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5『冥々たる紅の運命』
5 第四章第五十五話「《言霊》」
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耳を劈く破裂音が、大気を震わせていく。砕けた大地は破片をまき散らし、辺りの死兵を襲っていくが、近くに存在していた集落に到達することはない。
べグリフが魔法による障壁で守っているからだ。
「守る対象があるってのは枷だなぁ! 約束も、命も、自身を縛る障害でしかないんだ! 今すぐ解放してやるよ!」
宙に佇むレゾンから、大量に《真鎖タフムーラス》が放たれる。まるで巨大な触手のようにべグリフへと殺到していく真紅の鎖。
集落から離れるようにして躱しながら、べグリフが手を伸ばす。
「《黒炎》」
放たれた黒い炎は漆黒の風景に同化しながら、レゾンへと伸びていく。灼熱は収束され、さながらレーザーのようだ。
しかし、レゾンは避けない。避ける必要がないからだ。
「無駄だって、分からないのか!」
彼の手で、真紅に光る大鎌。
《死神サリエル》の刃が黒炎に触れた瞬間、黒炎はまさしく燃え広がるように瘴気に蝕まれていき、霧散した。
そして、べグリフの立つ地面に亀裂が走る。
べグリフが飛び退くのと、地中から《真鎖タフムーラス》が飛び出すのはほぼ同時だった。飛び退いた先の地中からも紅い鎖が飛び出してはべグリフを追いかけていく。
「等しく命は俺に勝てないっ! なぜなら俺は命の裁定――」
「《灼降裂命(ヤブサメ)》」
言葉を遮るように、駆けながらべグリフが唱える。
直後、レゾンの背後に先程と同じ黒炎が襲い掛かる。
「――最低だなっ、話を遮る奴は!」
振り向きながら、これまた先程と同じように《死神サリエル》を振るうレゾン。
瘴気が黒炎を蝕むタイミングで、新たな黒炎が別の角度からレゾンに殺到する。
「っ」
ギリギリ大鎌を間に合わせることに成功したが、気づけば全方向から次々と黒炎のレーザーが襲い掛かってきていた。黒炎が止むことはなく、ほぼ無尽蔵に生み出されては、レゾンを炎が覆う。
これがべグリフ以外の魔法であれば追い詰めることなど到底できない。だが、べグリフだからこそ、膨大な魔力を所持している彼だからこそ、速度も量もまさしく人外であった。
「――《零命ケルビエル》」
次の瞬間、襲っていた黒炎が凍り付いた。まるで花火が凍り付いたようなもので、線上に伸びていた黒炎全てがその場で静止していた。
そこへ新たな黒炎が襲い掛かるが、触れた瞬間同じように凍り付き、動きを止めてしまう。
そして、それら全てを砕くようにして、凍結した中心から真紅の光弾がべグリフへと放たれる。まだ《真鎖タフムーラス》はべグリフのことを追いかけたままで、光弾の着弾地点へとべグリフを追いやっていた。
「《エンド・オブ・ライト》」
漆黒の闇がべグリフから大量に溢れ出していく。闇は《真鎖タフムーラス》も、真紅の光弾も包み込んでいった。
触れた瞬間に動きを止める《真鎖タフムーラス》も《零命ケルビエル》も、その本領を発揮できていない。理由は単純。べグリフの膨大な魔力が生み出した闇の質量が、それらを上回っているからである。闇は霧状に細かく生み出されており、先端に触れた部分しか動きを止められない《真鎖タフムーラス》が全てを捉えることはできず、《零命ケルビエル》がどれだけ凍らせても、凍結速度以上に闇が溢れ出してきていた。
その闇に紛れるようにして、べグリフがレゾンへと飛び出す。
「所詮、道具頼みか」
「お前も、そうだっただろう!」
砕けた氷の中から出てきたレゾンは、片手に《死神サリエル》を。
