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4『理想のその先へ』
4 第一章第十一章「愛の仇」
しおりを挟むゼノがベグリフの放つ鳴動を感じた時。
その他に誰も気づかない中で、メアだけがそれを受け取っていた。
「いつもより遅くなっちゃった。お姉ちゃん達に怒られちゃうかも……」
アキと会話が弾んだせいで、いつもよりも随分と遅い。既に人界側は深夜を迎えてしまっている。このままでは間違いなくシノとエクセロに怒られてしまう。
変に過保護なんだから……ゼノのせいにしよう。
ゼノを犠牲にすることを決意しながら、天地谷にそびえ立つ天界への扉の前に向かう途中。
その身体を襲ったのは、全身が震えるほどの恐怖だった。
思わず動きを止め、感じた方向へと視線を向ける。
この波動を感じたのは、決して初めてじゃない。以前、天界で同じものを感じた。悪魔族が天界を急襲した時。
あの時は間に合わなかったけれど、後から聞いてそれが誰のものなのか分かった。
あれは、この人のものだったのね!
ベグリフを前に、メアは青白く輝く長槍を構えた。周囲には槍のような形状をした魔力のファンネルが複数浮かんでいる。
既に戦闘態勢に入っていた。
メアがチラとシーナの方へ視線を向ける。瀕死状態の彼女の身体も、その身を包む獄炎も全てが時を止めている。魔力や黒翼から悪魔族だとは分かったけれど、ベグリフと対峙していたことを踏まえると、敵ではないと思った。
ゼノの周りにおいて、種族などは関係ない。
だから、時を止めた。
「……何者だ、貴様は」
ベグリフは、メアの登場に少なからず驚いていた。
あのベグリフが、その存在に気付かなかった。目の前に映る存在はただの天界の小娘のように見える。だが、シーナの時を止めた彼女を軽視することは出来なかった。
「分からないなら、教えてあげる!」
彼女の言葉にベグリフが警戒する。言わば、相手の実力は未知数。何を仕掛けてくるのか分からない。
だが、気付いた時には。
ベグリフの身体をファンネルが何本も貫いていた。
「……っ!」
ベグリフが吐血する。
あらゆる方向から鋭い刃と化したファンネルが貫いていた。臓器という臓器が一瞬にして破壊されている。
決してベグリフが気を抜いたわけではなく。視線を外したわけではなく。
なのに、一瞬でメアの周囲に漂っていたファンネルはベグリフに突き刺さっていた。
ベグリフが眼を見開くその先で。
メアは不敵に笑っていた。
ずっと、考えていた。シノとエクセロから話を聞かされた時から、ずっとメアはこの時を待っていた。
私の母は、天界の女王様だったアイ・ハートだ。
でも、最初は意味が分からなかった。私にとって家族はゼノとアキと、そしてケレアだけで。
それが私の世界で、全てだった。
なのに、容易く世界は壊れてしまった。
いや、広がってしまった。
最初は単なる夢だったのに、その話が夢を現実に変える。夢の中で優しくしてくれた女性は、アイだったのだ。
不思議と疑心は浮かぶこともなく、全てが事実として刻まれていく。
ずっと母という事実を偽って、アイは私と遊んでくれた。ずっと、無意識の内に心を温められて、その存在に母性を感じていた。
だからだろう。全てを容易く受け止められたのは。
アイの罪は知っている。でも、それが私への愛情だと言われて。
嬉しくないわけがない。その存在を愛おしくならないわけがない。
もっと話したかった。傍に置いて欲しかった。
でも、アイが死んでしまった今でも。
私達は繋がっている。
想いの糸で、繋がっている。
私は目一杯アイに愛されていた。だから、私達の間には絶対に糸が繋がっている。
イトであり、メア。それが私。
だから、アイの代わりにベグリフを倒す。彼女の果たせなかった想いを私が。
彼女の仇を、私が……!
