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4『理想のその先へ』
4 第二章第二十六話「王の責務」
しおりを挟むカイの姿に、エリスやシオルン、そしてウェルムが驚いた表情を見せる。
「本当に、カイ、なのか……?」
そんなことは分かっているのに、どうしても聞かずにはいられなかった。
カイではあるけれど、少なくとも知っているカイではない。
あの巨大な剣も。背中に現れている青白い両翼も。その姿も。
そして、溢れ出る力の奔流も。
ヴァリウスの魔力を受け継いだとは聞いていたけれど。それにしても。
以前のカイとはあまりに違い過ぎる。
「お前……!」
ウェルムもまた驚きを隠せずにいた。
この力は何だ。
今まで感じたことのない力の波動。
天界の時に感じたゼノやベグリフのそれすらも、軽く上回ろうとする。
あり得ない。居るはずがないんだ。
ベグリフを倒せる奴なんて、この世界に。
そうじゃなきゃ、今俺達がやっていることは……!
揺らぐ思考。押さえつけるようにギュッと刀を握りしめ、カイを睨みつけた。
お前は一体何なんだ。
その視線へ視線で返すカイ。その視線はどこか同情的なようで。
どこか、憐みのようにも思えた。
「くっ」
ウェルムが一瞬でカイへと距離を詰める。
首を取るべく振るった神速の刃。
だが、次の瞬間ウェルムは目を見開いた。
一気に訪れる浮遊感。踏み込んだ足は何にも接触することはなかった。
思考が追い付かない。
何故俺は今、空と地を見ているんだ。
グルグルと視界が回る。鮮やかな青空を映したかと思うと、いつの間にか大地を見下ろしている。その大地には見覚えがあった。
アルガス大国の国壁だ。まだウィンドル王国の騎士達が死に物狂いで攻略しようとしている。マキナがグレイに付きっきりだからだろう。以前よりも国壁からの攻撃が軽くなっており、レグスもまた動きが遅い。どうやらウィンドル王国優勢に見えていた。
そして、次に見えてくるのは、自分がいたはずの巨大な時計塔だった。
いつの間にかウェルムは最初いた場所の遥か上空にいた。
「行くよ、イデア」
「《うん》」
「っ」
突如聞こえてきた声に、魔法で無理矢理身体を制御する。そして、見上げると、まるで日光を遮るようにカイがいた。
自分がいつの間にかここにいるのも、カイが一瞬でここへ来ているのも。
全て。
お前の力だというのか。
次の瞬間、カイは勢いよくセインを振り下ろした。
その速度は、ウェルムの神速を遥かに凌駕していた。
構える隙も、防御の隙も、避ける隙すら与えられないまま。
巨大剣は青い軌跡を残しながら、ウェルムの胴を斬り下ろした。
「―――っ!」
激しい痛みと共に、ウェルムは凄まじい速度で大地へと叩きつけられた。高々と土煙が舞う。
ウェルムが落ちたのは戦場のど真ん中で、ウィンドル王国の騎士達が動きを止め、土埃の中にウェルムの姿を見つけた。
「なっ」
「ウェルム様!?」
悲鳴にも似た声を聞きながら、どうにかウェルムは刀を支えに立ち上がった。
痛みこそ酷いが、驚くことに斬り傷が存在しない。確かに袈裟切りにされたはずなのだが、何も斬られてはいなかった。
突然の事態に騎士達は動揺し、戦場の動きが止まる。それはアルガス大国側も同じで、今何が起こっているのか分からずにいた。
それでもウェルムへと駆け寄ろうとする騎士達。
その間に、いつの間にかカイが姿を見せた。
「悪いな、ちょっと見ててくれ」
言下、周囲にいた騎士達が突如地面へと倒れ伏す。
「ぐっ、ううっ」
必死に抗おうとするが、抗えない重力の圧。
一瞬にして、その付近一帯の騎士達はカイが制圧してしまった。
それに便乗しようと動くレグスだったが、カイがセインを一振りするとレグスだけがバラバラになっていった。間にいた騎士達には全くの斬撃も当てられてはいなかった。
騎士どころではない。この戦場が一瞬でカイによって制圧されていた。
状況を全く理解できず、国壁からの魔力砲も動かない。
あれ程の争乱も、今は静寂が支配していたのだった。
やっと静まった頃。
