カイ~魔法の使えない王子~

愛野進

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3『過去の聖戦』

3 第三章第二十八話「綺麗な世界」

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セラ
 ゼノが隣に座ってくる。先程までシェーンが座っていたところだ。そのまま二人で湖を見つめる。光が反射してキラキラ眩しい。風が草の匂いを運んでくるが、嫌いじゃない。
 あ、そう言えば。
セラ:
「話し合いはどうなりました?」
 私は途中で飛び出して来たんだった。
ゼノ:
「ん、どうもこうも一旦お開きだよ。セラの決断次第で行動が変わるからな」
 あ、それもそうですね。
 私の選択次第で行き先が変わる。皆、私を待ってくれていた。
セラ:
「……すみま――」
ゼノ:
「おぉっと、謝るのは無しな」
 ゼノが掌で制してくる。その表情も声音も優し気で。
ゼノ:
「事情をよく分かってない俺が言うのも何だけどさ……大事だろ、家族のことって」
 微笑む彼にはシェーンと同じ温かさがあった。
ゼノ:
「時間をかけて然るべきさ」
セラ:
「ゼノ……」
 不思議だった。ゼノとは出会ってまだ二、三日しか経っていない。経っていないのに、ゼノの存在はいつの間にか私にとって大きなものになっている。気付けばシェーンと同じような。
 ゼノの人柄でしょうね。
 素敵な仲間に出会ったものだ。アイ率いる天使族に反逆してから、もっと過酷な未来を想像していたけれど、ゼノやエイラ、シェーン達のお陰で私は笑ったり泣いたり、非日常の中で日常を送ることが出来ている。
 私のこれまでの人生の中で、きっと一番幸せな時間かもしれない。
セラ:
「……私、実は全然お城の外に出たこと無かったんです」
 唐突に語り始めてしまったが、ゼノが何か言ってくることはない。二人してただ湖を見つめる。
セラ:
「いえ、目を盗んで何度か出たことはありました。でも、基本的に外へ出ることは許されていなかったんです」
 そして、私は家族にまつわる話を始めだした。
………………………………………………………………………………
 母アイは冷たかった。決して娘である私達に関心を示すことはない。家族揃って食事をする時も会話なんてないし、母のために描いた似顔絵は目の前で破り捨てられた。でも、それが生まれた頃からの日常で、どうしようもないことだった。
 悲しくないわけじゃない。けど、それが私達家族にとって当たり前だから。
だから私は……。
 でも、アイは関心が無いくせに私達の行動は制限する。
第一に私達はハ―ティス城から出ることを許してもらえなかった。何故なのかは分からない。でも、私達の行動範囲は城の中だけだった。魔法ですら国民に姿を見させない。姿を見せるのはアイだけだ。
 でもそんな生活ずっとなんて耐えられない。長女のシノは母に従順だから不満を垂れているところを見たこと無いし、エクセロもシノが大好きだから、結果的に母に従う。けど、私は違った。もっと外の世界を見てみたかった。もっと触れて見たかった。今思えば私は人一倍好奇心旺盛だったのだろう。
 だから、幼い頃から私はよく城を抜け出した。その度に連れ戻されてはアイに厳しく叱られ、何日も部屋に閉じ込められる。それでも屈せず何回も抜け出しては連れ出され、とうとうアイが痺れを切らして私につけられた側近がシェーンだった。
 最初の頃はシェーンとも上手くいかないことだらけだった。同じくらいの歳なのに、私に対する対応は思い描いていたものとは違っていた。
 シェーンは絵にかいたような実直で真っ直ぐな規律順守タイプで、私の一挙手一投足に口を出す。王家のあなたはこうあるべきだと、行動を抑制してきた。それが嫌で余計に城を飛び出したのを覚えている。
 その度に必死になってシェーンが私を探しに来る。いつの間にかそれが楽しくて、嬉しくて。姉であるシノやエクセロは私に構ってくれない。きっと、私がアイにとって悪い子だから、遊ばないようになんて言われているのかもしれない。
 シノとエクセロの仲の良さが羨ましかった。だから、シェーンが探しに来てくれている瞬間はまるで仲が良いような、そんな気がして嬉しかった。まるで友達と一緒に遊んでいるような気がして嬉しかった。きっと、シェーンもそう思ってくれていると思った。
 でも、私が抜け出す度にシェーンはアイに厳しい罰を受けていた。それを私はずっと知らなくて。だから、彼女の身体に刻まれた痣を初めて見た時に自分の思い違いにようやく気付いた。
 遊びだなんて思っていた私が憎い。遊びだと思っている間に、シェーンは身体に痛みを伴っていたのだ。遊びだと思っていたわけがない。きっと私のことを酷く憎み、嫌っているに違いない。
 私は泣いて謝った。何度も何度も謝り続けた。私のせいで彼女は身体に傷を負っていたのに、そんなことも知らずに何か月も無邪気に遊んでいた私の罪を。
 友達だなんてあり得るはずがない。
 泣きじゃくる私の前でシェーンが告げた。
シェーン:
「あなたが何度も必死に城を出るのは、アイ様に振り向いて欲しいからでしょう」
セラ:
「っ」
 ドクンと心臓が跳ねた。顔を上げると、シェーンは微笑んでいた。私のせいで傷付いているのに、それでも優しい声音で。
シェーン:
「見ていたら分かります。いつもあなたはアイ様を目で追っていますから。なのに、アイ様はあなたへ見向きもしてくれません」
 そして、ギュッと私を抱きしめてきた。
シェーン:
「寂しいですよね、悲しいですよね。そういう時は私を頼ってください。私は、あなたの従者なのですから」
 誰にも一度だって言った事なかったのに。それなのに、シェーンは私の心を見抜いてみせた。母への愛情に飢えた私の心を。その心を知っていたから、彼女は身体を傷付けられても私を追いかけてくれたのだ。
セラ:
「私のこと、嫌いじゃないんですか……?」
 どうしても気になったそれを、シェーンは一蹴する。
シェーン:
「まさか。嫌いだったらあれ程必死にあなたのことを追いかけませんよ。ああいう遊び、私もなかなか触れる機会無いですからね。私も意外と楽しかったんですから」
 彼女の言葉に、温もりに私は初めてあれ程泣いてしまった。アイに叱られても泣かない私が、あまりの嬉しさに涙を溢れさせた。そんな私の背をシェーンがさする。
 この日を皮切りに、私が城を飛び出すことは無くなった。
 代わりに、初めての友達が出来たのだった。
………………………………………………………………………………
ゼノ:
「……何だよ、あいつ滅茶苦茶良い奴じゃねえか」
セラ:
「今更気付いたんですか?」
ゼノ:
「俺への当たりが強いせいで、気付くのに時間かかるんだよ」
 ズズッと鼻を啜りながら、ゼノがこれまでの感想を述べる。声が震えている気がして、チラリと視線を向けてみたが、目元が光っているように見える。でも、今そこを指摘するのは無粋だと思った。
セラ:
「きっと、私が人族を解放したかったのは、私がその閉じ込められた閉塞感を知っていたからなのかもしれません。城での私は奴隷とそう変わりありませんでしたから」
 シェーンを痛めつけていた事実を知ってから、私がアイに反抗することはなくなった。だから、彼女の指示には基本的に従うようになっていた。そんな自分と人族の扱いが重なっていたのだと、今になって思う。
セラ:
「あ、そういうえばお母様に設けられたもう一つの制限について話してませんでしたね」
ゼノ:
「もう一つの制限? ……あ」
 ゼノが気付いたように声を上げる。
ゼノ:
「もしかして、聖堂か?」
 本当にゼノは聡い。頷いて肯定した。
セラ:
「はい、お母様は私達に聖堂へ入ることを禁じました」
 ここまでは以前作戦室で話したこと。
 そして、
セラ:
「でも、こちらの制限も私は破ったことがあります。こちらは一度だけですけど」
 ここからが話していない話。シェーンと出会う更に前の話。
 ゼノが笑う。
ゼノ:
「セラって結構やんちゃだったのな」
セラ:
「……まぁそれなりに。ですが、全部お母様に構ってほしかっただけなのです」
 構ってほしくて、私は一度だけ禁じられた聖堂に足を踏み入れた。
………………………………………………………………………………
 入るなと言われると、入りたくなるのが世の常。それは王家の者だろうと変わらない。
 アイは誰一人として聖堂へ入ることを許さなかった。最上階の聖堂、それはアイにとっての聖域だったのである。
 当時の私はまだシェーンと出会っておらず、だから相変わらず城を飛び出して過ごす毎日を続けていた。でも、それでもアイは私に構ってくれない。その頃は最早怒られることもなく、ただ部屋に閉じ込められるだけ。
 だから、私は違うことに挑戦すると決めた。それが、禁止されている聖堂への侵入である。何故聖堂が禁止されているのだろう、その疑問は昔から私の中で渦巻いていた。でも、流石に禁止されているだけあって入ろうとすると、扉にかけられた結界によって弾かれてしまうのだ。簡単に侵入することは出来ない。
 しかし、私の目的は聖堂への侵入よりもアイに構ってもらうことだった。だから、この際アイが聖堂の中にいても構わない。アイが結界を解除した隙を窺って一気に飛び出す算段をつけた。これなら聖堂の中も見られるし、アイに構ってもらえるかもしれないし一石二鳥だ。
 アイは毎日決まった時間に聖堂へと入る。大体夕方前くらい。ぎりぎり陽の光が橙色に変わる前。だから、私は先に最上階へと上がって柱に隠れてアイを待つことにした。
 そして、待つこと十分、ようやくアイが現れる。
 決してアイは周囲を確認することなく扉にかけた結界を解除した。この城でアイに逆らう者などいないのだから、警戒するだけ無駄なのである。
 そして、開けられた扉。
 今だ……!
 瞬間、一気に聖堂へと飛び込んだ。
アイ:
「っ、セラっ」
 アイに気付かれたが構わない。アイよりも前に出て、聖堂を見渡す。
 そこは言葉を失うほどの、とても神秘的な空間だった。
 聖堂には、窓がかなり少なく最低限の光だけが差し込んでいた。薄暗い聖堂を光の線が
美しく彩っている。扉から続くように赤い絨毯が続いており、その周囲には木製の長椅子がところ狭しと並んでいた。誰も入らないというのに、何故これほど長椅子があるのだろうか。アイの美的センスなのかもしれない。
 その長椅子の先にある段差を登れば、そこには大きな祭壇が。祭壇には色とりどりの花束だけが二つほど添えてあった。アイがいつも添えては替えているのだろうか、萎れることなく鮮やかな色を放ち続けている。
 その背後の壁にはこれまた色とりどりのステンドグラス。ステンドグラスなんて初めて見た私には、その美しさを表現することは出来ず。
セラ:
「とても、綺麗……」
 ただ、ステンドグラスも含め、その全ての光景が綺麗だった。幼いながら、その光景には感動を覚えた。ずっと見たいと思っていた聖堂。これがここまで神秘的な場所だったなんて。アイが大切にしていたものはこの光景だったのかと。
セラ:
「あ……」
 そして、ステンドグラスの下に描かれた八芒星に気付いた。
大きな八芒星。二つの真っ白な四角形が重なり、円に囲われている。
 あれって……。
 私が振り向こうとした瞬間、私の身体が突如固まった。急に体が動かなくなり、床に倒れ込んでしまう。
セラ:
「っ」
 身体が浮遊し、そのままアイの目の前まで連れていかれる。アイの魔法で身体が拘束されたのだ。
 冷やかな目でアイが言葉なく見下ろしてくる。その眼が怖くて、視線を逸らそうとした時、確かに私の眼に映った。
 アイの首から下がられている八芒星のペンダントを。
 やっぱり。
 あの壁に描かれた八芒星を見た時どこかで見たような覚えがあったけれど、あれはアイのペンダントだった。
 問答無用でそのまま聖堂から追い出される。興が削がれたのか、アイも一緒に出てそのまま階段へと向かった。
 共に階段を下る。決してアイからの言葉はない。こちらを一瞥することもなく階段を下っていく。きっとこのままいつものように部屋へ閉じ込められるのだろう。もしかしたらいつもよりも長いかもしれない。一週間以上とか。
 構ってほしかったのに、何も言葉を向けられない。それが酷く寂しい。
 でも、私から声をかけることは諦めない。
セラ:
「お母様、あの場所……」
アイ:
「……」
 決して視線を合わせようともしない。ただただ階段を降りていくアイ。
セラ:
「とても綺麗な場所ですね!」
 それが率直な気持ちだった。アイを振り向かせたかったけど、何を言えばいいか分からなくて出た本音。
アイ:
「……!」
 だがそう声をかけた瞬間、アイは確かに立ち止まった。視線の先も表情も変わらない。でも、確かに止まった。
 アイの中の何かに触れられた、そう思った。
 やはり、あの場所はアイにとって大切な場所なんだ。私の知らないアイの大切な何か、それがあの場所なんだ。
そして、あの八芒星も。
もっとアイのことを知りたかった、もっとアイの心に触れたかった。知って、触れて、ようやく私達は家族になれる。
セラ:
「お母様、あの場所ってどのような場所なのでしょうか。それに、その八角の星も……教えてくださいっ!」
 懇願するようにアイを見つめる。視線は合わないけれど、アイはまだ動かない。きっとこの先に言葉があると信じて、私も待った。
 静寂が辺りを支配する。それが何秒か何十秒か分からない。それでも、アイの言葉を待つ私には短く感じた。
 だって、
アイ:
「……祈りと業よ」
 たとえどれだけ時間がかかろうと、短かろうとアイが答えてくれたのだから。
 いつぶりか分からないほど、ようやく私はアイと会話が出来た。一方的なものではない会話を。
セラ:
「祈りと、業……?」
 あまりに少なすぎる言葉。それが何を指しているのか私には分からない。
 でも、そう呟くように話すアイの顔はどこか微笑んでいるようにも泣いているようにも見えた。
アイ:
「……セラ」
 ここで、遂にアイが私に視線を合わせる。そこにはもう先程の表情は見当たらなかった。
アイ:
「次、もしあの場所に入ったら私はあなたをこの国から追放するわ」
セラ:
「……っ!」
 アイの言葉が酷く心に突き刺さる。
私を、追放……!?
 あの聖堂はアイの心に近づくことの出来る場所だった。それは先程のやりとりで確信した。聖堂に入ることは、同時にアイの心に入るも同義。なのに、次に入れば私を追放するという。
こんなにもどかしい事はない。知りたいことは目の前にあるのに、知ろうとすれば近くにいられない。
私は、ただお母様と……。
セラ:
「……は…い」
 そう答えるしかなかった。
 それ以降、私が聖堂に入ることは二度となかった。
………………………………………………………………………………
セラ:
「代わりに、私は必死にあの八芒星の意味を探したんです」
 それを見つけたのはシェーンと仲良くなってから。必死に城の書庫を探しても見当たらなかった。きっと、関係ある物はアイが隠してしまったのかもしれない。
だが、外に出なくなったセラの代わりにシェーンが城を出て見つけて来てくれたのだ。
セラ:
「その時は嬉しくて嬉しくて泣きながらシェーンを抱きしめました」
 思い出しながら微笑む。本当に、シェーンがいてくれたおかげで手に入れたものが多すぎる。
ゼノ:
「その言葉はさっきも聞いたな」
セラ:
「あ、そうかもしれませんね」
 シェーンと友達になった時も、思えば泣きながら抱きしめていた。あれは罪悪感もあったが、やはり嬉しさもあって。
ゼノ:
「でも、そうか。だから、さっきセラはあんなに詳しく説明できたんだな」
 ゼノがごろんと地面に横たわる。目を閉じてそのまま風を感じているようだ。清々しい表情をしている。
 いや、気になっていたであろう私の家族事情を知れたからだろうか。
 その表情に私はちゃんと語れたんだなと満足した。もしかしたら上手に話せないかもしれないと思った。私にとって家族との思い出は良い事よりも辛い事の方が多いから。
 それを思い出して一瞬顔が曇ってしまう。
セラ:
「私、八芒星の意味を知ってもお母様に話すことが出来ませんでした。もしかしたら、それでも追放されてしまうんじゃないかって」
 八芒星は聖堂に大きく関わっているから、万が一の可能性があったのだ。
セラ:
「だから、私はもうお母様のことは知ることが出来ないと諦めていました」
 永遠にあのまま。これが私の家族だと。
 だから、頭の片隅から私の思い描く家族の可能性を追いやった。期待もしないように、その思考回路を断ち切った。シェーンの存在が空っぽになった私を留めてくれた。
 だからこそ、今回の件がアイに近づくチャンスだなんて気づけなかった。
セラ:
「でもシェーンが気付かせてくれたんです。メアちゃんは聖堂に、そしてあの八芒星に関係しています。もしかしたら、メアちゃんを通じてお母様の心に近づけるかもしれないって」
 そこまで言って少し心が痛んだ。まるでメアを利用しているようだ。たとえ利害が一致しているとしても、あまり良い気はしない。
 だとしても、もう私は気付いてしまったから。何十年も諦めていた思いを取り戻してしまったから。
 私の命を優先するシェーン自身の気持ちよりも家族を求める私の気持ちを優先してくれたのだから。
 この思いだけは、もう譲れない。
セラ:
「だから私、お母様に会いに行きます! 会って、メアちゃんのことを聞きに行きます!」
 立ち上がって湖に精一杯叫ぶ。私の声音のせいか風のせいか、波紋が広がっていた。
セラ:
「メアちゃんだけじゃありません。聖堂のこととか、八芒星のこととか、これまで私の中で蠢いていた感情の全てをお母様にぶつけます!」
 元々アイからは抹殺命令を下されている。だから、会えばもしかしたら殺されるかもしれない。もう二度と元には戻れないかもしれない。
 怖い、とても怖い。
 だけど、私にはもう家族だけじゃないから。シェーンやゼノやエイラ、きっと私が気付いていないだけでいろんな人が私を支えてくれている。
 どうせ止まっていても事態は好転しない。それどころか命を狙われているのだから悪くなる一方だ。
なら、動こう。後悔がないよう精一杯。
セラ:
「私はもう、家族のことを諦めませんっ」
 湖に放った言葉はそのまま青空に吸い込まれていく。
 心が軽い。まるでこの青空のようだ。先程までとは段違い。
 もう迷いはない。
 すると、フッと隣から笑った声が聞こえた。
 そちらへ視線を向けると、ゼノが勢いよく身体を起こして横に立った。
ゼノ:
「……なぁーんだ、俺の出番はなかったか」
セラ:
「え……?」
 ゼノの、出番?
 そう言えばゼノが何をしに来たのか聞いていない。
 ゼノが伸びをして、息を吐く。
ゼノ:
「いやな、作戦室で話を聞いてる時にさ、なーんかセラの表情を見て違和感覚えてさ。何て言うんだろ、心が痛かったんだ」
セラ:
「心が……?」
ゼノ:
「うん、最初それが何なのか分かんなかったんだけど、考えてるうちに分かったから追いかけてきたんだよ」
 風が私達の間を吹き抜けていく。視界を遮りそうな髪を押さえつけていると、ゼノが笑ってきた。
ゼノ:
「俺、セラが家族のこと諦めてるって思ったんだよ。意外と当たりだったみたいだけど」
セラ:
「っ」
 私なんて全然話さなかったのに、ゼノは私の表情だけでそう感じたという。確かにあの時私は諦念を覚えていた。
 けれど、どうしてそんな風に……。
ゼノ:
「他人事じゃなかったんだ、俺にとって家族を諦めるってさ。だからかな、そう思ったのは」
セラ:
「あっ……」
 それが何を指しているのか、私はすぐに分かった。
 これは、ゼノとケレアの話だ。
 再びゼノが湖を向く。
ゼノ:
「何度も頭をよぎったよ。俺とケレアの目的は真逆だ。俺の理想を目指すためにはケレアのそれを切り捨てなきゃいけないって。……ケレアを諦めなきゃいけないって」
 その拳は強く握りしめられていた。でも、すぐに開かれる。
ゼノ:
「でも、何度も悩んで、その度に辿り着く答えは一つなんだ」
 グッと再び握りしめられた拳。それは前へと突き出されていた。
 きっと握りしめているものは先程と違う、そう思えた。
ゼノ:
「俺は絶対アイツを諦めない。正直どうすればいいのかは分からない。次に会う時アイツになんて言ってやればいいか分からない。でも、それでも諦めることだけは絶対にしないっ」
 今度はゼノが、決意を空へと咆哮する。
ゼノ:
「必ず一つの未来を掴み取ってみせる! 答えが見つからないなら探し続けてやる! ……だからさ、セラ!」
 ゼノが振り向き、手を差し出して来る。
ゼノ:
「お前も諦めるなよ! 俺も絶対諦めない!」
 微笑むゼノの顔は、陽光に照らされて眩しく見えた。その笑みに見惚れてしまう。
 ゼノ……。
 それを言うために、ゼノは私を追いかけて来てくれた。私に前を向かせるために。
 無意識のうちに差し出された手に手を伸ばそうとする。すると、ゼノが手を下ろした。
 えっ……。
 自分の行動にもゼノの行動にも驚いていると、ゼノが頬を描いた。
ゼノ:
「……って言おうとしてたんだけどさ、先にシェーンが気付かせてくれたんだろ。なら、とんだ二番煎じだったってわけだ」
 苦笑しながらゼノが前を向く。少し照れているようだ。
ゼノ:
「でも、二番煎じでも言うよ。きっと俺達は大丈夫だ。根拠ならある。セラの母さんは色々禁止するけど、城を抜け出すくらいじゃ追放しない。本当に嫌いなら最初っから追放しろって話だ。俺もそう、ケレアは俺を攻撃しなかった。それはきっとアキとメアの存在が、家族の存在がまだアイツの中に残っていたからだ。近くにいないだけでどっちもまだ家族なんだ。だから、きっと大丈夫だ、大丈夫なんだ」
 そう言ってから、ゼノはニッコリ笑った。
ゼノ:
「ま、言い聞かせてるだけなんだけどな。そんなことないかもしれないし、セラだって命を狙われてるしな。……でも、ネガティブに捉えるよりもポジティブに捉えて行かなくちゃ。その方が世界はずっと綺麗に見えるからさ」
セラ:
「ゼノ……」
ゼノ:
「この世界、意外と捨てたもんじゃないさ」
