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5『冥々たる紅の運命』

5 第四章第四十三話「想いを力に」

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 べグリフが収監されていた牢獄は冥界の地下深く、その最深部だった。べグリフをそれほど危険視していたという証拠であるが、その危険人物が解き放たれたのだ。黙って牢獄を抜け出せるわけもなく。

「……何だこいつら」

 螺旋構造の牢獄を駆け上がり、地上を目指して進みだしていたカイとべグリフの前に、鎌をもった死神のような出で立ちの兵がわんさかと集まってきていた。やぶれた黒いローブを身にまとっているが、ローブからはみ出した身体はすべて白骨化しており、骨の手には真っ黒な鎌をもっている。

 間違いなくカイとべグリフを攻撃する気満々なのだが、この二人は何故か異様に落ち着いていた。

「死した魂の成れの果てだ」

「成れの果て?」

「死後、魂は徐々に記憶や魔力、その他何もかもを洗われ、新たな魂へと変換される。だが、全ての魂が等しくその機会を与えられるわけでは……――何故この俺がお前に説明せねばならん」

「いやそこまで来て説明やめんなよ!?」

「説明の有無にかかわらず、やることは変わらないだろう」

 べグリフがその手に漆黒の剣を生成する。魔力は魂に宿っていた。

「そりゃ……そうかもしれないけどさ。でも、『死した魂の成れの果て』って言葉から察するにコイツ等死んじまった命なんだろ? 攻撃していいのかよ」

 一応セインは構えるものの、カイは困惑した表情で死兵を見つめていた。もし生界で死んで冥界に訪れた魂が、何らかの事情で兵士にされてるのであれば、攻撃して殺してしまうわけにもいかない。死んでしまった命を、また苦しめるような行為をカイは許せなかった。

 そのカイを一瞥し、べグリフが鼻で笑う。

「ふっ、相変わらず甘いな、お前は」

 言下、死兵へと飛び出し、べグリフは目の前の白骨化した身体を容易く一閃してみせた。

「あ、おいっ!」

 真っ二つになった死兵は音を立ててその場に崩れ落ちていく。

 べグリフの一撃が開戦の合図となり、死兵が次々とべグリフへと襲い掛かっていった。しかし、幽閉されていたとはいえ、流石は魔王。死兵など取るに足らない存在であり、尽く切り裂いていく。

 どんどん床に散らばっていく死兵達。

 だが、カイは眼を見開いた。

「えっ、復活してる!?」

 そう、どれだけ切断され、砕かれようと死兵は一定時間で元の状態へと戻っていくのである。

「奴らは魂の形を無理やり変えられた存在だ。どれだけこちらが砕こうとも魂の輪郭が決められている。この魂が真に解放されることはなく、永遠と障害を取り除く兵士であり続けるのだ」

 繰り出される鎌を軽くあしらいながら、べグリフが教えてくれる。さっきは、「何故説明を…」とか言っていたのに、案外喋りたがりなのかもしれない。

 だが、べグリフの言葉に思わず更に顔をしかめてしまう。

「魂を、無理やり……?」

 目の前でべグリフへと襲い掛かっていく死兵達。それらは本来死んでしまった悲しき命だった。それを死んでまで戦う兵士に無理やり作りあげ、一生そうさせている奴がいる、ということか。

 トーデルの言葉が脳裏をよぎる。

「《女王》は命を五段階で選定し、段階が高ければ優遇されるが、段階が低ければ「転生」は絶望的。浄化すらまともに行ってもらえず、未練を拭えず、罪に苛まれて、苦しみを死んでなお味わうこととなる」

 《女王》は命に価値をつける。その結果、価値の低い命をこうして無理やり兵士にしているのであろう。そもそも冥界に兵という概念は本来必要ないはずだ。それが必要になるのは、べグリフのように幽閉する存在を作るからに違いない。

 《女王》の様子がおかしくなったとトーデルは言っていたが、成程確かに。

「冥界がこんなんじゃ、送り出すことも死ぬこともできねえじゃねえか……!」

 全ては《女王》をどうにかしなければならないと、そう思えた。

「無駄な葛藤は終わったか?」

 無限に立ち上がる死兵をなぎ倒しながら、べグリフが鋭い視線をカイへと向ける。

「俺は《女王》を倒して冥界から出る。足手まといになるならば、置いていくだけだ」

 べグリフの最終目標が冥界を統治する《女王》の打倒、そして冥界からの脱出だと言うのならば。

 《女王》の打倒が冥界脱出にも繋がるのなら。

 やることは間違いなく一つだった。

「……ごめんな」

 カイはようやく迷いを断ち切り、べグリフの元へと駆け出した。途中振り下ろされた鎌を避けて死兵を斬り下ろす。復活すると分かっていても、弄ばれている命に攻撃するのは良い気がしない。

 それでも、前に進むしかない。



《女王》を変えなければ、《冥界》に明日はない。



「そっちこそ、足引っ張んじゃねえぞ!」

 セインを強く握りしめて、カイが叫ぶ。

「誰にものを言っている!」

 不死の兵士を相手にしながら、カイとべグリフは牢獄の突破を目指して上へと進みだした。





※※※※※





 無限に復活し続ける死兵と戦いながら、上を目指すこと一時間。牢獄の出入り口がようやく見えてきたわけだが、やはりただでは通れないらしい。

「……これも、不死身か?」

「生界と冥界の命は常に一定だ。そのバランスが崩れないよう、奴らは設定されている」

「要は不死身ってことね」

 死兵の纏っていたローブを勝手に拝借したカイとべグリフ。ようやく全裸から解放されたわけだが、そんな彼らの目の前に現れたのは。

「アッガガガガガガガガガ!」

 巨大で歪な竜であった。身体は胴体が膨れ上がっており、四肢で支えているというよりは、腹で支えているように見える。背からは何の種族か分からない手足が何本も生えており、異様さを際立たせている。

 見るからに化け物なわけだが。

「これも元は命だってか?」

「……少しは自分で考えたらどうだ」

「どうせ教えてくれるだろ?」

「……死ね」

 振り向きざまに漆黒の剣が振るわれ、慌てて屈んで避ける。

「おいっ、危ねぇだろ!?」

 その一閃は斬撃を飛ばしており、後ろから近づいて来ていた死兵の軍団を軽々と両断していた。

 ……死兵を倒すための一撃だったということにしておこう。

「来るぞ」

「っ!」

 言葉通り、死竜が口元を紅く光らせている。あそこから感じる波動は《冥具》のものと大差ない。
冥力ってやつか!

 次の瞬間、口から扇状に真紅の獄炎が勢いよく放たれた。カイもべグリフも跳躍してそれを避ける。広い空間を獄炎が焼き尽くしていき、死兵も飲み込まれているようだった。

 にしても炎を吐くって、どんな魂のいじり方したら……。

 その時、ふとトーデルとの会話を思い出す。

「……てことはあれか? 赤ちゃんが生まれたら、代わりに誰かが死んでるってのか」

「そうだ」

「んな馬鹿な。そんなわけ――」

「ないと言えるのか? この世界に生きる全ての命の数を把握しているのか? 人だけではない、天使族に悪魔族、それにお前が触れ合っていたグリフォンだってそう。どれだけの命が三界に生きていると思う。偶然ではなく必然的に、命は終わり、そして芽吹くのだ」

「……」

 命の数は常に一定。それは決して人だけの話ではなく、ありとあらゆる生物の命を以てして一定なのだ。

 つまり、冥界へ送られる命は何も人族、天使族、悪魔族だけの話ではなく、魔物やそれ以外も例外ではないのだ。

 要は魔物の命を使えば、こういう動きもさせられるってわけか。元は竜ではない何かを、無理やり竜に変えて。

 回避しながらべグリフが一閃を繰り出し、背中に生えていた機能しようもなさそうな小さな翼を両断する。

 だが、死竜は堪えた様子はない。

 なぜなら、即座に回復し、元通りになったからである。

「げっ、あの兵士達より復活速くないか!?」

「やはりな。コレは複数の命が組み合わされて生まれている。宿る力は雑兵とは比べ物にならないだろう」

「厄介極まりないし……許せねえな!」

 命を組み合わせる。それがどれほどの冒涜か、分かっているのだろうか。

 どれだけ命を弄べば気が済むんだ。

 今すぐこの命を助けてはやれないけど、《女王》を倒して必ず……!

 獄炎が止み、爛れた床に着地する。

「べグリフ、戦うだけ損だろ!」

「当然だ、動きを止めて出るぞ」

 そう言ってべグリフは、死竜の周囲に特別長い長剣をいくつも生成させていた。成程。再生するとはいえ、貫いて縫い付けてしまえば一定時間は動けないと踏んでいるのだ。

「お前も手伝え」

「いや、それがどうやら魔力持ってなくてさ、俺」

「……役立たずが」

「その役立たずに解放されたのは誰だ!」

 まるで蔑むような眼でカイを見つめた後、べグリフはその長剣全てを死竜に突き刺した。長剣は死竜の身体を貫通し、地面に勢いよく突き刺さる。そして、柄の部分が死竜の身体に引っかかり、死竜の身体は地面から動かないように縫い付けられてしまっていた。

「ガアアガガガアガガガガ!」

 首も縫い付けられ、首を垂れるようにして死竜が動きを止める。まぁ再生するのだから、無理やり身体を引きちぎって動き出すかもしれないが、それでも時間稼ぎとしては十分だ。

「よくやった、さあ行こうぜ!」

「……やはり殺しておくか」

 後ろから伝わってくる本気の殺気から逃げるように、カイはそのまま出入口へと向かう。不思議なもので死兵と死竜以外、番兵的なものとは遭遇していない。トーデル曰く、以前いた《冥界の審判員》という者達は、レゾンとトーデルを除いて《冥具》にされてしまったらしい。

 そうしたのは《女王》とレゾンのようだが、人手が足りないのだろうか。というかそもそも、牢獄から脱獄することを想定していないのだろう。

 そうして、カイとべグリフは牢獄から外に出ていた。

「これが、冥界……!」

 カイは驚いたように景色を見つめた。牢獄という閉鎖空間から出たつもりだったが、出た先もまるで巨大な洞窟だった。空はなく、地平の先まで洞窟は続いている。目の前は森林地帯のようだが、木々全てが枯れて白く、地面には枯れ葉が絨毯のように無限に敷き詰められているのだった。

 不思議なのは、光源があるわけでもないのに、この巨大な洞窟の中は決して暗闇ではないということ。自分たち含め、物質が闇から完全に切り離されているかのように、はっきり映っている。

 驚いているカイを置いて、べグリフは前へと走り出していた。

「あっ、おい! 置いていくなよ!」

「お前の下らん感性に付き合っている暇はない」

 そんなんじゃ女子にモテないぞ、と言おうと思ったが、カイは諦めてべグリフを追った。確かにここで止まってたらいつ死兵が向かってくることか。

「ていうか、《女王》の居場所知ってるのかよ。ずっとあそこに捕まってたんじゃないのか」

「……どうやって《大剣ハドラ》を手に入れたと思っている」

 《冥具》の一つ、《大剣ハドラ》。生死を司る大剣であり、斬られた者の命を着実に死へと誘う武器で、べグリフのソレにどれだけ苦戦を強いられたことか。

「その言い方から察するに、一度《冥界》に来たことがあるってことだな」

 べグリフはその時に《女王》と出会っているのだろう。場所も把握済みということか。道案内は頼んでよさそうだ。

 すると、急にべグリフが立ち止まり、カイへと振り返った。急いでる感じだったのに、どうしたのか。合わせてカイも立ち止まる。

 そしてべグリフは尋ねた。

「……お前は死んだのか」

 べグリフの問いから、その心情をあまり察することができない。単純な疑問なのか、憐れんでいるのか何なのか。だが、わざわざ立ち止まって聞く辺り、気にはしているのだろう。

 《冥界》に来るということは、そういうことだ。ただ現在の自分の状況を、カイも完璧に理解しているわけではない。

「死んだっちゃ死んだんだろうけど、多分ちょっと違う。このセインがその証拠さ。魂はこっちにあるけど、まだ肉体との繋がりは切れてないんだと思う」

 セインを掲げて振ってみる。

 セインは対象者が死亡すると、泡のようになり、そして消滅する。でも、イデアのセインはまだ手元にあった。

 セインが、まだカイが死んでいないことを証明する。



 セインが、カイの賭けの成功を証明する。



 カイが転移を使わずに自分の身体でイデアを庇ったのには四つ、理由があった。

 その一、イデアを絶対守りたかったから。イデアがシリウスの凶弾の対象となった時、カイはいくつかの可能性を脳内で模索した。そもそもイデアが《冥具》に対してある程度の耐性を持っていることを知っていたから、もしかすると《絶白モルグル》の効果も効かない可能性だってあった。けれど、万が一が怖かったからこそ、カイは自分の身体を張ったのである。

 ただ、カイは《絶白モルグル》の一撃を食らうことで完全に死ぬとは思っていなかった。《冥界》に送られた魂は時間をかけて記憶や想い、魔力に未練をすすいでいく。そのかかる時間は千差万別。送ってきた生涯が影響するとトーデルは言っていた。

 つまり《冥界》に送られたら、すぐにカイという自分の人格が消滅するわけではないのだ。

 だから間に合うと思った。人格がなくなるよりも早く、《冥界》から脱出して肉体に戻ればいいのだと、カイはそう判断したのだ。

 荒唐無稽で一か八かではあるけれど、そこまで悪い賭けではないと思った。万が一失敗しても自分の命で済むし。転移を使い、約束破ったせいでレゾンと戦い、その結果犠牲者が出るよりマシだと思った。

