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5『冥々たる紅の運命』
5 第四章第五十話「繋いだ手」
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「シャーロットを二度と暴走しない、元の状態に戻すためには、本当の魂を冥界から引っ張り出す必要があるとレゾンは言っていた」
変わらず正座したまま、ザドは言う。もう長い間その姿勢で足も辛いだろうに、そんな様子を彼は一切見せない。
「今のシャーロットは《吸命ヴァイア》と呼ばれる疑似的な魂に生かされた存在だ。そして、《吸命ヴァイア》は内部に保管している魂を消費することで効果を発動できる。シャーロットが暴走してしまうのは、《吸命ヴァイア》内の魂が限界まで減ったことで、本能的に魂を補充しようとして発生するんだ」
語り続けるザド。その場にいる誰も、今彼の言葉を遮ろうとはしなかった。
「このままでは、必ずシャーロットは暴走し、無関係な命を吸うだろう。俺は嫌だった。シャーロットが人を殺しなんてさせたくなかった。だから、レゾンの言葉に乗って、バトルロイヤルへと身を投じたんだ」
彼の話を、シャーロット本人は涙を流しながら聞いていた。その涙がどの感情から溢れるものなのか、彼女自身良く分かっていない。けれど、我慢することはできず、雫を零しながらザドの横顔をずっと見つめていた。
「あのバトルロイヤルは、レゾン協力の元、誰かが取り仕切って行われているものらしい。魂を生き返らせたい者達が集い、自分の命を賭けて殺し合う。その果てに、最後まで残った者は魂を一つ冥界から呼び戻して生き返らせることができるんだ。実際、その通りになるのか俺には分からない。レゾンに良いように騙されているだけかもしれない。けれど、縋るには十分だった。これ以上シャーロットに人殺しをさせないために、俺は人を殺してでも、冥界から本当のシャーロットの魂を取り戻したかった」
その過程でたくさんの命を奪った。ミュー・リリットもそうだ。誰もが同じ覚悟で、互いの命を奪い合い、そして一方が命を散らしていった。
だが、とザドはそこで俯く。
「完遂する前に《吸命ヴァイア》に限界が来てしまった。そして、シャーロットの暴走状態を皆に見られてしまった。それだけじゃない、王族の血を引くこともバレ、更にはシャーロットを狙う一味も現れた。……もう、俺だけでシャーロットは救えない」
ジョーラインもシリウスも、そしてクランツも想像以上の力を有していて、到底一人では太刀打ちできない。二人で逃避行したところで、追い詰められてやられるのがオチだ。
再びザドは頭を下げ、土下座した。シャーロットの手を握りしめたまま、片手で床に手を置き、額を当てる。
「虫の良いことを言っているのは分かっている。どれだけ理由を並べようと、俺が数多の命を奪った犯罪者なのは分かっている。……けれど、シャーロットは違うんだ。被害者なんだ、俺のわがままで生き返らせられて、抵抗できずに魂を求めてしまうようになってしまった、ただの被害者でしかないんだ……!」
ずっと、ザドの根幹にはセドもといセンドリルの言葉が存在していた。
人生は常に選択の連続だ。いずれお前も重大な決断を迫られる時が来るだろう。そんな時、ブレない自分を持っていろ。他を犠牲にしてでも、この一つだけは譲らないぞという確かな存在を胸に抱いているんだ。
エルを、シャーロットを。
妹を守るためなら。
他の命だって犠牲にしてやる。
俺の命だって、犠牲にしてやる。
「俺のことは好きにしてくれて構わない! 罪を償えと、仇討ちだと殺されてもいい! 俺は死んだっていいから、だから、どうか、どうか……!」
死んでしまえば、もう妹の傍にはいられない。それは分かっているけれど、それでも目の前にいる彼女達なら、大丈夫だと思えた。そう思えるほど、一緒に過ごしてきたわけじゃない。けれど、大丈夫だと思えてしまう。
その理由はザド自身なんとなく分かっていて。
カイという男を知っているからこそ、命を託すように頭を下げているのである。
バトルロイヤルの中でも、途中参戦以降最後までカイは脱落者を出さなかった。
