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5『冥々たる紅の運命』
5 第四章第四十一話「零れ落ちた雫」
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「《私の名はトーデル。元冥界の審判員であり、現冥界の審判員レゾンを打ち破らんとする者だ》」
カイと初めて接書した時と同じように、トーデルはゼノ達へと自分の正体を告げる。けれど、セラとエイラの耳には届いていない。
トーデルの姿をゼノにメア、そしてドライルしか捉えられないのには理由がある。三人ともべグリフの振るう《大剣ハドラ》によって、嫌というくらい冥界の力を叩き込まれたからである。身体が、魂が、冥界の力を覚えているのであった。
三人とも臨戦態勢を取る中、三人の動きについていけずにセラはエイラを見た。
「エイラは……!」
「わ、かりませんが、三人に何かが見えていて、そこに何かがいる、ということなのでしょう……」
そう告げるエイラの眼にはトーデルが映らない。けれど、そこに何かが存在していることはセラと違って知覚していた。先の魔界での戦で、エイラは一度《霊弓ケルビエル》の力をその身に受けているからだった。
ゼノは目の前に突如現れたトーデルへと叫んだ。冥界の審判員? 意味の分からないことを言いやがって……! それ以上にもっと訳の分からないことを!
「カイが死んだなんて、適当言うな!!」
「「っ」」
それはまるで、これまで一人で考えていた不安を払拭しようとしているような大声で。いや、さまざまな負の感情を八つ当たりのようにぶつけていると形容した方が正しいかもしれない。
目の前に現れたトーデルが何者なのか分からない。けれど、そんな奴にカイが死んだなんて言われてたまるか。
だが、トーデルは首を横に振る。
「《いいや、カイは死んだ。これは事実だ。何故ならカイが死ぬ瞬間まで、私はこの一か月ずっと傍に居たからだ》」
「――……!」
ゼノが目を見開く。セラとエイラは変わらずゼノが一人で喋っているようにしか聞こえないが、先のゼノの言葉で目の前の不可視のそれはカイの死にまつわる何かだと悟っていた。
「メア、話の内容を私に教えてくださいっ!」
「ドライル、貴方もです!」
「う、うん」「……わかった」
その勢い凄まじく、カイという存在がセラとエイラ、もちろんゼノにとってもどれだけかけがえのない存在か伝わってくるものであった。
メア、ドライルによる通訳を経て、セラとエイラも漸く会話に介入できるようになった。
まだ瞳に涙を貯めているセラが叫ぶ。
「カイに、何があったって言うんですか!」
「《……単純に言うならば、ゼノ、お前の予想は正しかったということだ。王都ディスペラードは既にレゾンの手で真っ赤に染められていた》」
「――っ!」
カイとイデアを王都ディスペラードへと送った理由は、そこに冥界による干渉があるかどうかを確かめるためだった。結果的にその懸念は正しかったということだろう。
でも。
「なら、何故カイから連絡が来ない!? 本当に冥界絡みだったのならば、アイツなら――」
「《カイという存在にレゾンが気づいたからだ。……いや、最初から気づいていた。正確には、カイは王都ディスペラードへとおびき寄せられていたんだ》」
「……どういうことだ」
「《『冥界よ、我が魂をあの子の元へ』、このメッセージはレゾンがカイを誘い出すために書いた、自作自演だったという話だ》」
「――……!」
手足が震えそうになる。
今トーデルという銀髪の女の言うことを信じるならば、まんまとカイはレゾンの張った罠にかかったことになる。
そして、その罠に向かわせたのは誰だ。
レゾンの術中にはまってしまったのは。
カイではなく、俺だったというのか。
「《そして、カイはレゾンに人質を取られた。王都ディスペラードに住まう全ての命だ。お前たちならば、レゾンの力の恐ろしさを知っているはずだ》」
