カイ~魔法の使えない王子~

愛野進

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5『冥々たる紅の運命』

5 第一章第六話「参戦理由」

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「二人に頼みたいことがあるんだ」

 そこはカイの私室。一年前とは内装が少し変わっていて、備え付けの家具こそ変わらないが、多少煌びやかで広い机に大きな椅子が窓際の前に置かれていた。まるでゼノが公務をする机のような感じ。だが、当然カイがその机で何か勉学や公務に励んでいる様子は微塵もない。

 その大きな椅子にもたれかかることなく、机に両肘をついてカイは目の前の二人に話をつづけた。

「明日、悪魔族の共生派と王貴派が魔界で戦を行う。そこに助っ人として参加してくれないか」

 カイの言葉に、呼ばれた二人、つまりシーナとレイニーは一度顔を見合わせ。

「戦いか! いいぞ!!」

「手を貸す理由がないわ。断る」

 両者正反対の言葉を返してきたのだった。二人の様子にカイはある意味想像の通りだと思いながらも苦笑せざるを得なかった。

 一年経っても二人の身長はさほど変わらず、見た目は幼い少女のまま。シーナは随分と元気そうで、彼女の持つ心臓が魔法で作られているとは思えないほどだ。当然カイが魔力を供給しないと保てない身体ではあるが、今は気にならないほど調子がいいらしい。

 そして、レイニー。元々べグリフの切り札で先の第二次聖戦では天界を恐怖と混乱に陥れた存在。今は冥界に姿を消したべグリフに頼まれたのもあって、レイデンフォート城で保護のような扱いだ。

 とはいえ、一時期レイニーは自ら牢に入った。べグリフを信奉していた彼女からすれば、奴を倒したカイ達が許せないだろうし、第一人族や天使族が気に入らなかっただろう。

 それでも強大な力を持つ彼女がレイデンフォート王国で一切暴れなかったのは、べグリフの言葉があったからだ。

「世界がどれほど変わってしまっても生き抜け」

 その言葉を膨大な時間をかけて試行錯誤したレイニーは半年ほど前にこれまた自ら牢を出た、というよりぶち破った。騒ぎになりかけたが、姿を見せたカイにレイニーは言った。

「私にとっての世界はべグリフ様だった。べグリフ様がいなくなってしまった今、文字通り世界は変わってしまった。それでも生き抜けとベグリフ様が言うのなら、私は変わってしまった世界を知らなければならない……カイ・レイデンフォート」

 そして、真っすぐにカイを見つめて言った。

「私に、この世界に息づく全てを教えなさい」

 前までカイに向けていた口調から少し変わったようで、こっちが本来の口調なのだろう。

 カイは驚いたように目を丸くしたが、やがてニヤリと口角を上げた。

 その言葉から、カイとレイニーの世界旅行記が始まったのだが、これはまた別の話。

 兎にも角にも、カイが近くに居れば自由に外界へ出られるようになったレイニー。レイデンフォート王国内であれば、カイがいなくても自由に闊歩できるようにもなったのだった。

 レイニーがそもそも、とカイに言葉を返す。

「自分で行けばいい」

「行きたいのは山々だが、あの戦いは悪魔族だけで決着をつけることに意味がある、と既に断られているんだな、これが」

「……じゃあ余計に私は行けないでしょ。お前がいないと私はこの国の外にだって出られないんだから」

「もう、いいかなってさ」

 レイニーがピクリと反応する。その言葉が示すものを感じ取ったのだ。

「……本当にいいわけ? 私、何しでかすか分からないわよ」

「自分で言うな。……大丈夫だろ? 半年近く一緒に過ごしたんた。レイニーがどんな奴かは少しくらい分かったつもりだ。第二次聖戦が終わってから一年以上経ったわけだが、その間のお前の様子が何よりも証拠だよ」

「……ふん」

 きまりが悪くなったのか、レイニーがそっぽを向く。

「でも、答えは変わらないけど。手を貸す理由がない」

「それがそうでもないかもよ」

「……どういうことよ」

「というかさ、向こうにはドライルっていう強い奴にエイラまでいるんだろ? 助っ人が必要なほどピンチなのか?」

 これまで黙っていたシーナが純粋な疑問を向けてくる。言わんとすることは分かる。カイとしても、二人が追い込まれる姿は想像ができなかった。

 イレギュラーな事態でも起きない限り。

 一度静かに息を吐き、カイはようやくこの話の根幹に触れることにした。

「先日、天界の都市フィンガルが何者かに襲撃された」

 急に話が魔界から天界に変わり、二人とも眉をひそめたが、話を遮ることはなかった。

「その場に居合わせたメアとシェーンが対応。その結果……フィンガルは消滅したそうだ」

「っ!?」

 シーナとレイニーもメアの実力は知っていた。だからこそ驚かずにはいられない。

「メアが負けたのか!?」

「負けた、というか相手に逃げられた、かな。相手は奇妙な力を用いてメアへ攻撃してきたらしい。極めつけはとんでもなく巨大な竜だってよ。フィンガルはその竜の手で消滅したそうだ。幸い、メアの時魔法でフィンガルの住民たちは全員無事だと」

 結果的に《冥竜ドラゴノート》の一撃はどうにかメアの時魔法で時をずらすことで、どうにか都市全てを防ぐことができた。だが、周囲の大地が一気に消失。貿易都市フィンガルは奈落の底へと落ちて消えていった。住民たちはどうにか空に飛んで事なきを得たが、まだ《冥竜》の目があった。そこに、シェーンの新たな魔法《聖反光》が唱えられる。

 《聖反光》。アグレシアが得意としていた魔法。

 光の屈折を利用し、自分含む住民たちの姿を全て消して見せたのだ。おかげで《冥竜》は気づかずにその場を去ってくれた。

「ただメアもシェーンも魔力の酷使でつい先ほどまで気を失っていた。だから、この情報は新鮮ホカホカなわけだが……」

 そして、カイは二人に、特にレイニーへ視線を向けた。

 手を貸す理由。

 それは。

「メアが言うには、その相手は《冥界》の力を使ってきたそうだ」

「……っ!!?」

 レイニーの表情が一気に変わった。無理もない。冥界はべグリフを連れ去っていった場所なのだから。

 この半年間、カイと世界を回りながらも冥界への手がかりがないかを探してきた。だが、ついぞ見つからなかったのだ。

 だが、今確かに冥界の手がかりが目の前に現れたのだった。

「そしてソイツは冥界の力を、信じられないが、力のない者にばら撒こうとしているらしい」

「冥界の力ってそんな誰でもホイホイ使えるのか?」

「いや、べグリフの例を考えるとそんなことないと思うが、おそらくデメリットを説明せずに渡してるんじゃないだろうか」

「……そう、それで魔界の話と繋がるのね」

「察しが早くて助かる。ドライルの話によると、急に王貴派がまとまったそうだ。あほみたいにプライドの高い連中が急にまとまる、変な話じゃないか? 力を重要視している連中がまとまるということは、それをまとめられるだけの力を誰かが有したということだ」

