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5『冥々たる紅の運命』

5 第三章第三十五話「VSジョー② イデアの魔力」

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「アルデンティファーさん!」

 聞こえてきた声に視線を向けると、イデアの強化したシールドの中から魔法学のエレイズ先生が呼んでいたようであった。

 その視線には圧倒的な心配と恐怖の表情。自分の身が怖いとかではなく、純粋に私の命を心配してくれている、或いは失われてしまうのではという類の恐怖であった。

 今思えば他の先生方も似たような様子で。教師陣の方々がシールドで檻を作られた瞬間に抵抗しなかったのも、変に抵抗することで周りにいたキメラやジョーの怒りに触れて生徒に犠牲が出ないようだったのかもしれない。それがイデアの登場で動揺し、私やカルラ、ザドの登場で我に返ったというところか。

「先生、万が一もあります。皆のことは頼みました!」

 と言っても、イデアのシールドが割られるとも思っていないが。

「ちょ、待ってください!」

 イデアの困惑した声が聞こえてくる。エレイズ先生に目を向けている間に、ザドが再びジョーのいる上空へと飛び出していたのである。

「すみません、ルーファさん、カルラさん、この魔獣達のことは任せました!」

「ちょ、任せたって……!」

 二人で六匹を相手しろと!?

 確かにイデアは六匹+ジョーを相手にしていたわけだが、彼女の場合は十分に常人離れしているだけだ。比較にならない。

「《エナジーズ・ギフト!》」

 言下、漆黒の翼を羽ばたかせて飛び出しながら、イデアが純白の魔弾をルーファとカルラへと撃ち出していた。

「見た目は悪魔族のようだし、可愛い見た目してさては敵だったか!?」

「カルラ、動かない!」

「ご命令とあらば!」

 慌てて避けようとしたカルラだったが、イデアを信用したルーファの言葉に動きを止める。

 そして二人に着弾したイデアの活性の魔力。それぞれの身体能力だけではない、魔力量や魔力コントロールなどあらゆる性能を劇的に向上させていく。

「凄い、これ……!」

「まるで自分の身体じゃないみたいだ……!」

 身体が軽い。冗談ではなく通常状態の三倍くらい強くなっている気がした。
溢れ出る力がそのまま自信へと変わっていく。

 これがイデア・フィールスの力……。

 正直正体こそ分かっていても、実感は湧いていなかった。話してみると普通の人と変わらないし、どこか小動物みたいな感じもあるし。でも英雄の妻だけあって、その実力は桁違いのようだ。味方の能力強化でここまで引き出せる魔法がどれだけ存在しているだろう。

 背を向けて飛んでいくイデアへと叫ぶ。

「後で必ずそっちへ行くわ!」

 ルーファの言葉に、イデアが微笑むのが見えた。

「……で、あの可愛い子ちゃんは誰なんだい。何か親し気だけで、少し妬いちゃうなあ」

「正直説明面倒だから、全て終わった後でいいかしら」

 何故だか膨れっ面しているカルラに構っている暇はない。

 顔一つをイデアに撃ち抜かれてしまったものの、まだ顔は残っているキメラ。変わらず鋭利な爪を光らせていて、純白の翼の向こう側からは尻尾という名の蛇の頭が覗いている。

 野生の本能がそうさせるのか、イデアやザドを追うことなく六匹全てがルーファとカルラを睨みつけていた。

 ただ、今の私達を弱いと思ったなら大間違いね。

「《炎帝・フォルテ》《霊渓・シンフル》《水星・リュート》《風翠・リンレン!》」

 増加した魔力を消費して、一気に全ての精霊獣を召喚する。イデアの活性の能力は甚大で、猫・牡鹿・海豚・大鷲の全てが巨大なキメラと匹敵するくらいの巨躯で生み出されていた。

「こいつは、凄いな!」

 カルラが感嘆の声を上げる。人間の何倍もの大きさを持つ獣十体というのは、何というか壮観であった。

 四体の精霊獣に、キメラ達は警戒してすぐに飛び出してこない。キメラは思考がよく働く魔獣だとジョーは言っていたが、確かに他の魔獣に比べると知性が高いのかもしれない。

 が、キメラは間違っている。



 獣はもう一匹いるのだ。



「来ないならこっちから行くよ!」

 カルラが自身の身体能力を強化させながら前へと飛び出す。その補助魔法の効果はイデアの活性魔法で上昇しており、キメラの反応を置き去りにしてその眼前に迫っていた。

「《ゼロスパイク!》」

 持っていた魔槍を一気に突き刺す。当たる寸前でそのキメラは後方に回避したが、次の瞬間残りの顔一つに大穴が突如開いた。

 《ゼロスパイク》は本来、勢いと魔力を乗せた槍の突きでしかないのだが、イデアの活性の力で増した膂力、そして魔力が上乗せされた結果、直接当たっていないのにも関わらず突風が風穴を開けたのである。

 二つの顔を失ったキメラが地面に崩れ落ちる。だが、直後にはもう起き上がっていた。

「シャアアアアアアアッ!」

 尻尾側の蛇が怒ったようにカルラへ睨みを利かせている。どうやら前面の顔二つだけでなく、尻尾側の蛇も身体を操ることができるようだった。

「しつこいなぁ。けど、今の私達ならやれそうだね、ルーファ!」

「ええ、さっさと終わらせて本命に行くわよ! 《フォルテ、シンフル!》」

 あくまでキメラは前座でしかない。ジョーの方へ行く前に疲弊しても元も子もないのだ。

 早くイデアを助けに行かなくちゃ……!

 ルーファの声に合わせて、キメラ達の足に絡まるように地面から樹木が生えていき。

 そして、巨大になった大猫がキメラへと襲い掛かり始めた。





※※※※※





「ちょっと待ってくださいってば!」

 イデアが背後から大声をかけるも、ザドは無視してジョーへと駆け上がっていく。ザドとしては先ほど散々言いたい放題言われて腹が立っているのだ。

「お前こそ実力を過信しているんじゃないのか!」

「少なくとも美人に待てと言われて待つくらいの分別はついているさ、お前と違ってな」

 ジョーから《真鎖タフムーラス》が無数にザドへと飛び出していく。その全てをどうにか躱しながらジョーの懐に。

「《炎雷疾刀・刹那!》」

 炎、雷、風の全てを使った加速力がそのまま魔力で作り出した刀の切れ味を極限まで向上させる。振るった刀は目の前を塞ぐ鎖を次々と斬り裂いていき、そのままジョーへと突き進んでいく。

「実力とは何も腕っぷしを指しているわけじゃない」

 だが、その眼前まで迫ったところで、ザドの身体が完全に動かなくなってしまった。

「……!?」

「人生の積み重ねだ。経験が実力に現れるのさ。何も考えずに戦えばお前の方が強いのかもしれない。しかし、だ。仮にお前を今年で二十歳とするならば、俺は今年で四十五だ。お前が生きてきた以上の経験を俺はしている」

 いつの間にかザドの左足首に真紅に染まった鎖が繋がれていた。ジョーは最初からばら撒いた鎖は避けさせるつもりで、懐まで誘導していたのである。

 ザドはどうにか身体を動かそうとするが、指一本も動かなかった。

「分かるか、俺は悪魔や天使共の奴隷時代から生きている。あの時代は生き残るためには泥水だって啜らなきゃいけなかった。必要だったのは我慢と切り抜けるための知恵さ。そういう意味で、下にいる先公はよく我慢している。その我慢がガキ共の命を左右することが良く分かっているのさ。……ま、ただビビっているだけかもしれないが」

 ジョーが裾を捲って右の拳を出す。その拳にどんどん魔力が溜まっていった。

「それに比べお前は何だ。我慢も出来ず、自分の力を過信し、こうして今成す術もなく俺の前で無防備を晒している」

「っ……!」

 溜まりきった魔力が、ジョーの拳を赤黒く変色させる。圧縮された魔力量が、一撃の重みを物語っていた。

「さあ、お前も我慢してみろよ」

 そして振るわれる、ジョーの拳。

 くそっ、くそっ……! 

 我慢していない、だと? ふざけるな、何も知らないくせに……!

 蘇るあの日からの十二年間。今日という日だって。



 我慢していない日なんて、一度もなかったんだ。



 必死の抵抗も意味なく、ザドの眼前へと拳が迫る。

 直前に、純白の魔弾がザドの身体を直撃した。

 ジョーの視界の隅にイデアの姿が見える。ジョーの身体へと向かってくる攻撃へは意識を向けているが、この魔弾は最初からジョーを狙ってはいなかった。それに、今のザドへは何をしたところで身体を動かすことはできない。何をしたところで意味はなかった。もしかすると防御魔法の類かとも思ったが、それならそれで加減は必要なくなったと思えた。

 だからこそ、意識的に見逃したイデアの一撃。



 ザドは、自らの刀で繋がっていた鎖を断ち切っていた。



「なにっ」

 ジョーが初めて驚きを見せた瞬間だった。確かにザドは鎖に繋がれて身体を動かせないはずだった。実際、先程までは動かそうにも動かせない、そんな様子を見せていた。会ったばかりだが、あの性格上演技ができるようには思えない。

 つまり、ザドが動けるようになったのは。

 《真鎖タフムーラス》の能力が無効化されたのは。

 イデアの放った魔弾が原因であった。

 あの時、あの嬢ちゃんが動けたのは間違いでも何でもなかったということか!

 驚くジョーの拳が振るわれるよりも先にザドが刀を振るっていた。

 鎖と共にジョーがザドから飛び出すように離れる。

「……これは、経験したことがないな」

 ジョーから流れていく大量の血。

 その右手首から先は切断されていた。

「参ったな、どうも。報酬は倍額請求しないと割に合わなそうだ」

 苦笑気味に言うジョーの前で、ザドは驚いたように自分の身体を見ていた。

 先程は指一本動かすことができなかったというのに、嘘みたいに溢れ出していく力。

「待ってくださいと、言ったんです」

「お前……」

 空中に魔力を張って立っていたザドの横にイデアが現れる。

 イデアは自身の魔力が、《冥具》の能力を受け付けないことを理解していた。

 魔界でギャズと戦った時もそうだ。ギャズの持っていた《霊命ケルビエル》は攻撃に触れたものを例外なく凍り付かせる能力であった。凍ってしまえば解けることはなく、凍結は止まることなく身体を蝕んでいき、やがては命を冥界へと返す。

 だが、凍ってしまったエイラをイデアは自身の魔力で回復させることができたのだ。

 その時も、今回もイデアは理解していた。

 魔法学のエレイズ先生が言っていたように、魔法とは自由で、想像力が大切。

 そのイデアの想像に、彼女の持つ魔力は必ず答えてくれるのだと。

 少しの間ザドはイデアを見つめていたが、やがてジョーの方を向いた。

「……礼は言わん」

「構いません、ですが聞いてください。あの人は手練れです。一人じゃ――」

「イデア・フィールスだな?」

「っ」

 ザドのそれは直感だった。だが、イデアの驚いた表情で確信に変わる。夫婦そろって驚きを隠せるタイプではないらしい。まぁ、カイ・レイデンフォートが王都にいるとなるとイデア・フィールスがいてもおかしくない。それに悪魔族のような見た目、カイ周りだと考えると不思議と納得することができるのであった。

 しかし、どこかで会ったことがあるのは気のせいだろうか。

 実際は気のせいではなく、ザドは一度シャーロットを背負って寮部屋を訪れた時に一度出会っているのだが、現在の容姿のせいか、そことは結び付けられないのであった。

 ザドの問いが、イデアの我慢していた感情に触れる。

「……私も尋ねていいですか。ミューさんを殺したのは貴方なのですか」

 その声は、答えを聞く前から沈んでいて。

 ザドは変わらず前を向き、イデアの方へ視線は向けない。だが数秒後、答えるときだけはイデアを見て言い切った。

「そうだ、俺がミュー・リリットを殺した」

「っ」

 気づけばイデアはザドの頬を平手打ちしていた。パチンと乾いた音が響く。

「許さない――っ!」

「……」

 イデアの怒りの籠った瞳に、カイの時とは違った感情を読み取り、ザドはその瞳から目を逸らさない。カイはどこか命を奪うという行為に怒っていたように思った。だからこそ、偽善だと思ったのだ。お前の方こそ命を奪っているではないかと。

 けれど、イデアのそれはミューを失った悲しみから来ている怒りで。どうしてだか、彼女に言葉を返せない。

 怒りによる興奮なのか、それを抑えようとするものなのか、イデアが肩を震わせて呼吸をする。その紅く細長い双眸からは今にも涙が零れそうで。

 分かっている。許されないことをしていると、もちろん理解している。このような視線を、言葉を受けることも。

 それでいい。俺は罪人だ。



 そして罪人だからこそ、おまえの罪も俺が背負ってやれるはずだ。

 

 たとえ世界に、おまえに嫌われたとしても。

 俺は……。

「美人をそこまで怒らせるとは、ますますどうしようもない男だな」

「……っ!」

 その言葉にイデアとザドはすぐさま視線を向けた。視線の先で、ジョーは切断された右手首に鎖を巻き付けて止血を終えようとしているところだった。

「悪いな、止血するの待っていてくれたんだろ」

「まさか。……弱ったフリして誘っていたのでしょう?」

 目尻の涙を拭いながら、淡々とイデアが言う。

「何だ、お見通しだったか。相手が負傷した時ほど畳みかけたくなるものだからな」

 言下、ジョーの周りを蠢く鎖達にジョーの魔力が流れていく。

「この鎖の効果が使えないとなると、戦い方を変えるしかない」

 ジョーの両腕に真紅の鎖が巻き付いていき、失った右拳には代わりのように鎖が何重にも巻き付いていた。腕だけではなく足もレザーコートの中も。まるで防具のように鎖が重なっていた。そして、その全てに赤黒く力が流れ続けている。

「ここからはもっと俺らしく戦うことにしよう」

 これまで鎖をメインに動いていたジョーだが、イデアは一度硬質化しながら受けたから分かる。

 ジョーの戦闘スタイルは元々格闘型なのだと。

「行くぞ」

 空中で構えたかと思うと、次の瞬間イデアとザドの眼前には拳が広がっていたのだった。
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