そう聞いて、真っ先に思い出すのはメア。対峙して実際にやりあったわけだが、アレは命をまるで玩具のようにしか考えていない。振るった大鎌は命を容易くかき消そうとし、そして召喚された怪物は都市一つを軽々と消滅させてみせた。
大袈裟ではなく、レゾンは国一つを軽々と滅ぼせてしまうだろう。
「《その人質を取られたことで、カイは転移の力と情報漏洩を禁じられた。お前達に連絡できなかったのはその為だ。……そして、カイは同時にあるゲームへの参加を強いられる》」
「ゲーム……」
「《王都ディスペラードでは、夜な夜なとある者達が文字通り命を賭けた戦いを繰り広げていた。レゾンによって仕組まれたバトルロイヤルだ。勝ち残った一人は、死んでしまった愛する者を一名生き返らせることができる。そう、とある者達とは、愛する人を失ってしまった者達のことだ》」
愛しい人を生き返らせるために、他の命を奪えと言うのか。なんて、胸糞の悪いゲームなんだ。……ただ、今もし本当にカイが死んでいたとしたら。その誘惑に果たして勝てるのだろうか。
「《そのバトルロイヤルにカイは強制参加となった。そして、一つ特別ルールが設けられる。カイを殺せば、殺した者は勝ち残らずとも生き返らせることができるというものだ》」
「そんなの……っ!」
再びセラの瞳から涙が零れていく。息子の立たされていた苦境に、涙が止まらない。
「《カイが強制参加となったのはおよそ一か月前。だから、これまで一か月間、カイは深夜に命を狙われ続けたということだ》」
ここ一か月、カイの学業不振が目立つとダリルから連絡は受けていた。寝坊は当たり前で、時折最後まで顔を出さずに休むこともあったという。ダリルから深夜に巡回しているという話も聞いていたから大目には見ていたが、どこかおかしいとは思っていた。
ただそれは、四代名家であるミュー・リリットの死が関係しているとも思った。ダリルからの連絡でもあったそれで、カイはより一層深夜の巡回に力を入れているのではないかと。
本当はちゃんと勉学に励んでほしかったけれど、カイは命を前にして動かない男ではない。カイがそちらを優先するのは当然かとも思っていた。
……くそっ。
ミュー・リリットが亡くなった時点で一度呼び戻せば良かったんだ。何かが王都で起きているという証拠じゃないか。
「《だが、カイはそこから一か月間、誰一人として死傷者を出していない》」
「「「「「――っ」」」」」
「《誰一人殺させることなく、誰一人の命を奪わせることなく、カイは一か月戦い抜いた。自分の命を狙われながらも、傷つきながらも、それでも危ない命を救い続けた。そんなこと、誰が成し遂げられる》」
そして、漸くゼノは気づくのだ。自分のことで精いっぱいで分からなかったけれど。
初めから、トーデルは悲し気な表情を浮かべていた。
ああ、目の前にいるこのトーデルは。
「《カイは、間違いなく希望だった》」
カイの敵なんかじゃない。むしろ、一人で孤独に戦うしかなかったカイにとって唯一の。
心の拠り所だったのか。
「……じゃあ、カイ様はその戦いの過程で――」
「《いや、違う。むしろバトルロイヤルを通して、カイは参加者とどんどん心を通わせていった。本気でカイの命を狙っているのに、最近じゃお互いに楽しそうに戦っていた。まるでカイが参加者に稽古をつけているように。きっと今、心の底からカイを殺したいと思っている人はいない、と私は思っている》」
「なら何で……」
「《その状況をレゾンが良しとしなかったのかもしれない。レゾンは……《冥具》を数名にばら撒いた》」
「「っ」」
メアとドライルが、トーデルの言葉に反応する。
天界でも魔界でも、レゾンは力を欲している者にお小遣いのように《冥具》を譲渡しようとしていた。《冥具》は一つ手に入れるだけで絶大な力を誇り、命を容易く屠ることのできる武器である。そんなものを、レゾンは気軽に配って回る。狂気以外の何物でもない。
「《そして昨日、その《冥具》持ちによる襲撃があった。カイの方には《大剣ハドラ》と《絶白モルグル》の二つを持った者が、そしてイデア・フィールスの方には《真鎖タフムーラス》を持った者が》」
「冥具の二つ所持だと……!?」
「それに、イデアちゃんの方にもなんて……!」
実際に対峙したドライルとメアだからこそ、その恐ろしさを実感していた。
「《《大剣ハドラ》については説明要るまい。……《絶白モルグル》とは、放った凶弾に触れた魂を強制的に冥界に返す《冥具》。魂が身体から抜け出すということだ。それは、事実上の死。抜け出した直後の身体はまだ生命維持機能が働いているが、魂のない身体が長続きすることはない。生きようとする意志が、そこには存在しないのだから。やがて脈動は収まり、身体的にも終わりを迎える。要は、《絶白モルグル》の一撃で死に至るということだ》」
「……カイは、もしかして――」
ゼノは続きが言えなかった。いや、誰もが想像しているだろうに、言葉にはできなかった。
その責任を押し付けるように全員がトーデルを見る。彼女は顔を歪ませていた。まだ昨日の話で、鮮明にあの瞬間が脳裏に焼き付いてしまっている。
言ったのだ。これからのことを考え、転移の力を使えと。お前を失う訳にはいかないのだと。カイを失ってしまうくらいなら、転移を使ってレゾンによる約束破りの罰を全て打ち砕ける可能性に賭けた方がいいと思っていたから。
それなのに……。
少しの間、重たく閉ざされたトーデルの口が開けられる。
「《……《絶白モルグル》を前にカイは奮戦していた。《冥具》二つ持ちを前に何とか持ちこたえていた。だが、相手はあろうことか《絶白モルグル》の銃口をイデアへと向けたのだ》」
「っ、まさか……!」
「《カイは、イデアを庇って撃たれて……そして、死んだんだ》」
あんなイデア、見ていられません。
連絡してきたルーファはそう言っていた。
もし、カイの死にイデアが関わっているのならば。
イデアは今……。
そして、部屋に訪れる沈黙。トーデルとしても話せることは全て話したつもりだった。
そう、カイは死んでしまった。だから、トーデルは今ゼノの元へ来たのだ。
カイがいない今、レゾンを打ち滅ぼせるのはもうゼノぐらいしかいない。
「う、ううぅっ……!」
セラとエイラが床へと崩れる。トーデルがカイの味方だと気づいているからこそ、その言葉に偽りがないのだと分かって。まだこの目で確かめてもいないのに。
カイの死が事実として、心を襲うのだ。
止まらない嗚咽と涙。そんな二人の前にただ立ち尽くすゼノ。
カイなら大丈夫だと思っていた。
けれど、それは単なる無責任。甘えでしかなくて。
その甘えで、カイは死んだ。
俺が、死なせたんだ。
「カイは……本当に死んだのか」
つぅーっとゼノの瞳から流れていく涙。これまで理解できなくて、したくなくて流れて来なかった涙。彼から滴っていく涙の痕が、カイの死を事実だと証明していた。
「……お兄ちゃんが、え、なに?」
その時だった。開けっ放しだった扉から可愛らしい、けれど不安に揺れた声が聞こえてくる。
振り向くとそこにミーアとシーナがいた。両方ともパジャマ姿で、今起きたばかりなのだろう。髪も結われておらず、寝ぐせでところどころ跳ねていた。
ミーアは部屋の中で泣き崩れるセラとエイラを見て、そして涙を流すゼノを見ながら、まるで言い訳のように言葉を吐き出す。
「いや、あの、どたどた廊下を走る声が聞こえたし、それに、お父さんの声もうっすら聞こえたから、何かあったのかなって起きたん、だけ、ど……」
「ミーアっ……」
「う、嘘だよね? 何か、変な言葉聞こえてきたんだけどさ」
そう言いながら、ミーアの瞳に溜まっていく涙。目の前に広がる全員の様子に、不安は確信に変わってしまいそうで。
だから、違うと聞きたくて。
「お兄ちゃんが死んだなんて、嘘だよね……?」
ボロボロと零れだす大粒の涙。
「嘘だよ、お兄ちゃんが死ぬわけないじゃん。だって、だって……!」
悲痛の声が、部屋に響いていく。けれど、誰もその言葉に返せない。
「嘘だと言ってよ、ねぇ! そんな、嘘だ、嘘だ……」
ぺたんと、ミーアも崩れるようにその場に座り、嗚咽とともに顔を覆う。
絶望の、悲しみの証としてあちこちで零れていく涙。どれだけ床に敷かれた絨毯を濡らしても、結果は変わらない。
カイは死んだのだと。
込み上げてくる涙が物語っていた。
「……じゃあ、何でアタシはまだ生きてるんだ?」
