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4『理想のその先へ』

4 第四章第五十七話「VSベグリフ編④ 死を司る剣」

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 それは、カイ達がエイラを奪還する為に魔界へと乗り込むよりも少し前の話。

 ベグリフは王都アイレンゾードを離れ、とある山岳地帯の山腹を訪れていた。眼下に広がる森林を超え、周囲には無機質な岩石しか存在しない。まともに歩けるだけの道もなく、唯の人なら当然超えることのできない程の傾斜だった。そもそもとして、魔界はそれ程明るくもない。ここを足で昇るのは難しいだろう。

 そこをベグリフは容易く滑空して登っていく。その手には人が入りそうなくらい大きな袋を持っている。中は既にいっぱいであった。

 やがて、ベグリフは上昇をやめて一点を見つめる。

 山腹に岩窟があった。岩窟とは言っても、ベグリフが以前に自ら開けた穴であるが。

 そこへ入り、光の無い暗闇の中を進んでいくと、最奥部にキラキラと光が見えてきた。

 最奥部まで辿り着くと、ベグリフは袋の中を開け、一気に周囲へ中身をぶちまけていく。袋から飛び出したそれは、周囲と同じようにキラキラ光っていた。

 魔石である。岩窟の奥には、空間を埋め尽くすほどの魔石が集められていた。

「……もう充分だろう」

 それは、ベグリフが秘密裏に王都から移動させていた魔石たちであった。

 秘密裏、つまり四魔将も知らず、当然グリゼンドもレイニーだって知らない。小国から集められる魔石の一部を、ベグリフは完全に気配と存在を消してここまで移動させているのである。

 知られると厄介だった。



 何故なら今からベグリフは、世界の次元に穴を開けるつもりだからである。



 正直、今から開ける次元の穴がどこに繋がるか、ベグリフも分かっていない。実際に開けてみてどうなるかも判断できない。一人の方が臨機応変に動けるし、そもそもの説明をするのも面倒だった。言ったところで容易く理解できるものではない。

 世界とは、人界、魔界、天界だけではなく、更に別の次元に無数に存在している。

 ベグリフはその別の次元から来た、といっても理解できまい。それに、言ったら言ったで、グリゼンド辺りが研究者気質を発揮してあれこれと調べようとするかもしれない。

 余計な詮索は不要だった。

「さて、ここにある魔石でどこまで次元を繋げられるか……」

 ここに集まっているのは本来集めている魔石のほんの一部に過ぎない。少ないが為に、まともに次元を繋げられないかもしれないし、繋げられたとしても人界や天界止まりかもしれない。

 そういう実験をかねての、今であった。

「始めるとしよう」

 ベグリフが魔力を練り始める。それに呼応するように、周囲の魔石が強く光り始めた。

 今のベグリフの力は最大ではない。本来の力である《魔》の紋章を封じられているからだ。本調子ではない段階で、何処まで行けるのか。

「《扉門裂道》」

 唱えた瞬間、一気に岩窟内が光で満ち溢れる。魔石から魔力が溢れ、ベグリフの魔力と繋がっていく。魔石の力で何倍にも膨れ上がった彼の魔力が、光の中に亀裂を走らせる。

 やがて、ガラスのように亀裂が弾けたかと思うと一気に周囲の光も止み、目の前には次元の穴が開いていた。次元の歪みと言ってもおかしくない。扉一枚分程度の厚みで、その穴の周囲は歪みのせいかぼやけて見えていた。

 出来は置いておくとして、どうにか次元自体に穴は開けられたようだ。後はどこと通じているのか、である。

 次元の先には、晴れやかな青空が映っていた。雲一つなく、青々とした晴天が覗いている。

 その青に包まれるように、巨大な島が浮かんでいた。島と呼んでいいのか、それとも国なのか。遠目でしかないが、大きな城のようなものが建っているように見える。

 どうやってそれが宙に浮かんでいるのか分からない。見たところ、周囲には何もなく、その島だけが青空の中に存在していた。

 間違いない、人界や天界とは別の世界、次元の存在だ。

 実験自体は概ね成功したと言っていいだろう。次元の穴もどうやら安定している。

 折角繋げたのだ、少し向こう側を見てみるか。

 そう思って、次元の穴へ向かった次の瞬間、映っていた青が一瞬にして消失した。

「……どういうことだ」

 決して次元の穴が閉じたわけではない。ただ、映す光景が変わったのだ。



 先程とは真逆の、燃え滾るような赤がそこにはあった。



 空という空は存在せず、どうやらそこは巨大な洞窟だった。真っ赤に見えていたものは、どうやらマグマらしく、洞窟のあちこちからマグマが溢れ、噴き出している。マグマが放つ灼熱の光が洞窟において唯一の光源であり、赤々とした光が、周囲の黒岩を染め上げていた。

 次元をまだ超えていないのにも関わらず、こちらへ伝わってくる熱気。間違いなく、人の住めるような場所ではない。

 だが、唐突に声が聞こえた。





「《力が欲しくはないか? 魔王よ》」





「―――っ!?」

 これにはベグリフも目を見開いた。

 声が聞こえたと思えば、魔王宛とは。視界に映る別次元にも魔王という概念が存在するのかもしれないが、それにしても随分とタイミングが良すぎる。

 ……これは、俺を呼んでいるのか。

「こちらに来い。さすれば力を与えよう」

 再び聞こえてくる声。声の主は女性のようで、穏やかな声音なのにどこか威厳を感じさせるものであった。

「欲しいのだろう、力が。全てを蹂躙するだけの力が。全てを壊しつくす力が」

 不思議な感覚だった。その声は、ベグリフの心に直接響くようで、言葉の一つ一つが恐ろしいくらいに反芻される。

「余なら与えられる。お前の望む力を……!」

 力、という言葉がベグリフの心を強く搔きむしった。

 この声の主が何者なのか分からない。目に映るこの世界が何なのかは分からない。

 ただ、嘘は吐いていない。この者は力をくれる。何故だか、そう確信できた。



 力が、欲しい。



 フィグルによって封印されてしまった《魔》の紋章。失われてしまった力を補えるだけの力が欲しい。

 この世は力が全てなのだから。

 一瞬、胸のあたりが痛んだ。力を求めることを拒んでいるかのようだ。

 そんな訳がない。力を拒むなんてあり得ない。《魔》の紋章だって、力が欲しくて手に入れたもののはずだ。

 だが、どうにも煮え切らない感情が沸々と込み上げてくる。

 《魔》の紋章が封印された今、他の新たな力に縋ることを何かが許そうとしない。

 もし縋ってしまうのならば、お前にとって《魔》の紋章は何だったのか、そう問う何かがある。封印されたから別の力へ、などと簡単に切り捨てられるものだったのかと問う何かがいる。

 脳裏にノイズのようなものが走る。彼女の顔がノイズ混じりに一瞬映りだす。

 彼女がくしゃくしゃに笑うのが好きだった。

 それを、ベグリフは真っ黒に塗りつぶした。

 俺は力を欲した。夢はそれに命を以て応えた、それだけだ。そして、この世は力が全て。それを俺が証明してみせる。いや、しなければならない。

 己が為に。

 ならば、たとえどんな力であろうと、《魔》の力でなかろうと、力の価値を証明する為に、どんなものでも利用しよう。

「さぁ魔王よ、数多の命を堕とそうではないか。この――」





 冥界へと―――!





 声に誘われるままにベグリフは次元を超え、地獄の業火へと足を踏み入れた。





※※※※※





 大剣から漏れ出す紅い瘴気がベグリフの身体を取り巻いていく。闇と混ざり合い、ベグリフの周囲は赤黒く染まっていた。

 カイ達の視線は、その煌々と赤を放つ大剣に釘付けだった。

「なに、あの剣……! 見てるだけで、命を吸われてるみたいで……!」

 メアは震えそうになる自分の身体を抱きしめていた。ドライルもまた全身が総毛立つのを感じていた。

 メアの言う通りだ。あれは、命を奪う為だけに存在する剣だ。

「いいか二人共、あの大剣に絶対斬られるなよ! あれに斬られて親父は意識不明だ! どれだけ回復させても身体が衰弱したままだった。あの大剣は身体から命を削るんだ!」

 そう叫ぶカイは、ゼノがあれと対峙していた場面を思い出していた。

 ゼノは、ベグリフの魔力も《魔》の力も無効化していた。それなのに、《冥界の剣ハドラ》が現れた途端、形成は逆転。ゼノは負けてしまった。

 それが何を示すか。

《冥界の剣ハドラ》一本が、ゼノを勝る力を有しているということである。魔力も使えない状態だったベグリフを勝利へと導いたのである。

 見ていたカイは分かる。あの大剣は相当量の力をベグリフへ与えている。セインのようなもので、膂力も何もかもが一気に膨れ上がっていた。

 そして今、ベグリフには魔力も《魔》の紋章も存在している。それも今までで最大の状態。

 そこにあの大剣が合わさっているならば、その力は……。

「っ、やることは変わらないでしょ! 私がまた二人を援護するから、その間に――」

 伝えながら、三人一斉に時を加速させたメア。斬られて終わりなら、斬られないようにサポートすればいい。

 そう思っていた。

 ある程度距離を保っていたはずのベグリフが、目の前から消えていた。

 なんで……!?

 こちらは時を加速させているのに、その姿を一切捉えることが出来なかった。

「どこを見ている」

「っ!?」

 三人のすぐ背後に、ベグリフがいた。

 別に、特別何かをしたわけではない。ただ単に足を使って移動しただけ。

 だが、その膂力は今、メアの時魔法を超える速度を持っていた。

 ベグリフがハドラを一直線に横へ薙ぐ。放たれる死の斬撃が三人を捉えていた。

 転移も、間に合わねえ……!

 転移の為には魔力の溜めが必要であるが、その瞬間すら作れない。三人の時の速度に合わせて、ベグリフもまた攻撃を加速させているからである。

「避けろ!」

「っ!」

 ドライルは持ち前の反射神経で咄嗟に屈んだが、カイとメアは間に合わない。何とかカイがセインを縦に構えて斬撃を受け止める。一瞬斬撃の動きが止まり、その間にメアが空へと飛翔する。

「ぐっ、くっ……!」

 だが、それも刹那。斬撃の勢いがあまりに強すぎて、一瞬程度しか受け止められない。カイごと斬撃が凄まじい速度で彼方まで走っていく。

「カイ!」

 一秒も満たない速度で更地を抜け、周囲の森林一切を悉く断っていく。それでも勢いは止まらなかった。

「くそっ」

 ドライルがベグリフへと巨大化させた拳を叩きつける。

「《っ、ドライル、無理だ!!》」

 拳からクロの叫びが聞こえてくるが、既に遅い。

 ベグリフがハドラを一振りする。瞬間、ドライルのその拳は細切れになっていた。

「――!」

 一気に弾ける肉片と鮮血。ドライルの瞳が大きく開かれる。手首から先が、消えて無くなっていた。

 その脇腹へベグリフが回し蹴りを放つ。強靭なドライルの身体が弓のようにしなる。

「ガっ……!?」

 口から大量の血を吐き出しながら、ドライルが高速で吹き飛んでいった。

「ファンネル・連弩の陣!」

 その間に、夥しい数の光槍がベグリフを囲んでいた。《デス・イレイス》の効果時間が僅かなら、それを上回る量で押し続ける!

「いっけえええええ!」

 ベグリフへと殺到する光槍。

 だが、ベグリフが《デス・イレイス》を唱えることはない。

「……無駄だ」

 次の瞬間、ベグリフがハドラを振り上げた。

 たった一振り。なのに、その全てが一瞬で粉砕された。光槍が砕け散り、光の残滓が辺りに飛び散る。

 そして、メアの右肩から左腹にかけて赤い軌跡が走っていた。

「嘘、でしょ……!?」

 同時に噴き出す鮮血。その一撃をメアは見切れなかった。

 深々と斬り上げられており、メアが空から地に落ちていく。

 一瞬の出来事。だが、これまでのベグリフとはあまりに次元が違い過ぎる。

 何とか無防備に倒れることなく、蹲るように着地したメア。ポタポタと鮮血が地面を染める。

 斬られた箇所が焼けるように熱い。痛い。

 それだけではない。身体が弛緩したように、力が入らなくなっていた。斬られた直後に、メアは治癒を開始している。最初は噴き出していた鮮血も、地面に降りた時にはある程度止めている。それなのに、まるで血が全て抜け出したかのように、身体に力が入らなかった。

