記憶探偵の面倒な事件簿

hyui

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離愁編

診療所にて 西馬、叫ぶ

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俺には目の前の光景が信じられなかった。…いや、わかっていたことなんだが、それでもどこか夢だと思っていた。
裏通りで闇医者をやっていた陳さん。憎まれ口を叩きながらも、いつも怪我の治療をやってくれた陳さん、そんな陳さんが目の前に以前よりも弱った姿で横たわっている。頰はこけ、目はクマができるほど窪み、時折聞こえる呼吸音はまるで隙間風が吹いているようなか細いものだった。
「陳……さん……!そんな……。もう、こんな姿になって……!」
耐えきれずアカリが泣き出した。そばにいた須田が抱えたが、その須田当人も涙をグッと堪えている。
……かく言う俺もそうだ。今にも泣き出したい気分だ。だがそうもいかない。今の陳さんは依頼人だ。依頼を請け負った身として、陳さんにきちんと仕事の経過を伝えないと……。
「陳さん……。息子さんのことなんだけど……。」
「ああ……。…どうだ?見つかったか……?」
「……。」
今にも消え入りそうな声で尋ねる陳さん。そんな彼に、俺は…“まだ所在が分からない”……なんて、言えなかった。
「……安心しな。もう居場所はわかった。あともう少し辛抱すりゃ、息子さんに会える。」
「……そうかい。そんじゃまだおっぬ訳にはいかねえな。……うっ!ゲホッ…!ゲホッ…!」
陳さんが激しく咳き込み始めた。
「どうした⁉︎何やってる!」
陳さんの異常を聞きつけて、男が一人入ってきた。先程の住吉とかいう男だ。
住吉は咳き込む陳さんに駆け寄り、背中をさする。
「大丈夫か?ジジイ。」
「ゴホッ…。あ、ああ……。」
陳さんの咳には血が混じっていた。住吉は陳さんの口周りを丁寧にふき取ると、コップ一杯の水を用意し、陳さんにゆっくりと飲ませた。
傍目から見てもなんとも手際がいい。事情を知らなければ、二人はまるで親子のように見える。
「……おい。用事は済んだんだろ?ジジイは病気の身なんだ。もう出て行ってくれ。」
「あ、ああ……。」
言われるまま、俺たちは病室を後にした。

病室を出た待合室では、先程の山田組若頭、高松が待っていた。
「よう。爺さんの様子は……あまり良くないみたいだな。」
俺の後ろにいるアカリの様子を見て察したらしい。アカリの顔はもう涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「……今、さっきの住吉って人が看病してる。あの人見かけによらず、面倒見がいいみたいだ。」
「ああ…。あいつは、あの爺さんのこと、父親みたいに思ってるからな。たぶんここの連中の中じゃ、一番心配してんだろう。ここに駆けつけたのも一番早かったしな。」
…なるほど。始めあれほど俺たちに無愛想だったのは、それだけ陳さんの身を心配していたからだったのか。きっと一目散に駆けつけてからずっとあの入り口を守っていたんだろう。万一のことがないように…。
「……さっきは悪かったな。」
高松が突然謝ってきた。
「え?」
「住吉とケンカになった時、あんた止めてくれたろ?あん時止めてくんなきゃ、俺たち二人ともあの場で殴り合ってた。」
「ああ…。」
さっきのことだ。住吉と高松、違う組同士が病室の真ん前で喧嘩をしかけていた。俺はそれを見かねて間に入って止めたのだ。
「……これじゃ、陳の爺さんにまたどやされちまうな。『てめえら、病院では静かにしろ!』ってよ……。」
「……。」
自嘲気味に笑う高松。その目には涙がこみ上げているのが見えた。
「……わかってんだよ。俺もあいつも、ここにいる連中みんな、喧嘩なんかやってる場合じゃねえって。でも、こんなに雁首そろえても、あの爺さんにしてやれることが何一つねぇ。みんな俺も含めて頭悪いからよ。医学なんてこれっぽっちも分からねえ。それが歯がゆくって、みんなイラついてんだよ。…あの住吉だって多分そうさ。身の回りを世話してやれるだけ、ちょいと羨ましいぜ……。」
そう言って、高松は寂しそうに病室の向こうを見つめた。


