?」
「私があなたの恋人になってあげる。そうすればあなたは寂しくなくなるわ。」
「いや、しかし人形の恋人なんて……。」
「嫌なの?」
人形は突然虚ろな表情のまま起き上がり、井口を睨みつける。その美しい瞳はやがて黒く濁っていく。どこまでも深い昏い漆黒へと……。
「あなたは私の恋人。あなたは私に尽くすのよ。あなたの全てを私に捧げなさい……。」
「君が……俺の……恋人……?」
井口の目が段々と暗くなる。まるで麻薬を流し込まれたように、頭は判断力を失い、何も考えられなくなる。聞こえるのは彼女の声だけ……。
「私はミリア……。あなたの恋人の名よ。」
「み……り……あ……。」
「そして言葉に出して言うの。『ミリア、愛してる。今日から俺たちは恋人同士だ』。」
「ミリア、愛してる。今日から俺たちは恋人同士だ。」
「うふふふふふ……。」
井口は言われるがまま、彼女の言葉に従った。理由も根拠もない。だが彼女の言葉がなぜか心地よかったのだ。
「ミリア、愛してる……。」
【さあ、遊びましょう……。】
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

禁忌index コトリバコの記録
藍沢 理
ホラー
都市伝説検証サイト『エニグマ・リサーチ』管理人・佐藤慎一が失踪した。彼の友人・高橋健太は、佐藤が残した暗号化ファイル「kotodama.zip」を発見する。
ファイルには、AI怪談生成ブログ「コトリバコ」、自己啓発オンラインサロン「言霊の会」、そして福岡県██村に伝わる「神鳴り様」伝承に関する、膨大な情報が収められていた。

すべて実話
さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
蝶々の瑕
七瀬京
ホラー
『夏休み中かかりますけど、日給一万円の三食付きのバイトがあるって言えばやってみたいと思いますか?』
そんな甘い言葉に誘われて、私は、天敵とも言えるゼミの担当、海棠隆一准教授からの提案で、とある山奥の村へ行くことになった。
そこは、奇妙な風習があり……。
本当にあった怖い話
邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。
完結としますが、体験談が追加され次第更新します。
LINEオプチャにて、体験談募集中✨
あなたの体験談、投稿してみませんか?
投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。
【邪神白猫】で検索してみてね🐱
↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください)
https://youtube.com/@yuachanRio
※登場する施設名や人物名などは全て架空です。
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる