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4『理想のその先へ』

4 第三章第二十九話「殺さないで」

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窓から差し込む光が丁度瞼を照らし、ミーアは目を覚ました。

「うーん……」

眠気眼をこする。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。ベッドを台替わりに寄りかかって寝ていたために、腰が微妙に痛い。

体を起こして伸びをしていると、声を掛けられた。

「気持ちよさそうに寝てたぞ」

ベッドの上から、シーナが優しく微笑んでいた。

彼女の姿を見て思い出した。シーナのお見舞いに来たわけだが、そのまま寝てしまったらしい。

「んー、最近ちょっと疲れてて。戦争の準備って大変なんだね」

「ご主人も忙しそうだしな。全然姿見ないし」

「うん、ちょっと頑張り過ぎなくらい頑張ってる。世界のあちこちを駆け回っているみたい」

シーナはため息をつきながら、ベッドに横たわった。

「あー、あたしも何かやりてー! 何もしないってこんなに辛いのか!!」

「無理言わない。まだ本調子でも何でもないんだから」

「んなことない! いつでも戦闘準備出来てるぞ!」

シーナが細い腕で力こぶを作る。その真っ白な腕は、昔と違ってどこか生気が感じられない。なにより、前よりも細くなっている。

ミーア達による治療によって、シーナはどうにか一命を取り留めた。失った心臓をカイの魔力によって補い、半永久的に魔力を転移供給することで心臓としての機能を保ち続けている。

シーナが目を覚ましたのは、あれから一か月後のことだった。心臓を補えたとはいえ、身体が弱っていたのは事実であり、目を覚ました後はよく高熱に襲われていた。食事も多分に摂ることができず、弱ったままの身体は段々とやせ細っていった。

最近ようやく新たな心臓に適応してきたのか、熱も出なくなり、食事も普通に取れるようになってきた。ただ、それでもまだ身体が弱っているのは確かであり、動き回ることが出来ない。全身の筋肉が衰えてしまっているのだ。

なのに、シーナはよく部屋から飛び出そうとするから厄介だ。「無理したら動ける」と彼女は言うが、そもそも無理する必要性だってない。

呆れたようにミーアは笑った。

「あんな目に遭って、まだ戦いたいの?」

「当たり前だ! 今度は負けない!」

「魔王に? 策は?」

「気合いだ!」

衰弱してしまったシーナだけれど、相変わらずの無邪気さと元気さだ。そんな彼女の姿がまた見えていることに、改めて感動を覚えていた。

「でも実際、どうやったら勝てるんだろうね。お兄ちゃんは何やら策があるって言ってたけど。何やったって死なないんでしょ? そんな相手にどう勝てばいいって話だよ」

「死ぬまで殺すとか」

「その前に殺されちゃうよ」

「現に私は一回殺されたけどな!」

笑えない冗談に、シーナ一人だけ笑っていた。

いよいよ悪魔族との全面戦争が近づいてきている。状況は以前とは一変していた。

カイの存在と、グリゼンドの死によってだ。

転移が使えるグリゼンドがいることで、悪魔族は天地谷にある扉を使うことなく、人界及び天界に対していつでも侵攻が可能だった。だが、グリゼンドが死亡したことでその手段は潰えたと言っていい。ベグリフの力でも移動可能であるが、その移動方法はあくまで四魔将級の者しか使えないらしい。軍としての侵攻は最早扉の使用しか不可能だった。

そして、カイの存在だ。カイはヴァリウスから魔力を受け継いだことで、あらゆる場所への転移が可能になった。場所を思い浮かべるだけで、扉を使うことなく天界と魔界へ向かうことが出来る。つまり、カイの力さえあればいつでも魔界へと侵攻出来るということだ。

状況は完全に逆転した。

悪魔の侵攻が予想以上ということもあり、人界側も随分と協力体制が整ってきた。と言っても、相変わらず三王都は協力する気がなく、四列島も壊滅してしまったのだから、実質五大国が主となっているが。

それでも、天使族との連携が着実に実現しそうであった。

今は人族と天使族による魔界侵攻作戦の準備を行っている。この戦争において重要なのはベグリフを倒すこと。それさえ出来れば、悪魔族は容易く降伏すると推測されていた。ベグリフの圧倒的な力があるからこその悪魔族なのである。

そして、カイには何やら策があるというが、本当に信用していいものだろうか。イデアも大丈夫だと言っているから多少なりとも安心できる。でも、イデア曰くまだモノに出来ているわけではないらしい。

そもそもモノに出来るって一体何をしようとしているの……。

「……で、話があって来たんじゃないの」

彼女の言葉でミーアは思い出した。寝起きですっかり忘れていた。

佇まいを正して、シーナの顔を見た。

「えっとね、今回の戦争では、こっちから侵攻に出る予定だから、そうなる可能性は極めて少ないんだけど、でも万が一があるから各国の住民を避難させることにしたの」

「じゃあこの国も?」

「うん、特にここはお父さんがいるでしょ? まだ意識は戻ってないけど、敵側からしたら脅威が生きていることになるし。他と比べたら狙われる確率は高いと思うの」

ミーアは窓の外を見た。今日は快晴で、清々しい気持ちになる。照りつける陽射しに眼を細めながら、ミーアは言った。

「シーナにも避難してもらうから」

「……いつ?」

「明日」

ミーアの言葉に、シーナの反応はなく。

窓の外から視線を戻して、ミーアは笑った。

「だから、お見舞いは当分来ないよ。私が見に来なくても無理しないでね」

これは決意だ。カイの力を使えばお見舞いには行ける。でも、行かない。

次に会う時は、全てが終わった時。

戦争は、もうすぐだった。

「……また今度」

少し経って、シーナが口を開く。横にある机の引き出しからある物を取り出した。

黒ずんだ青い宝石。ミーアが買ってあげたネックレス。今はもうチェーンも無くなってしまったけれど。変わらずシーナは取っておいてくれている。

その宝石をギュッと握りしめながら、シーナは微笑んだ。

「また今度、買い物に連れてってくれよな」

「……うん!」

その手をギュッと握りしめてミーアは涙を溜めて笑った。

今日は快晴。雲一つない青空に照らされて、黒ずんでいるはずの宝石は青く透き通った。

 

※※※※※

 

着々と準備が整っていく。

主要都市の住人は外れの街へと次々に移住していった。カイの転移もあって、予想よりも早く事は進み、シーナもレイデンフォート王国から旅立った。

まだ目覚めないゼノもシロと共に姿を消した。二人の場所は秘匿されており、知っている者はカイなど僅かな人物達である。エイラが護衛に付くと名乗り出たが、ある程度身体の回復していたシロがそれを却下した。

「今必要なのは目を覚ますかどうか分からないゼノを護る力ではないはず。勝つ為の力でしょ」

シロの言葉に、渋々といった形でエイラは身を引いた。

あくまでも、今回は魔界へと乗り込む形での戦争である。守る以上に攻める力が重要な戦いだ。住人を避難させたのは万が一のため。万が一を起こさないためにも、ここは攻めに転じる必要があった。まさに攻撃が最大の防御なのである。

魔界での戦いに合わせて、実は既にカイは何度も魔界へと足を運んでいる。一度魔界を訪れていたお陰で、容易くイメージして転移することが出来た。

魔界にも当然幾つかの主要都市があるが、カイ達の狙うはただ一つ。

魔界の中で唯一の王都アイレンゾードであり、その中心にそびえ立つ魔城ヴェイガウスであった。

全てはそこに君臨するベグリフを倒せるかどうかで戦争の勝敗は決まっているのである。

ただし、ベグリフは実質不死身。《魔》の紋章が何度致命傷を与えようと回復させてしまうのだ。倒すのは至難どころではない。ほぼ不可能。

その不可能を実現させるべく、カイとイデアは近頃天地谷に通っていた。天地谷での修行である。天地谷ほど周りを気にする必要がなく、広大で、加えて悪魔族が扉を使った場合でもすぐに対応できる場所はなかった。

そして、今日も今日とてカイとイデアは修行を行っていた。

「はぁ、はぁ、なかなか、うまく、いかないなぁ……」

「そう、だね……」

息も絶え絶えで、カイとイデアは地べたに寝っ転がっていた。

既に時刻は夕暮れ時。段々と肌寒くなってきていた。

「そろそろ帰るか」

勢いよくカイが立ち上がる。そのままイデアへと手を差し伸べた。

「汗で風邪ひいても困るしな」

「帰ったら一緒にお風呂入ろうね」

「うん、いつも一緒みたいなテンションで言われても無理だなぁ」

「何で? 夫婦だよ、私達」

「順序があるだろ! 順序が!」

結婚しておいて順序も何もないと思うが、イデアも口にはしなかった。

彼の手を取ってイデアが立ち上がると、次の瞬間周りの風景が一変した。眼前に広がっていた夕焼けと真下に広がる広大な大森林が、比べてしまうにはあまりにも小さい、レイデンフォート王国にあるイデアの自室へと変わっていた。

「ふあぁ……」

いつもの自室に戻ると、気が緩んだのかイデアが可愛く欠伸をする。疲れてだんだんと眠くなってきていたが、折角自室で二人きりなので、イデアは思いっきりカイに甘えるつもりだった。

