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2『天使と悪魔』
2 第二章第二十五話「人界への帰還」
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ギュッと抱きしめ合っていたカイとエイラだが、不意にカイが我に返った。
今まで気にしていなかったのに、途端にエイラを意識して顔を赤くしていく。
カイ:
「あ、ええっと、エイラ? そろそろ離れないか?」
カイがエイラに回していた両手を離すが、エイラが離すことはなかった。むしろ、カイにそう言われて力を強めたくらいである。
エイラ:
「いいじゃないですか、私と抱擁するのは初めてでしょう? この機会に堪能してください」
カイ:
「い、いやぁ、でもほら、イデアも見てるし……」
エイラ:
「イデア様も今日くらいは許してくれますよ」
そう言ってエイラが赤くなっているカイの顔を覗く。エイラは随分意地の悪い笑みを浮かべていた。カイが恥ずかしがり始めたのを十分理解しているのである。
イデアはその二人のやり取りを微笑ましく見つめているため、カイは援護を望めそうになかった。
エイラ:
「あれ? どうしたんですかカイ様、顔が赤いですよ?」
カイ:
「っ、おまえ、分かってて言ってるだろ!」
エイラ:
「はい、分かってますとも。カイ様の侍女ですからね。私の身体に欲情したんでしょう?」
カイ:
「いや、違えよ!? 何も分かってねえじゃねえか!」
いいから離れろ、とカイが必死に抵抗するがエイラが離さない。そうやってあーだこーだ二人が口論する。エイラの表情は楽しそうに笑っていた。
それをイデア達が微笑ましく見る。ようやくいつもの風景が帰ってきたのだと。
だが、一人だけ興味津々な視線を送っている人物がいた。
シーナである。
シーナ:
「ご主人って本当にあのエイラ・フェデルと仲良いんだな」
ご主人、その言葉がエイラの耳に届いたのが不幸な出来事であった。
急にエイラの笑みが含む意味合いが変わってきた。表情は笑顔なのに、見つめられるものを凍らせるような冷たさがそこにはあった。
エイラ:
「……カイ様? 私がいない間に別の侍女でも雇ったんですか? ご主人なんて呼ばせて」
カイ:
「な、何怒ってるんだよ?」
エイラ:
「別に? 別に私という者がありながら別の侍女を雇ってることに憤りを感じてるわけじゃありませんよ? 嫉妬心が芽生えてるわけじゃありませんよ?」
カイ:
「別にシーナは侍女じゃねぇし、てかどう考えても感じてるだろ、芽生えてるだ……ウっ!?」
カイが突如苦しそうに呻き始める。カイを抱きしめるエイラの力がどんどん強くなっており、カイの腰の骨が軋み始めていた。
エイラが笑顔で力をさらに増していく。
カイ:
「エ、エイラさん……!?」
エイラ:
「さぁ、私が納得できる説明をしてもらいましょうか?」
カイ:
「し、したくても腰が! 力が! 一旦落ち着……アアッ!」
ゴキッという音と共にカイが力なく反るように倒れていく。
エイラ:
「あらあら、困ったご主人ですね全く」
エイラがやれやれと言った様子でカイを真っ黒な床に下ろす。悪魔化している左目は黒目を、右目は白目を剥いていた。
シーナ:
「……エイラ・フェデルとは色んな意味で戦いたくないな。この私が恐怖を感じてるよ……」
エイラに逆らってはいけないのだと、シーナも含めその場にいた誰もが思ったのだった。
ミーア:
「と、とにかくエイラを助けられて本当に良かった!」
今度はミーアがエイラに抱きついて行く。イデアも抱きつこうとしていたが足元に転がっていたカイを一瞥すると、苦笑しながらカイの元に膝をついた。
ミーアを受け止めながらエイラがダリルへと視線を向ける。
エイラ:
「ダリルも悪かったですね。私のためにそんなボロボロになって。まぁ名誉の負傷だと思ってください」
ダリル:
「自分で言うならまだしも原因のおまえに言われるのはなんか違う気がするが……」
ダリルが苦笑する。その横でメリルが少し不満げに頬を膨らませていた。ダリルの怪我を軽視するようなエイラの発言が気に食わなかったのだ。
メリル:
「こらエイラー、調子が戻ったのは良いけれどちゃんとお礼は言いなさいよねー、カイはあー言ってたけど大人の礼儀でしょー!」
エイラ:
「分かってますよ」
エイラは全員の顔を次々と見つめ、最後に白目を剥いて倒れているカイへと視線を向けた。
そして笑顔で、
エイラ:
「皆さん、本当にありがとうございました。助けていただいて、とても、とても嬉しかったです!」
全員も笑顔でそれに応えていく。
ミーア:
「あーあ、エイラがお礼言うことなんて滅多にないのに、お兄ちゃんったら気絶してるよ」
エイラ:
「言っときますけどもう言いませんからね」
倒れるカイを見つめて皆が笑う。
と、そこへ、
ヴァリウス:
「『エイラ、少しいいかな?』」
ヴァリウスの声がかけられる。
エイラ:
「どうしました?」
ヴァリウス:
「『いやね、きっと来た時みたいに大きな扉を見つければいいんだと思うんだけど、全然見当たらないんだ。エイラだったら心当たりあるかなって思って』」
そう言ってヴァリウスが現在の風景を中に見せる。そこはわけも分からない真っ黒な山々に囲まれた山岳地帯であった。
そこを覗きながらエイラが何やら思案する。そして答えた。
エイラ:
「ヴァリウス、実は私、魔界に来るの初めてなんです」
ヴァリウス:
「『え、そうなの!?』」
これにはヴァリウスもイデア達も驚いていた。
イデア:
「エイラさんって悪魔族なのですから、魔界に住んでいたのではないのですか?」
イデアの問いに、エイラが首を横に振る。
エイラ:
「元々昔は魔界なんてなかったんですよ。魔界が創られた頃には私はもう悪魔族とは縁を切ってましたからね、魔界なんて今回が初めてですよ」
イデア:
「そうだったんですか……」
イデアに頷いてから、エイラがヴァリウスに声をかける。
エイラ:
「というわけで、私は残念ながら知りません。どうにか自力で捜してくださいね」
ヴァリウス:
「そんなぁ……」
エイラ:
「ただ、攫われた時の感覚だとあの王都からはそこまで遠くなかったような気がします。急いでくださいね、追手が来る可能性がありますから」
ヴァリウス:
「『うぅ、手あたり次第かぁ、分かったよ……』」
そうしてヴァリウスとの会話が終わる。
正直なところ、エイラは追手の可能性を示唆したがその可能性は少ないと考えていた。理由としては、随分あっさりとカイ達を逃がしたからである。ベグリフの力ならば、あれくらいの奇襲では一切怯むことなくカイ達を殺すことが可能だとエイラは知っていた。それに、四魔将の内二人しか奇襲に対応していなかったこともエイラは不思議に思っていた。
エイラ:
「(わざと逃がしたということでしょうか……ですが、何のために……?)」
考えてみるが、全く見当がつかなかった。それに、追手が来る可能性もまだ残っている。魔界から人界へ帰るには例の大きな扉しか方法がないため待ち伏せされている可能性だってある。まだ気を緩めるには早い段階だった。
ヴァリウスとの会話が一段落すると、エイラはカイへと視線を向けた。ベルセイン状態は既に解除されているため、悪魔の左腕と右足が露わになっていた。
エイラ:
「……」
それらを注視した後、さらにシーナへと視線を向けた。
エイラ:
「私の知らない間に色々あったみたいですね。その辺りの話を聞いてもいいですか?」
ミーア:
「あー、エイラはシーナの事も知らないんだもんね」
エイラ:
「それに、カイ様の手足の変化についても」
そう言われてイデア達が視線を交わす。そしてイデアが代表して口を開いた。
イデア:
「カイの変化については正直あまりよく分かっていないのですが、とりあえずはわたしが話します。全てその場にいましたので……」
やがて、イデアがこれまでの話をエイラへと話し始めたのだった。
………………………………………………………………………………
天地谷にて、ゼノ達は一つの大きな墓石を目の前にしていた。
ジェガロの墓石である。ジェガロの巨体程ではないが、それでも通常よりは大きなサイズであった。
ジェガロの死体は手作業で埋葬し、その上にこれまた手作りで墓石を作った。全てを魔法に頼らず、ゼノ達は自分の手で行ったのであった。
そのため、墓石を無事作り終わった頃には作業開始から二日経過していた。今は夕焼けが辺りを照らしている。
ジェガロの墓石を目の前に、シオルンが涙を零す。
シオルン:
「ジェガロ……」
ゼノも、目を潤ませながらそれを見つめていた。
ゼノ:
「ジェガロと初めて会った時、ジェガロは敵だったなー……」
エリス:
「そうなの?」
エリスが驚く。ゼノは頷いた。
ゼノ:
「まぁ敵というか、少なくとも味方じゃなかったな。でも、なんだかんだ味方になってくれた。ジェガロの存在は心強かったよ。ジェガロがいないと、きっとこの世界は存在していない」
デイナ:
「……」
ゼノの言葉の意味をデイナは詳しく聞きたかったが、この場面では遠慮することに決めた。
黙って全員がジェガロの墓石を見つめる。そして静かに黙祷を捧げた。
そうしてどれくらい時間が経ったか、ゼノが眼を開けて伸びをした。
ゼノ:
「さぁて、後はカイ達がいつ帰ってくるかだな」
全員が傍にある二つの大きな扉へと視線を向けた。片方には太陽の紋様が、もう片方には月の紋様が描かれている。
デイナがゼノへと尋ねる。
デイナ:
「なぁ、こんな大きな扉がちゃんと開くのか」
ゼノ:
「まぁな。本当は簡単に開かないように封印を施していたんだが、どうやら向こう側から破壊されたみたいだし、カイ達も簡単に開けて帰ってくるだろ」
そこにエリスが加わる。
エリス:
「ねぇ、天界へ行く時は何やら向こう側の許可があれば簡単に行けたけど、魔界にはそういう仕組みはなかったの?」
ゼノ:
「あいつらとは話し合う余地が無かったからな。万が一のために行き来できる扉は作っていたが固く封じていた。まぁその封印も壊されてしまったわけだが」
デイナ:
「封印を破壊した時点で人界と戦うつもりだったということか」
三人がそんな会話をしている中、シオルンは心配そうに両手を合わせ祈っていた。
シオルン:
「どうか、皆さんご無事で……!」
ジェガロを失った今、シオルンはこれ以上何も失いたくなかった。
だから、エイラをどうか救い出して帰ってきて欲しいと、それでいて全員がしっかり帰ってくるようにただただ祈っていた。
と、その時だった。
???:
「まったく、私をほったらかして寄り道した挙句手足を千切られるなんて……自業自得ですね」
???:
「どこら辺が自業自得だ! 別に悪い事してないだろ!?」
???:
「私を二の次にした時点で十分死刑に匹敵する罪ですよ」
シオルン:
「えっ」
その声は、シオルンの耳に確かに聞こえてきていた。
シオルンがその声の先へ視線を向ける。
その視線の先で、月の紋様が描かれている大きな扉が少しずつゆっくりと開き始めていた。重々しい重低音が辺りに響き渡っていく。
そしてその中から、人影が出てくる。
エイラ:
「加えて、自分を殺しかけた敵を味方にするなんて……。私、カイ様がそこまでドMだとは思いませんでしたよ」
シーナ:
「ご主人、ドMなのか! 私に痛めつけられたいのか!」
カイ:
「シーナ、頼むから目を輝かせるな!」
イデア:
「ほらね、カイ。わたし以外も皆呆れてるでしょ?」
ミーア:
「そりゃ呆れるよね」
ダリル:
「まぁカイらしいと言えばカイらしいが……」
メリル:
「つまりカイらしさ=ドMということね」
ヴァリウス:
「何だかカイの魔力を持っているからかカイの話は他人事に聞こえないねぇ」
カイ達全員が何やら騒ぎながらその扉から出てくる。
全員の元気な様子とエイラもいるその事実に、シオルンは思わず飛び出さずにはいられなかった。
シオルン:
「皆さぁあああああん!」
泣きながらシオルンがエイラへと抱きつく。
カイ達はシオルンの登場に驚いていた。
カイ:
「え、シオルン?」
エイラ:
「シオルン様がどうしてここに……」
シオルン:
「エイラさんが、皆さんがご無事で良かったですぅ……!」
訳も分からずとりあえずシオルンの頭を撫でるエイラ。シオルンが何故ここにいて事情を知っているのかカイ達は分からなかった。
そこにエリスとデイナも合流した。
ミーア:
「あれ、エリス? それにデイ兄まで!? 何やってるの!?」
エリス:
「それはこっちの台詞だよ! 悪魔に喧嘩を売りに行くとか……俺も連れてけよ!」
シオルン:
「私は、嫌ですよー……!」
シオルンが鼻を啜りながらそう答える。
その横でデイナは、口角を上げてカイに話しかけていた。
デイナ:
「ふん、魔界でくたばらなかったか、カイ」
カイ:
「それ言うためにわざわざここにいたのか? 相当暇みたいだな」
デイナ:
「暇つぶしにおまえは丁度いいんだよ」
カイ:
「その暇の潰し方、末期だと思った方がいいぞ」
そう答えるカイも口角が上がっている。嫌味のような会話にも気持ちのいいものがあった。
カイ達から少し離れたところで、ゼノが扉へ向けて両手を突き出していた。そして魔法を唱える。
ゼノ:
「《グランド・チェインロック!》」
月の紋様が描かれた大きな扉が大小さまざまな鎖に縛られていく。そして中心部には円形の錠がかけられ、その錠に全ての鎖が繋がれた。
ゼノ:
「ふぅ、前より強くしたし、これで当分は大丈夫だろ」
汗を拭ってゼノが大きく伸びをする。そこへエイラが近づいた。
それに気づいてゼノが笑いかける。
ゼノ:
「……よく帰ってきたな」
エイラ:
「ゼノがカイ様をちゃんと止めてくれないからですよ。せっかく手間のかかる親子から解放されると思ってたのに」
ゼノ:
「誰が解放してやるかっての」
ゼノとエイラが笑い合う。
その後、エイラが真剣な表情でゼノへと告げた。
エイラ:
「どうやら悪魔族は本当に戦争を仕掛けるつもりのようです。というかカイ様が宣戦布告しましたし」
ゼノ:
「あいつ……。まぁカイが魔界に行った時点でそのつもりで動いていた。おまえにも、しっかり働いてもらうからな」
ゼノの言葉にエイラが力強く頷く。
エイラ:
「せっかく助けてもらったんですもの、この命尽きるまで働きますよ」
カイ:
「簡単に尽きさせないさ。ていうか悪魔族の平均寿命って確か人族の3―――」
エイラ:
「ゼーノー?」
エイラが笑顔でゼノの顔を覗く。
ゼノ:
「……あー、ちょっとカイに話しかけてこよーっと!」
カイへと逃げるように向かって行くゼノの背中に、エイラは微笑んだのだった。
ゼノ:
「カイ」
ゼノがデイナと話していたカイへと声をかける。
カイ:
「……何だよ、親父」
振り返るカイ。その姿は、魔界に行く前よりたくましくゼノの目に映っていた。途中、悪魔化している手足と左目に視線を向け、険しい表情を浮かべたが、やがて普段とは違う神妙な表情で口を開いた。カイとは喧嘩別れになって以来であり、少し気まずいのである。
ゼノ:
「……なんだ、その……よくやった」
カイ:
「……ふん、止めた癖に」
カイが拗ねたようにボソッとそう呟く。ゼノはその姿に無意識のうちに頭を撫でていた。
慌ててカイがはねのけようとする。
カイ:
「な、何だよ!」
ゼノ:
「いや、大きくなったと思ってな」
カイ:
「なら、頭撫でるのやめろ! どう見ても子供扱いじゃねえか!」
ゼノ:
「大きくなったとは言ってもおまえはまだ子供だよ」
笑うゼノの手からカイがどうにか抜け出してゼノを睨みつける。
すると、そんなカイからゼノは視線を外した。そして、少し照れくさそうに頬を掻きながら口を開く。
ゼノ:
「だから、責任背負ってやるよ」
カイ:
「え?」
ゼノの言っている意味が分からなくてカイが訝しげな表情を浮かべる。
一回で分かってもらえなかったゼノは、少し語気を荒げてもう一度告げた。
ゼノ:
「おまえが子供だから、親の俺が魔界に喧嘩売った責任取ってやるって言ってるんだ!」
カイ:
「っ!」
ゼノのその言葉にカイが目を見開く。
カイ:
「ガキの責任を取るのが親ってもんだろ! なら! エイラを助けてくるから責任とれや!」
喧嘩別れする前にカイが言ったこの言葉に対する、答えをゼノが言ったのである。
カイは驚いたようにゼノを見つめていたが、やがて口角を上げこれまた視線を外して言葉を返した。
カイ:
「へっ、んなの親だから当然だっての!」
ゼノ:
「そうだよなぁ、じゃあおまえに責任が発生するのも当然だよなぁ」
カイ:
「何でだよ!」
ゼノ:
「おまえは実行犯なんだから責任出るの当たり前だろ!」
カイ:
「おれの分を全部肩代わりしてくれんじゃねえのかよ!」
ゼノ:
「馬鹿言え、良くて半分だ!」
言い合いを始めるカイとゼノ。
その二人をイデアは微笑ましく見つめていた。
その隣にミーアが訪れる。
ミーア:
「男ってなんか素直じゃないよね」
イデア:
「でも、時々羨ましく思います」
ミーア:
「……もしかしてイデアちゃんって拳で語り合いたいタイプ?」
イデア:
「……時と場合によります」
ミーア:
「よるんだ!?」
イデア:
「うふふふ、嘘です」
