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5『冥々たる紅の運命』
5 第一章第八話「ドライル・シーナVSディクソン 共に生きる」
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「はぁっ!」
鋭利な凶爪がディクソンの腕を切り裂き、握っていた《死斧ヘルメス》ごと吹き飛ばす。
飛び散る血潮。そして、溢れる笑顔。
「こんなもので負けると思うかぁあああ!」
それぞれの切断部から血しぶきとは別に真紅の力が溢れ出し、切り離されていたはずの腕が奴と繋がる。そのまま腕を引き寄せる勢いを乗せて、《死斧ヘルメス》がドライルへと振り下ろされた。
「くっ!」
直撃こそ避けるが、ディクソンの一撃は軽々と大地を割る。弾ける衝撃の余波がドライルを襲い、何度も雪に包まれた大地を転がしていく。
どうにか踏ん張りを効かせ、ドライルは顔を上げた。
膨れ上がった巨体。最初は同じだったはずなのに優に四、五メートルあるその巨躯は、腹に穴を開けようと切り裂こうと先ほどのように真紅の力が溢れて気づけば治る。そして時間と共に増していく圧倒的膂力。身体の膨張に比例するかのようだ。
怪物と化したディクソンに、ドライルは苦戦を強いられていた。
どれだけ攻撃しても謎の力で治されてしまう。仮に不死身なのだとすれば、対処のしようがない。
「《不死身なわけがないだろう。お前とべグリフは《紋章》の力に縛られているからこそ死ぬことはないが、あれはそういう類とは違う》」
「クロ」
いつの間にやら左手の甲にギョロっと琥珀色の瞳が現れ、内なる獣がドライルを見つめていた。
「《だが《紋章》よりよっぽど禍々しい匂いだ。死臭が奴からはずっと溢れている。……いや、あの大斧からか》」
ディクソンの持つ《死斧ヘルメス》。身体の膨張に合わせて、あの大斧も巨大化していた。溢れ出る真紅の力があまりに色濃く刀身を包み込んでいる。
《死斧》と言われるだけある。それ程圧として伝わってくる圧倒的死。
死の気配を《死斧ヘルメス》は纏っていた。
大元は間違いなく《死斧ヘルメス》だが、先ほどのように身体と切り離しても無駄だった。《死斧ヘルメス》の力は既にディクソンの身体そのものを侵している。
くそ、どうしたもんか……。
険しい表情のドライルと対照的に、ディクソンは愉悦の表情を浮かべていた。 ひどくご満悦で、目は大きく見開かれている。気分が高揚しすぎているのか、狂ってきているのか、その口元からは大量の唾液が垂れていた。
「あははははっははははは! 最高だ! 英雄と呼ばれた男をここまで圧倒できる! 今は俺が最強で、英雄だ!!」
その背後に、彼女はいた。小さな身体が大きく跳躍し、巨大化ディクソンの後頭部を捉える。
「必殺!《かかと落とし!》」
漆黒に漂う魔力を右足に凝縮し、シーナは勢いよくディクソンの後頭部に叩きつけた。鈍い音が大きく周囲に響き、奴の足元が沈む。大地に勢いよく亀裂が走り、積もっていた雪が宙に浮く。ディクソンは白目を剥いていた。
だが、その巨体は倒れない。眼球がギョロっと不気味に動き、大きな腕がシーナの身体全てを掴む。
「だぁああれぇぇだあああああああ!」
「っ、《リベリオン!》」
ディクソンは叩きつけるようにしてシーナを前方へぶん投げた。彼女の身体が跳ねるたびに大地が揺れていく。咄嗟の全身硬質化によってダメージをある程度抑えられているが、それでも全てを殺しきることはできなかった。それ程までの怪力だった。
勢いを殺しきれないシーナを受け止めたのはドライルだった。両足を黒獣化し何とか受け止める。
「お、悪いな、ありがとう!」
硬質化を解き、シーナが屈託ない笑顔を見せる。
「……ああ」
ドライルはぶっきらぼうに答え、シーナの傍を離れた。
複雑な心境がドライルを襲っていた。
シーナと言えば、ドライルの故郷ジョードイン国を支配していた当時の女王だ。男性はある程度の年齢を迎えると王と戦うか、或いは奴隷として働くかを強いられる、そんな腐った仕組みがジョードイン国には存在していた。
宰相デパントが全ての元凶ではあったが、それでもシーナは挑んできた数々の者を殺しているし、彼女の存在が多くを奴隷送りにさせた。ドライルの父親もその一人だ。
シーナがカイの仲間になったのも分かっているし、カイならば問題ないだろうと思っている。だが、彼がいない状態で二人きりになると、どうも心が落ち着かない。
革命を起こそうとしたドライルだからこそ、シーナには拭いきれない感情があった。
「何故こんなとこにいる」
「何故って、助けに来たんだ! カイに頼まれたからさ!」
「あいつ……」
確かに悪魔族だけでって言った。言ったけれども。
衣服の汚れをパッパッと落としながら、シーナが言う。
「何かとんでもない奴だなぁ、あれ。何かどんどん敵が幽霊みたいになってこっち行くから、どうしたんだろうと思ってたら、こいつが取り込んでいるのか」
「……何だって?」
シーナの言葉が一瞬理解できなくて聞き直す。でも思い返せば、確かに赤い光がディクソンの身体に吸収されるのを見た覚えがある。ただの力を溜める動作の一環だと思っていた。
だが、シーナは言うのだ。
敵が取りこまれているのだと。
「これはぁあああ! 殺戮機械のシーナもいるとは! こいつらを倒すことで俺の力をもっと世界に轟かせることができる!」
「なんだ、殺戮機械って。そう呼ばれてたのか。別にどうでもいいけど」
そう言う割には、シーナはムスッとした表情を見せていた。
すると、彼方からどんどん紅い光がディクソンの身体へと集まっていく。
「《死斧ヘルメス》は殺した相手の命を操ることができる! 殺された奴らは俺の命令に背くことはできず、一生解放されることもない! 死してなお死ぬことのできない魂! 俺が、命に審判を下すのさ!」
集まっていく光に合わせ、更にディクソンの身体が膨れ上がっていく。
「この戦争のため、大勢を《死斧ヘルメス》で殺してやった! 駒を増やすために、俺を強くするために! そして今、その全てをこの身体に!」
歪に質量を増やしていくその体躯の大きさは、十メートルほどに差し掛かろうとしていた。最早周囲の森を容易く見下ろせる位置に奴の頭はあった。
確かに生気を感じないような、ボロボロの兵士が王貴派には多かった。もしディクソンの言う《死斧ヘルメス》の能力が本当なら、奴はそれだけの命を奪い、無理やり戦わせていた。
そして今、無理やりその魂を体に取り込んで力を増しているのだろう。
なんて所業だろうか。同じ種族なのに、ここまで違うものだろうか。
込み上げてくる感情は、当然。
「お前……!!」
怒りを露わにして駆け出したのはシーナだった。全身硬質化させ、勢いよくディクソンへと飛び掛かっていく。
「何を怒っているのか!! 貴様だって同じだろう、殺戮機械のシーナぁ!!」
「必殺《ストレートパンチ!》」
魔力を込めたシーナの一撃に、巨躯も応えて巨大な拳を突き出す。衝突直後に大気が震え、衝撃が周囲を激しく襲う。
「ぐぅぅうっ!」
「大量の命を殺してきたはずだ! 審判を下してきたはずだ! 貴様は! 俺と同じだああああああ!」
拮抗しているように見えていたが、質量差には勝てずにシーナは勢いよく大地に叩きつけられた。口から漏れ出す鮮血と共に小さな身体が大きく沈み、周囲の大地が隆起する。
「そして今、お前の命にも審判を!」
《死斧ヘルメス》を高々と掲げ、勢いよくシーナへと振り下ろしていく。
が、その横にドライルはいた。
「《黒獣・裂脚閃!》」
黒獣化した右足をさらに巨大化させ、勢いよく懐を蹴る。
「おおっとっと!」
放った一撃は巨躯に沈み、勢いよく弾いた。ディクソンがよろめくようにして後ずさっていく。
「ふん、弱い、弱いぞおおおおお!!」
だが、それほど効いた様子は見られない。どれだけの命を取り込んだのか、耐久力も格段に上がっているようだった。
「同じに、するな……」
その時、真下からシーナの声が聞こえてきた。膝に手をつき、垂れる血を拭い、どうにかシーナが立ち上がろうとする。
