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3『過去の聖戦』
3 第三章第四十五話「幸せ、笑顔、愛」
しおりを挟むゼノ
セラは語った。
家族との大切な想い出を。忘れることの出来ない想い出を。
その想い出は俺のものではないというのに。
どうしてか俺の心に強く残った。
きっと、これもまた俺にとっての想い出になるのだろう。
セラが幸せそうに家族の事を語ってくれた。
それはセラが必死に手に入れようとしたものの結晶で、俺が見たかった光景だった。
セラが続ける。
「なので、今天使族の女王はシノお姉様です」
「そうか……」
シノは嬉しかっただろう。
家族として認められるだけじゃない。血筋を乗り越えて女王となった。
セラが、エクセロやアイが女王にシノを選ぶことは、言葉以上に血筋なんて関係ないという確固たる証明に他ならない。
女王という立場が、シノにとって確かな絆なのだ。
「お母様の助力のもと、シノお姉様は頑張っていますよ。もちろん私やエクセロお姉様も手伝っていますが、なかなか大変です。お母様はよく一人でやっていたと思わされてばかりです」
アイは本当に優秀だったんだろう。優秀だったからこそ一人で抱え込んでしまった。
俺はシノも優秀だと思う。でも、大丈夫だろう。
前の女王も今の女王も、もう一人じゃない。
「それで、これから話すことはかなりゼノを驚かしてしまうと思うのですが……」
セラがそんな前置きを入れてくる。
何だろう。あのセラがそういうのだから、言葉通りかなりの内容に違いない。
ごくりと唾を飲み込み、緊張しながらセラを見つめる。
セラは一呼吸置いた後、確かな口調で告げた。
「天使族は、人族を解放することに決めました」
「……え?」
ガツンと頭を殴られたようで、いまいち脳機能が働いてくれない。
誰が何を決めたって……?
言葉自体は聞こえてきているのに、意味が良く分からない。
セラへ困惑の視線をぶつける。
セラは、優しく笑っていた。
その笑みを見た瞬間、言葉に意味が生まれてきた。
天使族が人族を解放……。
「マジ、でか……?」
意味が理解できてもまだ信じられなくてセラへと尋ねる。
セラはしっかり頷いた。
「今はまだ計画段階で、いくつかの都市を人族へ解放することや、物資の問題、天使族を刺激することなく納得させる方法など、いろいろなことを決めたり片付けたりしている途中です。こちらが解放しても人族の方との溝が埋まるわけではありませんから、慎重を期さならければなりませんので」
十分驚きの内容だった。たぶんセラが思っている比じゃないくらい驚いていると自分でも思う。
それはつまり、この世界の約半分の人族は奴隷から解放されるということだった。
誰もが平等に暮らせる世界。俺の、俺たちの理想。その理想はぼやけていた輪郭を唐突にはっきりと明確に現し始めた。
セラの言う通り人族と天使族の溝が完全に埋まったわけではないけれど。
これから確実に少しずつ埋まっていく。世界は進んでいる。
唖然とする俺を他所にセラが語っていく。
「提案をしたのは私ではなくて、シノお姉様なんです。シノお姉様は言っていました。
『人族だって必死に今を生きようとしている。奴隷なんて立場でも足を前に動かしている。それはとても綺麗で、儚くて、この世界の誰もが昔から輝かせている命の光。私は、この光の輝きを失わせたくない。それが新女王である私の願いでもあり決意よ』って」
「シノが……」
シノは垣根を越えられることを知った。目の前に立ちはだかる巨大な壁だって乗り越えられることを知った。そして、誰もが乗り越えようとしていることに気付いたんだと思う。
シノだからこそ、それがどれだけ素敵で美しいことか分かるのだと思う。ずっともがいていた彼女だから。
「この提案にはエクセロお姉様も、そしてお母様も賛同したんですよ」
これまた驚きだった。
