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3『過去の聖戦』

3 第四章第四十八話「雪解け水」

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エイラ

フィグル様が、瀕死……?

ありえないとは思っても、どうしても心は深く沈んでいく。

信じたくない。でも、何も分からない私にとって今は言葉だけが全てだった。

身体が震えてくる。悪寒が全身を駆け抜けていく。寒い。気持ち悪く寒い。

季節が冬だからだろうか。夏だったらこんなことにはなっていないのだろうか。

無関係の季節にまで責任を転嫁してしまう。

それ程までに今は心の拠り所を必要としていた。

心の拠り所……。

ふとゼノへと視線を向ける。

ゼノもまた青ざめていた。呆然自失といった様子でその場に立ち尽くしている。

そこで気付いた。

フィグルの事で頭が一杯だったけれど、フィグルが瀕死ということはケレア達に何かがあった証明なのかもしれない。

漸くゼノが会いに行く所だったのに。こんな形で居場所を特定したかったわけじゃない。

私とゼノの並々ならぬ様子に兵士が困惑していた。そのまま困ったようにセラへ視線を向ける。

セラはただ黙って目を閉じていた。何かを考えるように、ぎゅっと両の拳を握っていた。

私は……フィグルの元へ行きたい。フィグルに会いたい。会って無事だと確認したい。無事だと信じたい。

あのフィグルだ、無事に決まっている。そうは思うけれど心配だから、会って安心したい。

ゼノもフィグルに会いたいだろう。会ってケレアのことを確かめたいはずだ。

ゼノは元々この場を離れる予定だったから良いが、私も離れてしまっていいだろうか。

ただでさえ今世界は変わりつつある。人族と天使族を繋ぐゼノが居なくなるなら、私達でどうにか繋がりを保たなければならなかった。ゼノのいない間、私達でその空白を埋めなければならなかった。

私達ですら実際にどうなるか分からない。それ程までにゼノの存在は強く、私達で補えるかどうか。

それなのに私まで抜けていいだろうか。悪魔族だけれど、魔力や翼を抑え込めば外見は人族と変わらない。私にだって十二分に活躍できる時は来るだろう。人族と天使族のパイプ役にだってなれるはずだ。

そんな私が、本当に抜け出して――。

その時、

「エイラ、ゼノと一緒に行ってください」

セラが私へとそう告げた。微笑みながら、真っすぐに私を見つめている。既に覚悟は決まっている表情だ。

セラの言葉を受けて、シロもやれやれとため息をついた。

「仕方ないわね、こっちは私とセラで――」

「いいえ、シロもゼノ達と一緒にお願いします」

「えっ」

私達はセラを見つめた。私達三人がこの場を離れてしまえば、状況を改善するどころか維持するのも難しいはずなのに。天使族を受け入れている人族の存在はそれ程までに重要だというのに。

難なくセラはそう言ってのけた。

いや、決して難なくではない。

セラは拳をまだギュッと握り続けていた。それは何かを我慢しているようで。

あっ。

分かった。

「フィグルさんの事はゼノとエイラにしか分かりません。私は直接会ったわけではありませんから。ゼノはケレアさん達のお話を聞きに。エイラは大切な友人の安否を確認に。気にせず行ってきてください」

「私は? 私はここに残ったって――」

「フィグルさんは四魔将でしょう? そんな彼女が瀕死の状態ということはかなりの強敵と戦闘があったと見て間違いないです。それも何かから逃げるようにということは、未だに追って来ている可能性があります。行った先で戦闘に発展するかもしれません。エイラも居るとはいえ、今ここで万が一にもゼノを失うわけにはいかないのです。だからシロはゼノを、エイラを支えてあげてください」

セラが優しく微笑む。

でもその微笑みは、何となく強がりだと思った。

セラは我慢している。本当は私達と一緒に向かいたいんだと思う。

セラの言う通り、今回の件は戦闘を避けられないかもしれない。あのフィグルがやられたということは、相手は相当の手練れということだ。

場合によってはフィグルの裏切りがバレているかもしれない。

フィグルの裏切りに一番激昂する可能性があるのは……フィグルの夫でもある魔王ベグリフ、或いは最後の四魔将グリゼンド。フィグルを凌駕する相手といえばそれぐらいだ。彼等が出張って来ているとすれば生半可な結果では済まないだろう。

それを分かっているから、セラはシロを一緒に行かせるのだ。シロのセインが必要になる時がきっと来ると信じて。

それに、一番セラが一緒に行きたがっている理由はゼノの心ではないだろうか。

フィグルが瀕死の時点で最悪の未来は既に視えつつある。その未来が実際に訪れた時、セラはゼノの心を傍で支えたいのだろう。ゼノの心が壊れないように、傍で守ってあげたいのだろう。

セラはそういった感情を全て押さえつけて、私達へ笑みを向けているのだ。

「安心してください、こちらにはシノお姉様にエクセロお姉様、シェーンにアグレシア。それにお母様もいます。アキさんだって協力してくれますし、最近は人族の方も少しずつ友好的になってきています。何とかなります……いえ、何とかします!」

だから、とセラは言葉を紡ぐ。私達を心配させまいととびっきりの笑顔を浮かべながら。

 

「絶対、諦めないでくださいね」

 

一緒に行けない代わりに、安心と勇気が私達へと与えられる。

本当に、凄い方ですね。

ゼノの暗かった表情が和らいでいた。

「そう、だな。セラに諦めるなって言ったのは俺だもんな」

「はい、諦めなかったお陰で今があるんです。それに『俺も絶対諦めない!』とも言ってましたよ」

「そうだったな……」

ゼノとセラが何かを懐かしむように微笑み合う。

そのやり取りを私は知らない。シロも知らない様子だった。

それでも分かるのは……。

「セラ、ありがとな」

「いいえ。頑張ってきてください」

「ああ。こっち、任せた」

「はい」

お互いを強く想い合っていること。

一番に信頼し、何よりも大切に思っていることが強く伝わってきた。

「よし、エイラ、シロ。今すぐ出発するぞ。万が一追っ手が先に着いてたら大問題だ」

「……分かりました」

ゼノが扉から出ていく。その後を私とシロは追った。

シロと一瞬視線を交わす。

やっぱり、ゼノの答えは決まっている。私とシロはそれに気づいていた。

……。

バチンと勢いよく頬を叩く。隣のシロが驚いていた。

今は私の色恋などどうでもいい。

ただフィグルさえ無事でいてくれたらそれでいい。

大丈夫だ。だって彼女は回復など支援魔法のエキスパートなのだから。

今行きます、フィグル様。

たった一人の私の親友。

 

※※※※※

 