それどころか、人殺し達の心にも寄り添おうとしていた。
正直馬鹿げていると思うし、ただの綺麗ごとでしかない。それでも、カイは確かに命を見捨てるような真似だけはしなかった。
そんなカイの近くにいる人達なら……。
英雄じゃない、犯罪者だなんて本人に言っておいて、結局縋ろうとしている自分はどれだけ滑稽だろうか。
「どうか妹のこと、救ってくれないか……!」
それでもよかった。譲らないものがこの先も続いていくのならば、自分のプライドなど、命など、些末なことだった。
ザドが頭を下げ続ける。
伝えるべきことは全て伝えた。後は、イデア達がどう言葉を返すのか、待つだけだ。
室内に生まれた沈黙。誰一人として、頭を下げ続けるザドに対して言葉をかけない。
違う。正確には、言葉をかけるべき彼女の言葉を待っているのだ。全員分かっていた。これは、カイが結んだ繋がりで、彼女が結んだ繋がりだ。
どれだけ時間が経ったか、本当は十数秒も経っていないのかもしれない。
少し息を吸う音が聞こえて、彼女が。
イデアが答える。
「私は……あなたを許すことはできません」
「っ」
顔を上げることなく、ザドは唇を噛む。そんな都合よく話が進むことはない。虫の良い話なのは間違いない。こんなの、当たり前だ。
「あなたは、ミューさんを殺しました。そこにどんな事情があれ、手を下したのは事実。自分で言っていたように、あなたは確かに犯罪者だから。……でも、私があなたを許せないのはそれ以上に――」
ベッドから降り、イデアがザドを見下ろすように立つ。
そして、険しい表情で。
「あなたが命を、死を軽んじているからです」
「っ」
ギュッとザドは拳を握りしめる。
俺が、命を軽んじている? そんなわけがない。誰よりもよく知っている。家族を失ったからこそ、俺はもう二度と同じことを繰り返さないようにと、これだけは譲れないという命を――。
「私は先程まで死というものに絶望していました。死は恐ろしく真っ黒で、本人だけではなく、周りの人まで空っぽにする。私は、先程まで生きているのに死んでいたのです」
カイという最愛の人を失うことで、体験した闇。この世界に色はなく、この世界に意味はなく、ただどうすることもできない絶望と後悔に苛まれ、生すらも手放してしまいそうなほど、真っ黒で重い感情に支配されてしまう。
べグリフもきっとこんな気持ちだった。夢という愛した女性を失ってしまったから、どうしたらいいか分からず、彼女からもらった力で世界を蹂躙した。
今なら良く分かる。どうしてルーファがあそこまで自暴自棄になっていたのかも。
「大切な人の死は、生き残った人も死なせてしまうのだと分かりました。それを知ったからこそ、私はあなたを許せないのです」
そんなこと、俺だって知っている。その絶望を俺だって分かっている。それなのに、何が許せないと言うんだ。
「……どうすれば、俺はお前に――」
許してもらえるのかと、問おうとしたザドを遮ってイデアは言う。
「どうしてシャーロットさんは、ずっとあなたの手を握りしめ続けるのでしょうか」
「……!」
その時、初めてザドが顔を上げた。そして、横にいるシャーロットの顔を見る。
シャーロットは変わらず泣いていた。一体何に泣いているのか、その全てをザドが理解することはできないだろう。
自分が記憶を失っていたことだろうか。それとも実父をその手で殺してしまったこと、或いは化け物と化してしまう自分なのか、或いは……。
分かることはただ一つ。
辛い現実を突きつけてしまうことが分かっていて、だからザドは彼女の手を握った。
その手に、確かにシャーロットは握り返していたのだ。
それだけではない。
片手だったはずの彼女の手は、気づけば両手に変わっていた。
ザドが死んだっていいと言ってから、今までずっと。ずっと。
「もう一度言います。私はあなたが許せない。何故なら、あなたが命を軽んじるから。……あなたの命を軽んじるからです」
ザドは分かっていない、とイデアは思う。
どれだけ自分がシャーロットにとって大切な存在か、ザドは分かっていない。
「死んだっていいなんて言うあなたのことが許せない。あなたの死が、何をもたらすのか分かっていないあなたのことが許せない」
イデアの言葉に、ザドは呆然とシャーロットを見つめる。
俺の死が、もたらすもの。
ずっと、シャーロットの為に生きるのがザドにとって全てだった。
両親を失ったからこそ、もうあんな辛い思いをしたくないから、残った妹の為に生きようと思っていた。
妹の為に死のうと思っていた。
俺の譲れないものだから。何を犠牲にしてでも救いたいものだから。
これが俺にとっての本望。
でも。でも、もし。
何も俺のことを覚えていないはずの彼女が。
エルだった頃と変わらぬように、俺が彼女にとっての大切なのだとしたら。
俺の死がもたらすのは。
エルに、シャーロットにもたらすのは。
あの時、家族を失って感じた絶望だ。
「生きなさい。シャーロットさんのために。これまで奪ってきた命に償うために。生かしてくれた命に報いるために。死ぬことは、私が許さない」
イデアは強い意志のこもった瞳で、ザドを見下ろし続けた。
「……」
変わらずザドはシャーロットを見続けている。
その瞳から、雫が零れた。
一方的だと思っていた。もうシャーロットは俺のことを家族だなんて思っていないだろうから。彼女にとっての大切などではないと思っていた。
でも、そうじゃないのかもしれない。
繋いだ手から伝わる体温は、その潤んだ瞳から向けられる想いは温かくて。
彼女を支えるために繋いでいたはずの手は、ザドを離さないための手でもあった。
互いの命を救うための手でもあった。
空いた手で、目元を拭い、ザドはシャーロットを見たまま頷いた。
「ああ、誓う。俺は、死なない。俺は生き続けるよ、一緒に。ずっと……!」
「っ」
変わらぬ涙の中で、シャーロットがここで初めて微笑んだ。
好いていた人が実は兄妹だったとか、自分が化け物になってしまうとか、考えなくてはならないことはたくさんあるけれど。
どうしてか、ザドが命を投げ打ってしまいそうに見えていたから。
そんな二人の様子を見て、イデアもようやく表情を柔らかくする。
「あなたがそう誓うのなら、もう言うことはありません。一緒にシャーロットさんのことを守りましょう」
「っ、本当か……!」
「元々、そちらについては断る気など毛頭ありません。シャーロットさんは、私のルームメイトで、そして大切な友達ですから」
優しく微笑むイデアに、拭ったはずの涙がザドの眼から溢れていく。
「すまない、すまないっ……!」
床に蹲るようにして、ザドが声を上げる。
カイに好き勝手言った。お前は犯罪者で、お前のせいで無関係な命が犠牲になったのだと。
でもやっぱり。それ以上に。
カイもイデアも、たくさんの人の命を。
想いを救ってきたのだろう。
込み上げる嗚咽を堪えきれず、ザドは泣き伏す。そんな背中に、シャーロットが優しく手を添えていたのだった。
※※※※※
「つまりだ、エルの魂はこちらにあるが、肉体はシャーロットとしてまだ生界で生きているんだよ。魂を司る《女王》を倒すためには、魂と肉体の両方を持った存在が必要なんだ。冥界には魂しかない現状、唯一肉体と繋がれる可能性をもつエルは、俺達にとって希望なんだよ」
ここは冥界の桃源郷ラフルス。その最奥にある屋敷の中で、ケレアは話を終えた。
エルというかシャーロットの話を締めくくるケレアに対し、カイは眼を瞑りながら考え事をしていた。
ザドとシャーロットの関係性や、どうして幼い頃の、つまりエルの魂がこちらにあるかも理解できた。
そして、どうして《女王》討伐にエルの存在が必要なのかも。
自分の話をされていたというのに、相変わらず長椅子ですやすや眠るエル。
彼女を見ながら、カイは言った。
「……なぁ、俺で、いいんじゃないか?」
「……ん?」
カイの言っている言葉が理解できなくて、ケレアは首を傾げた。
「だってほら、エルも幼いし、そもそも《女王》は《冥具》を作るような奴だぜ? 強いだろうから二人が危険だろ」
エルとシャーロットを分けて言ってしまうのは、まだカイが同一人物だと言うことに慣れていないからだ。
「いや、待て。何の話をしてる」
「え、いや、《女王》を倒す役目の話だけど……」
「っ、話を聞いていたか? 魂だけじゃ《女王》に魂の形をぐちゃぐちゃにされて、醜い化け物にされるのがオチなんだって」
「俺、まだたぶん肉体あっちで生きてるぞ」
「……えええええええええええ!?」
「ひゃあああ!?」
