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4『理想のその先へ』
4 第二章第二十七話「国の行く末」
しおりを挟む「――以上が事の顛末だよ」
エリスは目の前にいる父へ言った。ここはハンの部屋で、彼は豪華な椅子に背中を預けている。白髪は前以上に増えてきているし、皮膚も薄く骨も浮き出るようになった。あれでもう充分な歳だ。
それでもチェイル王国の王としてハンは常に最前線に立つ。
「そうか、単騎で介入しながらよく無事に戻った」
あちこちを包帯で巻いたエリスの姿に、ハンは心配と呆れ、そして安堵の混じった眼差しを向けていた。
ウィンドル王国とアルガス大国の戦争が終わってまだ一日も経っていない。窓の外は漆黒に包まれており、街も寝静まっていた。
ウェルムは現在アルガス大国にて幽閉されている。戦争の勝者と敗者がいるのだ。終わったからといって帰れるわけではない。本来であれば、その場にいたウィンドル王国の騎士達も纏めて幽閉するところであるが、そこはウェルムの懇願と戦争を終わらせたカイの賛同のお陰だった。
アイツは今、独り何を思っているのだろうか。
「……何やら浮かない顔だな」
「え……そう?」
尋ねられて、意味もなく顔に手を当てる。触った所で分かるわけではない。
「気になることがあるなら言ってみるがよい」
気になること。
……ない、わけではないんだと思う。
何か胸につっかえている気がするけれど。
それが何なのか、言葉にすることが出来ない。
思案しながら、ハンを見つめる。
やはりハンは痩せたし、歳を取った。
気付けば言っていた。
「ハンは、何で王なんてやってるんだ」
漠然とした疑問。何故だなんて当然決まっている。やらなければならないからだろう。
それが、ウェルムの言っていた王として責務なのだろう。
俺が持っていないものだ。
だから聞きたい。
王とは。王族とは何だろう。
エリスの質問にハンは悩みながらも返した。
「うむ……元々二十五年前、人族は奴隷だった。ゆえに、王や王族などという概念は元々存在しておらん。その必要性が論じられたのは、人界として成り立ってからだ。人々を纏めるものが必要だと。人々を支える柱が必要だと。つまり、そういう意味では王や王族とは人々の為のシステムであった」
「システム……」
「そう、言い換えれば犠牲とも言える。人々の為に尽力することを強いられた、な。お前にはその側面が強く見えるのだろう? まるで縛り付けられているように見えてしまう」
図星だったエリスは言葉を紡げない。驚いてもいたからだ。まさかハンもそのように考えていただなんて思わなかった。
王や王族は人々が生きやすくなる為の犠牲。
その要素に耐え切れず、エリスは公務をサボってよく街に繰り出していたのだ。
だが、とハンは言った。
「それはあくまで最初期の話だ」
「え……」
「たかがシステムだった王や王族にどうやって威厳、尊厳が生まれる? 誰もが犠牲だと思っていたのであれば、王や王族はもっと虐げられていいはずだ。だが、実際はどうだ。人々を支えなければならない存在でありながら、我々は一番優遇されている。城住まいもそう、日々の食事もそうだ」
ハンが挙げた一つ一つが、民が願っても届かないものばかり。
犠牲というには、あまりにも裕福な生活だ。
「人々の為に尽力した分だけ、返ってくるものがあったのだ。与えた分だけ、与えられている。決して一方通行などではない。我々は、常に誰かに何かを与えられて生きている。威厳や尊厳だってそう。関わりの中でシステムが得たものだ。そのお陰で、今の我々がいるのだ」
ハンは一拍置くと、真っすぐにエリスを見た。
「いいか、エリス。王など所詮システムでしかない。ある程度用意された大枠に当てはめられているに過ぎない。だが、その枠の中を何色に染めるかは我々が決めるものだ。王だからこうでなければならない、こうしなければならないなんてものはない。我々は生きている。心を持っている。ならば意志を持て。お前がどうしたいかだ。それが自ずと進む先を照らすだろう。お前にとっての王族を見つけるのだ」
俺にとっての、王……。
あれだけ街に繰り出しておきながら、どれだけ視野が狭かったのかを実感した。エリスはハンだけが尽くしているものとばかり思っていた。けれど違う。ハンに対する悪評は聞いたことがない。尽くした分だけ得ているものがある。
信頼も好意も信仰も崇拝も。
様々な想いがハンへと向けられる。
その想いが形となって、今の王としての立場があるのだ。
「……ハンにとっての王って何なんだ」
分かるような気がしたけれど、聞いてみたかった。
質問されて、思い出したかのように彼は告げる。
「そう言えば、まだ答えていなかったな。何故王をやっているのかという質問だったな」
ハンは笑った。
「儂が王だからだ」
その答えにエリスは苦笑した。ふざけやがって。
でも、その言葉の真意を読み取れるようになっていた。
送ってきた生涯が答えなのだろう。
ハンという存在が答えなのだろう。
カッコイイじゃんか。
ハンにとっての王。
それはきっと。
これまでの全てなのだ。
※※※※※
ウィンドル王国とアルガス大国との戦争は、結果としてアルガス大国の勝利で終わった。
お互いに様々な被害を残しながらも、ウィンドル王国の王子ウェルムが敗北を告げることで戦争自体は終結を迎えた。その背後には、途中で参戦したエリス達チェイル王国の存在や、カイ達の存在があることは最早人界において明確だった。
そのお陰もあって、カイ達レイデンフォート王国に加え、チェイル王国の進言は強力な力を持っていた。
端から見れば。いや、通常の視点であれば、圧倒的にウィンドル王国に非がある。一方的にアルガス大国へと攻め、彼の国を滅茶苦茶にしたのは事実なのである。その対応に追われたのがアルガス大国であり、アルガス大国が勝利した今、ウィンドル王国に最早抗う術はなく、一方的に糾弾されるだけの存在であった。
それでも声を張り上げたのがレイデンフォート王国とチェイル王国であった。
国に戻ったカイとエリスが必死に元々求められていた条件を変えて見せたのである。非自体は認めながらも、そこに眠る背景から世界への問いかけをしてみせた。
ウィンドル王国がこれ程までに行動をせざるを得なかったのは、偏に人界としてまとまりが皆無だったからではないのか。この大きな世界に対しての視点を誰もが持ち得ていなかったのではないのか。結局悪魔族という存在を過少評価していたのではないか。
当然、その為にはゼノという存在は欠かせなかった。ゼノが魔王ベグリフに敗北したという現状は人界全てに対し、口を噤ませるには充分なほどに力があった。
とはいえ、当然お咎めなしとは当然ならない。ウィンドル王国の独断による行動は事実なのだから。
そして、ウィンドル王国はアルガス大国に対して多額の賠償金を払う事となり、加えてアルガス大国の旗下になることが決定した。つまり、ウィンドル王国はアルガス大国の属国であり、アルガス大国の支配下にあるということである。
それでも、十分な程の情状酌量があった結果である。本来ならば、ウィンドル王国はアルガス大国にとっての奴隷として扱われても仕方がない。もっと乱暴で横暴な扱いをされても言い訳の仕様がないのである。
それでもまだウィンドル王国が国としての体裁を保てているのは、やはりカイやエリスの訴えがあった。
どれだけ賠償金を払っていようと、まだ国として残っていられる。
そして、国として残っている限り消えないものが確かにあった。
あれから数日後、アルガス大国から解放されたウェルムは緊張した面持ちで目の前を見つめていた。
見えるは数えきれないほどの国民の数。
全て、ウィンドル王国の民だった。
ウェルムが姿を現したことで、先程までの喧噪も瞬く間に消え、全ての視線が彼へと向けられる。
これまで、このような場面は幾らでもあった。
亡くなった父の代わりに玉座に着いた日だってそう。そして、アルガス大国への進軍を決めた日だってそうだ。
それなのに。
これまでのどの日と比べたって、今日という日は特別だった。
震える唇。ぎゅっと拳を握りしめても、抑えることの出来ない不安という感情。
ただ、それを拭う方法をウェルムは知らないまま、静寂に耐えきれない様子で口を開いた。
「……皆に伝えなければならない事がある」
今までとは信じられないくらいに、自分の声は震えている。
この緊張はなんだ。大勢の前で語ることなど、当に克服したはずだ。
それなのになぜ。
理由は分かっている。これからどうしなければ行けないかも分かっている。
分かっているのに。
怖い。
どれだけ自分が脆く、弱い人間かをウェルムは実感した。
恐怖を必死に飲み込む。
「我々ウィンドル王国は先の戦争で、アルガス大国に敗北した。敗因は偏に俺のせいだ。覚悟だけではない。見通しも、実力も全てが甘かった」
実際に言葉へと変換すればするほど、心に圧し掛かってくる。
言った通り、俺のせいなんだ。
全て俺が決めた。
人界を見限るのも。アルガス大国へと攻め入るのも。
全て俺が決めた。
だから、悪いのは俺だ。ウィンドル王国の民全てを巻き込んで、結果このざまだ。
言い訳の仕様がない。
分かっていて。次の言葉がなかなか紡げない。
目の前に広がる国民達の表情を直視できない。
これ程までに自分は弱い人間だったのか。
「国の行く末を見据えろ」
挫けそうになる度に、父ハヤトの言葉を思い出す。
今自分が国の為に出来ることは何か。
今自分が国の為にしなくてはならないことは何か。
どう足掻いたってそれは明確で。
逃げ道なんてない。
でも、まるで父が言っているような気がした。
「王族だって、結局は人間だよ」
父からそれを言葉として聞いたことはない。でも、妄想としか言いようがないその言葉に説得力を感じるのは、父がそのような生き方を全うしていたからだろう。
王族だからと言って、父が驕ることはなかった。
常に進むことを意識し、民との交流を怠ることなく、真っすぐに歩んでいく。
その為であれば、自らが頭を下げることも厭わない。
昔のウェルムは、そこにプライドを感じなかった。王族でありながら頭を下げる姿は幼少ながら格好悪く見えたのだ。
それでも、今は思う。
それこそがプライドだったのだと。
「すまなかった」
ウェルムは頭を下げた。身体を折り曲げ、視線を深々と下げながら国民へとその姿を見えた。
どれだけ伝えようと、成してしまったことは変わらない。謝ってどうにかなることではない。
犠牲となった命はもう帰ってこない。きっとその命に応えられたわけではない。
きっと誰かの眼には、犬死にとしか思えないような死に方。
全て自分が招いた結末だった。
頭を下げてどうにかなることではない。どれだけ頭を下げたって返ってくる命ではない。
分かっていて、ウェルムはずっと顔を上げなかった。
何の為に頭を下げるのだろう。
幼少のウェルムは父のその姿にずっと疑問を抱いていた。
自分の為なのだろうか。自分が許されるために頭を下げるのだろうか。
許しを請う姿というものは、何と惨めで情けないのだろう。
ずっとそう思っていたウェルムは。
父のその姿から何も受け取っていなかったことに気付いた。
確かに惨めで情けない姿だったのかもしれない。
それでも、確かに意味は込められていた。
誰かの為に頭を下げられる。
それは誰もが当たり前に出来ることではない。自分を落としてまで伝えられることではない。
にも関わらず、父はそれを貫いてみせた。
そして、国民はその姿に嫌悪を抱くことはなかった。
国民達には分かっていた。
あの姿がどれ程までの。
愛の形かを。
「一人で抱え込まないで下さい!!」
視線を下げ続けていたウェルムへと届く声。
「我々も賛同した結果です!」
「悪いというのであれば、我々も同罪です!」
言葉の形は人それぞれ。あまりに発せられる言葉の数々に全て聞き取ることは出来ないけれど。
でも、想いの形は全て同じ。
ウェルムを支える為にあった。
「主人は絶対に後悔はしていません!」
「貴方が謝るのであれば、私達も謝らなければなりません!」
眼下に広がる国民達の言葉。
ああ、何て情けないのだろう。
王族という立場を失うのが怖かった?
いつの間に俺は自分の為に国を動かしていたのだろう。
違った。
こんなにも、国は俺の為に動いてくれていたのに。
「国の行く末を見据えろ」
王にとって国とは国民であり、国民にとって国とは王。
気付けばウェルムは顔を上げていた。
その瞳からは涙を一筋零しながら、真っすぐに国民達を見下ろして。
歓声溢れる中、ウェルムは。
「これが、国か」
そう呟いた。
見据えていたつもりだった国の。
本当の姿を捉えたウェルム。
国の行く末は新たな未来を紡ぎだそうとしていたのだった。
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