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5『冥々たる紅の運命』

5 第四章第六十九話「何を託したかったのか」

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「べグリフ様は元気なんだろうな!」

「当たり前だろ! 冥界だろうと何だろうと大人しくしてるタイプだと思うか! ……あ、でも俺と会った時はフルチンで鎖に繋がれてたぞ」

「フルっ……お前ぶっ飛ばされたいの!?」

「何でだ、俺は事実を言っただ――ぶへぇっ……!」

「今のは多分カイが悪いよ」

「乙女の前でフル……は無しよね」

「我が息子ながら気遣いというものを知らんらしい」

 遥か上空、回転しながら宙を舞うカイ。レイニーの一撃がカイの頬を凹ませていた。

「《……いつまでふざけているんだ、下を見ろ》」

 綺麗に弧を描くカイの背景として広がるのは王都ディスペラード。カイの転移によってカイ達はすぐさまディスペラードに辿り着いていたのだった。

 イデアが状況を見てすぐに顔を引き締める。

「どうやらもう既に始まっているようですね……!」

 眼下に広がるのは白い鎧に身を纏った王都リバディの兵士達。そして、必死にその猛攻を止めようとする王都ディスペラードの国民達だった。

 死ぬことのない亡者達。どれだけ四肢を折ろうが斬り捨てようが、首を飛ばそうがその動きが止まることはない。まるでその全てを無駄だと突き付けるように、白い甲冑は命を求めて動き続けていた。

「……ルーファ達の姿が見えないわね」

 シロの言う通り、戦場と化している平原に彼女達の姿はない。カイの身体を借りていたトーデルが転移で飛ばしていたというのに。

「《……遥か先に《冥力》を感じる。きっとそこだ》」

「なるほどな、例の親玉を潰しに行ったわけだ」

 止まることのない亡者達を唯一止める方法。それは《死斧ヘルメス》の術者を止めることだった。きっとルーファ達はそちらを優先したに違いない。

 これ以上、命が弄ばれるのを見ていられないから。



「《……皆、《冥具》を私に渡してくれ》」



 それは、トーデルとて例外ではなかった。

 宙を自由落下するカイ達の視線が彼女に集まる。トーデルは変わらず地上で蠢く命なき魂を見つめていた。

「《カイ、君はイデアと共にルーファ達の元へ。君達の力があれば、必ずや道を切り開けるはずだ。ゼノとシロ、レイニーはこれ以上の被害が出ないように協力してくれ》」

「《冥具》を渡せって、お前使えるのかよ」

 カイの言葉に、トーデルはその瞳を見つめ返して頷いた。

「《セインツ魔法学園でカイの身体を借りた時、傍には《大剣ハドラ》《絶白モルグル》《真鎖タフムーラス》、そして《冥竜ドラゴノート》、《吸命ヴァイア》の存在があった。そして、今その内の四つの《冥具》の力が我々の手にある》」

 《冥力》と実際に対峙してきたカイ達を以てして半透明だったトーデル。その彼女へ四つの《冥具》が引き渡される。

 溢れ出る真紅の力が半透明であるはずの彼女に纏わりついていく。

「《今の私なら顕現できるはずだ》」

「トーデル、お前……」

 カイの視線の先で、いつの間にか黒いコートに身を包んだトーデルが姿を現していた。長い銀髪が風に揺れ、瞳の真紅が怪しく輝く。背中には大剣を背負い、右手に拳銃を、肩には小さなトカゲ、そして周囲には無数の鎖が漂っている。