そして、もう片手に《大剣ハドラ》を手にしていた。
《大剣ハドラ》を振るうことで真紅の斬撃が次々とべグリフへ向かっていく。べグリフは最小限の動きで躱すが、その隙にレゾンが頭上から《死神サリエル》を振り下ろしていた。
《死神サリエル》の一撃は防御不可能。触れたところから瘴気が回っていき、対象を破壊する。
「近づいてくるとは、愚かだなっ!」
「っ」
べグリフが咄嗟に漆黒の剣を構えるが、その剣腹を容易く貫き、そのまま《死神サリエル》はべグリフの身体を深々と切り裂いた。
「――!」
傷から真紅の瘴気が身体へと回っていく。蝕まれた箇所は徐々に霧散していき、べグリフの魂に終焉を与えようとする。
「魔王の終わりもあっけないな!」
崩れ落ちていくべグリフの身体に、レゾンが笑ってみせる。
その後ろ首に漆黒の剣が迫っていた。
「――っ!?」
咄嗟に身を屈めることで致命をどうにか回避するも、首元の肉を削がれてしまい、鮮血が滴り落ちる。そのまま落下しながら背後に視線を向け、レゾンは眼を見開いた。
闇を纏ったべグリフがそこにいた。流動的な闇はまるで水のようで、べグリフの手が掬うように動いては、指の隙間から零れ落ちていく。
先程斬りつけられたべグリフは闇で生み出された偽物であり、本体であるべグリフは闇に紛れ続けていたのである。
「思い上がりもそれくらいにしたらどうだ」
「なに……?」
後ろ首に手を当て治癒しているレゾンに、べグリフは上から見下ろす。
「魂には質量があり、その量は人によって違う。そうだろう」
どうやって《女王》が魂を判別しているのか、べグリフは何となく理解していた。それはきっと、それぞれの魂がもつ質量に明確な差があるからなのだろう。
魂には質量があり、それは常に一定で変わらない。
変わらないからこそ。
魂は変われないからこそ。
《女王》は命に価値づけを行い、優劣をつけるのだ。
べグリフが告げる。
「貴様の魂が俺の魂を凌駕することは、永遠にない」
「……はっはっは。参ったな、これは」
両目を隠すように手で覆い、その下で高らかに笑いを起こす。既に首元の傷は治癒されていた。
「お前こそ、思い上がるなよ!」
レゾンが笑みと共に怒りを露わにする。その真紅の瞳は怒りで歪み、口元の微笑はまるで引き攣っているようだ。
すると、突如として周囲に存在していた死兵達が《真鎖タフムーラス》に繋がれた状態で、レゾンの周囲に集った。
そして、その全てをレゾンが《死斧ヘルメス》で一閃する。斬りつけられた死兵達は真紅に光ったかと思うと、次々とレゾンの身体に吸収されていく。
《死斧ヘルメス》は殺した相手の魂を自由に操ることができる。ただし、既に死んでいる魂に限ってはわざわざ殺し直す必要はなく、触れるだけで十分だった。
血管をなぞるように、レゾンの身体に真紅の光が流れていく。
「俺は、魂の上に立つ存在だ! 魂はすべからく、俺の道具なんだ!」
「……!」
べグリフは眼を見開いた。冥力が先程までの比じゃない。死兵達の魂を使って、レゾンは自分自身の魂を強化しているのだ。
「道具は使われてこそ意味がある! そして、使えない道具は……壊すだけだ!」
次の瞬間、べグリフの目の前にレゾンがいた。
「っ」
膨れ上がった膂力が、レゾンとべグリフの間を一瞬で詰めてみせる。
《死神サリエル》の刃が届きかけるが、咄嗟に身を捩ってよけるべグリフへ、《死斧ヘルメス》が振るわれ。
爆発的な膂力から放たれた一撃は、べグリフを遥か彼方へと吹き飛ばした。防御した漆黒の剣は砕け、咄嗟に添えた硬質化した左腕の骨も折れてしまっている。幸い直接《死斧ヘルメス》に触ることは避けられたようで、操られることはない。
