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3『過去の聖戦』
3 第三章第三十六話「彼女の半生」
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セラ
ゼノはどれだけ私を救ってくれるのだろうか。
「ゼノ……!」
涙が止まらない。お陰で顔がくしゃくしゃになってしまう。
ゼノが来なければきっと何もかもが終わっていた。
絶対に諦めないと言っておいて、諦めようとしていた。心を閉ざそうとしていた。
自分に絶望して。アイに絶望して。
こんな自分なら、こんな母なら家族じゃなくていいと思ってしまった。
でも、ゼノは来てくれた。
まだ終わりじゃないと希望を、光を連れて現れてくれたのだ。
ゼノが歩き、私へ近づいてくる。そのまま目の前で跪き私の頭を優しく撫でた。
温もりが私の涙に拍車をかけてくる。
泣きじゃくる私へ、優しくゼノが語る。
「火傷、痛むだろ。今はほんの応急処置で許してくれ」
言下、手首足首へ走っていた激痛が和らいだ。彼が魔法で癒してくれている。
「シェーンとアグレシアだけど、今からエイラ達がここに来るから大丈夫だ。絶対治してくれるよ。悪いけど俺はもう行かなきゃ」
言葉通りゼノが立ち上がる。そのまま上を見上げた。離れてしまった彼の手がひどく名残惜しい。
彼はアイの吹き飛んでいった方向をじっと見つめた。
そして、呟いた。
「ごめんな」
「……え?」
何に謝っているのか分からなかった。こちらは助けてもらったというのに。
見上げたままゼノが続けていく。
「折角の母さんとの時間を邪魔して。でも、俺も少し話すことが出来たんだ」
ゼノがお母様に話したいこと……?
何だろう。分からない、分からないけれど。
「だから、お前の母さん少し借りるな。ちゃんと返すから。話すこと考えておけよ?」
この状況を見ながらもゼノはまだ諦めていなかった。
私とアイが家族に戻れると信じていた。
それが強く伝わってくる。
「それじゃ、行ってくる」
そして、ゼノは床を蹴って上へと飛んだ。アイと斬撃が開けた穴からそのまま外へと消えていく。
その後ろ姿が消えるまでじっと見つめた。
ゼノが諦めていなかった。それがとても心を奮わせた。
誰かがまだ信じてくれている。
なら、私は……。
その時、会の間にある大きな扉の向こうから話し声が聞こえた。
慌ててそちらへ視線を向ける。もしかしたら兵士が現れたのかと思った。
だけどそれは違くて。
そう言えばゼノがエイラ達が来ると言っていたからエイラとシロかとも思っていたが、結果は想像を遥かに超えるものだった。
「ゼノは?」
「もう行ってしまったみたいですね」
「あとほんの少しだったじゃない。人族は階段をまともに使えないのかしら」
「これ以上あまり城を破壊してほしくないのですけれど」
「ゼノは本当に落ち着きがないわね」
「シロも似たところあると思いますが」
「それは……照れるわね!」
「……馬鹿なところもそっくりでした」
「人族って皆こうなの?」
「二人が特殊なだけですよ」
「こんな者達にこれだけ攻められたと思うと何か屈辱的ですわね……」
言葉と共に開けられた扉の先に、エイラとシロ、そしてシノとエクセロの姿があった。
その姿に驚かずにはいられなかった。
なぜお姉様方と二人が……。だって敵同士なはずじゃ……。
天使と悪魔と人が並んで立っている。それも私ではなくてシノとエクセロがそこにいる。
あまりに有り得ない光景に頭が追い付かない。
呆然とする私の前で、四人が即座に状況を理解していた。
すぐさまシェーンとアグレシアの元へ駆け出す。
「エクセロ様、急いで二人を助けましょう」
「分かりましたわ。もう私達は一蓮托生ですからね」
「シロも来てください。剣を抜く手伝いをお願いします」
「分かったわ!」
私の横を三人が通過していく。
その時にエイラと視線があった。優しく、でも強く頷いていた。
エクセロもチラッと視線をこちらへ向けていたが、目が合った途端プイっと逸らされた。気のせいだろうか、どこか少し照れているというか恥ずかしがっているような素振りだった。
三人がシェーンとアグレシアの元へ行くなか、シノがゆっくりと私の元へ辿り着いた。
見上げると、シノが穏やかな表情のまま膝をつき視線を合わせてくれた。
そのまま目元に溜まっている涙を拭ってくれた。
「痛々しいわね、その火傷。後でエクセロにでも治してもらいなさい。生憎私にはそんな力ないもの」
「お姉様、どうして……」
私とシノは一度本気で戦った。シノは私を殺す気で槍を振るっていた。
それなのに、この状況は一体……。
その疑問が顔に出ていたのか、シノが苦笑する。
「私に優しくされるの、変な感じでしょ。私、いつもあなたに厳しかったものね」
本当に変な感じだった。それに、先ほどシノは自分に力はないと言っていた。そんなことを言う人だっただろうか。
「でも、私は別にあなたが嫌いだったわけじゃないわ」
「え?」
ずっとシノは私のことを嫌っていると思っていた。何をしても高圧的で批判的で何も認めてくれなかった。アイと共に私を突き放していた。きっと私のことなんて家族だと思っていなかったんだと思っていた。
でも、シノはそんなことないと言う。
「むしろ、嫌いなのは私自身よ。私はあなたが羨ましかったのよ?」
「私が、羨ましい?」
シノが頷く。
「だって、母様に逆らうことが出来るんだもの。私は逆らえなかった。逆らったら全てが終わりだったから」
全てが、終わり……?
先程から分からないことや信じられないことばかり。
でも、シノの表情がそれを本当だと告げていた。
「ま、今はこうして逆らっちゃったんだけどね。こうなったら行くとこまで行くわ」
寂しそうにシノが笑う。
それが本当に寂しそうで。今にも涙が溢れそうな雰囲気だった。
でも同時に吹っ切れたようにも見えて。
「エクセロは私を受け入れてくれた。血が繋がっていなくても家族だって言ってくれたから、私はもう一人じゃない」
「血が……繋がってない!?」
もう何に驚いていいのか分からない。情報が多すぎる。
エクセロと血が繋がっていないということは、つまりアイとも私とも繋がっていないということで……?
