カイ~魔法の使えない王子~

愛野進

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4『理想のその先へ』

4 第一章第一話「カイという道標」

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今日は快晴で、心地よいそよ風が周囲の木々を優しく撫でていた。

相変わらず、ここの湖は人気もなく静かで考え事をするには丁度いい。

わざわざレイデンフォート王国から少し離れたこの湖へ出て来ようと思う者も少ないのだ。

ポチャン、ポチャンと辺りに音が響いていく。規則的なようで不規則な音の調子。波紋が広がったかと思うと、新たな波紋が引き起こされて交わり、水面が激しく揺れる。

まるで、カイの心のように。

「……」

何度も右手で小石を掴んでは、カイが無造作に湖へと放り投げる。小石は緩やかな放物線を描き、跳ねることなく湖に飲み込まれていった。

餌と勘違いして魚が寄って来てるし。

今まで明確にその姿を視認したことはなかったが、左目が悪魔化してからは視力が格段に向上しており、この湖の中を気持ち良さそうに泳ぐ魚の姿が見えていた。

こんなにいたのに、今まで釣れなかったのかよ。

魚に直接当たらないよう、地点を選びながらまた右手で小石を優しく投げる。悪魔化している左手では、なかなか力の加減が難しかった。

飽きることなく、カイは小石を放る。そもそも何か理由があって小石を投げているわけでもなく、ただ何となく何かをしていたかった。

黙っていると、頭がごっちゃになりそうだった。けれど、いつものように釣りをするような気分でもない。何かをしていたいけれど、だからと言って釣りは少々思考の邪魔だと思った。

要は、無心に出来る何かが欲しかっただけで、足元に転がっている小石が丁度良かっただけだった。

「……」

黙々と座ったまま小石を投げるカイ。

何投目かも分からず、そろそろ足元に丁度いい小石も無くなってきた頃に。

背後から足音が聞こえてきた。

そして、聞こえる優しくて綺麗な声。

「ここにいたのね」

「母さん……」

振り向くと、セラが微笑して佇んでいた。

カイは、相変わらず自分の母親は綺麗だなと思った。まるで絹の様にサラサラな黄金色長髪に、パッチリ大きな碧眼。顔立ちも整っていて、セラならどんな衣裳も着こなせるだろう。

今だって青と白を基調としたドレスがよく似合っている。

「久しぶりに来たわ。やっぱり良い場所ね、ここ」

周囲を見渡しながら、セラがゆっくりカイの隣へ歩いてくる。風に靡く髪を押さえているだけで絵になっている。何故彼女の素質が自分に遺伝しなかったのか。

「悩み事、あるんでしょう」

「……」

セラの問いかけに答えず小石投げを再開しようとして、カイは小石が無くなったことを思い出した。一気に手持ち無沙汰になって、逡巡した後にゆっくりと身体を地面に横たわらせる。

