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5『冥々たる紅の運命』

5 第三章第三十八話「死」

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「《冥竜ドラゴノート》を知っているかな」

 周囲には夥しい数の魔獣が血肉をまき散らして大地を濡らしている。その中をゆっくりと進む彼は、躊躇なく血肉を踏みつけにしていた。

 メリルを背後へ隠しながら、ダリルが目の前の男を睨みつける。

 何故ここまで魔獣がこちらの注意を引くような動きをするのか疑問だった。だからこそ、こちら側は囮だと読んだわけだが、なるほど、この男ならば魔獣に対して統率を取らせることも可能だろう。

 可能だろうが、でも。

「あなたが、何故……何故です! クランツ先生!!」

 魔獣学の教鞭をとるクランツが魔獣の血に体中を濡らしながら、気にすることなくダリル達へと向かって歩いていく。足取りと共に跳ねる魔獣の血が白衣を染め、丸眼鏡も汚れているが拭く様子も見せない。

 無造作に乱れた灰色の髪を搔きながら、クランツは話を続ける。

「白銀の巨竜さ。人智を越えた破壊力を持つ最強の竜だが、奴は決して魔獣ではないと言う」

 近づいてくるクランツに合わせて、メリルと共にダリルは少しずつ後退していった。周囲に沈んでいる魔獣の数は最初に出現していた数の何倍にも増えている。クランツが魔獣を召喚してダリル達へと襲い掛からせたのだ。

 最初は戸惑いこそすれど、クランツが敵だと気づいてから生まれるのは生徒達の安否。

 内部に裏切者がいたとなると、緊急時の動きも全てバレていることになる。そして、魔獣達の囮のような動き。

 間違いなく、クランツ或いはクランツ達の狙いは生徒達の方だった。

「まぁ、魔獣かどうかなど問題ではない。生物は皆等しい。人であろうと魔獣であろうと、竜であろうと根本は変わらない。さて、ダリル先生。何が変わらないと思う」

「問答している暇など、こちらは有していませんよ……!」

 ダリルは既にベルセイン状態で、煌々と赤く燃え上がる剣と大盾を構えている。だが、クランツという男のもつ異様な雰囲気がダリルの足を止める。召喚した魔獣をいくら殺されようと気にする様子もなく、そして、なによりも《冥具》である《冥竜ドラゴノート》の話をしてくる。

 《冥竜ドラゴノート》。天界で国一つを消滅させ、魔界でも他の追随を許さないくらいの魔力を持つレイニーと難なくやり合ったと聞く。その力は《冥具》の中でもトップクラスのはずだ。

 その話を何故クランツがしてくるのか。

「つまらない人だ。だが、まぁだからこそ単調で、御しやすくはあった」

「……何だと?」

「ダリル先生、あなたのお陰で計画がスムーズに進んでいるということだよ。この学園の教師はアドリブに弱い。緊急事態に適応できる力を持ち合わせていないんだ。だが、ダリル先生は違う。緊急事態にテンプレートで的確かつ迅速に対処できる。本当はもっと手間取るかと思っていた予定地点への生徒避難も早々に完了できた。計画も巻きで進むことができた、ということさ。……尤も、あちらではイレギュラーが起きているようで、巻いた分も無駄になっているだろうが」

 クランツがダリルへと低頭する。

「『訓練通りに動けば大丈夫』。あなたのその言葉のお陰で、今生徒達は危険に晒されている。さて、教師になったばかりのダリル先生、今どんな気持ちだろうか?」

「貴様っ……!」

 ダリルの身体が怒りで震える。目の前の男への怒り以上に、まんまと嵌められて生徒を危険に晒している自分の甘さが許せなかった。

 煽りが効いていると見えて、クランツ先生がくっくっと笑う。

「魔獣なんかよりも人の方が余程楽でいい。人は単純だから。怒り、泣き、笑い、怒る。その感情達のトリガーを用意しやすくてさ。要は思い通りに動かしやすい」

 彼が手を空へ向けて開く。すると、その掌に小さく赤い光が漏れ始めた。

「それで話を戻すけど、生物の根本には《魂》が存在する。《魂》がある限りそれは生物であり、《魂》があるからこそ喜怒哀楽があり、五感がある。当然、痛みもだ。だからこそ手懐けることができるわけだが」

 その光から姿を現したのは、小さく赤い雛鳥であった。眠っているのか、目を閉じて動かない。

 何だ、あれは……。

 ただの雛鳥であればどんなにいいか。だが、あの雛鳥から感じる力の波動は。

 ダリルの脳裏をよぎるそれに、クランツが名前を与える。

「そう、この子が《冥竜ドラゴノート》だ」

「馬鹿な……!?」

 すやすやと眠っている手のひらサイズの雛鳥が、国一つを容易く滅ぼせる《冥具》だとでも言うのか。

「僕が扱いやすいように姿を変えてくれたのさ。《冥竜ドラゴノート》も結局魂を持つ生物。喜怒哀楽、五感がある。つまり好みもあり、嫌なものもある。魔獣学とは、そういう相手の性格、習性を大切にしていかなければならないんだ」

 クランツが優しく指先で雛鳥となった《冥竜ドラゴノート》を撫でると、雛鳥も気持ちよさそうに身体を揺らしていた。

「何故、貴様が《冥具》を持っている!?」

「譲り受けたからさ。さぁ、《ドラゴ》」

 クランツに声を掛けられ、眠っていた雛鳥が目を開ける。眠気まなこで周囲を見渡した後、クランツを見つけて嬉しそうに鳴いた後、勢いよく飛びついた。

 瞬間、周囲を照らす紅い光。クランツの身体が光に包まれて見えなくなってしまった。だが、それでも声は聞こえてくる。

「奴の狙いは不明だ。それに、今回の依頼主が何をしたいのかも。でも、《ドラゴ》の存在がそんなのどうでもいいと思わせてくれる。この出会いは運命だ。ね、《ドラゴ》」

 だんだんと光から溢れ出すようにして白銀の翼が飛び出していく。長い尻尾も光から溢れると、次の瞬間光を引き裂くように鋭い爪が姿を見せた。

「僕たちの相性は……最高だ!」

 全身を甲冑のような白銀の鱗で包み、身体は数倍も大きく。丸眼鏡はどこかへ吹き飛んだようで、その双眸は竜のそれとなっていた。





 そこに、《冥竜ドラゴノート》を纏ったクランツが立っていた。





「時間もあまりないだろうが、折角だから披露させてもらおう」

「っ、メリル!」

 バッと背後を振り返ってダリルが手を差し出す。すぐに理解してメリルはその手を強く握りしめ。

「「《ベルセイン・リング!》」」

 彼らがそう叫んだのと、クランツが飛び出したのはほぼ同時であった。





※※※※※

 



「さぁて、そろそろお仕置きも終わりにしてやろうかぁ?」

「ば、かを言う、な……!」

 軋む身体を奮い立たせ、神剣デュランダルを突き立ててどうにか立ち上がる。既に神剣には罅が入り、今にも砕けそうだ。それはカイの身体も同じで、《大剣ハドラ》の一撃を受け続けた身体、特に機械で出来た左腕はほぼ壊れかけで機能不全を起こしてしまっている。それを無理やり魔力で動かしている。

「そうか、お前が向かってくるなら、僕も誠心誠意壊さなきゃな!」

 上空から降下してくるシリウスがまず放つのは《絶白モルグル》。真紅の銃から放たれた凶弾は魔力では防げず、生物に当たった瞬間にその魂を身体から解放する。

 つまり、避けなければ死ぬということだった。

「っ」

 ギリギリで避けたところに、今度は《大剣ハドラ》が振り下ろされる。これも飛び跳ねて避けようとしたが、右足の義足が思うように動かない。先程叩きつけられた影響で壊れてしまったのかもしれない。

「くそっ!」

 神剣デュランダルを魔力で覆い、そしてその魔力を硬質化させる。悪魔族の《リベリオン》の応用である。

「――っ」

 《大剣ハドラ》を受け止めた瞬間、地面に走る亀裂。今のシリウスの膂力は絶大で、片手で振るわれているそれを受け止めることも命がけである。右手首の義手もイカレてしまいそうだ。

 《冥具》は所有者の身体能力を飛躍的に向上させる力を持っている。だが、シリウスの場合はその《冥具》を二つ有していた。単純計算で《冥具》から受ける恩恵は通常の倍。

 今《セイン》を持たず、転移も使用できないカイの力では、シリウスを凌駕できずにいたのだった。ゆえに、王都から離れようと海上に出たのに、《大剣ハドラ》の一撃で吹き飛ばされてここまで来たのである。

 くそっ、ここは一体……。

 周囲の状況を確認したいが、生憎そんな余裕はない。

「早く楽になればいいじゃないか!」

 鍔迫り合いの状態のまま、シリウスがカイの眼前に《絶白モルグル》を突き付ける。

「っ!」

 咄嗟に顔を動かしたのと、その横を凶弾が通過したのは同時であった。そして体勢が崩れて踏ん張りが効かなくなったカイを、《大剣ハドラ》が勢いよく背後へと吹き飛ばす。

 目にも止まらぬ速さで吹き飛んでいき、そのまま闘技場の一つへ激突。闘技場は威力に耐えられずに全壊し、瓦礫と共にカイは地面を何度も跳ねて転がっていった。

「カイっ……!」

 その瞬間を見せつけられて、イデアが黙っていられるはずがなかった。目の前まで迫っていたジョーを置いて、カイの元へと駆け出そうとする。ルーファとカルラ、ザドもまたカイとシリウスの登場に意識をそちらへ奪われてしまっていた。

 その分かりやすい隙をジョーは逃がさない。

 途端、イデア達の足元から突如として《真鎖タフムーラス》が飛び出した。

「っ!?」

 すぐに気づいて避けようとするも真っ先に足へ絡みつき、身動きを取れなくされる。そのまま四肢を縛り、手に持っていた武器も使えなくされてしまう。ルーファの精霊獣も同じように鎖に縛り付けられている。

 気づけばイデア達全員が磔のようにその場に縛り上げられていた。

「これで……形勢逆転か」

「っ――……!」

 全身にどれだけ力を入れても解けることはなく。特にイデアは念入りに《真鎖タフムーラス》に縛られていた。ジョーにとっても想像を超えてくる危険対象はイデアだけなのである。

 ふぅ、と長々とため息をつきながらゆっくりとジョーが体を起こし、先程刻まれた傷に手を当てて、止血を済ませる。傷自体は致命傷に近いものだが、《冥具》の身体能力向上がここでも活きてくる。常人なら動けないような傷でも動くことができるのだ。

「それにしても、あのガキンチョは何だ……?」

 ジョーの視線の先、瓦礫の間に横たわるカイへと飛び掛かるシリウスの姿があった。

「さて、これで終わりだ!」

 《絶白モルグル》から凶弾が二つ、カイへ向けて放たれる。カイの身体は起き上がることなく、そのまま凶弾を受け入れようとしているように見えた。

「……《瞬転》」

 だが次の瞬間、シリウスの目の前には神剣デュランダルを構えたカイが映っていた。突然の状況にシリウスが目を見開く。

 これは決してカイの持つ転移の力ではない。カイは以前、第二次聖戦でエクセロが使用したという空間同士の入れ替え魔法について聞いたことがあったのである。距離に制限があるし、他にも細かくルールがあって使い勝手は難しいけれど。

 この瞬間、確かにシリウスの想定外を生み出していた。

「《天閃!》」

 無防備なシリウスの胴体に光り輝く斬撃を放つ。斬撃は勢いを止めることなくシリウスごと遠くへ奔っていく。

「ぐっ、くぅああああっ!」

 だが、途中で《大剣ハドラ》を振るって斬撃をかき消してしまった。モロに入った一撃ではあるが、致命傷には至っていない。強化された肉体のせいで、内臓まで斬撃が通らないのだ。

 しかし、自分の身体から滴る血を見て、シリウスが苛立ちを見せる。

「お前が、僕如きを傷つけるなんて!」

「はっ、借り物の力でよくそんなに威張れるもんだな……!」

 距離が出来たことで漸くカイは周囲の状況に視線を向けることができた。

 薄々気づいていたが、ここはセインツ魔法学園か。一番巻き込みたくないところに……。

 視線の先には六つの巨大なシールド。その中に教師と生徒がうじゃうじゃ収納されている。そのシールドの外にいる人間が幾らか……。元々爆発音が聞こえてきていたし、何かが起きているのは間違いないらしいが……。

 そして初めて、カイはイデアの存在に気づき、彼女が真紅の鎖に囚われていることに気づいた。

「っ、イデア!」

 その視線がシリウスに苛立ちを収める方法を教えてしまった。

「何か見たことあると思ったら、あいつの妹か!」

 カイの視線を追って、シリウスがイデアを見つけてしまう。容姿こそ変わってはいるが、一度見初めた女が分からないシリウスではなかった。

 途端、彼の脳裏に流れる最高の、最凶のシナリオ。

 下卑た笑みを縛られたイデアへと向ける。

「さぁて、どうするんだぁ!?」



 そして、《絶白モルグル》の銃口も。



「――《瞬転》」

 気づけばカイは唱えていた。空間の入れ替えは、入れ替える内容が空間内で収まっている必要がある。そのため、転移と違って地中の鎖に縛られているイデアを指定することはできない。

 だから、一度自分とシリウスの空間を入れ替えた。突然視界が変わってシリウスが戸惑っている間に、カイは急いで彼女の元へ。あの鎖を断ち切ることができれば……。

「っ、小賢しいんだよ!」

 だが、カイが魔法を唱えるよりも先に、場所を把握したシリウスが再び銃口をイデアへと向ける。

 ……間に合わない。魔法を唱えて鎖を断ち切っても、その途中で凶弾がイデアを襲う。なら、銃弾の空間を別の場所と入れ替えれば……いや、あの銃弾が魔力の影響を受けない可能性だってあるし、それ程の精度をついさっき初めて使った魔法でできるかどうかも分からない。

 魔力でも防げない。本人を動かせないとなると。

 なら、断つためではなく、自分が間に合うように魔法を唱えろ。他力じゃ駄目だ。



 自分じゃないと「絶対」にならない。



 イデアを解放する気かと、行く手にジョーが立ち塞がったが関係ない。

「《カイ、駄目だ! 転移で彼女を救え! まだお前の命が必要なんだ!》」

 脳裏に響くトーデルの声。それでも止まらない。

 トーデル、大丈夫だよ。アイツとのルールを破らなくたって、何とかなる。

 イデアがいる。



「今度こそ、全てを救って世界を変えよう」



 そう言ってくれる彼女がいるから。

 だから俺も、今こんなにも安心して命を賭けられる。

 でも、これから滅茶苦茶辛い思いをさせちまうだろうな……。

「ごめんな、イデア……」

 遠くからイデアへと声をかける。聞こえたかどうかは分からない。ただ、イデアは心配そうな表情で真っすぐにこちらを見つめていた。

 そんな彼女へ申し訳なさそうに微笑む。



 こっちは、任せたぞ。



「《瞬転》」

 カイが唱えたのと、遠くから銃声が聞こえてきたのは同時だった。

「……え」

 イデアは目を見開いた。

 その瞬間、全ての時が止まったかのように音が聞こえなくなる。静寂の中、ただただ視界に広がる現象だけが、イデアにとってこの瞬間の全てであった。

 突然視界一杯に広がったそれは、ゆっくりと傾げ、やがてうつ伏せに倒れていく。世界の時がゆっくりと流れているかのように、一コマ一コマ送られているかのように、彼が倒れていく。

 その姿から、イデアは目が離せない。

「……カイ?」

 うつ伏せに倒れた彼に、声をかける。いつもならどんな時だって「心配するな」と強がりでも言ってくれるのに。

 返ってこない言葉。立ち上がらない身体。どうして、どうしてその姿にこんなにも絶望を感じてしまうのだろう。



 まるで、そこに魂が宿っていないかのようだ。



「どうしたの、ねぇ、カイ!?」

 語気を荒げて叫んでみても、結果は変わらない。

 そこに響く下卑た笑い声。

「ギャハハハハ、アハハハハハ!」

 ゆっくりとシリウスがその手に《冥具》を二つ持って歩いてくる。何がおかしいのか、腹を抱えて笑っている。

「馬鹿だなぁ、他人守って死ぬなんて!」

「……死…?」

「まぁ兄貴なら本望か、妹を守れたんだからさぁ」

「……嘘。死んでない! カイは――」

 シリウスの突き付けてくる言葉が、現実になろうとしているように思えて、必死でイデアは叫ぼうとして、気づいてしまった。



 手元にあるガンブレード型の《セイン》が徐々に消え始めていることに。



 イデアの瞳が光を失う。

 《セイン》の消失。それは、番いの死を意味している。イデアの手にあるガンブレードは結果的にカイの為に作った《セイン》を再構成したもの。カイという番いあってのものだから。

「この銃に撃たれた奴は魂が抜け落ちて死ぬ! そして、そいつはお前を庇って撃たれたんだ!」

 嘘だ。

 嘘だよ。

 カイが死ぬはずない。

 だって、カイはどんな時だって――。

 カイへ視線を落とすイデアへ、シリウスが冷酷に告げる。



「それは抜け殻。もう、死んだんだよ」



 その言葉を証明するように、イデアの手にあった《セイン》が光の泡となって消滅したのだった。
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