風圧がべグリフの体勢を変えるのを妨げ、その間にレゾンがすぐに距離を詰めてくる。
「お前の魂がどれだけ特別だろうと、所詮は魂。俺の前では意味を成さない!」
「《デス・ロード!》」
飛び出してくるレゾンへと、漆黒の闇が伸びていく。しかし、すぐに《死神サリエル》が闇を斬り開いていた。
「死ね!」
瘴気と化していく闇の中を駆け抜けて、レゾンがべグリフへと辿り着く。初手はやはり《死神サリエル》。当たれば即死ゆえにさっさと止めを刺そうとしているのだろう。
「《ゼロ・グラビティ》」
目の前のレゾンが急激に勢いを失速させた。膂力に生み出されていた圧倒的な速度が、突如として無に帰す。その間にべグリフは吹き飛びながら距離を取り、自分にも同じ魔法を唱えようとするが。
「無駄だ!」
しかし、レゾンが《死神サリエル》を少し振るうと、すぐに無重力場が掻き消えた。空間的な魔法すらも、《死神サリエル》は蝕んで見せる。
そのまま、《死斧ヘルメス》を《大剣ハドラ》に持ち替えて、真紅の斬撃が少し離れたべグリフへと放たれる。
「くっ」
闇を何層にも重ねて防御するが、その上からべグリフは地上へと吹き飛ばされた。大地に亀裂が走り、周囲が隆起していく。
「知っているか! 肉体を持たない死んだ魂が再び死ぬほど傷ついたらどうなるか!」
レゾンが畳みかけるべく飛び出す。
「消えるんだよ、存在がさ! 誰の記憶からも、歴史からも、その存在はなかったことになる!」
膝に手をつき、どうにか立ち上がって上を見上げるべグリフ。今の一撃で身体は傷つき、鉛のように重くなっていた。
「随分と目障りな道具だった! 再び死して、俺の記憶からも消えろっ!」
レゾンの手で光る《死神サリエル》。この一撃で決めるつもりだ。
衝撃で揺れる思考で、べグリフはまだ考える。
元々、真っ向勝負は避けるようにべグリフは立ち回っていた。何故なら、べグリフ自身も《冥具》による膂力の上昇を感じたことがあったからだ。それに、《冥具》はどれも特殊な力を持っていることをべグリフは知っている。それらが具体的にどんな力か分からなくとも、正面から立ち向かってはいけないのだと分かっていた。
レゾンの扱う《冥具》は現状出てきただけでも五つ。《死神サリエル》、《真鎖タフムーラス》、《零命ケルビエル》、《大剣ハドラ》、《死斧ヘルメス》。同時に三つ以上は顕現していないが、それでも二つの《冥具》から得ることのできる力は甚大であった。
だから、できるだけ距離を取りながら魔法で攻撃していた。手数で、魔力量でレゾンの反応を上回れば、確実に疲弊させてダメージを与えることができるだろうと。
しかし今この瞬間、回避もできなければ、防御できるほどの魔力を展開する時間もなく。
レゾンの言葉通りであれば、べグリフという存在は今ここで潰えてしまうだろう。
誰の記憶からも、世界からも存在が消え。その名が世界で呟かれることはなくなる。
存在の消失。
なるほど、確かにそれこそ本当の《死》なのかもしれない。
だが、死ぬわけにはいかない。
彼女と約束した。これからの人生を、二人で贖っていこうと。
レイニーに約束した。必ず戻ると。
彼女達との約束すらも、なかったことにはさせない。
レゾンは言った。約束も命も、ただの枷でしかないと。
今のべグリフは、それを否定せざるを得ない。
彼らは守るものがあったから、叶えたい願いがあったからあれ程までに強かったのだから。
眼前に広がる真紅の刃を見つめながら、べグリフが口を開く。
それはべグリフにとって無意識で唱えた言葉で。
でも、確かにある意識によって唱えられたものだった。
「《盾》」
薄橙色のシールドが、《死神サリエル》を受け止めていた。
「なにっ」
