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5『冥々たる紅の運命』

5 第二章第十五話「カルラ・レスロット」

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 瞳を閉じたまま、カイは木刀二刀を構えて佇んでいた。その顔は笑みを浮かべていて、一太刀も浴びることを想像してはいない。

 そう、周囲にいた誰もが思えるほどにカイは不敵に笑っていた。

「正気なの……?」

 戸惑いを見せるルーファ。確かに彼の実力を見たいと思っていたが、これ程までに無謀な戦いを挑もうとは。

 両目を閉じ、つまり視覚を断ちながらシリウス一派の男子生徒二人を相手にすると言うのだ。ダリルぐらいの剣術の達人だからこそテストとして形になっているだけであって、常人が成せる技ではない。

 それが分かっていて、だがカイの見せる余裕があるからこそ、シリウス一派の二人は怒りを抑えきれなかった。

「馬鹿にするのも大概にしろっ」

 屈強な身体を持つ一人が大剣を大きく振りかぶりながら飛び出し、一切の遠慮なくカイへと振り下ろした。直前までカイは躱す素振りを見せず、次の瞬間、叩きつけと同時に砂埃が巻き上がる。

「キャーっ!?」

 それを見ていた周囲の女子生徒が思わず悲鳴を上げる。強力なその一撃は、彼の鍛えぬいた筋力が嘘でないことを物語っていた。

「……噓でしょ」

 ルーファも思わずそう呟いていた。その理由は先ほど悲鳴を上げた女子生徒とは違う。

「なぁ、本当に当てる気あるか?」

「馬鹿なっ!?」

 すんでのところで、確かにカイがその一撃を木刀で地面へ受け流していたからである。

 無傷で立つカイを見て、誰もが言葉を失っていた。ありえないという思考と、目の前の現実が乖離して仕方がないのである。

「馬鹿なぁ? お前の目に映っているのが現実だぞ。目に見えているものも信じられないなら、いっそお前も目を閉じてみるか?」

「ふざ、けるなっ」

 地面に突き立てていた大剣を引き抜いた勢いのまま大振りに薙ぐ。だが、それも見越していたようにカイは屈んで回避して見せた。

 何度も何度も大剣がカイを狙うが、その全てをカイは躱してみせていた。かすり傷一つ負うことなく、カイはまるで見えているかのように屈強な男子生徒の攻撃を避けていく。

「嘘だっ、ありえない……!?」

 男子生徒が見せる表情は怒りから徐々に理解ができないと啞然としたものに変わっていく。

 視覚とはそれだけ重要な情報なのだ。見えているか否かで動きは大きく変わってくる。当然、視覚を断たれていれば、その動きはいくらか制限されたものになる。

 だが、それはつまりカイの動きは制限された状態で今だということに他ならなかった。

「おいおい、もう一人は立ち尽くしたまんまか、戦う前にもう降参かよ」

「っ、くそっ、いい気になるなよ!」

 カイの言葉に我慢できず、槍を持った男子生徒が、大剣使いの男子生徒とカイを挟むように移動する。人数的に狡かろうが何だろうが、ここで負けたらすべての終わりなのだと、彼らは悟っていた。元よりカイが二人で来いと言ったのだ。

「ジルバン、合わせろ!」

「ああ、こいつはここで仕留めなくちゃ駄目だ、シャーズ!」

 大剣を持つジルバンが大きな一撃を食らわせ、その大きな隙を槍使いのシャーズが連撃で埋めていく。前後で挟んでいるからこそ、そのコンビネーションは強力なものになっていた。

 だが、それでもカイを捉えることはできない。

 当然と言えば、当然であった。

 転移の力を持つダークネスとの戦いで反射神経を極限まで高められており、加えて度重なる悪魔族との戦い、何より最強と謳われていた魔王べグリフとの戦いで得た戦闘経験値が戦闘技術全ての底上げをしている。