その言葉が、放たれるまでは。
その場に居た全員の視線が、声の持ち主へ。
シーナはあっけらかんとした様子で言ってのけた。
「いや、ほら、アタシの心臓ってご主人の魔力の自動供給で補ってるだろ? もしご主人が死んだならアタシの心臓も動かなくなるんじゃないのか?」
シーナは二年前、その心臓をべグリフによって潰された。だが、ミーアの懸命な救助によって何とか事なきを得たのである。その救助方法はカイの魔力でミーアの心臓を作り、自動回復魔法を組み込むことでカイの魔力を常に供給し続ける、というものであった。これは、カイの魔力が転移という空間と空間を自在に飛び回れる性質を有していたから。
「でも、まだご主人の魔力を感じるぞ?」
二年経っても変わらぬ淡い膨らみに、シーナが手を当てる。変わらず心臓は脈動し、そこから温かな魔力が伝わってくる。
誰もが呆然とシーナを見つめていた。見つめながら、ゼノが尋ねる。
「……なぁ、トーデル。死んだら、魔力はどうなる」
「《……死んだ体内に魔力は残らない。魔力は、魂に宿っているものだ》」
魔力は魂に宿る。だからこそ、フィグルの魔力は最終的にイデアへと託された。それにソウルス族が魔力を持ち得ないのもそれが理由であった。ソウルス族は魔力とは別に《セイン》を魂に宿しているため、魔力が宿らないのだ。
シーナの存在に、トーデルもまた目を見開いていた。そして、自分が見落としていたことに気づく。
あの時、彼の身体を借りた時に使用したのは、自分自身の力だった。その為、彼の身体にまだ残っていた魔力に気づくことができなかった。
何というイレギュラー。
魂が冥界に送られながら、魔力はまだ生界の体内に残り続けるなんて。
本来あり得ない事象。だからこそ、これまでこの結論に辿り着けなかった。
だが、目の前のシーナが可能性を広げてくれる。シーナに魔力が送られている以上、その魔力は確かに生界にあるのだ。冥界とはあくまで死の世界。生界とは分かたれた世界であり、冥界から生界への干渉などできないのだから。
そう、だから本来ならばカイの魂も冥界に送られた時点で終わり。
終わりだった。
でも、彼なら。
彼らなら。
一気に頭の中で全ての事象に理由が付けられていく。
事実だと思っていたものが、一気にひっくり返される。
「《……すまない、私はやはり嘘をついていたようだ》」
トーデルの言葉に、全員が顔を上げる。それはまるで懇願のように。祈るように。
薄暗闇の部屋の中、銀髪の髪がどこからか吹いた隙間風に優しく揺れる。その瞳から流れる雫は、カーテンの隙間から漏れ出た陽光に反射して輝いていた。
やはり、という言葉が彼女の気持ちを明らかにしていた。
彼女もまた、信じたくなかったのだ。
そして、無事に否定された。
「《カイは、まだ生きている》」
この場にいる誰もを救うようにトーデルが告げる。彼女の流した涙は、誰よりも眩しく輝きを放っていた。
祈りは、確かに届いていた。
「――くっ、うう、ああっ……!」
その言葉を聞いて、初めてゼノは大声を上げて嗚咽を漏らしたのだった。
カイと初めて接書した時と同じように、トーデルはゼノ達へと自分の正体を告げる。けれど、セラとエイラの耳には届いていない。
トーデルの姿をゼノにメア、そしてドライルしか捉えられないのには理由がある。三人ともべグリフの振るう《大剣ハドラ》によって、嫌というくらい冥界の力を叩き込まれたからである。身体が、魂が、冥界の力を覚えているのであった。
三人とも臨戦態勢を取る中、三人の動きについていけずにセラはエイラを見た。
「エイラは……!」
「わ、かりませんが、三人に何かが見えていて、そこに何かがいる、ということなのでしょう……」
そう告げるエイラの眼にはトーデルが映らない。けれど、そこに何かが存在していることはセラと違って知覚していた。先の魔界での戦で、エイラは一度《霊弓ケルビエル》の力をその身に受けているからだった。
ゼノは目の前に突如現れたトーデルへと叫んだ。冥界の審判員? 意味の分からないことを言いやがって……! それ以上にもっと訳の分からないことを!
