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5『冥々たる紅の運命』
5 第四章第五十八話「女王スウェル」
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命には終わりがあるのだと、ゼノは数々の経験を以て実感している。
奴隷時代に看取ってきた命があるから。
世界を変えようとして、自らの手で終わらせた命があるから。
救おうとどれだけ足掻いても、目の前で救えなかった命があるから。
だからこそ、命の尊さを理解している。
だからこそ、命を殺す意味も理解している。
理解していて、理解しているからこそ。
ゼノは殺意を十代の青年へと向けていた。
今、ゼノを駆り立てる感情はあの時と一緒だ。
命を弄ばれた親友が目の前で死んだ時と、一緒だ。
許せない。命を何とも思っていない目の前の存在が許せない。軽々と誰かにとって大切な人を殺せる思考が許せない。その程度の価値観で、他人の人生をぐちゃぐちゃにする命が許せない。
どれだけの絶望が襲うと思っている。どれだけの人が苦しむと思っている。
何故多くの人を苦しめておきながら。
お前は笑うんだ。
「――シリウス・セヴァン!!」
「――っ!」
ゼノから放たれる言葉が、シリウスから呼吸を奪う。ゼノに向けられる殺意が、シリウスから自由を奪う。
まだ距離はあるはずなのに、まるで喉元に刃を突き付けられているかのようだ。
手元に持つ《冥具》は身体に力をくれている。膂力は十二分に底上げされている。如何に過去の聖戦における英雄だろうと、自分に勝てるはずはない。
それが分かっているのに、足が竦んで動かない。
ゼノの手で赤く光るセイン。その眩いくらいの赤が、シリウスを突き刺して動かさない。
怒りが、殺意が向けられて。
シリウスは初めて死を突き付けられていた。
これまで容易く突き付けていたものが、初めて自分へ向けられていた。
震える喉に、流れていく汗。ままならない呼吸が、心臓すらもまともに機能させてくれなくて。
いつの間にか目の前まで迫っていたゼノにすら、気付かせてくれない。
視界一杯に迫る赤い軌跡。
動かないと死ぬと分かっていても、既に身体は屍のように動かなかった。
真紅の光弾がゼノへと駆け抜けていた。
「くそっ」
咄嗟にゼノは飛び退く。ゼノとシリウスの間を通過していく光弾。光弾は人程度の大きさで王都リバディを駆け抜け。
通過した後は全て更地と化していた。
触れた家屋は消し飛び、近くで徘徊していた死者たちは掻き消えていく。光弾に内包されているエネルギーは、物質が存在することを決して許さない。
光弾は止まることなく王都を横断し、リバディを囲う真紅の防護膜を一撃で粉砕した。
激しい音を立てて割れていく防護膜。赤い破片が空から降り注ぐ中、それでも光弾は止まらず、地平線へと消えていき。
次の瞬間、大山がごとく爆発した。
上空の雲に届くほどの爆発は、容易く大地、大気を鳴動させ、王都リバディを震わせていた。
「一体、何が……!?」
揺れる地面に何とか耐えながら、イデアは光弾が放たれた方角へと視線を向ける。
そこにはクランツの姿があった。
死が蔓延る王都リバディにはそぐわない白衣が、爆発の余波に揺れている。いつからいたのか、家屋の屋上に奴はいた。
その傍で、小さな紅竜がふわふわと翼を動かして浮いている。その口元からは微かに煙が漏れていた。
あの光弾は、紅竜が放ったものだったのだ。
「《冥竜ドラゴノート》、か」
トーデルの言葉に、イデアは目を見張った。
以前魔界で見た時は、王都を軽く包んでしまえるほどに大きかったはずなのに。
だが、先程の光弾を見てしまえば、信じるしかない。
姿は小さくても、威力は何一つ変わらない。
「お守りをするつもりはないんだが、まぁ仕方ないか」
眼鏡の位置を直すと、クランツは家屋から家屋へと飛び移りながらゆっくりとシリウスの元へ寄ってきていた。
「お、お前……!」
クランツの登場はシリウスにとって僥倖だった。彼が、正確には《冥竜ドラゴノート》が放った一撃が、シリウスへ《冥具》の力を再確認させるに至っていた。
自身が持つ《冥具》の力に、死に恐怖していた心が前を向く。
そして、恐怖の元凶であるゼノへと強い怒りの視線を向けていた。
その視線を真っ向から受け止めるゼノ。彼はシリウスから目を離さずにイデア達へ声をかけた。
「悪い、さっき俺から離れるなって言ったが、前言撤回だ。イデアちゃん、皆と一緒に先へ行け。《死斧ヘルメス》を持つ元凶を倒してくるんだ」
「お義父様!?」