 確かな色を手に入れた彼女が、真っすぐにカイとイデアへ視線を送る。

「哀れな魂は私達が抑える。だからカイ、イデア、お前達は行け。そして、終わらせて来るんだ。これ以上の蛮行を止めるために」

 輪郭を取り戻したトーデルから溢れる冥力。本来一つですら莫大な力を得る《冥具》を今四つも装備している。

 カイに、首を左右に振る選択肢など存在しなかった。

「……親父、こっちは頼んだぞ!」

「当然。そっちこそさっさとルーファちゃん達を助けて来い。どんだけ迷惑かけたと思ってるんだ」

「それもそうだ……イデア!」

「うん!」

 カイの差し伸べた手をイデアが優しく握る。そこに避けていた様子など微塵も感じない。

「それじゃ、また後で!」

「怪我はしないでください!」

 言葉を残して、カイとイデアの姿が瞬時に消失する。カイも遠くから伝わってくる冥力を認識しているはず、すぐに到着するに違いない。

 終わりは近い。

「ゼノ、当然と宣うのはいいけれど、向こうは不死身なんでしょう? 手立ては?」

「……だそうだ、トーデル」

「他力本願甚だしいわね」

「私は早くべグリフ様に会いたいんだ! さっさと終わらせろ!」

「そう時間はかかるまい」

 トーデルの身体が怪しく光る。

 次の瞬間、平原の上空に真紅の光が散りばめられていく。まるで夜空に広がる星空にようだ。

「《死斧ヘルメス》はその力を以て殺した相手の魂を自在に操る《冥具》だ。つまり、身体は死んでいても自我無き魂がそこに眠っているということ」

 その光から覗くのは無数の真紅の鎖《真鎖タフムーラス》だった。ジョーラインが展開していた数とは比べ物にならないほどで、比喩でも何でもなく空を埋め尽くしている。

「《真鎖タフムーラス》は魂を縛る鎖だ。魂が縛られるからこそ、繋がっている身体の身動きが取れなくなる」

 まるで雨のように、雪崩のように溢れていく鎖に地上の人々も思わず空を見上げていた。その光景に見覚えがある者もいる。セインツ魔法学園が襲撃された際、ジョーラインが同じようにしていたからだ。

 だが、あまりにも意味合いが違う。

 ようやくだ、皆。

 トーデルが心の中で《冥具》へと語り掛ける。

 《冥具》のオリジナルは、元々トーデルと同じ《冥界の審判員》であり、トーデルと志を同じくしながら《女王》の手によって魂の形を変えられた者達である。

 これまで、彼らのことを思うと耐え難い心境だった。誰も、こんな命を弄ぶような力を願うような者達ではなかった。

 《冥界》とは死した者が集う場所だから。死の形は千差万別。だが、突き付けられる死は決して幸福ではない。どのような理由があろうと、その選択肢が明るくなることなど決してない。