人族を解放するということは、人族を土台とした今の暮らしを手放すということだ。
決して利益のある話ではない。
それを頭が良さそうなエクセロが分かっていないとは思えない。
でも、エクセロは自分の足で進んでいくことを決めたとセラは言っていた。なら、この解答はエクセロ自身の意思だと言える。
もしかしたら、エクセロは自分と人族を重ねているのかもしれない。前までシノに縋っていたエクセロと、天使族の言いなりになっている人族を。
主体性のない彼らに、変わるきっかけを与えてくれようとしているのかもしれない。
変わった彼女だから、見過ごせないのかもしれない。
そう考えると、やっぱりシノとエクセロは姉妹なんだなと思った。血は繋がっていなくたって、繋がることは出来るんだ。
ただ、アイはもっと意外だった。
アイは元女王だ。彼女こそがこれまで人族を奴隷としていた元凶と言うことだって出来るはずだ。
それなのに、どうして……。
俺の疑問に気付いたのか、セラが答える。
「似ていたんですって」
「え?」
「お母様が好きだった方と、ゼノが。多分それが理由だと思います」
アイが好きだった相手というと、メアの父親か。
でも、どこが似ているというのだろう。
「その方と出会ったのは暴漢が襲ってきた時だそうです。その方はボロボロになりながら必死にお母様を守ってくれたと、お母様は嬉しそうに話してくれました」
そう言えば確かにアイはそう言っていたが。
「ボロボロになりながら私達を守ろうとしてくれたゼノが重なって見えたんだそうです。お母様は寂しそうに笑っていました。お母様がその方に恋をした理由も、その気持ちも今まで忘れていたと。聖堂で毎日のように祈り想っていたはずだったのに、心を繋ぐことが出来ていなかったと」
祈りと業。けれど、いつの間にかアイは業をより強く感じてしまっていたのだろう。
「ゼノのお陰で思い出したんですよ。祈り方を。そして、人族も天使族も何も変わらないって気付いたんです」
そのままセラが俺へと頭を下げた。
「お母様からの伝言です。『思い出させてくれて、気付かせてくれてありがとう』」
別に俺がアイに何かをしたわけじゃないし、実感はない。
それに、
「セラが頭を下げてどうする」
伝言なんだから、言葉だけでいいのに。
苦笑して返すと、それでもセラは頭を上げなかった。
「いいえ、これはお母様の感謝だけではありません。私の感謝も込めているのです」
「セラ……?」
頭を下げていてセラの表情は見えない。けれど、セラは声を震わせていた。
何かを思い出しているのか、少しの間が出来る。
が、鼻を啜ったかと思うと、セラは話し始めた。
「ゼノは本当に凄いです。お母様だけじゃない、シノお姉様やエクセロお姉様だって、ゼノと関わったから変わることが出来たんだと思います。そして、ゼノがいたから私は家族と繋がれた、救われた。私達家族を救ってくれたのはゼノなんです。もちろん、エイラやシロ、シェーンやアグレシアのお陰でもあります。でも、やっぱり私はゼノがいなきゃこんな素敵な結末にはならなかったと思います」
セラが顔を上げる。瞳から滴が零れていた。頬を伝い、顎から滴り落ちていく。スーツを優しく濡らした。
「ゼノがいたから私は今こんなに幸せなんです。ゼノがいなきゃ私は幸せになれないんです」
不思議とセラから目が離せない。
涙の一滴一滴がまるで宝石のようにセラを彩っていく。窓から差し込む陽光がセラを温かく包み込み、涼しげな風がセラの髪を優しく靡かせる。
この空間に存在する全てがセラを綺麗に見せていた。
「やっぱり私はお母様の娘ですね。理由も気持ちも一緒みたいです」
陽光が眩くセラの顔を照らす。明るく照らされた彼女の表情が綺麗すぎて。
体が熱い。ただセラを見ているだけなのに、俺は今高揚している。
セラは微笑み、涙をしながら告げた。
「ゼノ、大好きです。何度も私を救ってくれたあなたのことが大好きです。何度も心を救ってくれたあなたのことが大好きです。ずっとあなたの傍に居たい。あなたとじゃなきゃ幸せになれません」