 ……いや、シーナに迷惑かけるか。でも、ミーアがいるし。あの時みたいに、またシーナのことを救ってくれるはずだ。

 けれど、状況はどうやら思っているよりも悪くないらしい。

 それがその二、傍にあったイデアのセインである。形はガンブレードに変わっていたけれど、カイには分かっていた。イデアがその手に、自分たちのセインを握りしめていることを。

 カイとイデア、この二人のセインは、《理を覆す》力を持つ。べグリフの《魔》の紋章を断ったように、事象に干渉し、変える力を持っているのである。

 これまた確信はなかったけれど、その力があれば何とかなると、カイは直感でそう思ったのだ。《冥界》の力に耐性を持つイデアから作り出されたセイン。どんな形でその力が作用するか分からなかったけれど、そのセインは想いでカイとも繋がっているから。イデアの想いが、きっと自分を救ってくれるんじゃないだろうか、そう思ったのだった。

 お陰で正直訳の分からない状態でカイは今《冥界》にいる。まず、昔みたいに魔力は使えない。フィグルという事例もあるし、現にべグリフも魔力を使っているところを見ると、魂に魔力は宿っていると考えられるわけだが、今のカイはその魂に魔力を宿していない。肉体に魔力を残してきたのだろうか。それならシーナも安心だ。

 そして、手元にはセインがある。セインがあれば、理由その三、《冥界》側からレゾンや《女王》の暴走を止めることも出来るだろう。正直《冥界》の件について、完全に後手後手になっていたのは間違いない。レゾンという存在に良いように弄ばれている感じ。そして、《冥界》自体へ行く手掛かりは全く無く。

 でも、魂だけになったって《冥界》へ行けるのならば、それは願ったり叶ったりなのではないか。《冥界》にわたって王都ディスペラードの事件を解決できるのではないか。



 そして理由その四、ずっとレイニーが必死になって探しているべグリフを見つけられるのではないか。



 だから、カイは《絶白モルグル》の一撃を受けた。結構行き当たりばったりで、最悪死ぬ。イデアには凄く辛い思いをさせてしまうかもしれない。

 でも、イデアがいるから大丈夫だと思ったんだ。

 結果、セインの力なのか、死んだというにも中途半端な状態だし、スタート地点がべグリフの目の前という好スタートを切ることができた。たぶんセインが想いを汲んで干渉してくれたのだろう。

「まあ、仮に死んでたとしても無理やりにでも戻ってやるけどな。あんたも同じだろ」

「……」

「というか、あの時あんたは肉体ごと《冥界》に引きずり込まれていたよな? そっちこそ今どういう状態なんだ」

 《冥具》を使用する条件として、敗北した時にべグリフは強制的に《冥界》へと引きずり込まれていった。それはべグリフだけではなく、ドライル達が戦ったギャズやディクソンも同じである。

 べグリフは淡々と言った。

「肉体は既に死んでいる。今ここに在るのはお前と変わらん、魂だけだ」

「……っ!」

 その事実に、カイは眼を見開いた。べグリフの身体には酷い拷問の痕があった。だから、てっきり肉体があるものだと思っていたが、あれは魂に刻み込まれたものということか。

「構わん、肉体など些末なことだ」

 だが、べグリフは全く気にしている様子はなかった。

 あの牢獄は魂の拷問としての施設でもあり、収容されている魂達は想像を絶する拷問を何度も何度も行われる。その施設に入れられる魂の多くが、価値なしと価値づけされた者達であり、魂は拷問の果てに人格を失い、やがて死兵となる。そして死兵として拷問へ参加していくのだ。

 あの牢獄で魂達は悉く命の輝きを失わせていく。

 けれど、べグリフは違った。拷問の果てに肉体が死亡しようと、魂にどれほどの苦痛を味わわされようと、べグリフはその瞳の奥に光を宿し続けた。

 《紋章》なんてなくても、これからもちゃんと俺の中にいると彼女は言った。同じものを背負い続け、二人で贖い続けようと、そう誓った。

 だからこそ、ここで果てるわけにはいかない。《冥界》を出て、その先を二人で進んでいくのだ。

 彼女の《言霊》をもらったこの魂があれば。



「この魂があれば、『俺達』はどこまで進んでいける」



 そう告げるべグリフの表情に、カイは驚いた。誰を想っているのか、分かったからだ。

 そういう顔もできるんだな。

 そして、カイも微笑んだ。

「そうだな、想いの大切さを誰よりも俺達は知っているからな」

 目に見えないもの。でも、その価値をカイもべグリフも理解しているから。

「なら、余計に早くこっから出ないとな!」

「……ふん」

 再び二人は前へと走り出す。

 受け取った想いが、彼らを未来へと進ませていた。
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