 だからこそ安らかに過ごせるようにと、《冥界の審判員》は《冥界》を管理していた。どうか次の生への間、何一つ不自由なく、真っ白に濯がれるまで幸せに暮らしてほしいと。

 そんな彼らの本懐を今。

「私が片っ端から《真鎖》を繋いでいく。そうすれば、これ以上魂を傷つけることなく動きを止められる。お前達は援護を頼んだ」

「任せろ! シロ!」

 視界の隅でシロがセインの形に変わるのが見える。レイニーも二振りの銀大剣を生成していた。

 大丈夫だと、トーデルは思った。

 隣にいる三人も。

 眼下で必死に抗う人々も。

 皆、強い。

 生きようという意志が、決して絶望を寄せ付けない。

 やはり生きるとは、素晴らしいことなのだと思う。

 だから、私は。

 私達は。

 命を繋げたいと思うのだ。

「行くぞ!」

 死んでなお絶望に包まれた魂を解放するために。

 《冥界》をあるべき形に戻すために。

 真紅の鎖が、魂を真に解放するべく降り注いでいった。





※※※※※





「なんじゃ、その力は!」

 怒りと共にウェンがシャーロットを睨みつける。その真横にカルラが迫っていた。

 身体を真紅に光らせながら。

「余所見とは感心しないね!」

「ちっ」

 振り向きざまに《死斧ヘルメス》をカルラの槍へ叩きつける。カルラはうまく受け止め、反動で槍を返して逆の先端をウェンへ繰り出していた。

 すんでのところで首を傾けて躱すウェン。彼女は焦りの表情を浮かべていた。

 あり得ない。こちらは《冥具》を持っているというのに、何故此奴は攻撃を受け止められる。そもそも先の一撃で槍ごと奴を両断できて当然ではないのか。

 思わず一歩飛び退き、土で出来た蛇を数匹カルラへとけしかける。少しでも余裕を生み出さなくては。

「簡単に逃げられるわけないだろ!」

 その背後にはザド。カルラと同じように真紅に漂うオーラを纏っている。

 ウェンが気づき、振り向くより早く刀が空を走る。ウェンの背中から鮮血が迸った。

「何を、するのじゃ!」

 それでも強靭な膂力が怯みを生み出さない。振り向くと同時に勢いよく《死斧ヘルメス》を上から振り下ろした。横に回避したザドだったが、衝撃波に直撃して吹き飛んでしまった。

「――!」

「死をもってこの傷の償いをするのじゃな!」

「《炎帝・フォルテ!》」

 ザドへ飛び掛かろうとしていたウェンへ襲い掛かる真紅の大猫。その鋭利な大爪をウェンは《死斧ヘルメス》で受け止めるも、次の瞬間大爆発が起きて後方へ吹き飛ばされた。

 大斧を突き立てて勢いを殺しながら、ウェンが恨めしそうに顔を上げる。

「雑魚共が群れおって……!」

 やはりその視線はルーファの後ろで目を閉じているシャーロットへと向けられていた。

 祈るような姿勢の彼女からは同じように冥力が溢れており、その冥力はルーファ、カルラ、ザドの三名へと注がれていた。

「シャーロット、凄いわね。この力……!」

 ウェンから視線を外さずに、驚きをシャーロットへ伝えるルーファ。シャーロットから送られてくる冥力が三人の能力を限界まで引き上げてくれていた。本来なら、一介の学生が《冥具》持ちに太刀打ちできるわけがない。その事実をシャーロットが捻じ曲げているのだ。

 目を閉じ、少し汗を流しながらシャーロットが笑う。

「《吸命ヴァイア》は命を保管し、放出するの。だから、保管していた命達の力を借りれば、皆を強くすることだってできるんだ」

 《海禍レオスケイサ》から始まり、シャーロットはいくつかの命をその身体に保管してきた。失った心臓を補うために消費されていたその力は今、その役目を果たし新たな形に昇華している。