「確かに、私はたくさんの命を奪ってきた。でも、教えてもらったんだ。戦いが全てだった私に、たくさんの楽しいことを教えてくれた最高の友達がいるんだ。命があるってきっと当たり前で、でもすんごいことなんだって、伝えてくれたんだよ」
戦いにしか興味ない私を無理やりショッピングやお話に付き合わせてきて、プレゼントをくれて、命を繋いでくれて、そして一緒に生きようと言ってくれた大切な人がいる。
生きるって素敵だなって思わせてくれた、大好きな人。
シーナの綺麗に澄んだ瞳はまっすぐにディクソンを捉えていた。
「だから私はもう、命を奪ったりしない! 戦いは好きだけど、でも命の大切さを知ったから! 命は誰かの命とも繋がっているんだと教えてもらったから! 私と繋がってるあいつに顔向けできないような人生は送らないんだ!」
高らかにそう宣言するシーナ。澱みのない本心からの言葉だからだろうか。聞いていたドライルにあった複雑な感情は、その結び目を解かれていた。
過去は変わらない。でも心は、命は変われる。それで十分じゃないか。
だからこそ謳うのだ。共に生きようと、何度でも。
「だから、お前を許せないんだ!」
すると、シーナの身体から金色の魔力が溢れ出していく。
次の瞬間、ディクソンの真後ろにシーナは転移していた。魔法で作られた心臓を維持するための魔力だから長くは保たない。けれど、身体機能が全快している今、以前よりも長くカイの魔力を使用することができる。
「おい、合わせろ!」
「っ!」
勢いよくシーナがディクソンの背を殴りつける。
「んぐ!」
巨体が前へとよろけたかと思うと、今度は前方からドライルが黒獣化した巨大な拳を叩きこむ。
「「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」」
そして、ドライルとシーナは挟むようにしてディクソンへ連打を繰り出し続けた。耐久力は確かに上がっている。だが、確かに一撃ごとによろけるし、全くダメージがないわけではない。
全身まんべんなく、前後左右から挟むように襲い掛かる凄まじい衝撃でディクソンは身動き一つとれず。
やがて蓄積されたダメージが爆ぜ。
「おらぁ!」
シーナの一撃で巨躯に穴が開いた。衝撃で肉体が弾けたのだ。
「ぐぅ!」
さらにドライルの一撃で別の箇所にも。
それでも二人の連撃は止まらない。真紅の力でどれだけ回復しようとも、二人の拳は止まらない。
治癒の元が《死斧ヘルメス》で操る命ならば、そこに限界は存在する。ディクソンは言っていた。全ての殺した命が今ディクソンに集まっていると。その力でここまで身体が肥大化し、膂力が増し、回復が働いている。
つまり、回復させればさせるほど命を消費させ、ディクソン自体も弱っていくのだ。
「き、貴様らぁああああああ!」
攻撃されながらも、ディクソンが反撃を開始する。巨大な腕を振り回し、《死斧ヘルメス》を振るう。
叩き込め、怯むな、臆するな。攻撃をし続けるんだ。
ディクソンには今シーナを介してカイの魔力が付着している。そのディクソンを殴っているドライルも同様だ。攻撃が当たりそうになったら転移で無理やり向きを変え、または自分たちの場所を転移させることで、シーナもドライルも攻撃を全て躱しながらも拳を叩き込み続けることができた。
どんどん傷ついていく身体を真紅の光が包み込んで治していく。
だが、確かにディクソンの身体は収縮を始めていた。
殺して手に入れた命を消費していた。
「っ、い、いいのか!? この力は命を消費しているんだぞ! 俺を攻撃すればするほど命を奪っている! もう殺さないんじゃないのか!?」
「うるさい! そもそもお前が殺したせいで囚われてる命たちだ! 解放してやらなきゃ可哀そうだろうが!」
「終わりだ、ディクソン・デンバンダン」
ドライルは見逃さなかった。連打を全身に叩き込んでいる最中、《死斧ヘルメス》の刀身に亀裂が生まれたのを。
ディクソンのこの力の大元は《死斧ヘルメス》。だからこそ、ドライルは《死斧ヘルメス》にも拳を叩き込み続けていたのだ。
「《黒獣・鎧装!》」
ドライルの全身が黒い魔力に包まれたかと思うと、その全身に黒い鎧を身に着けていた。まるで獣の身体から作られたようで、表面は強固な鱗、両手足の爪先は鋭く尖っており、黒い尻尾がうねっている。そして、鎧から僅かに覗く瞳は真っ赤に鋭かった。
「斧を狙うぞ!」
「っ、よし!」
次の瞬間、ドライルとシーナが上空へと転移し、その真下に《死斧ヘルメス》だけが転移された。
「させるかぁあああああ!」
地上にただ一人残されたディクソンが急いで大地を蹴り、巨大な黒い翼をはためかせ、その巨大な腕を伸ばす。
だが、すんでのところで間に合わない。
「《――絶技・覇動!》」
「《ラグ・ナロク!》」
圧縮されたそれぞれの全力が拳に宿り、同時に《死斧ヘルメス》へと叩き込まれる。
ドライルの一撃は直撃の瞬間に内部へと衝撃を放ち、一気に炸裂させる技。そして、シーナのそれは四魔将ウルとの戦闘を経て考案されたもの。拳に溜めた魔力をそのまま勢いよく放つ技だった。
二人の技が見事に一つに重なる。
「「《覇動砲・ラグナロク!》」」
《死斧ヘルメス》は一瞬にして粉々に砕かれ、二人の拳から放たれた魔力はまるで降り注ぐレーザーのようにディクソンをも貫いていた。
「っががっがああああ!」
ディクソンの体内を襲う魔力の衝撃。その衝撃に押し出されるようにして、ディクソンの身体から紅い光が飛び出していく。命が、すべての命がディクソンの中から解放されていた。
元に戻っていくディクソンの身体。
粉々になった《死斧ヘルメス》と共に、ディクソンが落下していく。
「はぁ、はぁ、はぁ……つ、疲れたぁ」
ふらついて落下しそうなシーナをドライルが抱える。
「……来てくれて助かった、ありがとう」
その言葉にシーナは目を見開いた。そして、口角を上げる。
この戦場で一目散にここへ来たのは、シーナなりの贖罪だったのだから。
命の重みに気づいたからこそ、シーナもまた複雑な感情を抱いていたのだから。
「気にすんな! こっちこそありがとな!」
そう言って、シーナは満面の笑みを浮かべたのだった。
鋭利な凶爪がディクソンの腕を切り裂き、握っていた《死斧ヘルメス》ごと吹き飛ばす。
飛び散る血潮。そして、溢れる笑顔。
「こんなもので負けると思うかぁあああ!」
それぞれの切断部から血しぶきとは別に真紅の力が溢れ出し、切り離されていたはずの腕が奴と繋がる。そのまま腕を引き寄せる勢いを乗せて、《死斧ヘルメス》がドライルへと振り下ろされた。
「くっ!」
直撃こそ避けるが、ディクソンの一撃は軽々と大地を割る。弾ける衝撃の余波がドライルを襲い、何度も雪に包まれた大地を転がしていく。
どうにか踏ん張りを効かせ、ドライルは顔を上げた。
膨れ上がった巨体。最初は同じだったはずなのに優に四、五メートルあるその巨躯は、腹に穴を開けようと切り裂こうと先ほどのように真紅の力が溢れて気づけば治る。そして時間と共に増していく圧倒的膂力。身体の膨張に比例するかのようだ。
怪物と化したディクソンに、ドライルは苦戦を強いられていた。
どれだけ攻撃しても謎の力で治されてしまう。仮に不死身なのだとすれば、対処のしようがない。
「《不死身なわけがないだろう。お前とべグリフは《紋章》の力に縛られているからこそ死ぬことはないが、あれはそういう類とは違う》」
「クロ」
いつの間にやら左手の甲にギョロっと琥珀色の瞳が現れ、内なる獣がドライルを見つめていた。
「《だが《紋章》よりよっぽど禍々しい匂いだ。死臭が奴からはずっと溢れている。……いや、あの大斧からか》」
ディクソンの持つ《死斧ヘルメス》。身体の膨張に合わせて、あの大斧も巨大化していた。溢れ出る真紅の力があまりに色濃く刀身を包み込んでいる。
《死斧》と言われるだけある。それ程圧として伝わってくる圧倒的死。
死の気配を《死斧ヘルメス》は纏っていた。
大元は間違いなく《死斧ヘルメス》だが、先ほどのように身体と切り離しても無駄だった。《死斧ヘルメス》の力は既にディクソンの身体そのものを侵している。
くそ、どうしたもんか……。
険しい表情のドライルと対照的に、ディクソンは愉悦の表情を浮かべていた。 ひどくご満悦で、目は大きく見開かれている。気分が高揚しすぎているのか、狂ってきているのか、その口元からは大量の唾液が垂れていた。
「あははははっははははは! 最高だ! 英雄と呼ばれた男をここまで圧倒できる! 今は俺が最強で、英雄だ!!」
その背後に、彼女はいた。小さな身体が大きく跳躍し、巨大化ディクソンの後頭部を捉える。
「必殺!《かかと落とし!》」
漆黒に漂う魔力を右足に凝縮し、シーナは勢いよくディクソンの後頭部に叩きつけた。鈍い音が大きく周囲に響き、奴の足元が沈む。大地に勢いよく亀裂が走り、積もっていた雪が宙に浮く。ディクソンは白目を剥いていた。
だが、その巨体は倒れない。眼球がギョロっと不気味に動き、大きな腕がシーナの身体全てを掴む。
「だぁああれぇぇだあああああああ!」
「っ、《リベリオン!》」
ディクソンは叩きつけるようにしてシーナを前方へぶん投げた。彼女の身体が跳ねるたびに大地が揺れていく。咄嗟の全身硬質化によってダメージをある程度抑えられているが、それでも全てを殺しきることはできなかった。それ程までの怪力だった。
勢いを殺しきれないシーナを受け止めたのはドライルだった。両足を黒獣化し何とか受け止める。
「お、悪いな、ありがとう!」
硬質化を解き、シーナが屈託ない笑顔を見せる。
「……ああ」
ドライルはぶっきらぼうに答え、シーナの傍を離れた。
複雑な心境がドライルを襲っていた。
シーナと言えば、ドライルの故郷ジョードイン国を支配していた当時の女王だ。男性はある程度の年齢を迎えると王と戦うか、或いは奴隷として働くかを強いられる、そんな腐った仕組みがジョードイン国には存在していた。
宰相デパントが全ての元凶ではあったが、それでもシーナは挑んできた数々の者を殺しているし、彼女の存在が多くを奴隷送りにさせた。ドライルの父親もその一人だ。
シーナがカイの仲間になったのも分かっているし、カイならば問題ないだろうと思っている。だが、彼がいない状態で二人きりになると、どうも心が落ち着かない。
革命を起こそうとしたドライルだからこそ、シーナには拭いきれない感情があった。
「何故こんなとこにいる」
「何故って、助けに来たんだ! カイに頼まれたからさ!」
「あいつ……」
確かに悪魔族だけでって言った。言ったけれども。
衣服の汚れをパッパッと落としながら、シーナが言う。
「何かとんでもない奴だなぁ、あれ。何かどんどん敵が幽霊みたいになってこっち行くから、どうしたんだろうと思ってたら、こいつが取り込んでいるのか」
「……何だって?」
シーナの言葉が一瞬理解できなくて聞き直す。でも思い返せば、確かに赤い光がディクソンの身体に吸収されるのを見た覚えがある。ただの力を溜める動作の一環だと思っていた。
だが、シーナは言うのだ。
敵が取りこまれているのだと。
「これはぁあああ! 殺戮機械のシーナもいるとは! こいつらを倒すことで俺の力をもっと世界に轟かせることができる!」
「なんだ、殺戮機械って。そう呼ばれてたのか。別にどうでもいいけど」
そう言う割には、シーナはムスッとした表情を見せていた。
すると、彼方からどんどん紅い光がディクソンの身体へと集まっていく。
「《死斧ヘルメス》は殺した相手の命を操ることができる! 殺された奴らは俺の命令に背くことはできず、一生解放されることもない! 死してなお死ぬことのできない魂! 俺が、命に審判を下すのさ!」
集まっていく光に合わせ、更にディクソンの身体が膨れ上がっていく。
「この戦争のため、大勢を《死斧ヘルメス》で殺してやった! 駒を増やすために、俺を強くするために! そして今、その全てをこの身体に!」
歪に質量を増やしていくその体躯の大きさは、十メートルほどに差し掛かろうとしていた。最早周囲の森を容易く見下ろせる位置に奴の頭はあった。
確かに生気を感じないような、ボロボロの兵士が王貴派には多かった。もしディクソンの言う《死斧ヘルメス》の能力が本当なら、奴はそれだけの命を奪い、無理やり戦わせていた。
そして今、無理やりその魂を体に取り込んで力を増しているのだろう。
なんて所業だろうか。同じ種族なのに、ここまで違うものだろうか。
込み上げてくる感情は、当然。
「お前……!!」
怒りを露わにして駆け出したのはシーナだった。全身硬質化させ、勢いよくディクソンへと飛び掛かっていく。
「何を怒っているのか!! 貴様だって同じだろう、殺戮機械のシーナぁ!!」
「必殺《ストレートパンチ!》」
魔力を込めたシーナの一撃に、巨躯も応えて巨大な拳を突き出す。衝突直後に大気が震え、衝撃が周囲を激しく襲う。
「ぐぅぅうっ!」
「大量の命を殺してきたはずだ! 審判を下してきたはずだ! 貴様は! 俺と同じだああああああ!」
拮抗しているように見えていたが、質量差には勝てずにシーナは勢いよく大地に叩きつけられた。口から漏れ出す鮮血と共に小さな身体が大きく沈み、周囲の大地が隆起する。
「そして今、お前の命にも審判を!」
《死斧ヘルメス》を高々と掲げ、勢いよくシーナへと振り下ろしていく。
が、その横にドライルはいた。
「《黒獣・裂脚閃!》」
黒獣化した右足をさらに巨大化させ、勢いよく懐を蹴る。
「おおっとっと!」
放った一撃は巨躯に沈み、勢いよく弾いた。ディクソンがよろめくようにして後ずさっていく。
「ふん、弱い、弱いぞおおおおお!!」
だが、それほど効いた様子は見られない。どれだけの命を取り込んだのか、耐久力も格段に上がっているようだった。
「同じに、するな……」
その時、真下からシーナの声が聞こえてきた。膝に手をつき、垂れる血を拭い、どうにかシーナが立ち上がろうとする。
「確かに、私はたくさんの命を奪ってきた。でも、教えてもらったんだ。戦いが全てだった私に、たくさんの楽しいことを教えてくれた最高の友達がいるんだ。命があるってきっと当たり前で、でもすんごいことなんだって、伝えてくれたんだよ」
戦いにしか興味ない私を無理やりショッピングやお話に付き合わせてきて、プレゼントをくれて、命を繋いでくれて、そして一緒に生きようと言ってくれた大切な人がいる。
生きるって素敵だなって思わせてくれた、大好きな人。
シーナの綺麗に澄んだ瞳はまっすぐにディクソンを捉えていた。
「だから私はもう、命を奪ったりしない! 戦いは好きだけど、でも命の大切さを知ったから! 命は誰かの命とも繋がっているんだと教えてもらったから! 私と繋がってるあいつに顔向けできないような人生は送らないんだ!」
高らかにそう宣言するシーナ。澱みのない本心からの言葉だからだろうか。聞いていたドライルにあった複雑な感情は、その結び目を解かれていた。
過去は変わらない。でも心は、命は変われる。それで十分じゃないか。
だからこそ謳うのだ。共に生きようと、何度でも。
「だから、お前を許せないんだ!」
すると、シーナの身体から金色の魔力が溢れ出していく。
次の瞬間、ディクソンの真後ろにシーナは転移していた。魔法で作られた心臓を維持するための魔力だから長くは保たない。けれど、身体機能が全快している今、以前よりも長くカイの魔力を使用することができる。
「おい、合わせろ!」
「っ!」
勢いよくシーナがディクソンの背を殴りつける。
「んぐ!」
巨体が前へとよろけたかと思うと、今度は前方からドライルが黒獣化した巨大な拳を叩きこむ。
「「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」」
そして、ドライルとシーナは挟むようにしてディクソンへ連打を繰り出し続けた。耐久力は確かに上がっている。だが、確かに一撃ごとによろけるし、全くダメージがないわけではない。
全身まんべんなく、前後左右から挟むように襲い掛かる凄まじい衝撃でディクソンは身動き一つとれず。
やがて蓄積されたダメージが爆ぜ。
「おらぁ!」
シーナの一撃で巨躯に穴が開いた。衝撃で肉体が弾けたのだ。