イデアはミーアにいたずらっ子のように笑ってみせた。
デイナがカイとゼノへ笑みを向けていると、そこにエイラが近づいて来た。
エイラ:
「攫われていたので話す機会がありませんでしたが、カイ様との決闘を通してなんだかスッキリしたようですね。雰囲気が変わりました」
エイラに視線を向けることなく、デイナが口を開く。
デイナ:
「俺は、変われたのかな……」
エイラ:
「そうですね、少なくとも昔の性格の悪さはなりを潜めていると思いますよ?」
その言葉にデイナが笑う。
デイナ:
「侍女の分際で言ってくれる。それに、おまえに性格の悪さを言われてもな」
エイラ:
「私はほら、悪魔ですから性格が悪いのは仕方ありません」
ニッコリ笑うエイラ。デイナは言葉なく苦笑で返した。
すると、そこにヴァリウスが真面目な表情で近づいていった。
ヴァリウス:
「エイラ、ちょっといいかな?」
エイラ:
「何ですか?」
エイラとヴァリウスが皆の輪から少し離れる。そして、ヴァリウスが何やら難し気に眉間を寄せながら口を開いた。
ヴァリウス:
「いやね、随分簡単に帰ってこれたと思わないかい?」
エイラ:
「……そうですね」
エイラもまた難しい表情で頷く。
魔界にて無事に扉を見つけたカイ達だったが、そこには誰一人待ち伏せしている追手などいなかった。そのため、簡単にカイ達は帰ってこれたのである。カイ達を生きて帰さないつもりならば人界に帰る唯一の方法である扉の前には追手を用意して当然だろう。だが、そうしなかった。
つまり、そのことが指し示すのは、
エイラ:
「私達はわざと逃がされた可能性がある……」
ヴァリウス:
「そういうことだね」
エイラの見解にヴァリウスは頷いた。
ヴァリウス:
「一体何の目的があって逃がしたのか。もしかしたら、エイラが助けられることも彼らの計画の内なんてことはないかい?」
ヴァリウスの予想は否定できないものがあった。ベグリフがかなりの切れ者であることをエイラは知っていた。
だが、やがてエイラは険しかった表情を緩和させた。
エイラ:
「確かにその可能性はあるかもしれません。ですが、もしそうならば私を助けさせたことを後悔させてあげるだけです。考えても分からないですし、ここはポジティブに行きましょう」
エイラの言葉に目を丸くした後、ヴァリウスは笑った。
ヴァリウス:
「何と言うか、流石カイの侍女って感じだね。前向きな感じが」
エイラ:
「それ、全く褒められてる気がしませんよ」
エイラが不満そうに口を尖らす。その様子にまたヴァリウスは笑ったのだった。
談笑していたカイ達だったが、そこへメリルが全体へ声をかけた。
メリル:
「ねぇ、ダリルを休ませてあげたいからとりあえず早く帰りましょう」
カイ:
「あー、それもそうだなっと、その前に」
そう言ってカイが急に真面目な表情である場所へ向かう。そこにはジェガロの墓石があった。
カイ:
「これ、ジェガロの墓だろ?」
ゼノ:
「ああ」
ゼノがその隣に並ぶ。続けてエイラが並んだ。エイラは既にジェガロの死を知らされており、悲しそうな表情を浮かべたままじっと墓を見つめている。
やがて声をかけたわけでもなく全員がその前に並び、シーナ以外が黙祷した。シーナはジェガロを知らないが、特に口を開くこともなく黙祷するカイ達を見守っていた。
そして長い時間黙祷した後、カイが全員に告げる。
カイ:
「よし、じゃあ戻るか! 懐かしのレイデンフォートへ!」
イデア:
「懐かしいってほど離れてないけどね」
こうして、カイ達はヴァリウスの転移でレイデンフォートへと帰還したのだった。
………………………………………………………………………………
魔界の王都アイレンゾードにそびえ立つ魔王の城、ヴェイガウス城。
その王の間にて、ベグリフは玉座に座り足を組みながら考え事をしていた。
ベグリフ:
「(あの小僧、どこであの魔力を……あの手足は魔魂の儀式、つまり奴が生きていてあの小僧に魔魂の儀式を施したということか……? だが、あの小僧からは微量ながら天使共の魔力も感じた。だから、魔魂の儀式を施されたにも関わらず正気を保っているということか。あの小僧、何者だ……?)」
考えを巡らすベグリフ。
するとその時、ベグリフの思考を停止させるように背後から声がかけられた。
???:
「どうしたんだい、ベグリフ。何やら難しい顔をしているみたいだけど、考え事かい?」
直前までベグリフはその人物の存在に気付いていなかった。ベグリフほどの男がである。
ベグリフは振り返ることなく口を開いた。
ベグリフ:
「……グリゼンドか」
玉座の背もたれに逆からもたれかかっている男、グリゼンドがニヤリと笑う。
グリゼンド:
「分からないことがあるんだね?」
ベグリフ:
「……貴様には関係あるまい」
ベグリフが冷たく言い放つ。教える気は毛頭なかった。
グリゼンドが唇を尖らせる。ベグリフにここまで気さくに話しかけられるのはグリゼンドくらいであった。
グリゼンド:
「えー、まぁいいけど。それより、いつ動けばいいんだい?」
ベグリフ:
「まだだ。時期を待て」
グリゼンド:
「だから、その時期を聞いてるんだけど」
しつこく問いただすグリゼンドに、ベグリフはふぅと息を吐いた。
そして答える。
ベグリフ:
「―――に攻撃を仕掛けた時だ」
その答えにグリゼンドが冷たい笑みを浮かべる。
グリゼンド:
「了解。楽しくなりそうだね」
そして次の瞬間、グリゼンドは忽然と姿を消した。
グリゼンドの気配が去ってから、ベグリフが上を見上げる。そこにはただ天井があるだけだったが、ベグリフが見つめていたのは昔の記憶に映るとある人物だった。
ベグリフ:
「確かに楽しくなりそうだ。不思議と気持ちが昂る。おまえと交える時は近いようだ。なぁ、ゼノ・レイデンフォート」
ベグリフは一人虚空を見つめながら残虐な笑みを浮かべた。
今まで気にしていなかったのに、途端にエイラを意識して顔を赤くしていく。
カイ:
「あ、ええっと、エイラ? そろそろ離れないか?」
カイがエイラに回していた両手を離すが、エイラが離すことはなかった。むしろ、カイにそう言われて力を強めたくらいである。
エイラ:
「いいじゃないですか、私と抱擁するのは初めてでしょう? この機会に堪能してください」
カイ:
「い、いやぁ、でもほら、イデアも見てるし……」
エイラ:
「イデア様も今日くらいは許してくれますよ」
そう言ってエイラが赤くなっているカイの顔を覗く。エイラは随分意地の悪い笑みを浮かべていた。カイが恥ずかしがり始めたのを十分理解しているのである。
イデアはその二人のやり取りを微笑ましく見つめているため、カイは援護を望めそうになかった。
エイラ:
「あれ? どうしたんですかカイ様、顔が赤いですよ?」
カイ:
「っ、おまえ、分かってて言ってるだろ!」
エイラ:
「はい、分かってますとも。カイ様の侍女ですからね。私の身体に欲情したんでしょう?」
カイ:
「いや、違えよ!? 何も分かってねえじゃねえか!」
いいから離れろ、とカイが必死に抵抗するがエイラが離さない。そうやってあーだこーだ二人が口論する。エイラの表情は楽しそうに笑っていた。
それをイデア達が微笑ましく見る。ようやくいつもの風景が帰ってきたのだと。
だが、一人だけ興味津々な視線を送っている人物がいた。
シーナである。
シーナ:
「ご主人って本当にあのエイラ・フェデルと仲良いんだな」
ご主人、その言葉がエイラの耳に届いたのが不幸な出来事であった。
急にエイラの笑みが含む意味合いが変わってきた。表情は笑顔なのに、見つめられるものを凍らせるような冷たさがそこにはあった。
エイラ:
「……カイ様? 私がいない間に別の侍女でも雇ったんですか? ご主人なんて呼ばせて」
カイ:
「な、何怒ってるんだよ?」
エイラ:
「別に? 別に私という者がありながら別の侍女を雇ってることに憤りを感じてるわけじゃありませんよ? 嫉妬心が芽生えてるわけじゃありませんよ?」
カイ:
「別にシーナは侍女じゃねぇし、てかどう考えても感じてるだろ、芽生えてるだ……ウっ!?」
カイが突如苦しそうに呻き始める。カイを抱きしめるエイラの力がどんどん強くなっており、カイの腰の骨が軋み始めていた。
エイラが笑顔で力をさらに増していく。
カイ:
「エ、エイラさん……!?」
エイラ:
「さぁ、私が納得できる説明をしてもらいましょうか?」
カイ:
「し、したくても腰が! 力が! 一旦落ち着……アアッ!」
ゴキッという音と共にカイが力なく反るように倒れていく。
エイラ:
「あらあら、困ったご主人ですね全く」
エイラがやれやれと言った様子でカイを真っ黒な床に下ろす。悪魔化している左目は黒目を、右目は白目を剥いていた。
シーナ:
「……エイラ・フェデルとは色んな意味で戦いたくないな。この私が恐怖を感じてるよ……」
エイラに逆らってはいけないのだと、シーナも含めその場にいた誰もが思ったのだった。
ミーア:
「と、とにかくエイラを助けられて本当に良かった!」
今度はミーアがエイラに抱きついて行く。イデアも抱きつこうとしていたが足元に転がっていたカイを一瞥すると、苦笑しながらカイの元に膝をついた。
ミーアを受け止めながらエイラがダリルへと視線を向ける。
エイラ:
「ダリルも悪かったですね。私のためにそんなボロボロになって。まぁ名誉の負傷だと思ってください」
ダリル:
「自分で言うならまだしも原因のおまえに言われるのはなんか違う気がするが……」
ダリルが苦笑する。その横でメリルが少し不満げに頬を膨らませていた。ダリルの怪我を軽視するようなエイラの発言が気に食わなかったのだ。
メリル:
「こらエイラー、調子が戻ったのは良いけれどちゃんとお礼は言いなさいよねー、カイはあー言ってたけど大人の礼儀でしょー!」
エイラ:
「分かってますよ」
エイラは全員の顔を次々と見つめ、最後に白目を剥いて倒れているカイへと視線を向けた。
そして笑顔で、
エイラ:
「皆さん、本当にありがとうございました。助けていただいて、とても、とても嬉しかったです!」
全員も笑顔でそれに応えていく。
ミーア:
「あーあ、エイラがお礼言うことなんて滅多にないのに、お兄ちゃんったら気絶してるよ」
エイラ:
「言っときますけどもう言いませんからね」
倒れるカイを見つめて皆が笑う。
と、そこへ、
ヴァリウス:
「『エイラ、少しいいかな?』」
ヴァリウスの声がかけられる。
エイラ:
「どうしました?」
ヴァリウス:
「『いやね、きっと来た時みたいに大きな扉を見つければいいんだと思うんだけど、全然見当たらないんだ。エイラだったら心当たりあるかなって思って』」
そう言ってヴァリウスが現在の風景を中に見せる。そこはわけも分からない真っ黒な山々に囲まれた山岳地帯であった。
そこを覗きながらエイラが何やら思案する。そして答えた。
エイラ:
「ヴァリウス、実は私、魔界に来るの初めてなんです」
ヴァリウス:
「『え、そうなの!?』」
これにはヴァリウスもイデア達も驚いていた。
イデア:
「エイラさんって悪魔族なのですから、魔界に住んでいたのではないのですか?」
イデアの問いに、エイラが首を横に振る。
エイラ:
「元々昔は魔界なんてなかったんですよ。魔界が創られた頃には私はもう悪魔族とは縁を切ってましたからね、魔界なんて今回が初めてですよ」
イデア:
「そうだったんですか……」
イデアに頷いてから、エイラがヴァリウスに声をかける。
エイラ:
「というわけで、私は残念ながら知りません。どうにか自力で捜してくださいね」
ヴァリウス:
「そんなぁ……」
エイラ:
「ただ、攫われた時の感覚だとあの王都からはそこまで遠くなかったような気がします。急いでくださいね、追手が来る可能性がありますから」
ヴァリウス:
「『うぅ、手あたり次第かぁ、分かったよ……』」
そうしてヴァリウスとの会話が終わる。
正直なところ、エイラは追手の可能性を示唆したがその可能性は少ないと考えていた。理由としては、随分あっさりとカイ達を逃がしたからである。ベグリフの力ならば、あれくらいの奇襲では一切怯むことなくカイ達を殺すことが可能だとエイラは知っていた。それに、四魔将の内二人しか奇襲に対応していなかったこともエイラは不思議に思っていた。
エイラ:
「(わざと逃がしたということでしょうか……ですが、何のために……?)」
考えてみるが、全く見当がつかなかった。それに、追手が来る可能性もまだ残っている。魔界から人界へ帰るには例の大きな扉しか方法がないため待ち伏せされている可能性だってある。まだ気を緩めるには早い段階だった。
ヴァリウスとの会話が一段落すると、エイラはカイへと視線を向けた。ベルセイン状態は既に解除されているため、悪魔の左腕と右足が露わになっていた。
エイラ:
「……」
それらを注視した後、さらにシーナへと視線を向けた。
エイラ:
「私の知らない間に色々あったみたいですね。その辺りの話を聞いてもいいですか?」
ミーア:
「あー、エイラはシーナの事も知らないんだもんね」
エイラ:
「それに、カイ様の手足の変化についても」
そう言われてイデア達が視線を交わす。そしてイデアが代表して口を開いた。
イデア:
「カイの変化については正直あまりよく分かっていないのですが、とりあえずはわたしが話します。全てその場にいましたので……」
やがて、イデアがこれまでの話をエイラへと話し始めたのだった。
………………………………………………………………………………
天地谷にて、ゼノ達は一つの大きな墓石を目の前にしていた。
ジェガロの墓石である。ジェガロの巨体程ではないが、それでも通常よりは大きなサイズであった。
ジェガロの死体は手作業で埋葬し、その上にこれまた手作りで墓石を作った。全てを魔法に頼らず、ゼノ達は自分の手で行ったのであった。
そのため、墓石を無事作り終わった頃には作業開始から二日経過していた。今は夕焼けが辺りを照らしている。
ジェガロの墓石を目の前に、シオルンが涙を零す。
シオルン:
「ジェガロ……」
ゼノも、目を潤ませながらそれを見つめていた。
ゼノ:
「ジェガロと初めて会った時、ジェガロは敵だったなー……」
エリス:
「そうなの?」
エリスが驚く。ゼノは頷いた。
ゼノ:
「まぁ敵というか、少なくとも味方じゃなかったな。でも、なんだかんだ味方になってくれた。ジェガロの存在は心強かったよ。ジェガロがいないと、きっとこの世界は存在していない」
デイナ:
「……」
ゼノの言葉の意味をデイナは詳しく聞きたかったが、この場面では遠慮することに決めた。
黙って全員がジェガロの墓石を見つめる。そして静かに黙祷を捧げた。
そうしてどれくらい時間が経ったか、ゼノが眼を開けて伸びをした。
ゼノ:
「さぁて、後はカイ達がいつ帰ってくるかだな」
全員が傍にある二つの大きな扉へと視線を向けた。片方には太陽の紋様が、もう片方には月の紋様が描かれている。
デイナがゼノへと尋ねる。
デイナ:
「なぁ、こんな大きな扉がちゃんと開くのか」
ゼノ:
「まぁな。本当は簡単に開かないように封印を施していたんだが、どうやら向こう側から破壊されたみたいだし、カイ達も簡単に開けて帰ってくるだろ」
そこにエリスが加わる。
エリス:
「ねぇ、天界へ行く時は何やら向こう側の許可があれば簡単に行けたけど、魔界にはそういう仕組みはなかったの?」
ゼノ:
「あいつらとは話し合う余地が無かったからな。万が一のために行き来できる扉は作っていたが固く封じていた。まぁその封印も壊されてしまったわけだが」
デイナ:
「封印を破壊した時点で人界と戦うつもりだったということか」
三人がそんな会話をしている中、シオルンは心配そうに両手を合わせ祈っていた。
シオルン:
「どうか、皆さんご無事で……!」
ジェガロを失った今、シオルンはこれ以上何も失いたくなかった。
だから、エイラをどうか救い出して帰ってきて欲しいと、それでいて全員がしっかり帰ってくるようにただただ祈っていた。
と、その時だった。
???:
「まったく、私をほったらかして寄り道した挙句手足を千切られるなんて……自業自得ですね」
???:
「どこら辺が自業自得だ! 別に悪い事してないだろ!?」
???:
「私を二の次にした時点で十分死刑に匹敵する罪ですよ」
シオルン:
「えっ」
その声は、シオルンの耳に確かに聞こえてきていた。
シオルンがその声の先へ視線を向ける。
その視線の先で、月の紋様が描かれている大きな扉が少しずつゆっくりと開き始めていた。重々しい重低音が辺りに響き渡っていく。
そしてその中から、人影が出てくる。
エイラ:
「加えて、自分を殺しかけた敵を味方にするなんて……。私、カイ様がそこまでドMだとは思いませんでしたよ」
シーナ:
「ご主人、ドMなのか! 私に痛めつけられたいのか!」
カイ:
「シーナ、頼むから目を輝かせるな!」
イデア:
「ほらね、カイ。わたし以外も皆呆れてるでしょ?」
ミーア:
「そりゃ呆れるよね」
ダリル:
「まぁカイらしいと言えばカイらしいが……」
メリル:
「つまりカイらしさ=ドMということね」
ヴァリウス:
「何だかカイの魔力を持っているからかカイの話は他人事に聞こえないねぇ」