そしてセラは笑った。
「ゼノ、私はあなたを愛しています」
言葉が耳から離れない。笑顔が目から離れない。
言葉が想いを乗せて伝えてくる。笑顔が想いを乗せて伝えてくる。
優しくて温かい、何にも代えられない愛を。
セラの笑った顔は今まで何度だって見てきた。
何でだろう。今まで見てきたどの笑顔よりも。
今日の笑顔が好きだ。大好きだった。
綺麗とか、美しいとか。そういう言葉では言い表せない。
言葉では言い表せないような想いが、俺の心に芽生えていた。
あの時、王都に乗り込む前に俺は大輪を咲かせるとセラに誓った。セラの不安が拭えるように、笑ってもらえるようにって。
でも違う。きっと大輪は今咲いたんだ。
とっても巨大な大輪が、俺の心に咲いたんだ。
この大輪を俺は命懸けで守りたい。枯らせはしない。
セラへと手を伸ばし、親指でそっと涙を拭う。
ずっと笑顔でいてもらえるように。
ずっと傍にいてもらえるように。
俺は息をスッとゆっくり吸って、やがて口を開いた。
「俺――」
この答えが、どうかセラの心に届くように願って。
※※※
俺が目を覚ましてから数日後。
俺とセラは、アイと三人で空を飛んでいた。
言葉もなくただ淡々と前に進んでいく。空は晴天で、温かな日差しが全身に照り付けていた。
シノとエクセロはあまりの忙しさで出てこられなかった。本当はセラも難しかったのだが、二人がセラの分も受け持ってくれたのだった。
きっと二人がセラだけでも一緒に行かせたのは、これが俺達が頑張って手に入れた未来だからだろう。
長い間、沈黙のまま。別に気まずさはない。代わりにアイの緊張が伝わってきていた。
本当は声でもかけて紛らわしてやればいいのかもしれないが、むしろ今邪魔はしない方がいいと思った。
やがて、目的地が見えてくる。
「あれだよ、あれが俺たちの隠れ家だ」
山の麓に洞穴が見える。あそこが入口で、その奥に皆がいる。
メアがいる。
「……そう」
アイの声に元気がない。
怖いのだ。一度裏切った相手なのだから。
セラも心配そうにアイを見つめていた。
そうして入口の前に降り立った。洞穴の中は真っ暗で、魔法で辺りを照らす必要がある。
「《白雪》」
セラが手元に複数の光球を出現させ、通路に沿って配置させた。これで安心して進める。
「行こう」
「……ええ」
俺達からワンテンポ遅れて、アイは洞穴へと足を踏み出した。
この先にメアが待っている。
エイラとシロを寄越してアキにも既に事情を説明した。これまでにあったこと全てを。
今回の接触について快諾とはいかなかった。アキはメアの事が大好きだから。一度裏切ったアイをアキは快く思っていないだろう。
でも、大好きな気持ちが分かるから、会うことは認めてくれた。
これからのことは、アイとアキに任せて大丈夫だろうと思う。
メアの事が大好きな彼女等なら、メアが悲しむ結末は導き出さない。
俺もセラもそう信じている。
アイにもそう信じてほしい。
明るく照らされた通路を歩きながら、何気なく口に出す。
「……言ったかもしれないけど俺さ、初めてアイツにあった時結界で守られていたんだよ。その結界から伝わって来たんだ、愛情がさ」
絶対にこの子を守るという意思が、愛情が強く伝わってきた。
「ああ、こいつは愛情を目一杯注がれて育ったんだなって思ったよ。だから安直だけど、メアって名前にしたんだ。目一杯の愛情で、メア」
「そうだったんですね」
そう言えば、あまりこういう話はしてこなかった。変に照れ臭かったといのもあるけれど。
「メア……それが今のあの子の名前なのね」
アイがぼそりと呟く。メアという名前を噛みしめるかのようだった。
すると、
「イト」
アイが突然それを言葉にした。
セラが首を傾げる。
「イト……?」
「それが、私があの子につけた名前よ。彼……アカザとアイの娘だからイト。彼はもう死んでしまっていたけれど、私と彼の愛を結ぶ赤い糸でありますようにって」
