カイ~魔法の使えない王子~

愛野進

文字の大きさ
上 下
135 / 296
3『過去の聖戦』

3 第四章第四十九話「儚い白」

しおりを挟む

ゼノ

「……着いたな」

王都ハートを飛び出してから三日後の朝、俺達は無事にコーネル島へ到着した。

正直かなり無茶をした。

魔法で上空を飛んでの移動(エイラは翼による)だったが、天使族や人族の都市には降りずコーネル島への最短直線コースをただただ急いで飛ばした。最北端なだけあってコーネル島は予想以上に遠い。だから途中は野営だったし、魔力もガッツリ持って行かれた。

それに冬であることも無茶に拍車をかけた。道中は寒いし野営も大変だし、何一つ良いことはなかったと言える。

そこまで急いだ理由は、当然フィグルへ追っ手が行っている可能性が高いから。そして、いち早く真実を知りたかったからだ。だから、誰が示し合わせたわけでもなく俺達は全速力で移動した。

その労もあってか、コーネル島にまだ追っ手は来ていないらしい。空から見渡してもコーネル島は穏やかな様子だ。海岸があって森があって、それらに囲まれるように一つの大きな都市がある。今はうっすらと雪が積もっているようで、天使族も人族も雪と共に過ごしていた。

「行きましょう」

エイラが漆黒の翼を消し、魔法での浮遊に変更する。真っ黒な翼は悪魔族の象徴だ。ただでさえ何度も隣島の悪魔族と衝突寸前まで陥っているのだから、エイラの翼を見れば騒ぎになる。それも考慮してこちらは地上からははっきりと姿かたちが確認できない遥か上空を飛んできたのだ。

何度も訪れたことがあるだけあって、俺はすぐに駐屯所の方へと進んでいく。その後ろをエイラがついてきた。

「……本当に天使族と人族が共存しているのね」

背中に乗っているシロが驚いたように声を上げる。

エイラとシロはコーネル島へ来るのが初めてだった。魔力が無く移動手段が限られているシロは王都ハート近辺の担当、エイラもまた当初は悪魔族であることが既に兵士達へ知られているため目立ったことはせずに王都からの指示が多く、段々受け入れられてからもその優秀さから王都ハートを中心として行動していた。だから、もっぱら遠出は俺かセラの担当だったのである。

「いずれ全ての都市の光景がこうなってくれたらいいな」

「そうね」

空から見下ろす街並みには、俺達の理想が映し出されている。人族と天使族が笑い合いながら手を取り合い生活している。本当はここに悪魔族の姿もあれば最高だ。

悪魔族との共存が非常に難題であることは分かっている。悪魔族が戦争の準備をしているという噂もあるし、ケレア達との衝突もあった。

それに気づいてなお諦められない自分がいる。

最近になって、漸く俺は一つの答えを得た。半年もかけて漸くケレアに対する俺の答えが出たのだ。今になってケレアへ会いに行きたかったのはそういう理由もある。

今の俺の答えを持ち寄ってまた話し合えたら、その時はきっと俺達の中で新たな一歩が進めるはずだ。

そして、その一歩は悪魔族との共存への一歩でもあるはずだ。

だから、俺はケレアに会いたい。

ケレアの場所をフィグルに聞かなければならない。もしかしたら三日も経ってフィグルも目を覚ましているかも。

駐屯所へと降り立つ。ここの駐屯所は悪魔族の存在もあって都市の端にあった。だが、意外と駐屯所近辺の方が活気がある。それは人族が天使族を支えている証拠なのだろう。自分たちの為に身体を張ってくれる天使族の為に、端でありながら人族が集まり様々な店を開くのだ。

流石に空中から登場すると視線が集まってくる。が、何度も訪れたことがある俺は人族の代表ということもあって殆ど顔見知りだ。

「おお、ゼノじゃないか!」

「また何か厄介事?」

皆が集まってくるが、どうにか手で制する。朝だというのに随分人数が多い。

「残念、今日は私用だ」

「そりゃ残念だな!」

「厄介事がなくて何が残念だい!」

「第一、ゼノが来るときは大半俺達が厄介事を起こしているんだがな!」

ゲラゲラと周囲が笑う。コーネル島は人族も天使族も本当に元気だ。上手く共存できている証だと思う。中には朝から飲酒している天使族もいるようだ。確かに酒場が近くにあるが、にしてもまだ朝だぞ。