「俺は、この二人を相手する」
丁度、クランツがシリウスの元へ到着した頃で、二人は並んでゼノを見下ろしていた。
「ゼノ、それがどれ程の無謀か、分かっていないわけではないだろう」
トーデルがゼノの背中へと言う。
「不可能だ。一人ならまだしも二人なんて」
「安心しろ、こっちも二人だ」
そう言ってゼノがセインを振る。確かにシロもいるが、それでも無謀であることには変わりないとトーデルは判断する。
ゼノは以前、《大剣ハドラ》を持ったべグリフに敗北している。向こうは《魔》の紋章も魔力も使えなかったのに、だ。
それが意味しているものは明白だった。
再び声をかけようとするトーデルだが、その前にゼノが遮った。
「トーデル、そっちは頼んだぞ。お前が、俺の代わりに皆を守るんだ」
「――っ」
トーデルは驚きと共にゼノを見た。
ライナスにレイデンフォート王国を任せた時もそうだ。そうやってゼノは託す。託してくれる。
カイの傍にいながら、何もできなかった自分に。みすみす死なせてしまったこの魂に、もう一度チャンスをくれる。
信じて、託してくれる。
「できるだろ?」
「……ああ」
それは意識するよりも前に、言葉としてトーデルから漏れていた。
この親子は一体どうして。
ここまで自分の心を揺さぶるのだろう。
「安心しろ。死ぬ気は毛頭ないから。どうやら我慢のできないわんぱくガールもこっちに来ているようだしな」
「……?」
最後の言葉の意味は分からないが、ゼノには勝算があるように思えた。
「死んでも死にきれないだろ、まだカイが戻ってきていないんだから。な、イデアちゃん」
「お義父様……」
イデアもまた心配そうにゼノを見つめていたが、やがて不安を拭うように首を縦に振った。
そうだ。ここで終わりじゃない。
終われない理由が、ここにいる全員にある。
「必ず、また!」
そう言ってイデアが噴水広場から王城へと向かっていく。ルーファ達も顔を見合わせた後、その背後に続いていき、最後にトーデルが後を追った。
それでいい。それが一番全員の生存率が高い。トーデルの言うように、相手は二人だ。もし一人だったのならば、全員で戦うのが一番なのだろうが、二人となるとそうもいかない。フォローにも入れず、結果として誰かが死んでしまうかもしれない。
でも、これなら。イデア達についていけないのは残念だが、向こうにはトーデルがいる。彼女なら、カイを失った後悔を持つ彼女なら、きっとイデア達を導いてくれるはずだ。《死斧ヘルメス》を持った相手も、協力して打倒してくれる。
不安要素の一つとして、もう一人《冥具》持ちがいる可能性もあげられるが、そうなれば『彼女』をあちらへ向かわせて、予定通り自分がこの二人を相手すればいいだけだ。
「《……ねえ、さっき「こっちも二人」って言ってたけど、もしかしてゼノと「彼女」のことだったわけ? 私のことは人として認識してくれてないのね》」
やけに拗ねたような声音でシロが話しかけてくるので、ゼノは思わず苦笑した。
「なわけないだろ。アイツは完全にイレギュラーだっての。まぁ、今はそのイレギュラーに助けてもらうわけだが」
「何ガタガタぬかしてる。状況、分かってるのか」
苛立つように告げるシリウス。クランツの登場で、随分と余裕が出てきたようである。
「そっちだって。随分簡単に通してくれたじゃないか」
てっきりイデア達を向かわせないために妨害くらいしてくると思っていたのに。
「この国がどうなろうと知ったことじゃない。好きに暴れたらいいさ」
「……お前たちの目的は何なんだ」
なぜこの王都がここまで《冥界》に侵されているのか。シリウスの言葉を信用するならば、女王スウェルが《死斧ヘルメス》を用いてこの惨状を作り出したと言うが。なぜ、そうする必要があるというのか。
「さあ。僕は新入りだから、詳しいことは知らない。知らなくても困らないし」
シリウスが《大剣ハドラ》と《絶白モルグル》を構える。
「力で支配さえできれば、十分だ!」
「本当におまえは、性根が腐ってるな」
ゼノもセインを構え。
「どこまでこの子の力を引き出せるか、試させてもらおう」
紅竜の小さな頭を撫でながら、クランツは佇み。
そして、「彼女」は落ちてきた。
ゼノの横に勢いよく、形容通り落ちてきた。
着地の衝撃で地面には亀裂が走り、衝撃の余波がゼノの身体を襲う。
必死になってそれに抗いながら、ゼノは横に落ちてきた彼女を見た。相変わらず無造作に跳ねている長い黒髪。癖毛なのは間違いないだろうが、それにしても凄い跳ねている。
小さなその身体は、曲げていた膝を伸ばして立ち上がると、すぐにゼノの胸倉を掴んで叫んだ。
