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2『天使と悪魔』

2 第二章第二十四話「おかえりとただいま」

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ゼノ:
「さて、と」
 天使族を味方につけることに成功したゼノは、ようやく正座から立ち上がる。
 セラは、正座した際についた埃を払ってやっていた。自分で正座させたにも関わらず。
セラ:
「もう行くのですか。せっかくいらしたのですからもう少し……」
 少し寂し気な表情でセラがゼノを見上げる。セラの身長は女性の中では高い部類だがゼノには到底及ばない。
 目線より下にあるセラの頭をゼノが微笑みながら撫でた。
ゼノ:
「本当はもっと悪魔族との戦いに向けていろいろな話をしなきゃいけないしそうしたいのは山々なんだけどな。その前にやらなければいけないことがある」
セラ:
「やらなきゃいけないことって何ですか?」
ゼノ:
「魔界へ続く門の封鎖だ。カイ達が帰ってきたらすぐに封鎖する」
 ゼノの言葉に背後からデイナが声をかける。
デイナ:
「だが父上、カイ達がいつ帰ってくるのか分かってるのか?」
 デイナの問いにゼノが頷いて答える。
ゼノ:
「いや全然」
デイナ:
「何故頷いたんだ……」
 呆れ顔のデイナにゼノが苦笑する。
ゼノ:
「分かるわけないだろう。まぁ根気強く待つさ。それに、ジェガロも供養してやらないとな」
シオルン:
「あ……」
 ジェガロ、という単語にシオルンが俯く。その肩をエリスが抱き寄せていた。
 ジェガロの事情を知らないセラが首を傾げる。
セラ:
「ジェガロ? ジェガロに何かあったのですか?」
 その問いに、ゼノは言いづらそうにしていたが、やがて腹をくくって告げた。
ゼノ:
「……ジェガロが、死んだ」
セラ:
「そんなっ……!」
 セラが一気に悲壮に満ちた表情を浮かべ、口元を両手で押さえる。その目元にはだんだんと涙が溜まっていく。
ゼノはセラを優しく抱き寄せてやった。
ゼノ:
「すまない、俺が気付いた時には既に……」
セラ:
「……いいえ、ゼノが悪いわけではないでしょう」
 涙を拭いながらセラが顔を上げる。そしてそのままゼノの頭を撫でてやった。
セラ:
「あなたはいつもそうやって自分のせいにします。抱え込まないでくださいね」
ゼノ:
「……ああ、ありがとう」
 そうしてゼノとセラが離れる。
 セラは自分の机の上に積んである大量の資料へ視線を向けた後、申し訳なさそうに口を開いた。
セラ:
「すみません、私もジェガロの元へ向かいたいですが今ここを離れるわけには……」
 悪魔族との戦争が決まってしまった今だからこそ、それ以外の仕事を早々と消し去ってしまわなければならなかった。ジェガロの元へ行きたい気持ちを必死に我慢してそう告げたセラの意志を、ゼノは分かっている。
ゼノ:
「いや、いいんだ。むしろ忙しくなるのはこれからなんだ。今のうちに溜まってる分は終わらせておいた方がいい。ジェガロは俺だけで―――」
 と続けようとしたゼノだったが、それは背後から聞こえてきた声に止められた。
シオルン:
「わ、わたしにも手伝わせてください!」
 シオルンが涙目ながらゼノへと言葉を続ける。
シオルン:
「わたし、ジェガロにとても親切にしていただきました。まるで父親のようにわたしを大切にしてくださいました。それはとても短い時間でしたけれど、わたしにとってジェガロの元で過ごした時間はかけがえのないものです。ですから、わたしにも手伝わせてください!」
 頭を下げて懇願するシオルン。その横でエリスもすぐさま頭を下げた。
エリス:
「俺からもお願いします!」
 必死になって懇願する二人。その様子にゼノは慌てて頭を上げさせた。
ゼノ:
「おいおい、顔を上げてくれ! 俺が駄目と言うとでも思っているのか!」
シオルン:
「っ、それじゃあ!」
 顔を上げる二人にゼノは優しく微笑んだ。 
ゼノ:
「ああ、こちらからもよろしく頼む。ジェガロもきっと喜ぶよ」
シオルン&エリス:
「っ、ありがとうございます!」
 喜ぶ二人に微笑んだ後、ゼノはデイナへと視線を向けた。
ゼノ:
「デイナ、おまえはどうする? 先に城に戻ってるか? 帰るなら送ってってやるが」
デイナ:
「ん、そうだな……」
 特にジェガロと関わりのないデイナであれば、わざわざ天地谷に残る必要はない。
 思案するデイナだったが、やがて首を横に振って答えた。
デイナ:
「いや、俺も残ろう。せっかくだからカイを出迎えてやるさ。あいつがどれだけボロボロの恰好で帰ってくるか見物だしな」
 その答えにゼノは一瞬目を丸くしたが、すぐに微笑んだ。デイナの答えはつまり、カイが帰ってくるか心配という意味合いなのだ。素直に言えないデイナらしい答えだった。
ゼノ:
「……そうか」
 そんなゼノの傍にセラが移動して尋ねる。
セラ:
「デイナ、何か変わりました?」
 カイとの決闘の様子などを知らないセラですら、デイナの変化に気付いていた。
ゼノ:
「変わったっていうかカイに変えられたっていうか。とにかく良い方向に変わったよ」
セラ:
「……そうですか、良かったですね」
ゼノ:
「そうだな」
 ゼノとセラが微笑み合う。
 その後、一段落してゼノがシェーンへと声をかけた。
ゼノ:
「さぁシェーン、帰りも頼むぞ」
シェーン:
「……私が送迎係だと思ったら大間違いだぞ、私はセラ様直属の将軍なんだからな!」
 自分の扱いに不満を感じてシェーンがそう答える。ゼノはシェーンに軽く笑って返した。
ゼノ:
「分かってる分かってるって。頼むよ将軍様」
シェーン:
「本当に分かっているのか、まったく……」
 悪態をつきながらも、シェーンは行き同様光の円を床に展開したのだった。
………………………………………………………………………………
エイラ:
「自分が何をしたか分かっているんですか!」
 黒い穴の中にエイラの怒号が響き渡っていく。
 カイの胸倉を掴むほどの剣幕に、全員が固唾を呑んでカイとエイラを見つめていた。
 それに対して、カイは胸倉を掴まれているにも関わらずキョトンとした表情を浮かべていた。
カイ:
「なにって、エイラを助けただけだろ?」
エイラ:
「っ、あなたは馬鹿ですか! そういうことを聞いてるんじゃありません!」
カイ:
「おいおい、おれが馬鹿なのは周知の事実だろ? 少し離れた間にそんなことも忘れちまったのか?」
 おどけた調子で返すカイ。
 怒っているエイラにカイの調子は逆効果だとその場にいる誰もが思っていた。実際逆効果である。
エイラ:
「―――っ!」
 エイラが喉まで込み上げていた罵倒の数々をどうにか飲み込んで、新たに言葉を紡いでいく。
エイラ:
「私が言っているのは、私を助けにわざわざ魔界なんかにまで来て、挙句の果てには魔王に向かって宣戦布告するなんて、あなたは自分のしていることの意味を理解しているのかってことですよ!」
 大声で怒るエイラに対して、カイはうるさそうに両手で耳を塞いでいた。
カイ:
「分かってっから。だからそんな怒んなって。ただ悪魔族と戦争になるだけだろ?」
エイラ:
「だけって、カイ様あなた―――」
 再び怒りを爆発させようとするエイラだったが、その前にカイが逆にエイラの胸倉を掴んで怒鳴った。
カイ:
「俺にとっては! 悪魔族との戦争なんかよりおまえの方が大切なんだよ!」