「ドライルやエイラがいることを分かったうえで仕掛けてくるということは……」

「相当の自信がある、それだけの力がある。つまり……」

「王貴派に冥界の力を持つ奴がいるのね」

 レイニーの言葉にカイは頷いた。彼女の中でようやく腑に落ちた。何故この話に自分が呼ばれたのか。いくら悪魔族だからといって、そんな助っ人などするわけない。

 でも、冥界が関係しているとなると話は別だ。冥界の力を持つ者に聞きたいことが山ほどあるのだ。それを知っているからこそ、カイはレイニーに声をかけたのだろう。

「二人とも、改めて聞く。もし今の話が本当なら難しい戦いになるだろう。それでも、頼まれてくれるか?」

「私は最初っから行くって決めてたぞ!」

「……分かった」

 二人の了承を得て、カイが安堵したように笑う。

「ありがとな、二人とも」

「それはこちらのセリフだぜ、ご主人! 久しぶりの戦いだー!」

 本当に嬉しがっているようで、シーナがその場でぴょんぴょん跳ねる。最近は戦い以外にもミーアと楽しそうにしているが、やはり戦うことも好きなのだろう。

「……あ…あり……」

 その横でレイニーが何かを言おうとしているが、言葉が最後まで出てくることはなく。

 やがてレイニーは諦めて背中を向けてしまった。

「……明日、ここに来ればいいんでしょ」

「ん? ああ、俺が魔界に飛ばす。幸い戦うのはアイレンゾード跡地だそうだ。すぐに飛ばせるよ」

「……そう」

 そのままレイニーはカイの部屋を出て、一瞬廊下の前で立ち止まって何かを見つめ、そのまま姿を消した。

 少しでも冥界について知ることができればいいんだが……。何分冥界については知らないことが多すぎる。今回天界を襲撃した者も何者なのか。メア相手に余裕で戦えていたと聞く。相当の実力者だ。

 椅子にもたれかかり、カイがぼやく。

「平和ってのは、なかなか訪れないのかねぇ」

「さてご主人! 久しぶりの戦いで体が鈍ってるかもしれないし、その前に模擬戦でもしようぜ!」

「……訪れないのだねぇ」

 そんなことを思っている時だった。



「す、少し話、いいですか……?」



 小さなノックと共に声がかけられる。そういえばレイニーの奴、扉を閉めていかなかったようで。

 扉の前に立つその少女。一年前と比べると背が少し伸び、以前は淡く膨らんでいた胸もより強調されるように。それでいてスラっと長い脚に細いくびれ。長いまつ毛の先に光る大きな瞳には吸い込まれてしまいそうな力がある。
まるで絵画や銅像で見るような美女の象徴のようだ。

 昔は「可愛らしさ」が目立っていたが、今はよっぽど「綺麗」に見える。

 なぜかは分からないが周囲の空気が澄んだように感じるし、彼女の周りにキラキラと光が見える気もする。

 男子は三日会わざれば刮目して見よ、というが、女子は一年経つだけでこうも見違えるほどに綺麗になれるのか。元々美少女だったが、更に美しさに磨きがかかっているように見える。

 頬を少し朱色に染めながら、イデアが部屋を訪ねてきていたのだった。

「イデア……!」

 イデアの訪問に、少なからずカイは驚いた。

 ここ最近、イデアからの接近は数える程度しかなかったからだ。

 第二次聖戦が終わってからというもの、イデアは何故だかカイを避けるようになっていた。理由はよくわからない。嫌われたのかと思ったが、セインも貰えるし、時よりデートだってするし、プレゼントだってもらえているのだ。嫌われたようではない。

 ただ、何故だか絶妙に避けられている。

 その事実がこの一年以上変わらず続いているのであった。

 だから、こうやってイデアの方から訪問してくれたのがカイは純粋に嬉しかった。

 シーナは嬉しそうなカイともじもじと恥ずかしそうにしながら照れた視線を彼へ向けるイデアを見て、一人納得して部屋を出た。

「やっぱほかの人に戦ってもらうからいいや! では、ごゆっくり!」

「え、あ、おい……」

 止める間もなくシーナはそこから離れた。シーナは分かっている。

 イデアが、カイのことを好きすぎて近づけないのだということを。

 部屋の中で二人きりになり、珍妙な空気が流れていく。

 二人は夫婦なわけであるが、どうしてか会話が始まらずに不思議な沈黙が続いていた。

 頬を染めて俯きがちだったイデアがちらりとカイへ視線を向けると、当然見つめていたカイと目が合う。そして、彼女は一層頬を赤く染めて視線を逸らしてしまうのだ。

 これ、あれだよな……。

 ドライルも、周りの皆も言ってくれている。イデアは決してカイを嫌いになったわけではないと。それはカイも感じているところだし、むしろ熱烈な視線を向けられているような気もする。

 もしかするとこれは、俗に言う「好き避け」というものではないだろうか。自意識過剰かもしれないが、イデアはこちらを好きになり過ぎてしまって、どう接していいか分からないのだ。

 ……いや、でも、自分で言うのもなんだけど、イデアは昔から好いてくれていたよな。今更そんな状態に陥るか?

 昔はむしろとんでもないくらいグイグイ来られて、こっちが困惑したくらいだ。距離感近すぎて照れているのか恥ずかしいのか分からないが、全身熱くてしょうがなかった。そんな距離感で行けていたのに、今更向こうが似たような形になるだろうか。

 とはいえ、どちらにせよ、今の状態のイデアと接していて分かったことがある。



 めちゃくちゃ可愛い。



 これまでとのギャップというか何というか、小動物みたいでめちゃくちゃ愛でたくなる。愛しさ無限大。

 前はグイグイ来られてたし、今度は仕返しという形でこっちがグイグイ行こうかな。……仕返しって別に嫌だったわけじゃ微塵もないんだけど。

「イデアってさ、滅茶苦茶綺麗になったよな」

「……っ!」

「俺もこの一年で成長したつもりだけど、イデアの方が成長してるというか、マジで自慢のお嫁さんというか」

「きゅ、急にどうしたの……、でも、あ、ありがとぅ……」

 言葉の効果てきめんか、みるみるうちにイデアの顔が真っ赤になった。髪が白い分余計に赤く映える。うん、可愛い。

「……カイだって、すんごく」

「ん? なに?」

「な、なんでもないっ……」

「そうか? ま、とりあえず立ち話もなんだ、ソファ行こうぜ」

 願わくばそのまま真横に座ってイチャつきたいと思っていたカイだったが、イデアが首を振る。

「伝えたいことがあるというか、お願いがあるだけだから、このままで大丈夫だよ」

「そうか……」

 分かりやすく肩を落とすカイ。そんな様子を見て、少し逡巡した後にイデアが小さく呟く。

「……じゃ、じゃあ、本当にちょっとだけお邪魔するね」

「よしきたっ!」

 椅子から飛び上がるようにしてカイが豪華なソファに移動する。対面にも一つあるのにカイは自分の横をポンポンと叩いてイデアを促していた。

 イデアだって、カイと一緒に居たくないわけではないのである。むしろ一緒に居たい。四六時中傍に居たい。

 でも、心臓が持たないのだ。つい先日プレゼントを渡した時も、カイはとても喜んでくれていた。そして、見たら誰もが恋に落ちてしまうくらい(イデア談)の笑顔をこちらに向けてきた。危うくその場で卒倒してしまうところだ。

 カイの傍に居ると、心臓がいくらあっても足りない。大好き過ぎて、直視できない。

 前までの私は一体どうやってカイと接してただろう。

「し、失礼します……」

 畏まった様子でイデアがカイの横に座る。それだけで心臓がバクバクしてしまっていた。凄い近くでカイを感じてしまって、その存在を意識してしまって、何を話しに来たかも忘れてしまいそうだ。

「こうやって二人きりで話すのも、この前誕生日を祝ってくれた時以来かな」

「そう、だね……」

「マジでマフラーありがとう! めちゃくちゃ暖かいし、何よりイデアの手編みだからかな、イデアの優しさを感じるというか何というか!」

「よ、喜んでもらえて、私も嬉しいよ」

「何なら今着けようか! よし、ちょっと待っててくれ!」

「い、いや、室内だし、今着けたら暑いよ……」

 本当にマフラーをしようとしていたのか、立ち上がっていたカイが「そうか?」と言って座り直す。

 カイは背も伸びて顔だちも一層端正になったし、本当に周りも言っているくらいカッコよくなったけど、まだ子供っぽいところがあるし、内面はそれ程変わっていなくて。

 そして、変わらず愛おしい。

 渡したマフラーを本当に喜んでくれているのが伝わるし、噂によると、本当に室内でも着用しているそうな。侍女たちに見つかっているのだろう。

 まるで、新しい玩具を与えられた子供みたいだ。

「でも、そうだな、こんなに良い物くれたんだ。今度何かプレゼントするな」

「え、いいよ。そんなつもりで渡したんじゃ……。それに誕生日プレゼントだよ? 私の誕生日だって全然まだまだだし」

「いいの! 俺がプレゼント貰えて嬉しかったんだ、イデアにも嬉しくなってほしいし!」

 カイが喜んでいるだけで、イデアも十分嬉しいと、先ほども伝えたのだが。

「何か欲しい物あるか……って、こういうのはやっぱサプライズだよな」

「プレゼントくれるって聞いてる時点でサプライズも何もないんじゃ……」

「絶対イデアが嬉しいと思えるようなものにする!」

「あ……」

 カイが隣に座るイデアの手をぎゅっと包むように握る。それだけでイデアの心臓は早鐘を煩悩の数以上に鳴らしていく。

 でも、イデアもまた勇気を出してその手を握り返した。カイの手は両方共にアルガス大国使用の義手であるが、義手越しでもカイの温もりが不思議と伝わってくる。

「……あのね、カイ。さっきも言ったようにお願いがあるの」

「ん、ああ、イデアのお願いなら何でも聞くぞ」

 イデアは未だに照れながらもカイへと姿勢を向け、そして告げた。



「私も、シーナとレイニーと一緒に戦いたい」



 何でもお願い聞いてやるぞ、とニコニコしていたカイだったが、だんだんと表情が笑顔から驚愕へと変わっていく。

「……えええええええええ!?」

「ごめんね、部屋の外で偶然聞こえちゃったの」

「そ、それはいくらイデアのお願いと言えど――」

「何でも聞くって言ってくれたのに……?」

「うっ……」

 イデアの上目遣いがカイに突き刺さる。効果は抜群だ!

 だが、こればかりは素直に頷けないのだ。

「でも、聞いてたなら分かるだろ? あの戦は悪魔族だけで乗り越えるから意味があるって――」

「私にはフィグルさんの想いと魔力があるから。悪魔族と言っても大丈夫だと思うの」

「そんな無茶苦茶な……」

 確かにイデアの扱う魔力はフィグルのものだ。だから、悪魔族の魔力であることは確か。厳密に言えばイデアの持つ魔力は特殊なのだが、想いもと言われたら、そんな簡単に否定できない。

 でも、カイは行かせたくなかった。

 シーナとレイニーをそこに投入するのは、戦場に冥界の力が出現することを危惧してのことだ。つまり、それだけの激戦になる可能性があるということ。

 そんな危険なところにイデアを行かせるのは、夫として賛成できない。

「っ、イデアも行くなら俺も――」

「悪魔族だけで乗り越えることに意味があるんでしょ?」

「ぐっ」

 一時期身体に悪魔族の力が混ざっていたこともあるが、今は全てイデアに還った。残念ながらカイに参加資格は存在していない。

 悩む素振りを見せるカイに、イデアが言葉を紡ぐ。

「私のこの力が役に立つ時が来ると思うんだ。あの時、べグリフの持っていた《大剣ハドラ》を断ち、《紋章》を破壊できたように。きっと私の力は《冥界》の力にも対抗できる、そんな気がするの」

「それは、そうかもしれないが……」

「それに、フィグルさんに約束したの。必ずべグリフを救ってみせるって。レイニーと一緒で、何か可能性がそこにあるのなら、私は動きたい。だから、お願い。私も連れて行って」

 懇願するようにイデアがカイを見つめる。いつもは逸らす癖に、今はまっすぐにカイの瞳を捉えていた。

 その瞳に対抗しうる力を、生憎カイは持ち合わせてはいなかった。

「……分かった」

「っ、カイ、ありがとう!」

「はぁ、べグリフの為っていうのが何か癪だな」

 すると、カイはぎゅっとイデアを抱きしめた。

「……っ!?」

 突然の状態にイデアの身体は固まるが、カイは気にすることなく抱きしめ続けた。

「絶対無事で帰ってきてくれ。言っとくけど、イデアがピンチだと感じたら、悪魔族がどうのとか関係なく助けに行くからな。ドライル達には恨み言を言われるかもしれないが知るもんか」

「そ、そうならないように、気を付ける、ね……」

「傷一つ負うことなく、何ならこの綺麗な体に泥一つつけることなく帰ってきてくれ」

「それは難しいんじゃ――」

 イデアの視界にカイの表情が映る。本気で心配していて、何故だか今にも泣きそうに見えた。

 不思議とその顔を見ると、恥ずかしさや照れくささよりも、愛おしさが勝って。

 イデアもまたカイを抱きしめた。

「……うん、必ず帰ってくるよ」

「ああ、約束だ」

「うん、約束」

 そのまま二人は互いに抱き合い続けた。

 その後、イデアは正気に戻って慌てて離れようとするも、解放されるまでにかなりの時間を要するのだった。





※※※※※





 イデアとシーナの二人は、すぐに別々の方向へと駆け出して行った。遠くからでも感じる力の波動。冥界の力を持つ者がその方向にいるのである。

 アイツの予感は的中したわけだ。

「ふん、そっちは譲ってあげる」

 共生派と王貴派の悪魔族は敵味方関係なく呆然としたように頭上を見上げ、ほとんどが絶望の表情をしていた。

 視界を覆うほどの巨体が戦場の真上に現れていた。あまりの巨大さに距離感が良く掴めない。本当の大きさはどれくらいなのか。

 《冥竜ドラゴノート》はその巨大な頭を下にもたげ、喉奥に力を蓄えていた。あの貿易都市フィンガルをかき消した一撃を今ここでも放とうとしているのである。

「それで大きいつもりなんでしょ」

 正直なところ、この戦場にある《冥界》の気配全てに飛び出したいところだ。全てを叩きのめして、べグリフの居場所を吐かせなければならない。だが、そうするためにはレイニーも力を完全に解放しなければならない。解放してしまうと、王貴派だけでなく周囲のよく分からない共生派の悪魔族も巻き込んでしまうことは明白だった。

 カイに出てくる前に言われたことを思い出し、レイニーは深々とため息をついた。

 面倒くさい縛りだ。できるだけ周囲を傷つけないようにしつつ、共生派を守ってくれだなんて。

 でも、カイの表情はできるだろと言わんばかりで。

 それに、カイと一緒に周って知ったこの世界を生き抜くためには、必要なことだと思った。

 だから、

「お前が一番力を感じるし、事のついでだ。仕方ないから守ってあげる!」

 《冥竜ドラゴノート》が力を溜めきる前に、レイニーは魔力を放ち、叫ぶ。

「《八刀烈撃!》」

 レイニーを中心に青い魔力で作られた八頭の大きな蛇が飛び出していく。一頭ずつの大きさは《冥竜ドラゴノート》には及ばない。本当は本気を出すと一頭だけで同等の大きさになれる。伊達に天界の数々の国を破壊してきていない。だが、今回は機動性を重視した。

 蛇たちは《冥竜ドラゴノート》の四肢や首に勢いよく巻き付いて、その行動を制限した。下を狙っていたはずの砲口も、無理やり上に向けられている。

 その間にレイニーはその懐へと飛び込み、手に銀大剣を出現させた。刀身へ魔力を込め、更に巨大にさせると、目の前の巨大な腹部へとそのまま勢いよく叩きつけた。

「はあっ!」

 凶刃が勢いよく腹部を切り裂く、かと思いきや不思議な肉質なのか分からないが、刃が通らない。

「なら、吹き飛ばす!」

 それでもかまわず力を入れ続けるレイニー。大剣を横に振り切ると、魔界の空を巨躯が飛んだ。

 誰もが信じられないとその白銀の竜を目で追いかけていた。王都アイレンゾードを超える大きさの怪物が吹き飛んだのである。目で見てもなお理解が及ばなかった。

赤紫色の雲を掻き分け、道中の森を悉くなぎ倒しながら、やがて山によしかかるように《冥竜ドラゴノート》が激突した。

「無駄に硬い。さっさと倒れろ!」

 レイニーがすぐさま追撃しようとするが、吹き飛んでいる最中も溜めていたのだろう、その巨大な口から真紅の光が溢れ出ていた。

「っ、しょうがないわね!」

 集中している力から見ても、放たれてしまえばこちら側は何もかも焼け野原と化すだろう。

「《八鱗連護!》」

 レイニーは背後のアイレンゾード跡地を全て守るように、目の前の横一杯に壁ともいえるほど巨大な硬質化したシールドを八層にも張った。元々ある八岐大蛇の硬度を重ねることで、万が一もあり得ないほどの防御を誇っていた。

 直後放たれる真紅のレーザー。道中の何もかもを消滅させながら、まっすぐにレイニーの元へと殺到していく。

 シールドにレーザーが衝突した瞬間、衝撃で目の前の大地が脈打ち、跳ねながら消し飛んでいく。シールドに阻まれた力は横に抜けていき、悉く大地を消滅させていく。熱はシールド越しにレイニーにまで伝わっていて、こちら側の雪が一気に解けだしていた。

 レーザーは徐々に層を溶かしながら進んでおり、既に四層目まで突入しようとしていた。あれほどの硬度を以てしても、耐えきることは難しかった。

 だが、当然やられっぱなしではない。

「その程度?」

 いつの間にか、弾けて脈打つ大地を潜っていた大蛇が、真下から勢いよく《冥竜ドラゴノート》に噛みついた。口を覆うように噛みつかれ、喉奥から放たれていた力は逃げ場を失い、次の瞬間《冥竜ドラゴノート》諸共とてつもない爆発が大地を揺らした。

 今の一撃でやられてくれたらいいが、そう簡単でもないだろう。

 再度追撃しようとしたレイニー。

その直感が働いた。



身を捩った瞬間に、真紅に光る鎌が元居た場所を切り裂いていた。



「……っ!」

 慌ててその場を飛び去り、凶刃の持ち主へと視線を向ける。

「よく躱すなぁ。流石は魔王べグリフの秘蔵っ子か」

 レイニーですら気配に気づけなかった。

 黒ローブに身を包んだその男は、不思議と顔が見えない。だが、どこか笑っているように思えた。

 カイの情報にもあった、貿易都市フィンガルにいた奴だ。

 レイニーは何故だかその男を見た瞬間、体中が燃えるように熱くなったのを感じた。

 怒り。純粋なまでの怒りがレイニーを駆け抜けたのである。

 その不敵な笑みのせいなのか、先ほどの発言のせいなのか、或いはその手に持つ真紅に輝く大鎌のせいなのか。

 だが、確かにレイニーは確信した。

 ああ、こいつか。こいつがべグリフ様を……!

 レイニーは怒りと共に叫んだ。

「べグリフ様は、どこだ!!!」

「ん? どこってそりゃ――」

 おどけた口調で返す黒ローブの男にレイニーが飛び出す。

 凄まじい殺気と気迫をレイニーが向けるが。

 まるで堪えた様子を見せずに。

「冥界に決まっているじゃないか」

 黒ローブの男は不敵に笑った。
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