15 / 30
第4章
自主公演
しおりを挟む
紋司郎が知八を連れて杜若の見舞いに訪れたのは、一週間後のことだった。
「はよう良うなって貰わな、困りますで」
紋司郎が杜若の手をぐっと握って言うと、杜若は困ったように笑った。
「ありがとうございます」
「杜若おじさん、自主公演中止してしまわはるんですか?」
知八の問いに、杜若が申し訳なさそうに答えた。
「そうなんよ。色々と力添えをしていただいたのに申し訳ないです」
紋司郎はじっと杜若を見つめて言った。
「そのことなんやけどな、杜若さん。考えてみたんやけど、やはり、なんとしても幕は上げなあかんと思う」
「せやけど旦那、今月中の退院は無理です」
思わず綾之助が口をはさんだ。杜若の病状を知っているはずなのに、紋司郎はなぜそんなことを言うのだろう。
「もうお客さんにもチケットを買うてもろたんや。今後のことを思たら、この興行はやらなあかん」
公演が中止となれば、チケットは払い戻さなければならない。劇場の支配人は杜若に同情してくれるだろうが、それでも使用料を一銭も支払わないというわけにはいかないだろう。杜若は赤字を抱え込むことになる。
「私は、もう一度、あんたに舞台に立って欲しいんや」
紋司郎は杜若の両手を固く握り締めて、力強く言った。
「相模屋さん」
「代役を立てましょう。幸い、今月は私は舞台がないんや」
紋司郎のことばに杜若はパチクリと目を瞬かせた。
「私があなたの代わりに舞台に立ちます」
杜若も綾之助も仰天した。
「ほんまは僕がやりたかったんやけど、お前に六郎太夫は無理やっておじいさまに言われてもうて。まあ、それはそうなんやけど」
知八は残念そうに言った。杜若は慌てて言った。
「そないなこと、とてもやないけど、お願いできません」
「違う、そやない。私が、あなたにお願いをしてるんです。この公演はとても意味のあるものや。会社も、音右衛門兄さん自身も諦めていた梶原を私かて見たい。若い役者にも見せたい。杜若さん、うんと言うてくれへんか」
なんて人だろう、と綾之助は思った。ここまでの心意気を持った人が他にいるだろうか。綾之助は改めて紋司郎に惚れ直す思いだった。
ハラハラと杜若の目から涙がこぼれた。
「よろしくお願いします」
二日間・四公演の杜若の自主公演は満員御礼だったため、綾之助は座席から舞台を観ることは叶わなかった。関係者が舞台を見られる調整室も、ほんの数人しか立ち入れないため、ほとんどの役者は舞台を観ることは叶わなかったのだが、杜若の名代の綾之助は特別扱いで、調整室の舞台中央寄りの特等席で舞台を見ることができた。
杜若の入院を知っている客たちは、その熱気でこの公演を支えた。決して広いとは言えない劇場内にはバッタリの度に万雷の拍手。要所を捉えた大向うの声。役者もその熱気に乗せられて、素晴しい演技をした。紋司郎は初役である六郎太夫をたった十日で仕上げた。巧者揃いの素晴らしい舞台だった。
終演後、綾之助は地下鉄に飛び乗って、興奮冷めやらぬまま杜若の病室へと走り込んだ。
「どうやった?」
落ち着いた声で杜若は尋ねた。
「大盛況です! みなさん、素晴らしかったです!」
「そうかあ」
杜若はゆっくりとうなずいた。
「和泉屋さんの梶原は凄まじいやろ」
「はい。それは惚れ惚れする男振りでした」
「せやろ。あれが、上方の梶原やで」
杜若はとても満足そうに笑った。
「私は、あの梶原をもう一度見たかったんや」
「はよう良うなって貰わな、困りますで」
紋司郎が杜若の手をぐっと握って言うと、杜若は困ったように笑った。
「ありがとうございます」
「杜若おじさん、自主公演中止してしまわはるんですか?」
知八の問いに、杜若が申し訳なさそうに答えた。
「そうなんよ。色々と力添えをしていただいたのに申し訳ないです」
紋司郎はじっと杜若を見つめて言った。
「そのことなんやけどな、杜若さん。考えてみたんやけど、やはり、なんとしても幕は上げなあかんと思う」
「せやけど旦那、今月中の退院は無理です」
思わず綾之助が口をはさんだ。杜若の病状を知っているはずなのに、紋司郎はなぜそんなことを言うのだろう。
「もうお客さんにもチケットを買うてもろたんや。今後のことを思たら、この興行はやらなあかん」
公演が中止となれば、チケットは払い戻さなければならない。劇場の支配人は杜若に同情してくれるだろうが、それでも使用料を一銭も支払わないというわけにはいかないだろう。杜若は赤字を抱え込むことになる。
「私は、もう一度、あんたに舞台に立って欲しいんや」
