カイ~魔法の使えない王子~

愛野進

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4『理想のその先へ』

4 第一章第十話「青い光」

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ディゴス島近海を、魔王ベグリフが吹き飛んでいく。

そのすぐ後をシーナは漆黒の翼を広げて追いかけていた。

身体の震えが止まらない。

今目の前にいるのは。

 

悪魔族最強の存在だ。

 

私が望んだ、最強の敵だ。

込み上げてくる感情をそのまま力に、一気にベグリフへと飛び出す。

「オラァ!」

勢いよく叩きつけられる蹴りを、ベグリフは両手で防いだ。それでも勢いは殺せず、ベグリフが凄まじい水飛沫と共に海水に沈む。

上空でベグリフの様子を窺う。けれど、驚くことにベグリフは海上に姿を現さなかった。

どういうことだ。

こんなに魔王が弱いわけがない。

シーナは知っている。ベグリフは前魔王を実力で捻じ伏せた。そして、ゼノですら倒しきることが出来なかったと。

そんな奴が、これ程弱いわけがない。

私を試しているのか?

強い奴と戦うことが私の存在意義なのに。それを否定するつもりか。

許せない!

「リベリオン!!」

一気にどす黒い魔力を解放する。皮膚全てが銀色に硬質化され、魔力の質も格段に向上する。

手を抜くつもりなら、本気を出させるだけだ!

一気に水中へ潜る。視線の先に奴を見つけた。

ベグリフは、不思議と口角を上げていた。

「あれ程の実力差を前にまだ来るというのか。ゼノよ」

瞬間、溢れるように魔力が水面へ向かって迸る。

「っ」

魔力の奔流に押し負けるように、シーナは水上に飛び出した。

その横にベグリフが一瞬で移動してくる。

「さて、奴が来るまでの間、お前は暇つぶしに丁度いい」

その手には漆黒の剣が携わっていて、勢いよく振り下ろされる。咄嗟に硬質化された両腕で受け止めたが、今度はシーナが水中へ吹き飛ばされる番だった。

完全に受け止め切れておらず、両腕には深く斬り傷が刻まれている。

容易く硬質化を破るなんて……!

鮮血が水中に溶けて混ざり、やがて消えていく。

魔界でカイと戦闘した時、シーナはリベリオンを使用して容易くカイを圧倒した。シーナが戦闘狂でなければ、カイはたとえ悪魔族の力を得てなお確実に負けていただろう。それ程までにリベリオンは強く、そしてシーナの秘技であった。

つまり、リベリオン以上の隠し玉をシーナは持っていない。けれど、シーナの脳内に敗北の未来は浮かんでいなかった。

面白ぇ!

勢いを殺し、水中で翼をはためかせて水上を目指す。

傷付くことはあっても、倒れることはない。結局は、一撃で両腕が切断されることもない。限界があるとはいえ、耐えることが出来る。

なら、やってみなきゃ分からない!

水上を飛び出し、右腕に魔力を集める。まるで大槍のように右腕を魔力が纏った。

「本気を出させてやる!」

突き出した右腕は、奴の漆黒の剣に防がれていた。

ベグリフが冷ややかな視線をシーナへ送る。

「お前など、本気を出すまでもない」

右腕が弾かれた。けれど、何度も右腕を叩きつける。それを軽くいなしながら、ベグリフが告げる。

「リベリオンとは皮膚を魔力によって硬質化させ、体内の魔力が体外へ放出することを防ぐことで生まれるものだ。放出を閉じられた体内の魔力は何度も身体を循環し、やがて質の濃く強い魔力へと変貌する」

必死に攻撃を仕掛けても、何故だかベグリフに一撃が届かない。

汗を垂らすシーナを見下すように、ベグリフはため息をついた。

「確かにお前はリベリオンを使える。雑魚なら濃度の高い魔力に耐えられず自壊してしまうからな。お前にも素質はあるのだろう。だが、雑魚には変わらん」

「うる、せえ!!」

シーナが右腕を突き出す。

その瞬間、ベグリフは呟いた。

「《デス・イレイス》」

放たれた言葉に飲み込まれるように。

シーナが纏っていた魔力は消え、硬質化されていた皮膚も元に戻る。

「俺に魔力は効かない」

目を見開く彼女に対し、ベグリフは失望したと言わんばかりに呟いた。

「暇つぶしにもならないな」

「―――っ!」

無防備な彼女の身体に、漆黒の剣が振り下ろされた。シーナの胴体へ斜めの赤筋が刻まれる。瞬間、鮮血が飛び出した。

咄嗟に背後へ引いていたお陰で真っ二つにはされなかったが、かなり深く裂かれてしまった。一気に血が失われていく。

「っ、リベリオン!」

またシーナが唱える。再び皮膚は硬質化され、魔力によって傷跡も閉ざされる。これで失血死は避けられた。

それでも、今の一撃の意味はあまりに大きい。深手を負ったばかりではない。

魔力が、ベグリフには通用しない。

リベリオンが、ベグリフに通用しない。

何故だろう。

それはシーナが勝つ可能性をあまりに下げてしまうけれど。

退く選択肢は彼女になかった。

シーナは、無意識の内に笑っていた。

いつの間にか、戦う事だけが全てではなくなっていた。

シーナが退けば、ベグリフは何処へ行く。きっとカイ達の元へ。それどころか、ミーアの元へ向かってしまうかもしれない。

ミーアの屈託のない笑顔が浮かぶ。

それは、嫌だとシーナは思った。

理由はまだ分からないけれど、ベグリフは止めなきゃいけないと思った。

これは、最早シーナの心を満たすだけの戦いじゃない。

本人も気付かない、何かを護るための戦いだった。

「くたばれ!」

「……無駄だな」

目の前からベグリフが消えた。

直後、言葉にならない程の痛みが全身を駆け抜ける。そして、視界にはあるものが映っていた。

それはベグリフの腕。そして、その手には。

 

脈打つ心臓が握られていた。

 

「カハ……っ」

シーナの口元から大量の鮮血が溢れ出す。

ベグリフの腕は、シーナの身体を貫通し。

その身体から、心臓を奪い取っていた。惨たらしく身体から引き千切られた心臓からは、血が噴き出し脈動も収まりつつある。

彼女の背後で、ベグリフが吐き捨てる。

「半分程度しか魔力の無い俺にすら勝てないとは不愉快だ。力なきものは抵抗することなく死ね」

そして、手に持つシーナの心臓を握りつぶした。

もう繋がってはいないのに。鋭い痛みが彼女の胸を貫いた。

それでも、まだベグリフは不愉快さを拭えない。

やがて、腕を伝うように貫いた彼女の身体を炎が包み込んだ。闇夜に橙色の光が溢れる。

投げ捨てるように、ベグリフがその腕をシーナの身体から引き抜く。

水面へ向かうように、シーナの身体が落ちていった。

ああ、くそ。

激しい痛みは、だんだんと感じなくなっていく。

視界もぼやけて見えなくなっていく。

勝てねえのか。

死が近づいてくる。

不思議だった。昔の私なら決してそれを恐れはしなかった。死ぬのは己が弱いからだ。死んで当然だ。

なのに。

怖い。死にたくない。

まだ、生きたい。

視線の先に、何かが輝いて見えた。

青い光。

あれは、ミーアがくれたペンダントだ。炎でチェーンが取れてしまったらしい。

薄れゆく意識、命の中で、シーナは光を求めて手を伸ばした。

ベグリフは苛立ちを隠すように彼女から視線を外す。

「くだらん」

死ぬ運命にいながら、何にまだ縋る。

そこには何が残る。何が手に入る。

死んでしまえば、何の意味もない。

 

死んでしまえば、想いだって残りはしない。

 

力を渡した片割れの元へ、ベグリフは向かおうとする。

人族ながら、ダリルはそれなりの実力を持っていた。ベグリフの力を半分も手に入れているのならば、今のベグリフといい勝負をするかもしれない。

今のダリルは味方扱いではあるが、ゼノが来るまでの間暇つぶしには丁度いい。

ディゴス島へ戻ろうとして、ベグリフは気付いた。

聞こえない。

シーナが水面に飲み込まれる音が聞こえない。

あの状況で、体勢を立て直せるわけがない。

奴は間違いなく死ぬのだから。

違和感に気付いた彼が背後を振り向く。

そして、眼を見開いた。

シーナは未だ水面に叩きつけられてはいなかった。

彼女の身体を燃やしていた炎は、動きを止めていた。

 

いや、時を止めていた。

 

焼け朽ちることもなく、落ちることもなくシーナは宙に浮かんでいる。

その身体を、半透明の青い球体に包まれて。

「間に、合ったわ!」

その横に何かが浮かんでいた。

漆黒の世界に純白の翼を広げ。

薄桃色に薄い上着に、下はミニスカート。戦いに来たとは思えない姿。

だが、その手には青白く輝く長槍を携えて。

「あなたが魔王ね!」

彼女が叫ぶ。

「お母さんの仇! 取らせてもらうんだから!」

その周囲に光のファンネルがいくつも舞って。

メアが、鋭い視線をベグリフへ突き付けていた。
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