「カイが死んだなんて、適当言うな!!」
「「っ」」
それはまるで、これまで一人で考えていた不安を払拭しようとしているような大声で。いや、さまざまな負の感情を八つ当たりのようにぶつけていると形容した方が正しいかもしれない。
目の前に現れたトーデルが何者なのか分からない。けれど、そんな奴にカイが死んだなんて言われてたまるか。
だが、トーデルは首を横に振る。
「《いいや、カイは死んだ。これは事実だ。何故ならカイが死ぬ瞬間まで、私はこの一か月ずっと傍に居たからだ》」
「――……!」
ゼノが目を見開く。セラとエイラは変わらずゼノが一人で喋っているようにしか聞こえないが、先のゼノの言葉で目の前の不可視のそれはカイの死にまつわる何かだと悟っていた。
「メア、話の内容を私に教えてくださいっ!」
「ドライル、貴方もです!」
「う、うん」「……わかった」
その勢い凄まじく、カイという存在がセラとエイラ、もちろんゼノにとってもどれだけかけがえのない存在か伝わってくるものであった。
メア、ドライルによる通訳を経て、セラとエイラも漸く会話に介入できるようになった。
まだ瞳に涙を貯めているセラが叫ぶ。
「カイに、何があったって言うんですか!」
「《……単純に言うならば、ゼノ、お前の予想は正しかったということだ。王都ディスペラードは既にレゾンの手で真っ赤に染められていた》」
「――っ!」
カイとイデアを王都ディスペラードへと送った理由は、そこに冥界による干渉があるかどうかを確かめるためだった。結果的にその懸念は正しかったということだろう。
でも。
「なら、何故カイから連絡が来ない!? 本当に冥界絡みだったのならば、アイツなら――」
「《カイという存在にレゾンが気づいたからだ。……いや、最初から気づいていた。正確には、カイは王都ディスペラードへとおびき寄せられていたんだ》」
「……どういうことだ」
「《『冥界よ、我が魂をあの子の元へ』、このメッセージはレゾンがカイを誘い出すために書いた、自作自演だったという話だ》」
「――……!」
手足が震えそうになる。
今トーデルという銀髪の女の言うことを信じるならば、まんまとカイはレゾンの張った罠にかかったことになる。
そして、その罠に向かわせたのは誰だ。
レゾンの術中にはまってしまったのは。
カイではなく、俺だったというのか。
「《そして、カイはレゾンに人質を取られた。王都ディスペラードに住まう全ての命だ。お前たちならば、レゾンの力の恐ろしさを知っているはずだ》」
そう聞いて、真っ先に思い出すのはメア。対峙して実際にやりあったわけだが、アレは命をまるで玩具のようにしか考えていない。振るった大鎌は命を容易くかき消そうとし、そして召喚された怪物は都市一つを軽々と消滅させてみせた。
大袈裟ではなく、レゾンは国一つを軽々と滅ぼせてしまうだろう。
「《その人質を取られたことで、カイは転移の力と情報漏洩を禁じられた。お前達に連絡できなかったのはその為だ。……そして、カイは同時にあるゲームへの参加を強いられる》」
「ゲーム……」
「《王都ディスペラードでは、夜な夜なとある者達が文字通り命を賭けた戦いを繰り広げていた。レゾンによって仕組まれたバトルロイヤルだ。勝ち残った一人は、死んでしまった愛する者を一名生き返らせることができる。そう、とある者達とは、愛する人を失ってしまった者達のことだ》」
愛しい人を生き返らせるために、他の命を奪えと言うのか。なんて、胸糞の悪いゲームなんだ。……ただ、今もし本当にカイが死んでいたとしたら。その誘惑に果たして勝てるのだろうか。
「《そのバトルロイヤルにカイは強制参加となった。そして、一つ特別ルールが設けられる。カイを殺せば、殺した者は勝ち残らずとも生き返らせることができるというものだ》」
「そんなの……っ!」
再びセラの瞳から涙が零れていく。息子の立たされていた苦境に、涙が止まらない。
「《カイが強制参加となったのはおよそ一か月前。だから、これまで一か月間、カイは深夜に命を狙われ続けたということだ》」
ここ一か月、カイの学業不振が目立つとダリルから連絡は受けていた。寝坊は当たり前で、時折最後まで顔を出さずに休むこともあったという。ダリルから深夜に巡回しているという話も聞いていたから大目には見ていたが、どこかおかしいとは思っていた。
ただそれは、四代名家であるミュー・リリットの死が関係しているとも思った。ダリルからの連絡でもあったそれで、カイはより一層深夜の巡回に力を入れているのではないかと。
本当はちゃんと勉学に励んでほしかったけれど、カイは命を前にして動かない男ではない。カイがそちらを優先するのは当然かとも思っていた。
……くそっ。
ミュー・リリットが亡くなった時点で一度呼び戻せば良かったんだ。何かが王都で起きているという証拠じゃないか。
「《だが、カイはそこから一か月間、誰一人として死傷者を出していない》」
「「「「「――っ」」」」」
「《誰一人殺させることなく、誰一人の命を奪わせることなく、カイは一か月戦い抜いた。自分の命を狙われながらも、傷つきながらも、それでも危ない命を救い続けた。そんなこと、誰が成し遂げられる》」
そして、漸くゼノは気づくのだ。自分のことで精いっぱいで分からなかったけれど。
初めから、トーデルは悲し気な表情を浮かべていた。
ああ、目の前にいるこのトーデルは。
「《カイは、間違いなく希望だった》」
カイの敵なんかじゃない。むしろ、一人で孤独に戦うしかなかったカイにとって唯一の。
心の拠り所だったのか。
「……じゃあ、カイ様はその戦いの過程で――」
「《いや、違う。むしろバトルロイヤルを通して、カイは参加者とどんどん心を通わせていった。本気でカイの命を狙っているのに、最近じゃお互いに楽しそうに戦っていた。まるでカイが参加者に稽古をつけているように。きっと今、心の底からカイを殺したいと思っている人はいない、と私は思っている》」
「なら何で……」
「《その状況をレゾンが良しとしなかったのかもしれない。レゾンは……《冥具》を数名にばら撒いた》」
「「っ」」
メアとドライルが、トーデルの言葉に反応する。
天界でも魔界でも、レゾンは力を欲している者にお小遣いのように《冥具》を譲渡しようとしていた。《冥具》は一つ手に入れるだけで絶大な力を誇り、命を容易く屠ることのできる武器である。そんなものを、レゾンは気軽に配って回る。狂気以外の何物でもない。
「《そして昨日、その《冥具》持ちによる襲撃があった。カイの方には《大剣ハドラ》と《絶白モルグル》の二つを持った者が、そしてイデア・フィールスの方には《真鎖タフムーラス》を持った者が》」
「冥具の二つ所持だと……!?」
「それに、イデアちゃんの方にもなんて……!」
実際に対峙したドライルとメアだからこそ、その恐ろしさを実感していた。