あっけらかんとした様子で言うカイに、大声で驚いて見せるケレア。
そして、その声に起こされるようにエルがその場で飛び上がったのだった。
変わらず正座したまま、ザドは言う。もう長い間その姿勢で足も辛いだろうに、そんな様子を彼は一切見せない。
「今のシャーロットは《吸命ヴァイア》と呼ばれる疑似的な魂に生かされた存在だ。そして、《吸命ヴァイア》は内部に保管している魂を消費することで効果を発動できる。シャーロットが暴走してしまうのは、《吸命ヴァイア》内の魂が限界まで減ったことで、本能的に魂を補充しようとして発生するんだ」
語り続けるザド。その場にいる誰も、今彼の言葉を遮ろうとはしなかった。
「このままでは、必ずシャーロットは暴走し、無関係な命を吸うだろう。俺は嫌だった。シャーロットが人を殺しなんてさせたくなかった。だから、レゾンの言葉に乗って、バトルロイヤルへと身を投じたんだ」
彼の話を、シャーロット本人は涙を流しながら聞いていた。その涙がどの感情から溢れるものなのか、彼女自身良く分かっていない。けれど、我慢することはできず、雫を零しながらザドの横顔をずっと見つめていた。
「あのバトルロイヤルは、レゾン協力の元、誰かが取り仕切って行われているものらしい。魂を生き返らせたい者達が集い、自分の命を賭けて殺し合う。その果てに、最後まで残った者は魂を一つ冥界から呼び戻して生き返らせることができるんだ。実際、その通りになるのか俺には分からない。レゾンに良いように騙されているだけかもしれない。けれど、縋るには十分だった。これ以上シャーロットに人殺しをさせないために、俺は人を殺してでも、冥界から本当のシャーロットの魂を取り戻したかった」
その過程でたくさんの命を奪った。ミュー・リリットもそうだ。誰もが同じ覚悟で、互いの命を奪い合い、そして一方が命を散らしていった。
だが、とザドはそこで俯く。
「完遂する前に《吸命ヴァイア》に限界が来てしまった。そして、シャーロットの暴走状態を皆に見られてしまった。それだけじゃない、王族の血を引くこともバレ、更にはシャーロットを狙う一味も現れた。……もう、俺だけでシャーロットは救えない」
ジョーラインもシリウスも、そしてクランツも想像以上の力を有していて、到底一人では太刀打ちできない。二人で逃避行したところで、追い詰められてやられるのがオチだ。
再びザドは頭を下げ、土下座した。シャーロットの手を握りしめたまま、片手で床に手を置き、額を当てる。
「虫の良いことを言っているのは分かっている。どれだけ理由を並べようと、俺が数多の命を奪った犯罪者なのは分かっている。……けれど、シャーロットは違うんだ。被害者なんだ、俺のわがままで生き返らせられて、抵抗できずに魂を求めてしまうようになってしまった、ただの被害者でしかないんだ……!」
ずっと、ザドの根幹にはセドもといセンドリルの言葉が存在していた。
人生は常に選択の連続だ。いずれお前も重大な決断を迫られる時が来るだろう。そんな時、ブレない自分を持っていろ。他を犠牲にしてでも、この一つだけは譲らないぞという確かな存在を胸に抱いているんだ。
エルを、シャーロットを。
妹を守るためなら。
他の命だって犠牲にしてやる。
俺の命だって、犠牲にしてやる。
「俺のことは好きにしてくれて構わない! 罪を償えと、仇討ちだと殺されてもいい! 俺は死んだっていいから、だから、どうか、どうか……!」
死んでしまえば、もう妹の傍にはいられない。それは分かっているけれど、それでも目の前にいる彼女達なら、大丈夫だと思えた。そう思えるほど、一緒に過ごしてきたわけじゃない。けれど、大丈夫だと思えてしまう。
その理由はザド自身なんとなく分かっていて。
カイという男を知っているからこそ、命を託すように頭を下げているのである。
バトルロイヤルの中でも、途中参戦以降最後までカイは脱落者を出さなかった。
それどころか、人殺し達の心にも寄り添おうとしていた。
正直馬鹿げていると思うし、ただの綺麗ごとでしかない。それでも、カイは確かに命を見捨てるような真似だけはしなかった。
そんなカイの近くにいる人達なら……。
英雄じゃない、犯罪者だなんて本人に言っておいて、結局縋ろうとしている自分はどれだけ滑稽だろうか。