本当にどういう状況なのだろうか。
もう限界だった。
「お姉様、何があったというのですか? お姉様はこれまで一体何を抱えていたのですか?」
アイのことでいっぱいいっぱいだった。でも、家族は決してアイだけではない。
私はシノとエクセロのこともよく知らない。知ろうとしてこなかったかもしれない。二人の仲が羨ましかったけれど、私にはシェーンがいてくれたから。それでいいとも思っていた。
でも、やっぱりいい訳がなかった。
私が沢山思うことがあったように、当然シノにもそれがあったということだ。
シノが頷く。
「ええ、話すわ。私の生い立ちと、母様のことを」
そして、語られた内容は驚愕の内容だった。
ゼノ
アイを追って上を目指す。どうやら俺の放った斬撃は、そのまま聖堂まで向かったようだ。聖堂にざっくりと斬撃の跡がある。
手に持つセインからはたくさんの力が流れてくる。不思議と魔力の最大値も、治癒力も向上しているようだ。先ほどまでの疲れが嘘みたいに無くなっていた。
セラ……。
セラが絶望していた。顔を見ればわかる。全てを諦めようとしていたと思う。
負けるなよ、セラ。
あの状況を見るだけで、アイとは会話どころでなかったことが分かる。きっと沢山拒絶されたんだろう。実の親に拒絶される、その辛さは想像を絶するものだと思う。
それでも諦めてほしくない。絶望してほしくなかった。
シノが語ってくれた話を聞いて、俺は確かめたくなった。
多分、アイは優しい人だ。同時に悲しい人なんだ。
だとしたら、諦めることはない。絶対家族に戻れるはずなんだ。
今俺がそれを確かめる。
だから、その思いだけは、譲らないでほしい。
斬撃の跡から聖堂へ入る。セラの言う通り、聖堂の中は不思議と神秘的な雰囲気が立ち込めていた。差し込んでいる夕陽もだんだんとその明度を暗くしていく。聖堂の中もその分暗くなってきていた。
その暗がりに、祭壇の前にアイが立っていた。錫杖を二本だらりと構えて俺を見つめている。
正直すぐに反撃しに来るものだと思っていたが、律義にも待ってくれていたらしい。
虚無を見つめるような視線で、アイが尋ねる。
「あなたも、あの子の居場所を知っているのかしら」
唐突な問いだが、何となく分かる。何の話だとは聞かない。
どうやら憶測は正しかったようだ。
メアとアイは関係があったらしい。
「ああ、知っているぞ」
嘘を言う必要はない。確認したいことはメアに関係することなのだから。
直後、眼前にアイが現れた。そのまま錫杖が振り下ろされる。
「教えなさい、あの子はどこ!」
セインでそれを受け止め、弾いた。アイの力も強い。素の俺では勝てないだろうが、今はセインで強化されている俺の方が上だ。
焦ったようにアイがもう片方の錫杖を突き出す。それもまた弾いて、今度は掌底をアイの腹に放った。
「っ」
それは見事にアイを捉え、後ろへと吹き飛ばした。
どうやら今は正気を失っているようで、動きがどうもぎこちない。容易く捉えることが出来る。
錫杖を床に突き刺して勢いを殺される。まぁこちらとしても追撃するつもりは毛頭ない。
あくまでこちらは聞きたいことがあるのだ。
「教えてやってもいいけど、それはこっちの質問に答えてくれたらだな」
「……」
アイが睨んでくる。どうするか決めかねているようだ。素直に乗るかどうか。
だが、アイにとってこの話は本当に大事なようだ。
「いいわ、答えましょう」
まさかこうも簡単に乗ってくるとは。俺が誰かも分からないだろうに。
メアのことがそれほど大事ということか。
思った通りだ。
こちらも好都合だから、聞かせてもらおう。
「シノからあんたのこと色々聞いたよ。例えば国王の子として産んだ子が実は別の男の子供だったために国王を殺したとか。それでシノの一家を殺してシノを国王の子に見せかけて育てたとかさ」
顔色を窺いながら話してみるが、アイの顔色が変わる様子はない。別にどうということはない、ということか。
現に、
「それがどうしたというの」
とアイは言っていた。というか事実であることは認めるのか。
まあ、話はここからなんだけどな。
「いや、やけにシノの話の中ではあんたが悪者なんだ。まあ確かにそれだけ聞けば悪者に思える。悪女みたいだろ、別の男と不倫してたんで殺しますとか、バレないように他の家族から子供を攫いますとかさ」
「……」
「ただ、俺はそれだけとは思わない」
ピクッとアイの眉が一瞬動いた気がした。アイの心が一瞬表出したような感覚。
「俺なんだよ、あんたが探している黒髪少女を見つけたのは」
「っ」
やはりどこかアイが動揺しているように見える。先ほどまで全く揺れていなかった心が揺れ始めていた。
「アイツを見つけたときさ、凄い結界みたいのが貼ってあった。今思えば時魔法だったんだろうな、時を止めて周囲から隔絶されてたんだよ。まるで何からも守るように。あれ、かけたのあんただろ?」
あの魔法にはどこか温もりを感じた。メアを守るとする悲しいくらいの強さを感じた。
「……」
少しの沈黙の後、アイが口を開こうとするので慌てて遮った。
「いや、答えてほしいことはそこじゃない。それ答えられて次は私の番とか言われても困るからな」
苛立つようにアイが顔をしかめた。図星だったのか、普通に遮られたことに腹が立っているのか。
とにかく答えてほしいことは一つなんだ。
「俺はあんたの口からあんたの事を聞きたいんだ。何があってどうしてそうなったのか。なぜ国王を殺したのか、なぜほかの男と関係を持っていたのか、なぜシノを娘にしたのか、嘘偽りなくこれまでの事を全て。アイツが何故地中に埋まっていたのかもだ」
「……」
さらにアイが顔をしかめていく。どうやら意外にも嫌がっているようだ。
それもそうか、たぶんこれはアイのトラウマを抉ることになる。
それでも聞きたいんだ。
すると、アイが口を開く。
「それを聞いてあなたの何になるというの」
何になるか、か。
どうなんだろう。シノの話を聞いたときに漠然とアイに聞かなきゃと思っただけなのだが。
そうだな、強いて言うのなら。
「俺があんたを信じたい。セラの母さんであるあんたを信じたいんだ」
もしシノの語るままであれば、きっとセラとアイは家族に戻ることは出来ない。
もしシノの語るままであれば、俺はアイを許せない。これまでセラにひどい仕打ちをしてきたアイの事を。これ以上セラに会わせたくない。
でも、もしアイにも優しさがあって、全ての根底に何か譲れないものがあったのだとしたら。
俺はそれを知らなきゃいけないと思う。
すると、俺の答えにアイが笑った。
「馬鹿ね、どうせこの後私が何を言おうと、あの子の場所を言いさえすればあなたは私に殺されるのよ。そんな私を信じようというのかしら」
いきなり殺害宣言されたわけだが、まぁだろうなという感じだ。話に乗ってきた時からそれは分かっている。
分かっててこちらは話しているんだ。
「信じたい」
「……」
再びアイが顔をしかめる。
「俺は別にあんたの全てを信じようとしているわけじゃない。ただ、あんたにも譲れないものがあるんだと信じたい。これまでの全てに何か大事な理由があるのだと信じたいだけなんだ。あんたにも譲れないものがあって、俺がその譲れないものに納得しているのだとしたら、仮にあんたに殺されても仕方がない。尤も死ぬ気はないし、こちらにも譲れないものがあるけどな」
「……なら、あなたの譲れないものとは何かしら」
意外にも問うてくる。こちらに興味を示すとは思わなかった。
何か理由があるのだろうか。
でも、ならちゃんと答えなくてはいけないだろう。
「俺の譲れないものは……セラの幸せだ。だから俺はあんたを信じるんだ」
セラがちゃんと幸せになるためには、アイと家族に戻る必要があると思う。だから、アイを信じる。アイに譲れないものがあると信じる。アイに譲れないものがあれば家族に戻れる、そんな気がするから。
アイの譲れないものがあって、セラにも譲れないものがあって。でも、きっとそれはどこかで交わると思う。ぶつかるように見えて、どこかで同じ方向を向けるようになると思う。
だから、俺はアイに譲れないものがあると信じる。
やがて、閉口していたアイが小さく確かに呟いた。
「幸せ、ね」
その呟きはどこか寂しそうで悲しそうで自嘲気味だった。
「いいわ、教えてあげるわ。私に何があったのか。そして、知りなさい。結局誰かの幸せを願うなんて不可能だということを。最後は誰もが自分を優先するということをね」
真っすぐアイが見つめてくる。その瞳には絶望が映っているような気がして。
きっとそれは辛く悲しい話だと聞く前から分かる。
それでも聞かなきゃ前に進めない。覚悟を決める。
そして、アイは語り始めた。
※※※
それは、とある女性の話だ。
彼女は、元々王族などではなくある貴族の娘だった。容姿端麗で多くの貴族から求婚されていた。
けれども、彼女は一度もそれらの求婚を受けたことはない。
彼女には心に決めた相手がいた。
その男性は決して貴族ではなかった。でも、容姿は彼女に釣り合うほど整っていて、性格は誠実で正義感に強かった。
その正義感のお陰で、幼い頃に彼女と彼は出会った。
彼女は全てが良く出来すぎているがゆえに、周りには良く思わない者もいた。そんな者達が雇ったならず者に襲われたことがあったのだ。
そこへ訪れたのが彼だった。
彼は強かったわけではない。ただ彼女が襲われている様子を見過ごせなかった。本当は彼女自身の力で容易くならず者達を追い払うことが出来た。でも、全てを彼に任せた。
彼はボロボロになりながらも見事にならず者を追い払って見せた。幼いながらも大の大人に勝って見せた。どちらかと言えば、彼の執念にならず者達が観念したという言い方が正しい。
決して諦めることなく何度でも立ち上がる姿は、彼女の目に輝いて見えた。そして、彼女のほうへ振り向き、彼は笑った。
その笑顔が、彼女の恋の始まりだった。
身分が違うために上手く会うことが出来なくても、彼女は必死に何かしらの理由をつけて彼に会った。彼の方は鈍感で彼女の好意に気づくことはなかった。それでも必死に何度も彼女は彼に会いに行った。
そして、幾年も経て彼は彼女に告白をした。
当然、彼女は泣いて喜び受け入れた。
それから数十年間、天使増と悪魔族、人族の三つ巴の戦などがあったが、彼女と彼は変わることなくお互いを愛していた。彼女と彼は家を抜け出してはひっそりと共に時を過ごしていた。彼女の家が彼のことを許すわけもなく、逢瀬という形でしか彼女と彼は会えなかった。
それでも彼女にとっては十分で、彼にとっても十分だった。
一緒にいられるだけで十分だった。
が、更に数年後、事態は急転する。
彼女はとある相手に求婚された。
その相手がハート家の当主、つまり天使族における王だった。
王はとても気難しい性格で、これまで一度も女性と関係を持つことはなかった。正室は勿論側室も取ったことがなかった。
そんな王が、彼女を一目見ただけで求婚したのだ。
当然彼女は彼がいたから断ろうとした。だが、王がそれを許さなかった。断る場合は家族諸共命を捨てるものと覚悟せよ、王はそう告げた。
断るという選択肢は断ち切られた。元々求婚などではなかった。強制だったのだ。
彼女は泣きながら彼に話した。
彼は涙を流しながら笑った。自分は貴族でもないから彼女を幸せにすることは出来ない。王と結婚すれば、つまり彼女は女王となるのだから、その将来は保障されたも同然。彼女には幸せになってほしいと彼は語った。
彼女は駆け落ちしようと提案したが、彼は首を振った。
そして、彼は幸せになってと彼女にキスをした。
誠実だった彼は、これまで全てがキス止まりだった。
でもその日、彼女と彼は体を重ねた。
愛し合ったのは最初で最後だった。
それから半年後、彼女は王の隣にいた。そのお腹に新たな生命を宿して。
更に数か月後、遂に出産の時を迎えた。国中が新たな王族誕生に盛り上がっていた。
出産には王立ち合いのなか行われた。激しい痛みに耐え、彼女は遂に自身の子供を産んで見せた。
だが、その時室内に動揺が走る。
王の髪は銀、彼女の髪は金。
生まれた子の髪色は黒だった。
彼女と王からは生まれることのない色。
そして、彼の髪の色。
全てを彼女は理解した。
この子は彼女と彼の子なのだと。一度の交わりで出来た愛の結晶なのだと。
だから、彼女にとっては当然だった。
その子を殺そうとした王を逆に殺すのは。
騒ぎになる前に、室内にいた全ての者を殺した。
そのまま自力で処置をして、誰に気づかれることもなく外へ飛び出した。
彼に会いに行った。この子が二人の子だと知らせたかった。
もう王すら殺してしまった。この場にはいられない。
やはり彼女を幸せにできるのは彼しかいない、そう思った。
もう一度駆け落ちをしようと言うつもりだった。
彼は、既にこの世を去っていた。
彼女と仲のいい彼の存在を王は知っていた。彼女の表情から気づいてしまった。疎ましく思った。彼女からの愛を感じられないのは彼のせいだと。
だから殺した。
彼女は絶望した。全てが無駄に見えた。この世界が白黒に見えた。
その中でただ一つ、胸に抱いている子だけが鮮やかに色を放っていた。
彼女は決心した。世界はどうでもいい、この子を必ず幸せにすると。
その時、女王という立場を利用しようと決めた。この子のために何でもすると決めた。