「もう皆の常識なのよ? カイが黙って何処かへ居なくなったら、この湖へ悩みに行ってるんだって」

隣にセラがゆっくりと腰かける。一つの動作が本当に上品だ。流石天界の女王様ってことなのだろう。

「どうせエイラ辺りが流してるんだろ? 有ること無いこと付け加えてさ」

「ええ、誰もいない湖に独り言を言って悩み相談している、って言っていたわ」

「頭がおかしい奴みたいになってるじゃねえか……」

後でアイツにお説教だな……。

横たわるカイに、セラは変わらず微笑み続けている。

「でも分かるわ。私もゼノも昔に湖の前で悩んだことあるもの。何故か分からないけれど、湖が受け止めてくれるような気がするのよね」

「……まぁ、確かに」

上手く言葉には出来ないけれどこの湖が、投げた小石のように悩みも全部飲み込んでくれるような気がしないでもない。生物的に水は安心感を与えてくれるのだろうか。

「両親に似たのね」

「湖への独り言が?」

「それは流石にしていないわ。……え、してるの?」

「してないよ」

そこまで行くと完全に末期症状だろう。

ところで、ならセラも何か悩みを持ってここに来たのだろうか。それとも俺に何か用事でもあるのか。

女王の悩みなど計り知れない。

本当に、計り知れない。

「……悩み事ってね、向き合えるだけで凄いことなのよ」

セラが、湖を見つめながらそう言った。水面が日光を反射させて眩しく輝いている。

「自分が苦しんだり辛かったりすることに向き合って、必死に答えを探しているの。逃げ出すことだって出来る。でも、たとえ辛くても向き合って前に進もうとする意志があるから。一歩を踏み出す勇気がある限り、悩み事はあなたを成長させるわ」

彼女が掌を優しく振ると、周囲に隠れていた小石が山のように集まり始めた。気付けば、カイ達の足元には無数の小石が転げ落ちていた。

「悩み事って、成長の過程なんだから」

セラが小石を一つ拾う。

「私も、石投げってやってみたかったのよね……えいっ」

そして、ぎこちない姿勢で弱々しく石を放った。ポチャンと小さく水柱が立つ。何かを投げるという動作をこれまでしてこなかった人の動きだ。振りかぶる動作もない。

セラの投げ方にカイは思わず笑みを浮かべてしまう。

ずっと悩んでいたせいだろうか、久しぶりに笑った気がした。

身体を起こして、足元の小石を拾う。

「違うよ、母さん。こうやって投げるんだよ」

軽く腕を振りかぶって肩、肘、手首を流動的に動かして小石を放る。少し気合を入れ過ぎたか、小石は先程までより遠くに飛んでいった。

「なるほどー!」

セラが見様見真似で再び小石を放る。でも、やっぱりどこかぎこちない。投げるというより、途中で手を放しているような感じ。

それでも、それがまたセラらしい気がして。

「……じゃあ、成長の過程に付き合ってもらってもいいかな?」

母親ゆえなのか。彼女の温かさに包まれたカイは、そう口にした。

まるでカイのその言葉を待っていたかのように。

「勿論よ」

セラは先程よりも元気に微笑んだ。

最初からセラはカイの悩みを聞きに来てくれていたんだろう。それでも、決して急かすことなく、彼自身が口を開くまで待ってくれていた。

本当に、素敵な母さんだよ。

小石投げを辞めずに、漸くカイは言った。

「親父や母さん達の話、聞いてさ。純粋にスゲーなって思った。何も知らなかったからさ。親父はちゃらんぽらんだと思っていたし、エイラは普段あの調子だろ? 母さんは変わらず優しかったみたいだけど。でも、三人共すっごい色んな事を経験してたんだ」

「うん……」

優しい声音で、セラが相槌を打ってくれる。

話し出したら、止まらなかった。

「辛いことも一杯経験して、大切な人の死も経験して。それでも理想を叶えるために必死に頑張ってきたんだよな。俺如きが、分かったようなつもりでいるのも変だけど、さ」

「そんなことないわ。ちゃんと、あなたは分かってくれているわ」

「……そうかな」

不思議と、小石を投げる手に力が入る。以前よりも水飛沫の音は大きくなっていた。

もう小石を投げているのはカイだけ、セラは、真剣にカイの言葉を聞いていた。

「俺、目の前の事ばっかりで。親父みたいに命の重みとかちゃんと考えたことないしさ。邪魔だってこの手で殺した事だってある」

フィールス王国奪還の旅路の最中、セインを振るってダークネスを殺した。ゼノのように共生の道を探すことなく、その命の重みを考えることもなく。行く手を阻まれたから殺した。

「自分の事ばっかりなんだよ、俺。エイラが攫われた時だって、親父の制止を無視して飛び出した。親父がどんな気持ちでエイラの姿を見送ったのか、エイラがどんな気持ちで自ら魔界へ行ったのかも考えずに」

