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5『冥々たる紅の運命』
5 第三章第三十話「嵐の前のノック」
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「今お時間よろしいですか?」
「……何よ」
昼休み、昨日に変わらず訪問したイデアを少し目を伏せながらルーファが見る。どちらかというと嫌そうというより、顔を合わせにくそうというか。
相変わらず二人の絡みが想像できない周囲としては、またもやどこか緊迫した面持ちで見ているものの、昨日に比べると二人が醸し出す雰囲気は柔らかくなっているように思われた。
イデアが柔らかく微笑みながら、可愛い桃色の布に包まれたお弁当を持ち上げる。
「一緒にお昼ご飯でもどうかなと思って!」
「……嫌よ、何であなたと――」
「昨日赤裸々に話した仲じゃないですか。どうします、ここで一緒に食べますか? 多少周りに聞かれて困る話もありますけど、ルーファさんがそれで良いと言うなら……」
何より一番困るのはそっちじゃない……!
フィグル・イルミルテンはイデア・フィールスである、なんて絶対聞かれたら困るはず。他国の王女が潜入してきているなんて、間違いなく国際問題だろう。それなのに、あの態度。流石は王族ということなのだろうか。引くことなく堂々としている。
いっそ、ここでバラシてやろうかしら。
あなたが思うように動くとは思わないことね!
「さっさと行くわよ!」
気持ちとは裏腹にルーファは席を勢いよく立ちあがっていた。
客観的に見るとルーファの方が相手に対して効果的な切り札を持っているわけだが、生憎ルーファからすれば昨日の最後、イデアに聞かれてしまった告白の方がよっぽど人質としては大きい。
エグウィス・ディスペラードのことがずっと大好きだった。
これまで誰にも言わず隠してきた気持ち。自分にも嘘をついて隠してきた気持ちをイデアに聞かれてしまった。
隠していたからこそ、ルーファは自身の恋の話に耐性があるわけではない。万が一にも周りに人がいる学級で言われでもしたら……。
それを分かっていてイデアはきっとルーファを誘っている。可愛い見た目して結構悪い子ね。
足早に教室を出て行くルーファを、イデアも急いで追いかけていく。
今日こそは、カイに起きている出来事を聞くんだ。
昨日はあの後、落ち着いたルーファがすぐに訓練場を飛び出して行ってしまったのだ。
「~~~~~っ!」
急に突き飛ばしたかのように離れたかと思ったら、顔を真っ赤にし、何か言いたげに口をパクパク開いていたが、結局何を言おうとしていたのだろう。
そこについても聞けたらいいなと思いながらついていくと、ルーファが向かったのはグリフォンの厩舎であった。校舎から結構離れていて、人通りも少ない。もう餌やりを終えた後なのか、餌当番もいないようである。
厩舎にいるグリフォンに目を向けると、食べ終わった後なのか地面に伏せて眠っていた。ルーファは優しく微笑んでグリフォン達を見た後、少しの溜息と共に草っぱの上に腰を下ろした。
「それで何が聞き――……というか、あなたは王女様なんですものね。敬語で話した方がいいかしら」
イデアも腰を下ろして苦笑しながらお弁当を開く。今日は外で食べると思って用意しておいた、『私の好きな物ばかり弁当』である。料理を母シャルや義母セラに習っていて良かった。
「いえ、いつも通りで構いません。ここではフィグルですし、王女としてじゃない私の友達ってそんなに多くないので、嬉しいです!」
「友達って……あなたね、これでも私は昨日あなたを散々攻撃したわけだけど」
「あれはルーファさんの気持ちをちゃんと理解できていなかった私も原因ですから。……もしかして友達、嫌、ですか?」
少ししゅんとした様子でイデアがルーファを見る。何だろう、さっきまでは堂々としていたというのに、今度はどこか庇護欲がくすぐられるような。
先程は悪い女と形容したけれど、罪な女でもあるのか……。
イデアは今、無意識のうちに友達を求めている。それはミューの死も起因していた。友達になれそうだと思っていたのに、間に合わなかった原因をイデアは自分の積極性に感じていたのである。遠目からの挨拶や廊下ですれ違った時の少しの会話でイデアは満足してた。だが、もしもっと積極的にミューと関わることができていたら、結末は変わっていたのかもしれない。
友達になり得た相手を失ってしまったからこそ、イデアは無意識に友達を求め、友達観は以前よりも柔らかくなっていた。
まるで小動物のような様子に、ルーファは迷うように眉間にしわを寄せ、やがてはそっぽを向いてしまった。
「ふん、友達と呼びたかったらそう呼べばいいじゃない。結局呼称に意味なんてないのよ」
「んー、友達と言われたら心が温かくなる気がしませんか。言葉には心を動かす力があるんです」
「そんなの……分かってるわよ」
言葉には力がある。それを分かっているからこそ、伝えられなかった想いがあるのだから。
ボソッと呟いた言葉はイデアには届いていなかったようで、首を傾げていた。
「ん、何ですか?」
「何でもないわ」
「そう、ですか……。でも、じゃあ遠慮なく友達として接しさせていただきます!」
「……」
嬉しそうにはにかむイデアを見ながら、成程これはカイ・レイデンフォートの結婚相手だと納得することができた。他者を惹きつけるというか、巻き込むというか。
傍に居る人を魅了することに長けた二人が夫婦になった、ということだろう。
或いは、それが王族というものなのだろうか。
脳裏に浮かんだ彼の姿に愛しさと悲しさ、寂しさを覚えつつ、持ってきた弁当に手を付ける。最近元気のなかった自分を気を使ってくれたのか、今日はルームメイトが弁当を作ってくれた。ルーファの好きな物がてんこ盛りである。
「で、何が聞きたいのよ」
「それは、もちろんカイのことです」
ルーファにはバレているから、カイをそのままの名で呼ぶ。やはりカイのことはカイと呼びたい。
「ここ一か月、カイの様子がおかしいのです。学園もかなりの頻度で遅刻するか欠席します。一か月前、それこそミューさんが亡くなってしまってから。きっとあの前後に何かが会ったんじゃないかなって。そして、ルーファさんがその何かを知っているんじゃないかと」
「……」
「カイに聞いてみたら実際、隠し事をしているって言ってました。何かあるのは確かなんですが、それが何なのか……。ですから、もし心当たりがあれば教えてほしいです」
イデアの言葉を聞きながら、ルーファはその一か月前とやらを思い出していた。
確かに何かはあった。あったけれど、正直よく分かっていないことの方が多い気もする。何と言っていいものやら。分からないから、これまで公言することもなかったのである。
……正確には王族の生き残りがいて、エグウィスの想いを果たせないことに絶望していたから、何もかもをどうでもいいと思っていただけだが。
でも、イデアの真剣な目を見て、ため息をつきながらルーファが口を開く。
「……意味不明だろうけれど、それでもいいなら」
「っ、是非お願いします!」
身を乗り出して、イデアがルーファの言葉を待つ。
どこから話していいか分からないから、あの日の出来事を最初から話していくことにした。
ミュー・リリットの死から始まった四大名家同士の疑心。ルーファとカルラはシリウス・セヴァンがミューを殺したと思っていたし、シリウスは逆にルーファがミューを殺したと思っていた。
結果からどちらでもなかった訳だが、当然殺人鬼だと思っている相手の話を信じることはなく、シリウスとの戦闘へ発展。その途中に登場したのがカイ・レイデンフォートだった。
「何かと戦っている様子だったけれど、少なくとも私の眼には映っていなかった」
「戦っていた……」
「そういえば、左眼が赤く光っていたかもしれないわ」
「……」
カイの左眼は義眼だ。悪魔化していた以前なら紅く光っていても変じゃないけれど、今だとすると……。
イデアが顎に手を当てて何かを考えているようだったが、話を続ける。
突如介入したカイに気を取られ、カルラがやられてしまうが、状況は更に混迷を極めていく。
シャーロット・アンバインの登場である。
「……!」
その名を出した時、イデアが目を見開いた。
そういえば、シャーロットと彼女は同部屋で仲良しなんだったか。となると、これからの話を聞かせるのは酷かもしれない。
だが、イデアは驚きながらも、動揺はしていなかった。
イデアも分かっていたのである。あの日、シャーロットはいつの間にか部屋におらず、探しに行こうと思ったら彼女の想い人であるザドに背負われて帰ってきた。
確かにあの日、シャーロットにも何かがあったのだ。
「……続けてください」
ふぅと息を吐いて、イデアが覚悟を決める。その様子に、ルーファも躊躇わずに続きを話した。
シャーロットは誰がどう見ても正気ではなく、獣のような咆哮を放ちながら鋭利な爪と牙でシリウスの私兵を殺していた。
そして、そこにこれまた突如現れるザド・リダルト。何もいなかったはずの場所に急に出てきたザドは、シャーロットに何度も呼びかけながらその蛮行を止めるべく動いていた。
最終的にはカイとルーファ、ザドでどうにかシャーロットを眠らせ、カルラの手当のために一度ルーファの実家近くまで寄ったのである。
そして、そこで衝撃の事実が明かされたのだ。
「ミュー・リリットを殺したのは、ザド・リダルトって話らしいわ」
「……え?」
シャーロットの暴走すら理解の範疇にはなかったけれど、その事実を受け止められるだけの余裕が、今のイデアにはなかった。
ずっと考えていた。誰がミューを殺したのかと。彼女の未来を奪った殺人鬼は誰なんだと。
それが、ザド・リダルト……?
シャーロットが好きな、あのザド・リダルトだというのか。
そんなのって、そんなのって……。
「う、うぅ……」
込み上げてくる感情があまりに複雑すぎて頭を抱えてしまう。気持ちがぐちゃぐちゃで涙も出てしまいそうだ。
シャーロットはミューを殺した相手を好いている。そんな人と結ばれてほしいと私は思えない。
思えないけれど。
「本人がそう言っていたわ。勿論現場を見たわけじゃないから、確定情報ではないけれど」
そう、ザドとシャーロットにはきっとこちらの知らない繋がりが存在している。ザドが必死にシャーロットの殺人を止めようとしたこととか、寮の部屋まで送り届けてくれたこととか。
確定まで至らない。まだ、知らないことがあるのは間違いなかった。
「正直よく分からないけれど、ザド・リダルトとミューは何かのゲームに参加していたみたい。その過程で殺し合った風に話していたわ。お互い了承の上で命を賭けて戦っているみたいな」
「ゲーム……」
「私が知っているのは、それぐらい。後はカイ・レイデンフォートの登場に思考が全部持っていかれちゃったわ」
話すことに集中しすぎて、折角のお弁当が全然進んでいないことに気づいてルーファは箸をすすめた。一方でイデアが動き出すことはない。
今得た情報があまりに重くて、思考が上手く回らない。
シャーロットが化け物になった。
ザド・リダルトがミューを殺した。
前に進みたくて聞いていたのに、情報が心を重くして動けなくしてくる。
それでも、何となくわかったことがある。
カイはきっと、そのゲームとやらに参加してるんだ。
ゲームの内容はよく分からないけれど、きっと一か月前まで頻発していた不審死に繋がっているのだろう。それが、カイの参加によってここ一か月起きていないんじゃないだろうか。
不審死は元々冥界絡みだろうと予想は立てられていた。ということは、冥界に関係するゲームに参加して、カイは今イデアの知らないところで戦っているということだ。最近のカイが日中行動できないのは、そのゲームが深夜に行われているからだと仮定できる。
カイがそれを隠しているのは、隠さざるをえない事情があるから。伝えることができないのは、何か伝えてはならない事情があるから。
カイが一人戦っている。それを理解して、自分だけがここで足踏みしているわけにはいかない。気持ちはまだ重くて辛いけれど、動き出さなきゃもっと辛いだけだ。
「ありがとう、ございました……」
顔を上げて、ルーファに礼をする。きっと酷い顔をしているだろう、ルーファも少し困ったような表情をしていた。
「……大丈夫なの?」
「大丈夫、とは言えませんが、知れて……良かったです。それに、このことを誰にも伝えないでくれて、ありがとうございます」
もしカイやイデアのこと、それだけじゃなくてシャーロットのことも話されていたら、彼女はきっともう普通の生活を送れなかっただろう。
「分からないことだらけなのに、周りに伝えたって混乱させるだけじゃない。第一、前までの私にはそっちのことを考える余裕がなかっただけよ」
イデアが熟考している間に、弁当を食べきったようでルーファが容器を布で包んでいく。
「それで、どうするの」
「え?」
「私の話は終わり。話を聞いたうえで、次にどうするのって聞いているの。こんなに訳分かんない状態で放置されてもモヤモヤするだけだし、私も何か協力するわ」
「ルーファさん……!」
「ただし!」
ビシッとこちらを指差してくるルーファ。
「あなたとカイ・レイデンフォートがこの王都へ来た理由を教えなさい。まさか侵略じゃないでしょうけど、分からないままじゃ協力だってできないわ」
「それは……確かにそうですね」
逡巡するが、ルーファはもうこちらの正体を知っているし、言っても構わないだろう。
「実はですね……」
イデアがこれまでの事情を話していく。結局話ばかりで、イデアの『私の好きな物ばかり弁当』に手を付ける暇は
ないのだった。
※※※※※
「はぁ~……」
教室の机に突っ伏しながら、シャーロットはため息をついた。周囲は昼休みで楽しそうに過ごしているが、今はその元気な声が喧しく聞こえてくる。
フィグルちゃん、どうしたんだろう……。
ここ最近、彼女が一緒にお昼を食べてくれない。というか、昼休みにどこ行っているのか分からないのだ。
昨日も「一緒に食べましょう!」と声をかけたら、「すみません、行くところがあるので」と行って、止める暇もなくどこかへ行ってしまった。
もしかして、避けられてる……?
そんな悲しい想像が頭の中に展開されるが、彼女に限ってはないだろう。だって、あんなにも良い子なのだから。
もしかしたら、お兄さんのことで悩んでいるのかな。最近、全然学園で会わなくなったし、もしかして少し不登校気味?
「それならそれで、相談してくれたら良いのに……」
昼休みが終わりの予鈴がなる。喧しかった声も徐々に大人しくなっていき、次の授業の先生が教室に入ってきていた。
戻ってきたら、フィグルちゃんに聞いてみようかな。
机に伏せながら、窓の外に広がる景色へと目を向ける。学園自体はかなり敷地が広く、王都の街並みは遠くに見えた。
……今日は鳥さんが多いなぁ。
王都郊外の上空に黒い鳥の群れのようなものが見えた。
いいなぁ、鳥になれたら、きっと悩みなんてないんだろうなぁ。頭の中空っぽで過ごせそう……。
ボケーっとその様子を眺めるシャーロット。自分が授業の準備をしていないことに気づかず、後ほど恥をかくことになるのだった。
※※※※※
コンコンコン。コンコンコン。
急に聞こえてくる喧しい音に、カイの意識が夢から引き戻される。
コンコンコン。
折角、イデアとイチャイチャする夢を見てたって言うのに。ったく、どこのどいつだ、何時だと思ってるんだ。
時間帯は十三時を過ぎ、五時限目が始まるタイミングだった。閉められたカーテンの隙間から明るい日差しが入り込んできている。
コンコンコン。
あー、うるせえ。
執拗なノックに嫌々カイはベッドから出た。あの後寮に帰って風呂入って寝たのが六時くらいで、七時間しか寝れていない。……いや十分か。でも、日々の戦闘で体が疲れているのでもっと寝足りないのだ。
ファイか? 全く学生の本分なんだから、授業はしっかり出なきゃダメだろ。
コンコンコン。
……ここまで来たら、急に扉を開けて驚かせてやる。
気配を消し、扉の前まで移動して覗き穴から相手を確認する。
……ん?
眠たくて寝ぼけているのかと思って目を擦るけれど、生憎相手は変わらず。
どうして、アンタが……。
理由は分からないが、どうしてかあまり良い理由に思えなくて。
よし、居留守を使おう。
気配を殺して、忍び足でベッドに向かおうとした。
その時だった。
キンッと僅かに甲高い音がしたかと思うと、鍵をかけてあるはずの扉が開き始めた。開かないように施されていたはずの金具は、鋭利な刃物に切断されたように真っ二つになっていた。
開いた扉の先で、彼女が笑う。
「居留守は感心しないな。こんなにも君に会いたくてノックしているというのに」
「……ノックして反応なかったら帰るのが礼儀ってもんだぜ。風紀委員長なんだろ」
「私と君の仲じゃないか」
カルラ・レスロットが当然のように部屋の中に入り、カーテンを全開にする。急な日光にカイは目を細めた。
その光を背にして、カルラが言った。
「ほら、今日はこんなにも良い天気だし、少し外でお茶でもどうだい」
風紀を乱す気満々で彼女は穏やかに微笑していた。
「……何よ」
昼休み、昨日に変わらず訪問したイデアを少し目を伏せながらルーファが見る。どちらかというと嫌そうというより、顔を合わせにくそうというか。
相変わらず二人の絡みが想像できない周囲としては、またもやどこか緊迫した面持ちで見ているものの、昨日に比べると二人が醸し出す雰囲気は柔らかくなっているように思われた。
イデアが柔らかく微笑みながら、可愛い桃色の布に包まれたお弁当を持ち上げる。
「一緒にお昼ご飯でもどうかなと思って!」
「……嫌よ、何であなたと――」
「昨日赤裸々に話した仲じゃないですか。どうします、ここで一緒に食べますか? 多少周りに聞かれて困る話もありますけど、ルーファさんがそれで良いと言うなら……」
何より一番困るのはそっちじゃない……!
フィグル・イルミルテンはイデア・フィールスである、なんて絶対聞かれたら困るはず。他国の王女が潜入してきているなんて、間違いなく国際問題だろう。それなのに、あの態度。流石は王族ということなのだろうか。引くことなく堂々としている。
いっそ、ここでバラシてやろうかしら。
あなたが思うように動くとは思わないことね!
「さっさと行くわよ!」
気持ちとは裏腹にルーファは席を勢いよく立ちあがっていた。
客観的に見るとルーファの方が相手に対して効果的な切り札を持っているわけだが、生憎ルーファからすれば昨日の最後、イデアに聞かれてしまった告白の方がよっぽど人質としては大きい。
エグウィス・ディスペラードのことがずっと大好きだった。
これまで誰にも言わず隠してきた気持ち。自分にも嘘をついて隠してきた気持ちをイデアに聞かれてしまった。
隠していたからこそ、ルーファは自身の恋の話に耐性があるわけではない。万が一にも周りに人がいる学級で言われでもしたら……。
それを分かっていてイデアはきっとルーファを誘っている。可愛い見た目して結構悪い子ね。
足早に教室を出て行くルーファを、イデアも急いで追いかけていく。
今日こそは、カイに起きている出来事を聞くんだ。
昨日はあの後、落ち着いたルーファがすぐに訓練場を飛び出して行ってしまったのだ。
「~~~~~っ!」
急に突き飛ばしたかのように離れたかと思ったら、顔を真っ赤にし、何か言いたげに口をパクパク開いていたが、結局何を言おうとしていたのだろう。
そこについても聞けたらいいなと思いながらついていくと、ルーファが向かったのはグリフォンの厩舎であった。校舎から結構離れていて、人通りも少ない。もう餌やりを終えた後なのか、餌当番もいないようである。
厩舎にいるグリフォンに目を向けると、食べ終わった後なのか地面に伏せて眠っていた。ルーファは優しく微笑んでグリフォン達を見た後、少しの溜息と共に草っぱの上に腰を下ろした。
「それで何が聞き――……というか、あなたは王女様なんですものね。敬語で話した方がいいかしら」
イデアも腰を下ろして苦笑しながらお弁当を開く。今日は外で食べると思って用意しておいた、『私の好きな物ばかり弁当』である。料理を母シャルや義母セラに習っていて良かった。
「いえ、いつも通りで構いません。ここではフィグルですし、王女としてじゃない私の友達ってそんなに多くないので、嬉しいです!」
「友達って……あなたね、これでも私は昨日あなたを散々攻撃したわけだけど」
「あれはルーファさんの気持ちをちゃんと理解できていなかった私も原因ですから。……もしかして友達、嫌、ですか?」
少ししゅんとした様子でイデアがルーファを見る。何だろう、さっきまでは堂々としていたというのに、今度はどこか庇護欲がくすぐられるような。
先程は悪い女と形容したけれど、罪な女でもあるのか……。
イデアは今、無意識のうちに友達を求めている。それはミューの死も起因していた。友達になれそうだと思っていたのに、間に合わなかった原因をイデアは自分の積極性に感じていたのである。遠目からの挨拶や廊下ですれ違った時の少しの会話でイデアは満足してた。だが、もしもっと積極的にミューと関わることができていたら、結末は変わっていたのかもしれない。
友達になり得た相手を失ってしまったからこそ、イデアは無意識に友達を求め、友達観は以前よりも柔らかくなっていた。
まるで小動物のような様子に、ルーファは迷うように眉間にしわを寄せ、やがてはそっぽを向いてしまった。
「ふん、友達と呼びたかったらそう呼べばいいじゃない。結局呼称に意味なんてないのよ」
「んー、友達と言われたら心が温かくなる気がしませんか。言葉には心を動かす力があるんです」
「そんなの……分かってるわよ」
言葉には力がある。それを分かっているからこそ、伝えられなかった想いがあるのだから。
ボソッと呟いた言葉はイデアには届いていなかったようで、首を傾げていた。
「ん、何ですか?」
「何でもないわ」
「そう、ですか……。でも、じゃあ遠慮なく友達として接しさせていただきます!」
「……」
嬉しそうにはにかむイデアを見ながら、成程これはカイ・レイデンフォートの結婚相手だと納得することができた。他者を惹きつけるというか、巻き込むというか。
傍に居る人を魅了することに長けた二人が夫婦になった、ということだろう。
或いは、それが王族というものなのだろうか。
脳裏に浮かんだ彼の姿に愛しさと悲しさ、寂しさを覚えつつ、持ってきた弁当に手を付ける。最近元気のなかった自分を気を使ってくれたのか、今日はルームメイトが弁当を作ってくれた。ルーファの好きな物がてんこ盛りである。
「で、何が聞きたいのよ」
「それは、もちろんカイのことです」
ルーファにはバレているから、カイをそのままの名で呼ぶ。やはりカイのことはカイと呼びたい。
「ここ一か月、カイの様子がおかしいのです。学園もかなりの頻度で遅刻するか欠席します。一か月前、それこそミューさんが亡くなってしまってから。きっとあの前後に何かが会ったんじゃないかなって。そして、ルーファさんがその何かを知っているんじゃないかと」
「……」
「カイに聞いてみたら実際、隠し事をしているって言ってました。何かあるのは確かなんですが、それが何なのか……。ですから、もし心当たりがあれば教えてほしいです」
イデアの言葉を聞きながら、ルーファはその一か月前とやらを思い出していた。
確かに何かはあった。あったけれど、正直よく分かっていないことの方が多い気もする。何と言っていいものやら。分からないから、これまで公言することもなかったのである。
……正確には王族の生き残りがいて、エグウィスの想いを果たせないことに絶望していたから、何もかもをどうでもいいと思っていただけだが。
でも、イデアの真剣な目を見て、ため息をつきながらルーファが口を開く。
「……意味不明だろうけれど、それでもいいなら」
「っ、是非お願いします!」
身を乗り出して、イデアがルーファの言葉を待つ。
どこから話していいか分からないから、あの日の出来事を最初から話していくことにした。
ミュー・リリットの死から始まった四大名家同士の疑心。ルーファとカルラはシリウス・セヴァンがミューを殺したと思っていたし、シリウスは逆にルーファがミューを殺したと思っていた。
結果からどちらでもなかった訳だが、当然殺人鬼だと思っている相手の話を信じることはなく、シリウスとの戦闘へ発展。その途中に登場したのがカイ・レイデンフォートだった。
「何かと戦っている様子だったけれど、少なくとも私の眼には映っていなかった」
「戦っていた……」
「そういえば、左眼が赤く光っていたかもしれないわ」
「……」
カイの左眼は義眼だ。悪魔化していた以前なら紅く光っていても変じゃないけれど、今だとすると……。
イデアが顎に手を当てて何かを考えているようだったが、話を続ける。
突如介入したカイに気を取られ、カルラがやられてしまうが、状況は更に混迷を極めていく。
シャーロット・アンバインの登場である。
「……!」
その名を出した時、イデアが目を見開いた。
そういえば、シャーロットと彼女は同部屋で仲良しなんだったか。となると、これからの話を聞かせるのは酷かもしれない。
だが、イデアは驚きながらも、動揺はしていなかった。
イデアも分かっていたのである。あの日、シャーロットはいつの間にか部屋におらず、探しに行こうと思ったら彼女の想い人であるザドに背負われて帰ってきた。
確かにあの日、シャーロットにも何かがあったのだ。
「……続けてください」
ふぅと息を吐いて、イデアが覚悟を決める。その様子に、ルーファも躊躇わずに続きを話した。
シャーロットは誰がどう見ても正気ではなく、獣のような咆哮を放ちながら鋭利な爪と牙でシリウスの私兵を殺していた。
そして、そこにこれまた突如現れるザド・リダルト。何もいなかったはずの場所に急に出てきたザドは、シャーロットに何度も呼びかけながらその蛮行を止めるべく動いていた。
最終的にはカイとルーファ、ザドでどうにかシャーロットを眠らせ、カルラの手当のために一度ルーファの実家近くまで寄ったのである。
そして、そこで衝撃の事実が明かされたのだ。
「ミュー・リリットを殺したのは、ザド・リダルトって話らしいわ」
「……え?」
シャーロットの暴走すら理解の範疇にはなかったけれど、その事実を受け止められるだけの余裕が、今のイデアにはなかった。
ずっと考えていた。誰がミューを殺したのかと。彼女の未来を奪った殺人鬼は誰なんだと。
それが、ザド・リダルト……?
シャーロットが好きな、あのザド・リダルトだというのか。
そんなのって、そんなのって……。
「う、うぅ……」
込み上げてくる感情があまりに複雑すぎて頭を抱えてしまう。気持ちがぐちゃぐちゃで涙も出てしまいそうだ。
シャーロットはミューを殺した相手を好いている。そんな人と結ばれてほしいと私は思えない。
思えないけれど。
「本人がそう言っていたわ。勿論現場を見たわけじゃないから、確定情報ではないけれど」
そう、ザドとシャーロットにはきっとこちらの知らない繋がりが存在している。ザドが必死にシャーロットの殺人を止めようとしたこととか、寮の部屋まで送り届けてくれたこととか。
確定まで至らない。まだ、知らないことがあるのは間違いなかった。
「正直よく分からないけれど、ザド・リダルトとミューは何かのゲームに参加していたみたい。その過程で殺し合った風に話していたわ。お互い了承の上で命を賭けて戦っているみたいな」
「ゲーム……」
「私が知っているのは、それぐらい。後はカイ・レイデンフォートの登場に思考が全部持っていかれちゃったわ」
話すことに集中しすぎて、折角のお弁当が全然進んでいないことに気づいてルーファは箸をすすめた。一方でイデアが動き出すことはない。
今得た情報があまりに重くて、思考が上手く回らない。
シャーロットが化け物になった。
ザド・リダルトがミューを殺した。
前に進みたくて聞いていたのに、情報が心を重くして動けなくしてくる。
それでも、何となくわかったことがある。
カイはきっと、そのゲームとやらに参加してるんだ。
ゲームの内容はよく分からないけれど、きっと一か月前まで頻発していた不審死に繋がっているのだろう。それが、カイの参加によってここ一か月起きていないんじゃないだろうか。
不審死は元々冥界絡みだろうと予想は立てられていた。ということは、冥界に関係するゲームに参加して、カイは今イデアの知らないところで戦っているということだ。最近のカイが日中行動できないのは、そのゲームが深夜に行われているからだと仮定できる。
カイがそれを隠しているのは、隠さざるをえない事情があるから。伝えることができないのは、何か伝えてはならない事情があるから。
カイが一人戦っている。それを理解して、自分だけがここで足踏みしているわけにはいかない。気持ちはまだ重くて辛いけれど、動き出さなきゃもっと辛いだけだ。
「ありがとう、ございました……」
顔を上げて、ルーファに礼をする。きっと酷い顔をしているだろう、ルーファも少し困ったような表情をしていた。
「……大丈夫なの?」
「大丈夫、とは言えませんが、知れて……良かったです。それに、このことを誰にも伝えないでくれて、ありがとうございます」
もしカイやイデアのこと、それだけじゃなくてシャーロットのことも話されていたら、彼女はきっともう普通の生活を送れなかっただろう。
「分からないことだらけなのに、周りに伝えたって混乱させるだけじゃない。第一、前までの私にはそっちのことを考える余裕がなかっただけよ」
イデアが熟考している間に、弁当を食べきったようでルーファが容器を布で包んでいく。
「それで、どうするの」
「え?」
「私の話は終わり。話を聞いたうえで、次にどうするのって聞いているの。こんなに訳分かんない状態で放置されてもモヤモヤするだけだし、私も何か協力するわ」
「ルーファさん……!」
「ただし!」
ビシッとこちらを指差してくるルーファ。
「あなたとカイ・レイデンフォートがこの王都へ来た理由を教えなさい。まさか侵略じゃないでしょうけど、分からないままじゃ協力だってできないわ」
「それは……確かにそうですね」
逡巡するが、ルーファはもうこちらの正体を知っているし、言っても構わないだろう。
「実はですね……」
イデアがこれまでの事情を話していく。結局話ばかりで、イデアの『私の好きな物ばかり弁当』に手を付ける暇は
ないのだった。
※※※※※
「はぁ~……」
教室の机に突っ伏しながら、シャーロットはため息をついた。周囲は昼休みで楽しそうに過ごしているが、今はその元気な声が喧しく聞こえてくる。
フィグルちゃん、どうしたんだろう……。
ここ最近、彼女が一緒にお昼を食べてくれない。というか、昼休みにどこ行っているのか分からないのだ。
昨日も「一緒に食べましょう!」と声をかけたら、「すみません、行くところがあるので」と行って、止める暇もなくどこかへ行ってしまった。
もしかして、避けられてる……?
そんな悲しい想像が頭の中に展開されるが、彼女に限ってはないだろう。だって、あんなにも良い子なのだから。
もしかしたら、お兄さんのことで悩んでいるのかな。最近、全然学園で会わなくなったし、もしかして少し不登校気味?
「それならそれで、相談してくれたら良いのに……」
昼休みが終わりの予鈴がなる。喧しかった声も徐々に大人しくなっていき、次の授業の先生が教室に入ってきていた。
戻ってきたら、フィグルちゃんに聞いてみようかな。
机に伏せながら、窓の外に広がる景色へと目を向ける。学園自体はかなり敷地が広く、王都の街並みは遠くに見えた。
……今日は鳥さんが多いなぁ。
王都郊外の上空に黒い鳥の群れのようなものが見えた。
いいなぁ、鳥になれたら、きっと悩みなんてないんだろうなぁ。頭の中空っぽで過ごせそう……。
ボケーっとその様子を眺めるシャーロット。自分が授業の準備をしていないことに気づかず、後ほど恥をかくことになるのだった。
※※※※※
コンコンコン。コンコンコン。
急に聞こえてくる喧しい音に、カイの意識が夢から引き戻される。
コンコンコン。
折角、イデアとイチャイチャする夢を見てたって言うのに。ったく、どこのどいつだ、何時だと思ってるんだ。
時間帯は十三時を過ぎ、五時限目が始まるタイミングだった。閉められたカーテンの隙間から明るい日差しが入り込んできている。
コンコンコン。
あー、うるせえ。
執拗なノックに嫌々カイはベッドから出た。あの後寮に帰って風呂入って寝たのが六時くらいで、七時間しか寝れていない。……いや十分か。でも、日々の戦闘で体が疲れているのでもっと寝足りないのだ。
ファイか? 全く学生の本分なんだから、授業はしっかり出なきゃダメだろ。
コンコンコン。
……ここまで来たら、急に扉を開けて驚かせてやる。
気配を消し、扉の前まで移動して覗き穴から相手を確認する。
……ん?
眠たくて寝ぼけているのかと思って目を擦るけれど、生憎相手は変わらず。
どうして、アンタが……。
理由は分からないが、どうしてかあまり良い理由に思えなくて。
よし、居留守を使おう。
気配を殺して、忍び足でベッドに向かおうとした。
その時だった。
キンッと僅かに甲高い音がしたかと思うと、鍵をかけてあるはずの扉が開き始めた。開かないように施されていたはずの金具は、鋭利な刃物に切断されたように真っ二つになっていた。
開いた扉の先で、彼女が笑う。
「居留守は感心しないな。こんなにも君に会いたくてノックしているというのに」
「……ノックして反応なかったら帰るのが礼儀ってもんだぜ。風紀委員長なんだろ」
「私と君の仲じゃないか」
カルラ・レスロットが当然のように部屋の中に入り、カーテンを全開にする。急な日光にカイは目を細めた。
その光を背にして、カルラが言った。
「ほら、今日はこんなにも良い天気だし、少し外でお茶でもどうだい」
風紀を乱す気満々で彼女は穏やかに微笑していた。
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