アイが苦笑するように笑った。
「私も安直ね」
確かに安直かもしれないけど、
「いい名前だな」
素直にそう思う。
「メアもね」
「そりゃどうも」
名前には願いが、想いが込められている。誰だってそう。自分が自分であるための名前でいて、誰かの願いが込められているもの。
セラが微笑んだ。
「メアは幸せ者ですね。そんな素敵な名前を二つも授かっているんですから」
俺とアイは顔を合わせて、困ったように笑った。
「二つあっても呼び方に困るだけだよ」
「そうね」
だからこそ、誰もが名前を一つに決めるのだと思う。たくさんある候補、願いの中から唯一無二の名前を決めるのだ。たとえ名前が被っていたって、込められた願いは千差万別。どんな名前だって唯一無二なんだ。
しかし、実際のところどうすればいいのだろうか。二つあっても呼び方に困るだけ。
俺としてはイトで良いと思っている。母親のアイがつけた名前だ。仮で俺がつけた名前じゃダメだろう。
だが、
「メアが良いわ」
アイがそう答えていた。メアで良いのではない。メアが良いのだ。
驚いたようにアイを見る。
「本当にいいのか?」
しかし、アイはもう決めているようだった。しっかりと頷いている。
「多分、私はイトに縋っていたのよ。私と死んでしまった彼を結ぶ唯一のものだったから。私は彼を愛する為にイトに縋っていたにすぎない。縋り過ぎて、糸が切れちゃったのね。だから、いざという時にあの子を守れなかった」
アイに迷いなどもうなかった。覚悟と決意をその瞳に宿して、真っすぐ前だけを見ている。
もうすぐ通路を抜け、広間へと出る。
「だからこそ、もう間違わない。私と彼の子供であるあの子自身を愛せるように。目一杯愛せるように」
そして、通路を抜けた。大きな空間が目の前に広がる。
たくさんの人族がごった返していた。前に出た時とは違って、生活水準が上がっているように見える。
その中にエイラとシロの姿も見えた。
そして、アキとメアの姿も。
アキが俺達に気付いた。その視線がアイに注がれる。
まるで何かを試すかのようにずっと見続けていた。
じっと見つめ合った後、アキはしゃがんでメアに話しかけた。
すぐにメアが首を動かして辺りをきょろきょろする。そして俺達を見つめた。
メアの顔一杯に笑顔が広がる。母親から、俺達から沢山の愛情を注がれている彼女の笑顔。
その笑顔を見て、アイは俺達へ振り向かずに告げた。
「メア、本当にいい名前ね」
その声は震えていた。久しく会っていないのに、アイには自分の娘が分かっていた。
俺は思う。
メアは、イトはアイとアカザを繋ぐ存在だと彼女は言っていた。
でも、それは決して一方的な関係ではない。繋いでいる者は一方で誰かに繋がれている。
それは相互に作用するものだ。
だから、長い年月を経てアイとメアが出会えた奇跡を、この二人を繋いでいるのはアカザだと、俺は思う。
死してなお、その存在は二人を繋ぐ赤い糸になっているのだ。
やがて、アイはメアへと一歩足を踏み出した。真っすぐにメアを目指してゆっくりと進んでいく。
その後ろ姿にもう心配はいらない。
「……もう、祈る時に業を思い出す必要なさそうだな」
俺の隣でセラが頷く。自分の事のように、彼女は目尻に涙を溜めていた。
「きっと、素敵な報告ばっかりになりますよ」
「ああ」
微笑みながら二人でアイを見つめる。きっとアカザも今微笑んでいるだろう。
たとえ死んでいても繋がりは消えない。離れていても、忘れていても繋がりは消えない。
皆が見えない何かで繋がり合って、どこかで見えない手を取り合って生きているのがこの世界だ。
記憶もないはずなのに、メアが勢いよくアイへと抱きついていた。
幸せが、笑顔が、誰かを想う愛がこの世界に広がっていけばいいなと強く思う。
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