彼女はそのまま数日行方をくらませた。国はパニックだった。国王が何者かに殺され、女王が行方をくらまし、子が生まれたかどうかも分からないのだから。
その数日間で、彼女はとある一家を惨殺した。
生まれたばかりの金髪の子のみを生かして。
そして、彼女は金髪の子を手に国民の前に姿を現した。
出産のタイミングを狙って何者かに襲われたと嘯いて。金髪の子を自分の産んだ子と偽って。
やがて彼女は天使族を統べる女王となった。
表向きの金髪の子を育てるとともに、裏で城内に彼との子を隠しながら。
彼との子を隠すために、そして彼のことを忘れないように彼女は聖堂を作った。
聖堂への立ち入りは禁じた。当然、魔法で外からの侵入を出来ないようにもした。
彼との子を閉じ込めていることに彼女は罪悪を感じていた。それでも今だけと自分に言い聞かせた。
いずれ彼との子を彼女は大々的に養子という形でハート家に引き入れるつもりだった。
ただ、子を産んだばかりで養子を取れば何らかの形で彼との子が怪しまれる。時間が立てばそれなりの言い訳もできる。もう少しの辛抱だと彼女は我慢した。
毎日彼への花束を添えながら、彼との子との時間を大切にした。
だが、彼との子が生まれてから五年、ある事件が起きてしまった。
彼女は女王として忙しい日々を送っていた。これまで国王が担っていた全てを受け継ぎ、国政から悪魔族や人族との関係まで。
それでも女王として仕事を全うした。全ては彼との子を引き入れるため。そろそろ頃合いだと思っていた。
そう思っていたのに。
その矢先の出来事だった。
突如侍女に呼ばれて向かった先に、彼との子がいた。
これまで隠していた子が、何故か大勢の兵士に囲まれていた。
五歳なんてまだ歩けるようになって話せるようになったくらい。そんな子が兵士に強く押さえつけられていた。
その様子が見ていられなくて思わずその兵士を殺そうとしたとき、その横に金髪の子が倒れているのが見えた。
その頭からは血が流れている。ぐったりと倒れて動かない。
それを彼との子がやったというのだ。金髪の子を押した挙句、机の角に頭をぶつけさせてしまったと。
聖堂にかけていた魔法は外からの侵入を拒むもの。彼との子は自らの意思で内側からその扉を開けて出てしまったのだ。
彼女はここ最近の多忙さからその子が歩けるようになったことを考慮し忘れていた。
周りの兵士から見れば、彼との子は城内への不法侵入及び王家の子、つまり王女に対しての暴行を加えて血を流させたことになる。
誰の子か分からないが、間違いなくその家族は裁かれるべきだ。兵士や侍女達が口々に処刑すべき、追放すべきだと言葉を放つ。
金髪の子は今は亡き前国王の子であり、大切に扱われていた。あの国王は気難しいが、国民に寄り添った国政ゆえに国民からの信頼は厚かったのである。ただ女性関係となると常軌を逸するだけで。
結局金髪の子の命に別状はないものの、許されることではない。
その時、彼との子が全員の前でママと彼女を呼んだ。無邪気な笑みで。
そこにいる全ての者の視線がまっすぐ彼女へと向けられた。
そこで彼女は最大の過ちを犯してしまった。
彼との子の言葉を、全員の目の前で否定してしまった。
全く知らない子であるかのように振る舞ってしまった。
思わず出てしまった言葉。彼女自身ひどく驚き、そして傷ついていた。
これまで、ずっと彼との子のために頑張ってきた。彼との子が全てだった。彼との子が譲れないはずだったのに。
その瞬間だけ、彼女は自分の保身に走ってしまった。女王という立場を守り、彼との子を見捨ててしまった。
一度言ってしまった言葉を引っ込めることは出来なかった。
養子の話など出来るはずもなく。
結果身寄りがないことが判明した彼との子は、追放されることとなってしまった。
それも悪魔領に。
彼との子を悪魔領に届ける役目、彼女はそれに買って出ることは出来なかった。
彼との子に会わせる顔がなかった。会えなかった。会うのが怖かった。
あの日から一度も会うことはなく、結局別の誰かが彼との子を悪魔領に届けた。
その日、彼女は人知れず泣いた。自ら手放してしまった彼との子のことを思って。あの時の決意を思って。
彼を思って。
ただ、彼女は最後に彼との子に魔法をかけていた。
それは時の魔法。時の流れを遅くして周りと隔絶する魔法。
追放されて悪魔領に置いて行かれた後、誰にも見えないように地中へ姿を隠させて。
いつか会えるようになって、迎えに行けるように。
今は長い眠りについてもらうことにして。
それから数十年が経ち、その間に子を二人産んだ。
けれど、いくら産んでも彼との子のことが忘れられない。産めば親として成長して、いずれ彼との子に会えると思った。でもそれは違った。
会いに行きたい、でも会えない。怖い。
あの場で否定した瞬間から、彼女は彼との子の親ではなくなってしまった。
どうやって会えばいいのか分からなかった。
そして、ある日彼女は直感した。
彼との子にかけていた時の魔法が効果を失ったと。
間に合わなかったと悟った。結局彼との子が埋まっている場所すらも分からず。
今頃彼との子は地中に生き埋めになっているだろう、或いは悪魔に掘り起こされたのかもしれない。
どちらにしても、もう長く生きることは出来ないだろう。
それから、聖堂に添えられる花束は二つに増えた。
ゼノはどれだけ私を救ってくれるのだろうか。
「ゼノ……!」
涙が止まらない。お陰で顔がくしゃくしゃになってしまう。
ゼノが来なければきっと何もかもが終わっていた。
絶対に諦めないと言っておいて、諦めようとしていた。心を閉ざそうとしていた。
自分に絶望して。アイに絶望して。
こんな自分なら、こんな母なら家族じゃなくていいと思ってしまった。
でも、ゼノは来てくれた。
まだ終わりじゃないと希望を、光を連れて現れてくれたのだ。
ゼノが歩き、私へ近づいてくる。そのまま目の前で跪き私の頭を優しく撫でた。
温もりが私の涙に拍車をかけてくる。
泣きじゃくる私へ、優しくゼノが語る。
「火傷、痛むだろ。今はほんの応急処置で許してくれ」
言下、手首足首へ走っていた激痛が和らいだ。彼が魔法で癒してくれている。
「シェーンとアグレシアだけど、今からエイラ達がここに来るから大丈夫だ。絶対治してくれるよ。悪いけど俺はもう行かなきゃ」
言葉通りゼノが立ち上がる。そのまま上を見上げた。離れてしまった彼の手がひどく名残惜しい。
彼はアイの吹き飛んでいった方向をじっと見つめた。
そして、呟いた。
「ごめんな」
「……え?」
何に謝っているのか分からなかった。こちらは助けてもらったというのに。
見上げたままゼノが続けていく。
「折角の母さんとの時間を邪魔して。でも、俺も少し話すことが出来たんだ」
ゼノがお母様に話したいこと……?
