カイ~魔法の使えない王子~

愛野進

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5『冥々たる紅の運命』

5 第一章第一話「カイとドライルの飲み会」

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「店員さーん、生もう一丁!」

「でさぁ、その時俺がなんて言ったかというと――」

「こうやって落ち着いて話すのも久しぶりだね!」

「うんま! この料理! お前も食ってみろよ!」

「ギャハハハハ! んだよ、その話は!」

 がやがやと辺りが騒々しい。橙色のライトに照らされながら、酔っぱらい達から聞こえてくる愉快な笑い声は絶えることがない。ひっきりなしに店員を呼ぶ声も聞こえ、グラスや食器のぶつかる音もしばしば。

 まぁ、ここは居酒屋だから当然と言えば当然か。個室席の最奥にある広間を借りているのだが、ここまで聞こえてくるとは、夜になって羽目を外しているのだろう。あれから一年以上経つが、楽ではなかった。その発散ともなれば、このぐらいのボリュームにもなろう。

 今日は近くにある個室も念のため借りているし、加えてあの声量だ。会話が聞かれる心配もない。

 と言っても、聞かれて困るような会話はそれ程するつもりないが。ちょっとした悩み相談こそあるけれど、アイツと酒を交えて話してみたかった。

 ようやく酒が飲めるようになったらしいからな。酔ったらどうなるんだか。

 店に早入りしていたドライルは、適当に酒の肴になる注文をいくつか済ませて、相手を待った。

 待つこと十分、時間通りに奴は来た。

 最近になって雪も降り始めたこともあって、長めのコートに白いマフラーを身に着けていた。何故だかマフラーの位置が鼻を覆うくらい高く、顔の半分しか認識できない。

「その恰好、むしろ怪しまれないか?」

「そうか? 顔バレを避けたつもりだったんだが……。ま、店内酔っぱらいだらけみたいだし、別に気づかないさ」

「はぁ、まったく。もう少し自分の立場に気を付けた方がいいぞ」

「そっくりそのままお返しするさ」

 そう言いながら、カイが上着とマフラーを壁にかけて座った。彼の袖の先に光る機会の腕も、随分慣れた光景だった。

「飲み物の方はいかがいたしましょうか」

「俺はいつも通り生で」

「同じので!」

カイを連れてきた店員にパッパと飲み物の注文を済ませる。去り際に店員が熱視線をカイに送っていたが、カイは気づくことなく個室の中を見渡していた。

「こりゃまた随分な個室で。ここを俺たち二人で使うのか?」

「こっちの方が変な気を遣わずにすむだろう」

「それもそうだが。結構金使ってないか?」

「それは一国の王子なんだ。お前が出してくれるだろ?」

「俺頼みかよ!?」

 そもそも一国の王子が、こんな市街の居酒屋に顔を出している時点でおかしくはあるのだが。

 カイとドライルがいるのは魔界のジョードイン国、つまりドライルの故郷である。

 父が当時王だったシーナ(を操っていた宰相デパント)に奴隷として徴用され、自分も時間の問題だった頃に、ドライルはカイとこの国で出会った。一刻も早く反乱を起こさなければ、小さな妹を一人残したまま奴隷にされてしまう。それだけは避けたくて始めようとした反乱にカイが協力してくれたのだった。
結果として反乱自体は成功したものの、このまま国に居続けるわけには行かなかったドライル達は一度故郷を離れたが、第二次聖戦が終わり、共和派の勢力も拡大する中でジョードイン国へと戻ってきたのである。
以前はシーナが王であったが、あれ以来、この国に王は生まれていない。それどころか現在、この国には王族や貴族、平民などという枠組みも存在しない。

 まるで共和派の意思を象徴するかのように、ジョードイン国は存在していた。

 その市街にぽつねんと存在している『ピーハ』はドライル達が反乱を起こす前から細々と経営されていた居酒屋で、ドライルも昔からの顔馴染みであった。飲み屋は情報が良く集まるのである。
そして、再建された今もドライルはよく仲間たちと飲みに行っている。昔からの知り合いでもあり、ドライルにとって落ち着く空間と化していた。

今回は、その常連特権を使って融通を効かせてもらっていた。離れの広い席を用意してもらったし、会話が万が一漏れないように周囲の個室を使えなくしてもらったのだ。

 カイにはああ言ったが、実際のところは特別価格という優遇をしてもらっている。

「しかしまぁ、久しぶりだな、ドライル。半年ぶりくらいか?」

「普段は一、二か月かおきぐらいに会っているが、最近はそうも行かなかったからな」

 話しながらドライルはカイを見る。相変わらずの黒目黒髪だが、最後に見た時よりも身だしなみが整っているというか。向こうも大人になったということなのだろうか。

 というより。

「……見ない間に背、伸びたか?」

「お、気づいた? 男子、三日会わざれば刮目して見よってね」

 カイが自慢げに笑う。一年前より間違いなく十センチ近く伸びているし、それに合わせるように体つきもしっかりしているように見える。良い筋肉のつけ方をしたのだろう、太っているようには見えず、かといって、痩せているわけでもない。

 昔はどこか子供っぽくて、体つきも標準よりやや細めでって感じだったが。

 今は顔だちも端正で、まるで頼りがいのある好青年のような爽やかさを纏っている。

「だから半年会ってないことを踏まえると、通常の六十倍ほど成長したわけだ! 随分成長したと思わないか?」

「その考えで行くと、俺も六十倍ほど成長しているはずじゃないか?」

「男子と言えど、選ばれた男子なのだよ、ドライル君」

「……なるほど、成長したのは見た目だけ、と」

「皆そう言うんだよね……」

 がっくり肩を落とすカイに、ドライルは苦笑した。

 見た目こそ成長した様子だが、中身はさほど変わっていないらしい。

 それはそれで、ドライルはどこか安心したのだった。

 飲み物と一緒に料理が運ばれてくる。相手が『英雄』だと知ってか、普段よりも豪勢な気がするのは気のせいだろうか。

「それじゃ、乾杯しとくか」

「おう! 乾杯だ!」

 ジョッキ同士がぶつかり、愉快な音を立てる。その勢いのまま一気に口へ運んだ。喉に流れていく黄金色の液体は体の隅々まで染み渡っていく。

「くぅー! やっぱこれだよな!」

 口の周りに泡を付けたカイが満足そうに笑っていた。

「飲めるようになってから、そんなに時間経ってないだろう」

「本当は十八から飲めたんだけどさ、なんでか母さんに反対されてな。曰く、『カイ、お酒は体を滅ぼします。せめてもう一年、お酒についてよく知ってからにしなさい』ってさ」

「ってことは酒の勉強でもしたのか?」

「したというか、聞かされたというか。主に大人達の惨憺たる失敗談だけどな……」

 飲み過ぎて記憶を無くしただの、吐いただの。果てにはいつの間にか全裸でしたみたいな話まで、カイはいろんな大人達から長々と時間をかけてされたのだった。

 そして、先月誕生日を迎え、無事十九歳になって念願の飲酒が始まったのであった。

 カイ・レイデンフォートは言う。お酒が飲めるようになると、大人になった感じがすると。

 勉強会のことを思い出して呆れたように笑いながら、カイが運ばれてきた料理に手を付ける。随分と満足したようで、すごい勢いで料理と酒を行き来していた。

 あの調子だとすぐにでも酒が無くなるだろう。どうやら酒には強い体質らしい。

「今日のこの会のこと、ちゃんとイデアに行ったのか?」

「ん、もちろん言ったぞ。イデアはまだ今年で十七だからお酒飲めないんだけどさ。言うて来年からだから、自主的にそのお酒の勉強会に時たま出席してたんだよ。そしたら、そのせいか飲み会=生きて帰れない地獄みたいな認識してて。『絶対生きて帰ってきてね……!』って懇願された。本気で心配された」

「勉強会で何を言われたんだ……」

 いつの間にかカイが店員を呼んでいて、同じ飲み物と追加で料理を頼んでいた。随分ペースが早い。顔色も変わっていないし、こちらもペースを狂わされないようにしないと。

 ジョッキを口に運びながらちらっと店員を見る。先程とは違った店員が注文を受けていたが、やはりどこかカイに熱い視線を送っているように見える。が、カイは気づかないようだった。

「以上で! いやー、良い店だな、ドライル! めちゃくちゃ旨いし来てくれるの速いし!」

「そうだな、そう言ってくれて俺も嬉しいよ」

 速いのはきっと、こっちを店側が優先してくれているのもあるだろうが。

「きょ、恐縮でございます! 厨房にも伝えて参りますので!」

 まるで自分一人だけが褒められたかのように、顔を紅潮させて店員が下がっていく。

 その直後に頼んでいた飲み物が来た。

「はい、生お持ちいたしました!」

「いや本当に速いな!?」

 どうやら店全体でこの卓を贔屓しているようだった。

 早速届いたものを飲みながら、今度はカイが尋ねる。

「そっちこそ、リノに伝えてあるのか?」

 リノは、ドライルと共に反乱に参加していた、いわゆる幼馴染というやつである。カイから見てもリノは美少女の部類に入ると思う。

「当然だ。アイツも参加したがっていたが、今回は断っておいた」

「なんだよ、そんなに俺と二人きりで話したかったのか」

「それもあるが……」

「いや否定しろよ、何かムズムズするわ!」

「呼んだら呼んだでお前が五月蠅そうだからな」

「うるさいって……ああ、二人の関係の進捗を聞いたりとか?」

「……」

 ドライルが無言を貫くが、無言は肯定の証だとカイは分かっていた。

「それに関しては、未だ一切発展させてないお前が悪い!」

「今はそういう余裕ないんだよ」

「とかいって、誰かに取られても知らないからな?」

「……まぁ、そういうことで、よろしく伝えるように言われた」

 話をどうにか方向修正したドライル。というより無理やり戻したと言った方が正しい。

「この手の話、本当にドライルは苦手だよなぁ」

 それが分かっているからこそ、カイもこれ以上は続けない。

 食事を続けながら、思い出したようにドライルが言う。

「そういえば、ネルもお前に会いたがっていたよ」

「お、妹ちゃんが? 男子は三日会わざればと言うが、きっとどんどん可愛くなってるんだろうなぁ」

「お前には絶対やらんぞ」

「いや、イデアがいるんで」

 きっぱりカイが断言する。その様子にドライルは複雑な心境であった。

 ドライルにとって反乱は、妹のネルを一人にさせないために始まったものだった。反乱後はネルと共に国を出て、レジスタンスと一緒にあちこち動いてもらった。正直かなり大変だったろうが、ネルは嫌な顔一つせず、むしろ離れたくないと駄々をこねることもしばしばあった。

 そんなネルも第二次聖戦が終わって生活が落ち着いてくると、環境の変化なのか心境の変化なのか、それともそういう年頃なのか、女性らしいものに興味を持ち始めていった。いわゆる多感な時期なのかもしれない。他人の色恋沙汰にも興味を示し始めていた。

 では、ネル自体の色恋はどこに向いているのか。

 その答えはカイであった。

 第二次聖戦を終わらせた『英雄』カイ・レイデンフォート。その存在は誰もが知っているところであり、時には憧れとして語られるほどであった。

 それは人界だけの話ではなく、天界や魔界でもカイに憧れる者が出てきているのである。

 恋に夢を見始めたネルが、カイという存在に惹かれるのも無理はない。それに実際に逢ったこともあるが、ネル曰く信じられないほどのイケメンだったと話していた。その頃は今のように好青年ってほどでもなかったけれど、恋する乙女にはそう映っていたのだろう。

 それからというもの、ネルはカイに恋して止まない少女になってしまった。

 兄としては、カイは既にイデアと結婚しているのだから勝ち目などないと思うが、妹の初恋だ、応援したくないわけでもない。現実を教えなくてはと思うけれど、その勇気がドライルには出てこなかった。

 ……というより、あれからというもの、もしかしてカイって想像以上にモテているのか?

 先ほどから店員の様子もおかしい。店員と言っても悪魔族だ。種族問わず、それ程までに異性を魅了できるようになるとは。『英雄』という肩書きのせいもあるだろうが、カイ自体が気さくで明るい人柄なのもあるだろう。

 よく観察してみればアホなのにな……。

 第二次聖戦から一年以上経った今でも、カイが成しえたことの大きさを思えば仕方がないことなのかもしれない。

「ていうかさ、聞いてくれよ!」

 空になったジョッキをテーブルに叩きつけながら、カイが嘆く。

「イデアなんだけどさ、まだぎこちないんだよ……! もう一年以上経つんだぞ! 一年!」

「本当に心当たり無いのか?」

「ない……。いや、もしかしたら何かしちゃってるのかもしれないんだけど、周りは大丈夫だって言うんだ。でも、やっぱ心配になっちゃうんだよ……!」

 どうやら本当に悩んでいるようで、カイは酒の香りと共に深々とため息をついた。

 第二次聖戦以降、どうしてかイデアのカイに対する態度がぎこちない。たどたどしいというのか、悪く言うと避けられているというか。

 会話も前みたいに長々と続かない。緊張しているのか何なのか、話しているうちにイデアが顔を赤くして俯いてしまうのだ。第二次聖戦以降に見られるものだから、てっきり悪魔族の魔力をソウルス族の身体が拒んで熱的な拒絶反応でも起きているのではと心配しているのだが、心配して近づくと余計に避けられてしまう。というより、目も微妙にあってない気もするし。

 一緒にいられないわけではなく、全然普通に話せる時もあるし、なんならデートだってするけれど、以前と比べると圧倒的な差がそこにあった。

 イデアからぐいぐい来ない、ということである。

 ただ、カイとしては嫌われたわけではないと思っている。……思うことにしている。

「見てよ、これ」

 そう言ってカイが手に取ったのは、先ほどかけた白色のマフラーだった。

「この前誕生日だったんだけどさ、イデアが手作りでくれたんだよ! めちゃくちゃ嬉しかったなぁ……」

 イデアお手製のマフラーに頬ずりするカイ。登場時に鼻を覆うほど巻いていたのは、身バレ以上に幸せに浸っていただけなのかもしれない。

「つまり、嫌われているわけではないと。……あれかもしれないぞ? 結婚した手前、離れたくても離れられなくて、体裁を保つ意味or惰性で渡しただけかも――」

「何でそんな悲しいこと言うんだよ!!」

 ドライルへとカイが泣き叫ぶ。その様子にドライルは苦笑した。

 実はドライル、イデアの状況をエイラから伝え聞いていた。

 なんでもカイが前以上に好きすぎて、近くにいるだけで心臓が持たないんだそうな。

 前はあれほど『カイ、カイ、カイ、カイ』呼んでは傍に居たイメージだったが、急に片思い中みたいな接し方になってしまっているようだ。

 カイもイデアも本気なのだろうが、変にすれ違っていて笑ってしまう。

 まぁ、二人のことだ。そんなに心配いるまい。

「悪い悪い。だが、周りが大丈夫だと言うんだ。あまり心配し過ぎるな」

「……って言われて一年経つんだけど」

 随分、イデアも拗らせているようだった。

 ドライルの酒も空いたところで、二人の分の酒と食事を注文した。

 目の前のカイを見ながら、改めて思う。不思議なもので、こんな関係性になるとは初めて出会ったときには思わなかった。思えるわけない。人族と、これ程気兼ねなく話せるようになるとは。

 世界は変わろうとしている。第二次聖戦を経て、種族の垣根を越えようとしている。

 ただ、その前に解決しなければならない問題が目の前にあった。

 酔いが回ってしまう前に、話そうと思っていたことがドライルにはあった。

「なぁ、カイ」

「んー、何だー?」

 届いた酒を早速飲みながら、カイが視線を向ける。向こうは既に酔っぱらっているのかもしれないが、まだ受け答えはできそうだ。

今日はこの話をしようと決めていたドライルは、予定通りの質問を投げかけた。

「……皆仲良くって、できると思うか?」

 唐突な話題転換、しかも話題の内容が何とも言えない。

 何だ、藪から棒に。

 てっきりそう言われるかと思ったが、尋ねた直後にカイは真面目な表情を見せた。

「……そうか、戦いが近いのか」

 そして一言、呟いたのだった。

 べグリフによる絶対王政が無くなった魔界では、共生派と王貴派の二つに派閥が分かれている。

 両者はこれまでも小競り合いなどはしばしば起きていたが、戦争などの大きなものに発展することはなかった。共生派側が武力による交渉を避け、常々対話を持ち掛け続けていたからである。王貴派も、べグリフを倒したドライルという戦力に対して慎重に事を進めたい様子であった。

 どうにか話し合いで済めば良かったのだが、如何せんそうも行かなかった。まず、話し合うにしても王貴派が完全に一つのまとまりであるわけではなかった。誰もがべグリフの後釜を狙っているのであり、同じ派閥でありながら敵対しているところもあった。ならばと、各個に話し合っていく方針になったものの、それでは時間がかかり過ぎているし、加えて良い返事をもらえることは少なかった。時には話し合いの末、拘束されかけたなどの事例もあるくらいだ。

 なかなか進まない魔界の秩序平定。

 だが、ここ最近になって王貴派に動きがあった。

 戦力や物資を一か所に集め始めたのである。お互い敵対していたはずの王貴派が、一つにまとまろうとしているのだった。

 それが意味するのは、王貴派の全てを率いる者がいるということ。

 そして、戦力を集め、近いうちに共生派へと戦を仕掛けようとしていること。この二つだった。

 またそこから推察されるのは、率いている者、つまり党首の実力は王貴派をまとめられるだけのものであり、加えてドライルという存在に引けを取らない可能性があるということ。

 そんな実力の持ち主がまだいたとは思えないが、実際に王貴派が戦力を集めて動き出している以上、武力を避けていた共生派も動き出さねばならなかった。

 ドライルがたった一言尋ねただけで、カイは既に戦争が起きるのだと気づいたのだった。

「なんだ、エイラにでも聞いていたか」

「いや、まぁ遠くない未来でなるかも、とは聞いていたけれど、エイラだって最近はずっと魔界にいるし、話す機会もないよ。とはいえ、ドライルの口からそう言われれば、何となく察しはつくさ」

 カイのその様子に、ドライルは苦笑した。酔っているようには見えないし、変なところで勘が良い。

 カイって頭良かったか?

「言い方からするに、戦いは避けられないのか?」

「そうだな、向こうがやる気満々なんだ」

「うちのドライル先生に勝とうっていうのかい」

「先生はやめろ……。だが、どうやらそうらしい」

「ふーん……」

 料理を口に入れながら、カイが思案している様子を見せる。何度も口内をもぐもぐさせながら、目を閉じて「んー」と唸っていた。

 やがて料理を飲み込んで、カイが尋ねる。

「俺達も手伝うぞ? 頼めば天界側も手を貸してくれるだろ」

「まぁ、だろうな」

「でも、借りる気はないんだな?」

 ドライルはカイの問いに一瞬目を見開いた。そこまで読まれているとは。

「……ああ。よくわかったな」

「頼む気なら、もっと早くに連絡が来てるさ。それこそエイラとかからな」

 カイの言う通り、共生派は人族及び天使族の協力を受けずに、今度の戦に臨もうとしていた。力を借りることはできるのだろう。だが、それでは意味がないような気がするのだ。

「これは、試練だと思うんだ。これまで悪魔族が行ってきた数々の所業と向き合い、新たな魔界へと進みだすための」

 人族を奴隷扱いしていた昔。そして今度は悪魔族すらも奴隷扱いして。第二次聖戦ではこちらから人界、天界へと仕掛け甚大な被害を向こうに出させてしまった。

 そんな悪魔族が都合よく他種族の手を取っていいだろうか。困ったから助けてなんて、どんな顔して言えばいいのだろうか。

 頼ってばかりでは変われない。

 魔界は変わらなければならない。

 自分の手で。足で。

「だから、これは悪魔族が自分たちで切り開かなくてはならない。そう思うんだ」

「そうか……」

「ああ、気持ちは受け取っておく。ありがとな」

 手は借りないけれど、そういう者達が種族を超えて存在している。その事実だけで、十分進もうと思えた。

 だからこそ、同じ種族で手を取り合えないとは思えない。違う種族でもできるのだから。

「……まー、昔の俺だったら即答しているところだな。皆で仲良くできる! ってさ」

 少しの沈黙の後、カイが何やら話始める。最初は何の話だと思ったが、どうやら最初の問いに対して答えてくれているらしい。

「でも、この世界にはいろんな想いがあるって分かった。きっと、向こうにも譲れない想いがあるんだろうな。だから戦うんだよ」

「……」

「……でもさ、なかには、ぶつかってみないと分からなかった想いもあった。べグリフとかな。戦うことで通じ合えることもあるんだなって。」

 随分不器用な方法だとカイも想っているが、そういうやり方もあると知った。

「勿論簡単じゃないんだけどさ。でも、簡単じゃないだけだよ。無理なわけじゃない」

 すると、カイはドライルへと不敵に笑ってみせた。

「ドライル、何か悩んでる風に尋ねてきたけど、答えは決まってるんだろ?」

「……なんでそう思う」

「悩む、迷うってさ。進みたい道が自分の中にあって、それを阻む何かもあるから、進んでいいものか考えているようなものだと思うわけよ。或いは、別の道もあるのかもしれない。……けど、それってつまりさ、進みたい道は決めてるんだよ。決めていて、でも最初の一歩が踏み出せないんだ」

 それは、選択肢があるようでないものだなとドライルは思った。

 けれど、カイの言っていることはストンと心に落ちてきた。

 そう、俺は迷っているわけではないのだろう。悩んでいるわけでもない。それでも、あの質問をカイへとしてみたのは……。

「安心しな。即答しないだけで、答えは一緒さ。第一俺にあんな質問するなんて、どう答えられるか大体想像ついただろうに。要はそういう事さ。背中を押してほしいんだよ、背中を」

 そして、一切の躊躇いもなく、あっけらかんとした様子で、当たり前を当たり前と言うようにカイは問いに答えた。

「簡単じゃないけどさ、不可能じゃない。皆仲良く? それを目指している過程で、俺たちはこうして飲んでるんだろ。あのイカレた魔王様とも、最後は繋がれたと思うし」

「……ああ、そうだな」

「声を大にして言ってやろう。できるとも。悩んで、迷って、それでも必死に進んできた俺たちの道程が、その足跡が答えであり、証拠だよ」

 そうして、カイはまだギリギリ入っているジョッキを持ち上げた。それが何を示しているのか分かって、ドライルも手に取る。

 目の前の男は、これ程までに頼りになる男だったろうか。……いや、背中を押してもらいたいと思っていたということは、自分にとって彼は前からそれ程の存在だったということだ。

 急に魔界に現れて、ドライルにとっての状況も環境も、それに心まで変えてしまった男。

 周囲がキャーキャー言うのもわかる。




 俺にとっても、お前は英雄だから。




 その英雄が、これまでが答えだと言う。俺たちが出会って、今日まで積み上げてきたものが証拠だと言う。

 その言葉に、背中を押されないわけがない。

 心が震えないわけがない。

「……意外と、中身も成長してるのかもな」

「お、分かる人には分かるんだなー、これが!」

「分からない人にも分かるように振舞ってやってくれ」

 と言うけれど、分かる人に入って少し嬉しく思うドライルだった。酔いが回ってきたのかもしれない。

 カイとドライルは顔を見合わせて笑いあった後、真っすぐに手を伸ばし。

「「俺たちのこれまでとこれからに! 乾杯!!」」

 ジョッキを甲高い音と共にぶつけ合ったのだった。
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