「どうか妹のこと、救ってくれないか……!」
それでもよかった。譲らないものがこの先も続いていくのならば、自分のプライドなど、命など、些末なことだった。
ザドが頭を下げ続ける。
伝えるべきことは全て伝えた。後は、イデア達がどう言葉を返すのか、待つだけだ。
室内に生まれた沈黙。誰一人として、頭を下げ続けるザドに対して言葉をかけない。
違う。正確には、言葉をかけるべき彼女の言葉を待っているのだ。全員分かっていた。これは、カイが結んだ繋がりで、彼女が結んだ繋がりだ。
どれだけ時間が経ったか、本当は十数秒も経っていないのかもしれない。
少し息を吸う音が聞こえて、彼女が。
イデアが答える。
「私は……あなたを許すことはできません」
「っ」
顔を上げることなく、ザドは唇を噛む。そんな都合よく話が進むことはない。虫の良い話なのは間違いない。こんなの、当たり前だ。
「あなたは、ミューさんを殺しました。そこにどんな事情があれ、手を下したのは事実。自分で言っていたように、あなたは確かに犯罪者だから。……でも、私があなたを許せないのはそれ以上に――」
ベッドから降り、イデアがザドを見下ろすように立つ。
そして、険しい表情で。
「あなたが命を、死を軽んじているからです」
「っ」
ギュッとザドは拳を握りしめる。
俺が、命を軽んじている? そんなわけがない。誰よりもよく知っている。家族を失ったからこそ、俺はもう二度と同じことを繰り返さないようにと、これだけは譲れないという命を――。
「私は先程まで死というものに絶望していました。死は恐ろしく真っ黒で、本人だけではなく、周りの人まで空っぽにする。私は、先程まで生きているのに死んでいたのです」
カイという最愛の人を失うことで、体験した闇。この世界に色はなく、この世界に意味はなく、ただどうすることもできない絶望と後悔に苛まれ、生すらも手放してしまいそうなほど、真っ黒で重い感情に支配されてしまう。
べグリフもきっとこんな気持ちだった。夢という愛した女性を失ってしまったから、どうしたらいいか分からず、彼女からもらった力で世界を蹂躙した。
今なら良く分かる。どうしてルーファがあそこまで自暴自棄になっていたのかも。
「大切な人の死は、生き残った人も死なせてしまうのだと分かりました。それを知ったからこそ、私はあなたを許せないのです」
そんなこと、俺だって知っている。その絶望を俺だって分かっている。それなのに、何が許せないと言うんだ。
「……どうすれば、俺はお前に――」
許してもらえるのかと、問おうとしたザドを遮ってイデアは言う。
「どうしてシャーロットさんは、ずっとあなたの手を握りしめ続けるのでしょうか」
「……!」
その時、初めてザドが顔を上げた。そして、横にいるシャーロットの顔を見る。
シャーロットは変わらず泣いていた。一体何に泣いているのか、その全てをザドが理解することはできないだろう。
自分が記憶を失っていたことだろうか。それとも実父をその手で殺してしまったこと、或いは化け物と化してしまう自分なのか、或いは……。
分かることはただ一つ。
辛い現実を突きつけてしまうことが分かっていて、だからザドは彼女の手を握った。
その手に、確かにシャーロットは握り返していたのだ。
それだけではない。
片手だったはずの彼女の手は、気づけば両手に変わっていた。
ザドが死んだっていいと言ってから、今までずっと。ずっと。
「もう一度言います。私はあなたが許せない。何故なら、あなたが命を軽んじるから。……あなたの命を軽んじるからです」
ザドは分かっていない、とイデアは思う。
どれだけ自分がシャーロットにとって大切な存在か、ザドは分かっていない。
「死んだっていいなんて言うあなたのことが許せない。あなたの死が、何をもたらすのか分かっていないあなたのことが許せない」
イデアの言葉に、ザドは呆然とシャーロットを見つめる。
俺の死が、もたらすもの。
ずっと、シャーロットの為に生きるのがザドにとって全てだった。
両親を失ったからこそ、もうあんな辛い思いをしたくないから、残った妹の為に生きようと思っていた。
妹の為に死のうと思っていた。