何だろう。分からない、分からないけれど。
「だから、お前の母さん少し借りるな。ちゃんと返すから。話すこと考えておけよ?」
この状況を見ながらもゼノはまだ諦めていなかった。
私とアイが家族に戻れると信じていた。
それが強く伝わってくる。
「それじゃ、行ってくる」
そして、ゼノは床を蹴って上へと飛んだ。アイと斬撃が開けた穴からそのまま外へと消えていく。
その後ろ姿が消えるまでじっと見つめた。
ゼノが諦めていなかった。それがとても心を奮わせた。
誰かがまだ信じてくれている。
なら、私は……。
その時、会の間にある大きな扉の向こうから話し声が聞こえた。
慌ててそちらへ視線を向ける。もしかしたら兵士が現れたのかと思った。
だけどそれは違くて。
そう言えばゼノがエイラ達が来ると言っていたからエイラとシロかとも思っていたが、結果は想像を遥かに超えるものだった。
「ゼノは?」
「もう行ってしまったみたいですね」
「あとほんの少しだったじゃない。人族は階段をまともに使えないのかしら」
「これ以上あまり城を破壊してほしくないのですけれど」
「ゼノは本当に落ち着きがないわね」
「シロも似たところあると思いますが」
「それは……照れるわね!」
「……馬鹿なところもそっくりでした」
「人族って皆こうなの?」
「二人が特殊なだけですよ」
「こんな者達にこれだけ攻められたと思うと何か屈辱的ですわね……」
言葉と共に開けられた扉の先に、エイラとシロ、そしてシノとエクセロの姿があった。
その姿に驚かずにはいられなかった。
なぜお姉様方と二人が……。だって敵同士なはずじゃ……。
天使と悪魔と人が並んで立っている。それも私ではなくてシノとエクセロがそこにいる。
あまりに有り得ない光景に頭が追い付かない。
呆然とする私の前で、四人が即座に状況を理解していた。
すぐさまシェーンとアグレシアの元へ駆け出す。
「エクセロ様、急いで二人を助けましょう」
「分かりましたわ。もう私達は一蓮托生ですからね」
「シロも来てください。剣を抜く手伝いをお願いします」
「分かったわ!」
私の横を三人が通過していく。
その時にエイラと視線があった。優しく、でも強く頷いていた。
エクセロもチラッと視線をこちらへ向けていたが、目が合った途端プイっと逸らされた。気のせいだろうか、どこか少し照れているというか恥ずかしがっているような素振りだった。
三人がシェーンとアグレシアの元へ行くなか、シノがゆっくりと私の元へ辿り着いた。
見上げると、シノが穏やかな表情のまま膝をつき視線を合わせてくれた。
そのまま目元に溜まっている涙を拭ってくれた。
「痛々しいわね、その火傷。後でエクセロにでも治してもらいなさい。生憎私にはそんな力ないもの」
「お姉様、どうして……」
私とシノは一度本気で戦った。シノは私を殺す気で槍を振るっていた。
それなのに、この状況は一体……。
その疑問が顔に出ていたのか、シノが苦笑する。
「私に優しくされるの、変な感じでしょ。私、いつもあなたに厳しかったものね」
本当に変な感じだった。それに、先ほどシノは自分に力はないと言っていた。そんなことを言う人だっただろうか。
「でも、私は別にあなたが嫌いだったわけじゃないわ」
「え?」
ずっとシノは私のことを嫌っていると思っていた。何をしても高圧的で批判的で何も認めてくれなかった。アイと共に私を突き放していた。きっと私のことなんて家族だと思っていなかったんだと思っていた。
でも、シノはそんなことないと言う。
「むしろ、嫌いなのは私自身よ。私はあなたが羨ましかったのよ?」
「私が、羨ましい?」
シノが頷く。
「だって、母様に逆らうことが出来るんだもの。私は逆らえなかった。逆らったら全てが終わりだったから」
全てが、終わり……?
先程から分からないことや信じられないことばかり。
でも、シノの表情がそれを本当だと告げていた。
「ま、今はこうして逆らっちゃったんだけどね。こうなったら行くとこまで行くわ」
寂しそうにシノが笑う。
それが本当に寂しそうで。今にも涙が溢れそうな雰囲気だった。
でも同時に吹っ切れたようにも見えて。
「エクセロは私を受け入れてくれた。血が繋がっていなくても家族だって言ってくれたから、私はもう一人じゃない」
「血が……繋がってない!?」
もう何に驚いていいのか分からない。情報が多すぎる。
エクセロと血が繋がっていないということは、つまりアイとも私とも繋がっていないということで……?