 綺麗な世界を自分に言い聞かせて、ゼノは必死に前を向こうとしている。それは人によっては滑稽に見えるのかもしれない。現実が見えていないと。絵空事、綺麗事だって。
 でも、それでも私には綺麗に見えた。ゼノの見ている世界がとても綺麗に見えた
 その世界、私も見てみたいです。
 そして、私はゼノの手を両手で取っていた。今度は無意識なんかではなく意識的に。
ゼノ:
「えっ」
 ゼノが慌てている。当然だ、もうゼノは手を差し出していなかったのだから。
 慌てるゼノに、笑いかける。追いかけてきてくれたことに対する感謝と、沸々と湧き上がってくる不思議な温かさを籠めて。
セラ:
「一緒に、その世界を見ましょうねっ」
 やはり、私にはもう家族だけじゃない。
ゼノ:
「えっ、と……」
 ゼノが顔を赤く染めながら、顔を私から背ける。手を取ったせいで気付けばゼノと凄い近づいてしまっていた。
 この近さに気付いてしまったらこちらも顔が赤くなってしまうのは仕方がない。
セラ:
「あ、えと、ごめんなさいっ」
 慌てて手を離すと、ゼノがバランスを崩した。私が近づいていたから離れようとしていたのだろう。後ろへ重心が偏り過ぎて、急に離されてはそうなるのも仕方がない。
 急いで前へ出て、またゼノへと手を伸ばす。今度は腕を掴むことが出来たが、逆に私がバランスを崩してしまった。踏み出した足が見事に湖の縁にかかりズレてしまったのだ。
 あ、投げ出される……。
 湖へ投げ出されそうになった瞬間、私はゼノを掴んでいたのを思い出した。
ゼノ:
「あ、ちょっ、セラっ」
 そのまま二人で湖に落ちてしまった。
 全身を一気に冷たい水が包み込んでいく。ずっと陽光を浴びていたせいか、それとも最後にゼノの至近距離にいたせいか、身体に熱が籠っていてむしろ気持ちがいい。
セラ:
「ぷはっ」
 水面に顔を出すと、同時にゼノも顔を出した。二人共全身びしょ濡れだ。濡れた黒髪がゼノの額にくっついている。……いえ、私もですか。
セラ・ゼノ:
「……」
 二人で顔を見合わす。
 そして、声を出して笑った。
ゼノ:
「ははっ、セラ、おまえ俺を巻き込むなよな!」
セラ:
「ふふふ、元々ゼノがバランスを崩したからですっ!」
 言葉と共に水をかけると、ゼノからも飛んできた。かけられたらかけ返す。単純なことなのに、それだけで楽しいと思えた。
 水しぶきが宙を舞う。水滴が陽光を反射してキラキラと輝いていく。笑い合う私達を青空が見つめている。
 なるほど、この世界は確かに綺麗だ。





おまけ
~後日談~
セラ「はー、何かスッキリしました!」
ゼノ「お互いびしょ濡れだけどな」
セラ「そう言えばゼノ、先程少し泣いてませんでした?昨日、人の話でよく泣けるなとか言ってたのに」
ゼノ「え、ん!?泣いてないけど!?」
セラ「別に隠さなくたって」
ゼノ「……何かシェーンのくだりで泣きそうになったという事実が悔しくてな」
セラ「何でですか……」
ゼノ「でもあれだな、シェーンってセラの友達にしては従者の立ち位置譲らないな」
セラ「そうなんですよ!敬語禁止って言っても駄目なんです、本当にお堅いんですからら」
ゼノ「セラも敬語だからじゃね?」
セラ「これは……全員にそうなのでいいんです!シェーンはほら、ゼノには敬語じゃないんですもん!私にもそれでもいいのに!」
ゼノ「……でも、お堅くても、一緒に天使族を飛び出してきてくれたんだな」
セラ「はい」
ゼノ「きっと、何よりも大切なんだろ」
セラ「……はい」
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