「これで、終わりよ!」
突き刺さっているファンネルが縦横無尽に動き、ベグリフの全身を切り刻む。
誰がどう見ても致命傷だった。
鮮血と共にベグリフの身体が傾げる。だが、すぐにその動きは止まった。
「っ!」
メアの眼の前で鮮血が、裂傷が。全ての傷が回復していく。まるで、時間を巻き戻したかのようだ。
とてつもない再生力。魔力一つでどうにかなるような傷ではないのに。心臓だって傷つけていたはずだ。
だが、それでもベグリフは涼しい顔で夜空に浮かんでいる。
「成る程、天使族とは言えど時魔法の使い手はそういない。お前はハート家のものか」
「だったらなに! 冥府でお母さんに謝ってくるのよ!」
「ふん、もしかすると母とはアイ・ハートの事か。お前のような娘はいなかったと思うが――」
ベグリフの言葉を遮るように、メアが時魔法を解き放つ。
ファンネルの時を超高速に加速させ、軽々と周りの時を置き去りにしてベグリフへと魔力の槍が殺到していく。
一瞬、加速させた時にベグリフが順応したように動いた。ファンネルの時に追いついたかのように体を捩る。だが、それでもまだファンネルの方が速かった。
再び、ベグリフの身体を鋭い刃が突き刺す。
それが意味するものは。
時魔法において、メアはベグリフのそれをも凌駕していた。
再びベグリフの身体から鮮血が溢れ出す。けれど、
「《デス・イレイス》」
次の瞬間、ファンネルが掻き消される。ファンネルは魔力の塊であったが為に、ベグリフの魔力に飲み込まれてしまった。更に、傷も変わらず回復していく。
「だが、お前が誰の娘であろうと、俺の力には叶わん」
「……っ!」
メアが苦し気に顔を歪める。掻き消されたファンネルを再び形成するが、効かないと分かってしまった。
でも、まだだ。
再びファンネルをけしかける。一瞬でベグリフの元へと辿り着く光の刃たちだが、またすぐにベグリフの魔力によって飲まれて消えてしまう。
その掻き消される光に紛れるようにメアはベグリフへと距離を詰めていた。ベグリフが気付かない程の高速で。
咄嗟にベグリフが漆黒の剣を振るうが、メアは青白く光る長槍を強く握りしめて弾いた。ベグリフの剣に完全に力が乗りきる前に、瞬間的に身体を加速させて先に全力を乗せたのだ。
そのまますぐに手首を返して刃がベグリフへ振り下ろされる。
この長槍は魔力で出来たものではないとベグリフは気付いていた。だからこそ、掻き消そうとすることなく、再び漆黒の剣で返そうとする。
その判断が、メアへ好機を呼び込む。
次の瞬間、どこからともなく現れたファンネルがすんでのところで漆黒の剣を弾いた。弾かれたことで、長槍を防ぐものが無くなる。
さらに、ベグリフの背後にもいつの間にか複数のファンネルが向かって来ている。
「これで、どう!!」
まるで彼女の手足の様にファンネルは動き、ベグリフへと突き刺さっていく。
そして、メア自身長槍で勢いよくベグリフの身体を薙いだ。
鮮血が宙を舞う。
間違いない手ごたえが、メアの手に残っていた。
ベグリフの胴から綺麗に二つに分かれる。その両方にファンネルが強く突き刺さっていた。
それでも、ベグリフはメアへと手を伸ばした。
「……っ!」
寸前、一気に時を加速させてシーナのいる元の位置にまで戻る。
その視線の先で、貫いているファンネルは再び消失し、真っ二つになっていた身体も元に戻ってしまっていた。
こんなの、どうしたらいいの……!?
ゼノやアイが命懸けで戦っていた相手の格を、メアはようやく知った。
ようやく猛攻が止まったメアへ、ベグリフが冷たい視線を刺す。
「さてお前も、そこの死にぞこないも、今ここで死ね。時間つぶしにはなるが、殺したはずの命が生き永らえているのは癪に障る。俺を前にして、命は等しく死を迎えるべきだ」
言下、ベグリフの魔力が解き放たれる。
それは魔力というにはあまりに重く、視覚化されるほどにどす黒かった。
死が、ベグリフの身体から溢れていた。
不思議だった。魔力量で言えば、今はメアの方が上の様に感じていたのに。
それでも、見えない何らかの力がその力量差を軽々と超えてくる。
メアの身体が、その恐怖に動きが止まる。
死を、実感した。
だが、やがてその勢いは止まる。
ベグリフはメアやシーナとは別の方向へ視線を向けていた。
「……もう来るか。どうやら、実力を隠していたのは俺だけではないらしい」
そう告げる彼はこれまでとは打って変わって嬉しそうに笑っていた。
その意識に、いつの間にかメア達は映っておらず。
やがて、ベグリフはディゴス島めがけて飛び去って行った。
「ま、待ちなさい!」
すぐにその背を追いかけようとしたが、メアは逡巡した挙句動きを止めた。
……この悪魔族を置いていくことは出来ない。
シーナは瀕死寸前だ。心臓は既に握りつぶされ、時を止めなければ今にでも死んでしまう。それに、メアだっていつまでも時を止められるわけではない。エイラですら、瀕死だったゼノの時を止めるだけでかなり体力を消耗していた。
その状態で、更に別に時魔法を使用できるメアが異常なのだ。