「《《大剣ハドラ》については説明要るまい。……《絶白モルグル》とは、放った凶弾に触れた魂を強制的に冥界に返す《冥具》。魂が身体から抜け出すということだ。それは、事実上の死。抜け出した直後の身体はまだ生命維持機能が働いているが、魂のない身体が長続きすることはない。生きようとする意志が、そこには存在しないのだから。やがて脈動は収まり、身体的にも終わりを迎える。要は、《絶白モルグル》の一撃で死に至るということだ》」
「……カイは、もしかして――」
ゼノは続きが言えなかった。いや、誰もが想像しているだろうに、言葉にはできなかった。
その責任を押し付けるように全員がトーデルを見る。彼女は顔を歪ませていた。まだ昨日の話で、鮮明にあの瞬間が脳裏に焼き付いてしまっている。
言ったのだ。これからのことを考え、転移の力を使えと。お前を失う訳にはいかないのだと。カイを失ってしまうくらいなら、転移を使ってレゾンによる約束破りの罰を全て打ち砕ける可能性に賭けた方がいいと思っていたから。
それなのに……。
少しの間、重たく閉ざされたトーデルの口が開けられる。
「《……《絶白モルグル》を前にカイは奮戦していた。《冥具》二つ持ちを前に何とか持ちこたえていた。だが、相手はあろうことか《絶白モルグル》の銃口をイデアへと向けたのだ》」
「っ、まさか……!」
「《カイは、イデアを庇って撃たれて……そして、死んだんだ》」
あんなイデア、見ていられません。
連絡してきたルーファはそう言っていた。
もし、カイの死にイデアが関わっているのならば。
イデアは今……。
そして、部屋に訪れる沈黙。トーデルとしても話せることは全て話したつもりだった。
そう、カイは死んでしまった。だから、トーデルは今ゼノの元へ来たのだ。
カイがいない今、レゾンを打ち滅ぼせるのはもうゼノぐらいしかいない。
「う、ううぅっ……!」
セラとエイラが床へと崩れる。トーデルがカイの味方だと気づいているからこそ、その言葉に偽りがないのだと分かって。まだこの目で確かめてもいないのに。
カイの死が事実として、心を襲うのだ。
止まらない嗚咽と涙。そんな二人の前にただ立ち尽くすゼノ。
カイなら大丈夫だと思っていた。
けれど、それは単なる無責任。甘えでしかなくて。
その甘えで、カイは死んだ。
俺が、死なせたんだ。
「カイは……本当に死んだのか」
つぅーっとゼノの瞳から流れていく涙。これまで理解できなくて、したくなくて流れて来なかった涙。彼から滴っていく涙の痕が、カイの死を事実だと証明していた。
「……お兄ちゃんが、え、なに?」
その時だった。開けっ放しだった扉から可愛らしい、けれど不安に揺れた声が聞こえてくる。
振り向くとそこにミーアとシーナがいた。両方ともパジャマ姿で、今起きたばかりなのだろう。髪も結われておらず、寝ぐせでところどころ跳ねていた。
ミーアは部屋の中で泣き崩れるセラとエイラを見て、そして涙を流すゼノを見ながら、まるで言い訳のように言葉を吐き出す。
「いや、あの、どたどた廊下を走る声が聞こえたし、それに、お父さんの声もうっすら聞こえたから、何かあったのかなって起きたん、だけ、ど……」
「ミーアっ……」
「う、嘘だよね? 何か、変な言葉聞こえてきたんだけどさ」
そう言いながら、ミーアの瞳に溜まっていく涙。目の前に広がる全員の様子に、不安は確信に変わってしまいそうで。
だから、違うと聞きたくて。
「お兄ちゃんが死んだなんて、嘘だよね……?」
ボロボロと零れだす大粒の涙。
「嘘だよ、お兄ちゃんが死ぬわけないじゃん。だって、だって……!」
悲痛の声が、部屋に響いていく。けれど、誰もその言葉に返せない。
「嘘だと言ってよ、ねぇ! そんな、嘘だ、嘘だ……」
