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5『冥々たる紅の運命』

5 第一章第二話「ドライルの自惚れ」

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「……なぁ、悪かったって」

「……」

 両手を合わせて必死に詫びるドライルだったが、目の前にいる妹は許した様子もなくそっぽを向いていた。リノに憧れて伸ばし始めた栗色ポニーテールが膝丈くらいのスカートと一緒に揺れていく。

「今度何かアイツから貰ってくるからさ」

「……何かってなんですか」

 食いついた、とドライルは思ったが、彼もまた続きを考えておらず。

「え、んーっと、あれだよ、あれ……サインとか?」

「サイン……は欲しいですが、それぐらいで許されると思わないで下さい!」

 妹ネルには、大して効果がなかったのであった。

 復興を果たしたジョードイン国に、ドライルは妹、父親と共に一軒家を構えた。昔のような貧しい生活ではなく、家も多少は立派になり、今は食卓に笑いが溢れるような明るい生活が始まっている。

 が、今この瞬間において、暖色の電気に灯されているにもかかわらず、家の雰囲気は冷めきっていた。



 原因は、先日のカイとの飲み会だった。



 ネルはカイに恋をしてしまっている。ドライル的には、英雄に憧れを抱き、その憧れを恋心と呼ぶような、そんな年頃なのだろうと考えているが、少なくともネルはカイにゾッコンの様子であった。

 ネルとしては、例の飲み会に出席したくてたまらなかったわけだが、ドライルに制されたのである。愛しくて仕方がないカイとの出会いを兄に邪魔され、それ以降ネルはドライルに冷たかった。

 いや、向こうは既婚者だぞ。

 この前、冷たくされ過ぎて困ったようにこの言葉が出てしまった。妹の初恋相手が既婚者なんて、そんな酷なことはないとこれまで閉ざしていた事実。

「え、知ってますよ、そんなことは!」

 むしろネルに怒った口調で返されたのだった。

 まさか、知っているうえでカイを追いかけていたとは。それだけ本気ということなのだろうか。イデアから略奪する気満々ということなのか。

 兎にも角にも、それだけカイのことを好いていたネルとしては、恋路を邪魔する兄が許せなくてしょうがなかったのだろう。

 もう少しで一週間ほど経つが、態度が軟化することはなかった。

「……ネル、どうしたら許してくれるんだ」

「……」

 返答なくとも、ドライルは膝をついてネルの両手を優しく掴んだ。

 そっぽは向くけれど、目の前から立ち去ることはない。怒ってはいるけれど、冷たくはしてくるけれど、嫌いになった様子ではない。

 そんな妹が愛おしくて、だからこそ許してもらいたい。



 当分、会えなくなってしまうのだから。



 目を合わせてくれない彼女の唇が、少し震える。何か言おうと口を開いては、すぐに閉ざしてしまう。言おうかどうか迷っているかのようだ。

 でも、迷うというのは既に進みたい道があるということだとカイは言った。

 その通りなのだろう。

 無理だと分かっていても、ネルは口にする。

「なら、戦いになんて行かないでください」

 そうしてネルが初めてこちらの顔を見てくれる。その大きな瞳は涙で潤み、今にも零れ落ちそうだった。

 今日、ドライルはジョードイン国を出て、旧王都であるアイレンゾード跡地へと向かう。王都アイレンゾードはべグリフの闇に全て飲み込まれて無くなってしまった。また、その周囲もべグリフとの激しい戦闘で荒れに荒れている。

 そんな更地の近くに、王貴派が陣を敷こうとしているとの情報が入ったのである。

 共生派と王貴派の戦いは、アイレンゾード跡地にて始まるのだ。

「ネル……」

 困った表情を見せるドライル。

 ああ、言わなければよかった。

ネルはやはり後悔していうた。

 ドライルがそこに行かなければならないことは、ネルも分かっている。共生派にとってドライルがどれだけ大切な存在か知っている。

 兄はカイと協力してジョードイン国を救い、それだけじゃなく他国の奴隷達も助けていった。やがてレジスタンスのリーダーとなって皆をまとめ上げ、遂にはべグリフまで倒したのだ。

 カイを英雄と呼ぶ声は多いがドライルだって十分英雄だ。英雄なのだから、ドライルが行かなければ戦いは有利に進められないだろう。

 それが分かっていて、だから言いたくなかった。言ったら兄を困らせるのだと分かっていたから。

 でも、溢れてしまった。

「危険なところに行くと分かっていて、行かせたいと思うわけがないじゃないですか……!」

 まだレジスタンスだった頃は、ネルに勘づかれないようにドライルは動いていた。ネルが寝た深夜に行動を起こしたり、時には適当な理由を付けて留守番させたり。

 さすがに終盤になると、ネルも気づき始めていた。いつだったか問答になったことがあったが、先の二次聖戦で戦いは完全に終わりを迎えたとネルは思っていたし、もう兄が危ない目に合わなくて済むとも思っていた。

 それなのに、また戦が始まってしまう。今度は同族同士で争いが起きてしまう。

 どうして、どうしてなの。

 ようやく与えられた平穏。そこからどうして兄を奪おうとするのだろう。

 英雄だろうが何だろうが、知ったことではない。

 ネルにとってはそれ以前に、大好きな兄だった。

 ここ最近の不機嫌はカイと会えなかった以上に、ドライルとの別れが嫌だったからだった。

「……それでも、行かなくちゃ」

「……!」

 ドライルはぎゅっと妹を抱きしめた。すぐに背中に回される細く小さな腕。そして、聞こえてくる小さな嗚咽。

 妹の背を優しく撫でながら、諭すようにドライルは言う。

「守りたいんだ、ネルの未来を。これからネルが出会うだろう沢山の人ごとさ」

「ネル…の……?」

「生き物って、周りの生き方や想いに動かされるものなんだよ。誰かが嬉しかったら嬉しいし、悲しかったら悲しいし、な?」

「…うん……」

「だからさ、例えばネルだけ幸せでも周りの人が悲しそうだったら、ネルもだんだん悲しくなっちゃうと思うんだ。でも、これからネルが出会ういろんな人が皆幸せに感じていたら、ネルもずっと幸せを感じられるんじゃないかな」

 最初に反乱を起こそうとした時と、理由は変わらない。

 妹の未来を想って、ドライルは力を振るう。

「そんな未来にするために、そんな世界に変えるために、俺は戦うんだ」

「……」

「大丈夫だよ、ネル」

 ネルの顔を覗き込んで、ドライルは微笑んだ。

「俺が世界からいなくなっちゃったら、ネルはずっと悲しいままだろ? そんなことにはさせないから。ちゃんっっっと帰ってくるよ。幸せになってほしいって言って、俺のせいでなれなかったら本末転倒だろう?」

「うん……でも、兄様にも幸せになってほしいです」

「その言葉だけで充分幸せだし、力が出る。ありがとな。必ず戻るから、待っててくれ」

 もう一度優しく抱きしめて、今度は小さな体から離れて立ち上がった。名残惜しそうな声が下から聞こえてきたが、掴んでくることはなかった。

 その栗色の頭を撫で、ドライルは近くにあった手荷物を持つ。最小限のものしか入っておらず、見た目のわりに重くない。

「帰ってきた時には、何が欲しいか考えておけよ」

「……何がって、何のですか?」

「お詫びの品だよ。カイとのやつ。できるだけ無茶ぶりにも応えよう」

「……例えばカイ様とのデート券、とかでもですか?」

「うっ、ま、まぁ、善処するよ」

「約束ですよ?」

「…あぁ、約束だ」

 そうしてドライルはネルと指切りをした。戻ってくると言った。約束をした。だから、必ず帰ってこなければ。

 決意を固め、父親にも別れを告げてドライルは家を出る。ってか、家にいるなら多少なりとも助けてくれたらよかったのに。

 苦笑しながら歩き始め、大通りへと続く路を歩いていく。雪が少し積もっているが、足を取られるほどの量じゃない。とはいえ、だいぶ寒くなってきたようで、手はすぐにでもかじかんでしまいそうだ。

「《……お前も大概シスコンだな》」

 と、そこでこれまで沈黙を貫いていた《クロ》が話しかけてきた。見ると、左手の甲に大きな獣の目玉がギョロっと現れていた。

 クロとは、ドライルの身体に住む獣の力のこと。体のあちこちを様々な獣のように変化させることができ、ドライルが異様に強くいられるのもクロのおかげだった。

 そんなクロであるが、べグリフとの戦闘時、《獣》の紋章であるということが発覚した。

 紋章というものが何なのか、以前カイに教えてもらったことがある。

 《言霊の代行者》たる者がいて、その者の命と引き換えに与えられる力のことなのだと。

 《炎》と言われればたとえ人でも《炎》になり、《剣》と言われれば銃でも《剣》になるのだと。

 最初は随分戸惑ったが、そんな特別な力だと知って納得もできたのだった。

「そんなつもりはないが。家族が大切なのは当然だろう」

 ちなみに、ドライル界隈からすると十分溺愛しているとされているが、本人は知らないし、気づかない。

「《家族など血がつながっているだけの単なる枠組みにしか過ぎん。家族だから大切なのか、あの小娘だから大切なのか、はき違えないことだな。そも、お前たちは階級制を撤廃すると宣っているのだ、いっそ家族なんて枠組みも取っ払ってしまうといい》」

 いつもの重低音に聞こえるが、多少普段とは違う声音にドライルは聞こえた。

 どこか、棘がある?

「……何だ、今日は不機嫌なのか?」

「《別に。ただ、家族という単語が好かんだけだ》」

「ふーん……昔、何かあったのか?」

「《……》」

 ドライルの問いに、答えは返ってこなかった。

 昔、を尋ねるとクロは答えてくれない。

 《獣》の紋章であるということは、《言霊の代行者》が命を懸けて《獣》と命名した証である。

 一体何に対して《獣》と命名したのか分からないが、話せるのならもしかしたら人かな? なんてドライルは考えている。

 けれど、もしそうだとしたら。





 命を懸けてまで、誰かのことを《獣》と言うだろうか。





 気になるけれど、クロも答えたくなさそうだし、やめておこう。

「……でも、俺はクロのことを家族だと思ってるけどな」

「《……何だと?》」

 そんなことを言われるとは、とクロが目を見開いていた。心なしか、縦長の瞳孔もぎゅっと縮まっている気がする。

 でも、これは本心から思っていることだ。

「いつからクロが俺の身体に宿ってるか知らないけどさ、クロがいなかったら、俺って今ここにいないんだよ。宰相だったデパントと戦ってた時に殺されてたはずだ。でも、あの時クロは力を貸してくれた。それだけじゃない、今日までの間ずっと力を貸してくれている。クロがいなかったら、この未来には辿り着けなかったんだ」

 誰よりも一番身近にいる存在。声をかけてきてくれて、時には相談に乗ってくれるし、向こうから話しかけてくれることもあるし。

 こうやって傍に居るのが当たり前だけど、それにどれだけ救われているか。

「ありがとな、クロ。俺はお前がいなくちゃ駄目みたいだ」

 いつの間にか雪が降ってきたようで、ゆっくりと風に撫でられながらドライル達の元へと降りてきていた。

「そういう存在のことを家族って言うんじゃないかと。違うだろうか?」

 空から視線を外し、尋ねながら左手の甲へ視線を向けてみると、いつの間にか黄色い瞳は消えていた。どうやら身を潜めたらしい。

 聞く耳を持ってくれなかったのか、興味なかったのか、照れているのか、聞いていられなくなったのか。

 どれかは分からないけれど、別に答えてくれなくてもいい。

 そう思っている事実は伝わっているし、それに身体の中にいるんだ、聞きたくなくても分かってしまうものだろう。

 やがて道を抜けて大通りへと出る。人の往来が激しく、皆寒空の下で忙しそうにしているのが見えた。

 そんな中で、一切動かずにこちらを見ている者がいた。

 白いコートに身を包み、降ってくる雪が鬱陶しいのか傘を差している。最近は髪を切る機会もないのだろう。黒髪も腰くらいまで伸びていた。

 近くまで寄ると、エイラは白い息を吐きながら優しく微笑んだ。

「今生のお別れはすみましたか?」

「だとしたら一か月くらい出てこないが……」

 だいぶこういうやり取りにも慣れてきた。カイはこうやって教育されてきたのだろう、何となくカイという人間性の要因を見た気がする。

「どうした、こんなところに。……もしかして何かあったのか!?」

「いいえ、妹との別れが嫌で嫌で顔中涙でぐっしょりなドライルが見れるかと思いまして」

「……」

 さ、行きましょうとエイラが歩き始める。何となくどころではない。確実にこの侍女がカイを作り上げたのだと思う。

 エイラは第二次聖戦以降、魔界で共生派の活動を手伝ってくれていた。メインで動くのはドライル達であるが、その知恵を借りたり、時には一緒に動いてもらったり。挙句指揮を執ってもらったりしているわけで、完全に顧問のような立場だった。

「あ、そっちに気が向いてしまってついでの用事を忘れていました。部隊編成も決めましたし、指揮系統も問題なし。後は実際に集まってからになります」

「絶対こっちが本題だろう……でも、そうか。決まったか」

「ドライルはカイ様ほど、リアクション良くないですよね」

「あれと比べないでいただきたい。でも、助かった。ありがとう」

 もちろんあくまでドライル達がメインなのだから、エイラ抜きで部隊などを考えたわけだが、何故だかうまくいかなかった。適材適所に配置するのがどれだけ難しいことなのか、今回痛感させられた。

 そんな困った様子のドライル達に見かねて、エイラが助けてくれたのである。エイラが参加した途端、効率も内容も一気に向上していった。

 普段のやり取りこそあれだが、やはりエイラは優秀なのだった。

 通行人と何度もすれ違いながら、国を出るため門へと進んでいく。

「まだ始まってないので、ありがとうは取っておいてください。というよりも、これからの戦いはあなた次第ですよ、ドライル。総大将なんですから」

「……」

 総大将。つまりは、これから始まるであろう共生派対王貴派の戦において、ドライルは共生派全体のトップということである。

「あなたの戦いぶりが味方を鼓舞できます。あなたの声が、味方の士気を挙げるのです。大役ですよ、大役。見事に果たしてくださいね? できますよ、《英雄》なんですもの」

 エイラは揶揄うように笑っていた。エイラがドライルのことを英雄と言う時は、いつも揶揄っている時だ。

「英雄なぁ……」

 独り言ちるように、ドライルが言う。

 正直、自分が英雄だと思ったことはない。べグリフとの戦いだって、最終的にほぼカイとべグリフの一騎打ちだったわけで、カイほど活躍したわけでもない。それなのに、べグリフを倒したのはあの場にいた三人だという扱いで、英雄と呼ばれてしまうのだ。

 納得してないのが顔に出ていたのだろう。というより、ドライルが納得していないのをエイラは知っている。

「いいじゃないですか。味方に英雄がいた方がやる気も上がりますよ」

「それは、そうかもしれないが……」

 頭では理解できても、心がどうも納得しない。

 そう、ドライルは自ら掲げた理想のせいで納得しきれないものが胸の内にあった。

「……なぁ、厄介なこと聞いていいか」

「任せてください。一体今まで誰に仕えていたと思ってるんですか」

 胸を張るエイラ。なるほど、説得力がすごい。

 お言葉に甘えて、最近少しずつ感じるようになった疑問をぶつけてみた。

「レジスタンスは共生派という大きな組織となり、王族とか貴族とか平民とか、そういう階級の撤廃を掲げてこれまで進んできた。……でもさ、英雄だの総大将だの祭り上げられている俺って、実は階級制に足を踏み入れてるんじゃないかな。英雄だから、皆ついてくるんじゃないか? 貴族だから平民をこき使おうとするみたいに、さ」

 エイラが先ほど言っていた英雄だからこそ士気を上げられる、というのも分かる。要は役割なのだろう。英雄には役割があって、英雄にしか成せないことがある。

 でも、それだけじゃないはずだ。英雄という言葉があるから、周りを縛ってしまうこともあるんじゃないだろうか。周りの自由を奪ってしまうことがあるんじゃないだろうか。

 それなら、今の俺は平民を奴隷扱いする貴族と何が違うのだろう。





「あまり自惚れないでください」





 エイラから即答で返ってきたのは、予想していなかった言葉だった。

 面食らうドライルに、何を言ってるんだかとあきれたようにエイラが言葉を返す。

「英雄って偉いんですか?」

「え?」

「総大将の方が考えやすいかもしれませんね。総大将、つまりチームのトップです。それって、偉いんですか?」

 エイラの質問の意図がよく読めない。チームの中で一番なのであれば、偉いに決まってるじゃないか。

 というドライルの心を読んだのだろう。エイラがため息をつく。

「じゃあ、まったく仕事のしない総大将って偉いんですか? 皆従おうと思いますか?」

「それは……」

 そんな者が総大将につくことなどないと思うが、もし仮にまるで役に立たない総大将がいるのだとすれば、従おうとは思わないだろう。

「いいですか、言葉の中に主従上下の関係が眠ってるわけではありません。言葉の持つイメージを利用するならまだしも踊らされないでください。それこそ、貴族だから平民より偉いと思っている有象無象と一緒ですよ」

 立ち止まったドライル。それに気づいたエイラも立ち止まり、彼へと振り返った。

「ほら、カイ様を想像してください。英雄だ何だと言われてますし、あの方はそもそも王族です。でも、偉く感じますか?」

「……確かに感じない」

「そういう事です。流石カイ様、いつ例で出しても説得力があります」

 ドライルは苦笑した。カイには悪いが確かに偉さを感じたことはない。あれで王族なのか、と思わなくもないし。

「名前に力があるわけではありません。名前を盾にする者ほど何もしていないものですから。結局、その人が何をしたのか、何をしているのかなんですよ。ですから、自惚れないでください。貴方が英雄で総大将だからって、偉いわけではありませんし、その名前につられて皆ついていくわけではありません」

「……あぁ、悪い。少し勘違いしてたみたいだ」

 英雄だから、総大将だからと、自分の立場が、階級が変わったように感じていたのだろう。

 でも、変わらない。

 何だろうと俺は、俺なんだ。

 俺がそれを理解していないでどうする。

 むしろその名に恥じぬよう、全力で戦わなければ。

「ありがとう、エイラ。俺、目が――」





「だから、もっと自惚れてください」





「……え?」

 今度の言葉に、頭が思考を止める。

 え、自惚れてください? 自惚れるなではなく?

 さっきは自惚れないでください。そして、今度は自惚れてください。正反対の言葉に、頭が混乱してしまう。

 だが、エイラの中でブレることはない。

「そんな考えに行き着くのは、自分に自信がないからです。いいですか、さっき言ったみたいに貴方が英雄で総大将だから皆ついていくわけじゃないんですよ。貴方がこれまで何をしてきて、これからどんなことをしようとしている、どんな人なのか。共生派の皆さんは貴方の歩く姿、歩いてきた足跡に心打たれてついていこうとしているんです」

「……!」

英雄でも何者でもない、俺だから。

先日のカイの言葉を思い出す。

「簡単じゃないけどさ、不可能じゃない。皆仲良く? 声を大にして言ってやろう。できるとも。悩んで、迷って、それでも必死に進んできた俺たちの道程が、その足跡が答えであり、証拠だよ」

 進んできた足跡が答えだと、彼は言った。

 その足跡は、誰かが見てくれていた。見てくれていて、賛同してくれて、追いかけてきてくれている。ついてきてくれている。

 一人分しかなかった足跡が、数えきれないほどの数になっている。

 あぁ、確かに。

 証拠で、答えだ。

 ……クロ。

「《なんだ》」

 唐突に呼ばれたにもかかわらず、すぐに心の中で返答をくれる。

 お前も、俺だから体に宿ってくれたのかな。

「《……》」

 だとしたら、何か嬉しいな。

 ドライルの中で溢れていく温かな感情。クロは彼の中で、その温もりに触れていた。同時に想起される記憶。

 まだクロが、「人」だった頃の記憶。





「あなた達に心なんてない! 他者を排してでも生きようとする、醜い獣なのだわ!!」





 脳裏に張り付いて離れないあの記憶を優しく包み込むように、ドライルの感情が流れてくる。

 何故ドライルを選んだのか、覚えていない。

 強いて言うなら、《獣》の本能なのだろうが。

 ただ、間違ってはいなかったようだ。

「《自惚れるな、まだ家族じゃない。良くて友人だ》」

 クロの言葉に、ドライルは思わず頬が緩んでしまう。

 それは、少し前の問いに対する返答だった。

 十分だ、十分すぎるくらいだ。

 関係性をクロが形容した、初めての瞬間であった。

「なにニヤニヤしてるんですか」

 エイラによって、心から引き戻される。

「自惚れてくださいとは言いましたが、こんな大勢の前でそんなニヤニヤして。怪しくて通報しようかと思いました」

「総大将不在で戦いは始まりませんってエイラが言ったんだろう」

 苦笑して、ドライルは再び歩み始めた。エイラもすぐに横に並ぶ。

 もう、迷いはない。

 一人ではないのだから。

「勝つぞ、エイラ」

 クロ。

「当然です」「《当然だ》」

 そして、ドライルとエイラは歩き出す。しんしんと降り積もる雪に二人と……いつの間にか傍を歩く黒猫の三つの
足跡が刻まれていった。





※※※※※





 魔界にて共生派と王貴派が戦を始めるよりも数日前のこと。

「あなた、何者!」

 ファンネルを周囲に飛ばしながら、光槍を構えてメアが叫ぶ。

「……これはまた厄介な者に目を付けられてしまったな」

 天界の王都から遠く離れた街フィンガル。人気のない細道にその男はいた。

「どうも、初めまして。メア・ハート」

 黒ローブに全身を包み、その表情はなぜか暗く影のように隠されて見えない。

 なのに、メアには不敵に笑っているように見えたのだった。

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