 セインツ魔法学園では《大剣ハドラ》と《真鎖タフムーラス》、《絶白モルグル》の力も吸収している。貯蔵は十分だった。

 シャーロットが目を開け、不敵に笑う。

「私達なら勝てるよ! 絶対!」

「寝言を抜かすでないわ! 私にはまだ――!」

 ウェンが《死斧ヘルメス》を頭上に掲げ、何やら力を蓄えようとしていたのが分かった。

「させるかよ!」

 すぐさまザドが、カルラが、ルーファが阻止するべく行動しようとしたその先で。



「お、見つけたぞ! 学生諸君!」



 声が降り注いだ。

「え……?」

 その場にいた誰もが、ウェンも例外ではなく頭上を見上げる。

 陽光に照らされた先にカイはいた。イデアを抱きかかえた状態で、宙からゆっくりと降りてきていた。

「おぉ、ザド! 話には聞いていたが、今のお前となら仲良くできそうだな!」

 カイがザドを見ながらニヤッと笑う。その笑い方が紛れもなく彼だと証明していた。

「お前、何で――」

「カイ!」

 ザドの言葉を遮るように、シャーロットが地上へ降り立ったカイへと抱きついた。

「――!?」

 すぐさま表情を変えるザドと、少し面白くなさそうに頬を膨らませるイデア。だが、構わずシャーロットは抱きついたままで、カイもその頭を優しく撫でていた。

「エル! いや、シャーロットか! お前も無事に戻ってきたんだな!」

「うん! カイこそ、絶対来てくれるって思ってたよ!」

「当たり前だろ! 何の為に俺達が戻ってきたと思ってんだ!」

「……随分、仲良さそうだね」

「あれ、イデア? 何かちょっと怖い顔してるけど……」

「貴様、シャーロットから離れろ!」

「なにこの殺気!? 仲良くなれそうだと思ってたのに!」

 以前の関係とは明らかに違う二人の姿に周囲が困惑する中、ルーファもまたカイへと近づいていく。

「あなた、どうして……」

 カイの魂は《冥界》に行っていたはずで、それを取り戻すきっかけを得るために王都リバディへ向かった。だが、結果として何もつかめなかったはずなのに。

 無理やりザドにシャーロットを引きはがされたのち、カイがルーファへ視線を向ける。

「ルーファ! こうやって話すのはあの日以来だな! 元気してたか!」

「元気も何も、あなたが死んでたんでしょ」

 四大名家の息女ミュー・リリットが亡くなった翌日、シリウス・セヴァンと戦闘していたルーファとカルラの元にカイとザド、そして暴走したシャーロットが乱入。何とか事なきを得たものの、カイとルーファの別れ方は最悪だった。

「君、本当にカイ・レイデンフォートなのかい?」

 尋ねてくるカルラにカイが口を尖らせる。

「そうだよ。だからな、お前の意味分からん隠し子説はものの見事に外れなんだよ! この迷子探偵、迷探偵が!」

「それは悪かったね。どうも私はルーファのこととなると理性が抑えられなくなるらしい」

「……お前の幼馴染どうかしてるぞ、マジで」

 訴えかけるようなカイの視線に、ルーファは苦笑で返すほかなかった。



「カイ、レイデンフォートぉおおおおお!」



 うめき声のようで、それでいて悲痛の叫びにカイ達は視線を彼女へと向ける。

 ウェンの表情は、ルーファがこれまで見た中で一番怒りに満ち溢れていた。

「おまえのせいだ」

「え?」

「お前のせいで、私の息子はぁあああああ!」

「……」

 怒りの中に眠る悲しみが、言葉に乗って周囲に響き渡っていく。

 憎しみの籠った瞳を、カイは真正面から受け止めていた。その横で、ルーファが補足を入れる。

「彼女の名前はウェン・グランデロード。王都グランデロードの女王で、二年前のニールエッジ王国滅亡時に息子を悪魔族に殺されてしまったの」

「ニールエッジ王国……」

 彼女の怒りが何故自分に向いているのか、カイは即座に理解した。二年前、四魔将だったバルサは裏切者のエイラを探すためにニールエッジ王国を訪れ、そのまま国を滅亡させた。その時ウェンの息子がそこにいたのだろう。

 掲げていたはずの《死斧ヘルメス》を地面に叩きつけながら、唾を吐き散らしながらウェンが叫ぶ。

「お前が、お前達がエイラ・フェデルを匿いさえしなければ、悪魔族が人界へ侵攻することもなかった! アインゼルツの元へ悪魔族が向かうこともなかった!」

 ウェンの叫びを何故だかルーファとザドは無視できなかった。

 同じような言葉を、カイに浴びせたことがあるからだ。

 カイのことを人殺しと呼んだザド。

 カイのせいでエグウィス・ディスペラードは死んだのだと怒りをぶつけたルーファ。

 何も変わらない。ウェンの悲痛の叫びは、あの時カイにかけた言葉と何も変わらなかった。

「全てお前のせいじゃ! お前のせいで、この世界は歪みはじめた! お前のせいで、人は死に、国は滅び、世界は地獄へと変わっていくのじゃ!」

「国を滅ぼしたのはあなたで――」



「そうだ、俺が殺した」



 ルーファが思わず言葉を挟む途中で、真っすぐにカイはそう返した。当然だと言うように宣うカイに、呆気にとられてしまったウェンだったがすぐに怒号を放つ。

「貴様、開き直るつもりか!」

「カイ……」

 イデアがギュッとカイの手を握る。一瞬視線を向けてカイは優しく微笑み、そして再びウェンへと視線を向けた。

「だって事実だ。俺達の選択で、俺の選択で命が巻き込まれてしまった。この手は決して綺麗じゃない」

「ふざ、けるなあああ! そんなお主が何故生きておる! そんな大罪人は今すぐにでも死ぬべきに決まっておろうが!」

「悪いがそれはできない。巻き込んでしまった命があるのは事実。でもな、巻き込んでしまった、犠牲を出してしまったからこそ、俺達は止まっちゃいけないんだ」

 以前、弱音を吐いたカイにイデアが言ってくれた言葉だ。やらなきゃよかったは、命を賭けてくれたヴァリウスやアグレシア、それにフィグル達に失礼で、やってよかったは、巻き込んでしまった命達を軽んじてしまう。

 やらなきゃならない。止まってはならない。

 理想を現実に変えるために、進み続けなければならない。

「あんたもそうだろ、ウェン・グランデロード。止まれねえよな、まだあんたの悲願は果たされてねえ」

「当然じゃ! お主を殺して、多くの命を捧げて、アインゼルツを生き返らせる!」

「でも、ここまでだよ」

 次の瞬間、カイから大量の魔力が溢れ出た。直接触れているわけではないのに、震えた大気が力を伝えてくる。ウェンの身体に緊張が走った。今対峙しているのは、世界の英雄なのだと認識してしまう。

「多くの命を巻き込んでしまったからこそ、俺達は多くの命を救う。それが俺達にできることで、だからお前を止める。今を地獄と言うのなら、その地獄を変えてやる」

「ならばわしを救え! わしの為に命を捧げろ!」

「ああ、救ってやる。誰も失わない形でな!」

 イデアへ手を伸ばすカイ。

「これ以上、あなたの蛮行を許すわけにはいかない!」

 その瞳に、彼女は頷きと共に光を放った。

 《ベルセイン・リング》状態となるカイとイデア。

 対してウェンは《死斧ヘルメス》を頭上に再度掲げる。

 カイはウェンが何をしようとしているのか理解していた。

 《死斧ヘルメス》については、ドライルとシーナから情報を貰っていた。殺した相手の命を操る能力だが、操っている魂を自身に吸収することで凄まじい力を発揮できるのだという。

「もう良い! どうなろうと知ったことか! 王都ディスペラードはわし直々に血で染めてやろう!」

 大方、操っている王都リバディの兵士の魂を吸収することで強化を図っているのだろう。王都ディスペラードにとっての救世主を演じる作戦だったはずだが、既にここまで追い詰められているからこその最終手段だ。

「言ったろ、ここまでだって」

 だがどれだけ時間が経っても、魂達がウェンの元へ集まってくることはなかった。

「何故、何故じゃ!」

 ウェンは動揺を隠せない。操っているはずの魂が、その動きを止めていた。支配しているはずなのに今この瞬間だけ支配域を脱している。

 カイは分かっていた。詳しい絡繰りは分からないが、あちらでトーデル達が魂を留めてくれているのだと。

「仮に一国の王であるあんたが、自分の私利私欲で動いている。暴君ウェン・グランデロードよ。あんたはその座から降りるんだ」

 ゆっくりと歩み寄っていくカイに、ウェンは《死斧ヘルメス》をどうにか構える。

「く、来るな!」

「そして、よく考えるんだな。あんたの奪った命の想いを。あんたの息子の想いを」

「アインゼルツはきっと私に感謝するはず――」

「命には必ず終わりがある。でも、その想いに終わりはない。生きている者がいる限り、託された者がいる限り、その想いが真に消えて無くなることはないんだ。なぁ、あんたは息子から何を託された。何の想いを受け取ったんだ」

