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5『冥々たる紅の運命』

5 プロローグ

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「くそっ!」

 男の手で、テーブルが強く叩かれる。机上に乗っていた豪勢な食事が一瞬浮き、音を立てながら元に戻る。

 男が苛立つ様子を周囲の侍女たちはただ見ているだけしかできなかった。

「ぽっと出のクソガキ風情が、調子に乗りおって……!」

「でぃ、ディクソン様!」

 席を立ち、その場を後にしようとする男に、恐る恐る侍女が声をかける。

「食事の方にまだ手を付けられておりませんが――」

「食事などという気分ではない! 捨ててしまえ!」

 言葉と共に、ディクソンは食堂を飛び出した。

 豪華な装飾に彩られた長い通路を、怒りと共に進んでいく。外は雷雨に見舞われ、まるでディクソンの怒りが映し出されているかのようだ。

 自室へ向かう間も怒りが収まることはなく、それどころか増していく一方だった。

 食事を取ろうとしたディクソンに一報が入ったのだ。

 ドライル率いる共和派がまた小国を懐柔し、勢力を拡大したとのこと。

 弱者同士が群れおって……!

 ディクソンは言わずもがな王貴派であった。

 べグリフ存命時から、デンバンダン家は貴族として裕福な暮らしを送っていた。資金に困ることなど一度もなく、時には平民を奴隷のように働かせながら何一つ不自由などなかった。

 幼いころからディクソンにとってデンバンダン家はそういうものであり、当主になった今もそれは変わらない。

 はずだった。

 しかし、魔王べグリフがレジスタンスの筆頭ドライルによって倒されたことで状況が変わっていく。

 元々レジスタンスなど、取るに足らない存在だとディクソンは思っていた。弱者がどれだけ集まったところで魔王にはなど勝てはしないのだと。

 だが、一年前の第二次聖戦では正規魔王軍の侵攻を押さえることに成功しており、遂にドライルは人族のカイ・レイデンフォート、そして天使族のメア・ハートと協力して魔王べグリフを討った。

 この出来事はレジスタンス側の勢力を拡大することに繋がっていく。元々武力に対抗するために作られたレジスタンスが掲げたのは、力による支配からの脱却。全ての悪魔族に同じ権利を与えようとする、つまりは階級制の撤廃であった。

 そんなもの、ディクソン含め王族貴族側からしたら言語道断である。何が悲しくてこの裕福な暮らしを捨てなければならないのか。

 べグリフがいなくなった今はむしろ権力を拡大する好機なのだ。魔王という空席の座に誰が座るかこそ真の問題であり、ディクソン含め多くの王族貴族が狙っている。ベグリフがいなくなったからこそ、権力闘争が始まるのだ。

 なのに、それを邪魔するように共和派が勢力を拡大していく。ディクソンの想像以上に力によって支配されていたと、そう感じる国々が多いのだ。今となってはおよそ悪魔族の半数以上が共和派側についているとされている。

 考えようによっては権力争いの相手が減っていることにも繋がるが、事はそう簡単でない。半数以上が共和派である以上、魔王という権威から生まれる力はべグリフ時の四分の一にも満たないとディクソンは思っている。

 それでは魔王になる意味がない。権力を振りかざせるからこそ、王なのだ。

 共和だと。あり得ん。弱者は強者に付き従うものだ。

 ようやく自室に辿り着き、後ろ手で勢いよく扉を閉める。扉に当たってみても、心の荒波は収まることはなかった。

 この苛立ちを、延いてはこの問題を解決するために必要なものは分かっていた。

 単純なことだ。ベグリフ同様武力で共和派を抑え込んでしまえばいい。もう一度力による支配、恐怖を共和派の体に刷り込んでやればいいのだ。

 それが分かっていて、だが実行に移せずにいた。

 こちら側の人数が足りないわけでもなく、力がないわけでもない。

「くそっ、奴さえいなければ……!」

 懸念されるべきはべグリフを倒したというドライルの存在であった。

 ドライルの力をこの目で見たことがあるわけではない。だが、確かに魔王を倒したという事実・功績が、王貴派を武力抗争へと進ませない。

 それに人界、天界の存在もある。

 共和派は最終的に他種族との共和すら求めている。現に、ドライルは人族と天使族と協力した事実もある。どこで他種族が介入してくるか分からなかった。

 つまり現在、力による支配を望む王貴派が共和派の力に怯えている状況なのである。

 それをディクソン自身分かっているからこそ、余計に腹立たしいのだった。

 他種族と共生? 馬鹿馬鹿しい! 他種族から搾取することこそが、真に悪魔族の為になるだろう!

 ディクソンは怒りのまま窓を開け、眼下に広がる街を見つめる。雷雨だというのに、まだ人々が町中を闊歩している様子が見て取れた。そのほとんどが貴族であり、中にはみすぼらしい姿を平民も見て取れた。平民は必死に働いているようで、その周囲を嫌がるように貴族たちが傘を差しながら避けて通る。

 王族、貴族、平民。

 命には格付けがなされている。

 そうだ、これが真の形であろう。

 命とは生まれた時から平等ではなく、運命は決まっているのだ。

 ディクソンが煙草を吸う。

 その運命に抗おうとする共和派を捻りつぶさなければ。

 懸念点二つのうち、人界天界よりも可能性があるのはドライルの排除。ということで、ドライルの暗殺を幾度となく王貴派は企ててたが、現状失敗しているようだった。

「くそっ、くそっ!」

 苛立ちをぶつけるように、煙を吐き捨てる。夜空に白煙が吸い込まれていった。

 もっと力がいる。

 共和派を黙らせるくらいの力が。

 他種族をも圧倒する力が。

 べグリフをも超える、圧倒的な力が。





「力が、欲しいんだな?」





 その声は唐突に、ディクソンの背後から飛び出した。

「っ、誰だ!?」

 ノックの音など一切聞こえなかった。それに、今まで一度だって聞いたことのない声音。男の者のようで、低く体に響くような声だった。

 だが、振り向いたディクソンの視界に映ったのは、黒ローブに全身を包んだ怪しい男だった。顔も影になっていてよく見えない。

 如何にも不審な風体にディクソンも身構えるが、一方で黒ローブの男は余裕な様子で佇んでいた。

「いや大変だな。どのご時世も力がなきゃ何も成せない。願いを叶えられる一握りの命は皆等しく力を持っていた。奴隷だった人族を解放したゼノ・レイデンフォートだってそうさ。力が無ければ当然解放など夢物語だった。この前の聖戦だって、人界や天界に力さえなければ、このような結果になってはいなかった」

 語りながら、ディクソンの前を右に左に、まるで散歩でもするような気軽さで歩いていく。

「そう。何事にも力がいるのさ。追随を許さないほどに圧倒的であればあるほど、叶うものは増えていく。……そして、ディクソン・デンバンダン」

 ディクソンの名を呼び、黒ローブの男は指を鳴らしながら彼を指さした。まるで踊っているかのようだ。

「お前の叶えたい願いもまた、圧倒的な力があればこそ成就するだろう」

 何故自身の名前を知っているのか。何故願いを理解しているのか。

 突然姿を現した黒ローブの男は、ディクソンにはあまりに怪しく映った。

 だが、それ以上になぜか奴の言葉が、ディクソンの心にスゥーっと飲み込まれていく。

 と、次の瞬間、ディクソンと黒ローブの間に、突如として紅い光が溢れ出す。ゆらゆらと漂う怪しい紅色が、何故だかディクソンには魅惑的に見えて仕方がなかった。

 ずっと欲していたような。この光を知っているような。

 見ているだけで、命が燃えるような感覚に陥っていく。

 黒ローブの男が恭しく低頭しながら告げる。

「さぁ、ディクソン。光に手を。さすれば、願いを叶えられるほどの力をお前は手にすることができるだろう」

「お前は、一体……」

 甘美な誘惑への最後の抵抗のように、ディクソンがどうにか声を出す。

 顔が見えないはずなのに、黒ローブの男は確かにニヤリと笑っていた。

「これは運命さ、ディクソン。命には定めが存在している。俺がこうしてお前と出会うのも必然。そして、お前がこの力を手にするのも必然。お前という命の必定さ」

「必定……」

 怪しいはずなのに、どうしてかその言葉を全て信じる気になってしまう。

 そうだ、命とは生まれた時から平等ではない。生まれた時点で命の格付けは済んでおり、運命は決まっているのだ。

 こうして、状況を打開できる存在と出会えるのも運命。

 俺は、選ばれた存在。

 魔王になれる器。

「さぁ、その力で全ての命にあまねく運命を! 命に君が定めを下すのだ!」

 黒ローブの男が両手を広げて言い放つ。同時に轟く雷鳴。雨はまだ降り続けていた。先ほどよりも勢いが強くなっている。

 最早逆らう意思など存在せず、自分の意思でディクソンは怪しく揺蕩う光へと手を伸ばしていく。

 そうなることを最初から分かっていたかのように、黒ローブの男が不敵に笑う。

 第二次聖戦から一年と少しの月日が経とうとしている今。

 新たな闇が動き出そうとしていたのだった。





※※※※※





 彼は沈む夕日を窓から一瞥した後、傍に置いてある仮面を一撫でした。まるで道化師のように怪しく冷ややかに笑うその仮面は、まるで彼自身を嘲笑うかのようだ。

 嘲笑われてもかまわない。誰に何を言われようと知ったことか。

 たとえ人を殺してでも成し遂げたいことがある。

「……絶対、お前を幸せにしてやる」

 決意の言葉と共に仮面を被り、そして彼は訪れようとする夜へと飛び出していく。





 冥界への扉、必ず開いてみせる……!





 今宵もまた、闇に飲まれた市街が戦場へと変わろうとしていた。

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