「今日は美人に美少女を連れてきて……まさか妻子か!」

「私用って結婚報告か!?」

「酔っ払いの相手は後でするよ」

生憎そんな笑っている気分じゃない。

「お、酒場に来るか!」

「暇があればな」

手をひらひらしながら駐屯所へ足を向ける。駐屯所は都市の中でも大きく、兵士の訓練場や宿舎、その他様々な建物が立っており、それらを囲むように鉄柵が存在していた。

騒ぎで既に門番は俺達に気付いていたようだ。

「お待ちしていました。事情は聞き及んでいます」

こちらから何も言うこともなく、駐屯所への扉が開けられる。

「ありがとう」

そのまま中へと入ると、門番が教えてくれた。

「悪魔族ですが、皆さんのお知り合いということで牢から医療棟に移動させてあります。ある程度処置も施していますので」

「っ、ありがとうございます……!」

エイラの口から素直に感謝が漏れる。

これには驚いた。フィグルはまだ牢にいると思っていたのに。

「セラ様からそうするように指示があったのです」

「セラが……」

王都へ残してきたセラを思い浮かべる。本当にセラは気が利くし、周りにも目を配れる。

ここにいないのに、セラの温もりを感じた。

本当は一緒に来たがっていたと思う。何でと言われると難しいが、そう感じた。

……いや、俺が来て欲しかったのかもしれない。

医療棟が併設されている宿舎へ向かう。朝早いというのに訓練場では走りこんでいる天使族兵士の姿があった。そこに人族の姿はない。戦闘は天使族の役割なのだ。人族は元々魔力も少ないから当然といえば当然である。

宿舎は四階建てでその隣に同じように四階建ての医療棟があった。

医療棟の方の入り口から中に入り、案内役に事情を話して連れて行ってもらった。

……。

廊下を歩く音が響く。俺達の間に会話はあまりない。コーネル島へ来るまでの三日間も然程会話らしい会話はなかった。俺とエイラがそういう気分ではなかったこともある。シロだけが気を使ってたまに会話を振ってくれていた。

どうやらフィグルは三階にいるようで、三階で階段を抜け出す。

門番の話し方から察するに、フィグルは無事一命を取り留めたということなのだろうか。

緊張している内に、案内役が一つの部屋の前で立ち止まる。

「こちらになります」

遂に到着したようだ。

「ありがとう」

礼を言って案内役を下がらせる。

その間にもエイラは扉を開けて中へと入っていった。

「フィグル様!」

緊張の入り混じった声。それに続くように俺とシロも入室した。

室内はかなり質素で箪笥が一つとベッドが一つ。外が寒いせいか窓は閉められている。

フィグルはベッドに横たわっていた。頭や頬に包帯やらガーゼやら付けているが、最後に見た時と変わらない。綺麗な白髪に華奢な体。大きな瞳。その眼は伏せられているが、胸が上下しているように見える。

「呼吸をしているってことは……」

「とりあえずは生きているみたい、だな」

確認するようにエイラが淡い胸に耳をつけている。そして頷きながら微笑んだ。

「ええ、確かに生きているようですっ」

エイラが嬉しそうに声を弾ませる。安堵が表情に見えた。

「ふー、良かったな」

「はい、本当に良かった……」

愛しそうにエイラがフィグルを見つめる。エイラにとっては親友を失うか否かの大一番だったのだ。安堵も愛しさが込み上げてくるのも当然だろう。

ただ、フィグルは目を覚まさない。

エイラの入室時といい先程の嬉しそうな声といい、結構大声だったと思うのだが。熟睡しているだけなのか?

シロも同じことを思っていたらしい。

「とりあえずは一安心だけれど、なかなか起きないわね。エイラがあんなに煩かったのに」

「う、す、すみません……」

「いや、私は当然だと思うわ。私だって前回の戦いでゼノが無事一命を取り留めた時は居ても立っても居られなくて叫びまわったわ」

そ、そうだったのか……。かなり心配させたと改めて実感した。

「ただ不思議だなって。三日も経ってるわけで、外傷もある程度回復しているわけでしょ? 目を覚ましても……まぁゼノは一か月目を覚まさなかったけれど」

「俺の場合は、多分精神面だな」

「精神面?」

「あ、いや、何でもない」

わざわざ言わなくてもいいだろう。何となく俺は死んでもいいと思っていたから目が覚めなかったんだと思っている。そして、生きようとしたから目が覚めたんだと。

訝しげにシロが見てくるが、とりあえずは無視してフィグルを見つめる。

てことは、フィグルも精神面か?

そう思っていると、エイラが思考しながらといった様子で言った。

「……おそらく、自動回復魔法の弊害ではないでしょうか」

「自動回復魔法?」

全然聞いたことのない魔法だったが、エイラは頷いた。

「フィグル様は支援魔法のエキスパートで、回復魔法は特に得意としていました。自動回復魔法は、身体に致命傷を負った時に自動的に発動する魔法で、魔力が尽きるまで自動で回復するんです。フィグル様の身体にはその魔法の刻印が刻まれている……というのを本人から聞いたことがあります」

「そんな魔法が……」

どうやらフィグルは魔法の才に長けているらしい。恐らくその魔法も仕組みから何まで自分で構成したのだろう。

「つまり、フィグル様は魔力が尽きた状態だったはずですから、それを今睡眠と共に回復しているのかもしれません」

「じゃあ、お話を聞くのはまた今度になりそうね、ゼノ」

「まー、それはしょうがないな」

とりあえずはフィグルが生きていたことを喜ぶべきだと思う。早く聞きたいのは確かだが、こればっかりは急いでも仕方がない。フィグルが目を覚ますのを待とう。

それに、

「最悪、フィグルを追って来た奴を捕まえて吐かせるさ」

やりようはいくらでもある。

「てことは、フィグルが目を覚ますかソイツが憐れにも突っ込んでくるまで待機ってことね」

「そうだな」

そう答えながらも、少しは落ち込んでしまう。

待機する分だけ、ケレアへの道が閉ざされてしまう。仕方がないと割り切っても悔しいことは悔しい。

すると、

「私はここでフィグル様が目を覚ますのを待つことにします。二人は街を見てきてもいいですよ」

エイラがそう提案してきた。

気分転換、か。転換しようにも気分がなぁ。だからこそ転換しようということなのだろうが、乗り気では――。

だが、乗り気な奴が一人いた。

「そうね! ナイスアイディアだわ! ゼノ、デートしましょ!」

「えっ」

俺とエイラが声を出す。てか、提案したエイラが何で驚いているんだ。

「いや、デートて――」

「いいから、いいから!」

俺の返事もまたずにシロが俺の腕を掴む。

「それじゃ、フィグルが目を覚ましたら教えてね」

「ちょっと――」

エイラへとウィンクすると、シロはそのまま俺を引きずって病室を出た。エイラが何か言っていたがもう聞こえない。シロは力が強い。天使族や悪魔族の誰よりもだ。ゆえに抵抗しようにも勝てるわけがなかった。

「お、おい、シロ――」

「大事よ、気分転換って」

意外にも、その声音は喜びに満ちているわけではなくて。どちらかと言えば、俺を心配するようなものだった。

一瞬振り返ったシロの表情も、困ったように笑っていた気がする。

「悲しんでいると、全部が悲しく見えるでしょ? そしたら、この後に起きる出来事も全部悲しみに染まってしまうわ。それじゃ世界がどんよりしちゃうでしょ」

「あ……」

そう言えば、自分でセラに同じような話をした気がする。

前を向いて生きた方が世界は綺麗に見える。

綺麗な世界を自分で遠ざけていたみたいだ。

最近はセラといいシロといい、自分の言ったことを他人に思い出させられることが多い。

情けないな。ブレッブレじゃん、俺。

それでもこうして気付かせてくれる存在がいることが素敵なんだと思う。

そう、思うことにする。

医療棟を出る。朝日が燦燦と周囲を照らしていた。雪が陽光に照らされて周囲を更に光で彩る。

眩しそうにするシロへ、

「ありがとうな、シロ」

お礼を言うと、シロがニッと笑って返してきた。

「伊達に百年以上生きていないわよ」

そういえばそうだった。シロは身長が低いからつい年下に見てしまうが、実際は百年以上生きているんだった。

それでいて、俺を好きだと言ってくれている……。

忘れていたわけではないが、改めてそれを思うとずきりと胸が痛んだ。

でも俺は……。

「さ、じゃあデートに行きましょ!」

今度こそ嬉しそうにシロが門の方へ向かおうとする。その姿が余計に俺を悲しくさせた。

はっきりさせなければいけない。伝えなければいけない。

セインがどうとか関係なしに。

俺の気持ちを、シロに。

「シロ!」

「ん、なに?」

可愛らしくシロがターンする。黄色の長髪が朝日に眩く輝きながら宙を舞った。

これからデートに行こうとする相手に言う言葉ではないことは分かっている。

きっとこれは俺のエゴで、伝えたいと思っているだけ。もっと適切なタイミングあるのかもしれない。

でも、これ以上振り回すことは出来ない。

保留にしていた問いに答えなきゃ。

俺もシロも、前に進めない。

「恩を仇で返すようで悪いが、伝えたいことがある」

「……なにその最悪な始まり方は」

ふふふとシロが微笑む。

俺も本当にそう思う。

けれど、気のせいだろうか。シロは既に悲し気に笑っていた。まるでこれから告げられる内容を知っているかのように。

「いいわよ、伝えて」

その表情が心を突き刺す。俺を尻込みさせる。

でも、これからシロはもっと傷つく。俺よりもずっと深く傷つく。それが分かっていて俺は傷つける。本当は傷つけたくない。ずっとこのままでいたい。このままの距離感で……。

それが無理だと知っているから。人生は選択の連続だと知っているから。

だからせめて後悔しないように。しっかりシロに向き合いたい。

 

「俺は、セラが好きだ」

 

誠意なんて言葉で包んでいいのか分からない。それでも俺は伝えなきゃと思った。

想いを込めて、その言葉を口にした。彼女の眼を見て確かにそれを口にした。

「……うん」

シロの表情はやはり変わらなかった。最初から何を言われるのか分かっていたように。

でも、その瞳は段々と潤んでいく。それがとても心苦しい。でも俺はそれを選択したのだから、目を背けてはいけない。

「だから、シロの想いには答えてやれない」

「うん」

頷くシロの瞳からポロリと涙が零れ落ちる。それでもシロは悲しく笑ったままだった。

「……ごめん」

頭を下げて謝る。不思議とこちらも泣きそうな気分だった。でも、俺は泣かない。俺は泣いてはいけない。

沈黙が俺達の間を通り抜けていく。ただそれは本当に一瞬で、

「あーあ、遂に言われちゃったかー」

明る気にシロが告げた。

「シロ……」

彼女の声は震えている。それでも明るい声で彼女は……。

俺が顔を上げると同時に、彼女はクルリと背を向けた。

「分かっていたけれどね、ゼノがセラの事を好きなことは」

「……」

「いっつもゼノのこと見てた私からすれば、当たり前にね」

不思議と辺りは静かで風も吹いていない。代わりにシロの息遣いが動きの音が鮮明に聞こえてくる。

彼女は悲しさを語らず、涙が雪に落ちる音だけがやけに鮮明に悲しさを伝えてきた。

俺を悲しませないように強がる彼女の姿が、余計に俺を悲しくさせる。

「だから、いつ言うのかって待ってたのよ?」

再びシロがこちらへ振り向いたかと思うと、勢いよく抱きついてきた。

ギュッと強い力で抱きしめられる。相変わらずの馬鹿力だったが、今は不思議とすんなり受け入れられていた。痛いとも感じない。

痛いのは、心だけ。

涙混じりに、シロが告げる。

「伝えてくれて、ありがとう……!」

「っ」

思わず抱きしめたい衝動に駆られた。強く抱きしめて慰めたいと思った。

だけど、そうしてはいけない。俺だけはしてはいけない。

後ろに回そうとした手をゆっくりと下ろし、空を見上げる。

下からは小さな嗚咽が聞こえてくる。上からは白い雪がゆっくりと降り始めていた。

儚げな白が、この島全体に降り注いでいく。

 

きっとこれは、シロの涙なんだろうな。



強がる彼女の、我慢から生まれた涙の結晶。

泣いてはいけないと堪える俺の目尻に、雪が降りてきた。ゆっくりと水に変わって頬を伝っていく。

いや。

もしかしたらこの雪は、俺の涙でもあるのかもしれない。

 
しおりを挟む

処理中です...