「カイが、死んだってどういうことよ!」
「……俺の胸倉ってそんな掴みやすいのかな、シロ」
「《貴方が掴まれるようなことをよくするからでしょ》」
シロが王都ディスペラードに訪れた時を思い返しながら呟くも、シロが当然のように一蹴していた。
「というか、その言い方には誤解があるぞ……――レイニー!」
何とか胸倉を掴んでいた手を解きながら、ゼノはレイニーへと言った。
レイニー。元はべグリフの秘蔵っ子であり、切り札だった少女。べグリフが《冥界》に攫われた今はレイデンフォート王国に籍を置きつつも、《冥界》へと至る方法を躍起になって探している。
全てはべグリフと再会するためだ。
その彼女が、《冥界》の力に溢れた王都リバディに来た最初の一声が。
カイについてだった。
その事実に、どうしても口角が上がってしまう。
当初こちらへ全く心を許さなかったレイニー。その心を少しずつ融解していったのはカイだった。カイが執拗にレイニーの元へ通い、その心を生界へ繋いだ。
そういえば、二人で旅に出たこともあったか。
カイが彼女と結んできた繋がりは、過ごしてきた日々は、確かに彼女の中にあるんだなと実感しながら、ゼノは言葉を続ける。
「カイは現在仮死状態。完全に死んだわけじゃないが、魂はどうやら《冥界》にあるらしい」
「……!」
「奇しくも、俺達の目的は重なったようだな、レイニー」
ゼノはカイを取り戻すために。レイニーはべグリフを取り戻すために《冥界》を目指す必要があった。
「でだ、《冥界》に行くためにはアイツらの《冥具》が必要なんだとさ」
トーデルが言っていた言葉を思い出す。
本来生界から《冥界》へ向かうためには大量の魂が必要だが、それを《冥具》で代用することができるかもしれないと。
ゼノの端的な説明で、レイニーは今やるべきことを完全に理解したようだ。
「詳しい話はあとで聞く。つまり今は、アレを倒せばいいってことか」
「そういうことだ」
「分かりやすくて助かるわ」
ゼノとレイニーの視線が、上を向く。シリウスはレイニーの登場に驚いた様子だったが、すぐに臨戦態勢を取っていた。
「……ところで、お前には王都ディスペラードを任せていたはずだよな」
ずっと気になっていたことを、それとなく聞いてみる。
イデア達が全員王都ディスペラードを離れる際、万が一王都ディスペラードに何かあった時のためにレイニーを呼んでおいたのである。《冥界》絡みの話でもあるし、近くに居た方が何かと動きやすいかと思っていたのだが。
「《冥界》の力を感じたのに、私が黙って待ってると思うの」
「……人選ミスだったのは否めないなぁ」
ということはつまり、現状王都ディスペラードはがら空きということである。こうして王都リバディに異常が発生している以上、確率は高くないとは思うけれど、そう悠長にしていられない。
「さっさと終わらせて、戻るとするか!」
ゼノとレイニーは勢いよく大地を蹴り、シリウスとクランツへ飛び出した。
※※※※※
漏れ出る死の気配を掻き分けるように、イデア達は足を前へと進めていく。大通りを埋める屍を解放するためには、《死斧ヘルメス》の使用者を倒すしかない。偽りの生から解き放つために、今は少しでも早く到着するしかない。
女王スウェルの元に。
シリウスは言っていた。国民を殺したのは、女王であるスウェルであると。彼の言葉をどれ程信用していいかは分からない。けれど、会って確かめるより他はなかった。
「っ、シャーロットさん!」
進んでいた足を急停止し、シャーロットの背後へとイデアが魔弾を放つ。魔弾はシャーロットの傍すれすれを通過し、背後に迫っていた男を勢いよく吹き飛ばした。
「ガっ――」
男は家屋へ勢いよく叩きつけられ、そのまま昏倒。その服装は、先程噴水広場でシリウスと共に姿を見せた武装集団と同様であった。
「あ、ありがとうございます」
「いえ! シャーロットさんのことは私が守りますから!」
「……お前がやらなかったら、俺がやっていたところだ」
そう言って、抜きかけていた刀を鞘に納めるザド。リーチの差でイデアの攻撃の方が先に辿り着いていたが、イデアが何もしなくてもザドが対処できていた。
シャーロットとザドの二人に微笑んだ後、視線を前へと戻す。
間違いない。亡者達の中に例の武装集団が紛れ込んでいる。
既に道中、何度か姿を見せてきては処理したけれど、確実にこちらを殺す気であるのは明白であった。イデアの活性の力で全員の力が底上げされているため、大して障害になっていないが、その存在がある一つの結論へ導いていく。
いるんですね、ジョーライン……!
