カイ~魔法の使えない王子~

愛野進

文字の大きさ
上 下
144 / 296
3『過去の聖戦』

3 第四章第五十八話「絶望という愉悦」

しおりを挟む

エイラ

「君は、俺の娘なのさ」



既に確信したようにグリゼンドがシロへ告げる。



彼を倒すべく振りかぶられていたシロの拳は動きを停止していた。



突然の告白。



余りに唐突な告白。



「え……?」



動きどころではない。シロは完全に頭が真っ白になっていた。



いけない……!



これ以上グリゼンドに話させてはいけない。



シロの家族がもうこの世界にいないだろうことはゼノから聞いていた。タイタスの胃袋での百年。長い年月の間にシロの家族がどうなったかは想像に難くない。



百年経っている事実を知って、シロは泣いたという。もうすでにいないだろう母親を思って涙を流したのだ。



シロにとって、母親はとても大切な存在だった。人族と悪魔族の子供、類を見ない怪力、それらが他者とのコミュニケーションを阻害していてもおかしくない。だからこそ、シロにとってそれらの要素を全く物ともしない母親の存在は大きかったはずだ。



シロは母親を愛し、またとても愛されていた。



その母親が目の前にいる悪魔と関係を持っていたと言うのだ。



その事実をシロが埋め止められるとは思えない。事情をまだ知らない今のうちに止めなくては。



急いで二人の下へ飛び出す。



「駄目、エイラ!」



フィグルの静止の声が聞こえてきたが、遅すぎた。



「ははーん、知ってたんだね、エイラ!」



グリゼンドが一気に残った魔力を解き放つ。魔力の波が周囲へ勢いよく広がっていった。



「しまっ――」



飛び出した勢いを咄嗟に殺せない。魔力の波が全身を襲う。途端にグリゼンドの魔力が私の魔力と結合し変換しようとしてくる。全身から魔力が失われ始めた。痛みが身体を襲い、同時に力が抜けていく。立っていられない。呼吸も乱れる。遂には四つん這いに倒れ込んでしまった。



「うぅ……!」



倒れこむフィグルの姿も見えた。私を止めようと飛び込んでしまったらしい。私のせいだ。



グリゼンドを中心に魔力の波は持続し続けている。私達から手に入れた魔力をそのまま放っているのだろう。これでは魔力が無くなるまで吸われ続けることになる。



でも、逃れる術が今の私達にはない。



波が周囲に漂い続ける中、シロは呆然と立ち尽くしていた。



シロに魔力はない。この状況下で動けるのはシロだけだが、動こうとしない。



シロにとって母親の話題がどれだけ核にあるのかをそれは物語っていた。



理解できないというように、ボソッとシロが呟く。



「何を……言っているのよ。私の父親は私が生まれる直前に死んだってお母さんが!」



「成る程、そりゃそうだよね。自分の娘に悪魔族との間に生まれた子供だって言えないよね」



グリゼンドはニヤニヤ笑っていた。目の前で困惑する娘を嘲笑うように。



「う、嘘よ! あんたは極悪非道の悪魔族でしょう! お母さんが屑みたいなあんたなんかと――」



「左目の泣きボクロ」



「っ」



目を見開き、シロの言葉が途切れる。



シロの反応を楽しむように、シロの周りをゆっくり歩きながら機嫌良さそうにグリゼンドは語る。



「君と同じ黄色の髪だった。長さは君より短かったよ。華奢な身体に美しい翡翠色の瞳。これも君と同じだね。ただ性格は少し違うかな、彼女はもっとおっとりしていたよ。何ていうかな、ふにゃふにゃしていた。マイペースって感じだ」



「どうして……」



シロが驚いている。グリゼンドが言っていることは全て事実なのだろう。



どうしても何も、とグリゼンドは笑う。





「犯した相手の特徴くらい覚えているさ」





息をのむ音が聞こえた。



やめさせたい。これ以上シロを苦しめさせたくない。それなのに身体が全然言う事を聞かない。聞かないどころか、このままでは死んでしまう。



一方で先程までボロボロだったグリゼンドは段々と傷を回復していた。口から流れる血を拭い、グリゼンドは告げる。



「そう、君は俺が犯した女の子供なのさ! にしてもまさか孕んでいるとも産むとは思わなかったけどね。何で産んだのかな。悪魔族との子供なんて人族にとって呪い以外の何物でもないのに」



「やめ…なさい……」



声を張りたくても上手く出てこない。



これ以上は、シロの精神が壊れてしまう。



「君はきっと母親には愛されていなかったよ」



そんなことない。絶対にそんなことないのに。



叫びたくても出来ない。



「でも良かったね。疎まれていたとしても、君の母親はもう死んだよ。研究していた彼女のセインが唐突に消えたんだ。セインはどちらかの対象が死んだ場合消滅する。セインが消えたということは、そういう事だもんね」



シロが膝から崩れ落ちた。



やめて。もうやめて。



何となくでも母親がもう他界していることをシロは気付いていただろう。



それを、グリゼンドが確信へと変えてしまう。



母親は死んだという事実を突きつけてしまう。



愛されていなかったと言われ、母親は死んだと言われ。



「う、ううううううううううあああああああああああっ!!!!!」



シロは慟哭した。心が壊れてしまっていた。これまでの母親との思い出がグリゼンドに塗りつぶされていく。思い出に愛はなかったと、そんなことあり得ないのに嘘で塗りつぶされていく。



シロの慟哭があまりに悲痛過ぎて、私も涙が零れてきた。



許せない。グリゼンドだけは……!



身体に力が沸き上がってくる。これは怒りだ。怒りが原動力となって身体を動かしてくれる。



よろよろと立ち上がる。そんな私をグリゼンドは嘲笑していた。



「抵抗するだけ無駄だよ。君は既に俺の魔力に取り込まれている。魔法も使えないんだ。俺の娘みたいに絶望してなよ。その絶望が一番僕は好きなんだ」



「シロを……娘などと、呼ばないでください………!」



「あらあら、涙なんて流しちゃって。随分甘くなったもんだね、エイラ」



グリゼンドが指を鳴らす。すると身体へかかる重力が倍増し、一気に地に伏された。



地面に罅が入るほどの重圧。怒りすらも押さえつけられる。



ゆっくりとグリゼンドが近づいてくる。



「俺達は絶望を与えてナンボでしょ。その絶望が僕達の活力になるんだ。よく言うでしょ。自分より弱い存在を見てモチベーションを保つなんて。それと一緒なんだ。他人の絶望が自分の幸せを実感させてくれるのさ!」



「狂って…ます……!」



絞り出すようにフィグルが唸る。必死に立とうともがきながら、鋭い視線をグリゼンドへ向けていた。



「私達は、希望を与えるためにいるのです……!」



「それは希望を持っている奴のエゴさ。結局は希望を与えて他人より上でいることを実感しているだけ。相手の絶望を肥やしに生きている点、俺と変わらないよ。それなら最初から絶望を与えた方がいい。希望は絶望に変わるけど、絶望は希望にならない。ずっと永遠に絶望さ。俺の方が清々しいでしょ?」



屈託のない表情でグリゼンドが笑う。



イカレている。何故ここまで振り切ることが出来るんだ。



「だから、俺は絶望を与えるよ。地べたに転がっている君達にも、あのゼノとかいう人族にもね!」



すると、グリゼンドの手元に銃が出現した。それはフィグルが扱う銃と同様のものであり、唯一色だけが漆黒に染まっている。フィグルの魔力を吸収して模倣したのだろう。



一体何を……。



グリゼンドは地面をじっと見つめているかと思うと、小石を一つ手に取った。



「彼は俺の魔力を持っているからね。場所は分かるんだけど魔法を撃っても死なないからなぁ。いやぁ、厄介厄介」



そう言って、小石を銃の銃口に詰め込む。



まさか……!



私の予想を裏付けるようにグリゼンドは告げる。



「どうせ彼は殺されない。親友らしいし殺せないだろう。だから代わりに俺が殺してあげる。目の前で親友が死ぬんだ。さぞ絶望するよね。それに、魔力も戻ってくるし一石二鳥だ」



「っ、やめなさい……!」



当然グリゼンドがやめるはずもなく。とある方向へ照準を合わせ、小石を効果力で押し出すべく魔力を溜めていく。



私とフィグルは攻撃することも動くことも出来ない。



シロは既に戦意を喪失してしまっている。





誰も、止めることは出来なかった。





非情にも放たれる漆黒の弾丸。



一瞬でそれは森の中へと消えていった。黒い軌跡が視界に焼き付くように残っている。



どうなったのかまだ分からない。



ゼノが防いだかもしれないし、ケレアが避けたかもしれない。



そう祈るしかなかった。



唐突に訪れる静寂。私達の荒々しい呼吸音だけが響き渡る。



既に身体が限界だった。もう視界も歪み始めている。



その歪んだ視界の先で、何かが漂った。光の輝きのようなもの。



それがすぅーっとグリゼンドの方へ向かうと、身体へと飲み込まれていった。



途端に、グリゼンドが笑い始める。



「っふふ、はははははははは!」



「そんな……!」



グリゼンドの態度が、最悪の事態を明確に現す。



もし今の光がケレアに預けていたグリゼンドの魔力だとすれば。



ケレアは……。



その直後だった。



グリゼンドが銃口を向けていた方角から、爆発的に魔力が伝わって来た。



その魔力の質はゼノのものだった。



けれど、いつものような温かさはそこにはなかった。





あるのは、ただどす黒い感情だけ。





形容するなら、そう。



これは明確な殺意。



殺意の波と共に誰かが高速でこちらへと近づいてくる。



それがゼノだと分かっていて。いつもならこれ程頼もしいことはないのに。



今は、何故か来てほしくない。



「来るか!」



嬉しそうにグリゼンドが臨戦態勢を取る。



今のグリゼンドは完全に魔力を取り戻した。加えて私達から魔力を吸収している。最高の状態だ。



魔力でもセインによる力でも攻撃できない。



そんな絶望の中に。



ゼノは来た。



セインは手元になく、腹部には大きな穴が空いており私達以上に重傷に見える。血は止まっているようだが、どこかふらふらだ。



だが、その歩みが止まることはない。



森から出てきたゼノは、一目散にグリゼンドへと進んでいく。



まずい、ゼノはまだグリゼンドの特異な力を知らない。



「ゼノ、待ってください! 無暗に戦ってはいけません!」



そう叫んでも、ゼノには届かない。



あんな表情のゼノを見たのは初めてだった。怒りなんて表現では足りないと思ったのは初めてだ。見開かれた目はどこか血走っているように見え、グリゼンドのみを捉えている。



きっと、倒れている私達の姿も泣いているシロの姿も映っていない。



そのゼノの姿が、ケレアの死を物語っていた。



問答無用でゼノがグリゼンドの魔力の波に入っていく。魔力を吸われているはずなのに、痛みも襲うはずなのに、構わず進んでいく。



「《風陣・雷刃》」



グリゼンドの領域内でゼノの魔法が具現化した。ゼノを包むように竜巻が現れ、雷で出来た大剣が竜巻に乗って回転している。



それらは吸収されているはずなのに、変わらず具現化したままだ。



「なんて濃い魔力、密度なんだ! 結合力を上回るか! 魔王以来だよ、君のような逸材は! 人族なのが信じられないくらいだ!」



グリゼンドが手元に魔力で剣を生成する。



直後風陣に乗ってゼノが高速で動く。そのまま雷大剣を掴んで勢いよくグリゼンドへ叩きつけた。



魔力の剣同士がぶつかり、周囲に魔力が迸る。その魔力はやがてグリゼンドの魔力へと吸収されていった。



グリゼンドが苦しそうに顔を歪めるが、笑みは消さない。



「凄い力だ! でも、たとえ結合力を上回っていたとしても、結合自体は行われている。こうして接触している間に、俺は君の魔力で更に強くなるのさ!」



かなり押されていたグリゼンドだったが、徐々に剣を返していく。ゼノの魔力がそのまま力へと変換されていた。



やがて、雷大剣ごとゼノを勢いよく弾き飛ばした。



宙に浮かんだゼノ。グリゼンドは周囲に同様の雷大剣を複数出現させ、一斉にゼノへと殺到させる。



言葉なく、ゼノはそれを竜巻に乗って何度も回避して再びグリゼンドへと斬りかかるが、既に膂力はグリゼンドが上回ってしまっている。



だが、何度弾かれてもゼノは斬りかかっていった。斬りかかる度に吸収されているのに。ゼノの魔力だって無尽蔵ではないのだ。いつかは底を尽きてしまう。



いつものゼノならあり得ない。その剣には殺意しか乗っておらず、グリゼンドを殺すことしか見えていない。殺意に飲まれ、思考も止まってしまっている。



「駄目です、ゼノ! 下がってください!」



こちらが何度叫んでも、やはりゼノには届かない。



そのゼノの様子を見てグリゼンドは嬉しそうだった。



「いいよ、そうだ! 殺意は絶望から生まれる! これ程の殺意! たまらないね!」



弾かれたゼノの胴ががら空きになる。その大傷がある胴をグリゼンドが拳へ魔力を乗せて、竜巻を貫いて叩きつけた。



「もっと感じさせてくれ!」



殴りつけられた腹部から血が飛び散る。止まっていた腹部の傷が再び開いたのだ。



それでも構わずゼノが雷大剣を振りかぶる。その脇腹をグリゼンドはこれまた魔力を込めて蹴り飛ばした。



木を薙ぎ倒してゼノが再び森へと消えていく。



ゼノの姿は消えたのに、殺意だけは変わらず場に残り続けていた。



※※※※※

ゼノ

かなり遠くまで飛ばされ。勢いよく地面を転がり続ける。



痛む腹部。回復したはずの傷が再び開いている。



だからどうした。



地面に指を突き立て、どうにか止まる。



アイツを殺さなくちゃ。



初めて明確に殺意を覚えた。



今までケレアが感じていたそれを、ケレアがいなくなったことで知った。



だからケレアは悪魔族を殺そうとした。



今なら分かるんだ。



この感情は止められない。



今はただ、グリゼンドを殺すことしか考えられない。



ケレアが俺についてこなかったわけが分かった。この感情を知らない奴が何言っても気持ちが悪いだけなんだ。



俺は、何も知らなかったんだ。



今も知らない。この感情の、殺意の殺し方を。



手を突き、身体を起こす。するとふらついた。血が足りない。気付けば魔力も足りない。《風陣・雷刃》を持続することが出来ない程だ。



だからどうした。



木に手を突き、前へ進む。



アイツを殺すために。殺すためだけに今の俺はいる。



身体が言うことを聞かない。身体が重い。



だからどうした。



だから――。



その時、視界に光が見えた。



木々の隙間から僅かに見える光。微かな光。





赤い光。





重たい足を引きずって、吸い込まれるように赤く輝く光の下へ。



そして見つけたのは、どこかへ吹き飛ばされていたシロのセインだった。


しおりを挟む

処理中です...