本当にどういう状況なのだろうか。
もう限界だった。
「お姉様、何があったというのですか? お姉様はこれまで一体何を抱えていたのですか?」
アイのことでいっぱいいっぱいだった。でも、家族は決してアイだけではない。
私はシノとエクセロのこともよく知らない。知ろうとしてこなかったかもしれない。二人の仲が羨ましかったけれど、私にはシェーンがいてくれたから。それでいいとも思っていた。
でも、やっぱりいい訳がなかった。
私が沢山思うことがあったように、当然シノにもそれがあったということだ。
シノが頷く。
「ええ、話すわ。私の生い立ちと、母様のことを」
そして、語られた内容は驚愕の内容だった。
ゼノ
アイを追って上を目指す。どうやら俺の放った斬撃は、そのまま聖堂まで向かったようだ。聖堂にざっくりと斬撃の跡がある。
手に持つセインからはたくさんの力が流れてくる。不思議と魔力の最大値も、治癒力も向上しているようだ。先ほどまでの疲れが嘘みたいに無くなっていた。
セラ……。
セラが絶望していた。顔を見ればわかる。全てを諦めようとしていたと思う。
負けるなよ、セラ。
あの状況を見るだけで、アイとは会話どころでなかったことが分かる。きっと沢山拒絶されたんだろう。実の親に拒絶される、その辛さは想像を絶するものだと思う。
それでも諦めてほしくない。絶望してほしくなかった。
シノが語ってくれた話を聞いて、俺は確かめたくなった。
多分、アイは優しい人だ。同時に悲しい人なんだ。
だとしたら、諦めることはない。絶対家族に戻れるはずなんだ。
今俺がそれを確かめる。
だから、その思いだけは、譲らないでほしい。
斬撃の跡から聖堂へ入る。セラの言う通り、聖堂の中は不思議と神秘的な雰囲気が立ち込めていた。差し込んでいる夕陽もだんだんとその明度を暗くしていく。聖堂の中もその分暗くなってきていた。
その暗がりに、祭壇の前にアイが立っていた。錫杖を二本だらりと構えて俺を見つめている。
正直すぐに反撃しに来るものだと思っていたが、律義にも待ってくれていたらしい。
虚無を見つめるような視線で、アイが尋ねる。
「あなたも、あの子の居場所を知っているのかしら」
唐突な問いだが、何となく分かる。何の話だとは聞かない。
どうやら憶測は正しかったようだ。
メアとアイは関係があったらしい。
「ああ、知っているぞ」
嘘を言う必要はない。確認したいことはメアに関係することなのだから。
直後、眼前にアイが現れた。そのまま錫杖が振り下ろされる。
「教えなさい、あの子はどこ!」
セインでそれを受け止め、弾いた。アイの力も強い。素の俺では勝てないだろうが、今はセインで強化されている俺の方が上だ。
焦ったようにアイがもう片方の錫杖を突き出す。それもまた弾いて、今度は掌底をアイの腹に放った。
「っ」
それは見事にアイを捉え、後ろへと吹き飛ばした。
どうやら今は正気を失っているようで、動きがどうもぎこちない。容易く捉えることが出来る。
錫杖を床に突き刺して勢いを殺される。まぁこちらとしても追撃するつもりは毛頭ない。
あくまでこちらは聞きたいことがあるのだ。
「教えてやってもいいけど、それはこっちの質問に答えてくれたらだな」
「……」
アイが睨んでくる。どうするか決めかねているようだ。素直に乗るかどうか。
だが、アイにとってこの話は本当に大事なようだ。
「いいわ、答えましょう」
まさかこうも簡単に乗ってくるとは。俺が誰かも分からないだろうに。
メアのことがそれほど大事ということか。
思った通りだ。
こちらも好都合だから、聞かせてもらおう。
「シノからあんたのこと色々聞いたよ。例えば国王の子として産んだ子が実は別の男の子供だったために国王を殺したとか。それでシノの一家を殺してシノを国王の子に見せかけて育てたとかさ」
顔色を窺いながら話してみるが、アイの顔色が変わる様子はない。別にどうということはない、ということか。
現に、
「それがどうしたというの」
とアイは言っていた。というか事実であることは認めるのか。
まあ、話はここからなんだけどな。
「いや、やけにシノの話の中ではあんたが悪者なんだ。まあ確かにそれだけ聞けば悪者に思える。悪女みたいだろ、別の男と不倫してたんで殺しますとか、バレないように他の家族から子供を攫いますとかさ」
「……」
「ただ、俺はそれだけとは思わない」
ピクッとアイの眉が一瞬動いた気がした。アイの心が一瞬表出したような感覚。
「俺なんだよ、あんたが探している黒髪少女を見つけたのは」
「っ」
やはりどこかアイが動揺しているように見える。先ほどまで全く揺れていなかった心が揺れ始めていた。
「アイツを見つけたときさ、凄い結界みたいのが貼ってあった。今思えば時魔法だったんだろうな、時を止めて周囲から隔絶されてたんだよ。まるで何からも守るように。あれ、かけたのあんただろ?」
あの魔法にはどこか温もりを感じた。メアを守るとする悲しいくらいの強さを感じた。
「……」
少しの沈黙の後、アイが口を開こうとするので慌てて遮った。
「いや、答えてほしいことはそこじゃない。それ答えられて次は私の番とか言われても困るからな」
苛立つようにアイが顔をしかめた。図星だったのか、普通に遮られたことに腹が立っているのか。
とにかく答えてほしいことは一つなんだ。
「俺はあんたの口からあんたの事を聞きたいんだ。何があってどうしてそうなったのか。なぜ国王を殺したのか、なぜほかの男と関係を持っていたのか、なぜシノを娘にしたのか、嘘偽りなくこれまでの事を全て。アイツが何故地中に埋まっていたのかもだ」
「……」
さらにアイが顔をしかめていく。どうやら意外にも嫌がっているようだ。
それもそうか、たぶんこれはアイのトラウマを抉ることになる。
それでも聞きたいんだ。
すると、アイが口を開く。
「それを聞いてあなたの何になるというの」
何になるか、か。
どうなんだろう。シノの話を聞いたときに漠然とアイに聞かなきゃと思っただけなのだが。
そうだな、強いて言うのなら。
「俺があんたを信じたい。セラの母さんであるあんたを信じたいんだ」
もしシノの語るままであれば、きっとセラとアイは家族に戻ることは出来ない。