セインツ魔法学園で対峙したジョーライン。《真鎖タフムーラス》を戦闘スタイルに合わせて使い、イデア達を苦しめた相手だ。
彼は言っていた。自分達は依頼を受けている側に存在だと。「依頼」という表現からもある程度は察することができるように、彼らは傭兵集団なのだろう。そして、そこに属する者達がこうして王都リバディに潜み、こちらを殺そうとしてくる。
クランツもいたのだ、ほぼ確定的にジョーラインはいるはずだ。
長銃を握る手に力が入る。できれば、再戦はしたくない。向こうの方が戦い慣れているのは間違いなく、戦えば戦うほど対処されてしまうだろう。
それに、今セインはカイの傍にあるから。以前のように自分の形に作り替えることもできない。弱体化した自分でジョーラインと戦わなければいけないのだ。
加えて《死斧ヘルメス》の存在。ジョーラインと合わせて、《冥具》持ちが二人いることになる。ゼノを欠いた状態で、果たして太刀打ちできるだろうか。
「……」
「――私がいるぞ、イデア」
「っ」
いつの間にか難しい表情で無言になっていたイデアへ、トーデルが真っすぐに言う。愛した彼の姿で、でもその言葉は確かにトーデルのものとして。
トーデルが誓うように告げる。
「あの時とは違う。私が、戦える」
「トーデルさん……」
「これ以上の蛮行、必ず私達の手で止めるんだ」
「――はい!」
頷いたイデアに頷き返すトーデル。ゼノに託されたものを、必ず貫き通すと決意を再確認していた。
そうして、一行は王城の前に広がる広場へと辿り着く。王城の前はこれまで見た中で、一番血で溢れていた。地面に敷き詰められた石畳はところどころひっくり返り、その窪んだ箇所に血だまりができている。時間が経過しているのか、飛び散っている血は黒くこびりついており、あちこちで生に縛られて続けている亡者が徘徊していた。
何となく伝わってくる。
ここが、血の悲劇の始まりなのだと。
「よく来たな」
「っ!!」
その声に、イデア達は足を止めた。声と同時に、広場へとキメラが二体姿を見せる。鋭い牙をもった顔二つに、四足全てに鋭利な爪、似合わない純白の翼に、蛇の頭を持つ尻尾。前回の戦いで、仕留め損ねた二体だ。
その時の傷は感知しているようで、キメラ達は変わらず獰猛な様子で広場に降り立った。足元に亡者がいたけれど、お構いなしに着地する合成獣に血肉が飛び散る。
臨戦態勢を取りながら、イデアは声の聞こえてきた方角へと視線を向ける。
高々とそびえたつ王城のバルコニーにその姿はあった。
「ジョーライン……!」
「といっても、来ると思っていたが。まぁ予定よりは早いがな」
葉巻に火をつけながら、ジョーは真下に見えるイデア達を見下ろしていた。大気が安定していないのか、強風に着古したレザーコートが揺れる。
イデアはジョーを睨みつけ。
そして、その隣に佇む女に目を見張った。
「え……」
イデアだけではない。その場にいる誰もが驚きを見せており、殊更驚いていたのはザドである。
「な、何で……」
普段は束ねられているであろう栗色の髪は、まるで染色されたように赤黒く。その身を飾る豪勢な衣服もまた、赤で彩られていた。
そして、左肩から袈裟斬りに深々と刻まれた痕の先に内臓が垣間見え、その一撃が致命傷であることを物語っている。それだけではない。身体のあちこちに突き刺さったままの武器が、やはりその身体が既に生を終えていることを明確に表していた。
シリウスは言っていたはずだ。彼女が、その手で国民達を皆殺しにしたと。
だが、変わらない。
周囲に佇む死人達と何も変わらない。
ジョーの横に、亡者と化した女王スウェルの姿があった。
「……!」
先の言葉が出ず、全員がただ動揺と共にその場に佇む。イデア達が王都リバディに訪れた理由は、スウェルとの接触だった。
それが最悪の形で、叶ってしまったのだった。
奴隷時代に看取ってきた命があるから。
世界を変えようとして、自らの手で終わらせた命があるから。
救おうとどれだけ足掻いても、目の前で救えなかった命があるから。
だからこそ、命の尊さを理解している。
だからこそ、命を殺す意味も理解している。
理解していて、理解しているからこそ。
ゼノは殺意を十代の青年へと向けていた。
今、ゼノを駆り立てる感情はあの時と一緒だ。
命を弄ばれた親友が目の前で死んだ時と、一緒だ。