 カイの言っていた、斬られると身体が衰弱するという事象を、メアは実際に体験していたのだった。

「この大剣は生と死を司る。正確に言うならば、生に死を体感させる。生を自在に死へと至らしめる。ゆえに、生死を司る剣だと言われているわけだが……」

 ゆっくりと蹲るメアの元に、ベグリフが歩いていく。ハドラを眺め、まるで愉悦に浸っているようだった。

「力ゆえにこの大剣を前にして、長く戦える者もそういない。俺としてはもっと戦いたいわけだ。だからお前達、すぐ壊れることなく、この力を存分に振るわせてくれ……!」

 やがてベグリフがメアの前まで辿り着き、ハドラを振りかぶる。メアはまだ身体を起こすことが出来ずにいた。

「――っ」

 そして振り下ろされるハドラの剣。一直線に赤い軌跡が走り、次の瞬間山を越えんとする勢いで高々とエネルギーが迸った。

 ゆっくりと、ベグリフが視線を横へ向ける。

「……ふん、やはり《獣》、お前もまた俺と同じか」

 視線の先、メアはドライルに抱えられていた。すんでの所でドライルが飛び出し、何とか攻撃を避けきったのである。その黒獣化した両足が、何とかそれを可能にしていた。



 そして、刻まれて無くなったはずの拳は、再生していた。



「え、ちょ、大丈夫なの!?」

 当然驚くメアだが、ドライルは驚かない。これまでレジスタンスの活動で、どれだけ怪我をしてきたと思っている。

 そして、その全てが一瞬で再生していたのだから。

 ゆえにクロはベグリフを以前にこう言っていたのだろう。

「《……アレは俺と同じだ。同じ存在から生まれた》」

 ただ、どこか倦怠感が身体を襲うのは、あの大剣のせいだろうか。

 傷は治っても、何かが身体に残り続けていた。

「……そっちこそ」

 メアを下ろすと、やはりメアはふらふらしていた。命を削られたのだ。天使族の寿命は人族のそれよりも三倍ほど長いとはいえ、今までとは当然身体の様子がおかしくなる。

「私は……まだいけるよ!」

 それでも、メアはどうにか立ち続けた。ここで倒れるわけにはいかない。

 アイの仇を取るんだから。

「それでいい、それでこそだ!」

 この世界、最後の戦いに相応しい。

「もっと愉しませてみせろ!!」

 ベグリフが笑みを浮かべ、二人へ向けて飛び出した。





※※※※※





《冥界の剣ハドラ》。その初撃を、カイは受け止めることが出来なかった。

 たった一振りをカイは止められずに、斬撃と共に一瞬で背後へ吹き飛ばされる。道中の木々は悉く薙ぎ倒されていた。

「くっ、くそ……!」

 どれだけ両腕に力を籠めても、押し返すことが出来ない。どれだけ足に力を籠めても、その勢いを殺すことが出来ない。

 その状態のまま、更地を超えて一気に遥か彼方まで吹き飛ばされてしまう。

「《カ、カイぃ……!》」

 イデアの苦しそうな声が聞こえてきた。今のセインはイデアそのもの。この強烈な一撃を受け止めたセインは、つ
まりイデアなのである。

 このまま受け止め続けていたら、イデアの身が危険だ。ゼノとシロがベグリフと対峙していた時、セインの傷がそのままシロの傷となっていた。

 俺はイデアを傷つけたくないんだ……!

 魔力も全開にして、セインを力強く握りしめる。

「ううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 魔力で膂力を補い、加えてセインに纏わせることで爆発的に力を高めていく。

「おおおおおおおおおおおおおおっらあ!!」

 そのまま勢いよく紅い斬撃を斜め後ろへと弾き飛ばした。弾いただけで勢いが衰えることなく、真っすぐに斬撃が伸びていく。そこには先程攻防を繰り広げた大山が存在していた。メアの一撃で元々山頂のない山であるが、さらにその山腹に斬撃が刻まれていく。瞬間、一切の躊躇いなく斬撃が斬り進んでいき、大山の中間あたりから上があまりに綺麗に切断された。

 斬られたことに山は気付いていないのか、斜めに切断されてもまだ上部はそのままだった。だが、やがて斜めに切り離された山が自重に支えきれずに、ゆっくりと滑り落ちていった。

「はぁ、はぁ……イデア、大丈夫か」

「《う、うん、何とか》」

 お互い、息を切らせたように体を上下する。

 ベグリフの取り出した紅い瘴気の大剣。ゼノとの戦闘を見ているからこそ、カイは決して油断することもなく、むしろ何よりも警戒していたと言ってもいい。

 それなのに、初撃で追い込まれた。

 何なんだよ、あれ……!