カイ達全員が何やら騒ぎながらその扉から出てくる。
全員の元気な様子とエイラもいるその事実に、シオルンは思わず飛び出さずにはいられなかった。
シオルン:
「皆さぁあああああん!」
泣きながらシオルンがエイラへと抱きつく。
カイ達はシオルンの登場に驚いていた。
カイ:
「え、シオルン?」
エイラ:
「シオルン様がどうしてここに……」
シオルン:
「エイラさんが、皆さんがご無事で良かったですぅ……!」
訳も分からずとりあえずシオルンの頭を撫でるエイラ。シオルンが何故ここにいて事情を知っているのかカイ達は分からなかった。
そこにエリスとデイナも合流した。
ミーア:
「あれ、エリス? それにデイ兄まで!? 何やってるの!?」
エリス:
「それはこっちの台詞だよ! 悪魔に喧嘩を売りに行くとか……俺も連れてけよ!」
シオルン:
「私は、嫌ですよー……!」
シオルンが鼻を啜りながらそう答える。
その横でデイナは、口角を上げてカイに話しかけていた。
デイナ:
「ふん、魔界でくたばらなかったか、カイ」
カイ:
「それ言うためにわざわざここにいたのか? 相当暇みたいだな」
デイナ:
「暇つぶしにおまえは丁度いいんだよ」
カイ:
「その暇の潰し方、末期だと思った方がいいぞ」
そう答えるカイも口角が上がっている。嫌味のような会話にも気持ちのいいものがあった。
カイ達から少し離れたところで、ゼノが扉へ向けて両手を突き出していた。そして魔法を唱える。
ゼノ:
「《グランド・チェインロック!》」
月の紋様が描かれた大きな扉が大小さまざまな鎖に縛られていく。そして中心部には円形の錠がかけられ、その錠に全ての鎖が繋がれた。
ゼノ:
「ふぅ、前より強くしたし、これで当分は大丈夫だろ」
汗を拭ってゼノが大きく伸びをする。そこへエイラが近づいた。
それに気づいてゼノが笑いかける。
ゼノ:
「……よく帰ってきたな」
エイラ:
「ゼノがカイ様をちゃんと止めてくれないからですよ。せっかく手間のかかる親子から解放されると思ってたのに」
ゼノ:
「誰が解放してやるかっての」
ゼノとエイラが笑い合う。
その後、エイラが真剣な表情でゼノへと告げた。
エイラ:
「どうやら悪魔族は本当に戦争を仕掛けるつもりのようです。というかカイ様が宣戦布告しましたし」
ゼノ:
「あいつ……。まぁカイが魔界に行った時点でそのつもりで動いていた。おまえにも、しっかり働いてもらうからな」
ゼノの言葉にエイラが力強く頷く。
エイラ:
「せっかく助けてもらったんですもの、この命尽きるまで働きますよ」
カイ:
「簡単に尽きさせないさ。ていうか悪魔族の平均寿命って確か人族の3―――」
エイラ:
「ゼーノー?」
エイラが笑顔でゼノの顔を覗く。
ゼノ:
「……あー、ちょっとカイに話しかけてこよーっと!」
カイへと逃げるように向かって行くゼノの背中に、エイラは微笑んだのだった。
ゼノ:
「カイ」
ゼノがデイナと話していたカイへと声をかける。
カイ:
「……何だよ、親父」
振り返るカイ。その姿は、魔界に行く前よりたくましくゼノの目に映っていた。途中、悪魔化している手足と左目に視線を向け、険しい表情を浮かべたが、やがて普段とは違う神妙な表情で口を開いた。カイとは喧嘩別れになって以来であり、少し気まずいのである。
ゼノ:
「……なんだ、その……よくやった」
カイ:
「……ふん、止めた癖に」
カイが拗ねたようにボソッとそう呟く。ゼノはその姿に無意識のうちに頭を撫でていた。
慌ててカイがはねのけようとする。
カイ:
「な、何だよ!」
ゼノ:
「いや、大きくなったと思ってな」
カイ:
「なら、頭撫でるのやめろ! どう見ても子供扱いじゃねえか!」
ゼノ:
「大きくなったとは言ってもおまえはまだ子供だよ」
笑うゼノの手からカイがどうにか抜け出してゼノを睨みつける。
すると、そんなカイからゼノは視線を外した。そして、少し照れくさそうに頬を掻きながら口を開く。
ゼノ:
「だから、責任背負ってやるよ」
カイ:
「え?」
ゼノの言っている意味が分からなくてカイが訝しげな表情を浮かべる。
一回で分かってもらえなかったゼノは、少し語気を荒げてもう一度告げた。
ゼノ:
「おまえが子供だから、親の俺が魔界に喧嘩売った責任取ってやるって言ってるんだ!」
カイ:
「っ!」
ゼノのその言葉にカイが目を見開く。
カイ:
「ガキの責任を取るのが親ってもんだろ! なら! エイラを助けてくるから責任とれや!」
喧嘩別れする前にカイが言ったこの言葉に対する、答えをゼノが言ったのである。
カイは驚いたようにゼノを見つめていたが、やがて口角を上げこれまた視線を外して言葉を返した。
カイ:
「へっ、んなの親だから当然だっての!」
ゼノ:
「そうだよなぁ、じゃあおまえに責任が発生するのも当然だよなぁ」
カイ:
「何でだよ!」
ゼノ:
「おまえは実行犯なんだから責任出るの当たり前だろ!」
カイ:
「おれの分を全部肩代わりしてくれんじゃねえのかよ!」
ゼノ:
「馬鹿言え、良くて半分だ!」
言い合いを始めるカイとゼノ。
その二人をイデアは微笑ましく見つめていた。
その隣にミーアが訪れる。
ミーア:
「男ってなんか素直じゃないよね」
イデア:
「でも、時々羨ましく思います」
ミーア:
「……もしかしてイデアちゃんって拳で語り合いたいタイプ?」
イデア:
「……時と場合によります」
ミーア:
「よるんだ!?」
イデア:
「うふふふ、嘘です」
イデアはミーアにいたずらっ子のように笑ってみせた。
デイナがカイとゼノへ笑みを向けていると、そこにエイラが近づいて来た。
エイラ:
「攫われていたので話す機会がありませんでしたが、カイ様との決闘を通してなんだかスッキリしたようですね。雰囲気が変わりました」
