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4『理想のその先へ』

4 プロローグ

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男は車を走らせていた。

時刻は正午過ぎで、思ったよりもこの道路は渋滞しているようだった。

あそこで右に曲がっておけば良かったな。

先程通った交差点を思い浮かべるが、どう足掻いても後の祭り。こうなってしまっては待つしかない。

座席に持たれ、男は身体の力を抜く。そして、隣座席に置いてある紙袋を見つめた。

冷めてしまうけど、それで文句を言うような奴ではないか。

確認程度に紙袋を開け、中に入っている複数の包みに手をかざす。色とりどりの包みの中にあるそれは、まだ温かさを保っていた。その隣にある山盛りの揚げ物も問題なさそうだ。

そもそも、あっちはあくまで買いに行ってもらった側だ。文句を言われる筋合いはない。

車の中も香ばしい匂いで充満してしまっている。お陰でお腹が空いて仕方がない。

俺だけ先に食べてしまうか?

そんな思考に手が届きそうなところで、不満げに頬を膨らませる彼女の姿が脳裏に浮かんだ。

逡巡した後に、紙袋の上部を二重に折って放る。少しでも匂いが漏れないようにと願うが、もう遅いような気もする。

手持無沙汰でシートベルトをいじりながら、窓から外を覗いた。

ここは都市部だから、あちこちに高層ビルやらマンションがあって、大手の会社も沢山集まっている。そのせいか、歩道にはうじゃうじゃと人が見えた。

休日だっていうのに、スーツを着ている人までいる。

かくいう俺も、休日出勤と変わらないか。

ネクタイまで締めて、きっちり黒スーツに身を包んでいるのだから。

漸く前の車が進み出し、クラッチペダルを踏みながらアクセルべダルも踏む。ギアは二速。手慣れたもので、世界にはオートマチック車が大半だが、男は何となくギアを変える動作が好きで未だにマニュアル車に乗っている。

目指す場所は、前方に大きく見える巨大な建造物。

周囲のビルやマンションなどの背景に溶け込むことなく、むしろその異様さが売りのようだ。作り方がそもそも違うのだろう。

「……我が儘を聞くのも大変だな」

ボソッと呟き、ギアを上げる。

ただ、脳裏に浮かぶのは男の登場に喜ぶ少女の姿だった。

そうして男は、目の前の巨大な城へと車を走らせた。

※※※

「わー、美味しそうですね!」

紙袋の中身を見て目の前の少女がぴょんぴょん跳ねている。長い茶髪の髪が喜びを表現しているようだ。丈が長めなドレスとはいえ、それ程跳ねてしまってはいつ捲れてしまうか。

「買ってきて下さってありがとうございます!」

少女が大きな黒目をこちらへ向け、笑顔を見せる。その笑顔から視線を逸らしながら、男はため息をついた。

「もうこれっきりだぞ」

「えー?」

彼女はそう言うが、もう思考は買ってきた昼食に向けられているようで、気にする様子もなくガサゴソと中を漁っている。そして、目当てのものを引き出していた。

「ダブルチーズバーガーです!」

包みを開くと、中からとろりとチーズが零れかける。少女は慌ててチーズを舐めた。そして、可愛らしい笑顔を見せる。

「えへへ、美味しいですね」

「……はぁ」

たかがハンバーガー如きでそんなに嬉しそうにするものか。

何処にでもあるチェーン店で買ったものだが、彼女としては新鮮らしい。

まぁ。彼女からすれば当然とも言えるだろう。

 

彼女は《言霊の代行者》なのだから。

 

彼女がこの城に生まれてどれくらい経つのだろう。

その年月は、同時に彼女が城に幽閉されている時間と一緒だ。

生まれてから彼女は外界へ出たことがない。城の中が彼女の人生だった。

だから、こうして男が代わりに彼女の欲しがるものを外から調達するのである。

これっきりだなんてやり取りも、何度交わした事か。

とはいえ。

「俺は、便利屋じゃないからな」

「はむっ……分かっています。私の騎士ですものね」

ハンバーガーに齧り付いた彼女の口の周りはケチャップやらチーズで一杯だった。初めてだからまだ上手く食べられないのだろう。

「口、汚いぞ」

「あっ、これははしたない姿を……」

男に指摘され、すぐに彼女は口の周りを拭く。

普段は穏やかな佇まいの中に優雅さを兼ね備える彼女だが、毎度初めての物を目にするとすぐに子供の様にはしゃぐ。

相手するのも大変だ。

普段のように落ち着いている方がこちらとしても楽なのだ。

男は呆れながら言った。

「いいか、俺はお前から力を貰う為にここにいるんだ。お前のお守りをする為じゃない」

「それも分かってます。二十を過ぎて私が子をたくさん産んだら、私は貴方へ命を捧げるつもりです」

微笑みながら彼女が言う。

もう自分の命の限界を彼女は知っていた。

「分かっているなら、それでいい」

「代わりに、それまで我が儘を沢山聞いてもらいますからね。じゃなきゃ貴方に力はあげませーん」

「……勝手にしろ」

「ありがとうございますっ」

花のような笑顔を浮かべる彼女に、男は再びため息をついた。

力の件があるから、彼女に従わざるを得ない。彼女の気分次第で、その力は別の者に渡されるかもしれない。

彼女には、正確には彼女の一族には特殊な力がある。この世界にある唯一魔法のような力だ。

 

 

言葉を具現化する力。

 

 

彼女が「炎」と言えば、目の前に突然として炎が噴き出し燃え上がる。

彼女の言葉は万物を創造する。

ゆえに《言霊の代行者》。

勿論力を使わなければ会話だって出来る。彼女の気分次第だ。

それだけ特別な力を持つ《言霊の代行者》だが、言葉にも限界がある。

「死ね」と言ったところで死なせることが出来るわけじゃない。言葉にもエネルギーが必要であり、エネルギー以上の言葉は具現化させることが出来ない。言葉が複雑になればなるほど具現化は難しくなり、「死ね」など漠然な概念はほとんど不可能だ。「炎」ですら、長く続くわけではない。力の執行は《言霊の代行者》に大きな負担を与えるのである。

そんな中、唯一エネルギー以上の力を発揮できる方法がある。

 

命を、代償とした場合だ。

 

《言霊の代行者》が自身の命を代償として力を使った場合、その力は何倍にも膨れ上がり、言葉は永遠に世界に刻まれる。命を代償に「炎」と言えば、その炎は通常以上の火力を放ち、二度と消えることはない。

加えて命を代償とした場合、その言霊は万物の意味を書き換える。

つまり命を代償にした言霊を、例えば「炎」を人に使えばその人は《炎》そのものになり、「剣」と言われればその人は《剣》へと姿を変える。逆に言えば、剣に「人」と言えば剣すら《人》になるということだった。

そのような、絶対的な言霊による力を授かった者達を。

 

 

人々は《紋章》使いと呼んだ。

 

 

《紋章》使いは既にこの世界に何人も存在する。その誰もが絶大な力を誇り、彼らは自国を戦争の勝利へと導いていく。今やこの世界の戦争において《紋章》使いは必須であり、必然的に《紋章》使いを創り上げる《言霊の代行者》の存在が求められた。

《言霊の代行者》を手に入れる為に戦争が起き、彼女達は幽閉され、子供を作って新たな《言霊の代行者》を生んだ後に、命を代償に何かを《紋章》使いにする。

それが、《言霊の代行者》の運命であり、この世の必然だった。

男は決してそれに同情などしない。彼女も決して自らの運命を悲観することもなかった。

最初からそういう運命なのだ。

それでも、この国の《言霊の代行者》の扱いはかなり優遇していると思う。

まるで王女の様に彼女を扱い、暮らしに不自由はさせていない。命の代償も子作りも二十歳を過ぎてからと決めている。

国によっては幼いながらに犯し、子供を産ませた後にすぐさま無理矢理命を捧げさせるとも聞く。

ただ、それにはデメリットも多い。例えば精神が不安定な状態で放つ命を代償にした言葉は、こちらが指定したものと異なることがある。憎んだ挙句「犬」なんて言われたら、人は一瞬で犬となり《犬の紋章》使いとなるのだ。

だから、この国では予め《紋章》使いとなる者を決め、《言霊の代行者》の傍につけるようにしている。信頼度を上げさせ、確実に力を手に入れる為だ。それに、《言霊の代行者》の守護という理由もある。

いつ、彼女を目的に何処かが戦争を仕掛けてくるか分からないのだ。

彼女は、今年で十九歳。来年で、二十歳になる。

「うーん、こう、ですかね……」

相変わらずハンバーガーの綺麗な食べ方に四苦八苦している様子で、彼女は困ったように笑っている。そもそもハンバーガーの食べ方に綺麗も汚いもあるのか。

さっきの口の周りは汚かったが。

男は紙袋から自分の分を取って、彼女を気にすることなく思いっきり噛みついた。口の中に一気に肉の旨味が広がる。

彼女は、そんな男を見て優しく微笑んだ。

 

「これからもよろしくお願いしますね……想一郎」

 

※※※※※

ベグリフはゆっくりと目を覚ました。目の前には誰もおらず、ヴェイガウス城にある王の間はしんと静まり返っている。

何か、懐かしい夢を見ていた気がした。

百年以上も前の、この世界とは別の記憶。

明確にどんな夢だったかは思い出せないが、あの頃の情景がやけに込み上げてくる。

何故今になってそんな夢を見る。

きっかけに心当たりはない。だが、無性に心が苛立った。

所詮過去であり、意味のない夢。

今の俺には、どうでもいい。

ベグリフは玉座にもたれかかった。その目の前に瞬時に何かが転移してくる。

「お待たせ~、待った?」

グリゼンドが相変わらず見ている者を不快にさせる笑みを浮かべる。

「もしかして、寝てた?」

「……黙れ」

グリゼンドの軽口はいつものことだが、生憎こちらは苛立っている。付き合う気にもならない。

察したのか、早々にグリゼンドは用件に入った。

「ほら、連れて来たよ」

じゃじゃーんとグリゼンドが手を広げる。

その横に、男は倒れていた。

「くそっ、何の、つもりだっ……!」

ダリルが叫ぶ。

必死に動こうとするが、魔力ごと手足は錠で封じられている。何より傷だらけの身体が悲鳴を上げていた。

グリゼンドがニヤニヤしながらダリルを見る。

「これはね、余興だよ」

「余興、だと……!?」

「そう、またどんな顔するのか楽しみだなぁ」

恍惚とした表情をグリゼンドが浮かべる。

くだらん。

ベグリフ自身はそう思っているが、今回は彼の提案に乗ることにしていた。

ゼノとの一戦を経て、ベグリフはゼノの実力に失望していた。たかが二十五年でこれ程実力差が生まれてしまうとは思わなかった。

楽しみが消えて無くなった感覚。

だが、くだらない余興でも足しにはなるかもしれない。

それに、何も余興ばかりではない。目的もある。

ベグリフはゆっくりと玉座から立ち上がり、ダリルへと歩いていく。

「くっ……!」

ダリルが身体を捩るが、やはりそこから動くことは出来ない。

やがて、ダリルの前にベグリフが立ち、

「精々楽しませてみせろ」

ダリルへと手を伸ばしていく。

「……――!」

ダリルの眼前に徐々に広がるベグリフの掌。

まるで、底の無い真っ暗闇に落ちるような感覚と共に。

「メリ、ル……」

愛する者の名前を呼び、ダリルの意識は途絶えた。

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