 《魔》の力も到底理解しがたい力であるが、アレも同じだ。一体何の力だというのだ。少なくとも魔力が動力ではない。

 魔力とも《魔》の力とも違う。第三の力。

 あの大剣が出てきた以上、時間はそれ程かけられないぞ。

 それは、イデアもまた理解していた。

「《あと少し、あと少しで発動できそうなのに……!》」

 ベグリフは《魔》の紋章を断たぬ限り、死ぬことはない。だが、今のカイとイデアにはそれを実現するビジョンが見えていた。見えているのに、まだ実現できていないのである。このままではどれだけ戦っても、こちらが消費するだけだ。

 ただ、まだ未完で修行している間に戦争が始まってしまったのだった。

「俺達の想いが足りないわけじゃない。まだその想いを具現化する力が足りないんだ」

「《具現化……》」

 そこまで言われて、イデアは自身に宿る魔力を思った。

 ソウルス族でありながら、イデアは本来持つはずのない魔力を宿している。ただ、その魔力が宿っているのはフィグルの魂である為、宿しながらも魔力を使えない状況であった。

 もし、想いを具現化する力が足りないのだとすれば、それはこの魔力にあるのではないか。フィグルは自身の魂がイデアへ完全に取り込まれた時に使用できるだろうと、だが現状そもそもソウルス族のイデアでは容易に使えないだろうと言っていた。

 その魔力を、今の状態で発現できれば……。

 フィグルの魂をイデアへ取り込むということは、フィグルの意識がイデアに飲み込まれ、フィグルとはもう会えないということだ。それは酷く寂しくて、嫌だった。幼い頃から心の傍に居てくれた彼女を離したくなかった。
容易ではないだけで、この状態でも魔力を使うのは不可能というわけではないはず。

 フィグルがこの身体で魔力を使っていた時を、イデアは覚えている。修行から今まで、何度も発動を試しているうちに、少しずつその使用感に身体が近づいている気がするのだ。

 あともう少しで、魔力を……!

「……イデア」

「《なに?》」

 カイはセインに笑顔を向けた。

 本当は傷ついて欲しくなくて、出来るだけ無理もしてほしくない。ただ相手が魔王だから、そんなことも言ってられなくて。きっと言ったらむしろ怒られそうだし。

 だから、これだけは何度でも言葉にする。

「絶対勝つぞ」

「《……うん!》」

 背後の山が滑り落ちて大地へ落ちていくのと、カイ達が転移するのは同時だった。

 地響きと轟音の中、再びカイとイデアはベグリフと邂逅する。

 そして、目を見開いた。

 メアは血だまりの中に倒れ伏し、ドライルは両腕両脚を切断されたまま、首をベグリフに掴まれていた。

「う、うぅ……」

「……」

「メア! ドライル!」

 ほんの少ししかいなかっただけなのに、この二人がここまでやられているだなんて。

 顔に血を浴びたベグリフが、薄く笑いながらカイ達へと視線を向ける。

「漸く来たか」

 その手に掴んでいたドライルを無造作に放り捨て、ゆっくりとベグリフが近づいてくる。メアもドライルも地に伏したまま立ち上がることはなかった。

「くそっ……!」

 カイがセインを構えるのを見て、その口角は更に大きくなった。

「そうだ、それでいい。絶対的な力を前に最後まで戦い、抗ってみせろ!」

 一瞬で目の前にベグリフが現れる。メアが倒れたことでカイの時は加速されておらず、ただの膂力で加速についてこられるベグリフの速度を、カイは見切れていなかった。

「っ」

 初撃をどうにか躱すも、圧倒的なまでに防戦一方が続く。先程同様魔力で力を補っても、凶刃が容赦なくカイの命を刈り取ろうとし、受け止めても弾き切れずに何度も身体を斬り裂いていく。

 その度に、カイは身体が重くなるのを感じていた。

 これが、命を削られている感覚……!

