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4『理想のその先へ』
4 エピローグ
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「あれ、シロはどうしたんですか?」
「もう寝てるよ、いい時間だからな」
「シロも毎日力仕事頑張ってくれてますからね」
「残念、シロにも会いたかったですが、後で寝顔でも見に行くことにします」
「そうしてやってくれ。……にしても、こうして集まるのも本当久しぶりだなぁ……」
「お互いやることだらけですからね」
「むしろこうして時間を作ったことに感謝してほしいくらいです」
「いや、お前が言い始めだろっ」
「そうでしたっけ」
「『どこかのタイミングで会えませんか……?』って、とても寂しいですぅ、辛いですぅ、って感じのメッセージ飛ばしてきたじゃん!」
「なっ、そんな気持ちは込めてませんよ!」
「でも、エイラからなのは認めましたね?」
「うっ……だって! そろそろ癒しが欲しい頃じゃないですか!」
そう言って、エイラがテーブルの上に両手を叩きつける。彼女の様子に、ゼノとセラは苦笑した。随分とお疲れで、色々溜まっているようだ。
ここはレイデンフォート王国、レイデンフォート城のゼノの部屋。国王なだけあって、広々と作られた部屋に置かれた大きな円状のテーブルに三人はついていた。テーブルの上には如何にも上品な赤ワインの入ったグラスが人数分、それに合った肴が並べられている。
「たまには、こういう日がないと体が持ちませんよ……!」
本当に心身お疲れのようで、エイラはグラスの中身を一気に飲み干してしまう。変な話ヤケ酒みたいだ。
「おいおい大丈夫か。そのペースで飲んでくつもりかよ……」
「それはそれで体が持たないような……」
「大丈夫ですよ、自分の限界は分かってますから」
酔っぱらいのそれほど信じられないものはないが。
言下、もう新しくグラスに自分でワインを注ぎなおすエイラ。こちらが注ぐのも待てないらしい。
器用なもので、注ぎながら窓の外に映る王国へと目を向けていた。
「それにしても、もうそろそろ二か月くらい経ちますが、だいぶ元に戻りましたね」
「ん? ああ、国民全員が協力してくれてるからな。あれだけの力が集まれば、そうだろうな」
すっかり深夜帯の市街には、路を照らす街灯くらいしか明りがない。この時間帯に起きている者も少ないのだろう。
日々、王国の復興作業に勤しんでいる分、深夜まで体力が持たないのかもしれない。
レイデンフォート王国は魔将ウルとの激しい戦闘によってほぼ壊滅状態であった。瓦礫の山があちこちに築かれており、とてもではないが、すぐに元の暮らしに戻ることはできなかった。
だが、国民達はその様子を聞きつけて、予定よりも早く戻ってきてくれたのである。本当ならば、ある程度衣食住を整えてからと思っていたのだが、それを手伝ってくれたのだ。おかげで予定よりもかなり復興が進んでおり、今では七割近くが復元された。レイデンフォート城もその一つ。国民達が自分の住居そっちのけで手伝ってくれたのである。おかげで今こうして集まれている。
良い国だ、本当に。民に恵まれてるな。
奴隷だった昔を想いながら、酒をあおる。酸味がグッと喉の奥に滑り落ちていき、鼻腔に芳醇な香りが抜けていった。
「戦場になったどの国も似た様子らしい。国の一大事となると、国民が一生懸命支えてくれてるようだ」
「どういう統治をしていたかが、国民の様子で分かりますね」
「……もしかしてアルガス大国の復興には、ウィンドル王国が協力を?」
「ああ、どうやらあの若王は律儀な性格らしいな」
ウィンドル王国は先の戦いに敗北した結果、現在はアルガス大国の属国扱いである。だからなのかは分からないが、ウェルムは戦場となったアルガス大国の復興に人員を割いているようだった。
「あと、噂だと王都ディスペラードは他国に比べると復興が多少なりとも遅れているらしい」
三王都が一つ、王都ディスペラードはこれまた魔将との戦いで随分と破壊されてしまったわけだが、復興自体は動き出しているものの、ペースが他国に比べると遅いようである。
「あそこは国王が亡くなられてますからね。復興とは別に国としても一波乱あるのでしょう」
「カイを使えば復興に協力はできるが」
「使えばって、実の息子に酷いじゃないですかっ」
セラが頬を膨らませて、ゼノを睨む。その頬は上気しているように見えた。
セラは酒に強いわけじゃないからなぁ。
まだグラスの中は全然残っているし、瞳も普段と変わらないが、もうどこか酔い始めているのだろう。……可愛いけど。
「いや、ごめんて。でも、なかなか向こうが良しとしないんだよ。それこそ国の内情など含めて、こっちに知られたくないんだろ。三王都との仲が戻ったわけじゃないからなぁ」
三王都は元々人族至上主義であり、天使族や悪魔族との共生を許していなかった。もしかしたら、今回の一件でその溝は広がってしまうかもしれない。
「別に復興できていないわけじゃないんですから、ほっとけばいいんですよっ」
心なしかエイラの当たりが強い気もする。酔っているのか、共生を許さない三王都の対応に納得がいっていないのか。というか、今の会話の間に三杯目へ突入しようとしていた。
「ま、まぁ、残りの王都ともうまく協力してやるだろうから、そんなに心配はしていないさ。……で、天界の方はどうなんだ?」
話をセラへと振る。いつ急に眠くなってリタイアするか分からないから、今のうちに聞いておいた方がいいだろうと踏んだのだ。
これまでも文面上ではやり取りをしていたから、何となくお互いの状況を知ってはいるが、改めて直接聞いておきたいとゼノは思っていた。だから、今回の席はちょうどよかったのである。
「……はぁぁぁぁぁ、そうですね」
話を振られた途端、セラが大きくため息をついた。普段のセラじゃここまで大きくため息をつくことはない。酔ってるな、これは。
「以前お伝えした通り、少し不穏な動きを見聞きするようになりました。やっぱり聖戦を経て、失ったものに比べて得たものがない、これを不満に思う者が徐々に増えているようです」
天界はレイニーの侵攻によって莫大な被害に遭っていた。数えるのに両手が必要なほど国を滅ぼされており、失った命は数知れず。難民も現れ、復興しないといけない場所ばかり。
だが、得たものと言えば、天界全体を立て直すには少なすぎる悪魔族からの賠償金のみである。それを補うように必死に王都から捻出して立て直しに尽力しているが、現状行き届いていない区域があるのも事実であった。
「まだ大事になるような事件は起きていませんが、小さな火種はあちこちにあるようで、いざこざやトラブルが頻発するようになってきました……」
「そんなに気にしなくてもいいのでは? あくまで全体の指揮を執るのはセラ様達かもしれませんが、その他自国で起きたことぐらい自分たちで対処してもらわないと」
「それは、そうなのですが……」
俯くセラ。その瞳からぽろぽろと涙がこぼれ始めた。
やれやれ、セラは酒を飲むと涙腺が緩くなるなぁ。
ゼノはすぐにセラの方へ椅子を動かし、その頭を撫でた。
「大丈夫だって」
「ゼノぉ……!」
「まだ大事になってないってことはさ、ちゃんと周りもどうにかしなくちゃって動いてる証拠だろ? セラだけじゃない、皆が良くなればいいなって思ってるんだ。一人で気負うなよ。セラが頑張ってるのは皆分かってるさ。セラが頑張ってくれてるから、周りも頑張れるんだよ」
「うぅ、ううううぅっ!!」
堰を切ったように、セラの大きな瞳から大量に涙が溢れ出た。ゼノは優しく彼女を抱きしめ、その背中をさすってあげた。セラもまるで幼子のようにゼノへと抱きつき、わんわん泣き始める。
「おー、よしよし、あんま無理すんなよなぁ」
「うぅ、だ、だってぇ……!」
「分かってる、分かってるから」
慰めながら、ゼノはエイラへと視線を向ける。
エイラは苦笑した様子で、またもやグラスにワインを注ぎ込んでいた。
「この会を必要としてたのは、何も私だけじゃないみたいですね」
「みたいだな……てか、やっぱ必要としてたんじゃねえか」
「そりゃそうですよ、早くお二人に逢いたかったですもん」
早速注いだ分に手を付けるエイラ。
もん、って……。
酒を飲むと、エイラは普段と違って素直というか正直になるから調子が少し狂う。
セラの背をさすり、落ち着かせながらエイラへと尋ねる。
「で、そっちはあれから進展あったか」
「そうですねぇ、もしかしたらそれほど遠くない未来で戦になるかもしれません」
「マジでか!?」
いつもと変わらないトーンで言う台詞じゃないだろうに。
これまで人界と天界の現状が伝えられたわけだが、やはり一番変化があるのは魔界であった。
魔王べグリフの敗北と消失。
魔界において絶対的な存在だった奴がいなくなった今、魔界は新たな時代へ進もうとしている。
これまでべグリフによる絶対王政が魔界ではまかり通っていた。誰も逆らえないほどの圧倒的な力を有していたからだ。全てがべグリフの言う通りに事が運ぶ。それがこれまでの魔界だった。
べグリフが魔石を必要としていたから、魔界では魔石の収集が頻繁に行われていたし、その過程で昔の人族のような奴隷扱いされた悪魔族も出てきていた。
その結果の、ドライル率いるレジスタンスであるが。
レジスタンスが人族天使族と協力してべグリフを討ったことで、悪魔族は現在二分されている。
一つはレジスタンス系列の共生派である。元々ドライル達のように奴隷被害に遭っている悪魔族が多い共生派であるが、その思想の根幹にはドライルの強い想いがあった。
少なくともドライルはカイが来てくれなかったら、一生あのまま国に拘束された生活が続くと思っていた。ドライルにとってカイは恩人なのである。そして、共生派に属す悪魔族たちにとって、ドライルは奴隷被害から解放してくれた恩人であった。
恩人の恩人が人族であるということ。そして、今回の聖戦で協力してべグリフ率いる悪魔族と戦ったこともあって、共生派は人族や天使族の存在を受け入れていたのであった。
また、べグリフの絶対王政によって被害を受けていた悪魔族が想像以上に多かったこともあり、元々レジスタンスではなかった悪魔族も多く共生派に属している。戦闘を好まなかったり、平穏を必要とする悪魔族もだ。
一方で共生派と対立するのが、王貴派であった。
以前の魔界においても平民、貴族、王族、という枠組みは存在していた。その中で平民が主に奴隷被害に遭っていた一方で、王族貴族側は何不自由なく暮らすことができていたのである。一定量の魔石奉納も貧困層の平民を金で雇って行わせ、自分で動くことはない。また、魔石関係なしに平民を奴隷扱いしていることもあった。
そんな王貴派であるが、べグリフが平民の多いレジスタンスによって討たれてしまったがために、話は変わってくる。
言わば王貴派はべグリフという絶対的な存在に隠れて自由な暮らしをしていた。しかしべグリフ不在の今、当然元のような暮らしを共生派が認めるわけがない。共生派は当然自分たちの真っ当な暮らしを主張してくる。だが、それではこれまでの自由気ままな生活ができない。
ゆえに、王貴派は共生派と対立しているのである。
エイラもまた、大きくため息をつく。
「せっかく戦いが終わったのに、また戦いなんて。なんて成長しない生き物でしょう」
「戦って、その共生派と王貴派のか」
「勿論。そもそも、賠償金の支払い自体、王貴派は許していませんでした。なぜ他種族に支払わなければならないのかと。おかしいですよね、本来支払うべき額はその何倍もあるというのに。そちらが人界と天界に侵攻してきたこと、覚えてないんでしょうか。自分たちが戦争に負けたこと、気づいてないんじゃないでしょうか。それに国と国同士の戦いじゃないんですよ。世界と世界って規模なんですよ。それでも、あの額でこちらが手を打ってあげてるんです。今後一番変化があるのは魔界だからと、こちらが譲歩してあげたんです。それも分からずに何故支払わなければならないって……。貰える分だけ貰えばよかったんですよ。そうすれば天界が厄介なことにならずに済んだんです。一度これまで自分たちが何をやってきたのか、とんでもないくらい痛い目見ればいいんです!」
「お、おう……」
すごい勢いでまくし立てられ、ゼノも思わず頷かざるを得なかった。やはり実地にいるからこそ思うところがあるのだろう。
聖戦終了後、エイラは人界を離れ、魔界へと旅立っていった。
前述したように、これからの魔界は様々な可能性を秘めた変化の時代である。共生派が魔界を安寧に導くかもしれないし、王貴派が古きを貫き通すかもしれない。
そして間違いなく、変化するまでの間に波乱が起きる。
エイラはそんな魔界を支えるために向かっていったのだ。それからというもの、一切人界へ帰ってくることなく、共生派のリーダー格であるドライルの傍でさまざまな助言やときどき指揮なんかも執っているらしい。
人界はゼノ。天界はセラ。魔界はエイラ。
三人がそれぞれの世界から、これから訪れるだろう新たな世界に応じようとしているのである。
溢れ出して止まない言葉の代わりに、エイラはどんどんと喉の奥へ赤い液体を流し込んでいく。
「……ぷはぁ。要は変わるのが怖いんですよ。変わって、これまでを失うのが怖いんです。馬鹿ですね、これまでがあるから、変われるんじゃないですか」
「そうだなぁ。王貴派との和解の方向が見えてきたらいいんだが」
「その為にはドライルと私の首が必要だって言い張ってますが」
「よし、倒そう。四の五の言わずに従わせよう、そんなくだらんことを宣う奴は」
ゼノもグラスの中を空にする。大して量は飲んでいないのに、少し頭がぼーっとしてきた。体が疲れているのだろう。セラがいつもより早く酔ったのにも納得できたし、対してエイラの飲みっぷりは最早恐怖であった。
「はぁ、なかなか上手いこと行かないもんだなぁ。わかっちゃいたけどさ」
べグリフは倒れた。三種族共生という理想の最大と言える障害が無くなったのである。じゃあ、そのまま理想が叶うかというと、それはまた別問題のようだった。
「カイが掴んでくれたんだこのチャンスを、絶対ものにしたいよなぁ」
「当然です。カイ様、凄い頑張ったんですよ。ゼノが意識不明で倒れてから、人界も天界も引っ張ってたんですから」
「聞いたよ、何回も聞いた」
カイの話をするエイラはとても幸せそうで、ゼノはカイのことをエイラに任せてよかったとその度に思う。
グラスの縁をなぞるように指を回しながら、エイラが呟くように声に出す。
「とても成長しました、カイ様は。こちらが驚くくらい」
「本人にそう伝えてやりゃいいのに」
「嫌ですよ、すぐ調子に乗りますし。……それになんだか恥ずかしいです」
「言ったら喜ぶと思うんだけどなぁ」
「分かってますよ、カイ様は私のことが大好きですからね」
「魔界に取り返しに行くくらいな」
「はい」
自信満々に頷くエイラ。本当に自信があるのだろう。頷きながら柔らかく微笑んでいた。なんだか可愛い。
「ゼノぉ、そんなにエイラばっかり見ないでください……!」
と思っていたら、先ほどまで抱きついて泣いていたセラが頬を膨らませてこちらを見つめてきていた。
「おー、なんだなんだ、元気戻ってきたか」
「エイラに夢中のゼノを見てたら、怒りと共に戻ってきました」
可愛いと思っただけなのに。なんてセンサーだ、セラセンサー。
「あら、ゼノ。私に夢中だったんですか?」
にんまりと笑みを浮かべ、どこかゼノをからかうような表情でエイラが見つめる。
「いや、夢中というか――」
「絶対夢中でしたー! エイラから目が離せなくてしょうがない、みたいな表情で微笑んでましたもん!」
「なるほど、ゼノ、そうですか。ようやく私の魅力に気づいたんですね。気づいてくれたんですね!」
そう言って、ゼノの方へとエイラが椅子を移動させる。素早い移動で、そのまま密着してしまいそうな勢いだった。
片やゼノに抱きつくセラに、片や詰め寄るように身を近づけるエイラ。どちらもしっかり酔っぱらっている。
どうしたらいいものだろう、と思案するゼノだったが、別にそれほど困っているわけではない。なんなら両手に花、それも極上の花だ。
だから、というわけではない。決してないけれど。
「幸せを、噛みしめてたんだ」
「美女二人との密会ですものね」
……だから、というわけでは決してなく。
「全てが解決したわけじゃないけど、間違いなく大きな一歩を踏み出せた。そこにちゃんと俺たちがいる。世界を変えようと集まった俺たちがまだちゃんといる。集まってさ、話して、泣いて、笑って。こうやって当たり前を過ごせてる。それが、とっても幸せだなって」
何故だか無性にそうしたくなって、セラの頭を撫で、そしてエイラの肩を抱いて密着させた。
「ゼ、ゼノ?!」
「えへへへ……」
頭を撫でてもらって、セラはすぐに上機嫌になった。おかげでエイラを抱きしめてることに気づかない。
どうしてもすぐ近くで二人に伝えたかった。
「初めて会ってからもう二十年以上経つのに、ずっっっっっと俺の傍にいてくれてありがとう。二人のお陰だよ、今日まで俺がいられるのは」
実は二人と同じくらい酔っているのだろうか。普段はこんなにストレートに言うことはないんだが。
ゼノは目を閉じ、優しく微笑んだ。
「大好きだ。これまでもこれからも、ずっとずっと大好きだよ」
二人はゼノの言葉に目を丸くし、お互い顔を見合わせ、そして幸せそうにゼノへと微笑んだ。セラはまた涙を瞳に溜め、エイラも頬を上気させて瞳を潤ませながら。
真っすぐに言葉を返す。
「「私も大好きですよ、ゼノ」」
どうしようもなくその言葉が嬉しくて。思わず涙が出そうなくらい嬉しくて。
それを堪えるつもりで、グラスへと手を伸ばそうとして気づく。
そういえば空にしたんだった。
ボトルを探すと、いつの間にかボトルの中も空っぽになっていた。
「ってエイラ、どれだけ飲んだんだ!?」
「そんなことより、このまま一緒に寝ましょう、ゼノ」
「はぁ!?」
「え、エイラ!? さてはゼノを取ろうとしてますね! あげませんよ、ゼノは私のですっ!」
「いいじゃないですか、今日くらい。ねぇ?」
「ねぇって俺に聞くな!」
「良くないです!」
「なら、三人で寝ますか?」
「……それならいいですよ!」
「セラ!? 絆されるな!」
「だってエイラ大好きですもん」
「私もセラ様のこと大好きですよ」
「じゃあ二人で寝たらいいじゃんか!」
「む、ゼノはじゃあ私たちのことは嫌いなんですね!」
「あーあ、先ほどの言葉は嘘だったわけですかー。セラ様、末代まで語り継ぎましょう。ゼノ・レイデンフォートは好きという言葉を軽々しく使う軟派者で女の敵だったと」
「なー、分かった、分かったから!」
女同士で肩を組みやがって……! なんてタチが悪くなるんだ。
「で、でも三人はいかに俺のベッドでも狭くなるだろ!」
「そこは大丈夫です、私がゼノの上で寝ます」
「エイラ!? それのどこが大丈夫なんですか! それなら私がゼノの上に!」
「いやいや私が!」
「私が!」
「お前たち、それ以外の選択肢ないのかよ!」
セラとエイラが顔を突き合わせて言い合う。揃いもそろって酒のせいでまともな判断ができてない。
まじめな話も大切だけど、こうやって馬鹿やるのもいいよなぁ。……多分二人はまじめに馬鹿やってるんだろうけど。
こりゃ、長い夜になりそうだなぁ……。
安眠を諦め、ゼノがため息をつく。ただその口角は楽しそうに上がっていたのだった。
※※※※※
コツ、コツ、コツ、と一定のリズムが周囲に響き渡るが、どれも壁に反響していく。不思議なもので交互に別の音程が響いていくが、階段を下りている当人は気にする様子もなく、どんどんと長い階段を下って行った。
やがて目的地に辿り着いて、カイは格子越しに少女の方を向いた。
「よっ、元気してるか、レイニー」
「……」
薄暗い牢屋の中で、レイニーは応じることなく、真っすぐにカイのことを睨んでいた。
レイデンフォート城の地下には、犯罪者を幽閉する牢獄が存在している。その最奥にレイニーは鎖に繋がれることなく、ベッドの上にちょこんと座っていた。
睨まれてることを気にすることなく、カイもまたその場に座り込んだ。
「いやー、この前朝にさ、親父に用があって部屋にいったら何とびっくり! セラとエイラの三人で寝てたんだよ。まぁ、最近疲れてるみたいだったし、仲良さそうで良かったんだけどさ。結局声掛けられず仕舞い。声掛けて起きた時に向こうが裸だったりしたら気まずくてしょうがないし。なーんて、ただ気持ちよさそうに寝てたからやめただけなんだけど、もしかしたら……って、子供にする話じゃなかったわ。なんか、えっと、悪い」
「……歳は」
「ん?」
「お前の歳!」
「え、ああ、十七だけど。もうすぐ十八になるけどな」
「私はお前の二倍以上も上だ。二度と子ども扱いするな」
そう言ってレイニーがそっぽを向いてしまう。彼女はそう言うが、幼い見た目に高い声音。どう見ても子供のそれである。長い黒髪が無造作に跳ねており、まるで寝ぐせみたいだった。
随分素っ気ない対応だが、カイは嬉しそうに表情を綻ばせた。
「お、今日は喋ってくれる日か!」
「……お前が毎日しつこく話しかけてくるからだ」
「いやな、出る気になった時に人が傍にいないと伝えられないだろ? だから毎日足繁く通ってるわけで」
「余計なお世話だ」
「手厳しいな……まだ出てこないつもりか?」
「……」
カイの問いにレイニーは答えない。
聖戦が終わり、べグリフは冥界に飲み込まれて消失した。
レイニーにとっては唯一の心の拠り所でもあり居場所そのものであった奴が消えたことで、当時のレイニーは完全に意気消沈し、心ここにあらずという様子であった。
当然そのままレイニーだけ放置とはならない。ベグリフから頼むと言われたゼノは、動こうとしないレイニーを無理やり担いでレイデンフォート王国へと帰還したのだった。
帰還後、レイニーの対応に検討が必要になった時だった。
「牢に繋いでくれ。もう暴れない」
茫然自失のように見えたレイニーがそれだけをぼそりと呟いたのである。
現にレイニーには今敵意など存在せず、ゼノとシロの力で魔力を抑え込まなくても暴れることはなかった。
正直少女の見た目をした彼女を牢に入れるのは、心が痛いところもあったが本人の意思を尊重して牢に入れた。鎖で繋いでいないのはせめてもの自由である。
そうしてレイニーが牢に入ってから既に二か月以上経つわけだが、まだレイニーは牢から出ようとしない。申し出さえあれば、いつでも出られるようにしているのだが。
そして、それからである。カイがこうして毎日レイニーの元を訪れるようになったのは。
レイニーが辟易するほど、カイは毎日訪れては何気ない話をして帰っていく。いったい何のためにここに来ているのか、レイニーには理解できなかった。
そもそも、なぜそこまで私を牢から出そうとするのだろうか。
「……私が出たら、困るのはお前たちだろ。いつまたお前たちの国々を破壊し始めるか分からないぞ」
「でも、もう暴れないって言ってたじゃん」
「敵の言うことを信じるのか」
「うーん、敵、とも何か違うような気ぃするけど」
「……私はお前たちの仲間を殺したんだぞ」
レイニーへの対応でまず間違いなく問題として挙がるのが、レイニーが聖戦で行った所業である。
天界の国々をいくつも滅ぼし、更にはアグレシアを殺した。この事実をどう処理するかだった。普通に考えれば、命を生かしているのもおかしいくらいだった。間違いなく聖戦参加者の中で誰よりも命を奪ったのはレイニーである。それだけの命を奪った彼女を、生かしておく理由などないのかもしれない。
「それを許すとは言ってないだろ。お前のやってきたことを正当化なんてしない。たくさんの命を奪ったんだ、許されることじゃないし、償えるものでもないのかもしれない」
「……」
「ただ、べグリフとのやり取りを見て思ったんだ。許されることじゃない。でも、それがあの時のお前にとって『生きる』ということだったんじゃないかなって。そうすることでしか、生きられなかったんじゃないかって」
カイは自分の右掌を見た。薄暗い通路に小さく灯る光が、鋼の掌に反射して眩しい。
「あの戦いも踏まえて思ったんだよ。戦争ってさ、お互いが譲れないほど大切なものがあるから起きるんだなって。俺はエイラを取り返すために魔界に宣戦布告しちゃったし、ウェルムだって国を守るためにアルガス大国へ戦をけしかけた。譲れないから、大切だから戦うんだなって。きっとお前にとっても大切なものがあったから、あれだけのことをしたんじゃないかなって」
「それは……」
「勿論戦争を許すわけじゃないよ。命を奪うのと一緒さ、正当化なんてしない。でも、そこには誰かの想いがあるんだって、分かったんだ。ベグリフと戦って、誰かの想いの大切さを知れた。だから、正当化しないけれど、完全に否定もしない」
掌から、レイニーへと視線を移す。
話しながら、何となくカイは気づいていた。
どうしてレイニーが自ら牢に入り、出てこようとしないのか。
「レイニー、もしかして、『どう生きたらいいのか』分からないんじゃないか?」
「……!」
薄暗がりの中で、レイニーの瞳が大きくなったのが分かった。どうやら当たりのようだ。
「さっき言ったみたいに、あれがお前にとっての『生きる』ってことだったんだ。ベグリフに認めてもらうために、強くなって力を振るうことが。聖戦は、お前にとってべグリフに認めてもらうための戦いだったんだ。でも、結局親父たちに負けてしまった。レイニーにとっての『生きる』が果たせなかった瞬間だった。だから、べグリフの前であんなに辛そうだったんだろ」
「……お前に何が分かる」
ギリッとレイニーがより強くカイを睨む。そこには憎悪も交じりながら、困惑した様子も見て取れた。
「分からないよ、分からないから想って考えるんじゃないか」
一切の揺らぎなく、真っすぐにカイはそう言った。その言葉の芯には何があるのか、何がそこまでこの男を強くするのか、レイニーには分からなかった。
カイは言葉を続けていく。
「確かにお前は負けた。でも、そんなお前をべグリフは否定しなかった。それどころか言ってくれてたじゃないか。『何よりも、よく生きて帰ってきた』って。力なんてなくたってよかったんだ。強くなくたって、べグリフは認めてくれたんだよ」
「……」
「そして、べグリフはお前に最後に言うんだ。『生き抜け』って」
カイの言葉に、レイニーは徐々に俯きだしていた。カイの言うことは全て気持ち悪いくらい当たっているのだ。
そう、レイニーは分からない。
彼女にとって『生きる』とは、べグリフの為に力を振るうことだった。その為に力を磨き、強くなった。ベグリフの役に立つため。これから先ずっと傍にいられるように。
でも、レイニーは負けてしまった。磨いた力もゼノ達には届かなかった。
べグリフはレイニーに力があるから傍においてくれている。誰かに負ける自分などに価値はない。そう思っていた。だからあの時、べグリフの前でレイニーは捨てられる覚悟で泣いていたのだ。
しかし、べグリフは捨てなかった。それどころか、心を拾ってくれた。
べグリフにとって力は全てではなかった。少なくともあの瞬間はそうでなかった。
それがとてつもなく嬉しくてたまらなくて、でもだからこそ思う。
『生き抜け』とべグリフは言った。
『生きる』とはレイニーにとって力だった。でも、べグリフにとって力は全てではない。
なら、『生きる』とは何なのだろう。
「ずっとこの牢屋で考えてるんだろ。『生きる』とは何なのか。力を必要としない、『生き方』を」
「……お前、気持ち悪いな」
「よく言われる」
首をすくめ、カイが苦笑する。
「でも、その言い方からして当たってるか? そのとんでもない力を振るおうとしないところとか、べグリフを倒した俺を攻撃しようとしないところから、何となく想像したんだけど」
「勿論べグリフ様を倒し、冥界へ連れていかせたお前のことを許すつもりはない」
「おお、見解は一緒ってわけだ」
レイニーにとって、目の前の男は憎い仇だった。
最初の頃、牢に訪れるカイを見て何のつもりだと思った。何ならこちらを煽ってるのかとも思った。よく平気で顔出せるなと。
でも、向こうにその気がないことはすぐに分かった。毎日通っては、どうでもいいことを楽し気に話していく。知りたくもない人々の情報やその日あった出来事など、本当にどうでもいいことだ。おかげで何となく登場する者の名前と特徴を覚えてしまった。
不思議なもので、二か月もこうやってカイの話を聞いていると。
憎いのに、何故だか憎めなかった。
「別に許してほしいとは言わないさ。俺もアイツは倒さなくちゃならなかったからな。でも、まさか冥界なんていう訳が分からないところに連れていかれるとは思わなかった。せっかく少しは心が通じ合えたかな、なんて思ってたのに」
「べグリフ様とお前が? 通じ合うには器が違いすぎるぞ」
「お、言うねぇ。いいのか、そんなこと言うなら冥界に連れて行かないぞ?」
「っ!?」
冥界に連れていく。その言葉を聞いた途端、レイニーはベッドから飛び上がり、一気に格子に掴みかかった。
「行けるのか、冥界に!!」
あまりの勢いにカイは驚いていたが、すぐに苦笑しながら首を横に振った。
「いいや、あくまで行き方が見つかったらだ。今のところ探してみてるけど、それらしい手段は見つかっていない」
そもそも冥界とは何なのか、まったく理解できていない。そういえば小さい頃にセラに読んでもらった絵本の中に冥界って単語が出てきていた気もするが、それが実際どんなところなのか、冥界という概念自体ふわふわしている気がする。
べグリフの奴、さては厄介ごとを持ってきやがったな。
「……そっか」
分かりやすく落ち込むレイニー。本当に彼女にとってべグリフは全てなのだろう。
何故だかカイはその頭を撫でてしまった。
「――っ!?」
まるで動物のように背後に跳ね、頭を押さえながらカイを睨む。
「お、お前!! 子ども扱いするなと言っただろ!」
「いや、どう励ませばいいかと思ってな。すまんすまん」
「悪いと思ってないな!?」
「俺のこと、分かってきたじゃないか」
ニヤリと不敵に笑うカイ。二か月も勝手に話しかけられたら嫌でも分かる、とレイニーは思ったが口には出さなかった。
「まぁ、俺達が何しなくても、アイツのことだ、勝手に出てきそうではあるが。必ず戻ってくるとか言ってたしな。でも、せっかくならこっちから向かいに行ってぎゃふんと言わせたいところでもある」
カイは重い腰を上げた。来てからというもの、座りっぱなしでお尻が痛くなってきたのもあるが、そろそろ行くつもりでもあった。
「もし、べグリフが帰ってきた時、ずっとここに居たこと俺がバラすけどいいのか?」
「何でそんなことするんだ!?」
「しなくてもバレそうなものだけど……でもさ、べグリフの言う『生き抜け』ってそういう意味だと思うか?」
「……」
カイの言葉に、レイニーは口を噤んでしまう。
まだ『生きる』ということがよく分かっていない。でも、ここにずっといることがべグリフにバレるのは、不思議ととてもバツが悪く感じる。
それは、無意識のうちにここに居ることと『生きる』とは違うと判断しているからだろうか。
また悩みだしたレイニー。二か月も牢屋の中にいてまだ答えが出せていない。或いは出ているのに気づいていないのかもしれない。
そんな彼女を見て、カイは尋ねずにはいられなかった。
「……なぁ、『生き抜け』っていうべグリフの言葉、お前にとっては呪いか?」
カイの問いに、悩んでいたはずのレイニーは即答した。
「そんなわけないだろ。べグリフ様の言葉は私にとって全部力になるんだ。今悩んでいるのは、ちゃんと力にしたいからだ。分かったら、さっさとどっかに行け!」
その答えに、カイは優しく微笑んだ。
アイツも幸せ者だな。
「へいへーい、んじゃ、また明日来るからなー」
「来なくていいといつも言ってるだろ!」
「っていう寂しいアピールなのかと」
「ひねくれ過ぎだ! むしろお前が寂しいから来てるんじゃないのか!」
「それは……ある! 最近イデアが俺のこと避け気味だからなぁ。その話、聞いてくれるか?」
「その話はもう何回も聞いた! 自分でどうにかしろ!」
「冷たいなぁ。ま、どうにかするけどさ」
こういうやり取りをできるようになって良かったなと、カイは心から思っていた。
カイもレイニーのしたことを許してないし、レイニーもカイを許していない。
互いに許していないけれど、それでも話し合うことはできる。
許す、という行為はきっと過去に向けて行われるものだ。過去、これまでの間に起きてしまった出来事を分別する際の枠組みの一つなんじゃないだろうか。
許そうと許されまいと過去に起きたことは変わらない。
大切なのはその先なのだろう。許されて、許されなくて、だから次にどうするのか。
「あ、おい!」
立ち去ろうとしたら、背中に声を掛けられ振り向く。
「なんだよ、やっぱ寂しいんじゃないか」
「違うに決まってるだろ! この際だ、お前にとっての『生きる』って意味を教えていけ!」
随分と偉そうにものを尋ねてくるなぁと思ったが、向こうの方が全然年上なのだった。
俺にとっての『生きる』かぁ。
「そうだなぁ、俺にとっては―――」
思いついたことをそのままレイニーへと伝える。
カイの答えはレイニーにどんな影響を及ぼすだろうか。それとも全く無駄だったかもしれない。
けれど、レイニーがこの場所から出るのは遠くない未来のように思えたのだった。
※※※※※
「――というわけでして」
イデアがため息をつき、困ったような表情のまま話を終える。
「ふぅむ、これは……」
「意味が分からんぞ」
それをミーアとシーナが困惑した様子で聞いていた。
「最近悩んでるなぁと思ったら、こりゃ難題だ……」
「そうなんです、どうしたらいいのか分からなくて」
最近のイデアはどこか元気がなく、それでいて一人でいることが多かった。以前はカイとセットみたいなものだったのに、これは変だとミーアセンサーに引っかかったのである。
どうせお兄ちゃんが何かやったんでしょ、程度の間隔でイデアに話しかけ、傍にいたシーナもついでにミーアの部屋へ連れてきたわけだが……。
どうも単純な話だけど、解決の難しい話であった。
……確かにお兄ちゃんが原因ではあるけれど。
「一回整理させて。事件発生は魔王撃破後二人で並んで座ってる時、だったよね。そこでお兄ちゃんが今後の決意を語ってくれたと」
「そうなんです。その時のカイがとてもカッコよくて……」
思い出すだけでイデアの頬が真っ赤に染まり、何だか幸せそうに微笑んでいた。
こりゃ重症だ……。
ミーアだけではなく、この手の話には疎いシーナもそう思わざるを得なかった。
「えっと、それであまりのカッコよさに?」
「……何だかカイのこと、見れなくなっちゃいました」
そう言ってガクッとイデアが項垂れる。
「最近は声とか聞くだけでも心臓が跳ね上がっちゃって体が持たないんです。傍にいたいけれど、傍にいられないんです。どうしても目が合うと逸らしてしまうし、何だか無性に体が熱くなってしまって。恥ずかしいのか何なのか分からないのですが、とにかく一緒にいられないんです」
本当に悩んでるんです、と言わんばかりにイデアが再度ため息をつく。
悩んでいるのはよくわかったが、なかなか理解しがたい状況であった。
「え、でもご主人とイデアは結婚してるんだよな?」
「そうですよ?」
「じゃあ何でそうなるんだ?」
シーナの疑問はごもっともで、ミーアもそこがどうしても理解の邪魔をする。
これまでのイデアを見ていたら、誰だって理解しがたいだろう。
何なら初対面でイデアはカイのことを好きになっているし、それからというもの何度もカイへアピールを続けていた。鈍くて頓珍漢な兄のどこがいいのだろうとミーアは思うけれど、イデアにとってはそうでないのだろう。カイが霞むくらいイデアは積極的だったし、誰がどう見てもイデアはカイのことが好きだった。当然カイにも伝わっているし、イデアはそれを隠そうともしない。
こと恋愛において、イデアが照れたり気恥ずかしそうにする姿が早々できないのである。
だが、今のイデアはどうやらその想像できない姿に変わりつつあるようで。
ミーアはゴクリと唾を飲み込み、とりあえずの見解を伝えてみる。
「イデアちゃん、それって多分……」
「は、はい……!」
真剣な表情でイデアがこちらを見てくるが、そんなまともなことを言えるわけじゃない。
「多分、好き避けだよ」
「好き、避け?」
知らない単語に首を傾げるイデアとシーナに、苦笑しながらミーアが教えてあげる。
「要は好きなんだけど、何故だか照れくさくて話しかけられなかったりすること。付き合い始めのカップルとか、付き合う前の男女に多いみたい」
「好き避け、なるほど。私は今好き避けの状態なんですね!」
何かが解決したようにイデアが目を輝かせるが、全然解決していない。
「……ん? でも、二人は結婚してるって」
「だから、難問なんじゃない!」
付き合う前後の男女とかのレベルではない。既に結婚まで済ませている者の話だ。もしかしたらミーアが知らないだけで数々の階段を上っているかもしれない男女の話なのだ。
ここまで来て、どうしてそんな事態に陥ってしまうのか。何故世にいる男女と逆の手順で進んでいくのだろう。
何故、今になって好き避けなんてことに……。
「それで、どうやったら避けないようになるんですか?」
「それは、知らない」
「え」
「こ、こういうのはカップル毎に答えがあるから、簡単に解決する問題ではないの!」
「え、ええーー!? そんなぁ!?」
さらに今、ここに交際をしている人物はおらず、アドバイスになるようなことを言えなかった。
「ということで、ダリルを連れてきたよ!」
「どういう訳だ。急に拉致されたんだが……」
ミーアがすぐさま部屋を飛び出し、近くにいたダリルを連行してきたのである。当然ダリルは困惑した様子であった。
「つまりね、かくかくしかじかで……」
「ああ、なるほど。……でも、俺だって結婚してる人間だぞ? 参考にならないと思うが」
「いいの! 少なくとも私やシーナよりは経験してるんだから!」
「ふむ、好き避けの対処かぁ……」
少し思案しているダリル。
だが、どうやらすぐに答えは出たようで。
「慣れ、だな」
「慣れ?」
首を傾げる三人にダリルは頷く。
「イデア様、どんなに恥ずかしいことでも照れくさいことでも、何度も繰り返していればやがて慣れるものなんですよ」
「それはダリルの実体験か?」
「実体験と言えばそうか。最初の頃メリルに何度アプローチをかけられて狼狽えていたことか。でも、だんだん慣れて今ではそのアプローチすら愛しく思えるよ」
「おおー、大人だぁ」
パチパチと起こる三人のかわいらしい拍手に、ダリルは苦笑する。
「ですが、イデア様の場合は本来慣れていたはずですから、普通よりはかなりの時間を必要とするかもしれませんね」
「かなりの時間……」
そう聞いてイデアが悲しそうな表情を見せる。すぐにダリルは声を明るくかけた。
「大丈夫ですよ。イデア様がカイのことを大好きなのはカイも知っていますし、その様子だとイデア様もカイの傍に居たいのでしょう。二人はいつまでも相手を想い合っていますから、必ず前みたいに戻れるはずです」
「ダリル……ありがとうございます!」
「連れてきて正解だったね!」
ミーアの言葉に、イデアが頷く。その様子をにこやかに見ながら、ダリルが言葉を続ける。
「連れてきてで思い出した。今日はこれからカイと稽古の予定だったんです。気分転換に外で行う予定だったので、今頃カイは庭園にいるんじゃないでしょうか。イデア様、慣れる意味でも行ってみたら如何ですか?」
ナ、ナイス誘導だよ、ダリルー!
心の中で親指を立てるミーア。それが伝わったのか、ダリルも頷いていた。
「……分かりました、私、行ってきます!」
ダンっと勢いよく立ち上がったイデア。
「頑張ってね、イデアちゃん!」
「ご主人に負けるな!」
「応援していますよ」
三人の声援を背中に浴びて、ミーアの部屋を出た。
カイは庭園にいるって話でしたね。
庭園には色とりどりの花々が育てられており、イデアの好きな場所の一つだった。景観が美しいし、空気も澄んでいる気がするのだ。庭園の中に張り巡らされた水路から聞こえる水音、木々に止まった鳥のさえずり。どれもが自然を感じさせ、心を癒してくれるのだ。
「……あ、カイ」
庭園に辿り着いたイデアは、早速カイの姿を見つけた。庭園にも広場のような空間があり、そこなら花々を傷つけることなく稽古もできる。
カイはそこで素振りを一人で行っていた。
「遅いなぁ、ダリルの奴……約束を忘れるような奴じゃないんだが……」
呟きながらも、木刀を振る手をやめない。
暑かったのか上半身裸のカイ。
その左腕と右掌は鋼の機械と化していた。
《魔魂の儀式》が解かれ、左腕と右足、それに左目を失ったカイ。右掌も戦闘中に斬り飛ばされた彼は、当初こそ魔力で補って生活していたが、ある日、復興中のアルガス大国から呼ばれた。
行ってみると、そこには機械腕を手に持った女王マキナがお出迎えしていたのである。以前ウィンドル王国との戦争を助けてくれたこと、そして今回の聖戦の功績も踏まえ、無償で腕や足を補ってくれるという話であった。
とはいえ、やはり復興中の国を見て今はいいよと断ろうとしたカイだったが、『そろそろ機械作りをしないとおかしくなってしまいますわ……!』という血走った目で女王に言われてしまえば、断ることもできず。
結果として右掌に左腕、膝から先の右足と、左目の義眼まで作ってもらった。義眼に関してはしっかり黒目で、ちゃんと覗いて見てみないと違いが分からないほどである。
最初は扱い慣れておらず動きにくそうにしていたカイだったが、もうだいぶ体に馴染んだようである。
カイを見つけたものの、イデアはまだ話しかけられずにいた。
正確にはカイに見惚れていたのである。
上半身に見て取れる筋肉の隆起。昔より全然筋肉がついたようで、その体からは逞しさを感じる。そういえば、どこか背も伸びただろうか。
そして、体を流れる汗がどこかカイを妖艶に見せてくる。
かっこいい……。
「って、違う違う」
思わずうっとりしてしまったが、ここに来た目的を果たさなければ。
嫌いなんかではない。むしろ好きなんだから。
勇気を振り絞って、大好きな彼を呼ぶ。
「カ、か、カイっ……!」
それでも緊張してしまい、どこか声が上ずってしまった。それもまた恥ずかしくて、イデアは目を閉じてしまう。
「ん? あれ、イデア!」
だが、すぐにイデアは目を開けた。聞こえてきたカイの声がとても嬉しそうに感じたからだ。
瞳を開けると、そこにはイデアを見て嬉しそうに笑うカイの姿があった。大きく腕を動かして手まで振ってきてる。
その姿を見るだけで実感できる。
ああ、本当に。
私はこの人のことが好きなんだ。
どうしようもないくらい。体が火照って仕方がないくらい。
でもやっぱり照れくさくて、手首だけ動かして手を振り返す。
それだけでもカイは嬉しそうにして、イデアへと駆け出して行った。
この際だ、お前にとっての『生きる』って意味を教えていけ!
レイニーにそう尋ねられた時、カイの頭にはすぐに浮かんでいた。
「生きてて良かったって思えるように、生きてくれて良かったって思ってもらえるように、毎日を精一杯過ごすこと。……そして、どんな時でも、イデアを想い続けて共に生きることだ!」
きっと『生きる』って簡単じゃない。想いと同じでたくさんの生き方があって、それを選ぶ人の想いがあって。無限の可能性のなか、誰もが必死に『生きている』。
誰もしも一人じゃ『生きられない』。誰かと繋がりあいながら、時にはぶつかり合いながら、不器用にも支えあって『生きていく』。
だからできれば、関わってきた人に『生きてくれて良かった』って思ってもらいたい。そうすることで、『生きていて良かった』ってきっと思えるから。
『生きてきた意味』は、それが終わる最後にしか分からないのだろう。
だからそれまで、精一杯進み続けようと思う。
頬を赤く染めながら、はにかむように笑うイデア。
大切な人と、決して離れないように手をつなぎながら。
カイもまた、微笑みながら傍へと駆けていく。
まるで二人を閉じ込めるように風がなびき、鮮やかな花びら達が宙に舞っていった。
『4』END
「もう寝てるよ、いい時間だからな」
「シロも毎日力仕事頑張ってくれてますからね」
「残念、シロにも会いたかったですが、後で寝顔でも見に行くことにします」
「そうしてやってくれ。……にしても、こうして集まるのも本当久しぶりだなぁ……」
「お互いやることだらけですからね」
「むしろこうして時間を作ったことに感謝してほしいくらいです」
「いや、お前が言い始めだろっ」
「そうでしたっけ」
「『どこかのタイミングで会えませんか……?』って、とても寂しいですぅ、辛いですぅ、って感じのメッセージ飛ばしてきたじゃん!」
「なっ、そんな気持ちは込めてませんよ!」
「でも、エイラからなのは認めましたね?」
「うっ……だって! そろそろ癒しが欲しい頃じゃないですか!」
そう言って、エイラがテーブルの上に両手を叩きつける。彼女の様子に、ゼノとセラは苦笑した。随分とお疲れで、色々溜まっているようだ。
ここはレイデンフォート王国、レイデンフォート城のゼノの部屋。国王なだけあって、広々と作られた部屋に置かれた大きな円状のテーブルに三人はついていた。テーブルの上には如何にも上品な赤ワインの入ったグラスが人数分、それに合った肴が並べられている。
「たまには、こういう日がないと体が持ちませんよ……!」
本当に心身お疲れのようで、エイラはグラスの中身を一気に飲み干してしまう。変な話ヤケ酒みたいだ。
「おいおい大丈夫か。そのペースで飲んでくつもりかよ……」
「それはそれで体が持たないような……」
「大丈夫ですよ、自分の限界は分かってますから」
酔っぱらいのそれほど信じられないものはないが。
言下、もう新しくグラスに自分でワインを注ぎなおすエイラ。こちらが注ぐのも待てないらしい。
器用なもので、注ぎながら窓の外に映る王国へと目を向けていた。
「それにしても、もうそろそろ二か月くらい経ちますが、だいぶ元に戻りましたね」
「ん? ああ、国民全員が協力してくれてるからな。あれだけの力が集まれば、そうだろうな」
すっかり深夜帯の市街には、路を照らす街灯くらいしか明りがない。この時間帯に起きている者も少ないのだろう。
日々、王国の復興作業に勤しんでいる分、深夜まで体力が持たないのかもしれない。
レイデンフォート王国は魔将ウルとの激しい戦闘によってほぼ壊滅状態であった。瓦礫の山があちこちに築かれており、とてもではないが、すぐに元の暮らしに戻ることはできなかった。
だが、国民達はその様子を聞きつけて、予定よりも早く戻ってきてくれたのである。本当ならば、ある程度衣食住を整えてからと思っていたのだが、それを手伝ってくれたのだ。おかげで予定よりもかなり復興が進んでおり、今では七割近くが復元された。レイデンフォート城もその一つ。国民達が自分の住居そっちのけで手伝ってくれたのである。おかげで今こうして集まれている。
良い国だ、本当に。民に恵まれてるな。
奴隷だった昔を想いながら、酒をあおる。酸味がグッと喉の奥に滑り落ちていき、鼻腔に芳醇な香りが抜けていった。
「戦場になったどの国も似た様子らしい。国の一大事となると、国民が一生懸命支えてくれてるようだ」
「どういう統治をしていたかが、国民の様子で分かりますね」
「……もしかしてアルガス大国の復興には、ウィンドル王国が協力を?」
「ああ、どうやらあの若王は律儀な性格らしいな」
ウィンドル王国は先の戦いに敗北した結果、現在はアルガス大国の属国扱いである。だからなのかは分からないが、ウェルムは戦場となったアルガス大国の復興に人員を割いているようだった。
「あと、噂だと王都ディスペラードは他国に比べると復興が多少なりとも遅れているらしい」
三王都が一つ、王都ディスペラードはこれまた魔将との戦いで随分と破壊されてしまったわけだが、復興自体は動き出しているものの、ペースが他国に比べると遅いようである。
「あそこは国王が亡くなられてますからね。復興とは別に国としても一波乱あるのでしょう」
「カイを使えば復興に協力はできるが」
「使えばって、実の息子に酷いじゃないですかっ」
セラが頬を膨らませて、ゼノを睨む。その頬は上気しているように見えた。
セラは酒に強いわけじゃないからなぁ。
まだグラスの中は全然残っているし、瞳も普段と変わらないが、もうどこか酔い始めているのだろう。……可愛いけど。
「いや、ごめんて。でも、なかなか向こうが良しとしないんだよ。それこそ国の内情など含めて、こっちに知られたくないんだろ。三王都との仲が戻ったわけじゃないからなぁ」
三王都は元々人族至上主義であり、天使族や悪魔族との共生を許していなかった。もしかしたら、今回の一件でその溝は広がってしまうかもしれない。
「別に復興できていないわけじゃないんですから、ほっとけばいいんですよっ」
心なしかエイラの当たりが強い気もする。酔っているのか、共生を許さない三王都の対応に納得がいっていないのか。というか、今の会話の間に三杯目へ突入しようとしていた。
「ま、まぁ、残りの王都ともうまく協力してやるだろうから、そんなに心配はしていないさ。……で、天界の方はどうなんだ?」
話をセラへと振る。いつ急に眠くなってリタイアするか分からないから、今のうちに聞いておいた方がいいだろうと踏んだのだ。
これまでも文面上ではやり取りをしていたから、何となくお互いの状況を知ってはいるが、改めて直接聞いておきたいとゼノは思っていた。だから、今回の席はちょうどよかったのである。
「……はぁぁぁぁぁ、そうですね」
話を振られた途端、セラが大きくため息をついた。普段のセラじゃここまで大きくため息をつくことはない。酔ってるな、これは。
「以前お伝えした通り、少し不穏な動きを見聞きするようになりました。やっぱり聖戦を経て、失ったものに比べて得たものがない、これを不満に思う者が徐々に増えているようです」
天界はレイニーの侵攻によって莫大な被害に遭っていた。数えるのに両手が必要なほど国を滅ぼされており、失った命は数知れず。難民も現れ、復興しないといけない場所ばかり。
だが、得たものと言えば、天界全体を立て直すには少なすぎる悪魔族からの賠償金のみである。それを補うように必死に王都から捻出して立て直しに尽力しているが、現状行き届いていない区域があるのも事実であった。
「まだ大事になるような事件は起きていませんが、小さな火種はあちこちにあるようで、いざこざやトラブルが頻発するようになってきました……」
「そんなに気にしなくてもいいのでは? あくまで全体の指揮を執るのはセラ様達かもしれませんが、その他自国で起きたことぐらい自分たちで対処してもらわないと」
「それは、そうなのですが……」
俯くセラ。その瞳からぽろぽろと涙がこぼれ始めた。
やれやれ、セラは酒を飲むと涙腺が緩くなるなぁ。
ゼノはすぐにセラの方へ椅子を動かし、その頭を撫でた。
「大丈夫だって」
「ゼノぉ……!」
「まだ大事になってないってことはさ、ちゃんと周りもどうにかしなくちゃって動いてる証拠だろ? セラだけじゃない、皆が良くなればいいなって思ってるんだ。一人で気負うなよ。セラが頑張ってるのは皆分かってるさ。セラが頑張ってくれてるから、周りも頑張れるんだよ」
「うぅ、ううううぅっ!!」
堰を切ったように、セラの大きな瞳から大量に涙が溢れ出た。ゼノは優しく彼女を抱きしめ、その背中をさすってあげた。セラもまるで幼子のようにゼノへと抱きつき、わんわん泣き始める。
「おー、よしよし、あんま無理すんなよなぁ」
「うぅ、だ、だってぇ……!」
「分かってる、分かってるから」
慰めながら、ゼノはエイラへと視線を向ける。
エイラは苦笑した様子で、またもやグラスにワインを注ぎ込んでいた。
「この会を必要としてたのは、何も私だけじゃないみたいですね」
「みたいだな……てか、やっぱ必要としてたんじゃねえか」
「そりゃそうですよ、早くお二人に逢いたかったですもん」
早速注いだ分に手を付けるエイラ。
もん、って……。
酒を飲むと、エイラは普段と違って素直というか正直になるから調子が少し狂う。
セラの背をさすり、落ち着かせながらエイラへと尋ねる。
「で、そっちはあれから進展あったか」
「そうですねぇ、もしかしたらそれほど遠くない未来で戦になるかもしれません」
「マジでか!?」
いつもと変わらないトーンで言う台詞じゃないだろうに。
これまで人界と天界の現状が伝えられたわけだが、やはり一番変化があるのは魔界であった。
魔王べグリフの敗北と消失。
魔界において絶対的な存在だった奴がいなくなった今、魔界は新たな時代へ進もうとしている。
これまでべグリフによる絶対王政が魔界ではまかり通っていた。誰も逆らえないほどの圧倒的な力を有していたからだ。全てがべグリフの言う通りに事が運ぶ。それがこれまでの魔界だった。
べグリフが魔石を必要としていたから、魔界では魔石の収集が頻繁に行われていたし、その過程で昔の人族のような奴隷扱いされた悪魔族も出てきていた。
その結果の、ドライル率いるレジスタンスであるが。
レジスタンスが人族天使族と協力してべグリフを討ったことで、悪魔族は現在二分されている。
一つはレジスタンス系列の共生派である。元々ドライル達のように奴隷被害に遭っている悪魔族が多い共生派であるが、その思想の根幹にはドライルの強い想いがあった。
少なくともドライルはカイが来てくれなかったら、一生あのまま国に拘束された生活が続くと思っていた。ドライルにとってカイは恩人なのである。そして、共生派に属す悪魔族たちにとって、ドライルは奴隷被害から解放してくれた恩人であった。
恩人の恩人が人族であるということ。そして、今回の聖戦で協力してべグリフ率いる悪魔族と戦ったこともあって、共生派は人族や天使族の存在を受け入れていたのであった。
また、べグリフの絶対王政によって被害を受けていた悪魔族が想像以上に多かったこともあり、元々レジスタンスではなかった悪魔族も多く共生派に属している。戦闘を好まなかったり、平穏を必要とする悪魔族もだ。
一方で共生派と対立するのが、王貴派であった。
以前の魔界においても平民、貴族、王族、という枠組みは存在していた。その中で平民が主に奴隷被害に遭っていた一方で、王族貴族側は何不自由なく暮らすことができていたのである。一定量の魔石奉納も貧困層の平民を金で雇って行わせ、自分で動くことはない。また、魔石関係なしに平民を奴隷扱いしていることもあった。
そんな王貴派であるが、べグリフが平民の多いレジスタンスによって討たれてしまったがために、話は変わってくる。
言わば王貴派はべグリフという絶対的な存在に隠れて自由な暮らしをしていた。しかしべグリフ不在の今、当然元のような暮らしを共生派が認めるわけがない。共生派は当然自分たちの真っ当な暮らしを主張してくる。だが、それではこれまでの自由気ままな生活ができない。
ゆえに、王貴派は共生派と対立しているのである。
エイラもまた、大きくため息をつく。
「せっかく戦いが終わったのに、また戦いなんて。なんて成長しない生き物でしょう」
「戦って、その共生派と王貴派のか」
「勿論。そもそも、賠償金の支払い自体、王貴派は許していませんでした。なぜ他種族に支払わなければならないのかと。おかしいですよね、本来支払うべき額はその何倍もあるというのに。そちらが人界と天界に侵攻してきたこと、覚えてないんでしょうか。自分たちが戦争に負けたこと、気づいてないんじゃないでしょうか。それに国と国同士の戦いじゃないんですよ。世界と世界って規模なんですよ。それでも、あの額でこちらが手を打ってあげてるんです。今後一番変化があるのは魔界だからと、こちらが譲歩してあげたんです。それも分からずに何故支払わなければならないって……。貰える分だけ貰えばよかったんですよ。そうすれば天界が厄介なことにならずに済んだんです。一度これまで自分たちが何をやってきたのか、とんでもないくらい痛い目見ればいいんです!」
「お、おう……」
すごい勢いでまくし立てられ、ゼノも思わず頷かざるを得なかった。やはり実地にいるからこそ思うところがあるのだろう。
聖戦終了後、エイラは人界を離れ、魔界へと旅立っていった。
前述したように、これからの魔界は様々な可能性を秘めた変化の時代である。共生派が魔界を安寧に導くかもしれないし、王貴派が古きを貫き通すかもしれない。
そして間違いなく、変化するまでの間に波乱が起きる。
エイラはそんな魔界を支えるために向かっていったのだ。それからというもの、一切人界へ帰ってくることなく、共生派のリーダー格であるドライルの傍でさまざまな助言やときどき指揮なんかも執っているらしい。
人界はゼノ。天界はセラ。魔界はエイラ。
三人がそれぞれの世界から、これから訪れるだろう新たな世界に応じようとしているのである。
溢れ出して止まない言葉の代わりに、エイラはどんどんと喉の奥へ赤い液体を流し込んでいく。
「……ぷはぁ。要は変わるのが怖いんですよ。変わって、これまでを失うのが怖いんです。馬鹿ですね、これまでがあるから、変われるんじゃないですか」
「そうだなぁ。王貴派との和解の方向が見えてきたらいいんだが」
「その為にはドライルと私の首が必要だって言い張ってますが」
「よし、倒そう。四の五の言わずに従わせよう、そんなくだらんことを宣う奴は」
ゼノもグラスの中を空にする。大して量は飲んでいないのに、少し頭がぼーっとしてきた。体が疲れているのだろう。セラがいつもより早く酔ったのにも納得できたし、対してエイラの飲みっぷりは最早恐怖であった。
「はぁ、なかなか上手いこと行かないもんだなぁ。わかっちゃいたけどさ」
べグリフは倒れた。三種族共生という理想の最大と言える障害が無くなったのである。じゃあ、そのまま理想が叶うかというと、それはまた別問題のようだった。
「カイが掴んでくれたんだこのチャンスを、絶対ものにしたいよなぁ」
「当然です。カイ様、凄い頑張ったんですよ。ゼノが意識不明で倒れてから、人界も天界も引っ張ってたんですから」
「聞いたよ、何回も聞いた」
カイの話をするエイラはとても幸せそうで、ゼノはカイのことをエイラに任せてよかったとその度に思う。
グラスの縁をなぞるように指を回しながら、エイラが呟くように声に出す。
「とても成長しました、カイ様は。こちらが驚くくらい」
「本人にそう伝えてやりゃいいのに」
「嫌ですよ、すぐ調子に乗りますし。……それになんだか恥ずかしいです」
「言ったら喜ぶと思うんだけどなぁ」
「分かってますよ、カイ様は私のことが大好きですからね」
「魔界に取り返しに行くくらいな」
「はい」
自信満々に頷くエイラ。本当に自信があるのだろう。頷きながら柔らかく微笑んでいた。なんだか可愛い。
「ゼノぉ、そんなにエイラばっかり見ないでください……!」
と思っていたら、先ほどまで抱きついて泣いていたセラが頬を膨らませてこちらを見つめてきていた。
「おー、なんだなんだ、元気戻ってきたか」
「エイラに夢中のゼノを見てたら、怒りと共に戻ってきました」
可愛いと思っただけなのに。なんてセンサーだ、セラセンサー。
「あら、ゼノ。私に夢中だったんですか?」
にんまりと笑みを浮かべ、どこかゼノをからかうような表情でエイラが見つめる。
「いや、夢中というか――」
「絶対夢中でしたー! エイラから目が離せなくてしょうがない、みたいな表情で微笑んでましたもん!」
「なるほど、ゼノ、そうですか。ようやく私の魅力に気づいたんですね。気づいてくれたんですね!」
そう言って、ゼノの方へとエイラが椅子を移動させる。素早い移動で、そのまま密着してしまいそうな勢いだった。
片やゼノに抱きつくセラに、片や詰め寄るように身を近づけるエイラ。どちらもしっかり酔っぱらっている。
どうしたらいいものだろう、と思案するゼノだったが、別にそれほど困っているわけではない。なんなら両手に花、それも極上の花だ。
だから、というわけではない。決してないけれど。
「幸せを、噛みしめてたんだ」
「美女二人との密会ですものね」
……だから、というわけでは決してなく。
「全てが解決したわけじゃないけど、間違いなく大きな一歩を踏み出せた。そこにちゃんと俺たちがいる。世界を変えようと集まった俺たちがまだちゃんといる。集まってさ、話して、泣いて、笑って。こうやって当たり前を過ごせてる。それが、とっても幸せだなって」
何故だか無性にそうしたくなって、セラの頭を撫で、そしてエイラの肩を抱いて密着させた。
「ゼ、ゼノ?!」
「えへへへ……」
頭を撫でてもらって、セラはすぐに上機嫌になった。おかげでエイラを抱きしめてることに気づかない。
どうしてもすぐ近くで二人に伝えたかった。
「初めて会ってからもう二十年以上経つのに、ずっっっっっと俺の傍にいてくれてありがとう。二人のお陰だよ、今日まで俺がいられるのは」
実は二人と同じくらい酔っているのだろうか。普段はこんなにストレートに言うことはないんだが。
ゼノは目を閉じ、優しく微笑んだ。
「大好きだ。これまでもこれからも、ずっとずっと大好きだよ」
二人はゼノの言葉に目を丸くし、お互い顔を見合わせ、そして幸せそうにゼノへと微笑んだ。セラはまた涙を瞳に溜め、エイラも頬を上気させて瞳を潤ませながら。
真っすぐに言葉を返す。
「「私も大好きですよ、ゼノ」」
どうしようもなくその言葉が嬉しくて。思わず涙が出そうなくらい嬉しくて。
それを堪えるつもりで、グラスへと手を伸ばそうとして気づく。
そういえば空にしたんだった。
ボトルを探すと、いつの間にかボトルの中も空っぽになっていた。
「ってエイラ、どれだけ飲んだんだ!?」
「そんなことより、このまま一緒に寝ましょう、ゼノ」
「はぁ!?」
「え、エイラ!? さてはゼノを取ろうとしてますね! あげませんよ、ゼノは私のですっ!」
「いいじゃないですか、今日くらい。ねぇ?」
「ねぇって俺に聞くな!」
「良くないです!」
「なら、三人で寝ますか?」
「……それならいいですよ!」
「セラ!? 絆されるな!」
「だってエイラ大好きですもん」
「私もセラ様のこと大好きですよ」
「じゃあ二人で寝たらいいじゃんか!」
「む、ゼノはじゃあ私たちのことは嫌いなんですね!」
「あーあ、先ほどの言葉は嘘だったわけですかー。セラ様、末代まで語り継ぎましょう。ゼノ・レイデンフォートは好きという言葉を軽々しく使う軟派者で女の敵だったと」
「なー、分かった、分かったから!」
女同士で肩を組みやがって……! なんてタチが悪くなるんだ。
「で、でも三人はいかに俺のベッドでも狭くなるだろ!」
「そこは大丈夫です、私がゼノの上で寝ます」
「エイラ!? それのどこが大丈夫なんですか! それなら私がゼノの上に!」
「いやいや私が!」
「私が!」
「お前たち、それ以外の選択肢ないのかよ!」
セラとエイラが顔を突き合わせて言い合う。揃いもそろって酒のせいでまともな判断ができてない。
まじめな話も大切だけど、こうやって馬鹿やるのもいいよなぁ。……多分二人はまじめに馬鹿やってるんだろうけど。
こりゃ、長い夜になりそうだなぁ……。
安眠を諦め、ゼノがため息をつく。ただその口角は楽しそうに上がっていたのだった。
※※※※※
コツ、コツ、コツ、と一定のリズムが周囲に響き渡るが、どれも壁に反響していく。不思議なもので交互に別の音程が響いていくが、階段を下りている当人は気にする様子もなく、どんどんと長い階段を下って行った。
やがて目的地に辿り着いて、カイは格子越しに少女の方を向いた。
「よっ、元気してるか、レイニー」
「……」
薄暗い牢屋の中で、レイニーは応じることなく、真っすぐにカイのことを睨んでいた。
レイデンフォート城の地下には、犯罪者を幽閉する牢獄が存在している。その最奥にレイニーは鎖に繋がれることなく、ベッドの上にちょこんと座っていた。
睨まれてることを気にすることなく、カイもまたその場に座り込んだ。
「いやー、この前朝にさ、親父に用があって部屋にいったら何とびっくり! セラとエイラの三人で寝てたんだよ。まぁ、最近疲れてるみたいだったし、仲良さそうで良かったんだけどさ。結局声掛けられず仕舞い。声掛けて起きた時に向こうが裸だったりしたら気まずくてしょうがないし。なーんて、ただ気持ちよさそうに寝てたからやめただけなんだけど、もしかしたら……って、子供にする話じゃなかったわ。なんか、えっと、悪い」
「……歳は」
「ん?」
「お前の歳!」
「え、ああ、十七だけど。もうすぐ十八になるけどな」
「私はお前の二倍以上も上だ。二度と子ども扱いするな」
そう言ってレイニーがそっぽを向いてしまう。彼女はそう言うが、幼い見た目に高い声音。どう見ても子供のそれである。長い黒髪が無造作に跳ねており、まるで寝ぐせみたいだった。
随分素っ気ない対応だが、カイは嬉しそうに表情を綻ばせた。
「お、今日は喋ってくれる日か!」
「……お前が毎日しつこく話しかけてくるからだ」
「いやな、出る気になった時に人が傍にいないと伝えられないだろ? だから毎日足繁く通ってるわけで」
「余計なお世話だ」
「手厳しいな……まだ出てこないつもりか?」
「……」
カイの問いにレイニーは答えない。
聖戦が終わり、べグリフは冥界に飲み込まれて消失した。
レイニーにとっては唯一の心の拠り所でもあり居場所そのものであった奴が消えたことで、当時のレイニーは完全に意気消沈し、心ここにあらずという様子であった。
当然そのままレイニーだけ放置とはならない。ベグリフから頼むと言われたゼノは、動こうとしないレイニーを無理やり担いでレイデンフォート王国へと帰還したのだった。
帰還後、レイニーの対応に検討が必要になった時だった。
「牢に繋いでくれ。もう暴れない」
茫然自失のように見えたレイニーがそれだけをぼそりと呟いたのである。
現にレイニーには今敵意など存在せず、ゼノとシロの力で魔力を抑え込まなくても暴れることはなかった。
正直少女の見た目をした彼女を牢に入れるのは、心が痛いところもあったが本人の意思を尊重して牢に入れた。鎖で繋いでいないのはせめてもの自由である。
そうしてレイニーが牢に入ってから既に二か月以上経つわけだが、まだレイニーは牢から出ようとしない。申し出さえあれば、いつでも出られるようにしているのだが。
そして、それからである。カイがこうして毎日レイニーの元を訪れるようになったのは。
レイニーが辟易するほど、カイは毎日訪れては何気ない話をして帰っていく。いったい何のためにここに来ているのか、レイニーには理解できなかった。
そもそも、なぜそこまで私を牢から出そうとするのだろうか。
「……私が出たら、困るのはお前たちだろ。いつまたお前たちの国々を破壊し始めるか分からないぞ」
「でも、もう暴れないって言ってたじゃん」
「敵の言うことを信じるのか」
「うーん、敵、とも何か違うような気ぃするけど」
「……私はお前たちの仲間を殺したんだぞ」
レイニーへの対応でまず間違いなく問題として挙がるのが、レイニーが聖戦で行った所業である。
天界の国々をいくつも滅ぼし、更にはアグレシアを殺した。この事実をどう処理するかだった。普通に考えれば、命を生かしているのもおかしいくらいだった。間違いなく聖戦参加者の中で誰よりも命を奪ったのはレイニーである。それだけの命を奪った彼女を、生かしておく理由などないのかもしれない。
「それを許すとは言ってないだろ。お前のやってきたことを正当化なんてしない。たくさんの命を奪ったんだ、許されることじゃないし、償えるものでもないのかもしれない」
「……」
「ただ、べグリフとのやり取りを見て思ったんだ。許されることじゃない。でも、それがあの時のお前にとって『生きる』ということだったんじゃないかなって。そうすることでしか、生きられなかったんじゃないかって」
カイは自分の右掌を見た。薄暗い通路に小さく灯る光が、鋼の掌に反射して眩しい。
「あの戦いも踏まえて思ったんだよ。戦争ってさ、お互いが譲れないほど大切なものがあるから起きるんだなって。俺はエイラを取り返すために魔界に宣戦布告しちゃったし、ウェルムだって国を守るためにアルガス大国へ戦をけしかけた。譲れないから、大切だから戦うんだなって。きっとお前にとっても大切なものがあったから、あれだけのことをしたんじゃないかなって」
「それは……」
「勿論戦争を許すわけじゃないよ。命を奪うのと一緒さ、正当化なんてしない。でも、そこには誰かの想いがあるんだって、分かったんだ。ベグリフと戦って、誰かの想いの大切さを知れた。だから、正当化しないけれど、完全に否定もしない」
掌から、レイニーへと視線を移す。
話しながら、何となくカイは気づいていた。
どうしてレイニーが自ら牢に入り、出てこようとしないのか。
「レイニー、もしかして、『どう生きたらいいのか』分からないんじゃないか?」
「……!」
薄暗がりの中で、レイニーの瞳が大きくなったのが分かった。どうやら当たりのようだ。
「さっき言ったみたいに、あれがお前にとっての『生きる』ってことだったんだ。ベグリフに認めてもらうために、強くなって力を振るうことが。聖戦は、お前にとってべグリフに認めてもらうための戦いだったんだ。でも、結局親父たちに負けてしまった。レイニーにとっての『生きる』が果たせなかった瞬間だった。だから、べグリフの前であんなに辛そうだったんだろ」
「……お前に何が分かる」
ギリッとレイニーがより強くカイを睨む。そこには憎悪も交じりながら、困惑した様子も見て取れた。
「分からないよ、分からないから想って考えるんじゃないか」
一切の揺らぎなく、真っすぐにカイはそう言った。その言葉の芯には何があるのか、何がそこまでこの男を強くするのか、レイニーには分からなかった。
カイは言葉を続けていく。
「確かにお前は負けた。でも、そんなお前をべグリフは否定しなかった。それどころか言ってくれてたじゃないか。『何よりも、よく生きて帰ってきた』って。力なんてなくたってよかったんだ。強くなくたって、べグリフは認めてくれたんだよ」
「……」
「そして、べグリフはお前に最後に言うんだ。『生き抜け』って」
カイの言葉に、レイニーは徐々に俯きだしていた。カイの言うことは全て気持ち悪いくらい当たっているのだ。
そう、レイニーは分からない。
彼女にとって『生きる』とは、べグリフの為に力を振るうことだった。その為に力を磨き、強くなった。ベグリフの役に立つため。これから先ずっと傍にいられるように。
でも、レイニーは負けてしまった。磨いた力もゼノ達には届かなかった。
べグリフはレイニーに力があるから傍においてくれている。誰かに負ける自分などに価値はない。そう思っていた。だからあの時、べグリフの前でレイニーは捨てられる覚悟で泣いていたのだ。
しかし、べグリフは捨てなかった。それどころか、心を拾ってくれた。
べグリフにとって力は全てではなかった。少なくともあの瞬間はそうでなかった。
それがとてつもなく嬉しくてたまらなくて、でもだからこそ思う。
『生き抜け』とべグリフは言った。
『生きる』とはレイニーにとって力だった。でも、べグリフにとって力は全てではない。
なら、『生きる』とは何なのだろう。
「ずっとこの牢屋で考えてるんだろ。『生きる』とは何なのか。力を必要としない、『生き方』を」
「……お前、気持ち悪いな」
「よく言われる」
首をすくめ、カイが苦笑する。
「でも、その言い方からして当たってるか? そのとんでもない力を振るおうとしないところとか、べグリフを倒した俺を攻撃しようとしないところから、何となく想像したんだけど」
「勿論べグリフ様を倒し、冥界へ連れていかせたお前のことを許すつもりはない」
「おお、見解は一緒ってわけだ」
レイニーにとって、目の前の男は憎い仇だった。
最初の頃、牢に訪れるカイを見て何のつもりだと思った。何ならこちらを煽ってるのかとも思った。よく平気で顔出せるなと。
でも、向こうにその気がないことはすぐに分かった。毎日通っては、どうでもいいことを楽し気に話していく。知りたくもない人々の情報やその日あった出来事など、本当にどうでもいいことだ。おかげで何となく登場する者の名前と特徴を覚えてしまった。
不思議なもので、二か月もこうやってカイの話を聞いていると。
憎いのに、何故だか憎めなかった。
「別に許してほしいとは言わないさ。俺もアイツは倒さなくちゃならなかったからな。でも、まさか冥界なんていう訳が分からないところに連れていかれるとは思わなかった。せっかく少しは心が通じ合えたかな、なんて思ってたのに」
「べグリフ様とお前が? 通じ合うには器が違いすぎるぞ」
「お、言うねぇ。いいのか、そんなこと言うなら冥界に連れて行かないぞ?」
「っ!?」
冥界に連れていく。その言葉を聞いた途端、レイニーはベッドから飛び上がり、一気に格子に掴みかかった。
「行けるのか、冥界に!!」
あまりの勢いにカイは驚いていたが、すぐに苦笑しながら首を横に振った。
「いいや、あくまで行き方が見つかったらだ。今のところ探してみてるけど、それらしい手段は見つかっていない」
そもそも冥界とは何なのか、まったく理解できていない。そういえば小さい頃にセラに読んでもらった絵本の中に冥界って単語が出てきていた気もするが、それが実際どんなところなのか、冥界という概念自体ふわふわしている気がする。
べグリフの奴、さては厄介ごとを持ってきやがったな。
「……そっか」
分かりやすく落ち込むレイニー。本当に彼女にとってべグリフは全てなのだろう。
何故だかカイはその頭を撫でてしまった。
「――っ!?」
まるで動物のように背後に跳ね、頭を押さえながらカイを睨む。
「お、お前!! 子ども扱いするなと言っただろ!」
「いや、どう励ませばいいかと思ってな。すまんすまん」
「悪いと思ってないな!?」
「俺のこと、分かってきたじゃないか」
ニヤリと不敵に笑うカイ。二か月も勝手に話しかけられたら嫌でも分かる、とレイニーは思ったが口には出さなかった。
「まぁ、俺達が何しなくても、アイツのことだ、勝手に出てきそうではあるが。必ず戻ってくるとか言ってたしな。でも、せっかくならこっちから向かいに行ってぎゃふんと言わせたいところでもある」
カイは重い腰を上げた。来てからというもの、座りっぱなしでお尻が痛くなってきたのもあるが、そろそろ行くつもりでもあった。
「もし、べグリフが帰ってきた時、ずっとここに居たこと俺がバラすけどいいのか?」
「何でそんなことするんだ!?」
「しなくてもバレそうなものだけど……でもさ、べグリフの言う『生き抜け』ってそういう意味だと思うか?」
「……」
カイの言葉に、レイニーは口を噤んでしまう。
まだ『生きる』ということがよく分かっていない。でも、ここにずっといることがべグリフにバレるのは、不思議ととてもバツが悪く感じる。
それは、無意識のうちにここに居ることと『生きる』とは違うと判断しているからだろうか。
また悩みだしたレイニー。二か月も牢屋の中にいてまだ答えが出せていない。或いは出ているのに気づいていないのかもしれない。
そんな彼女を見て、カイは尋ねずにはいられなかった。
「……なぁ、『生き抜け』っていうべグリフの言葉、お前にとっては呪いか?」
カイの問いに、悩んでいたはずのレイニーは即答した。
「そんなわけないだろ。べグリフ様の言葉は私にとって全部力になるんだ。今悩んでいるのは、ちゃんと力にしたいからだ。分かったら、さっさとどっかに行け!」
その答えに、カイは優しく微笑んだ。
アイツも幸せ者だな。
「へいへーい、んじゃ、また明日来るからなー」
「来なくていいといつも言ってるだろ!」
「っていう寂しいアピールなのかと」
「ひねくれ過ぎだ! むしろお前が寂しいから来てるんじゃないのか!」
「それは……ある! 最近イデアが俺のこと避け気味だからなぁ。その話、聞いてくれるか?」
「その話はもう何回も聞いた! 自分でどうにかしろ!」
「冷たいなぁ。ま、どうにかするけどさ」
こういうやり取りをできるようになって良かったなと、カイは心から思っていた。
カイもレイニーのしたことを許してないし、レイニーもカイを許していない。
互いに許していないけれど、それでも話し合うことはできる。
許す、という行為はきっと過去に向けて行われるものだ。過去、これまでの間に起きてしまった出来事を分別する際の枠組みの一つなんじゃないだろうか。
許そうと許されまいと過去に起きたことは変わらない。
大切なのはその先なのだろう。許されて、許されなくて、だから次にどうするのか。
「あ、おい!」
立ち去ろうとしたら、背中に声を掛けられ振り向く。
「なんだよ、やっぱ寂しいんじゃないか」
「違うに決まってるだろ! この際だ、お前にとっての『生きる』って意味を教えていけ!」
随分と偉そうにものを尋ねてくるなぁと思ったが、向こうの方が全然年上なのだった。
俺にとっての『生きる』かぁ。
「そうだなぁ、俺にとっては―――」
思いついたことをそのままレイニーへと伝える。
カイの答えはレイニーにどんな影響を及ぼすだろうか。それとも全く無駄だったかもしれない。
けれど、レイニーがこの場所から出るのは遠くない未来のように思えたのだった。
※※※※※
「――というわけでして」
イデアがため息をつき、困ったような表情のまま話を終える。
「ふぅむ、これは……」
「意味が分からんぞ」
それをミーアとシーナが困惑した様子で聞いていた。
「最近悩んでるなぁと思ったら、こりゃ難題だ……」
「そうなんです、どうしたらいいのか分からなくて」
最近のイデアはどこか元気がなく、それでいて一人でいることが多かった。以前はカイとセットみたいなものだったのに、これは変だとミーアセンサーに引っかかったのである。
どうせお兄ちゃんが何かやったんでしょ、程度の間隔でイデアに話しかけ、傍にいたシーナもついでにミーアの部屋へ連れてきたわけだが……。
どうも単純な話だけど、解決の難しい話であった。
……確かにお兄ちゃんが原因ではあるけれど。
「一回整理させて。事件発生は魔王撃破後二人で並んで座ってる時、だったよね。そこでお兄ちゃんが今後の決意を語ってくれたと」
「そうなんです。その時のカイがとてもカッコよくて……」
思い出すだけでイデアの頬が真っ赤に染まり、何だか幸せそうに微笑んでいた。
こりゃ重症だ……。
ミーアだけではなく、この手の話には疎いシーナもそう思わざるを得なかった。
「えっと、それであまりのカッコよさに?」
「……何だかカイのこと、見れなくなっちゃいました」
そう言ってガクッとイデアが項垂れる。
「最近は声とか聞くだけでも心臓が跳ね上がっちゃって体が持たないんです。傍にいたいけれど、傍にいられないんです。どうしても目が合うと逸らしてしまうし、何だか無性に体が熱くなってしまって。恥ずかしいのか何なのか分からないのですが、とにかく一緒にいられないんです」
本当に悩んでるんです、と言わんばかりにイデアが再度ため息をつく。
悩んでいるのはよくわかったが、なかなか理解しがたい状況であった。
「え、でもご主人とイデアは結婚してるんだよな?」
「そうですよ?」
「じゃあ何でそうなるんだ?」
シーナの疑問はごもっともで、ミーアもそこがどうしても理解の邪魔をする。
これまでのイデアを見ていたら、誰だって理解しがたいだろう。
何なら初対面でイデアはカイのことを好きになっているし、それからというもの何度もカイへアピールを続けていた。鈍くて頓珍漢な兄のどこがいいのだろうとミーアは思うけれど、イデアにとってはそうでないのだろう。カイが霞むくらいイデアは積極的だったし、誰がどう見てもイデアはカイのことが好きだった。当然カイにも伝わっているし、イデアはそれを隠そうともしない。
こと恋愛において、イデアが照れたり気恥ずかしそうにする姿が早々できないのである。
だが、今のイデアはどうやらその想像できない姿に変わりつつあるようで。
ミーアはゴクリと唾を飲み込み、とりあえずの見解を伝えてみる。
「イデアちゃん、それって多分……」
「は、はい……!」
真剣な表情でイデアがこちらを見てくるが、そんなまともなことを言えるわけじゃない。
「多分、好き避けだよ」
「好き、避け?」
知らない単語に首を傾げるイデアとシーナに、苦笑しながらミーアが教えてあげる。
「要は好きなんだけど、何故だか照れくさくて話しかけられなかったりすること。付き合い始めのカップルとか、付き合う前の男女に多いみたい」
「好き避け、なるほど。私は今好き避けの状態なんですね!」
何かが解決したようにイデアが目を輝かせるが、全然解決していない。
「……ん? でも、二人は結婚してるって」
「だから、難問なんじゃない!」
付き合う前後の男女とかのレベルではない。既に結婚まで済ませている者の話だ。もしかしたらミーアが知らないだけで数々の階段を上っているかもしれない男女の話なのだ。
ここまで来て、どうしてそんな事態に陥ってしまうのか。何故世にいる男女と逆の手順で進んでいくのだろう。
何故、今になって好き避けなんてことに……。
「それで、どうやったら避けないようになるんですか?」
「それは、知らない」
「え」
「こ、こういうのはカップル毎に答えがあるから、簡単に解決する問題ではないの!」
「え、ええーー!? そんなぁ!?」
さらに今、ここに交際をしている人物はおらず、アドバイスになるようなことを言えなかった。
「ということで、ダリルを連れてきたよ!」
「どういう訳だ。急に拉致されたんだが……」
ミーアがすぐさま部屋を飛び出し、近くにいたダリルを連行してきたのである。当然ダリルは困惑した様子であった。
「つまりね、かくかくしかじかで……」
「ああ、なるほど。……でも、俺だって結婚してる人間だぞ? 参考にならないと思うが」
「いいの! 少なくとも私やシーナよりは経験してるんだから!」
「ふむ、好き避けの対処かぁ……」
少し思案しているダリル。
だが、どうやらすぐに答えは出たようで。
「慣れ、だな」
「慣れ?」
首を傾げる三人にダリルは頷く。
「イデア様、どんなに恥ずかしいことでも照れくさいことでも、何度も繰り返していればやがて慣れるものなんですよ」
「それはダリルの実体験か?」
「実体験と言えばそうか。最初の頃メリルに何度アプローチをかけられて狼狽えていたことか。でも、だんだん慣れて今ではそのアプローチすら愛しく思えるよ」
「おおー、大人だぁ」
パチパチと起こる三人のかわいらしい拍手に、ダリルは苦笑する。
「ですが、イデア様の場合は本来慣れていたはずですから、普通よりはかなりの時間を必要とするかもしれませんね」
「かなりの時間……」
そう聞いてイデアが悲しそうな表情を見せる。すぐにダリルは声を明るくかけた。
「大丈夫ですよ。イデア様がカイのことを大好きなのはカイも知っていますし、その様子だとイデア様もカイの傍に居たいのでしょう。二人はいつまでも相手を想い合っていますから、必ず前みたいに戻れるはずです」
「ダリル……ありがとうございます!」
「連れてきて正解だったね!」
ミーアの言葉に、イデアが頷く。その様子をにこやかに見ながら、ダリルが言葉を続ける。
「連れてきてで思い出した。今日はこれからカイと稽古の予定だったんです。気分転換に外で行う予定だったので、今頃カイは庭園にいるんじゃないでしょうか。イデア様、慣れる意味でも行ってみたら如何ですか?」
ナ、ナイス誘導だよ、ダリルー!
心の中で親指を立てるミーア。それが伝わったのか、ダリルも頷いていた。
「……分かりました、私、行ってきます!」
ダンっと勢いよく立ち上がったイデア。
「頑張ってね、イデアちゃん!」
「ご主人に負けるな!」
「応援していますよ」
三人の声援を背中に浴びて、ミーアの部屋を出た。
カイは庭園にいるって話でしたね。
庭園には色とりどりの花々が育てられており、イデアの好きな場所の一つだった。景観が美しいし、空気も澄んでいる気がするのだ。庭園の中に張り巡らされた水路から聞こえる水音、木々に止まった鳥のさえずり。どれもが自然を感じさせ、心を癒してくれるのだ。
「……あ、カイ」
庭園に辿り着いたイデアは、早速カイの姿を見つけた。庭園にも広場のような空間があり、そこなら花々を傷つけることなく稽古もできる。
カイはそこで素振りを一人で行っていた。
「遅いなぁ、ダリルの奴……約束を忘れるような奴じゃないんだが……」
呟きながらも、木刀を振る手をやめない。
暑かったのか上半身裸のカイ。
その左腕と右掌は鋼の機械と化していた。
《魔魂の儀式》が解かれ、左腕と右足、それに左目を失ったカイ。右掌も戦闘中に斬り飛ばされた彼は、当初こそ魔力で補って生活していたが、ある日、復興中のアルガス大国から呼ばれた。
行ってみると、そこには機械腕を手に持った女王マキナがお出迎えしていたのである。以前ウィンドル王国との戦争を助けてくれたこと、そして今回の聖戦の功績も踏まえ、無償で腕や足を補ってくれるという話であった。
とはいえ、やはり復興中の国を見て今はいいよと断ろうとしたカイだったが、『そろそろ機械作りをしないとおかしくなってしまいますわ……!』という血走った目で女王に言われてしまえば、断ることもできず。
結果として右掌に左腕、膝から先の右足と、左目の義眼まで作ってもらった。義眼に関してはしっかり黒目で、ちゃんと覗いて見てみないと違いが分からないほどである。
最初は扱い慣れておらず動きにくそうにしていたカイだったが、もうだいぶ体に馴染んだようである。
カイを見つけたものの、イデアはまだ話しかけられずにいた。
正確にはカイに見惚れていたのである。
上半身に見て取れる筋肉の隆起。昔より全然筋肉がついたようで、その体からは逞しさを感じる。そういえば、どこか背も伸びただろうか。
そして、体を流れる汗がどこかカイを妖艶に見せてくる。
かっこいい……。
「って、違う違う」
思わずうっとりしてしまったが、ここに来た目的を果たさなければ。
嫌いなんかではない。むしろ好きなんだから。
勇気を振り絞って、大好きな彼を呼ぶ。
「カ、か、カイっ……!」
それでも緊張してしまい、どこか声が上ずってしまった。それもまた恥ずかしくて、イデアは目を閉じてしまう。
「ん? あれ、イデア!」
だが、すぐにイデアは目を開けた。聞こえてきたカイの声がとても嬉しそうに感じたからだ。
瞳を開けると、そこにはイデアを見て嬉しそうに笑うカイの姿があった。大きく腕を動かして手まで振ってきてる。
その姿を見るだけで実感できる。
ああ、本当に。
私はこの人のことが好きなんだ。
どうしようもないくらい。体が火照って仕方がないくらい。
でもやっぱり照れくさくて、手首だけ動かして手を振り返す。
それだけでもカイは嬉しそうにして、イデアへと駆け出して行った。
この際だ、お前にとっての『生きる』って意味を教えていけ!
レイニーにそう尋ねられた時、カイの頭にはすぐに浮かんでいた。
「生きてて良かったって思えるように、生きてくれて良かったって思ってもらえるように、毎日を精一杯過ごすこと。……そして、どんな時でも、イデアを想い続けて共に生きることだ!」
きっと『生きる』って簡単じゃない。想いと同じでたくさんの生き方があって、それを選ぶ人の想いがあって。無限の可能性のなか、誰もが必死に『生きている』。
誰もしも一人じゃ『生きられない』。誰かと繋がりあいながら、時にはぶつかり合いながら、不器用にも支えあって『生きていく』。
だからできれば、関わってきた人に『生きてくれて良かった』って思ってもらいたい。そうすることで、『生きていて良かった』ってきっと思えるから。
『生きてきた意味』は、それが終わる最後にしか分からないのだろう。
だからそれまで、精一杯進み続けようと思う。
頬を赤く染めながら、はにかむように笑うイデア。
大切な人と、決して離れないように手をつなぎながら。
カイもまた、微笑みながら傍へと駆けていく。
まるで二人を閉じ込めるように風がなびき、鮮やかな花びら達が宙に舞っていった。
『4』END
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