126 / 188
離愁編
プロローグ 依頼の着信
しおりを挟む
「……薄い。」
「薄いって何が?先生の髪の毛の話?」
「……違ぇよ。」
…ここはT市の裏通りに構える西馬探偵事務所。
俺は助手のアカリと共に、いつものように昼下がりのコーヒーで一服していた。
「…コーヒーが薄いんだよ。エスプレッソ用に深煎りで淹れたのに…。」
「そんなこと言われても、私コーヒー飲まないし分かんないよ。機械が壊れたんじゃない?」
「そんなまさか…。結構高かったんだぞ。このサイフォン式のコーヒーメーカー…。メンテも毎日やってるし…。」
「知らないよ。壊れるときは壊れるもんなんじゃない?」
「ヨヨヨ……。」
…長い付き合いだったこのコーヒーメーカーが遂に壊れたというのか。物はいつか壊れるものというが、いざその時になると寂しいものがある。
「…いい大人が泣かないでよ。みっともない。」
「だってよう……。俺はずっとコイツのコーヒーばかり飲んできたんだぜ?いわば家族みたいなもんさ。そいつが壊れたとあっちゃ、悲しくてよう…。」
「たかがコーヒーメーカーじゃん。買い換えたらいいだけでしょ?」
むむう…。女って奴は、時に非情な所がある。この長年の相棒を失ったような感覚が分からんとは…。
「おう。西馬。入るぞ。」
「はいるぞー。」
玄関から声がしたかと思うと、秋山がりえちゃんを肩車して入ってきた。もうすっかり本物の親子のような感じだ。
前回の事件の後、秋山はりえちゃんを正式に養子に迎え入れ、今は二人暮らしだ。仕事の間はりえちゃんを俺か須田に預けたりしている。面倒を見る子がまた増えてしまったが、まあとにかく平穏無事に終わって良かった。
「よう。秋山。この時間に二人連れってことは、今日は休みかい?」
「ああ。今からりえちゃんの学校の入学手続きだ。長い事学校に行ってなかったからな。その合間にちょいと立ち寄ったんだ。」
……一丁前にお父さんやってるな。
「いらっしゃい。りえちゃん。お姉さんと遊んでく?」
「うん!」
そう言って、アカリはりえちゃんを連れて事務所の奥へと行った。りえちゃんもアカリによく懐いているようだ。
「…そっか。りえちゃんも10歳だもんな。普通なら小学生か。しかし、途中から入って周りの子に勉強追いつくかね?」
「そこなんだよ。心配なのは。あの子は一時特殊な環境にいたから、その間学校に行けていない。入学しても周りについていけるかどうか…。」
穴取を倒し、りえちゃんとの平和な暮らしを手に入れた秋山。だが本当に大変なのはこれからなのかもしれない……。
「そろそろ時間だ。行ってくる。おーい。りえちゃん。行くよ。」
「はーい!おとうちゃん!」
りえちゃんはタタタッと秋山に走り寄り、アカリに、バイバイ、と手を振る。
アカリもそれに応えて手を振り、二人を見送るのだった。
「…よかったね。秋山さん。りえちゃんと暮らせるようになって。」
「ああ。一時はどうなるかと思ったが、一番いい形に落ち着いた。仇は討てたし、りえちゃんは元気になって、一緒に暮らせるようになって…。すべて丸く収まった訳だ。」
「いいなぁ…。ちょっとりえちゃんがうらやましいな。私はまだずっと一人だから…。」
「アカリ……。」
……かつて俺はアカリから兄を探すように依頼された。こいつは今日まで、家族なしにずっと一人で頑張ってきたんだ。ようやく家族として一歩踏み出せた秋山とりえちゃんには、嬉しいながらも複雑な思いがあるんだろう…。
「……兄さんの手がかり、まだ見つかんないの?先生。」
「む……。えーと、それはだな…。」
俺は言葉に詰まった。
実はこの間まで俺はアカリの兄であるヒカルと共闘していたのだ。「ドリームランド」倒壊で行方知らずだが、あいつのことだ。おそらく無事でいるだろう。
だが一方で、俺にはそのヒカルとの約束もある。
『全ての決着がつくまで妹とは会えない。』
…あいつはそう言っていた。
恐らく闇クラブを全部潰すまでは会う気はないんだろう。
…アカリをヒカルに会わせるのはまだ早い。しかしこれ以上アカリに寂しい思いをさせて良いものか。
「せ~ん~せ~い~?」
言葉を濁す俺に、アカリが返事を催促し始めた。…まずい。勘付かれる。
「えーっと…アカリ。お前の兄貴はな…。」
……『お前を蝋人形にしてやろうか!』…
『お前を蝋人形にしてやろうか!』…
『お前を蝋人形にしてやろうか!』…
…不意に、恐ろしげな男の声が俺の声を遮る。
連続して繰り返す男の声はアカリの方から聞こえる。
「…あ。ゴメン。先生。電話だわ。」
「…お前。その着信音、まだ直してなかったのか。」
声の正体はアカリの携帯の着信音だった。あいもかわらず悪趣味だ。
「…はい。もしも…あ、陳さん?……え?先生?いるけど、変わる?」
二言三言言ってアカリは携帯を俺に渡してきた。
「陳さんから電話か?」
「うん。なんか様子が変だったけど…。」
「…様子が変?」
…気にはなるがとにかく、俺は携帯をうけて陳さんと話すことにした。
「もしもし。陳さん。俺だ。」
「……おお。西馬か?……すまんな。いきなり…。」
……陳さんの声にいつもの声がない。息も絶え絶えだ。
「陳さん。どうした?何かあったのか?」
「……もう、時間がない。お前さんに…依頼をしたい……。とにかく、わしのところまで、来てくれんか……?」
「陳さんが依頼?なんだって急に……。」
…電話はそこで途切れてしまった。
「…陳さん。何だって?」
「わからん…。とにかく自分のところまで来てほしいと言っていたが……。」
……陳さんのあの様子。ただごとじゃない。なんかいやな予感がする……。
言い知れぬ不安を胸に、俺とアカリは陳さんの待つ診療所へと向かった。
「薄いって何が?先生の髪の毛の話?」
「……違ぇよ。」
…ここはT市の裏通りに構える西馬探偵事務所。
俺は助手のアカリと共に、いつものように昼下がりのコーヒーで一服していた。
「…コーヒーが薄いんだよ。エスプレッソ用に深煎りで淹れたのに…。」
「そんなこと言われても、私コーヒー飲まないし分かんないよ。機械が壊れたんじゃない?」
「そんなまさか…。結構高かったんだぞ。このサイフォン式のコーヒーメーカー…。メンテも毎日やってるし…。」
「知らないよ。壊れるときは壊れるもんなんじゃない?」
「ヨヨヨ……。」
…長い付き合いだったこのコーヒーメーカーが遂に壊れたというのか。物はいつか壊れるものというが、いざその時になると寂しいものがある。
「…いい大人が泣かないでよ。みっともない。」
「だってよう……。俺はずっとコイツのコーヒーばかり飲んできたんだぜ?いわば家族みたいなもんさ。そいつが壊れたとあっちゃ、悲しくてよう…。」
「たかがコーヒーメーカーじゃん。買い換えたらいいだけでしょ?」
むむう…。女って奴は、時に非情な所がある。この長年の相棒を失ったような感覚が分からんとは…。
「おう。西馬。入るぞ。」
「はいるぞー。」
玄関から声がしたかと思うと、秋山がりえちゃんを肩車して入ってきた。もうすっかり本物の親子のような感じだ。
前回の事件の後、秋山はりえちゃんを正式に養子に迎え入れ、今は二人暮らしだ。仕事の間はりえちゃんを俺か須田に預けたりしている。面倒を見る子がまた増えてしまったが、まあとにかく平穏無事に終わって良かった。
「よう。秋山。この時間に二人連れってことは、今日は休みかい?」
「ああ。今からりえちゃんの学校の入学手続きだ。長い事学校に行ってなかったからな。その合間にちょいと立ち寄ったんだ。」
……一丁前にお父さんやってるな。
「いらっしゃい。りえちゃん。お姉さんと遊んでく?」
「うん!」
そう言って、アカリはりえちゃんを連れて事務所の奥へと行った。りえちゃんもアカリによく懐いているようだ。
「…そっか。りえちゃんも10歳だもんな。普通なら小学生か。しかし、途中から入って周りの子に勉強追いつくかね?」
「そこなんだよ。心配なのは。あの子は一時特殊な環境にいたから、その間学校に行けていない。入学しても周りについていけるかどうか…。」
穴取を倒し、りえちゃんとの平和な暮らしを手に入れた秋山。だが本当に大変なのはこれからなのかもしれない……。
「そろそろ時間だ。行ってくる。おーい。りえちゃん。行くよ。」