先に動き出したのはやはりウェルムだった。
素早くカイの背後を取り、刀を突き出す。けれど、容易く弾かれた。が、続けざまに連撃を繰り出す。
「お前は、何をしに来た!」
「止めに来たんだ、お前を」
「止まるなどという選択肢は存在しない!」
どれだけ攻撃をしても、カイは容易くそれを弾いてみせた。ウェルムの神速を軽々と受け止めて見せた。
何度やってもそれは変わらない。消耗していくのはウェルムだけだ。
それは、ウェルム初めての経験であり。そして騎士達初めての光景だった。
斬撃を捌きながら、カイは言った。
「分かったろ、お前じゃ勝てないよ。だから、もうやめよう」
「っ」
弾かれて距離を取るウェルム。
やめよう、だと。
やめられるものか。
ここで引き下がれるものか。
ここまで来るためにどれだけ犠牲を出していると思う。
止めてはならない。
それが、国を動かすという事。
王としての責務なんだ。
「邪魔を、するな!」
再びウェルムが距離を詰める。その速度はこれまでで一番速く鋭い。
だが、振り抜かれた刀はセインに弾かれて宙を舞っていた。
痺れる掌。獲物が飛ばされ、掌に生まれる無。
気付けばその無に、風の刃を生成していた。
「終われるわけがない!」
今度こそカイへと伸びる凶刃。
ウェルム渾身の一撃。
だが、それすらカイには届かない。
握りしめていたはずの風刃は、いつの間にか背後の空を舞っていた。やがて風刃は霧散して空気に溶け込んでいく。
そして、再び振り下ろされるセインに、ウェルムは勢いよく吹き飛ばされた。
「っああああああ!」
何度も地面を転がり、土埃を舞い上げて吹き飛んでいく。支えとなる刀もなく、勢いを殺せないままウェルムは転がり、やがて勝手に止まった。
沈むウェルム。それを騎士達は黙ってみることしか出来ない。
カイが歩いていく。
「ウィンドル王国に行ったよ。何でこんな事をしてるのか聞いた。全部国の為を思ってなんだろ。俺達じゃベグリフに勝てないから、せめて国だけでも、そう思ったんだよな」
「……」
「けどさ、今もそう思うのか。まだベグリフに勝てないって思うのかよ」
カイの視線の先で、ウェルムがどうにか身体を起こす。やはり彼の身体に斬り傷はない。それは、セインとなったイデアのお陰であった。カイの心を汲み、実行しているのである。
ふらふらと立ち上がるウェルムの瞳は、それでも止まろうとはしない。
「……確かに今のお前なら勝てるのかもしれない。だが、もうここまで来た。決断は既に下されている。止まることも、戻ることも許されていない。違ったからやめるなどと宣う王に誰がついてくる。決断を覆すなどあっていいはずがない。それが、王というものだ」
ウェルムの姿に、カイはやはり思った。
あれは、少し前までの俺だ。
全部一人で託された気になって、背負っている気になって、勝手に押しつぶされそうになっていた俺だ。
こうでなければならないと、自分で勝手に枠組みを作っていた。そうじゃなきゃ想いには応えられないって、決めつけていた。
理想の姿を、演じようとしていたんだ。
そんな力もないのに。独りじゃ何もできないくせに。
でも、イデアが気付かせてくれた。一緒に背負ってくれるって言ってくれた。
セインから温かい力が送られてくる。イデアが微笑んでいるように思えた。
やっぱり俺は独りじゃない。
理想は、独りで追いかけるものじゃないんだ。
「おまえ、凄いよ。俺とそんな歳が変わらないのにさ、そんなに一杯のものを背負って、まだ立っていられる。心底凄いと思う。だからこそ、お前ん所の民は自ら進んでお前についていこうとするんだ。国を想ってくれていることを知っているから」
騎士が窮地に陥った時、国民達が立ち上がることが出来る。それは、決して当たり前に出来ることなどではない。繋がりが強くなければ、信じるものがなければ出来ないものだ。
「けど、今お前の選択が間違っている可能性が出てきたんだろ。何で止まってやらねえんだ。それが民の為になるのかよ!」
「進むと決めた! 既にもう民を巻き込んでいる! ならばどれだけ間違っていても突き進み、それを正しくさせるのが王としての責務だ!」