エイラに視線を向けることなく、デイナが口を開く。
デイナ:
「俺は、変われたのかな……」
エイラ:
「そうですね、少なくとも昔の性格の悪さはなりを潜めていると思いますよ?」
その言葉にデイナが笑う。
デイナ:
「侍女の分際で言ってくれる。それに、おまえに性格の悪さを言われてもな」
エイラ:
「私はほら、悪魔ですから性格が悪いのは仕方ありません」
ニッコリ笑うエイラ。デイナは言葉なく苦笑で返した。
すると、そこにヴァリウスが真面目な表情で近づいていった。
ヴァリウス:
「エイラ、ちょっといいかな?」
エイラ:
「何ですか?」
エイラとヴァリウスが皆の輪から少し離れる。そして、ヴァリウスが何やら難し気に眉間を寄せながら口を開いた。
ヴァリウス:
「いやね、随分簡単に帰ってこれたと思わないかい?」
エイラ:
「……そうですね」
エイラもまた難しい表情で頷く。
魔界にて無事に扉を見つけたカイ達だったが、そこには誰一人待ち伏せしている追手などいなかった。そのため、簡単にカイ達は帰ってこれたのである。カイ達を生きて帰さないつもりならば人界に帰る唯一の方法である扉の前には追手を用意して当然だろう。だが、そうしなかった。
つまり、そのことが指し示すのは、
エイラ:
「私達はわざと逃がされた可能性がある……」
ヴァリウス:
「そういうことだね」
エイラの見解にヴァリウスは頷いた。
ヴァリウス:
「一体何の目的があって逃がしたのか。もしかしたら、エイラが助けられることも彼らの計画の内なんてことはないかい?」
ヴァリウスの予想は否定できないものがあった。ベグリフがかなりの切れ者であることをエイラは知っていた。
だが、やがてエイラは険しかった表情を緩和させた。
エイラ:
「確かにその可能性はあるかもしれません。ですが、もしそうならば私を助けさせたことを後悔させてあげるだけです。考えても分からないですし、ここはポジティブに行きましょう」
エイラの言葉に目を丸くした後、ヴァリウスは笑った。
ヴァリウス:
「何と言うか、流石カイの侍女って感じだね。前向きな感じが」
エイラ:
「それ、全く褒められてる気がしませんよ」
エイラが不満そうに口を尖らす。その様子にまたヴァリウスは笑ったのだった。
談笑していたカイ達だったが、そこへメリルが全体へ声をかけた。
メリル:
「ねぇ、ダリルを休ませてあげたいからとりあえず早く帰りましょう」
カイ:
「あー、それもそうだなっと、その前に」
そう言ってカイが急に真面目な表情である場所へ向かう。そこにはジェガロの墓石があった。
カイ:
「これ、ジェガロの墓だろ?」
ゼノ:
「ああ」
ゼノがその隣に並ぶ。続けてエイラが並んだ。エイラは既にジェガロの死を知らされており、悲しそうな表情を浮かべたままじっと墓を見つめている。
やがて声をかけたわけでもなく全員がその前に並び、シーナ以外が黙祷した。シーナはジェガロを知らないが、特に口を開くこともなく黙祷するカイ達を見守っていた。
そして長い時間黙祷した後、カイが全員に告げる。
カイ:
「よし、じゃあ戻るか! 懐かしのレイデンフォートへ!」
イデア:
「懐かしいってほど離れてないけどね」
こうして、カイ達はヴァリウスの転移でレイデンフォートへと帰還したのだった。
………………………………………………………………………………
魔界の王都アイレンゾードにそびえ立つ魔王の城、ヴェイガウス城。
その王の間にて、ベグリフは玉座に座り足を組みながら考え事をしていた。
ベグリフ:
「(あの小僧、どこであの魔力を……あの手足は魔魂の儀式、つまり奴が生きていてあの小僧に魔魂の儀式を施したということか……? だが、あの小僧からは微量ながら天使共の魔力も感じた。だから、魔魂の儀式を施されたにも関わらず正気を保っているということか。あの小僧、何者だ……?)」
考えを巡らすベグリフ。
するとその時、ベグリフの思考を停止させるように背後から声がかけられた。
???:
「どうしたんだい、ベグリフ。何やら難しい顔をしているみたいだけど、考え事かい?」
直前までベグリフはその人物の存在に気付いていなかった。ベグリフほどの男がである。
ベグリフは振り返ることなく口を開いた。
ベグリフ:
「……グリゼンドか」
玉座の背もたれに逆からもたれかかっている男、グリゼンドがニヤリと笑う。
グリゼンド:
「分からないことがあるんだね?」
ベグリフ:
「……貴様には関係あるまい」
ベグリフが冷たく言い放つ。教える気は毛頭なかった。
グリゼンドが唇を尖らせる。ベグリフにここまで気さくに話しかけられるのはグリゼンドくらいであった。
グリゼンド:
「えー、まぁいいけど。それより、いつ動けばいいんだい?」
ベグリフ:
「まだだ。時期を待て」
グリゼンド:
「だから、その時期を聞いてるんだけど」
しつこく問いただすグリゼンドに、ベグリフはふぅと息を吐いた。
そして答える。
ベグリフ:
「―――に攻撃を仕掛けた時だ」
その答えにグリゼンドが冷たい笑みを浮かべる。
グリゼンド:
「了解。楽しくなりそうだね」
そして次の瞬間、グリゼンドは忽然と姿を消した。
グリゼンドの気配が去ってから、ベグリフが上を見上げる。そこにはただ天井があるだけだったが、ベグリフが見つめていたのは昔の記憶に映るとある人物だった。
ベグリフ:
「確かに楽しくなりそうだ。不思議と気持ちが昂る。おまえと交える時は近いようだ。なぁ、ゼノ・レイデンフォート」
ベグリフは一人虚空を見つめながら残虐な笑みを浮かべた。
応援ありがとうございます!
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