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4『理想のその先へ』
4 第三章第四十六話「天界編① 青い蛇」
しおりを挟む彼女は回想する。
暇さえあれば過去を思い出し、彼の者に想いを馳せる。
魔王に拾われたあの日から、少女の世界はがらりと変わった。
王都アイレンゾードはまだ建国したばかりで、都のあちこちが慌ただしく、また魔城ヴェイガウス内も悪魔族がバタバタと動き回っていた。
人族と天使族、二種族との間で起きた聖戦は決着がつくことなく、新たに突如出現した展開と魔界にそれぞれ天使族と悪魔族が移り住むことで終息した。移り住む際、元々用意されていたのであろう幾つかの都市こそあれど、やはり色々な部分で補わなければならなかった。食料や物資も一定量あったが、だんだんと枯渇してしまうのだから。
そんなこんなで大忙しの魔界であったが。少女は魔城ヴェイガウスの王室、つまり魔王ベグリフの部屋に身を置いていた。
みすぼらしかった衣服も清潔感のある白いシンプルなものに変わり、ボサボサだった長髪も身体ごと無理矢理洗われて艶が戻って来ていた。ただ、元々の毛質のせいか、黒色の髪の毛はあちこちが跳ねまくっている。
「……」
浴室からこの部屋に連れられてからというもの、少女は独りで佇んでいた。王室だけああって広く、ベッドも天蓋付きであったりシャンデリアが施されていたりと業かではあるが、使用感は然程ない。というより、広さの割に家具等の物は全然置かれていない。ベッドの他には玉座のように立派な椅子と机だけであった。豪華なのにどこか質素な部屋であった。
何もすることがなく、そもそも何をするためにここに連れて来られたのかも分からず。
「俺と来い」
ベグリフにそう言われたけれど。
私に誰かの役に立つ力などあるわけない。
私の力は、誰かに忌み嫌われるものなのだから。
思考にあわせて俯く。この先待っている未来は、これまでと同じように暗いものだと思えて仕方がなかった。
そこへ扉が開き、ベグリフが姿を見せる。
突然の登場に少女がビクッと身体を震わせる。ベグリフはそれを一瞥だけして横を素通りし、椅子に座った。
そして一言。
「お前は何に怯えている」
「え……?」
急に何を問われたのかと、少女が困惑した表情を見せる。
今はこの状況が怖いけれど、それをこの人に直接言っていいものだろうか。
だが、ベグリフが欲しかったのはそんな答えではなかったようで。
「それ程の力を有していながら、何に怯えている。何故あのような場所にいた」
問いの真意が見えてきた。
ベグリフは理解している。
少女が何かを恐れていることを。だからこそ、人里離れたあのような密林にいたということを。
「……」
そう、少女は恐れている。
ただ何をと聞かれたら、一番に何を持って来ればいいか分からない。それだけ多くのものが怖い。
自分に敵意を向けてくるもの全てが怖い。
こんなどうしようもない世界を生み出した神様が怖い。
生きる全てのものが怖い。
……。
色々考えてみたけれど、その全ての根本にあるのは。
「…ち、力」
「……」
淡々と見つめるベグリフの前で、勇気を振り絞って少女は言う。
「わ、私は力が怖い。何かを傷付けてしまう力、何かに恐れられてしまう力。それと……力を持たない者達が」
紡いだ言葉が、少女に過去を想起させる。
まだ魔界ではなく、世界が三つに分かたれていない時。
少女は悪魔領の離れにある村で生まれた。逆を言えば、天使領に近い村である。
少女の生活はそれまで順風満帆で、家族とも幸せに過ごし、友達とも楽しく遊び、毎日が幸せに感じていた。
だが、その幸せな暮らしも唐突に終わりを迎える。
天使領の近くだったその村に、領土拡大の為天使族が攻め込んできたのだ。ちっぽけな村なのだから領土拡大も何もあったもんじゃないはずだが、更に近くにある大きな街を攻め入るため、動きを悟られないように排除する必要があったのだ。
村にいた用心棒は真っ先に殺され、命乞いをする悪魔族の首が軽やかに宙を舞う。所詮小さな村でしかなく、力など存在しない。
次々と虐殺されていく村の人々。見知った顔が次々と血の海に伏し、その海を広げていく。
