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5『冥々たる紅の運命』

5 第三章第二十七話「イデアとルーファ」

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「……」

 何も言わず、一切振り向くことなくルーファは足早に先を歩いていく。その背中から放たれる威圧感と謎の緊張感が、イデアにも緊張を強いるのだった。

 どこに行く気なのかまだ分からないが、イデアとしてはついていく他なかった。

 カイの部屋での一件後、よく考えてみた。

 なぜあの時カイはルーファ・アルデンティファの存在を気にかけたのだろうと。

 単純に考えると、王族の生き残りが明言されたことで四代名家が王家への権利を失い、その強い立場を失ってしまったのではというクラスメイトとしての心配なのではないかと思った。

 実際、ルーファ達四代名家のご子息息女はミューの死で一時休学しており、復学したのもつい先日の話であった。それだけここ数週間は今後の動きに追われていたということだろう。

 だが、殊四代名家という括りで考えた時、彼の事件も脳裏をよぎる。



 現在、シリウス・セヴァンは行方不明であった。



 突如としてシリウスがその身をくらましたのである。それが発覚したのは、ミューの死から翌日の夜であった。彼の自室は散々に荒れており、窓は開きっぱなしだったらしい。何者かがシリウスを誘拐したのではないかと捜査が続けられているが、数週間経った今でも行方は分かっていない。

 そのミューの死から翌日の夜、というのがイデアの中で引っかかった。

 カイの様子が変だなと思うようになったのもその日以降からである。そして、シャーロットが突如として部屋からいなくなり、ザド・リダルトに運ばれて帰ってきたのもその日だった。

 まだ推測の域は出ないが。



 ミューの死の翌日、確かに何かが起こっていたのではないか。



 だからこそ、イデアはルーファに声をかけたのだった。あの日から色々な状況が変わった者の一人。もしかした
ら、何かカイが隠さざるを得ない情報を知っているかもしれない。

 ルーファを追って辿り着いたのは、数ある訓練場の中でも一番大きな第一訓練場であった。第一訓練場は学年を超えて集合する時などに使われる広々とした空間である。周囲には観客席も用意されていて、催し物もここで行うんだとか。

 ルーファはずんずんと進んでいき、やがて中心辺りで歩みを止めた。合わせてこちらも止まる。

「……奴に妹はいるらしいけれど、振る舞い的には恐らくこっちなのでしょうね」

 何やらぼやいたかと思ったら、ようやくルーファが振り向き。

 そして、イデアを鋭く睨みながら言った。



「この国に何の用かしら、イデア・フィールス」



「っ!!?」

 隠していたはずの本名を当然のように言われ、イデアは目を見開く。

 そして、同時に確信した。

 やはり、四代名家とカイとで何かがあったんだと。その中で、カイは自分の正体がバレてしまったのだと。

「ルーファさん、教えてください! カイと何かあったのですか!」

「カイ、ということは当たりということね。まさか二人揃って私の前に姿を現すとは、ね」

 それにしてもルーファの様子は異常で、凄まじい形相でこちらを睨んできていた。まるで憎い仇とでも言わんばかりだ。

 何をしたの、カイ……。

 ただ、カイの正体がバレたとして、これまで他の人間たちからそんな情報は出てこなかった。つまり、ルーファは黙秘を貫いてくれているということだ。

 仮に憎んでいるのなら、何故……?

 ルーファはこちらを強く睨みながら、軽く笑う。まるでそれは自嘲のようだった。

「相手は一国の王女だけれど、もう、いいわよね。後のことなんて考えても……」

「……ルーファさん?」

「貴女、エグウィス・ディスペラードって知ってる?」

 唐突に聞かれた質問。この国にいる今、知らないわけがない。

 エグウィス・ディスペラード。つい二年前まで、この国の玉座に座っていた男。歳は二十四と若く、若いながらも行動と発言には自信が満ち溢れていたという。カイは以前ヴィジョンによる画面越しにエグウィスと少し会話をしたらしいが、カイはあまり彼に良い印象を持ってはいないようであった。

 元々三王都の人々は他種族との共生に反対している者達が集まってできた都市である。二年前に起きた悪魔族による天界襲撃事件では、全く天使族への救助の意志が見られなかったらしく、カイはそこに腹立たしさを感じたらしい。

 そんなこんなでカイとは上手く行っていなかったエグウィスであるが。

 今はもういない。



「知らないわけないわよね、だってあなた達が殺したのだから!!!」



「……!!」

 ようやく、ルーファの視線の意味を理解できた。

 エグウィス・ディスペラードは、第二次聖戦の際に命を落とした。王都ディスペラードを悪魔族に襲撃されて、抵抗むなしく亡くなってしまったのである。そして、彼が最後のディスペラードだと言われていたからこそ、四代名家による王選が必要だと言われていたのだ。

「カイ・レイデンフォートが魔界に宣戦布告をしたことで……あなた達が起こした戦争が、周囲を巻き込んで関係のない人の命を奪ったのよ!」

 ルーファとエグウィスの関係はまだ明確に見えてこない。

 けれど、ルーファにとってエグウィスがどれだけ大切な存在だったかは痛いほど伝わってきていた。そんな存在をまわりまわって奪ってしまった自分たちをどれほど恨んでいるのか。

 ルーファの声は悲痛に満ちていて、イデアは黙ってそれを聞くしかなかった。

「あなた達さえいなければ、まだ生きていた命が大勢あるのよ!」

 カイが何故部屋に居た時に、あんな質問をしたのかが良く分かった。

 これまでも覚悟はしていた。自分たちのせいで生まれた犠牲も確かにあると分かっていた。だから、その全部を背負って進まなければいけないと、頭では理解できていたと思う。

 けれど、実際に面と向かって言われたのは初めてで。かなり心にくる。



 その悲しみは、嘆きは、私達が生み出したものだ。



「カイ・レイデンフォートを英雄と呼ぶ者達がいるけれど、違うわ! 奴は多くの命を死に追いやった犯罪者よ! 英雄なんてものとは程遠い!」

 だから、この慟哭は受け止めて、背負っていくほかない。

「死ぬべきはエグウィス様なんかじゃなかった! アイツよ!」





「やめなさいっ!!!」





 それでも、止めなくてはいけないと思った。

 いつのまにかルーファの頬を伝う涙が、イデアを動かした。

「……!」

 イデアの大きな叱声に、ルーファが驚いて口をつぐんだ。自分よりも年下と言えど、相手は一国の王女。その言葉はイデアが思っている以上に強く、大きな威厳を持っていた。

 自分の愛する人が死ぬべきだと言われたのだ。怒って当然だ。不敬罪極まりない。

「もうこれ以上、自分自身を苦しめるのは……やめてください」

「私を、苦しめる……?」

 だが、イデアが怒っていたのは、そうではなかった。

 ルーファの流す、あの涙はきっと……。

 今イデアの中を巡るのは怒り以上に、悲しみだった。

「分かっているのでしょう? どれだけ私に、私達に言葉をぶつけようともう過去は変わらない。言えば言うほど、それが既に変えられない過去なのだと実感するのはあなたです。そして、どれだけ私達に言っても、あなたの心が満たされることはありません」

 その叫びはイデアを糾弾しているようで、ルーファ自身をも傷つけているように見えた。変えられない現実を自分に突き付けて、どうにもできない自分への無力感を浴び続けているように。

 少しだけれど、イデアは彼女の人柄を知っている。カイと一緒に過ごす中で見てきた。

 冷静沈着で、周りの物事がよく見えていて、冷たいように見えるけど、でも優しい人。

 そんないつもの彼女が「カイが死ねばよかった」なんて言わない。もしかしたら私の認識違いなのかもしれないけれど、でも、どれだけ憎かろうと他者の不幸を願う人には見えない。

 あの涙は、まるで言いたくないものを言っているように感じた。

 それだけ、今の彼女は追い詰められているように感じたのだ。

「っ、わたしは――」

 いつもの冷静さもなく、どこか自暴自棄で。

「確かに私達は理想の為に、世界を変えるために行動を起こしました。その過程で零してしまった命があるのも確かです。……なら、やらなければ良かったと我々が悔いて、諦めればいいのですか。失ってしまった命に頭を下げ、無駄死にでしたと謝ればいいのですか」

「それは……」

「カイが死ねば、それで満足なんですか! カイが死んで、その先はどうしたいというのですか!」

「……」

「何をしたくて、私達に何をしてほしくて、今あなたはそこに立っているのです!」

 真っすぐにイデアはルーファを見た。イデアの言葉に、ルーファは頭を抱え、よろよろと後ずさっている。

「何をしたくて……? 分からないわ。分かるわけないじゃない! もう、もう何もないのよ、私には! 何もできない、何も変えられない! どうしたらいいの、どうしたらいいと言うのよ!」

 見開いた彼女の眼はどこか正気とは言い難く。

 よろめく彼女の身体から、徐々に魔力が立ち上っていく。純度の高い魔力が彼女の実力を物語っていた。

「彼の代わりに、彼の目指していた未来を描くために、王族になろうとした! 誰に頼っても、どんな手を使ってでもなろうとしたわ! でも、無駄だったのよ! 王家の血は絶えていなかった! 私がこれまでやってきたことは無駄で、もう彼の想いを代わりに果たすことも出来やしないのよ!」

「何故できないと決めつけるのですか!!」

「何故も何も、無理だからよ! 血筋の大切さは王族のあなたが良く分かっているはずよ! 私が欲しいものをあなたは当たり前に持っているから、そんな風に言えるのよ!」

「……違いますよ、私は無理を、出来ないことを現実に変えてきた人々を知っているから。だから、あなたに言うんです」

 人族が奴隷ではなくなったのも、天使族が人族に協力してくれるようになったのも、不死身と言われていたべグリフを倒せたのも、この世界が今共生へと向かい始めているのも。

 無理だと無理だと言われた理想を、ゼノ達が。

 カイ達が。

 どんな絶望にも諦めずに立ち向かったから。

「まだ見ぬ未来をなぜ無理だと決めつけるのですか。できなくしているのは、自分自身じゃないんですか!」

「っ」

「だから言っているのです、自分自身を苦しめないでと!」

 ルーファから漏れ出していた魔力が、やがて勢いよく溢れ出す。まるで感情のように、溢れては止まらない。

「うるさい! うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい、うるさいのよ!!」

 顔を上げたルーファの瞳からは、涙が零れ落ち、その周囲には無数の炎球が生み出された。

「未来なんていらない! あの人がいない未来なんて! ――いらないのよ!」

 投げられた炎球を横に飛んで避ける。爆風の熱が皮膚を焼いていくが気にしない。

 違う、そうじゃない。そうじゃないよ。

「いないからこそ!」

 両手に長銃を一丁ずつ生み出す。こちらを攻撃すればするほど、後で苦しむのは彼女なのだから。だから、止める。

 脳裏に浮かぶのは、私にそっくりな彼女。優しくて、瀕死の私を救っていなくなっていった彼女。

「どれだけ辛くて苦しくても、共に進むしかないの!」

 炎を避けながらルーファへと駆け出していく。イデアの両脚には既に薄水色の紋様が描かれており、活性の力が彼女の速度を高めていた。

「あなたの想いは、ここで諦めてしまうようなものなのですか!」

「――っ」

 目の前に飛び掛かってきたイデアを見ながら、ルーファは回想する。

 始まりは、王城セレスタで初めてエグウィスと出会ったあの日だった。
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