レゾンが驚きを露わにする。あるはずがなかった。《死神サリエル》は触れた対象を絶対的に瘴気で蝕む。そこに例外などあるはずがなかった。
だが、薄橙色のシールドは瘴気に侵食されることなく、べグリフを守るように眼前に立ち塞がっていた。
イレギュラーな事態に、一度レゾンは距離を取り、体勢を立て直す。
「なんだ、それはっ」
レゾンが言葉を投げかけるも、べグリフから言葉が返ってくることはない。
誰よりもべグリフが驚いていた。
目を見開き、目の前に展開されている薄橙色のシールドを見つめている。このシールドは、べグリフが魔力を練って展開したものではない。第一、そんなものでは《死神サリエル》の一撃を止められなどしない。
知っている。
べグリフはこのシールドを知っている。
べグリフの前で、いや想一郎の前で。
彼女は何度も言葉にしてくれたから。
優しい彼女らしく、いつも力を見せてくれる時はこのシールドだった。
大気に《言霊》を乗せ、シールドの如く硬化させる。名を与えられた大気は、何人たりとも壊すことができない。言霊の力が続く限り、《盾》であり続けるのだ。
べグリフは信じられないと言うように、そっと薄橙色のシールドに手を添える。それは確かに存在している。それが、べグリフを守ってくれている。
そしてそれは、確かにべグリフの言葉が生み出した。
べグリフに《言霊の代行者》の力が宿っていた。
「どう、して……」
その問いに答える声は聞こえない。けれど、目の間に展開する《言霊》が、証明として存在している。
それが答えだった。
ギュッと胸の辺りを強く掴む。込み上げてくる想い。
「夢……!」
呟く愛しい人の名前。
『これからも、ちゃんと貴方の中にいますから。《言霊》の中に、私がいますから』
『貴方が迷った時は、声を掛けにいきますから』
『この先、貴方を待っている何もかもを二人で背負いましょう。二人で贖いましょう』
閉じた瞳の先で、栗色の髪を揺らしながら、柔らかく微笑む彼女がいた。
べグリフは知らない。あの時、カイとイデアによって《紋章》を解放された時、夢の魂がどうなったのかを。
べグリフは知らない。ケレアがカイに「《霊魂の加護》がなくても、アイツなら大丈夫だ」と言っていたことを。
べグリフは知らない。どうして、レゾンがべグリフの魂を特別と呼んでいるのかを。
だが今、確かにべグリフは知ったのだ。
彼女の言葉に嘘偽りなどはなかった。
流石、《言霊の代行者》だ。
夢はあのまま死んで、冥界に来たわけではなかった。
あの時の言葉は、確かに《言霊》となり。
夢の魂はべグリフの魂に溶け合い、一つになっていたのだ。
閉じていた瞳をゆっくり開き、べグリフはレゾンを見た。
「《炎》よ」
魔力で生成した闇に名前を付ける。すると、闇は操ることなく姿を変え、《黒炎》と化してレゾンへと殺到していった。
「っ、何度同じことを――」
《死神サリエル》が《黒炎》を斬る。だが、《盾》と同じように《黒炎》を瘴気が蝕んでいくことはなく、そのままレゾンを飲み込まんとする。
《言霊》の力が継続している限り、その存在が干渉されることはない。
レゾンが慌てて宙に飛び退く。炎は消えることなくその場で燃え続けていた。もしあの炎に巻き込まれてしまえば、身体を焼き終え骨だけになったとしても、永遠と燃やし尽くすことだろう。
「《剣》」
今度は闇がべグリフの手に集まっていき、再び漆黒の剣へと姿を変える。先程と違うのは、《冥具》の効果を受けないということだ。
「――何だ……何をした、お前っ!」
《冥具》の効果が発揮されずようやく余裕を失う彼に、べグリフが不敵に笑みを浮かべる。
これで《冥具》の効果に太刀打ちできるようになっただけで、膂力の差が縮まったわけではない。