許せない。命を何とも思っていない目の前の存在が許せない。軽々と誰かにとって大切な人を殺せる思考が許せない。その程度の価値観で、他人の人生をぐちゃぐちゃにする命が許せない。
どれだけの絶望が襲うと思っている。どれだけの人が苦しむと思っている。
何故多くの人を苦しめておきながら。
お前は笑うんだ。
「――シリウス・セヴァン!!」
「――っ!」
ゼノから放たれる言葉が、シリウスから呼吸を奪う。ゼノに向けられる殺意が、シリウスから自由を奪う。
まだ距離はあるはずなのに、まるで喉元に刃を突き付けられているかのようだ。
手元に持つ《冥具》は身体に力をくれている。膂力は十二分に底上げされている。如何に過去の聖戦における英雄だろうと、自分に勝てるはずはない。
それが分かっているのに、足が竦んで動かない。
ゼノの手で赤く光るセイン。その眩いくらいの赤が、シリウスを突き刺して動かさない。
怒りが、殺意が向けられて。
シリウスは初めて死を突き付けられていた。
これまで容易く突き付けていたものが、初めて自分へ向けられていた。
震える喉に、流れていく汗。ままならない呼吸が、心臓すらもまともに機能させてくれなくて。
いつの間にか目の前まで迫っていたゼノにすら、気付かせてくれない。
視界一杯に迫る赤い軌跡。
動かないと死ぬと分かっていても、既に身体は屍のように動かなかった。
真紅の光弾がゼノへと駆け抜けていた。
「くそっ」
咄嗟にゼノは飛び退く。ゼノとシリウスの間を通過していく光弾。光弾は人程度の大きさで王都リバディを駆け抜け。
通過した後は全て更地と化していた。
触れた家屋は消し飛び、近くで徘徊していた死者たちは掻き消えていく。光弾に内包されているエネルギーは、物質が存在することを決して許さない。
光弾は止まることなく王都を横断し、リバディを囲う真紅の防護膜を一撃で粉砕した。
激しい音を立てて割れていく防護膜。赤い破片が空から降り注ぐ中、それでも光弾は止まらず、地平線へと消えていき。
次の瞬間、大山がごとく爆発した。
上空の雲に届くほどの爆発は、容易く大地、大気を鳴動させ、王都リバディを震わせていた。
「一体、何が……!?」
揺れる地面に何とか耐えながら、イデアは光弾が放たれた方角へと視線を向ける。
そこにはクランツの姿があった。
死が蔓延る王都リバディにはそぐわない白衣が、爆発の余波に揺れている。いつからいたのか、家屋の屋上に奴はいた。
その傍で、小さな紅竜がふわふわと翼を動かして浮いている。その口元からは微かに煙が漏れていた。
あの光弾は、紅竜が放ったものだったのだ。
「《冥竜ドラゴノート》、か」
トーデルの言葉に、イデアは目を見張った。
以前魔界で見た時は、王都を軽く包んでしまえるほどに大きかったはずなのに。
だが、先程の光弾を見てしまえば、信じるしかない。
姿は小さくても、威力は何一つ変わらない。
「お守りをするつもりはないんだが、まぁ仕方ないか」
眼鏡の位置を直すと、クランツは家屋から家屋へと飛び移りながらゆっくりとシリウスの元へ寄ってきていた。
「お、お前……!」
クランツの登場はシリウスにとって僥倖だった。彼が、正確には《冥竜ドラゴノート》が放った一撃が、シリウスへ《冥具》の力を再確認させるに至っていた。
自身が持つ《冥具》の力に、死に恐怖していた心が前を向く。
そして、恐怖の元凶であるゼノへと強い怒りの視線を向けていた。
その視線を真っ向から受け止めるゼノ。彼はシリウスから目を離さずにイデア達へ声をかけた。
「悪い、さっき俺から離れるなって言ったが、前言撤回だ。イデアちゃん、皆と一緒に先へ行け。《死斧ヘルメス》を持つ元凶を倒してくるんだ」
「お義父様!?」
「俺は、この二人を相手する」
丁度、クランツがシリウスの元へ到着した頃で、二人は並んでゼノを見下ろしていた。
「ゼノ、それがどれ程の無謀か、分かっていないわけではないだろう」
トーデルがゼノの背中へと言う。
「不可能だ。一人ならまだしも二人なんて」
「安心しろ、こっちも二人だ」
そう言ってゼノがセインを振る。確かにシロもいるが、それでも無謀であることには変わりないとトーデルは判断する。
ゼノは以前、《大剣ハドラ》を持ったべグリフに敗北している。向こうは《魔》の紋章も魔力も使えなかったのに、だ。