「はーい!おとうちゃん!」
りえちゃんはタタタッと秋山に走り寄り、アカリに、バイバイ、と手を振る。
アカリもそれに応えて手を振り、二人を見送るのだった。
「…よかったね。秋山さん。りえちゃんと暮らせるようになって。」
「ああ。一時はどうなるかと思ったが、一番いい形に落ち着いた。仇は討てたし、りえちゃんは元気になって、一緒に暮らせるようになって…。すべて丸く収まった訳だ。」
「いいなぁ…。ちょっとりえちゃんがうらやましいな。私はまだずっと一人だから…。」
「アカリ……。」
……かつて俺はアカリから兄を探すように依頼された。こいつは今日まで、家族なしにずっと一人で頑張ってきたんだ。ようやく家族として一歩踏み出せた秋山とりえちゃんには、嬉しいながらも複雑な思いがあるんだろう…。
「……兄さんの手がかり、まだ見つかんないの?先生。」
「む……。えーと、それはだな…。」
俺は言葉に詰まった。
実はこの間まで俺はアカリの兄であるヒカルと共闘していたのだ。「ドリームランド」倒壊で行方知らずだが、あいつのことだ。おそらく無事でいるだろう。
だが一方で、俺にはそのヒカルとの約束もある。
『全ての決着がつくまで妹とは会えない。』
…あいつはそう言っていた。
恐らく闇クラブを全部潰すまでは会う気はないんだろう。
…アカリをヒカルに会わせるのはまだ早い。しかしこれ以上アカリに寂しい思いをさせて良いものか。
「せ~ん~せ~い~?」
言葉を濁す俺に、アカリが返事を催促し始めた。…まずい。勘付かれる。
「えーっと…アカリ。お前の兄貴はな…。」
……『お前を蝋人形にしてやろうか!』…
『お前を蝋人形にしてやろうか!』…
『お前を蝋人形にしてやろうか!』…
…不意に、恐ろしげな男の声が俺の声を遮る。
連続して繰り返す男の声はアカリの方から聞こえる。
「…あ。ゴメン。先生。電話だわ。」
「…お前。その着信音、まだ直してなかったのか。」
声の正体はアカリの携帯の着信音だった。あいもかわらず悪趣味だ。
「…はい。もしも…あ、陳さん?……え?先生?いるけど、変わる?」
二言三言言ってアカリは携帯を俺に渡してきた。
「陳さんから電話か?」
「うん。なんか様子が変だったけど…。」
「…様子が変?」
…気にはなるがとにかく、俺は携帯をうけて陳さんと話すことにした。
「もしもし。陳さん。俺だ。」
「……おお。西馬か?……すまんな。いきなり…。」
……陳さんの声にいつもの声がない。息も絶え絶えだ。
「陳さん。どうした?何かあったのか?」
「……もう、時間がない。お前さんに…依頼をしたい……。とにかく、わしのところまで、来てくれんか……?」
「陳さんが依頼?なんだって急に……。」
…電話はそこで途切れてしまった。
「…陳さん。何だって?」
「わからん…。とにかく自分のところまで来てほしいと言っていたが……。」
……陳さんのあの様子。ただごとじゃない。なんかいやな予感がする……。
言い知れぬ不安を胸に、俺とアカリは陳さんの待つ診療所へと向かった。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?
山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。
2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。
異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。
唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~
紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。
行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。
※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる