カイ~魔法の使えない王子~

愛野進

文字の大きさ
上 下
220 / 296
4『理想のその先へ』

4 第四章第六十話「VSベグリフ編⑦ 理想をこの手に」

しおりを挟む
一振りごとに大気が震え、衝撃波が周囲を襲う。

 何度も、何度も。双方が交わっては弾け、大地が砕け散り、地形が変わっていく。隆起し、あるいは陥没し。

 そんなのお構いなしと言わんばかりに、カイは二刀をベグリフへと振り続けた。

「《白撃》」

 左手に持つ《白刀イルグ》から白い斬撃が、一気にベグリフまで伸びていく。

「くっ」

 《大剣ハドラ》を振るって掻き消そうとするが、力が及ばず斬撃ごとベグリフは背後へ吹き飛ばされてしまった。隆起した大地を貫通しながら宙を横切っていく。

「《黒撃》」

 その背後にカイが転移してきていた。今度は《黒刀デフィア》から黒い斬撃がベグリフへ殺到していく。白撃に押し込まれているせいで体勢を変えられないベグリフの背部はがら空きであった。

「っ、調子に、乗るなっ!」

 黒撃が当たる直前、ベグリフは闇に溶けてその場から姿を消した。相手のいなくなった白撃と黒撃が宙で衝突し、更に大地が鳴動する。

 姿を消したベグリフは、カイの真後ろに出現した。

 カイの背中へと振るわれる《大剣ハドラ》。

 だが、青い瞳が軌跡を残すように振り返る。ベグリフの一撃を二刀が受け止めた。

 ベグリフは当然本気で振り下ろしているのだが、カイはさも余裕のある様子であった。

「っ、あ、あり得ん……!」

「《双撃》」

 受け止めたまま、その二刀に力が込められていく。

 次の瞬間、一気に白と黒の斬撃が放出され、大爆発が起きた。まるで山を一つ掻き消せるほどの爆発。

 メアとドライルは、身体を襲う衝撃や風圧を何とか耐えながら、カイとベグリフの戦いを見ていた。

「カイとイデアちゃん、凄い……」

「ああ、だが必ず俺達の力が必要な時が来る。眼を離すなよ」

「当然! そっちこそちゃんと反応するのよ!」

 今、あの両名の戦いについていけると豪語出来ないことは、メアもドライルも分かっていた。今のカイとベグリフの戦いには、入り込むだけで邪魔になる。カイの足を引っ張る結果になるかもしれない。

 それでも、この戦いを勝利に導くためには自分達の力が必要な時が来る。

 そう確信して、二人は爆風を注視し続けていた。

 やがて爆風が消え去り、カイとベグリフが姿を見せる。

 ベグリフは、両腕を無残にも吹き飛んでおり、その脇腹も大きく欠損していた。

「はぁ、はぁ……!」

 紋章の力で傷もすぐに癒えていくが、やはり先程から身体を襲う違和感。まるで生死を司る《大剣ハデス》のように、斬られた箇所が何かに蝕まれている感覚。

 一体俺に、いやアイツに何が起きている……!?

「まだまだぁ!」

 カイが一気に前へと飛び出し、二刀を何度も何度もベグリフへと振り下ろしていく。

 その全てを何とか受けるベグリフ。誰がどう見ても、あのベグリフが防戦一方であった。カイの一刀一刀が今のベグリフを上回る力を有しているのである。《大剣ハドラ》を合わせても、すぐさま弾かれ、隙だらけの身体を対の刀で斬り裂かれる。

 あり得ん。先程まで圧倒的な力の差が存在していたはずだ。それが、何故……!?

 そもそもとして、真っ二つに斬り裂かれたイデアが平然と立っていたこと自体おかしい。それこそ身体が死へと誘われているはずなのに、そんな素振りを全く見せず、傷は完全に回復している。

 あの瞬間に何かがあった。だからこそ、セインの形も変わっている。

 そして、それが俺を圧倒する。何度斬り結んでも、ベグリフの劣勢は変わらなかった。

 カイの言葉が脳裏をよぎる。

 ……これが想いの力だと言うのか。
 


想いは呪いではなく、力だと。



 込み上げてくる感情。苛立ちでもあるが、もっと別の何か。

 なら、何故だ。

 想いが力だと言うのならば。何故こんなにも俺は苦しくなる。

 何故彼女の想いは、フィグルの想いは俺を蝕むのだ。

 何故俺の想いは俺を苦しめるのだ。

 彼女の姿が眼に浮かぶ。いつもよく笑う少女だったからか、思い浮かぶ顔はいつも笑顔だった。

 それを奪ったものを、俺は決して許せない。



 何故俺の想いは彼女を……。



 幾度も斬り結び、再度鍔迫り合いの形になる。当然ベグリフが押されるわけだが、今度は吹き飛ばされることもない。

「――――っ……!」

 《大剣ハデス》へ闇を一気に凝縮して纏わせる。これまで何とかカイの攻撃を防ぎながら溜めていた《魔》の力だ。それはベグリフの力を増幅させ、徐々にカイの二刀を押し返していった。

「ぐっ」

 カイとベグリフの力が徐々に拮抗し始める。いや、それどころか、段々とカイが押され始めていた。

 際限なく、《大剣ハドラ》へと紋章の力が注がれていく。闇は、ベグリフの心に呼応するかのように溢れ出していく。

「もし、想いが力だと言うのならば……」

 ベグリフが真っすぐにカイを見つめる。その表情はどこか。

 悲し気で。

 答えを求めるように、ベグリフは言った。





「力にならなかったこの想いは、嘘だと言うのか」





「―――――!」

 カイは目を見開いた。

 ベグリフのその表情が、その言葉が頭から離れない。離れようとしない。

 憎い仇敵。色々なものを壊し、失わせた。なのに。

 どうしてそんなにも、苦しそうなんだ。

 今この瞬間に、カイは返す言葉を有していなかった。

「お前のそれは、所詮想いが届いた者の戯言に過ぎない!」

 言下、ベグリフが大剣を振り抜き、カイを勢いよく吹き飛ばしていく。隆起した大地を軽々と粉砕し、何度も大地を転がっていった。

 ふざけるな。想いが力ならば、何故彼女は死んだというのだ。

「答えろ、カイ・レイデンフォート!」

 ベグリフは大地を蹴り、カイの後を追った。





※※※※※



 想いが届いた者の戯言。



 確かにそうなのかもしれない。

「くぅっ」

 何とか体勢を立て直したカイへ、ベグリフが幾度も斬りかかっていく。

 どうにか一撃に二刀を合わせていくが、悉く押され、弾かれていく。

 先程まで優勢だったのが一転、カイはどんどんベグリフに押されていく。

 ベグリフの問いに応えられない現状が、カイを責め立てていく。

 さっきイデアを失いかけた時に感じた喪失感。自分という存在が虚無になる瞬間。

 自分の想いが、もう二度とその人へ届かなくなる絶望。

 ベグリフが何故想いを呪いと呼ぶのか。その片鱗をカイは確かに感じ取った。

 ベグリフは愛する人を失った者の末路。

 なら、通じ合えなかった想いが、絶望して呪いに転じてしまうのだろうか。

 それを証明するかのように、ベグリフの一撃は威力を増していくのだった。



「《違うよ、カイ》」



 心に聞こえてくる愛しい人の声。

 カイの意識を遮るように。

 証明では決してないのだと、イデアは強い意志で告げていた。

「《たぶん、ベグリフがあそこまで力を求めようとするのは、夢さんへの愛情の裏返しなんだと思う》」

 愛情……?

「《うん、夢さんの想いは《紋章》という形でベグリフに届いてる。その力に、夢さんの想いに応える為に、きっとベグリフは紋章の力を振るい続けるんだ》」

 愛情の裏返しとは、そういうことか。なんて不器用な応え方だよ。

「《たぶん、ベグリフもどうやって応えていいか分からないんだと思う。だって、力を使えば使うほど、ベグリフは苦しいから。力の証明が夢さんの想いの強さの証明になってしまうでしょ。でも、それでも、ベグリフは力を使い続けているの》」

 イデアの話を聞いていて、カイは思った。

 夢の想いを、力を証明しようとしているベグリフ。

 それはまるで、想いは力だと証明しているようだった。

 アイツはきっと分かってるんだ。少なくとも夢の想いはそうなんだと。

 想いは、力なんだと。

 なら、アイツは何で呪いと言うんだろう。

 何を呪いと呼ぶのだろうか。

「《……そしてね、カイ。きっと、ううん、絶対にそのベグリフの想いはきっと夢さんに届いている》」

 溢れていく闇の力が《大剣ハデス》を絶対的な力へと変える。力の優位が逆転したため、カイは転移で距離を取ろうとするが、ベグリフもまた闇で空間を超えてくる。

 攻防はカイの体力が尽きるまで続きそうだった。

 夢さんに、届いてるって?

 もうベグリフの想いは夢へ届かないというカイの見解と、イデアは違った。

「《フィグルさんと一つになったからこそ分かる。もうフィグルさんは私に溶けてしまったけれど、でも、その想いは確かに私の中にあるの。想いは受け継がれているの。ベグリフを救いたいんだって気持ちが、私の中にちゃんとあるんだよ》」

 ベグリフを、救う……。

「《たとえ死んでいたとしても想いは誰かに受け継がれて、絶えず広がっていく。だとしたら、ベグリフの中には必ず夢さんの想いが存在していて、その中で確かにベグリフの想いは届いているんだ。紋章が命を代償にするものならば、尚更に夢さんの想いは紋章に存在していると思うの。ベグリフはそれに気付いてない、ううん、気付かないふりをしてる》」

 出会ったことのない、夢という少女の存在。

 話でしか聞いたことのないその存在に対して、イデアは確信をもっていた。

 何故だか、同じものを感じ取っていた。

「《《紋章》って、どこかセインに似ていると思わない? 私は想いを武器に変えて、夢さんはその命を力に変える。どちらも、相手のことを想う気持ちが大切だもん》」

 ……そうか。

 イデアの言葉で、靄がかっていた思考がだんだんと晴れていく。

 セインと《紋章》が似ている。確かにその通りだと思う。命を懸けて与える力だ、相手を想っていないと、まともな力にはならないはずだ。

 イデアの話を踏まえると、ベグリフの想いは今だって決して届いてないわけじゃない。夢の想いだって、《紋章》という形でちゃんと届いている。

 通じ合っていないわけじゃないんだ。

 なら、なんで。

「力にならなかったこの想いは、嘘だと言うのか」

「お前のそれは、所詮想いが届いた者の戯言に過ぎない!」

 ベグリフは、そう言ったのか。

 力にならなかった、届かなかった想いは何を指すんだ。

「《デス・ロード》」

「っ」

 ベグリフから一直線に闇が地面を覆う。まるで黒いカーペットのように大地に闇が敷かれ、カイはその上に立っていた。

 そこへベグリフが《大剣ハドラ》を勢いよく振り下ろす。闇と混ざった赤黒い斬撃が、闇の絨毯の上を、一瞬で加速してカイを襲った。

「くっ、っ!!」

 すぐさま二刀を十字に構えて防ぐが、大地に敷かれた闇が斬撃をより一層強化し、斬撃はまるで山を割る勢いで大きくなっていた。

 踏ん張る大地も闇で溢れ、次の瞬間斬撃に押されるようにカイは勢いよく吹き飛んでいった。

 足が宙に浮く。踏ん張りが効かなくなる。このままでは斬撃を掻き消せずに一生吹き飛ぶ羽目になりそうだった。

「おおおおっらぁ!!」

 魔力を解放し、斬撃を包むように広げる。

 そして次の瞬間、斬撃だけを別の場所へ転移させた。

 ただ、勢いだけは殺しきれず、何度も地面を転がる。

 転がりながら、カイは考えていた。

 力になれなかったという言葉が、きっと想いは呪いだと言わせている。

 この想い。つまりそれは、きっとベグリフの想い。

 想っているのに、力になれなかった……。

 ………………。

 …………。

 ……。



……そうか、そういうことか。



 二刀を地面に突き刺し、勢いを殺して前を見る。視界を一瞬で埋めるように闇の大地からベグリフが飛び出してきていた。

「《っ、カイ、来るよ!》」

「ベグリフ……!」

「そろそろ死ぬがいい!」

 再び剣撃を互いに交わらせる。変わらずカイの方が防戦一方に。

 身体のあちこちに斬り傷が入っていく。不思議なことに、《大剣ハドラ》で斬られているのに、身体を死が蝕むことはない。イデアの持つ力のお陰なのだろうか。

 何度も剣を交えながら、カイは思う。

 ベグリフがどうして呪いと言うのか。

 何を呪いと言っているのか。

 わかった気がする。

 ベグリフはきっと。

 何よりも。

 誰よりも。





 自分自身の想いを、呪いと言っているんだ。





 想一郎と夢は何年も一緒に過ごしてきた。一緒にたくさんのことをしてきた。

 そうして一緒に育まれてきた想い。

 想一郎の想いが夢に通じていて、夢の想いも想一郎に伝わっていて。

 お互いに通じ合っていたからこそ、あの時夢は何の躊躇いもなく、自分の命を紋章に変えた。変えてしまった。

 想一郎へと命を使ったのだ。

 だが、想一郎は夢の死を望んではいなかった。

 最初はそれありきの関係だった。夢が子を成したら、命を用いて想一郎へと力を渡す関係。

 二人の関係の終着点は、夢の死だと最初から決まっていた。

 でも、あの時。瀕死だった想一郎は自分の命以上に。



 夢に生きていて欲しかった。



 いつの間にかそう思うようになっていた。

くだらない日常が、彼女との日常が続いて欲しいと。

 終着点へ辿り着かなければいいと。

 だから、あの時死んでほしくなくて。

 でも、夢は想一郎へと力を、想いを託して死んでしまった。

 想一郎の想いは、願いは彼女に届かなかった。

 力に、なれなかった。

 愛する人を、想一郎は守れなかったのだった。

 何が彼女を殺したのだろう。

 その問答の行き着く先はいつも決まっていて。

 最初から決まっていた関係性の終着点。

 あれを決めたのは、俺だった。力が欲しいと彼女の傍に居た俺だ。

 彼女があんなにも容易く命を紋章に変えたのも、俺だったからだ。

 俺の想いは夢を救えずに、それどころか死へと誘っていた。



 この想いが彼女を殺したのだ。



 その想いを、呪いと言わずに何と言うのか。





 そうだ。

 何よりも自分の想いが呪いだから、ベグリフは想いは力だと受け入れられないんだ。

 力ならば、どうして想いが愛する人を死なせてしまったのか。

 だから、言ったのだ。

「力にならなかったこの想いは、嘘だと言うのか」

 夢への想いは、嘘なのかと。

「ぐっ」

 二刀でもベグリフの攻撃を防ぎきれない。《大剣ハドラ》だけなら圧倒できるが、《魔》の紋章が加わった途端、これだ。

 それでも必死にカイは二刀を構えて受け止め続けた。

 ここで引いてはいけない。ここが正念場だ。

「っ、ぐっ、お、お前は、お前の想いが彼女を殺したと、思ってるのか……!」

「―――!」

 見開いたベグリフの瞳が、肯定しているように思えた。

 自分の中でベグリフへの認識が変わってきている気がする。

 ベグリフは苦しんでいる。自分の想いに縛られ、愛する人の想いの力を使って。

 ベグリフを救う。

フィグルの想いがイデアを通して伝わってきた気がした。

 イデアの言う通りだとすれば、ベグリフの中に、《紋章》の中に夢の想いがちゃんと存在しているはずだ。でも、ベグリフはそれに向き合っていないだろう。

 だって、夢の想いに向き合っていたら、ベグリフはきっと力を振るって他の命を奪わない。

 ダリルから聞いた話でしかないけど、夢という人はそんなことを望む人じゃないはずだ。

 夢の想いを聞くのが怖いんだ。

ベグリフは自分の想いが彼女を殺したと思っているから。

 向き合うのが怖いんだ。

 だからせめてと、夢の力を振るい続けるんだ。《紋章》そのものを彼女の想いだと思い込んでるんだ。

 違うだろう。

 《紋章》に込められた、その先の想いがあるだろうが。

「そ、そうやってっ、お前の中の紋章が叫んでるのかよ……お前が殺したって、お前の中の彼女がそう言ってんのかよ!!!」

「っ、聞こえるものか! 死した者の声など!」

「《聞こえないはずない! 紋章はセインと変わらないから! 想いを力に変えているのだから! その紋章の中に絶対夢さんはいるんだよ!》」

「世迷言を、抜かすな!」

「《その声に耳を傾けないから、あなたは夢さんの想いにどう応えていいか分からないんじゃないの!!》」

「っ」

 すると、防戦一方だったはずのカイの力が、ベグリフと再び拮抗し始めた。

 カイとイデアの想いが膨れ上がったのか。

 それともイデアの言葉にベグリフが動揺したのか。

 あるいは紋章の中にいる彼女が……。

 お互い何度も身体を斬り合い、周囲に血をまき散らす。ベグリフは回復していくが、カイの傷が癒えることはない。それでも引く選択肢は存在しなかった。

「何の為に彼女が命を懸けたんだ! お前の想いを呪いに変えるためか! 違うだろ! ちゃんと聞いてやれよ! お前の中で、絶対に何か叫んでいるはずだから! いつまでその言葉から逃げているつもりだ!!」

「―――っ!!」

 カイの勢いが、再びベグリフを押し始める。



 その瞬間を、メアは待っていた。



 瞬時にベグリフの頭上へとメアが姿を現す。

 機会を窺っていた彼女が今、カイが再び攻勢に出たタイミングで前に出る。

 二人の速さにはだいぶ眼も慣れてきたこの今、カイが一太刀を入れる為の隙を作り出すのだ。

「《ファンネル・滅刀の――》」

「分かったような口を、聞くな!!!」

 だが次の瞬間、ベグリフから闇が爆発するかのように放出する。一気に広がった闇は全て棘と化し、カイを遥か後方まで押し返す。

 そして、メアの身体を幾つかの棘が貫通していた。

「―――っ……!」

 右腕と左足、それに腹部と翼を貫かれ、メアの口元から血が滴る。

 その血が地に着くよりも早く、ドライルは棘の間を駆け抜けていた。

 爆発的に広がる棘を全て持ち前の反射神経で避け続け、ベグリフまで迫っていたのである。

 ベグリフは今、棘の中心で硬質化した闇に身を隠して息を整えている。カイとの激闘は流石のベグリフも身体に疲労感を覚えていた。ゆえに、視界を闇に覆われてドライルの存在に気付けずにいた。

「クロ、最大級の一撃だ。叩き込むぞ」

「《……ふん、当分動けないと思え》」

「大丈夫。後はカイが何とかしてくれるさ」

 風よりも早く駆け抜け、いつの間にかドライルはベグリフのいる棘の中心まで来ていた。

 ここに来るまでの間に、ありったけの魔力を全て右腕に込めていた。それを、大きく振りかぶりながら、一気に魔力を解放する。

「《黒爪・裂雅!》」

 黒獣化した右腕が膨れ上がり、大きく広がった右手の爪が一気に鋭く伸びていく。その爪には先程まで溜め込んでいた魔力が全て凝縮されており、真っ黒に怪しく光っていた。

「っ」

 突如溢れた魔力の存在に、咄嗟にベグリフは闇に潜ろうとするが、間に合わない。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 それよりも早く、ドライルが腕を薙ぐ。

 瞬間、硬質化されていたはずの闇は容易く斬り裂かれ、ベグリフの身体に五つの斬撃が深々と刻み込まれた。

「―――っ!」

 その勢いのまま、ベグリフが吹き飛んでいく。何度か地面を跳ねた後に、地面を滑るように着地するベグリフ。夥しい量の血が地面に滴るが、ベグリフは不気味にドライルへと笑っていた。

「いくら傷つけたところで、無駄だと知っているはずだ」

「くっ……!」

 ドライルは魔力の酷使で身体に限界が訪れ、膝をついていた。

 それを嘲笑いながら《魔》の紋章による治癒を待とうとしたところで、訪れる違和感。



 傷が回復しない。



 変わらず大量の血が地面を染めていく。

 何故だ……!?

 何が起きているのか、一瞬ベグリフの思考が止まる。《魔》の紋章の力が消えて無くなったかと思うが、そういうわけではない。

 そして、漸くベグリフは理解する。

「っ、貴様ぁ!!」

 視線の先、棘に貫かれたままのメアが、真っすぐその腕をベグリフへと伸ばしていた。

 本来、メアが扱える時魔法は時の減速、停止、そして加速の三種類である。それだけで十分と言えるわけだが、今メアの使用している時魔法はそれに属さない。

 その三種類を遥かに超える、高難度魔法。

「《時空天固・裂傷》」

 先程ドライルに付けられた裂傷を、そのままベグリフの身体に固着させているのだ。メアによって固定化された裂傷は、固定され続ける限り《裂傷》として一生ベグリフの身体に残り続ける。ゆえに、回復することはなく、血が止まることもない。裂傷として傷が悪化していくのである。

 《時空天固》。指定した対象を固定化する魔法。時を止めるわけではなく、あくまでその時を固定する魔法。時を固定されたものは、解除されるまで消えたり無くなったりすることはできない。

そして、今回の指定はベグリフの身体に刻まれた《裂傷》。正確に言えば、傷そのものではなく、その概念。《裂傷》という出来事そのものを固定化しているのである。



 メアは今、形のない概念の時を固定していた。



 ゆえに、その《裂傷》は《裂傷》という概念として一生ベグリフに存在し続けるのである。

「下らん真似を……!」

 結局メアのこれは魔法に過ぎない。魔法である以上、《デス・イレイス》で解除できるものであることに変わりはない。

 魔法を解除した後に、回復させればいいだけのこと。

 取るに足らん抵抗だった。



 はずなのに。



 直後に襲う圧倒的な力の波動。

「っ」

 すぐさまそちらへ視線を向けると、そこにはカイがいた。

「おおおおおおおおおおおおおおおお!」

 棘に押されて離れにいたカイだが、先程までとセインの様子が変わっていた。





 二刀は、一振りの巨大剣になっていた。





いつの間にか《白刀イルグ》と《黒刀デフィア》が一つに重なり、両刃の大剣へと姿を変えていたのである。白と黒に左右が分かれ、その中心に青白いエネルギーが真っすぐ剣先まで流れている。

そのセインへ、カイは全ての力を凝縮させていた。青白い光がカイを中心に溢れて止まない。

「この一撃で、決める……!」

 真っすぐにベグリフを見据えながら。

「くっ……!」

 今のベグリフにとって、《デス・イレイス》をした後に紋章の力で傷を癒すのは、愚策であった。何故なら、カイには転移があるからである。その間に眼の前まで瞬間的に移動され、最大の一撃を叩き込まれては、流石のベグリフも受け止め切れない。

 仮に不死身であることを想定してカイの一撃を受けるにしても、メアの存在がそれを邪魔する。固定化が意外と厄介なのである。どのような状態で固定されるか分かったものではない。万が一にも《デス・イレイス》を使用できないとなれば、終わりだった。

 ならば……!

 本来治癒に回すはずの《魔》も含め、全ての力を《大剣ハドラ》へと凝縮させる。中途半端に力を溜めるくらいであれば、全力を注いでカイを倒す。

 奴さえ殺せば、この戦いは終わる。

真紅の刀身に闇がどんどん凝縮されていき、やがて《大剣ハドラ》自体が赤黒い巨大剣へと姿を変えていた。

 双方ともにあまりに力が凝縮され過ぎており、触れてもいないのに大地は弾け、大気がバチバチと音を立てていく。

 カイとベグリフが視線を交える。まるでお互いが向こうの出方を待っているかのようで、動こうとしない。

 互いに分かっていた。

 この一撃で、全てが終わると。

 静寂。

 数秒にも満たない静寂。

 その先で、カイが動き出した。

 次の瞬間、カイの姿が消失し、ベグリフの背後に現れ出た。巨大剣と化したセインを横から全力で叩き込もうと振りかぶっている。

「理想をこの手に! 《イデア!!》」

 そして、それを読んでいたベグリフが振り返りながら《巨大剣ハデス》を上から勢いよく振り下ろそうとする。

「死をもたらせ! 《ハドラ!》」

 両方の剣が十字に交わり、次の瞬間未だかつてないほどの衝撃が周囲を襲う。まるで大爆発を起こしたかのように、周囲が軽々と吹き飛んでいく。メアもドライルも、大地も、森も、何もかもが二人を中心にして彼方へと飛んでいく。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「ああああああああああああああああああ!」

 互いが一歩も引かずに、力を入れ続ける。

 ベグリフの腹部にある裂傷から血が噴き出していく。

「っ、ぐっ、おおおおおおおおおおおお!」

 抜けそうになる力。それでもベグリフは必死に堪えて力を入れ続けた。

 ぶつかり合う力の波動は、魔界に轟いていた。魔界だけではない、天界や人界にも波動が広がっていく。

 そして、その波動を感じ取った誰もが後世にこう呟くのだ。





 あれが、世界の変わる合図だったのだと。





 負けられない。負けられないんだ。

 色んなものを背負って、色んな思いを託されて。

 俺は今、ここに立っている。

 負けるはずがないんだ。

 独りになろうとするお前に!

「負けるもんかああああああああああ!」

 徐々にカイのセインがベグリフを押していく。

「っ……おおおおおおお!」

 とめどなく裂傷から流れていく鮮血すら、衝撃で周囲に消し飛んでいく。

 この力が、俺が、負けるはずがない……!

 歪んだ愛の証明。だが、それがベグリフの原動力であった。

 再び拮抗する両者。

 だが、唐突に終わりを迎える。



 大剣ハドラに、亀裂が走った。



「馬鹿な、冥界の剣が……!?」

「今、解放してやる、ベグリフ! お前の想いが呪いだったかどうか、本人に聞いてきやがれ!!」

 その亀裂は留まることなく、剣腹を走っていき。

 遂に、大剣ハドラが真っ二つに折れた。剣先が宙へと舞い、折れた大剣の上をセインが通過して行く。

まるで時が減速しているみたいにゆっくりとセインがベグリフへと向かっていく。

「イデア!」

「《うん!》」

 セインの中で、イデアが自身の魔力を更に解放させた。

「おおおおおおおおおおおおおおお!」

 カイは、勢いよくセインを振り上げる。

咄嗟に闇が溢れて防ごうとするが、止められない。闇を斬り裂きながら、セインはベグリフを深々と斬り上げた。

「――――!!」

 鮮血と共に青白い力の奔流に飲まれ、ベグリフが宙を舞う。

 斬り上げる中で、セインはベグリフの中に存在していた、本来知覚し得ない紋章の力に触れた。

 紋章の力は際限なく、また消えることもない。一度刻まれてしまえば、一生消えない、それが紋章だった。

 だが、今のカイ達ならば。

二刀が一つの大剣となった時、イデアのセインは真価を発揮する。

 本来ソウルス族が持つはずのない魔力と、想いを形にするセインの力が融合した今。

 イデアのセインは。







 事象の理に干渉して、その理を変える力を持つ。







 紋章に触れたセインは、そのまま一気に斬り上げた。

「ありがとう……」

 瞬間、イデアは姿の見えぬ少女が優しい声音でそう言った気がした。

力の奔流は止まることなく赤紫色の天を突き抜けていく。その時だけ、魔界の空は青白い光に覆われたのだった。

やがて奔流がやみ、元の空が戻ってくる。

打ち上げられたベグリフが、地面へと落ちた。折れた大剣の剣先がどこかに刺さる音がした。

「はぁ……、はぁ……」

 荒い息と共に、カイは倒れないようにセインを地面に突き刺した。周囲の状態は最初の時よりも酷く、遥か彼方まで更地になってしまっている。

 メアとドライルは大丈夫だろうか。

 そう思いながらも、満身創痍の身体に鞭を打ち、どうにか前を見る。

 横たわるベグリフ。その手に握られた大剣は折れ、身体にも深々と傷が刻まれていた。




 その傷は、回復していない。



 それの意味しているところをカイは理解している。

 ずっと、それを目指して戦い続けてきたのだから。





《魔》の紋章は今、セインによって断ち切られた。





 イデアのセインが、紋章の力に干渉して、その力を消したのである。

 これまでカイやゼノを苦しめてきた《魔》の紋章が遂に消失したのだった。

 ベグリフも動かない。きっと今最後に彼女と対話しているのだと思う。

 ようやく、対話しているのだと思う。

それに、ドライルの傷に加えて、今の一撃だ。既に身体が限界なのだろう。そう信じたい。

 限界なのはこちらも同じで、カイはゆっくりと腰を下ろし、そして背中を地面に投げた。

「《……カイ》」

 一息つくように、でも確かめたくてセインの中でイデアがカイの名前を呼ぶ。その声は震えていた。

 それにたった一言で答えようと思う。

 本当は一言では言えないくらいの想いがあった。

 ゼノの代から始まり、何度も戦ってきた相手だ。それで大切な人を失ったこともあったし、勝ち目なんてなかった瞬間も確かにあった。

 それでも必死に戦い続けてきた。

 全てはこの瞬間の為に。

 理想を、叶えるために。

 長かった。まとめきれないくらいの長さだ。

でも、漸くだ。

 やったぜ、親父。





「……俺達の、勝ちだ」





 言葉にした瞬間、涙が一筋流れた。重力に負けて耳の方へと流れて行く。そして、とめどなく溢れていく涙。堪えようにもこらえきれず、カイは大の字に倒れながら嗚咽を漏らした。



 魔王が倒された。



 つまり、人族と天使族対悪魔族の聖戦が今終わりを迎えようとし。

 そして、一つの理想が叶おうとしているのだった。
しおりを挟む

処理中です...