ぺたんと、ミーアも崩れるようにその場に座り、嗚咽とともに顔を覆う。
絶望の、悲しみの証としてあちこちで零れていく涙。どれだけ床に敷かれた絨毯を濡らしても、結果は変わらない。
カイは死んだのだと。
込み上げてくる涙が物語っていた。
「……じゃあ、何でアタシはまだ生きてるんだ?」
その言葉が、放たれるまでは。
その場に居た全員の視線が、声の持ち主へ。
シーナはあっけらかんとした様子で言ってのけた。
「いや、ほら、アタシの心臓ってご主人の魔力の自動供給で補ってるだろ? もしご主人が死んだならアタシの心臓も動かなくなるんじゃないのか?」
シーナは二年前、その心臓をべグリフによって潰された。だが、ミーアの懸命な救助によって何とか事なきを得たのである。その救助方法はカイの魔力でミーアの心臓を作り、自動回復魔法を組み込むことでカイの魔力を常に供給し続ける、というものであった。これは、カイの魔力が転移という空間と空間を自在に飛び回れる性質を有していたから。
「でも、まだご主人の魔力を感じるぞ?」
二年経っても変わらぬ淡い膨らみに、シーナが手を当てる。変わらず心臓は脈動し、そこから温かな魔力が伝わってくる。
誰もが呆然とシーナを見つめていた。見つめながら、ゼノが尋ねる。
「……なぁ、トーデル。死んだら、魔力はどうなる」
「《……死んだ体内に魔力は残らない。魔力は、魂に宿っているものだ》」
魔力は魂に宿る。だからこそ、フィグルの魔力は最終的にイデアへと託された。それにソウルス族が魔力を持ち得ないのもそれが理由であった。ソウルス族は魔力とは別に《セイン》を魂に宿しているため、魔力が宿らないのだ。
シーナの存在に、トーデルもまた目を見開いていた。そして、自分が見落としていたことに気づく。
あの時、彼の身体を借りた時に使用したのは、自分自身の力だった。その為、彼の身体にまだ残っていた魔力に気づくことができなかった。
何というイレギュラー。
魂が冥界に送られながら、魔力はまだ生界の体内に残り続けるなんて。
本来あり得ない事象。だからこそ、これまでこの結論に辿り着けなかった。
だが、目の前のシーナが可能性を広げてくれる。シーナに魔力が送られている以上、その魔力は確かに生界にあるのだ。冥界とはあくまで死の世界。生界とは分かたれた世界であり、冥界から生界への干渉などできないのだから。
そう、だから本来ならばカイの魂も冥界に送られた時点で終わり。
終わりだった。
でも、彼なら。
彼らなら。
一気に頭の中で全ての事象に理由が付けられていく。
事実だと思っていたものが、一気にひっくり返される。
「《……すまない、私はやはり嘘をついていたようだ》」
トーデルの言葉に、全員が顔を上げる。それはまるで懇願のように。祈るように。
薄暗闇の部屋の中、銀髪の髪がどこからか吹いた隙間風に優しく揺れる。その瞳から流れる雫は、カーテンの隙間から漏れ出た陽光に反射して輝いていた。
やはり、という言葉が彼女の気持ちを明らかにしていた。
彼女もまた、信じたくなかったのだ。
そして、無事に否定された。
「《カイは、まだ生きている》」
この場にいる誰もを救うようにトーデルが告げる。彼女の流した涙は、誰よりも眩しく輝きを放っていた。
祈りは、確かに届いていた。
「――くっ、うう、ああっ……!」
その言葉を聞いて、初めてゼノは大声を上げて嗚咽を漏らしたのだった。
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