エイラ:
「っ!」
 カイの言葉にエイラが目を見開く。胸倉を掴んでいた手からは力が抜け、カイを解放していた。
 解放されたカイは同じくエイラの胸倉を放してため息をつく。そして呆れたように笑った。
カイ:
「全くおまえは。助けられて早々説教かよ。まぁ礼一つ言わない辺りエイラって感じがするけど」
カイが再びおどけた調子でエイラに声をかける。
カイ:
「ほら、助けてくれてありがとうございますって言ってみ?」
エイラ:
「っ、私は! 助けてなんて言ってません!」
 エイラが両手を胸の前に重ねながら必死にそう答える。その声はまるで悲痛な叫びのようで、その両手は震えていた。
 だから、カイはその叫びを包み込むように優しく笑ってやった。
カイ:
「そうだな、おれ達はおまえに助けてと言われてここまで来たわけじゃない。ただおまえを助けたくておれ達が勝手にやったことだ」
エイラ:
「っ!」
 カイの言葉にエイラの心の中を嬉しさが駆け抜けていく。
 自分を助けるためにここまでされて、嬉しくないわけがない。だが、それでもエイラは嬉しく思ってはいけないと心に言い聞かせていた。その嬉しさの裏には悪魔族との戦争という最悪な状況を伴っているからである。
エイラ:
「(私が助けられたことを喜んではいけない……)」
 込み上げてくる感情をどうにか飲み込むエイラ。まるで心の内側から感情が溢れてしまわないように外側から鍵をかけてしまっているかのようだ。
 カイがエイラの方へ一歩前に出る。それに合わせてエイラの一歩下がっていく。だが、カイはさらに一歩詰めた。
カイ:
「いいか、もうおまえの命はおまえ一人のものじゃないんだよ。おまえはもうおれを、おれ達を構成する一部なんだよ。だから、おまえが死んだら今のおれ達も死ぬんだよ。おまえの存在がどれだけおれ達にとって大切か分かってないのか?」
エイラ:
「……っ!」
 エイラが目を瞑って両手で耳を塞ごうとする。これ以上カイの言葉を聞いていると、自身の感情が漏れ出てしまいそうだから。
 そんな彼女の両手をカイが掴んで耳から離させた。その状態で言葉を続けていく。
カイ:
「それにな、おまえがいないとつまんないんだ。おまえの罵倒も今じゃ病みつきなんだよ」
エイラ:
「……ッ」
 カイのおもいがけない言葉にエイラは目を丸くした後、我慢しきれず吹き出していた。それを見てカイが微笑む。
 両手を押さえられているエイラは、下を向いてこれ以上笑いが漏れ出ないように唇を噛み締めながら呟いた。
エイラ:
「……とんだ変態ですね」
カイ:
「とんだ変態にしたのはおまえだけどな。けど、おまえはその変態の侍女なんだろ? なら勝手にいなくなっちゃいけないだろ。おまえの居場所はおれの一歩後ろだろ?」
エイラ:
「隣じゃないんですね」
カイ:
「侍女が隣に並ぼうとするんじゃない。それに隣はほら、イデアのものだから」
 そう笑って答えるカイ。だんだんといつもの調子に戻ってくるエイラの様子がカイは嬉しかった。
、そして、途端にカイが両手を離してエイラを抱きしめた。
エイラ:
「っ!」
 これにはエイラも驚いた。今までカイと抱擁など一度も交わしたことがないのである。エイラがふざけて両手を広げてもカイが恥ずかしがって飛び込んでくることはなかった。
 だが不意にカイが自らの意志でエイラを抱きしめた瞬間、エイラにカイの優しさが一気に流れ込んできた。その優しい温もりが、鍵のかかった心の扉をノックしていく。
カイ:
「別にお礼なんていらない。お礼が言ってほしくておれ達は助けたわけじゃないからな。おれ達はおまえに帰ってきて欲しいんだ。ただ、傍にいて欲しいんだよ。だから、しっかり帰ってこい」
エイラ:
「帰って……?」
 帰る、という言葉をエイラは不思議に思った。無事に助けられてカイ達の元にいる今、これ以上どこに帰ってこいと言われているのか分からなかった。
 その様子が伝わったのか、カイが笑う。
カイ:
「おいおい、自分がなんて言っていなくなったのか忘れたのか? おまえは、暇をいただくって言ったんだよ。勝手にだけどな」
エイラ:
「っ!」
 自身の言葉を思い出してエイラが目を見開く。
カイ:
「だから、休暇が終わったんなら終わったって言えよ。帰ったって言えよ。ずっと待ってんだから」
 そしてカイが優しい声音で告げる。
カイ:
「おかえり、エイラ」
エイラ:
「……っ!」
 ドクンとエイラの心臓が脈を打つ。カイの言葉は確かにエイラの心に届いた。
 心に鍵など、もうかかっていなかった。今までせき止めていた感情が一気に溢れ出て行く。
 エイラは唇を震わせながら言葉を紡いだ。
エイラ:
「……これから悪魔族との戦争が始まってしまいます」
カイ:
「そうだな」
エイラ:
「その原因を作ってしまった私は、きっと皆さまに迷惑をかけてしまいます」
カイ:
「別にエイラが原因じゃないだろ? それに迷惑ならこの十二年間でおれの方がかけてる」
エイラ:
「それでもそんな私を、傍においてくださるのですか」
カイ:
「何言ってんだ。傍にいてくれって頼んでるのはこっちだっての」
 カイが笑いながらそう言う。
 エイラは、カイの肩口から顔を離してカイの顔を正面に捉えた。その目には涙が溜まっている。
エイラ:
「……私は、助けられて良かったのですか………?」
 零れた言葉。その言葉が、その問いがエイラの中で最も渦巻いていたものだった。
 助けられるべきではなかったのではないか。助けられても周りに良いことなど何一つないのではないか。あそこで死ぬべきだったのではないか。
 そんな不安がエイラを押しつぶそうとしていた。
 だが、カイはまるで不安を拭うように目尻に溜まっている涙をそっと拭ってやった。
カイ:
「助けられて良かったのか、なんて自分で決めろよ。助けられたおまえ自身の一番の気持ち、それが答えだよ」
 ニッとカイが笑う。
 その瞬間、エイラの目から涙が零れ始めた。その涙は清らかで美しく、真っ黒な空間の中で煌びやかな光を放っていた。
 エイラの一番の気持ちなど最初から決まっていた。不安なことはたくさんある。だがそれ以上に、カイ達に助けてもらったことが嬉しかった。悪魔族との戦争よりも大切だと言われ、飛び上がりたいほど嬉しかった。
 助けに来たカイの後ろ姿を見た瞬間、何よりも最初に安堵が訪れたのをエイラは覚えていた。
 その気持ちにようやくちゃんと向き合ったエイラは、カイの名前を呼んだ。
エイラ:
「カイ様」
カイ:
「ん?」
 カイはその表情を一生忘れることはないだろう。
 そこには、綺麗な涙と共に満面の笑みを浮かべるエイラがいた。
エイラ:
「ただいま」
カイ:
「っ!」
 その言葉はカイが待っていたものであった。
 カイはその瞬間思わず涙ぐんだ。エイラを死なせずに助けられたという実感が込み上げてきたのである。もちろんカイにもエイラを死なせてしまったらどうしようという不安があったのだ。そして今、その不安からようやく解放されたのだった。
カイ:
「ったく、帰ってくるのおっせぇんだよ!」
 そしてカイが再びエイラを強く抱きしめる。
エイラ:
「帰ってきただけありがたく思ってください……!」
 エイラもまた涙を流しながら笑って強く抱きしめ返した。
 こうして、ようやくエイラはカイ達の元へ帰ってきたのだった。
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