魔力が効かないとなると、シーナの時を止めている魔法すら掻き消されるかもしれない。
どちらを優先するか。そんなの、決まっていた。
「もう、次は絶対なんだから!」
勝ち筋は見えないけれど、諦める理由にはならない。
次こそは必ず。
そう誓って、メアはシーナを連れてその場を去った。
※※※※※
満点の星空の下。
イデアに支えられた状態で、カイは疲れたように笑う。
その視線の先には正気に戻ったダリルとメリルの姿があった。
ダリルの背には変わらず大きな漆黒の翼が広がっているけれど、気にすることなくメリルは抱きついている。
「もう、馬鹿! 本当に馬鹿!!」
「悪かった、心配かけた」
「本当よ! どれだけ辛かったと思ってるの!」
ポカポカとダリルの胸をメリルが叩く。その存在を、愛おしそうにダリルが優しく抱きしめていた。
「何で私の言葉一つで帰ってこないのよ! 私への気持ちってそんなものなの!?」
「いや、違うんだ。ずっとメリルの声は聞こえていた。けれど、ずっと違う意識に飲み込まれていたんだ。反応したくても出来なかった。どれだけ藻掻いても振り払うことも出来なくて。それでも諦めなかったのは、君の声が聞こえたからだ」
暗闇に光が差すように、赤い炎がダリルの姿を明るく照らしてくれた。
涙を流すメリルが顔を上げる。その瞳をダリルは拭った。
「カイが、君の想いを届けてくれた。君の想いが私の炎を思い出させてくれた。ちゃんと届いたんだよ。だから、今私はここにいる」
やがて、ダリルがカイへ視線を向けた。もうとてもじゃないがへとへとで、立ち上がれそうもないカイへダリルが告げる。
「ありがとう、メリルの想いを届けてくれて」
「手間のかかる夫婦だよ、ホントに。もう喧嘩すんなよ」
「別に喧嘩してたわけじゃないよ……」
苦笑するイデアも、その瞳に涙を溜めていた。
「喧嘩の度にこんな目に遭わされるんじゃ、いくら身体があっても足りないしな」
「安心しろ。もう、二度と離れない。絶対大切にするから」
「その言葉、もう忘れないで!」
「ああ、忘れないよ」
そして、ダリルは唐突にメリルへと口づけした。
突然のことにメリルは目を見開く。だが、ダリルは全然やめようとせず、長い間その唇を重ねていた。やがて、受け入れたようにメリルも瞳を閉じる。
ただのキスにしては長く、どうやら熱が冷めないようでそれは激しさを増していた。
その時間がやけに長く、変に恥ずかしくなったカイが視線を外す。だが、その視線の先にイデアがいた。イデアも少し恥ずかし気に微笑んでいた。その柔らかそうな唇にどうしても視線が向いてしまう。
カイは滅多にイデアへキスをしない。しないどころか、結婚式以来したかどうかも曖昧だ。
理由は単純。恥ずかしいからだ。もう結婚したんだから恥ずかしがることもないのだろうが、これでもカイはまだ十七歳。強気で出ることが出来なかった。イデアから来ることはあっても、カイから行くことは早々ない。
とはいえ、ダリル達のあんなものを見せられて。何も思わないわけがない。
不思議とイデアもそれを待っているような気がして。
「イデア……」
「……うん」
イデアがその大きな瞳を閉じる。美しい顔がカイには艶やかに映った。
そして、顔を近づけた時。
背後から声が聞こえてきた。
「やはり、裏切ったか!」
完全に雰囲気を邪魔され、カイが苛立つよう背後を向く。
そこには引き返したはずの悪魔族の兵士達が立っていた。ダリルの炎が掻き消されたことに気付き、再び向かって来たのだ。
怒りこそあれ、カイは焦っていた。
もう身体が動かない。ダリルとの戦いでへばってしまっている。
「カイ……!」
それでも、イデアを守る為に立ち上がらなくては。
必死に立ち上がろうとするカイ。
その肩を、ダリルが止めた。視線は背後のメリルへ向けたままだ。
「忘れられないだろう?」
「……あんな激しいの、忘れられるわけないじゃない」
顔を真っ赤に染めたメリルへ、ダリルが笑った。
直後、ダリルの身体から黒炎が飛び出す。
戻って来た兵士達をいとも容易く飲み込んでしまった。
「ここは私に任せろ。余力はまだ十分にある」
「それって、負け惜しみか?」
カイの問いに。
「まさか。あれは確かにお前の勝ちだったよ」
優しく笑って、ダリルは兵士達へと飛び出した。
ダリルの実力とは別に、今ではベグリフの半分の魔力すら手に入れている。そんなダリルへ勝てる奴などおらず。完全にダリルは悪魔族の兵士達を蹂躙していた。
どうやら本当にダリルには余力があるようで、カイは苦笑した。
あの時、ダリルが正気に戻らなかったら間違いなく終わっていたな。ダリルの心を取り戻せたからどうにかなっただけだ。
実力は圧倒的にダリルの上だったようだ。
だが、今ではそんなダリルが味方に戻ってくれた。
もう、この戦いで負けることはないだろう。
一刻も早くヴァリウスやシーナ達と合流しないと。
目的は、達成したんだ
そう思ったカイとダリルの間に。
「その力、返してもらうぞ」
唐突にベグリフが現れたのだった。
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