それが分かっているのに、べグリフは既に勝ちを確信していた。
「さぁ倒すぞ、夢」
言葉には想いが乗り、それが《言霊》と化して実現される。
うんっ、と応じる声が聞こえた気がした。
べグリフが魔法による障壁で守っているからだ。
「守る対象があるってのは枷だなぁ! 約束も、命も、自身を縛る障害でしかないんだ! 今すぐ解放してやるよ!」
宙に佇むレゾンから、大量に《真鎖タフムーラス》が放たれる。まるで巨大な触手のようにべグリフへと殺到していく真紅の鎖。
集落から離れるようにして躱しながら、べグリフが手を伸ばす。
「《黒炎》」
放たれた黒い炎は漆黒の風景に同化しながら、レゾンへと伸びていく。灼熱は収束され、さながらレーザーのようだ。
しかし、レゾンは避けない。避ける必要がないからだ。
「無駄だって、分からないのか!」
彼の手で、真紅に光る大鎌。
《死神サリエル》の刃が黒炎に触れた瞬間、黒炎はまさしく燃え広がるように瘴気に蝕まれていき、霧散した。
そして、べグリフの立つ地面に亀裂が走る。
べグリフが飛び退くのと、地中から《真鎖タフムーラス》が飛び出すのはほぼ同時だった。飛び退いた先の地中からも紅い鎖が飛び出してはべグリフを追いかけていく。
「等しく命は俺に勝てないっ! なぜなら俺は命の裁定――」
「《灼降裂命(ヤブサメ)》」
言葉を遮るように、駆けながらべグリフが唱える。
直後、レゾンの背後に先程と同じ黒炎が襲い掛かる。
「――最低だなっ、話を遮る奴は!」
振り向きながら、これまた先程と同じように《死神サリエル》を振るうレゾン。
瘴気が黒炎を蝕むタイミングで、新たな黒炎が別の角度からレゾンに殺到する。
「っ」
ギリギリ大鎌を間に合わせることに成功したが、気づけば全方向から次々と黒炎のレーザーが襲い掛かってきていた。黒炎が止むことはなく、ほぼ無尽蔵に生み出されては、レゾンを炎が覆う。
これがべグリフ以外の魔法であれば追い詰めることなど到底できない。だが、べグリフだからこそ、膨大な魔力を所持している彼だからこそ、速度も量もまさしく人外であった。
「――《零命ケルビエル》」
次の瞬間、襲っていた黒炎が凍り付いた。まるで花火が凍り付いたようなもので、線上に伸びていた黒炎全てがその場で静止していた。
そこへ新たな黒炎が襲い掛かるが、触れた瞬間同じように凍り付き、動きを止めてしまう。
そして、それら全てを砕くようにして、凍結した中心から真紅の光弾がべグリフへと放たれる。まだ《真鎖タフムーラス》はべグリフのことを追いかけたままで、光弾の着弾地点へとべグリフを追いやっていた。
「《エンド・オブ・ライト》」
漆黒の闇がべグリフから大量に溢れ出していく。闇は《真鎖タフムーラス》も、真紅の光弾も包み込んでいった。
触れた瞬間に動きを止める《真鎖タフムーラス》も《零命ケルビエル》も、その本領を発揮できていない。理由は単純。べグリフの膨大な魔力が生み出した闇の質量が、それらを上回っているからである。闇は霧状に細かく生み出されており、先端に触れた部分しか動きを止められない《真鎖タフムーラス》が全てを捉えることはできず、《零命ケルビエル》がどれだけ凍らせても、凍結速度以上に闇が溢れ出してきていた。
その闇に紛れるようにして、べグリフがレゾンへと飛び出す。
「所詮、道具頼みか」
「お前も、そうだっただろう!」
砕けた氷の中から出てきたレゾンは、片手に《死神サリエル》を。
そして、もう片手に《大剣ハドラ》を手にしていた。
《大剣ハドラ》を振るうことで真紅の斬撃が次々とべグリフへ向かっていく。べグリフは最小限の動きで躱すが、その隙にレゾンが頭上から《死神サリエル》を振り下ろしていた。