俺の譲れないものだから。何を犠牲にしてでも救いたいものだから。
これが俺にとっての本望。
でも。でも、もし。
何も俺のことを覚えていないはずの彼女が。
エルだった頃と変わらぬように、俺が彼女にとっての大切なのだとしたら。
俺の死がもたらすのは。
エルに、シャーロットにもたらすのは。
あの時、家族を失って感じた絶望だ。
「生きなさい。シャーロットさんのために。これまで奪ってきた命に償うために。生かしてくれた命に報いるために。死ぬことは、私が許さない」
イデアは強い意志のこもった瞳で、ザドを見下ろし続けた。
「……」
変わらずザドはシャーロットを見続けている。
その瞳から、雫が零れた。
一方的だと思っていた。もうシャーロットは俺のことを家族だなんて思っていないだろうから。彼女にとっての大切などではないと思っていた。
でも、そうじゃないのかもしれない。
繋いだ手から伝わる体温は、その潤んだ瞳から向けられる想いは温かくて。
彼女を支えるために繋いでいたはずの手は、ザドを離さないための手でもあった。
互いの命を救うための手でもあった。
空いた手で、目元を拭い、ザドはシャーロットを見たまま頷いた。
「ああ、誓う。俺は、死なない。俺は生き続けるよ、一緒に。ずっと……!」
「っ」
変わらぬ涙の中で、シャーロットがここで初めて微笑んだ。
好いていた人が実は兄妹だったとか、自分が化け物になってしまうとか、考えなくてはならないことはたくさんあるけれど。
どうしてか、ザドが命を投げ打ってしまいそうに見えていたから。
そんな二人の様子を見て、イデアもようやく表情を柔らかくする。
「あなたがそう誓うのなら、もう言うことはありません。一緒にシャーロットさんのことを守りましょう」
「っ、本当か……!」
「元々、そちらについては断る気など毛頭ありません。シャーロットさんは、私のルームメイトで、そして大切な友達ですから」
優しく微笑むイデアに、拭ったはずの涙がザドの眼から溢れていく。
「すまない、すまないっ……!」
床に蹲るようにして、ザドが声を上げる。
カイに好き勝手言った。お前は犯罪者で、お前のせいで無関係な命が犠牲になったのだと。
でもやっぱり。それ以上に。
カイもイデアも、たくさんの人の命を。
想いを救ってきたのだろう。
込み上げる嗚咽を堪えきれず、ザドは泣き伏す。そんな背中に、シャーロットが優しく手を添えていたのだった。
※※※※※
「つまりだ、エルの魂はこちらにあるが、肉体はシャーロットとしてまだ生界で生きているんだよ。魂を司る《女王》を倒すためには、魂と肉体の両方を持った存在が必要なんだ。冥界には魂しかない現状、唯一肉体と繋がれる可能性をもつエルは、俺達にとって希望なんだよ」
ここは冥界の桃源郷ラフルス。その最奥にある屋敷の中で、ケレアは話を終えた。
エルというかシャーロットの話を締めくくるケレアに対し、カイは眼を瞑りながら考え事をしていた。
ザドとシャーロットの関係性や、どうして幼い頃の、つまりエルの魂がこちらにあるかも理解できた。
そして、どうして《女王》討伐にエルの存在が必要なのかも。
自分の話をされていたというのに、相変わらず長椅子ですやすや眠るエル。
彼女を見ながら、カイは言った。
「……なぁ、俺で、いいんじゃないか?」
「……ん?」
カイの言っている言葉が理解できなくて、ケレアは首を傾げた。
「だってほら、エルも幼いし、そもそも《女王》は《冥具》を作るような奴だぜ? 強いだろうから二人が危険だろ」
エルとシャーロットを分けて言ってしまうのは、まだカイが同一人物だと言うことに慣れていないからだ。
「いや、待て。何の話をしてる」
「え、いや、《女王》を倒す役目の話だけど……」
「っ、話を聞いていたか? 魂だけじゃ《女王》に魂の形をぐちゃぐちゃにされて、醜い化け物にされるのがオチなんだって」
「俺、まだたぶん肉体あっちで生きてるぞ」
「……えええええええええええ!?」
「ひゃあああ!?」
あっけらかんとした様子で言うカイに、大声で驚いて見せるケレア。
そして、その声に起こされるようにエルがその場で飛び上がったのだった。
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