そう思うだけで、カイは自分を殴りたくて仕方がなかった。

フィグルや他にも沢山の犠牲を経て手に入れたこの世界。エイラはそれを守りたかったのだろう。先にあるはずの理想を、彼女は必死に叶えようとしていたのだろう。だから、エイラは抵抗もせずに行ったんだ。自分を犠牲にしてまで理想へ繋げるために。

ゼノもそれを分かっていたから。止めては理想を叶えられないと。彼女の覚悟や想いを無駄にしてしまうと。だから、必死に拳を握りしめて耐えていたんだ。

一度失敗してしまったからこそ、もう二度と失敗しないようにと二人はそう決断したんじゃないか。

それなのに、俺は……。

カイも拳を握りしめる。悔しくて、自分が情けなくて。

「それなのに。皆の理想も努力も知らない俺は、悪魔族に宣戦布告までしてしまった。一番、理想から遠のかせているのは俺なんだっ……!」

力任せに、小石を投げつける。大きな音を立てて水面は揺れ、カイの感情の如く波紋は荒ぶったまま広がっていった。

本当に悔しい。何も分かっていない己自身に腹が立ってしょうがない。

深く考えずに行動して、俺は沢山のものを犠牲にしている。親父達がたくさんの時間をかけて紡いできた想いや築き上げてきたもの。理想そのものを。

俺が、全て台無しにしている。

カイの瞳から雫が零れた。

カイはどう償っていいかも分からなかった。これ以上自分に何か出来ることはあるのか。全部、何かを台無しにしてしまっているんじゃないか。そう思えてならない。

確かにカイは悩んでいる。これからカイはどうするべきなのか。

歩んできた道が間違っている気がして。これ以上先に進めずにいる。

……っ。

立ち上がって、袖で涙を拭う。セラにこんな情けない自分を見せたくなかった。

それでも一度吐き出した弱音は心を蝕んでいく。

「くそっ、何なんだよ、俺は……っ!」

苛立ちをぶつけるように、足元の小石へと手を伸ばそうとする。

すると、その手をセラに掴まれた。

思わずカイは彼女へと視線を向ける。セラは、真っすぐにカイの濡れた瞳を見つめていた。逸らすことなく、笑うこともなく。ただ真剣にカイを見つめていた。

その大きな瞳から、カイは視線を外すことが出来なかった。

「母さん……」

「カイは、エイラを助けたことを後悔しているの?」

セラは、空いた手でカイの悪魔化している左手も握った。両手から、彼女の温もりが伝わってくる。

「カイは、エイラを助けなきゃ良かったって思ってるの?」

ゆっくりと心へ尋ねるように問いかけられる。

エイラを助けない方が良かったって……。

カイの心は、即答していた。

「そんなこと、ない……!」

もし全てを知っていて。またあの時に戻れたとしても。

きっと俺は、同じ行動をとる。

首を横に振る。涙は溢れて頬を伝い、地面に滴り落ちていた。

「俺は、後悔していないよ……!」

袖で涙を拭いたいけれど、セラに両手を掴まれているせいで涙が全て零れ落ちていく。

きっと今酷い顔をしているだろう。それでも、真っすぐにセラはカイの瞳を覗いていた。

そう、後悔していない。

だからこそ、苦しいんだ。

心が矛盾してしまった。

全てを台無しにしているのに、それを後悔していない。悔しいのに、情けないのに。後悔していない。

この気持ちをどうすればいい。矛盾してしまった俺の心をどうすればいいんだ。

すると、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐったと思えば、カイはセラに抱きしめられていた。

「母、さん……」

セラの胸元に優しく包み込まれる。耳元で、彼女の鼓動が聞こえた。

カイの頭を撫でながら、セラは優しく言葉を紡いだ。

「カイ、あなたは本当に優しい子ね」

言葉が、彼女の体温がそのまま壊れそうな心に染み渡っていく。

「私達の事をちゃんと想ってくれているから、あなたは悩んでいるのでしょう。全部大切だから、あなたは悩んでいるのでしょう」

「っ、俺、は……!」

「私達の為に、悩んでくれてありがとう」

ギュッと、セラが微笑みながら抱きしめる。カイの身体から少しずつ力が抜けていった。

「大丈夫よ。あなたは間違ってなんていないわ。だって、あなたに救われた人が沢山いるんだもの。ゼノや私だってそう」

「え……?」

親父や母さんが……?

全く心当たりがなく、カイはセラへ視線を向ける。

見上げるカイに、セラが微笑んだ。

 

「エイラを、救ってくれてありがとう」

 

カイは顔を歪ませた。

「―――っ」

どんどん涙が込み上げてくる。我慢しようとしても溢れてしまうほどに。

「なんでっ、そんなこと……!」

「本当に、そう思っているからよ」

カイの心を蝕んでいた矛盾。

理想や想いを、全てを台無しにしてしまっている現実。

それなのに。台無しにしているのに。

セラは感謝を告げた。

台無しにされた本人が、確かに感謝していた。

心の矛盾が、消えようとしていた。

「ゼノもきっと揺れていたわ。エイラを助けるべきかどうかを。でもね、立場が簡単に決めさせてくれなかった。簡単に助ける選択肢を選べるような立場ではなかった。これまで積み上げてきた理想への想いと、彼自身の想いはそう簡単に比べられるようなものではなかった。彼はね、最後まで悩んで、結局最後まで答えを出せなかったのよ」

セラがカイの背中をさすりながら、語り掛ける。

「でもね、悩むゼノの代わりにあなたが答えを出してくれた。あなたが答えに導いてくれたの」

「ち、違う、俺は――」

「ううん、きっと最後にはゼノだってエイラを助ける方を選んでいたわ。私には分かる」

セラは目を瞑った。すぐに心に彼の姿が浮かんでくる。

ゼノは、きっとそういう人だから。カイみたいに悩んで苦しんで、それでも最後には皆が幸せになれるように動く人。

それが、私の大好きな人。

「そんな迷っているゼノを、あなたが引っ張ってくれたの」

そして、そんな大好きな人との間に生まれたのが、あなたなの。

「あなたは、私達の理想への道標よ。あなたが進む先に、私達がずっと求め続けた理想がある。私はそう信じているわ」

カイの眼を覗く。涙で潤んだ大きな瞳、その片割れは悪魔のそれだ。

自分の事ばっかりだと言うけれど。本人の知らない所でカイは沢山の人を救っている。沢山の人と繋がっている。魔界でもきっと沢山の悪魔族と繋がって来たんじゃないかと思えるほどに。魔界から連れて来たシーナの存在だってそうだ。

種族関係なく、あなたは沢山の心と繋がることが出来る。

人族のゼノと天使族の私の息子で、悪魔族の力を得たカイ。

 

あなたが、私達の理想そのものなのよ。

 

共生への道標。

愛情を込めて、カイを抱きしめる。

「だから大丈夫。これから進むあなたの道は私達の進む道と必ず繋がっているから。あなたは思うがままに真っすぐ進みなさい」

そして、最後に愛する我が子へ。

「カイ、愛しているわ」

私は、何があってもあなたが大好きよ。

「……――っ!」

カイの両手が、漸く私の背中へと回る。そして、何かを堪えるようにギュッと強く服を掴んだ。

「っ、くっ……うっ……!」

押し殺した嗚咽が、胸元から聞こえてきた。

カイは、本当にゼノによく似ている。

辛くて悩んでも簡単に打ち明けないところもそうだ。一人で悩んで、いつの間にか片付けてしまおうとする。

そんなところまで似なくてもいいのに。

セラは優しくその背中を撫でながら、空を見上げた。相変わらず快晴だけれど、そろそろ夕暮れ時が近づいているようだ。

愛しい存在。昔と違って沢山出来た。今度はそんな彼等も巻き込んでしまっている。

もう、失敗は出来ない。

二度と、大切な存在を失わないように。

お母様、フィグル。見ていてください。

今度こそ、理想をこの手に。

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