《死神サリエル》の一撃は防御不可能。触れたところから瘴気が回っていき、対象を破壊する。
「近づいてくるとは、愚かだなっ!」
「っ」
べグリフが咄嗟に漆黒の剣を構えるが、その剣腹を容易く貫き、そのまま《死神サリエル》はべグリフの身体を深々と切り裂いた。
「――!」
傷から真紅の瘴気が身体へと回っていく。蝕まれた箇所は徐々に霧散していき、べグリフの魂に終焉を与えようとする。
「魔王の終わりもあっけないな!」
崩れ落ちていくべグリフの身体に、レゾンが笑ってみせる。
その後ろ首に漆黒の剣が迫っていた。
「――っ!?」
咄嗟に身を屈めることで致命をどうにか回避するも、首元の肉を削がれてしまい、鮮血が滴り落ちる。そのまま落下しながら背後に視線を向け、レゾンは眼を見開いた。
闇を纏ったべグリフがそこにいた。流動的な闇はまるで水のようで、べグリフの手が掬うように動いては、指の隙間から零れ落ちていく。
先程斬りつけられたべグリフは闇で生み出された偽物であり、本体であるべグリフは闇に紛れ続けていたのである。
「思い上がりもそれくらいにしたらどうだ」
「なに……?」
後ろ首に手を当て治癒しているレゾンに、べグリフは上から見下ろす。
「魂には質量があり、その量は人によって違う。そうだろう」
どうやって《女王》が魂を判別しているのか、べグリフは何となく理解していた。それはきっと、それぞれの魂がもつ質量に明確な差があるからなのだろう。
魂には質量があり、それは常に一定で変わらない。
変わらないからこそ。
魂は変われないからこそ。
《女王》は命に価値づけを行い、優劣をつけるのだ。
べグリフが告げる。
「貴様の魂が俺の魂を凌駕することは、永遠にない」
「……はっはっは。参ったな、これは」
両目を隠すように手で覆い、その下で高らかに笑いを起こす。既に首元の傷は治癒されていた。
「お前こそ、思い上がるなよ!」
レゾンが笑みと共に怒りを露わにする。その真紅の瞳は怒りで歪み、口元の微笑はまるで引き攣っているようだ。
すると、突如として周囲に存在していた死兵達が《真鎖タフムーラス》に繋がれた状態で、レゾンの周囲に集った。
そして、その全てをレゾンが《死斧ヘルメス》で一閃する。斬りつけられた死兵達は真紅に光ったかと思うと、次々とレゾンの身体に吸収されていく。
《死斧ヘルメス》は殺した相手の魂を自由に操ることができる。ただし、既に死んでいる魂に限ってはわざわざ殺し直す必要はなく、触れるだけで十分だった。
血管をなぞるように、レゾンの身体に真紅の光が流れていく。
「俺は、魂の上に立つ存在だ! 魂はすべからく、俺の道具なんだ!」
「……!」
べグリフは眼を見開いた。冥力が先程までの比じゃない。死兵達の魂を使って、レゾンは自分自身の魂を強化しているのだ。
「道具は使われてこそ意味がある! そして、使えない道具は……壊すだけだ!」
次の瞬間、べグリフの目の前にレゾンがいた。
「っ」
膨れ上がった膂力が、レゾンとべグリフの間を一瞬で詰めてみせる。
《死神サリエル》の刃が届きかけるが、咄嗟に身を捩ってよけるべグリフへ、《死斧ヘルメス》が振るわれ。
爆発的な膂力から放たれた一撃は、べグリフを遥か彼方へと吹き飛ばした。防御した漆黒の剣は砕け、咄嗟に添えた硬質化した左腕の骨も折れてしまっている。幸い直接《死斧ヘルメス》に触ることは避けられたようで、操られることはない。
風圧がべグリフの体勢を変えるのを妨げ、その間にレゾンがすぐに距離を詰めてくる。
「お前の魂がどれだけ特別だろうと、所詮は魂。俺の前では意味を成さない!」
「《デス・ロード!》」
飛び出してくるレゾンへと、漆黒の闇が伸びていく。しかし、すぐに《死神サリエル》が闇を斬り開いていた。