……ここにいるみんな、陳さんの身を案じている。今の俺が陳さんのためにできることはなんだ?やるべきことはなんだ?……


……意を決して、俺は高松に声をかけた。
「なあ、あんた高松さんって言ったな。失礼を承知で聞きたいんだが……。」
「あ?なんだ?」
「『マモン』ってクラブのこと、何か知らないか?」
その質問を聞いた途端、周りの視線がこちらに集まってきた。当の高松も目を大きく見開いてこちらを見ている。
「あんた……。どこでその名前を聞いた?」
「…陳さんの息子の捜索中にだ。主に臓器売買や資金洗浄をやっているそうだ。ヤクザもんのあんたたちなら、何か知ってるんじゃないか。」
「ほう……。」
高松が、いや高松だけじゃない。周りにいたゴロツキたちが徐々に殺気立ち始めているのを感じる。全身の毛が逆立ち、けつの穴につららを突っ込まれた気分だ。どうやら言ってはならない「タブー」。その領域に俺は自ら足を突っ込んだらしい。
「つまり……あれか?あんたらはこんな状況な時に、俺らが汚ねえことをやってると、そう言いたいのか?」
睨みながら高松が目の前まで詰め寄ってくる。それに応じて周りのゴロツキも集まり始めた。
「……アンタ……俺らを舐めてんのか?ちょいと優しくしてやったからつけあがってんのか?あ?」
「どうなんじゃぁ!コラァ!」
ったろか⁉︎オラァ!」
無言でメンチを切る高松に、ドスの効いた声で脅しをかけるゴロツキ。それを聞きつけて、病室から住吉も出てきた。
「喧しいぞ!てめぇら!何騒いでんだ!コラァ!」
「何じゃあ⁉︎コラァ!ヤンのか⁉︎コラァ!」
ヤクザのまくし立てる声で騒然とする診療所。いつもの俺なら縮み上がってるところだが、今の俺にはそれらの声がただただ耳障りに聞こえる…。


「いい加減にしろぉ!!」


……たまらずに叫んだ俺の声に、さっきまでの喧騒がピタリと止んだ。高松も住吉も面食らってるようだ。
アカリや須田は突然声を張り上げた俺を心配そうに見ていたが、ここぞとばかりに俺は続ける。
「あんたら、ここに喧嘩しに集まったのか?そうじゃないんだろ。みんな陳さんが心配だからやって来た。そうなんだろ?」
俺の問いに、何人かがコクコクと頷いた。
「……それなら、俺たちはみんな同じ目的で集まってるはずだ。喧嘩なんかしてる場合じゃない。今、陳さんの具合を見たが、もう一刻も猶予がない。俺は今、あの人の最後の頼みのために、動いてる。あの人の息子の捜索だ。……だが情けない話、まだ居場所が突き止められてないのが現状だ。だがその手がかりが『マモン』にあるかもしれない。そこまではなんとか突き止めたんだ。」
俺の話に、ゴロツキどもはザワザワし始めた。高松はと言うと、先程までの殺気も失せて、黙って俺の話に耳を傾けている。
「あの人の最後の頼みのために、あんたたちの情報が必要なんだ!今ここで俺たちがあの人のためにしてやれることはなんだよ⁉︎喧嘩なんかやってる場合じゃない!何か知ってることがあれば教えてほしい!頼む!」
俺は声の限りに叫んだ。
…正直言って、裏の世界に生きる彼らが「マモン」の情報を教えてくれるとは思えない。だがこの機を逃せば、そこに辿り着くのはいつになるかわからない。…これは一か八かの勝負だった。

しばらくの沈黙の後、高松が口火を切った。
「……たしかに、あんたの言う通りだ。あの爺さんの為に集まった、ってのに。俺らときたら、いがみ合いの喧嘩ばかり…。全く情けねえ話だ。『マモン』について教えて欲しいんだったな?いいぜ。協力してやる。……みんな、異論はないな?」
高松の呼びかけに、住吉を含む全員がうなづいた。…どうやらうまくいったようだ。
「早速、向こうで話そう。『マモン』については色々と面倒な話なんでな。付いてきてくれ。」
そう言って、高松はとなりの待合室へと俺たちを誘導した。下っ端のゴロツキもそれに合わせて移動を始めた。

ヤクザ連中が移動するや否や、さっきまで固唾を飲んで様子を見守っていた須田、アカリ、秋山が駆け寄ってきた。
「…ビックリしたよ。先生。すごいカッコ良かった!」
「無茶するな…。全く。ヤクザ相手に啖呵きるなんてよ。」
「見てるこっちはヒヤヒヤしましたよ…。でも、やっぱりキメる時はキメるんですね。西馬さん。」
……心配をしながらも、皆それぞれの言葉で俺を賞賛してくれている。ひとまずはそれは良かった。だが…。
「みんな、悪いが先にあの連中の元に行っててくれないか?」
「…?いいけど、どうしたの?先生。」
「……ちょっとチビった。」
「……先生。……カッコ悪。」
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