もしシノの語るままであれば、俺はアイを許せない。これまでセラにひどい仕打ちをしてきたアイの事を。これ以上セラに会わせたくない。
でも、もしアイにも優しさがあって、全ての根底に何か譲れないものがあったのだとしたら。
俺はそれを知らなきゃいけないと思う。
すると、俺の答えにアイが笑った。
「馬鹿ね、どうせこの後私が何を言おうと、あの子の場所を言いさえすればあなたは私に殺されるのよ。そんな私を信じようというのかしら」
いきなり殺害宣言されたわけだが、まぁだろうなという感じだ。話に乗ってきた時からそれは分かっている。
分かっててこちらは話しているんだ。
「信じたい」
「……」
再びアイが顔をしかめる。
「俺は別にあんたの全てを信じようとしているわけじゃない。ただ、あんたにも譲れないものがあるんだと信じたい。これまでの全てに何か大事な理由があるのだと信じたいだけなんだ。あんたにも譲れないものがあって、俺がその譲れないものに納得しているのだとしたら、仮にあんたに殺されても仕方がない。尤も死ぬ気はないし、こちらにも譲れないものがあるけどな」
「……なら、あなたの譲れないものとは何かしら」
意外にも問うてくる。こちらに興味を示すとは思わなかった。
何か理由があるのだろうか。
でも、ならちゃんと答えなくてはいけないだろう。
「俺の譲れないものは……セラの幸せだ。だから俺はあんたを信じるんだ」
セラがちゃんと幸せになるためには、アイと家族に戻る必要があると思う。だから、アイを信じる。アイに譲れないものがあると信じる。アイに譲れないものがあれば家族に戻れる、そんな気がするから。
アイの譲れないものがあって、セラにも譲れないものがあって。でも、きっとそれはどこかで交わると思う。ぶつかるように見えて、どこかで同じ方向を向けるようになると思う。
だから、俺はアイに譲れないものがあると信じる。
やがて、閉口していたアイが小さく確かに呟いた。
「幸せ、ね」
その呟きはどこか寂しそうで悲しそうで自嘲気味だった。
「いいわ、教えてあげるわ。私に何があったのか。そして、知りなさい。結局誰かの幸せを願うなんて不可能だということを。最後は誰もが自分を優先するということをね」
真っすぐアイが見つめてくる。その瞳には絶望が映っているような気がして。
きっとそれは辛く悲しい話だと聞く前から分かる。
それでも聞かなきゃ前に進めない。覚悟を決める。
そして、アイは語り始めた。
※※※
それは、とある女性の話だ。
彼女は、元々王族などではなくある貴族の娘だった。容姿端麗で多くの貴族から求婚されていた。
けれども、彼女は一度もそれらの求婚を受けたことはない。
彼女には心に決めた相手がいた。
その男性は決して貴族ではなかった。でも、容姿は彼女に釣り合うほど整っていて、性格は誠実で正義感に強かった。
その正義感のお陰で、幼い頃に彼女と彼は出会った。
彼女は全てが良く出来すぎているがゆえに、周りには良く思わない者もいた。そんな者達が雇ったならず者に襲われたことがあったのだ。
そこへ訪れたのが彼だった。
彼は強かったわけではない。ただ彼女が襲われている様子を見過ごせなかった。本当は彼女自身の力で容易くならず者達を追い払うことが出来た。でも、全てを彼に任せた。
彼はボロボロになりながらも見事にならず者を追い払って見せた。幼いながらも大の大人に勝って見せた。どちらかと言えば、彼の執念にならず者達が観念したという言い方が正しい。
決して諦めることなく何度でも立ち上がる姿は、彼女の目に輝いて見えた。そして、彼女のほうへ振り向き、彼は笑った。
その笑顔が、彼女の恋の始まりだった。
身分が違うために上手く会うことが出来なくても、彼女は必死に何かしらの理由をつけて彼に会った。彼の方は鈍感で彼女の好意に気づくことはなかった。それでも必死に何度も彼女は彼に会いに行った。
そして、幾年も経て彼は彼女に告白をした。
当然、彼女は泣いて喜び受け入れた。
それから数十年間、天使増と悪魔族、人族の三つ巴の戦などがあったが、彼女と彼は変わることなくお互いを愛していた。彼女と彼は家を抜け出してはひっそりと共に時を過ごしていた。彼女の家が彼のことを許すわけもなく、逢瀬という形でしか彼女と彼は会えなかった。
それでも彼女にとっては十分で、彼にとっても十分だった。
一緒にいられるだけで十分だった。
が、更に数年後、事態は急転する。
彼女はとある相手に求婚された。
その相手がハート家の当主、つまり天使族における王だった。
王はとても気難しい性格で、これまで一度も女性と関係を持つことはなかった。正室は勿論側室も取ったことがなかった。
そんな王が、彼女を一目見ただけで求婚したのだ。
当然彼女は彼がいたから断ろうとした。だが、王がそれを許さなかった。断る場合は家族諸共命を捨てるものと覚悟せよ、王はそう告げた。
断るという選択肢は断ち切られた。元々求婚などではなかった。強制だったのだ。
彼女は泣きながら彼に話した。
彼は涙を流しながら笑った。自分は貴族でもないから彼女を幸せにすることは出来ない。王と結婚すれば、つまり彼女は女王となるのだから、その将来は保障されたも同然。彼女には幸せになってほしいと彼は語った。
彼女は駆け落ちしようと提案したが、彼は首を振った。
そして、彼は幸せになってと彼女にキスをした。
誠実だった彼は、これまで全てがキス止まりだった。
でもその日、彼女と彼は体を重ねた。
愛し合ったのは最初で最後だった。
それから半年後、彼女は王の隣にいた。そのお腹に新たな生命を宿して。
更に数か月後、遂に出産の時を迎えた。国中が新たな王族誕生に盛り上がっていた。
出産には王立ち合いのなか行われた。激しい痛みに耐え、彼女は遂に自身の子供を産んで見せた。
だが、その時室内に動揺が走る。
王の髪は銀、彼女の髪は金。
生まれた子の髪色は黒だった。
彼女と王からは生まれることのない色。
そして、彼の髪の色。
全てを彼女は理解した。
この子は彼女と彼の子なのだと。一度の交わりで出来た愛の結晶なのだと。
だから、彼女にとっては当然だった。
その子を殺そうとした王を逆に殺すのは。
騒ぎになる前に、室内にいた全ての者を殺した。
そのまま自力で処置をして、誰に気づかれることもなく外へ飛び出した。