「死ね!」
瘴気と化していく闇の中を駆け抜けて、レゾンがべグリフへと辿り着く。初手はやはり《死神サリエル》。当たれば即死ゆえにさっさと止めを刺そうとしているのだろう。
「《ゼロ・グラビティ》」
目の前のレゾンが急激に勢いを失速させた。膂力に生み出されていた圧倒的な速度が、突如として無に帰す。その間にべグリフは吹き飛びながら距離を取り、自分にも同じ魔法を唱えようとするが。
「無駄だ!」
しかし、レゾンが《死神サリエル》を少し振るうと、すぐに無重力場が掻き消えた。空間的な魔法すらも、《死神サリエル》は蝕んで見せる。
そのまま、《死斧ヘルメス》を《大剣ハドラ》に持ち替えて、真紅の斬撃が少し離れたべグリフへと放たれる。
「くっ」
闇を何層にも重ねて防御するが、その上からべグリフは地上へと吹き飛ばされた。大地に亀裂が走り、周囲が隆起していく。
「知っているか! 肉体を持たない死んだ魂が再び死ぬほど傷ついたらどうなるか!」
レゾンが畳みかけるべく飛び出す。
「消えるんだよ、存在がさ! 誰の記憶からも、歴史からも、その存在はなかったことになる!」
膝に手をつき、どうにか立ち上がって上を見上げるべグリフ。今の一撃で身体は傷つき、鉛のように重くなっていた。
「随分と目障りな道具だった! 再び死して、俺の記憶からも消えろっ!」
レゾンの手で光る《死神サリエル》。この一撃で決めるつもりだ。
衝撃で揺れる思考で、べグリフはまだ考える。
元々、真っ向勝負は避けるようにべグリフは立ち回っていた。何故なら、べグリフ自身も《冥具》による膂力の上昇を感じたことがあったからだ。それに、《冥具》はどれも特殊な力を持っていることをべグリフは知っている。それらが具体的にどんな力か分からなくとも、正面から立ち向かってはいけないのだと分かっていた。
レゾンの扱う《冥具》は現状出てきただけでも五つ。《死神サリエル》、《真鎖タフムーラス》、《零命ケルビエル》、《大剣ハドラ》、《死斧ヘルメス》。同時に三つ以上は顕現していないが、それでも二つの《冥具》から得ることのできる力は甚大であった。
だから、できるだけ距離を取りながら魔法で攻撃していた。手数で、魔力量でレゾンの反応を上回れば、確実に疲弊させてダメージを与えることができるだろうと。
しかし今この瞬間、回避もできなければ、防御できるほどの魔力を展開する時間もなく。
レゾンの言葉通りであれば、べグリフという存在は今ここで潰えてしまうだろう。
誰の記憶からも、世界からも存在が消え。その名が世界で呟かれることはなくなる。
存在の消失。
なるほど、確かにそれこそ本当の《死》なのかもしれない。
だが、死ぬわけにはいかない。
彼女と約束した。これからの人生を、二人で贖っていこうと。
レイニーに約束した。必ず戻ると。
彼女達との約束すらも、なかったことにはさせない。
レゾンは言った。約束も命も、ただの枷でしかないと。
今のべグリフは、それを否定せざるを得ない。
彼らは守るものがあったから、叶えたい願いがあったからあれ程までに強かったのだから。
眼前に広がる真紅の刃を見つめながら、べグリフが口を開く。
それはべグリフにとって無意識で唱えた言葉で。
でも、確かにある意識によって唱えられたものだった。
「《盾》」
薄橙色のシールドが、《死神サリエル》を受け止めていた。
「なにっ」
レゾンが驚きを露わにする。あるはずがなかった。《死神サリエル》は触れた対象を絶対的に瘴気で蝕む。そこに例外などあるはずがなかった。
だが、薄橙色のシールドは瘴気に侵食されることなく、べグリフを守るように眼前に立ち塞がっていた。
イレギュラーな事態に、一度レゾンは距離を取り、体勢を立て直す。