それが意味しているものは明白だった。
再び声をかけようとするトーデルだが、その前にゼノが遮った。
「トーデル、そっちは頼んだぞ。お前が、俺の代わりに皆を守るんだ」
「――っ」
トーデルは驚きと共にゼノを見た。
ライナスにレイデンフォート王国を任せた時もそうだ。そうやってゼノは託す。託してくれる。
カイの傍にいながら、何もできなかった自分に。みすみす死なせてしまったこの魂に、もう一度チャンスをくれる。
信じて、託してくれる。
「できるだろ?」
「……ああ」
それは意識するよりも前に、言葉としてトーデルから漏れていた。
この親子は一体どうして。
ここまで自分の心を揺さぶるのだろう。
「安心しろ。死ぬ気は毛頭ないから。どうやら我慢のできないわんぱくガールもこっちに来ているようだしな」
「……?」
最後の言葉の意味は分からないが、ゼノには勝算があるように思えた。
「死んでも死にきれないだろ、まだカイが戻ってきていないんだから。な、イデアちゃん」
「お義父様……」
イデアもまた心配そうにゼノを見つめていたが、やがて不安を拭うように首を縦に振った。
そうだ。ここで終わりじゃない。
終われない理由が、ここにいる全員にある。
「必ず、また!」
そう言ってイデアが噴水広場から王城へと向かっていく。ルーファ達も顔を見合わせた後、その背後に続いていき、最後にトーデルが後を追った。
それでいい。それが一番全員の生存率が高い。トーデルの言うように、相手は二人だ。もし一人だったのならば、全員で戦うのが一番なのだろうが、二人となるとそうもいかない。フォローにも入れず、結果として誰かが死んでしまうかもしれない。
でも、これなら。イデア達についていけないのは残念だが、向こうにはトーデルがいる。彼女なら、カイを失った後悔を持つ彼女なら、きっとイデア達を導いてくれるはずだ。《死斧ヘルメス》を持った相手も、協力して打倒してくれる。
不安要素の一つとして、もう一人《冥具》持ちがいる可能性もあげられるが、そうなれば『彼女』をあちらへ向かわせて、予定通り自分がこの二人を相手すればいいだけだ。
「《……ねえ、さっき「こっちも二人」って言ってたけど、もしかしてゼノと「彼女」のことだったわけ? 私のことは人として認識してくれてないのね》」
やけに拗ねたような声音でシロが話しかけてくるので、ゼノは思わず苦笑した。
「なわけないだろ。アイツは完全にイレギュラーだっての。まぁ、今はそのイレギュラーに助けてもらうわけだが」
「何ガタガタぬかしてる。状況、分かってるのか」
苛立つように告げるシリウス。クランツの登場で、随分と余裕が出てきたようである。
「そっちだって。随分簡単に通してくれたじゃないか」
てっきりイデア達を向かわせないために妨害くらいしてくると思っていたのに。
「この国がどうなろうと知ったことじゃない。好きに暴れたらいいさ」
「……お前たちの目的は何なんだ」
なぜこの王都がここまで《冥界》に侵されているのか。シリウスの言葉を信用するならば、女王スウェルが《死斧ヘルメス》を用いてこの惨状を作り出したと言うが。なぜ、そうする必要があるというのか。
「さあ。僕は新入りだから、詳しいことは知らない。知らなくても困らないし」
シリウスが《大剣ハドラ》と《絶白モルグル》を構える。
「力で支配さえできれば、十分だ!」
「本当におまえは、性根が腐ってるな」
ゼノもセインを構え。
「どこまでこの子の力を引き出せるか、試させてもらおう」
紅竜の小さな頭を撫でながら、クランツは佇み。
そして、「彼女」は落ちてきた。
ゼノの横に勢いよく、形容通り落ちてきた。
着地の衝撃で地面には亀裂が走り、衝撃の余波がゼノの身体を襲う。
必死になってそれに抗いながら、ゼノは横に落ちてきた彼女を見た。相変わらず無造作に跳ねている長い黒髪。癖毛なのは間違いないだろうが、それにしても凄い跳ねている。
小さなその身体は、曲げていた膝を伸ばして立ち上がると、すぐにゼノの胸倉を掴んで叫んだ。
「カイが、死んだってどういうことよ!」
「……俺の胸倉ってそんな掴みやすいのかな、シロ」
「《貴方が掴まれるようなことをよくするからでしょ》」
シロが王都ディスペラードに訪れた時を思い返しながら呟くも、シロが当然のように一蹴していた。