「っ」
その言葉に、カイは苛立ちと共に叫んだ。
「いつまで独りで背負ってるつもりだ! お前んとこの民はな、一緒のものを背負うつもりなんだぞ!」
「っ!」
カイの言葉に、ここに来てようやくウェルムの心に揺らぎが生まれた。
一緒のものを背負う。俺と同じものを? 違う、そんなのは王ではない。民に責任など与えてなるものか。全て俺が背負うんだ。それが王だろう。
だが、心の揺らぎは段々と広がっていく。
そのせいだろう。こんな言葉を思い出したのは。
「国の行く末を見据えろ」
亡き父の言葉。
その言葉は、決して王位にだけ向けられていたものではなく、民にも向けられていた。
王にとって国とは国民であり、国民にとって国とは王。
その相互の関係無くして、国は存在しえない。
「もしお前が間違ってるとしたらあんた達はどうするんだって聞いた時、全員が言ってたよ。『一緒に間違える』って」
「……!」
「それは何も考えていないわけでも、お前の選択に全部責任を押し付けてるわけでもない。信じられるお前が選んだ選択だから、一緒に進もうとしてるんじゃないのか! 全力で応えようとしてくれてるんじゃないのか!」
「っ、俺は……!」
「お前が決断したからって、民が絶対についてくる保証なんてないだろ! それでもつい来てくれてるんだろ! 一緒のものを、その覚悟を背負うって決めて、ついてきてくれてるんだよ! それなのにお前は王の責務だの何だのと、独りで背負った気になりやがって……!」
セインへと力が込められていく。イデアに伝わるのは届けたいという気持ち。
民の想いを、伝えたいという気持ち。
「俺達王族はな、民がいなきゃ意味がないんだよ!」
掲げたセインから青白い光の大柱が高々と昇っていく。
「もっと民の為に何が出来るか考えてみろ! それが、お前の言う王の責務じゃないのか! ウェルム!」
そして、放たれた巨大な青白い光の奔流。
一瞬でそれはウェルムへと到達し、飲み込んだ。
強大な力の波に飲み込まれる中で、ウェルムは思う。
いつからだ。
いつから間違った。
俺は確かに民の事を考えて動いていたはずだ。民の為にはこれが最善なのだと。
だが、この選択は間違っていた。カイ・レイデンフォート。奴の存在が選択を誤りへと変えた。
なら、どうすればいいというのだ。
ここで引き下がるわけにはいかない。多くのものを巻き込んだ。命を犠牲にした。
それなのに、戻っていいわけがない。
戻った時に、俺は民に何と言えば……。
……そうか、ここで俺は。
いつの間にか民の為ではなく、俺の為に動いていたのか。
王という立場だ。過ちを犯せば、それだけ民から非難の声が上がるだろう。
俺は、それが怖かったのか。
戻ってはならないのではなく、戻りたくなかったのだ。
だから、王の責務などというものに縋った。それらしい言葉を繕って、王という立場に逃げ込んで。
俺は、何てどうしようもない王なのだろう。
王失格だな、俺は。
だが、何故だろう。この気持ちは。
どうしてこんなに心が軽いんだ。
「一緒に間違えますよ」
ふとそんな声が、聞こえてきた気がした。
「お前が決断したからって、民が絶対についてくる保証なんてないだろ! それでもつい来てくれてるんだろ! 一緒のものを、その覚悟を背負うって決めて、ついてきてくれてるんだよ!」
カイの言葉が思い出された。
そして、
「国の行く末を見据えろ」
最後に父の言葉が響き渡った。
……ああ。そうか。
俺は、ずっと長い間支えられてきたんだな。
もう。
恐怖はない。
俺は。
俺達は。
間違ったんだ。
奔流がやがて消え去り、仰向けに倒れるようにウェルムは倒れていた。
見上げる青空は、今までに見た中で一番綺麗に透き通っている。
騎士達に見守られる中。
「俺達の、負けだ」
笑うようにウェルムは言った。その表情はどこか清々しそうで。
この瞬間、アルガス大国とウィンドル王国による争いは、アルガス大国の勝利で終結した。
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