「なんだ、それはっ」
レゾンが言葉を投げかけるも、べグリフから言葉が返ってくることはない。
誰よりもべグリフが驚いていた。
目を見開き、目の前に展開されている薄橙色のシールドを見つめている。このシールドは、べグリフが魔力を練って展開したものではない。第一、そんなものでは《死神サリエル》の一撃を止められなどしない。
知っている。
べグリフはこのシールドを知っている。
べグリフの前で、いや想一郎の前で。
彼女は何度も言葉にしてくれたから。
優しい彼女らしく、いつも力を見せてくれる時はこのシールドだった。
大気に《言霊》を乗せ、シールドの如く硬化させる。名を与えられた大気は、何人たりとも壊すことができない。言霊の力が続く限り、《盾》であり続けるのだ。
べグリフは信じられないと言うように、そっと薄橙色のシールドに手を添える。それは確かに存在している。それが、べグリフを守ってくれている。
そしてそれは、確かにべグリフの言葉が生み出した。
べグリフに《言霊の代行者》の力が宿っていた。
「どう、して……」
その問いに答える声は聞こえない。けれど、目の間に展開する《言霊》が、証明として存在している。
それが答えだった。
ギュッと胸の辺りを強く掴む。込み上げてくる想い。
「夢……!」
呟く愛しい人の名前。
『これからも、ちゃんと貴方の中にいますから。《言霊》の中に、私がいますから』
『貴方が迷った時は、声を掛けにいきますから』
『この先、貴方を待っている何もかもを二人で背負いましょう。二人で贖いましょう』
閉じた瞳の先で、栗色の髪を揺らしながら、柔らかく微笑む彼女がいた。
べグリフは知らない。あの時、カイとイデアによって《紋章》を解放された時、夢の魂がどうなったのかを。
べグリフは知らない。ケレアがカイに「《霊魂の加護》がなくても、アイツなら大丈夫だ」と言っていたことを。
べグリフは知らない。どうして、レゾンがべグリフの魂を特別と呼んでいるのかを。
だが今、確かにべグリフは知ったのだ。
彼女の言葉に嘘偽りなどはなかった。
流石、《言霊の代行者》だ。
夢はあのまま死んで、冥界に来たわけではなかった。
あの時の言葉は、確かに《言霊》となり。
夢の魂はべグリフの魂に溶け合い、一つになっていたのだ。
閉じていた瞳をゆっくり開き、べグリフはレゾンを見た。
「《炎》よ」
魔力で生成した闇に名前を付ける。すると、闇は操ることなく姿を変え、《黒炎》と化してレゾンへと殺到していった。
「っ、何度同じことを――」
《死神サリエル》が《黒炎》を斬る。だが、《盾》と同じように《黒炎》を瘴気が蝕んでいくことはなく、そのままレゾンを飲み込まんとする。
《言霊》の力が継続している限り、その存在が干渉されることはない。
レゾンが慌てて宙に飛び退く。炎は消えることなくその場で燃え続けていた。もしあの炎に巻き込まれてしまえば、身体を焼き終え骨だけになったとしても、永遠と燃やし尽くすことだろう。
「《剣》」
今度は闇がべグリフの手に集まっていき、再び漆黒の剣へと姿を変える。先程と違うのは、《冥具》の効果を受けないということだ。
「――何だ……何をした、お前っ!」
《冥具》の効果が発揮されずようやく余裕を失う彼に、べグリフが不敵に笑みを浮かべる。
これで《冥具》の効果に太刀打ちできるようになっただけで、膂力の差が縮まったわけではない。
それが分かっているのに、べグリフは既に勝ちを確信していた。
「さぁ倒すぞ、夢」
言葉には想いが乗り、それが《言霊》と化して実現される。
うんっ、と応じる声が聞こえた気がした。
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