まるで天使族は虐殺を楽しんでいるかのようだった。鬱屈した日々の暮らしのストレスをここで発散しているに見える。
恐怖で身体が動かず少女はその場に座り込んでいた。
「――!!」
父親が少女の名前を呼び、駆け寄ろうとする。その直後に魔法が放たれ父親は肉片へと化した。母親が絶叫する。少女は最早恐怖で声を上げることも出来ない。
身体に影が差し、気付けば天使族が歪んだ笑みで少女を見下ろしていた。
「あー、そうだなぁ。そろそろ身体の方も色々溜まってきてるからなぁ! お相手でもしてもらおうか!」
「ギャハハハハ! おいおい、ロリコンだったのかよ、お前!!」
「うるせぇな! それをこれから確かめるんだよ!!」
「確かめるまでもねえな!!」
「悪魔族でも何でもいいとか、節操ねぇな!!」
下卑た笑いがあちこちから聞こえてくる。目の前に佇む天使族の表情がどこかいやらしく、気持ちが悪い。
手が伸びてくる。身体に触れようとする。母親の悲鳴が聞こえてきた気もするが、もう何も分からない。ただもう何もこの眼に映したくなくて、少女は諦めと共に眼を閉じた。
「っ、がっ!!?」
ぐしゃりと、何かが潰れる音が聞こえるまでは。
伸ばされたはずの手がどこにも触れなくて、恐る恐る少女は目を開く。
するとそこにいたはずの天使族は目の前の地べたに肉片と変わっていた。何かに噛み砕かれたようで、余りに凄惨な死体に思わず両手で口を押えてしまう。
何が起きたのか分からない。
分からないけれど。
少女の眼の前には人の何倍もある青蛇が佇んでいた。
青く輝く鱗はどこか美しく、艶やかな様子で青蛇はそこにいた。
人を軽々と飲み込めるような大きな口には、血が付いている。
間違いない。この蛇がやったんだ。
私も今の天使族みたいになるのかなぁ。
天使族の玩具になるのも嫌だけれど、こんな汚らしい肉片になるのも嫌だ。
でも少女には選べない。力がないから。
「き、貴様! よくも同志を!!」
あちこちに点在していた天使族がこちらへ集まって来た。青蛇という危険対象を排除しようと言うのだろう。
だが、天使族は口々にこう言うのだ。
「ガキが! どこにそんな力を隠していた!」
「構えろ! もう一匹出してきたぞ!」
言下、青蛇の横にもう一体同じ蛇が姿を見せた。
不思議だった。
どこからともなく現れた。
わけではない。
あの青蛇は今。
少女から生まれた。
青蛇たちの尾が半透明になって少女と繋がっている。気付けば、少女から更にもう一体青蛇が生まれた。
なに、何なの。
訳が分からない。自分でどうこうしたわけではない。勝手に生まれてきた。
生まれてきた三匹の青蛇は、一斉に周囲の天使族へと飛びかかった。
必死に天使族が魔法を放つが、青い鱗がそれを通さず弾く。
青蛇はその鋭い牙で天使族に噛みつき、噛み砕きながら、腹では他の天使族を勢いよく押し潰していた。
まさに一騎当千。そして、阿鼻叫喚。先程まで恐怖の対象でしかなかった天使族達は逆に蹂躙されて肉片と化し、同じく恐怖の対象でしかなかった青蛇はどこか少女には凛々しく映っていた。
やがて最後の一人の頭を青蛇が噛み砕き、吐き捨てる。
少女の周囲には、先程まで天使族達が村の人々で作り上げていた血の海が、天使族達の身体で成し遂げられていた。
少女には返り血一つない。いつの間にかもう一体青蛇が出て来ていたようで、返り血を防いでくれていたのだ。
この戦いで、少女は直感した。
ああ、この子達は私を守るために出て来てくれたんだ。
仕事が終わり、主の元へ戻って来た青蛇達に少女は声を掛ける。
「あ、ありがとう……」
ぎこちないほほえみであったが、まるでそれに満足したように青蛇達は突如霧散して淡い光となった。その光は少女の身体へと吸い込まれていった。
先程とは一転、静寂が村を支配している。濃い血の匂いに鼻がおかしくなりそうだが、これ以上濃くなることはない。
沢山の村人たちが殺されてしまったけれど、青蛇達のお陰で何とか生き残った人達もいる。
強張っていた身体を何とか起こして、周囲にいる母親に顔を向ける。
生き残れたことへの感動で、抱きつこうと彼女へ足を運んだ。
「こ、来ないで!!」
それはあまりに恐怖の込められた叫び声だった。
母親から出た言葉だと、時間をかけて漸く理解できた。