「ぐぅ!」
さらにドライルの一撃で別の箇所にも。
それでも二人の連撃は止まらない。真紅の力でどれだけ回復しようとも、二人の拳は止まらない。
治癒の元が《死斧ヘルメス》で操る命ならば、そこに限界は存在する。ディクソンは言っていた。全ての殺した命が今ディクソンに集まっていると。その力でここまで身体が肥大化し、膂力が増し、回復が働いている。
つまり、回復させればさせるほど命を消費させ、ディクソン自体も弱っていくのだ。
「き、貴様らぁああああああ!」
攻撃されながらも、ディクソンが反撃を開始する。巨大な腕を振り回し、《死斧ヘルメス》を振るう。
叩き込め、怯むな、臆するな。攻撃をし続けるんだ。
ディクソンには今シーナを介してカイの魔力が付着している。そのディクソンを殴っているドライルも同様だ。攻撃が当たりそうになったら転移で無理やり向きを変え、または自分たちの場所を転移させることで、シーナもドライルも攻撃を全て躱しながらも拳を叩き込み続けることができた。
どんどん傷ついていく身体を真紅の光が包み込んで治していく。
だが、確かにディクソンの身体は収縮を始めていた。
殺して手に入れた命を消費していた。
「っ、い、いいのか!? この力は命を消費しているんだぞ! 俺を攻撃すればするほど命を奪っている! もう殺さないんじゃないのか!?」
「うるさい! そもそもお前が殺したせいで囚われてる命たちだ! 解放してやらなきゃ可哀そうだろうが!」
「終わりだ、ディクソン・デンバンダン」
ドライルは見逃さなかった。連打を全身に叩き込んでいる最中、《死斧ヘルメス》の刀身に亀裂が生まれたのを。
ディクソンのこの力の大元は《死斧ヘルメス》。だからこそ、ドライルは《死斧ヘルメス》にも拳を叩き込み続けていたのだ。
「《黒獣・鎧装!》」
ドライルの全身が黒い魔力に包まれたかと思うと、その全身に黒い鎧を身に着けていた。まるで獣の身体から作られたようで、表面は強固な鱗、両手足の爪先は鋭く尖っており、黒い尻尾がうねっている。そして、鎧から僅かに覗く瞳は真っ赤に鋭かった。
「斧を狙うぞ!」
「っ、よし!」
次の瞬間、ドライルとシーナが上空へと転移し、その真下に《死斧ヘルメス》だけが転移された。
「させるかぁあああああ!」
地上にただ一人残されたディクソンが急いで大地を蹴り、巨大な黒い翼をはためかせ、その巨大な腕を伸ばす。
だが、すんでのところで間に合わない。
「《――絶技・覇動!》」
「《ラグ・ナロク!》」
圧縮されたそれぞれの全力が拳に宿り、同時に《死斧ヘルメス》へと叩き込まれる。
ドライルの一撃は直撃の瞬間に内部へと衝撃を放ち、一気に炸裂させる技。そして、シーナのそれは四魔将ウルとの戦闘を経て考案されたもの。拳に溜めた魔力をそのまま勢いよく放つ技だった。
二人の技が見事に一つに重なる。
「「《覇動砲・ラグナロク!》」」
《死斧ヘルメス》は一瞬にして粉々に砕かれ、二人の拳から放たれた魔力はまるで降り注ぐレーザーのようにディクソンをも貫いていた。
「っががっがああああ!」
ディクソンの体内を襲う魔力の衝撃。その衝撃に押し出されるようにして、ディクソンの身体から紅い光が飛び出していく。命が、すべての命がディクソンの中から解放されていた。
元に戻っていくディクソンの身体。
粉々になった《死斧ヘルメス》と共に、ディクソンが落下していく。
「はぁ、はぁ、はぁ……つ、疲れたぁ」
ふらついて落下しそうなシーナをドライルが抱える。
「……来てくれて助かった、ありがとう」
その言葉にシーナは目を見開いた。そして、口角を上げる。
この戦場で一目散にここへ来たのは、シーナなりの贖罪だったのだから。
命の重みに気づいたからこそ、シーナもまた複雑な感情を抱いていたのだから。
「気にすんな! こっちこそありがとな!」
そう言って、シーナは満面の笑みを浮かべたのだった。
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