 セラ

ゼノ達が居なくなったのを見て、ふぅと息を漏らしながら椅子に座る。

「だ、大丈夫ですか!?」

まだ部屋に残っていた兵士が駆け寄ってきた。どうやら疲れているように見えているらしい。

「はい、大丈夫です。もしよろしければ、お姉様方を呼んできていただけますか」

「はっ、かしこまりました!」

すぐに兵士が部屋を出ていく。探してばっかりであの兵士も大変だ。

ふぅと再び息を吐く。

実際、疲れた。

無理はするものじゃありませんね。

自分の感情を我慢することがここまで難しいなんて。この約半年の間、よくゼノはケレア達の事を言い出さずに我慢していたものだ。

素直に尊敬する。

バレていたでしょうか……。

折角我慢していたのに、気付かれていたとしたら少し恥ずかしい。

いや、でも伝わっていたような気がする。私がゼノ達と一緒に行きたがっていたことも、それを我慢して覚悟を決めたことも。

これから大変になりますね……。

ゼノもエイラもシロもいない。三人が今までどれだけ貢献してくれたか。

それでも、私はこれが最善だったと思っている。

これで良かった。後は私が頑張るだけだ。

そう思っていると、コンコンとノックが聞こえてきた。

「あ、はい……」

声を出して存在を伝える。自分でも驚くくらい弱弱しい声だった。

どうにか伝わったようで、扉が開く。

扉を開けて出てきたのは、アイだった。

「お母様!」

「お疲れのようね、セラ」

アイの登場に嬉しさが込み上げてくる。

アイと会うのも随分久しぶりだった。二人共あっちこっちに引っ張りだこだったこともあるが、

「メアとの仲はどうですか!」

アイが空いた時間はメアの元へ通っているからである。

アイは優しく微笑んだ。

「そうね、悪くないわ」

結果として、アイはメアと暮らさなかった。理由の一つとして世界が変わりつつある中、王位を譲ったとはいえアイにも山ほどの役目があったということ。

そして、アイ自身が一緒に暮らさないと決めたからだ。

メアの事については、アイとアキの間で何度か話し合いが設けられたらしい。その中で、アキから一緒に暮らさないかと言ったそうだ。アキからの歩み寄り、それがどれ程アイにとって嬉しかったか分からない。

それでも、アイは首を横に振った。

「私は、イトの母親。メアとして生きてきた彼女にとって私はただの他人でしかないのよ」

記憶のないメアは、アイが実の母親であることを知らない。アイが教えないと決めた。

メアにはメアのまま生きてほしい。彼女はそう願った。

代わりに、アイは空いた時間にメアと会えることとなった。アイは何度も何度もメアの元へと足を運んでいく。

元々懐っこいメアは、自分からアイへと関わっていく。今ではアイが来ることを楽しみに待っているんだそうな。

決して親子という関係には戻っていないけれど、二人は十分に幸せそうだった。

でも、いつか。いつか全てを打ち明けてなお明るく笑える日が来るといいなと思わずにはいられない。

ゆっくりとアイが私の元へ歩いてくる。

そういえば空いた時間はいつもメアの元へ行くのだから、ここに寄るのは珍しい。

「今日はどうしたんですか?」

「あら、娘の顔を見に来るのは変なことかしら?」

「―――っ!」

アイの口から娘と言われることにまだ慣れていない自分がいる。

慣れないくらい嬉しさが弾けてしまう。

ちゃんと娘になれて半年以上。でも、我慢していたのは数十年の話だ。

我慢していた分が一気に溢れ出してしまって仕方がない。

 

すると、突然アイが私を抱きしめてきた。

 

「えっ」

突然の事に動きが固まってしまう。アイの豊満な胸に顔が埋められる。甘く優しい香りが鼻腔をくすぐり、温かなアイの体温が伝わってきていた。

お、お母様、一体なにを……。

「無理、しなくてもいいのよ」

「っ」

アイの言葉にドクンと鼓動が跳ねる。

アイは優しく私の背中に手を回し、ポンポンと優しく触れてくれていた。

「も、もしかして聞いていたんですか……?」

私達のやり取りを。

アイが優しい声音で言葉を紡いでいく。

「ええ、凄い勢いで兵士が駆け込んでいくものだから。全部聞かせてもらったわ」

「そ、そうだったんですか……」

聞かれていたとは思わず、困惑してしまう。

その上でアイは言うのだ。

無理しなくてもいいのだと。

全て、アイにはお見通しなのだろう。

「よく、頑張ったわね」

「……」

途端に、目頭が熱くなってきた。

アイが、全てわかっていてくれたことが嬉しくて。

「母親にくらい、無理せず甘えなさい」

こうして抱きしめに来てくれたことが嬉しくて。

気付けば私もアイの背へと手を回していた。アイの服をギュッと掴んでしまう。

「お、母様ぁ……!」

「初めてあなたに母親らしいことが出来たわね」

母親の温もりに包まれながら、私は泣いた。

我慢していたものを解き放つように、アイに抱きしめられながら泣き続けた。

不思議と涙が全然止まらない。

多分それは、アイがずっと抱きしめてくれていたからだろう。

解かれた心は雪解け水のように綺麗に澄んでいった。

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