 思うように体が動かせなくなるのだ。描いている未来へ身体がついていかない。セインを握る力も段々と弱まっていくし、それに合わせて刻まれていく傷も深くなっていく。

「《う、うぁっ……!》」

 カイだけではない。あの一撃を弾くイデア自身もまたどんどんと疲弊していた。カイ程直接的に命を削られているわけではないが、間違いなく身体を蝕まれている。

「っ、《ストリーム・ブラスト!》」

 一度距離を取ろうと、カイが唱える。

 背中の青白い翼から光球が幾つも出現し、勢いよくベグリフへと襲い掛かっていく。魔法ではなくセインの力を抽出している為、無効化されることはない。

 だが、

「その程度ではあるまい!」

 一瞬で全ての光球が切り刻まれ、霧散していく。今のベグリフを止めることは到底不可能だった。

 ただ、カイにはその一瞬で十分だった。その間に転移することで、更地の端まで移動することに成功していた。



 はずのカイの背後にベグリフはいた。



 その足元には闇が溢れ、今にも周囲を飲み込まんとしていた。突然カイの背後に闇が溢れ、一瞬でベグリフが姿を見せたのである。

「ハドラだけではない。《魔》の紋章をあることを忘れたか!」

 振るわれる大剣ハドラをどうにか振り向いて受け止めるも、勢いを殺せずにカイは背後に吹き飛んだ。何度も地面を転がりながら、何とかセインを突き立てて勢いを殺す。

 その間に、ベグリフは大剣ハドラを天高く掲げていた。

「そして、両者が混ざり合って初めて真の力を発揮するのだ!」

 言下、ベグリフ自身から闇が噴き出し、大剣ハドラへと集まり始める。大量の闇が大剣ハドラへと吸収されていき、刀身が赤黒く変色していた。

「見よ、これがその力だ!」

 遠くにいながら、ベグリフが一気に大剣ハドラを振り下ろす。離れていようが関係ない。その一撃は容易く命を掻き消す。

 転移では間に合わないと、カイはその身体を横へと避けた。

 が、それすらも間に合わない。

 瞬間視界を走る赤黒い軌跡。瞬きよりも速く斬撃が駆け抜けていき。



 カイの右手首が吹き飛んだ。



 凶刃が避けきれなかった右手首を軽々と断ち切り、吹き飛ばした。

 周囲に飛び散る鮮血。切り離された右手から血が飛び出し、周囲を赤く染めていく。

 右手の無くなった右腕からは滝のように鮮血が溢れていた。

 燃えるような痛みがカイを襲う。

 カイは驚愕の表情で、吹き飛んでいった手首の方を振り返った。



 だが、視線は手首を捉えてはいない。



 そもそも、カイは痛みにすら気付いていなかった。全身に響く激痛は、目の前の光景で掻き消されていた。自分の手首が飛んだことすら、今その脳裏には存在していなかった。

 それ以上に。

 カイは信じたくなくて。

 でも、心が告げていた。

 心が身体以上の激痛を訴えていた。

 嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ嘘だ嘘だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ嘘だ嘘だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ。

 どれだけ否定しようとも、受け入れられない現実が目の前に待っていた。

 カイの視線は。

 右手首ではなく。



 その手に握りしめていたものをどうしようもなく捉えていた。



 それは。

 それらは。

 吹き飛ばされた影響で地面を何度も跳ねていった。その衝撃で破片が幾つか零れ落ち、最早再び交わることなど不可能だと、それぞれが複雑に跳ねて遠ざかっていく。

 やがてそれは、セインは動きを止めた。





 真っ二つに割れたセインが、それぞれ動きを止めた。





 やがて光が溢れ、刃は人の形を成していく。

 成してしまう。

 嘘だ、やめろ……!

 駆け寄ろうとするカイの前で、どうしようもなくそれは現れてしまった。







 上半身と下半身の分かたれた彼女が現れてしまった。







 血が切断部から溢れ、どんどん血の海を作っていく。白く煌びやかなドレスを真っ赤に染め上げていく。彼女の唇からも血が溢れ、重力に押されて首筋に流れて行く。

 嫌だ、嘘だ。

 こうならないように、これまで頑張ってきたはずだ……!

 なのに……!

 この世で一番大切な人は今、その命を手放そうとしていた。

「っ、イデアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

 血の海に沈んだまま、イデアの瞳から生気が失われ始めた。
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福田 杜季
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侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。 彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。 だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。 「お義姉さま!」           . . 「姉などと呼ばないでください、メリルさん」 しかし、今はまだ辛抱のとき。 セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。 ──これは、20年前の断罪劇の続き。 喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。 ※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。 旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』 ※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。 ※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。

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