最近、カイは忙しくあちこちを回っており、修行以外にあまりイデアとの時間を作れていないのだ。

「カイ…――」

イデアが呼びかけたの同じタイミングで、カイが笑顔を見せながら背中を向けてしまう。

「んじゃ、風邪引かないように気を付けろよ」

「え、何処に行くの?」

「ん、や、ちょっとな! それじゃ!」

詳しく聞くことも出来ず、カイはそのままそそくさとその場から居なくなってしまった。

呆然と立ち尽くすイデア。これからの予定が台無しだ。

「……もうっ」

苛立ちと共にイデアはベッドに身体を投げた。

「せめて行く場所くらい教えてくれてもいいのに……」

もしかして浮気……はないだろう。だとすれば、ベルセイン・リング状態になれるわけがない。二人の想いの絆が大切なのだから。

ふかふかのベッドが眠りへと誘ってくる。苛立ちもだんだんと和らいでいった。

……でも、本当に上手く行かないなぁ。

空いた時間を利用して、天地谷でカイとある事の練習に励んでいるのだが、なかなか成功しない。

というより、一回も成功していない。

出来るとは思う。言い出したのは二人同時だったから。カイもイデアも、ベルセイン・リング状態を経て確かに感じたのだ。

ベグリフの力、《魔》の紋章の根幹を絶つことが出来ると。

ただ、曖昧な確信ゆえにいざ実行できるかと言われるとそうではなく、何度やってみても上手くはいかない。

戦争を仕掛ける予定日まであと少し。それまでに間に合うかどうか……。

ベッドに身体を埋めながら、ボーっと思考を働かせるイデア。

そんな彼女の心の中で、フィグルは責任を感じていた。

きっと、彼女達の試みが上手く行かないのは多少なりとも私のせいだと思う。

必要なのは私の、いや、イデアの魔力だ。

イデアが魔力を完全に使えるようになった時、イデアのセインは真価を発揮するだろう。カイとイデアはその片鱗を感じ取ったのだ。イデアには今半分の魔力が宿っているから。

残りの魔力が戻って、イデアが自身の魔力を扱えるようになれば。

つまり、私という存在さえ消えれば……。

「フィグルさん」

ふと、イデアに声を掛けられた。思っていたことがイデアには伝わっていた。

フィグルへと、心でイデアは笑いかけた。

「そんな寂しいこと考えないでください。大丈夫です! 何とかなります!」

本当にそう思っているのが伝わってくる。

イデアは、フィグルを消したくないと思っている。

イデアがフィグルを自ら認知するようになってから、イデアは多くのことをフィグルと語り合ったり、笑い合ったりした。

誰よりも傍に寄り添ってくれる、昔からそうだったのがフィグルなのだ。

イデアにとってはとても大切な存在になっているのは言うまでもなかった。

フィグルは苦笑した。

「……ゼノやカイも似たようなことを言うのでしょうね。というより、イデアさんが似てきたのでしょうか」

「でも、フィグルさんだって嫌いじゃないですよね?」

その言葉に、フィグルの苦笑は微笑みに変わった。

そう、嫌いじゃない。

本当にそう思わせてくれる彼らの存在が。

彼らの優しさが。

でも、その優しさが心配でもあった。

「……イデアさん、躊躇は要りませんからね」

「え?」

「ベグリフのことです。倒すではなく、殺す。彼は殺さなくてはなりません」

フィグルの発言に、イデアは眠気が覚めたような気がした。

「私は、……私は躊躇しました。彼の力さえ封印すればいいと思ったから、大事な場面で気を抜いてしまったのです。でも、そのせいでエイラは瀕死の状態になり、私はこの世を去りました。躊躇いは死に直結します。私は貴方たちに死んでほしくはありません。だから……」

彼にもうこれ以上何かを壊してほしくない。

彼に誰かの未来を摘んでほしくない。

力に溺れて欲しくない。

私の好きなままの貴方で居て欲しい。

「……気持ちは、分かりました」

伝わるフィグルの感情。

それを分かった上で、イデアは笑った。

「それでも、選択肢は持ち続けたいです。殺す以外の選択肢を」

「イデアさん……」

フィグルの言う通りなのだろう。躊躇したら死ぬ相手。今相手にしようとしているのは魔王なのだから。

けれど、わざわざ一つに絞る必要はないと思う。

可能性は常に無限大だ。

未来を自ら閉ざさなくたっていい。

何より、

「フィグルさん、わざわざ心を殺す必要はありませんよ」

「……!」

フィグルが心の底からそう思っているとは思えないから。

本当に愛した相手を、どうして殺してほしいなんて思うだろう。

愛しているからこそ、フィグルは心を殺しているんだ。

イデアは、その心を救いたかった。

「少なくとも、カイは一度対話するつもりですよ」

「ベグリフとですか!?」

呆れたような、でもどこか納得するような、不思議な感覚がフィグルを襲った。

ゼノも、昔ベグリフと対話しようとして拉致されたことがある。

本当に血は争えないのでしょうか……。

「な、何を話すつもりなんでしょう……」

「それが、まだちゃんとは教えてくれなくて。ベグリフに矛盾を突き付けてやるんだって言ってましたけど」

「矛盾……?」

カイがベグリフの何を矛盾と言っているのか、フィグルには分からなかった。イデアも当然分かっておらず、心身ともに首を傾げた。

だが、二人はすぐにその矛盾を知ることとなる。

本当に、すぐに。

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