「というか、その言い方には誤解があるぞ……――レイニー!」
何とか胸倉を掴んでいた手を解きながら、ゼノはレイニーへと言った。
レイニー。元はべグリフの秘蔵っ子であり、切り札だった少女。べグリフが《冥界》に攫われた今はレイデンフォート王国に籍を置きつつも、《冥界》へと至る方法を躍起になって探している。
全てはべグリフと再会するためだ。
その彼女が、《冥界》の力に溢れた王都リバディに来た最初の一声が。
カイについてだった。
その事実に、どうしても口角が上がってしまう。
当初こちらへ全く心を許さなかったレイニー。その心を少しずつ融解していったのはカイだった。カイが執拗にレイニーの元へ通い、その心を生界へ繋いだ。
そういえば、二人で旅に出たこともあったか。
カイが彼女と結んできた繋がりは、過ごしてきた日々は、確かに彼女の中にあるんだなと実感しながら、ゼノは言葉を続ける。
「カイは現在仮死状態。完全に死んだわけじゃないが、魂はどうやら《冥界》にあるらしい」
「……!」
「奇しくも、俺達の目的は重なったようだな、レイニー」
ゼノはカイを取り戻すために。レイニーはべグリフを取り戻すために《冥界》を目指す必要があった。
「でだ、《冥界》に行くためにはアイツらの《冥具》が必要なんだとさ」
トーデルが言っていた言葉を思い出す。
本来生界から《冥界》へ向かうためには大量の魂が必要だが、それを《冥具》で代用することができるかもしれないと。
ゼノの端的な説明で、レイニーは今やるべきことを完全に理解したようだ。
「詳しい話はあとで聞く。つまり今は、アレを倒せばいいってことか」
「そういうことだ」
「分かりやすくて助かるわ」
ゼノとレイニーの視線が、上を向く。シリウスはレイニーの登場に驚いた様子だったが、すぐに臨戦態勢を取っていた。
「……ところで、お前には王都ディスペラードを任せていたはずだよな」
ずっと気になっていたことを、それとなく聞いてみる。
イデア達が全員王都ディスペラードを離れる際、万が一王都ディスペラードに何かあった時のためにレイニーを呼んでおいたのである。《冥界》絡みの話でもあるし、近くに居た方が何かと動きやすいかと思っていたのだが。
「《冥界》の力を感じたのに、私が黙って待ってると思うの」
「……人選ミスだったのは否めないなぁ」
ということはつまり、現状王都ディスペラードはがら空きということである。こうして王都リバディに異常が発生している以上、確率は高くないとは思うけれど、そう悠長にしていられない。
「さっさと終わらせて、戻るとするか!」
ゼノとレイニーは勢いよく大地を蹴り、シリウスとクランツへ飛び出した。
※※※※※
漏れ出る死の気配を掻き分けるように、イデア達は足を前へと進めていく。大通りを埋める屍を解放するためには、《死斧ヘルメス》の使用者を倒すしかない。偽りの生から解き放つために、今は少しでも早く到着するしかない。
女王スウェルの元に。
シリウスは言っていた。国民を殺したのは、女王であるスウェルであると。彼の言葉をどれ程信用していいかは分からない。けれど、会って確かめるより他はなかった。
「っ、シャーロットさん!」
進んでいた足を急停止し、シャーロットの背後へとイデアが魔弾を放つ。魔弾はシャーロットの傍すれすれを通過し、背後に迫っていた男を勢いよく吹き飛ばした。
「ガっ――」
男は家屋へ勢いよく叩きつけられ、そのまま昏倒。その服装は、先程噴水広場でシリウスと共に姿を見せた武装集団と同様であった。
「あ、ありがとうございます」
「いえ! シャーロットさんのことは私が守りますから!」
「……お前がやらなかったら、俺がやっていたところだ」
そう言って、抜きかけていた刀を鞘に納めるザド。リーチの差でイデアの攻撃の方が先に辿り着いていたが、イデアが何もしなくてもザドが対処できていた。
シャーロットとザドの二人に微笑んだ後、視線を前へと戻す。
間違いない。亡者達の中に例の武装集団が紛れ込んでいる。
既に道中、何度か姿を見せてきては処理したけれど、確実にこちらを殺す気であるのは明白であった。イデアの活性の力で全員の力が底上げされているため、大して障害になっていないが、その存在がある一つの結論へ導いていく。
いるんですね、ジョーライン……!
