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3『過去の聖戦』

3 第四章第五十七話「《××》→《殺意》」

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ゼノ

木々を幾つも薙ぎ倒しながら、セインを突き立てることで漸く勢いを殺すことに成功した。

ただ、心の中を蠢く感情の波だけは殺すことが出来ない。吹き飛ばされた痛みだって今はどうでもいい。

ケレア……!

視線を前へと向ける。悪魔と化したケレアは黒い翼をはためかせて一直線に俺へと向かって来ていた。

どうしてこうなった。俺はただまたお前と話したかっただけなのに。

あの時、決別したあの瞬間だって口論はしたけど戦いはしなかった。きっと俺達にとってそれがギリギリの線引きだった。

戦ってしまえば、メアが止めてくれなかったらもう二度と家族には戻れなかっただろう。

なのに今、俺はまたケレアと戦おうとしている。

黒槍へと変化させた右手を、ケレアが勢いよく突き出した。セインの剣腹で受け止めるが想像以上にケレアの力が強い。悪魔化したことで膂力が増している。

すぐさま魔力で膂力を補い、ケレアと向かい合う。

「やめろ、ケレア! 俺達が戦う必要はないだろ!」

研鑽や些細な喧嘩が理由ならまだいい。お互い馬鹿やったなってその後笑い合えるなら何だっていい。でもこんな、こんな形では望んでいないんだよ。

声の限り叫んでも、ケレアは顔色一つ変えない。気のせいかケレアの力がどんどん増しているような気がする。

「聞こえないのかよ! お前は操られる程弱くないだろ!」

ケレアの意志の強さが、前を向くキッカケをくれた。悪魔族にどれだけ酷い仕打ちを受けたってひたむきに頑張るケレアの姿に俺は憧れたんだ。

「自分をしっかり持てよ! ケレア!」

俺の声も虚しく、ケレアが黒槍を薙いで容易くセインを弾く。

やはり、ケレアの力が徐々に増加している!

空いた俺の胴めがけて黒槍を突き出してくるが、背後に跳躍して躱し距離をあける。

理由は分からないが、膂力勝負では勝ち目がない。

それに、俺の言葉もケレアには届いていない。再び一直線に俺へと駆けてくる。そこに感情は宿っていなかった。

グリゼンドの命令に従順なケレア。まるで、命令を遂行するだけの人形のようだ。

そんなの、奴隷だったあの頃と何も変わらないじゃないか。

漸くあの日々を抜け出したのに、再びケレアは悪魔族に囚われてしまっている。

誰よりも解放を望んでいたケレアが。

許せない……!

グリゼンドの存在が一気に脳裏を駆け巡る。

ケレアを苦しめたアイツだけは、必ず……!

それにグリゼンドを倒せば、ケレアは元に戻るかもしれない。《魔魂の儀式》という魔法を知らないが、可能性は大いにある。

全ての元凶を取り除いて、ケレアを解放するんだ。

飛び込んでくるケレアへと唱える。

「《フリーズ・ロック!》」

周囲に積もっていた雪が一気に舞い、ケレアを取り囲む。

「……!」

ケレアが黒槍を薙ぐが、雪を捉えることは出来ない。そのまま大量の雪がケレアを包み、次の瞬間ケレアは首から下を氷に閉じ込められていた。

必死にケレアが抜け出そうとするが、生憎周囲には無尽蔵とも呼んでも過言ではない量の雪がある。氷が割れる傍から再び凍らせていた。

これでケレアは動けない。この間にグリゼンドを倒す。

「待ってろ、ケレア。絶対に解放してやるからな……!」

伝えることはやめない。たとえ届いていなかったとしても。

その時、待っていた雪が貼り付いていたのだろうか、無表情ながらケレアの瞳の辺りから一筋の雫が零れた。

「……っ」

思わず唇を噛む。雪が解けただけなのかもしれないけど、やっぱりケレアにはまだ心が残っていると、そう思えた。

思えただけで十分だった。

すぐにグリゼンドの下へ駆け出そうとする。

だが、俺は知らなかった。

ケレアへと譲渡されたグリゼンドの魔力の特異性を。何故あの時、ケレアの膂力が増加していたのかを。

「オオオオオオオオオオ!」

ケレアが咆哮する。すると、見る見るうちにケレアの身体を覆っていた氷が解けていった。

「っ、何で……!?」

次々と凍らせているはずなのに、段々とそれが追い付かなくなってきている。

氷の中からケレアの魔力が漏れ始める。

解けているんじゃない。これは、吸収されているんだ。ケレアの魔力に魔法が吸収されている。

吸収することで強くなっていくケレアの魔力は、氷結の速度を上回り氷全てを飲み込んで見せた。

唖然とする俺へと、ケレアが黒槍を薙ぐ。

その一撃は先程とは段違いの力だった。

セインで受け止めるも思い切り吹き飛ばされる。何度も木々にぶつかり、地面を跳ねて気付けば森を抜けて海岸にまで飛ばされてしまった。

全身に痛みが走る。けれど、休む暇もなくケレアは向かって来ていた。

先程の一撃でセインがどこかへと飛ばされてしまった。

どうする。魔力が吸収されているのだとすれば、セインすらない俺に為す術はない。

その時、先程の思考が思い出された。

きっと、まだケレアには心が残っている。

もし本当にまだ残っているとすれば、俺にも出来ることがあるはずだ。

ケレアの心を解放して見せる。

それはきっと、俺にしか出来ないことのように思えた。

身体を起こし、ケレアへと向き合う。

何を言うか。事前に考えていたわけでもなく、すんなりと浮かんだ。

今助けるよ、ケレア。

ケレアが全力で黒槍を突き出す。それを俺は。

 

両手を広げて受け入れた。

 

黒槍が腹を勢いよく貫通する。

「――――っぁ!」

痛みが全身を駆け巡り、血反吐が口から溢れ出ていく。

身体が硬直する程痛い。腹に穴が開いたのだから当然だ。黒槍は根元まで貫通し、つまりケレアの右腕が深々と腹を貫いていた。

それでも俺は無理矢理身体を動かす。

そして、広げた両手でケレアを抱きしめた。

「……っ」

初めて、ケレアがたじろいだ気がした。

やっぱり、ケレアには心がある。

先程の一撃、俺を殺そうとするなら頭なり心臓なり狙って出来たはずだ。

でもそうしなかったのは、ケレアの心があることの証明に他ならない。

だから、血反吐を吐いてでも心に語り掛けるんだ。

「辛いよなぁ、ケレア。辛くないわけがないよなぁ……!」

ケレアは誰よりも悪魔族を憎み、嫌っていた。妹のサクを悪魔族に殺されたから。だからケレアは悪魔族を皆殺しにし、人族を解放しようとしたんだ。

それなのに。

今彼は悪魔族として、その手を人族の血に染めてしまっていた。

「悪かった、傍にいれなくて。助けてあげられなくて。今回も、あの時も……!」

俺の過ちに気付いたのは、セラがアイ達と再び家族に戻れた時だった。それぞれがそれぞれを支え合える関係に、セラ達はなった。

その姿を見て気付かされた。サクを失った時、俺はケレアを傍で支えただろうか。違う。俺もただ悲しみに沈んだだけだ。ケレアの悲しみが俺と同じように勝手に扱って。そんな訳もないのに。ただ沈んでばかりで支えてやろうともしなかった。

その間に、ケレアは一人で立ち上がったのだ。悲しみを憎しみに変えて。俺が寄り添ってあげられていれば、その悲しみは別の形になっていたのかもしれないのに。

だから、もう間違えない。

「今度こそ絶対助けてやる。お前の傍で支えてやるからな! だから――」

その時だった。

 

「……悪魔族になって初めて、お前の気持ちが分かった気ぃするよ」

 

震えた声が聞こえてきた。その声が本当に嬉しくて。

涙が込み上げてくるが、構わず視線を向ける。

その先で、ケレアは泣きながら笑っていた。

「悪魔族になった俺を、人族を殺してしまった俺を受け入れてくれる奴はいない。普通ならな。でも、こうやって馬鹿みたいに体張って支えて、受け入れてくれるお前がいる。それだけで救われた気分になるんだな。種族を超えて繋がるってこういう事か」

漏れそうになる嗚咽を押さえ、こちらも笑ってやる。

「悪くないだろ?」

「……ああ、悪くない。相手にその気があるならな」

「天使族の例を忘れたのか?」

「世論には疎いもんで」

二人で微笑み合う。

決別してから半年以上。漸く笑い合うことが出来た。嬉しさで涙が止まらない。

声は確かに届いていた。

「正気に戻んのが遅ぇんだよ、馬鹿ケレア……!」

「お前の声が小さいんだよ、馬鹿ゼノ……!」

再び強くケレアを抱きしめた。

もしかしたら死んでいるんじゃないかと思った。もう会えないのかと。

たとえ悪魔族になっていたとしても、こうしてまた一緒に生きていられるのが本当に嬉しい。

アキやメアに伝えたくて仕方がない。

やっと俺達は家族に戻れたんだと。

少しして、ケレアが暗い声で尋ねてくる。

「……悪いな、その傷。かなり深いだろ」

「気に、すんなよ」

痛みはまだ酷いが、魔法で止血はしたし、貫かれながらも既に治癒を始めている。

ただ、どうやらケレアは自由に体を動かせないらしい。

「今、俺の身体の所有権はあの悪魔にある。どうにか抵抗して今話せているが、いつまた操られるか分からない。ゆっくりしている暇はないぞ」

「分かった。さっさとアイツを倒して万々歳と行こうぜ」

言下、ゆっくりと後ろへ下がり、身体を貫く黒槍から抜け出す。普通に滅茶苦茶痛いが、我慢する。あとどれくらい動けるか分からないが、あっちにはエイラとフィグルがいるはずだ。三人なら大丈夫だ。

立ち止まっているケレアへと告げる。

「全部終わったら、改めて話そうな」

「今なら穏便に話を進められそうだ」

天使族と邂逅した俺だから、人族を大勢失ったケレアだからこそ、今話せることがあると思えた。

「行ってくる!」

「ああ」

 

そして、その瞬間は唐突に訪れる。

 

駆けだした矢先、眼前を何かが一瞬でよぎった。

直後に背後でゴリュっという音が聞こえる。

何だ、今のは。今の音は……。

振り向かずとも嫌な感覚がする。

よぎった何かの直線上には、ケレアがいた。

「ケレア、大丈………………………………は?」

振り向いた時には、全てが終わっていた。

ケレアが倒れている。血の海が顔の辺りから広がっていた。

その傍らには小さな小石が血をべっとりつけて落ちている。

何が、起きたんだよ。

頭が追い付かない。理解できない。理解したくない。

なのに、目の前のそれは事実として存在していた。

倒れているケレアのこみかみには小石程度の穴が開いていた。その穴は見事に貫通している。

ケレアは目を見開いていた。何が起きたのか分からないまま。

 

 

ケレアは絶命していた。

 

 

……。

何も考えられず、ただただケレアの死体を呆然と見つめる。

さっきまであんなやり取りしていたのに。漸く笑いあえて、家族に戻れたのに。俺の考えが少しでもケレアに伝わったばかりなのに。

何だ、これは。

ケレアの死体から魔力が溢れ、次の瞬間その魔力はどこかへ向かって消えていく。

何なんだ、これは。

ケレアの身体から翼や悪魔族としての何もかもが霧散して無くなる。

「ケ、ケレア……実は生きてるんだろ、なぁ?」

ゆっくりとケレアの下へと歩みを進める。

「冗談きついぜ? 時間が無いって言ったばかりだろ?」

何度も話しかける。

全て信じられない。あり得ない。あり得ていいはずがない。

眼前まで来て、改めて突き付けられた。

ケレアは死んでいた。あの一瞬で全てを無に帰された。

支えようと決意した直後に、失ってしまった。

嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

両膝をつき、両手で頭を抱える。

嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

壊れてしまった。世界が。壊れてしまった。俺が。

理想が黒く歪んでいく。

「…………ああ、そうか」

やっぱり、サクを失ったケレアの悲しみを俺は理解できていなかった。家族を失う苦痛を俺は知らなかった。あれ程までに悪魔族を憎むケレアの気持ちを、あの時の俺が分かってやることなんて出来なかったんだ。

でも、今なら分かる。

ゆっくりと立ち上がると、急に天候が悪くなり吹雪き出していた。

凍てつく寒さが、より感情を助長する。

明確に感じるこの感情。初めての感情。

そうか、ケレア。

 

 

「これが、殺意か」

 

 


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