 一介の学生二人如きに遅れを取るわけがない。目を閉じていてなお、聴覚が、肌が、直感が周囲の情報を読み取り、その瞼にははっきりと二人の姿が映っていた。

「さて、三十秒……だ!」

 背後から突き出された槍をギリギリで躱し、前へと踏み出していたシャーズへと足払いをかける。

「なっ」

 体勢が崩れて踏ん張りが効かなくなる彼を、カイは槍の先を掴んでそのまま勢いおく槍ごと前方へと投げ飛ばした。宙を軽々と待ったシャーズはそのまま前方で待つジルバンに思い切り激突した。

「――――っ!」

 綺麗に頭同士をぶつけたようで、崩れ落ちるように二人がその場に倒れていく。

「……んで」

 漸くカイが目を開けた時には、見上げるように二人は地面に蹲っていた。

「これで俺の勝ちだ。文句ないだろ。なら、もう二度と俺の妹に近づくなとあのバカ野郎に言っとけ」

「これが、ヴァリウスの力……想像以上だわ」

 ルーファは確かに戦力として彼を勧誘していた。カイの予想通り、四大名家の中でもルーファは個としての実力をその他の名家ほど有していないのである。

 だが、彼女には確かに力が必要だった。周りの名家を黙らせて、自分が王族になるために。

 そのために、カイの力は十分すぎたと言って良いだろう。

 ため息をして、カイが二人に投げやりに言葉をかける。

「分かったなら、お前たちもとっとと――」

「まだだ……」

 蹲っていたシャーズが、顔を上げた途端に掌をカイへと向ける。

「まだ負けちゃいねえよ!!」

 すると、その手の平から一直線に炎が飛び出した。突然の奇襲にカイも一瞬目を見開き、そして。

「《ウィンド・クロス》」

 次の瞬間、カイは突風の衣に身を包まれていた。シャーズの放った炎はあまりの風に一気にかき消され、瞬く間に無くなっていた。

 これは決してカイが唱えたわけではない。カイが術者へと視線を向ける。

「あなた達、恥を知ることね。数的有利、それもハンデを貰っておいて負けたのよ。それなのに、魔法で不意打ちするだなんて、真っ当な人間のすることではないわ」

 ルーファが遮るようにカイの前に立つ。その毅然とした立ち振る舞い、何よりかけた言葉が彼女の気品高さを物語っているようだった。

「うるせぇ、四大名家の中で最も力のないアルデンティファー家が邪魔するんじゃねえよ!」

「っ」

 それでも、ジルバンもシャーズも引き下がるつもりなく、何とか体勢を立て直して武器を構える。

「どんな形でも勝利を得ればいい。勝ったものが正義なんだよ。俺たちを舐めやがって。今度は魔法を使ってでもお前を――」





「なら、私がルーファ達に加勢しても勝てば正当化されるわけだ」





 その言葉はどこからともなく聞こえてきた。気づけば周りにちょっとした人だかりができており、その中から彼女が現れる。長い黒髪をロングポニーテールに束ねた彼女は、中庭で会った時とは違い、その手に長槍を持っていた。

「カルラ……」

「やぁ、ルーファ。何やら面白そうなことをしているね」

「それ、風紀委員長のあなたが言っていいわけ?」

「おっと間違った。あくまで止めに来た体さ」

 カルラはルーファへと微笑みかけ、そして彼女の横に位置づく。

「カルラ・レスロット……!」

 カルラの登場に、ジルバン達の表情が一気に変わる。

 この学園至上最強の武術を誇るカルラ・レスロット。その彼女がこちら側に加担したとなれば、ただでさえカイに勝てず、ルーファに魔法を打ち消された彼らだ。勝ち目などないに等しかった。

「っ、覚えていろ。シリウス様が必ずお前らを滅ぼす!」

「最後に勝つのはシリウス様だ!」

「てことは、今回はシリウスの負けか!」

「っ、貴様……!」

 カイの言葉に再び怒り心頭のジルバン達だったが、カルラが一瞬長槍をちらつかせると、やがてその場から逃げるように居なくなっていった。

 先ほどの緊迫した雰囲気が徐々に和らいでいく。中庭の時と同じだ。カルラの登場は周囲に安心感を与えるらしい。

「わざわざ助けに来てくれたようでどうもな。そうか、カルラも同じ学年か」

「別に助けなどいらなかっただろう? 感謝なんていらないよ。こちらだって、何も助けたくて来たわけじゃないからね」

「……?」

 助けに来てくれたんじゃなければ、何しに来たっていうんだ?

 カイが首を傾げている間にも、カルラはルーファと話していた。

「ルーファ、怪我はないかい」

「ええ、元々私は参戦してないもの。にしても相変わらず良いタイミングで出てくるのね」

「ルーファは知っているだろう、私が計算高い女だって。当然、タイミングを選んで出てきたさ」

「知っているわ。だから油断ならないのよ。あなたはいつも、ね」

「私だって、ルーファのことは誰よりも警戒しているよ、いつもね。……でも、もちろん君のことは好きだよ」

「それはどうも」

 どうやら四大名家同士仲が悪いというわけではないらしい。だが、どこか気になる会話だ。やはり、どちらかが自分を差し置いて王族になるかもしれないという状況は、それなりに複雑なのかもしれない。

「で、今回の目的は何?」

「本当は分かってるくせに。……もちろん、君だよ」

 すると、カルラはその手に持つ長槍をまっすぐにカイへと向けた。そして、まるで堪えきれないかのように、興奮した表情を浮かべ始めた。

「遠くから見ていたんだ、君の動きを。間違いなく、あれは百戦錬磨の動きさ。見た瞬間にピンと来た。私の好敵手に相応しい人物だとね」

「おいおい、冗談だろ……」



「私は助けに来たんじゃない。彼らと同じように、君に勝負を挑みに来たのさ」



 カルラの発言に周囲が大きくどよめく。まさかの最強カルラ・レスロットが転校生へ模擬戦の申し出とは。

 何となく分かっていたのだろう、ルーファは長々とため息をついた。

「あなたねぇ、今は武術の授業中なのよ」

「だからこそじゃないか。ヴァリウス、君は目を閉じながらも周囲の動きを感知できるほどの力を持つ。そんな彼との模擬戦はダリル先生とのテストに活かせると思わないか」

「また適当言って……」

「それに、ルーファが君を気に入っているみたいなんだ。何だか妬けちゃうじゃないか。なぁ?」

「なぁ、と言われてもなぁ……」

 先ほどの戦いはシリウス一派への警告という意味でもあった。でも、カルラと戦う理由なんて特にない。

「戦う理由ならあるさ」

 まるで気持ちを見透かしていたかのように、カルラが言う。

「武術を極める者同士が出会ったんだ。どちらがより極致にいるか試したくなる。それが道理じゃないか? ……思う存分戦える相手なんて稀だと思わないかい」

「……へぇ」

 不思議だった。何故だかカルラの言葉に惹かれるものがあったからだ。

 第二次聖戦が終わってから一年半。大きな戦いはこれと言ってなく、先のドライル達による悪魔族同士の戦いにもカイは参加しなかった。

 だが、確かにその間も鍛え続けていたのだ。これから起こる無限の可能性に備えて。

 発揮する機会はないに越したことはない。

 でも、カルラの言い分には確かな説得力があった。

 今の自分がどれだけの力を有しているのか。セインなし、魔法なしでどこまでいけるのか。

 俺の剣術は武の達人に通用するのか。それを確かめたい。

 気づけばカイも木刀を二刀構えていた。

「そうか、あんたは戦闘狂だったか」

「そういう君こそ、やる気満々と見えるな」

 長槍を中段に構え、カルラがカイのように不敵に笑う。

「あのカルラ様と転校生が勝負だと!?」

「流石にカルラ様が勝つでしょ」

「でも、さっきのヴァリウス君凄かったしなぁ」

「こりゃ、一世一代の対戦カードだ!」

 周囲の学生たちも盛り上がり始めてしまっていた。
こうなってしまってはどちらも止まらないだろうと、再び長い溜息をした後、ルーファがある程度の距離を取る。

「……いいわね、程々でやめるのよ」



「「それは、相手次第だな!!」」



 言下、カイが勢いよく飛び出した。目を閉じるなんてハンデも必要ない。全力で相手にぶつかる。

 そのつもりで飛び出したカイの目の前数センチに槍先があった。

「うおっ」

 慌てて片手の木刀で弾いたが、その直後カイは目を疑った。

 弾いたはずの槍先が既にこちらを貫かんばかりの速度で迫ってきていた。

 カルラの持つ圧倒的なまでの膂力が弾かれた槍を無理やり勢いに抗って戻すのである。

「っ」

 これまたどうにかはじき返す。

「流石だ、初撃を防ぐか!」

 だが、カルラの槍術の凄いところはそれだけではない。弾いた力が強かった場合、その勢いを利用して槍を回転させて槍の柄を今度は突き出してくるのだ。

 こちらの防御行動が、彼女の攻撃を加速させる。

 まるで千の槍に襲われているかのように、怒涛の攻撃がカイを襲った。

「くっ、おおおおおおお!」

 何とか二刀の木刀で防ぎ続ける。だが、生憎リーチの差が二人にはあった。木刀をカルラへ届けるためにはもっと近づく必要がある。だが長槍の方が圧倒的に長く、そしてカルラの槍術があって、なかなか近づけそうにもない。

 このリーチの不利をどうにかしなくては……!

 行くか、一か八か。掠る程度は問題なし。

「行くぞ!」

「っ、そうでこなくちゃ!」

 カイが再び前へと飛び出した。当然槍先がカイを襲うが、ギリギリのタイミングではじき返す。前へ出ようとすれば、槍がこちらへ迫る速度も上がる。次の瞬間には既に槍がカイを襲ってきていたが、それも何とか弾いて、或いはどうにか避けて再び前へ。

 近くなればなるほど、速度に身体が追いつけなくなるが、槍は中距離を得意とし、逆に近接を苦手としているはずだ。どうにか弾きながらカルラの元へとたどり着くことができれば、勝機はある。

「――と、思っているんだろう?」

「えっ」

 カイは視界が百八十度反転していた。

 何が――。

 気づけば、槍の柄がカイの足元を回転の勢いで掬っていた。徐々に近づいてしまったがために、その速度に反応しきれなかったのである。

「甘いぞ!」

「っ」

 宙に浮いたカイへと、カルラが勢いよく長槍を突き出す。

 次の瞬間、勢いよくカイが吹き飛び、囲んでいた生徒の頭上を超えて地面を何度も転がった。

 カイの通った地面から砂埃が舞い、周囲は唖然とした様子で倒れ伏すカイを見る。

「や、やっぱりカルラ様が最強なんだ……」

「カルラ様に勝てる奴なんて―――」

「いや、まだだよ」

 カルラはまだ臨戦態勢を解かずにいた。

 カルラは分かっていたのだ。確かに今。

 木刀二刀で防がれていたことを。

「……つえぇぇ~」

 仰向けに体を変え、カイはボーっと空を見上げる。

 自分なりに鍛えてきたつもりだった。でも、どうやら上には上がいるらしい。武術としての力量は、ほぼ間違いなくカルラの方が上だった。槍術の熟練度にこちらの二刀が敵わない。

 悔しい。

 結局魔法がなければ。

 イデアの力に頼らなければ。

 まだ一人前にはなれない。

「……でも!」

 勢いをつけて、地面から立ち上がる。

 砂を落としながら、真っすぐに前を見る。学生たちの先で、確かにカルラはこちらを見据えて嬉しそうに笑っていた。

「どれだけ戦闘力の差があろうと、それが勝敗を確定するわけじゃない」

 これまでの全てがそう物語っている。

 イデアとの人生がそう物語っている。

 今までと何も変わらない。

 想いを力に変えてきたように。

「さぁ、勝ちに行くか!」

 カイは再び前へと足を踏み出した。
 
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