彼に会いに行った。この子が二人の子だと知らせたかった。
もう王すら殺してしまった。この場にはいられない。
やはり彼女を幸せにできるのは彼しかいない、そう思った。
もう一度駆け落ちをしようと言うつもりだった。
彼は、既にこの世を去っていた。
彼女と仲のいい彼の存在を王は知っていた。彼女の表情から気づいてしまった。疎ましく思った。彼女からの愛を感じられないのは彼のせいだと。
だから殺した。
彼女は絶望した。全てが無駄に見えた。この世界が白黒に見えた。
その中でただ一つ、胸に抱いている子だけが鮮やかに色を放っていた。
彼女は決心した。世界はどうでもいい、この子を必ず幸せにすると。
その時、女王という立場を利用しようと決めた。この子のために何でもすると決めた。
彼女はそのまま数日行方をくらませた。国はパニックだった。国王が何者かに殺され、女王が行方をくらまし、子が生まれたかどうかも分からないのだから。
その数日間で、彼女はとある一家を惨殺した。
生まれたばかりの金髪の子のみを生かして。
そして、彼女は金髪の子を手に国民の前に姿を現した。
出産のタイミングを狙って何者かに襲われたと嘯いて。金髪の子を自分の産んだ子と偽って。
やがて彼女は天使族を統べる女王となった。
表向きの金髪の子を育てるとともに、裏で城内に彼との子を隠しながら。
彼との子を隠すために、そして彼のことを忘れないように彼女は聖堂を作った。
聖堂への立ち入りは禁じた。当然、魔法で外からの侵入を出来ないようにもした。
彼との子を閉じ込めていることに彼女は罪悪を感じていた。それでも今だけと自分に言い聞かせた。
いずれ彼との子を彼女は大々的に養子という形でハート家に引き入れるつもりだった。
ただ、子を産んだばかりで養子を取れば何らかの形で彼との子が怪しまれる。時間が立てばそれなりの言い訳もできる。もう少しの辛抱だと彼女は我慢した。
毎日彼への花束を添えながら、彼との子との時間を大切にした。
だが、彼との子が生まれてから五年、ある事件が起きてしまった。
彼女は女王として忙しい日々を送っていた。これまで国王が担っていた全てを受け継ぎ、国政から悪魔族や人族との関係まで。
それでも女王として仕事を全うした。全ては彼との子を引き入れるため。そろそろ頃合いだと思っていた。
そう思っていたのに。
その矢先の出来事だった。
突如侍女に呼ばれて向かった先に、彼との子がいた。
これまで隠していた子が、何故か大勢の兵士に囲まれていた。
五歳なんてまだ歩けるようになって話せるようになったくらい。そんな子が兵士に強く押さえつけられていた。
その様子が見ていられなくて思わずその兵士を殺そうとしたとき、その横に金髪の子が倒れているのが見えた。
その頭からは血が流れている。ぐったりと倒れて動かない。
それを彼との子がやったというのだ。金髪の子を押した挙句、机の角に頭をぶつけさせてしまったと。
聖堂にかけていた魔法は外からの侵入を拒むもの。彼との子は自らの意思で内側からその扉を開けて出てしまったのだ。
彼女はここ最近の多忙さからその子が歩けるようになったことを考慮し忘れていた。
周りの兵士から見れば、彼との子は城内への不法侵入及び王家の子、つまり王女に対しての暴行を加えて血を流させたことになる。
誰の子か分からないが、間違いなくその家族は裁かれるべきだ。兵士や侍女達が口々に処刑すべき、追放すべきだと言葉を放つ。
金髪の子は今は亡き前国王の子であり、大切に扱われていた。あの国王は気難しいが、国民に寄り添った国政ゆえに国民からの信頼は厚かったのである。ただ女性関係となると常軌を逸するだけで。
結局金髪の子の命に別状はないものの、許されることではない。
その時、彼との子が全員の前でママと彼女を呼んだ。無邪気な笑みで。
そこにいる全ての者の視線がまっすぐ彼女へと向けられた。
そこで彼女は最大の過ちを犯してしまった。
彼との子の言葉を、全員の目の前で否定してしまった。
全く知らない子であるかのように振る舞ってしまった。
思わず出てしまった言葉。彼女自身ひどく驚き、そして傷ついていた。
これまで、ずっと彼との子のために頑張ってきた。彼との子が全てだった。彼との子が譲れないはずだったのに。
その瞬間だけ、彼女は自分の保身に走ってしまった。女王という立場を守り、彼との子を見捨ててしまった。
一度言ってしまった言葉を引っ込めることは出来なかった。
養子の話など出来るはずもなく。
結果身寄りがないことが判明した彼との子は、追放されることとなってしまった。
それも悪魔領に。
彼との子を悪魔領に届ける役目、彼女はそれに買って出ることは出来なかった。
彼との子に会わせる顔がなかった。会えなかった。会うのが怖かった。
あの日から一度も会うことはなく、結局別の誰かが彼との子を悪魔領に届けた。
その日、彼女は人知れず泣いた。自ら手放してしまった彼との子のことを思って。あの時の決意を思って。
彼を思って。
ただ、彼女は最後に彼との子に魔法をかけていた。
それは時の魔法。時の流れを遅くして周りと隔絶する魔法。
追放されて悪魔領に置いて行かれた後、誰にも見えないように地中へ姿を隠させて。
いつか会えるようになって、迎えに行けるように。
今は長い眠りについてもらうことにして。
それから数十年が経ち、その間に子を二人産んだ。
けれど、いくら産んでも彼との子のことが忘れられない。産めば親として成長して、いずれ彼との子に会えると思った。でもそれは違った。
会いに行きたい、でも会えない。怖い。
あの場で否定した瞬間から、彼女は彼との子の親ではなくなってしまった。
どうやって会えばいいのか分からなかった。
そして、ある日彼女は直感した。
彼との子にかけていた時の魔法が効果を失ったと。
間に合わなかったと悟った。結局彼との子が埋まっている場所すらも分からず。
今頃彼との子は地中に生き埋めになっているだろう、或いは悪魔に掘り起こされたのかもしれない。
どちらにしても、もう長く生きることは出来ないだろう。
それから、聖堂に添えられる花束は二つに増えた。
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