「な、なんで……?」
一歩前へ出る度に、また一歩母親が離れていく。
母親だけではない。これまで一緒に遊んでいた友達、その家族までもが、自分から遠ざかっていく。
その瞳に恐怖を映して。
「な、何なんだよ、その力ぁ!!」
同い年の男の子がそう言う。少女は彼の事を好いていた。
「こ、こっち来るなよ、化け物!!」
「っ……」
進もうとしていた足が止まる。無くなりかけていた恐怖が再燃する。
全ての恐怖から解放されたと思っていた。
天使族も居なくなって、青蛇達も味方だと分かったから。
なのに、どうして私はこんなにも怖いの。
何が怖いの。
青蛇がもし自分の力なのだとしたら、私は漸く力を手に入れたことになる。
何も出来なかった今までとは違う。何も選べなかった今までとは違う。
何かを成す、選ぶ力が今はある。
それなのに。どうしてこんなに……。
気付けば、少女の周囲には青蛇達が現れていた。
先程出ていた量の倍。
つまり八匹の青蛇。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
周囲の人々が向けてくる視線が。
その視線を向けさせる自分の力が。
力を得ても、何も選ぶことは出来なかった。
力とはここまで人を変えてしまうものなのか。
持つ者も、その周囲にいる持たざる者も、全てを変えてしまう。
昨日までの人生が、力によって崩れる音がした。
そこから先の事はあまり覚えていない。
あの時、青蛇達は少女の恐怖に反応して現れた。少女を恐怖から救う為に。
少しでも恐怖を排除する為に。
血の海はいつの間にか広がっていた。
それからは出来るだけ人との接触を避けてきた。
もうあんな視線を向けられたくない。
この力も使いたくなかった。
なのに、日に日に力が増していく。人の何倍程度だった青蛇も気付けば大蛇と呼んでいいほど大きくなった。
いつまた無意識で発動するか分からない。もう人里に下りてはいけない。
そう思っていたある日、世界が一転した。新たに作り出された魔界に突如飛ばされたのである。
運よく、少女は密林にただ一人飛ばされていた。
好都合だった。
こんな所には誰も来ない。もう怖がられないし、私も怖がらない。
この力を誰かに使わずに済む。
そして、ベグリフと出会ったのだった。
「……」
少女の返答を聞いたベグリフは、やがて椅子から立ち少女の元へと向かっていく。
何をされるか分からず、身体が強張る。それでも蛇達が出てこないのは、以前戦って吹き飛ばされたからなのか。
少女の目の前まで辿り着くと、ベグリフは不敵に笑った。
その瞳には恐怖は映っておらず、どこか楽しそうですらあった。
目の前にいるこの男は、少女を怖がることはない。
「力が怖い、か。ふん、くだらんな」
そう言って、ベグリフは少女の頬を掴み、グッと自分に近づけた。
「力とはこの世の全てだ」
一瞬、ベグリフの瞳に暗い影が差したように少女は思えたが、ベグリフは手を離して扉へと向かった。
「お前のそれは、力が何たるかを理解していないだけだ。ついてこい。教えてやろう、力の扱い方を」
ベグリフが扉から出ていく。
少女の心は騒いでいた。
力が怖い。
だけど、あの人は力がこの世の全てだと言っていた。
付いていけば、何かが変わる。そう思えた。
居なくなった背を追って慌てて扉から飛び出す。
そして、
「…わ、私、レイニー!」
ベグリフの背に叫んでいた。
彼の足が止まることはなかったが、何故だか異様に心は浮かんでいて。
レイニーは急いでベグリフを追いかけた。
※※※※※
「くっ!」
必死に翼を羽ばたかせるも、その背には青い大蛇が迫っていた。
一体一体が国一つと同じ大きさをしている。それをこうも連携して動かれたら……!
前方を別の大蛇の腹が塞ぐ。八岐大蛇が進行方向を制限してくるのだ。
既に周囲を囲まれてしまった。
「セラ様!」
聞こえてきたシェーンの声。と、同時に周囲一帯に影が差す。
次の瞬間、大蛇が大きな口を開けて真上から突進し。
セラは為す術もなく飲み込まれてしまったのだった。
応援ありがとうございます!
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