「生き返らせてほしいと、アインゼルツは願っているんじゃ!」

 叫び声を上げながら、ウェンが恐怖を払ってカイへと飛び掛かる。必死な彼女の表情。

 無駄よ、彼女にはもう……。

 必死でいて、どこか哀れな彼女をルーファは見つめていた。

 既に同じような問答をルーファ達がしていた。それでも、彼女に言葉は決して通じない。

 もう、言葉が彼女を突き動かすことはない。



「……なら、あんたは息子に何を託したかったんだよ」



「――!」

 だが、カイの言葉は確かにウェンの心を捉えていた。ウェンの眼が大きく開かれる。

 その差はどこにあるのか。

 ルーファ達の言葉は、ウェンが描いた生きていたアインゼルツの虚像を越えることは決してなかった。

 だが、カイの言葉がウェンに思い出させたのは、その虚像を描くに至る原点。

 こう生きてほしいという願いだった。

 カイはついさっき泣きじゃくっていたゼノの顔を思い出していた。あんな顔、見たことなかった。どれだけ自分の存在がゼノにとって大切だったのか、どれだけの想いを向けられていたのか伝わってきた。

 俺だって、親父に託されているものがあるんだ。受け取った想いがあるんだよ。

 親ってのは、そうやって子供に何かを託そうとするんじゃねえのかよ。子供ってのは、そうやって親から受け継いで生きていくもんなんだよ。

 だから、止まるわけにはいかねえんだ!

「あんたは息子に、どんな人間になってほしかったんだ!」

「わ、わしは――」



 母さんにも楽してほしいからね。



 ウェンの脳裏にアインゼルツの穏やかな微笑みが浮かぶ。知的で冷静で、優しくて親孝行者だったアインゼルツ。思慮深く、相手を労り、関わる人を幸せにするような人間になってほしいと思っていた。実際、アインゼルツと過ごす日々は幸せで、アインゼルツの親になれて良かったと本気で思っていた。

 関わる人を幸せにする人になってほしかった。この想いを託そうとして、アインゼルツは確かに受け継いでくれていたように思う。



 託そうとしていた想いと、今の自分はどれだけの乖離があるだろうか。



 もしアインゼルツが受け継いでくれているのなら、今のワシを見てどう思うじゃろうか。

 この時初めて、ウェンの思考に生まれた問い。閉じていた思考が、カイの言葉で無理やりこじ開けられる。



 死に囚われ、忘れていた希望の話。こんな息子に育ってほしいという原点の願い。



 アインゼルツの為だと人を殺すワシを、お主は……。

「アイン、ゼル、ツ――」

 刹那の先で、ウェンは地べたに仰向けになっていた。その手から《死斧ヘルメス》は横に吹き飛ばされており、身体は袈裟斬りされていた。

 倒れながら、晴れ間がのぞいてきた空にウェンは右手を強く伸ばした。

 この手で生まれたばかりの赤子を抱いたときに誓ったのだ。必ずこの子を幸せにすると。必ずこの子を守り抜くと。

 どうか許してくれ、アインゼルツ。お主を守れなかった母を。幸せにできなかった母を。

 だからこそ、ワシは――……。

 掲げた右手が地面に落ちる。ウェンは気を失っていた。

 ウェンの傍にしゃがみこみ、止血の為に回復魔法を施すカイ。

「ふぅ……一先ず、生界側は一件落着かな」

 汗を拭い、同じようにカイは空を見上げた。

 ウェンの戦闘不能によって、操られていた魂達も無事解放されるだろう。もう、王都ディスペラードを狙う者達はいなくなった。

 広がっていく晴れ間が、長く続いた王都ディスペラードの危機の終わりを告げるのだった。
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