夢日記

ラララルルル

文字の大きさ
上 下
2 / 8

しおりを挟む

     二

 子どもはのそのそと起き出して、机に向かった。目的は無論、日記をつけるのだった。が、既に頁は埋まっていた。子どもにはその記述の内容が(何か具体的なことが書かれているのは分かったけれど)良く理解できなかった。
 ぱたんと閉じて、子どもは再び、扉の前に向かった。深呼吸をして、気を鎮める。やはり子どもは、今日もこの外へ、出ていかなくてはならないのであった。臆していると、不思議なことに、子ども以外に誰もいないはずのこの部屋で、声が響いた。
「行かなくても、良いんだよ?」
 それは有り得ない、と子どもは心中に即答した。
 心に明かりを結んでみた。大丈夫、この明かりのある内は、まだきちんとやっていける……
 子どもは心して、扉を開いた。例によって、外は殆ど闇に覆われているのだった。
 微かに見通せるのは、隅の方に張る蜘蛛の巣に、溶け出して爛れた壁であった。そうすると、前方脇から、『なめくじ』が這い出してきた。なめくじとは言っても、それは子どもの膝下くらいまでの丈を持っていて、這う度に「ネチャ、ネチャ」と音をさせるのであった。更に良く良く見ると、頭頂からは一本、糸のようなものが伸びて、円形の何かと繋がっている。子どもは腰を折り曲げ前に傾いて、その姿を注視しようとした。その時、円形はひらりと翻って——それは真白の土台に大きな真黒を取り付けた目玉であった。子どもはギャっと飛び上がって、キョロ、キョロと逃げ場を探した。が、引き返すことは不可能と知った。それで、とにかく駆け抜けた。なめくじは、何かを吠え立てていた。恐らく、自分を罵っているのに違いない、と子どもは思った。何と罵るのかは、分からなかった。が、何せこのなめくじは、自分のことが気に入らないのだと思った。
 スタスタと駆けていった先で、今度は人間に出くわした。その人間は、サッカーボール大の右耳を有していた。人間は、ニヤニヤと笑っていた。どこか妙だった。それは捉えようによっては、醜く歪んだ笑みにも見えた。
 子どもにはしかし、この笑みの理由が分かるような気がした。この人は、恐らく周囲に拒絶され続けてきたのである。だから、今度こそは受け入れられようと、精一杯にやっている。子どもは、この人の手を握ってやった。すると、この人は目を充血するほど大きく見開いて、唇をひん剥いて喜びを表した。気味が悪くて恐ろしかったけれど、我慢した。
 友だちが、できたのである。子どもは、この友だちが、心より、自ずと笑えるようになる事を、願った。そして子どもは、この友だちと共に先を進んでいくのである。一人で寂しく、おずおずと行くよりは、ずっと良い。
 更に、この日は良く人に出会う。今度は、頭の形が真四角に角ばってできた人であった。膝を抱えて、存分落ち込んでいる様子であるから、子どもも屈み込んで、優しげに話しかけてみる。けれども、あっという間に突っぱねられてしまった。
「ほっといて!」と、子どもの差し伸べた手は、払い除けられた。子どもと友だちとは、顔を見合わせた。友だちは、また歪んだ笑みを見せていた。そしてその中には、この真四角の子を気の毒に思う表情が隠されていた。
 真四角の子は、とかく子どもらを遠ざけようと必死であった。嫌でも子どもらが近づこうものなら、危害を加えることも辞さないつもりらしかった。
 二人は観念して、この場を離れた。救いたい気持ちはあるけれど、どうしても救えそうには無かったし、そして、あの子自身も、救いなど求めていないように見えた。が、子どもには、あの子の行動の意味が分かるような気がした。怖がっていたのに、違いない——何を? 恐らく、愛されないことを。そうして諦めたように、見せかけているだけなのだ、愛されることを。
 人は、愛されなくては生きていけないのだろうか。いや、少し違う。愛されなくては、生きてはいけないのだろうか?
 実際、友だちにその哲学的問いを尋ねてみたところ、友だちは子どもの思う以上に深刻に考え込んで、頭を抱えうずくまってしまった。精一杯、辛そうな顔をしていた。子どもはこれを見下ろし、幾らか嬉しくなった。友だちが自身の心の内を、直接的に表現できているところに、喜んだのである。
「少し前までなら、このまま立ち直れなかった」とふと顔を上げた友だちは言った。友だちの表情は相変わらず歪みながら、どこか清々しくも見えた。
「でも、君と友だちになって、『愛』みたいなものを少し感じることができたから。誰かに必要とされるか、されないかって、ことなんだと思う」
 じゃあ愛って具体的に何だろう、と尋ねると、子どもはふっとため息をついて冷め切った顔をした。
「そんなの分かるわけない。一度も、触れたことが無かったんだから」
 子どもは、一層友だちの信頼を得たいと考えた。友だちが自分と一緒にいて、心からの安心を得られるような、疑いようのない——友だちにとって、絶対的な存在に在りたいと、切に願った。
 さて、また歩いていくと、三人目に出会った。三人目も、やっぱり身体の何処かが歪であった。が、何がどう歪なのかは問題では無かった。問題は、人であるかどうかということだけであった。人であるならば、子どもにとって後はどうでも良かった。
 その者は、子どもに向けられる好意に、笑顔で応えた。子どもも嬉しくなって、手を取り合おうとした。ところが、その握る力が異様に強かった! と思うと同時に、腕をあらぬ方向へと捻り上げられて、子どもはとかく、痛い目に遭わされた。
「痛い、痛い」と訴えた。慌てて友だちが引き離して、救ってくれたけれど、もう痛みはすぐには引かず、ジンジンと内側から唸っていた。
 その者の目の色は、先の二人とはまた違っていて、目に映るものを憎悪する色に染まっていた。子どもは知っていた。この目の色は、精一杯自己を防衛する為の手段である。そうでなくては、やっていかれないのである。みんな、同じだ。自分を守る為に、時に人を傷つけて、何とか生きている。だから、子どもは、誰をも否定する気にはなれなかった。救ってあげよう、などという、大層な考えにも及ばなかった。何故なら、子ども自身、苦しみ、救いを求めている最中なのである。
 愛により、愛が得られるという訳でも無いらしかった。結局のところ、三度試した内、一度実を結んだだけであった。
 進んでいくと、昨日と同じように突き当たりに来て、子どもは、友だちと顔を見合わせた。
「また明日」と友だちはそう言って、何故だか申し訳なさげに笑った。子どもは、うんと頷いて、友だちの手を握った。そうして合言葉を呟いたのだった。
「私にはできない」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お譲りさん

ちょこ
ライト文芸
わたしは「譲る人」、になることにした。

時の欠片

☆みゅる☆
ライト文芸
──あれはいつの事だっただろうか……… 良くは覚えていないがそれは確かにあった事だ。 それには幾つもの姿があった。 ある時は「彼」であり、ある時は「彼女」であった。また、ある時は1輪の「花」、1匹の「鳥」であったかもしれない。しかし、どれも、違っていた……いや、同じなのかもしれない、姿形が違うだけで根本は一緒だったのだろうか?今となってはどうでも良い事ではあるが… これは、そんな、何処にでもある「日常」の話しだ───

Black Day Black Days

かの翔吾
ライト文芸
 日々積み重ねられる日常。他の誰かから見れば何でもない日常。  何でもない日常の中にも小さな山や谷はある。  濱崎凛から始まる、何でもない一日を少しずつ切り取っただけの、六つの連作短編。  五人の高校生と一人の教師の細やかな苦悩を、青春と言う言葉だけでは片付けたくない。  ミステリー好きの作者が何気なく綴り始めたこの物語の行方は、未だ作者にも見えていません。    

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

贈るコトバ

I am DOG
ライト文芸
7000文字程度の短編小説です。

ガラスの海を逞しく泳ぐ女たち

しらかわからし
ライト文芸
夫や彼がいるにも関わらず、彼らにはナイショの行動を取り続け、出逢ったカレとの不倫に走り、ないものねだりを不道徳な形で追い求め、それぞれの価値観の元で幸せを掴もうとしてもがく。 男性優位で不平等な社内で女の顔を持って逞しく泳ぐ女たちも好きな男の前では手弱女に変身する三人の女たちの赤裸々な姿。 男たちのエゴと、女たちの純粋さと逞しさ。 女たちは決して褒められたことではない欲望をどん欲に追い求めながらも孤独な彼女たちの心の叫びが聴こえてくる。 欲望とは欲しがる心、これを追求する女たちを描きました。 (登場人物) 課長 高橋 美夏 三十五歳 青森県津軽のオヤジ 田畑 静雄 四十五歳 婚約者 小川 蓮 三十六歳 主任 佐久間 緑子 三十五歳 高橋美夏の親友 緑子のカレ 大和 二十六歳 課長 山下 夢佳 三十三歳 執行役員 佐々木 五十歳 グループ会社本社社長 佐藤 社長秘書課長 五十嵐 以前の小説名は「男性優位で不平等な社内で女の顔を持って逞しく泳ぐ彼女たち」です。 今回、題名を変え、改稿して再度、公開しました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

完結【R―18】様々な情事 短編集

秋刀魚妹子
恋愛
 本作品は、過度な性的描写が有ります。 というか、性的描写しか有りません。  タイトルのお品書きにて、シチュエーションとジャンルが分かります。  好みで無いシチュエーションやジャンルを踏まないようご注意下さい。  基本的に、短編集なので登場人物やストーリーは繋がっておりません。  同じ名前、同じ容姿でも関係無い場合があります。  ※ このキャラの情事が読みたいと要望の感想を頂いた場合は、同じキャラが登場する可能性があります。  ※ 更新は不定期です。  それでは、楽しんで頂けたら幸いです。

処理中です...