セインツ魔法学園で対峙したジョーライン。《真鎖タフムーラス》を戦闘スタイルに合わせて使い、イデア達を苦しめた相手だ。
彼は言っていた。自分達は依頼を受けている側に存在だと。「依頼」という表現からもある程度は察することができるように、彼らは傭兵集団なのだろう。そして、そこに属する者達がこうして王都リバディに潜み、こちらを殺そうとしてくる。
クランツもいたのだ、ほぼ確定的にジョーラインはいるはずだ。
長銃を握る手に力が入る。できれば、再戦はしたくない。向こうの方が戦い慣れているのは間違いなく、戦えば戦うほど対処されてしまうだろう。
それに、今セインはカイの傍にあるから。以前のように自分の形に作り替えることもできない。弱体化した自分でジョーラインと戦わなければいけないのだ。
加えて《死斧ヘルメス》の存在。ジョーラインと合わせて、《冥具》持ちが二人いることになる。ゼノを欠いた状態で、果たして太刀打ちできるだろうか。
「……」
「――私がいるぞ、イデア」
「っ」
いつの間にか難しい表情で無言になっていたイデアへ、トーデルが真っすぐに言う。愛した彼の姿で、でもその言葉は確かにトーデルのものとして。
トーデルが誓うように告げる。
「あの時とは違う。私が、戦える」
「トーデルさん……」
「これ以上の蛮行、必ず私達の手で止めるんだ」
「――はい!」
頷いたイデアに頷き返すトーデル。ゼノに託されたものを、必ず貫き通すと決意を再確認していた。
そうして、一行は王城の前に広がる広場へと辿り着く。王城の前はこれまで見た中で、一番血で溢れていた。地面に敷き詰められた石畳はところどころひっくり返り、その窪んだ箇所に血だまりができている。時間が経過しているのか、飛び散っている血は黒くこびりついており、あちこちで生に縛られて続けている亡者が徘徊していた。
何となく伝わってくる。
ここが、血の悲劇の始まりなのだと。
「よく来たな」
「っ!!」
その声に、イデア達は足を止めた。声と同時に、広場へとキメラが二体姿を見せる。鋭い牙をもった顔二つに、四足全てに鋭利な爪、似合わない純白の翼に、蛇の頭を持つ尻尾。前回の戦いで、仕留め損ねた二体だ。
その時の傷は感知しているようで、キメラ達は変わらず獰猛な様子で広場に降り立った。足元に亡者がいたけれど、お構いなしに着地する合成獣に血肉が飛び散る。
臨戦態勢を取りながら、イデアは声の聞こえてきた方角へと視線を向ける。
高々とそびえたつ王城のバルコニーにその姿はあった。
「ジョーライン……!」
「といっても、来ると思っていたが。まぁ予定よりは早いがな」
葉巻に火をつけながら、ジョーは真下に見えるイデア達を見下ろしていた。大気が安定していないのか、強風に着古したレザーコートが揺れる。
イデアはジョーを睨みつけ。
そして、その隣に佇む女に目を見張った。
「え……」
イデアだけではない。その場にいる誰もが驚きを見せており、殊更驚いていたのはザドである。
「な、何で……」
普段は束ねられているであろう栗色の髪は、まるで染色されたように赤黒く。その身を飾る豪勢な衣服もまた、赤で彩られていた。
そして、左肩から袈裟斬りに深々と刻まれた痕の先に内臓が垣間見え、その一撃が致命傷であることを物語っている。それだけではない。身体のあちこちに突き刺さったままの武器が、やはりその身体が既に生を終えていることを明確に表していた。
シリウスは言っていたはずだ。彼女が、その手で国民達を皆殺しにしたと。
だが、変わらない。
周囲に佇む死人達と何も変わらない。
ジョーの横に、亡者と化した女王スウェルの姿があった。
「……!」
先の言葉が出ず、全員がただ動揺と共にその場に佇む。イデア達が王都リバディに訪れた理由は、スウェルとの接触だった。
それが最悪の形で、叶ってしまったのだった。
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