紋司郎は杜若の両手を固く握り締めて、力強く言った。
「相模屋さん」
「代役を立てましょう。幸い、今月は私は舞台がないんや」
紋司郎のことばに杜若はパチクリと目を瞬かせた。
「私があなたの代わりに舞台に立ちます」
杜若も綾之助も仰天した。
「ほんまは僕がやりたかったんやけど、お前に六郎太夫は無理やっておじいさまに言われてもうて。まあ、それはそうなんやけど」
知八は残念そうに言った。杜若は慌てて言った。
「そないなこと、とてもやないけど、お願いできません」
「違う、そやない。私が、あなたにお願いをしてるんです。この公演はとても意味のあるものや。会社も、音右衛門兄さん自身も諦めていた梶原を私かて見たい。若い役者にも見せたい。杜若さん、うんと言うてくれへんか」
なんて人だろう、と綾之助は思った。ここまでの心意気を持った人が他にいるだろうか。綾之助は改めて紋司郎に惚れ直す思いだった。
ハラハラと杜若の目から涙がこぼれた。
「よろしくお願いします」
二日間・四公演の杜若の自主公演は満員御礼だったため、綾之助は座席から舞台を観ることは叶わなかった。関係者が舞台を見られる調整室も、ほんの数人しか立ち入れないため、ほとんどの役者は舞台を観ることは叶わなかったのだが、杜若の名代の綾之助は特別扱いで、調整室の舞台中央寄りの特等席で舞台を見ることができた。
杜若の入院を知っている客たちは、その熱気でこの公演を支えた。決して広いとは言えない劇場内にはバッタリの度に万雷の拍手。要所を捉えた大向うの声。役者もその熱気に乗せられて、素晴しい演技をした。紋司郎は初役である六郎太夫をたった十日で仕上げた。巧者揃いの素晴らしい舞台だった。
終演後、綾之助は地下鉄に飛び乗って、興奮冷めやらぬまま杜若の病室へと走り込んだ。
「どうやった?」
落ち着いた声で杜若は尋ねた。
「大盛況です! みなさん、素晴らしかったです!」
「そうかあ」
杜若はゆっくりとうなずいた。
「和泉屋さんの梶原は凄まじいやろ」
「はい。それは惚れ惚れする男振りでした」
「せやろ。あれが、上方の梶原やで」
杜若はとても満足そうに笑った。
「私は、あの梶原をもう一度見たかったんや」
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……
傷だらけの僕は空をみる
猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。
生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。
諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。
身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。
ハッピーエンドです。
若干の胸くそが出てきます。
ちょっと痛い表現出てくるかもです。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。
白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。
最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。
(同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!)
(勘違いだよな? そうに決まってる!)
気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
なんか金髪超絶美形の御曹司を抱くことになったんだが
なずとず
BL
タイトル通りの軽いノリの話です
酔った勢いで知らないハーフと将来を約束してしまった勇気君視点のお話になります
攻
井之上 勇気
まだまだ若手のサラリーマン
元ヤンの過去を隠しているが、酒が入ると本性が出てしまうらしい
でも翌朝には完全に記憶がない
受
牧野・ハロルド・エリス
天才・イケメン・天然ボケなカタコトハーフの御曹司
金髪ロング、勇気より背が高い
勇気にベタ惚れの仔犬ちゃん
ユウキにオヨメサンにしてもらいたい
同作者作品の「一夜の関係」の登場人物も絡んできます
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる