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1年生篇 春の章

第七話「ハルナVSケリント ライフの呪い」

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「ケリント」

「……兄さん、こんなところまで何の用だ」

 グレイスを一瞥するもすぐに視線を逸らし、ケリントはベンチに腰掛けながら手袋を履き直した。黒色の手袋は、腰に差している長剣を握っても滑らないようにするためである。

「もう説教は家でも十分された。だがな、この決闘は愚かにもあの平民が身の程を知らずに挑んできたものだ。俺が仕組んだものじゃねえ」

 ここはハルナとヨードルが戦ったコロシアム。

 今日、同じ闘技場でハルナとケリントの決闘が行われるのである。

 コロシアムの内部には選手の控室が東西南北に存在しており、今ケリントとグレイスがいるのは北。そして南にハルナが決闘の始まりを今か今かと待っている。

「しかし、お前が発端であることには変わりないだろう。貴族としてお前の振る舞いは――」

「だからもういいって」

 苛立たし気に立ち上がり、ケリントはグレイスを睨みつける。

「兄さんの騎士観は温過ぎる。五聖家として恥ずかしくないのか。そのプライドはないのか」

「勿論誰よりも誇りに感じているさ。そして、だからこそお前の振る舞いを許しておけないんだよ」

「違う。兄さんのソレは間違っている」

 現役騎士である兄に、ケリントは言葉を突き付ける。

「俺達五聖家の人間は他の貴族とは格が違う。平民なんて天と地の差だ。――分かっているだろ、五聖家の人間がディアルタルカ王国の建国において重要な存在だったことを」

 開闢のエルカインド・進撃のサンドライト・守護のベクター・鉄血のシルフレード・叡智のフィルゲイザー。この五聖家が、王族ディアルタルカと共にこの国を興し、繁栄へと結びつけたのである。

「サンドライト家は王国の剣(つるぎ)として、ディアルタルカの外界の脅威を排除する役割を担っていたという。我が祖先なくしてこの国の安寧はあり得なかった――だが、どうだ。兄さんの掲げる誇り、剣はいつからそんな錆びついた」

「ケリント……」

「たかが一騎士になぞ、なっても意味などない。救済など、他の貴族が騎士になってもできるだろ。王国の剣として俺達にしかできないことがあるはずだろ」

「それが、この決闘だと言うのか!」

 グレイスから放たれる言葉の圧に、ケリントは決して屈しない。

「そうだ。あの平民の存在はこの国にとって毒だ。これまでディアルタルカが積み上げてきた歴史が、騎士としての誇りが、あの下民の手によって穢される。それだけは防がなければいけない」

 平民が騎士学園に通うなど前代未聞。今年度の試験に落ちて合格できなかった貴族もいるというのにだ。それに加えてハルナ・ミューテリスは筆記試験においては学年主席だという。

 ハルナの存在が証明するのは、貴族が落ちぶれてきたという事実。これまで揺るぎようもなかったはずの貴族の存在意義が、たかが平民一人のせいで問われているのだ。

 あってはならない。

 これを受け入れてはならない。

「アイズ・エルカインドの働きかけで、この一か月誰もが平民の存在を忌避しながらも嫌々受け止めていた。だが、奴の排除は誰もが望んでいることのはずだ。――だから俺がやる。誰もやらないから俺がやるんだ。俺が、この歪みを正すんだ」

 そう語るケリントの瞳に光はない。光の代わりに宿るは盲目的なまでの傲り。五聖家としてのプライドが一切のイレギュラーを許さない。

 既にハルナ・ミューテリスの毒に侵され、奴を庇う存在も出てきた。まさかそこにエルカインド以外の五聖家も幾つか名を連ねているとは思わなかったが。

 それだけ、あの毒の周りは早いということだろう。

 一刻も早く止めなければ。

 ケリントはグレイスへ背を向け、やがて闘技場へと繋がる大扉に手をかけた。

「王国の剣として、俺がこの脅威を排除する。兄さんは黙って見ていてくれ」

「待て、ケリント! まだ話は――」

 その背に必死に言葉をかけるも、もうケリントは止まらない。扉を開けると、後ろを振り向くことなく大扉を力強く閉める。

 バンッ、と拒絶の意志が強い音となって控室内に響き渡った。

「……馬鹿者。王国の剣だからこそ、それを向ける切っ先は自国の民であるはずがないだろう」

 グレイスの呟きは虚しく控室に広がり、すぐさま掻き消えていった。





※※※※※





「相変わらずの盛況ぶりだな」

 既に自分の席を確保した状態で、ナツキは周囲を見渡した。

 観客席は満員状態。ハルナとケリントの戦いをここにいる全員が待ち望んでいる。

 ハルナとケリントの決闘は一週間前の段階で話が学園内に出回っていた。事の発端が剣道部での出来事だったから、剣道部員からあちこちに話が回っていったのだと思う。

 平民が五聖家に挑むのだ。その対戦カードに誰もが興味を持って当たり前だった。普通ならば五聖家が圧倒的な形で勝利を掴むだろう。だが、ハルナにはヨードルに勝利したという戦績が存在する。

 何か大波乱が起きるのではないか。起きないにしても、あの時の実力は偶然か否か、それを見極めるために生徒も教師も集まってきているのである。

 現に、ハルナの担任であるシルゲンも一番上の遠い席に陣取っているようだし、要人達も見ているようだ。

 コロシアムの一角、他とは明らかに作りの違う特別製の観客席に理事長アイズ・エルカインドとグレイス・サンドライトが座っていた。二人にとっても目の離せない一幕だということだろう。

「腹立つけどな、ハルナのことを見せもんみたいにしやがって」

 横に座るミカが実際苛立ちを表情に変えて周囲を睨みつけている。その視線の先にはハルナとケリントの試合結果で賭けをしようとしている生徒達がいた。

「あいつらぶっ飛ばしてきていいか?」

「見なさい、賭けになってないわ。誰もハルナの勝ちに票を入れないんだもの」

 ミカの隣に座るリリィの言う通り、賭け事に参加している全員がケリントの勝利に票を入れていた。それぐらい、ハルナの勝利はありえないのである。

「それも腹立つ! 今に見てろよ、屑共が!」

 立ててはいけない指を立てて威嚇するミカを見て、タグマが苦笑している。

「ここに来た時のミカは気が立ってるねぇ」

「だからお前とミカの間に俺が座ってるんだろ」

「流石ナツキ。ミカの隣だといつ俺に矛先が向くか分からないもん」

「何だぁ、今向けてやろうか!?」

「ミカ、うるさいよ」

 意外や意外、手につかない狼状態のミカを窘めたのはフルルだった。普段は消極的でなかなか自分の意志を主張しない彼女だが、今は難しい顔をしている。何かを思案しているようだ。

 リリィが隣に話しかける。

「フルル、どうしたの?」

「……ハルナの魔法のことを考えていたの」

「それって、あれか? 体内魔力を力に変えるっていう」

「うん」

 珍しく男性嫌いのフルルがナツキの言葉にタイムラグなしで反応する。それくらい今脳を働かせているのだと思う。

「私、この前の休みに実家に戻って体内魔力について色々調べてみたの」

「セプス家って研究者の家系だものね」

 この世界において、魔力についてはまだ謎が多い。何故魔力が世界に漂っているのか、誰も解明には至っていない。本来空気があるのと同様当たり前のことではあるのだが、個人によってさまざまな属性を扱えることから、漂っている魔力にもさまざまな種類ないし系統があることは間違いなかった。

 世界に漂う魔力はどこから生み出されたもので、どのような系統が存在しているのか。フルルの両親達は、その研究に勤しんでいるのである。

「でも、正直ハルナの魔法については何ひとつ情報がなかった。やっぱりハルナの魔法は異質なんだと思う」

「そりゃ身体の体内魔力を力に変えるなんて、常人は絶対やらないからな」

「……調べてる中で体内魔力について分かったこともあるんだ」

「何が分かったのかしら」

「……《体内魔力の減少に伴う身体の異常》だよ」

 そうしてフルルが語る内容は恐るべきものだった。

 体内魔力、それは肉体の中に存在する生命維持に必要な魔力のことである。言わば血のようなもので、肉体を構成している要素であり、失ってしまえば当然命に関わってきてしまうもの。

 もし一割失えば、全身を激痛が襲う。大人でも耐えられるものではなく、神経を針で突き刺されるような痛みが続いていく。

 二割失えば、激痛は変わらず身体の耐久性が著しく落ち、少しの衝撃で皮膚は裂け、血管は破裂し、骨は砕けるようになる。また、呼吸が困難になる。

 三割失えば、体中の皮膚が何をせずとも裂けるようになり、至る所から血液が噴き出す。

 四割失えば、同様に何をせずとも体中の骨が砕け始め、身体を動かすこともままならなくなる。

 五割失えば、肉体が崩れ始め、確実な死が待っている。

「――五割の時点で死ぬことは確定しているから、その先はないみたい。と言っても、三割四割の時点で致命的なものではあるし、二割でも十分危険性はあるんだけど」

「……」

 フルルが言葉を終えるも、誰もが絶句していた。

 体内魔力が生命維持のために必要なものだとは知っていたけれど、失うだけでそこまでの苦痛を伴うものだとは知らなかった。たかが一割でも、大人が絶えられないほどの痛みに苦しむことになるなんて、想像するだけで御免だった。

 そんな危険な体内魔力をハルナが力に変えている。

 その事実が、全員の心を襲っていく。

「……いやでも、ハルナちゃんは少しって! 命に関わる量は変えてないって!」

 あのタグマさえも、心配ゆえか声が震えている。

「一割でも激痛なんだよ? ハルナの言う少しがどれくらいか分からないけれど、私達の想像以上にハルナの身体に負担がかかっているのは間違いないよ」

 フルルの言葉は御尤もで、誰も口を開けない。

 その時、コロシアム中から歓声が上がった。遂に待ちに待った決闘が始まろうとしていた。

 闘技場にハルナとケリントが姿を見せる。どちらも普段と変わらない制服姿で、ハルナは腰に刀を差し、対してケリントは長剣を差していた。

 二人の間に見えるのは一人の女子生徒。ナツキは面識ないが、おそらく剣道部員だと思われる。今回の決闘は名義的には剣道部員同士の対決であり、取り仕切っているのは剣道部だからだ。

 ただ、顧問の教師が見当たらないのは少し違和感を覚えてしまう。傍から見ても理不尽極まりないこの対戦を前に、何故顧問が出て来ないのだろう。

 だが、その違和感も忘れてしまうほどの緊迫感がナツキ達を襲う。

 ハルナの瞳が覚悟を決めているように見えて、フルルの話のせいか、先日のハルナの言葉をナツキは思い浮かべていた。

『たとえここで死んでしまうとしても、私は私の騎士道を全うします』

 試合展開によっては、もしかするとハルナが一割以上の体内魔力を消費する可能性だってある。

「頼むぞ、ハルナ。早期決着しか道はねえんだ……!」

 ナツキ達全員が祈るように見つめる中。

 試合開始の合図が告げられた。





※※※※※

 

 

 開始と同時に大地を蹴り、ケリントへと走った。

 この戦い、初動が間違いなく大切だった。

 ハルナはナツキ達と共にケリントの初動を予想していた。その予想は、ヨードルの実際の初動とも重なる。

 ヨードルは最初ハルナが近づくまで両手をポケットから出すこともなく、動き出すことはなかった。あれは余裕の表れであり、平民に対する侮りでもあった。

 ケリントは五聖家としてプライドがあるからこそ、ヨードル以上にそのプライドを余裕へと変え、平民への蔑みを油断へと変える。

 最もケリントが油断しているのがこの初動であり、その油断の隙を狙って一番全力を叩きつけられるのが初撃。

 つまり、この戦いは早期決着こそが鍵なのである。

 扱える魔力量においてもケリントの方が圧倒的に上である以上、時間を掛ければかけるほど弱っていくのはハルナだった。

 どんな攻撃が来ようと、必ず避けて接近する……!

 ナツキ達との特訓で磨かれた反射神経、そして視野の広さで必ずケリント側の初撃を回避してみせるのだ。

 そうして踏み出した三歩目。



 ハルナは動きを止めた。



 駆けようとしていた勢いをどうにか押し殺す。ハルナは驚いたように目を見開き、ケリントを見ていた。

「……!」

 近づかなければ始まらないはずのハルナの作戦は。

 たかが数歩で瓦解する。



 ケリントから雷が天高く溢れ出していた。



 彼から迸る稲妻が大地を穿っていく。ただの魔力でしかないのに、そのあまりの密度に大地が耐えられずに砕け、大気も張り詰めていく。

 ケリントが油断をする。

 その前提が間違っているのだと、状況が示していた。

「お前の志全てが間違っているのだと、分からせてやる」

 ケリントが手をかざすと、手の前に溢れていた雷が集まっていく。集まった雷はその密度に合わせて光は飛び散らせ、やがて大きな形を成していく。

 弾ける雷はやがて大きなたてがみへと形を変え、鋭利な爪を伴っている前足は容易くハルナを踏みつぶせるほど巨大だった。

 その巨大な怪物が一歩を踏み出すと、大地に雷が迸り、亀裂を生み出し焦がしていく。



 雷の獅子が顕現していた。



 ハルナ達の予想通り、ケリントには五聖家としてのプライドが存在している。

 だからこそ、ケリントは決して手を抜かない。

 完膚なきまでに叩き潰して、二度と騎士などという大言壮語が口に出来ないようにする。

 目の前の少女が抱く儚い夢を、完全に無に帰す。

 その為だけに今、ケリントはこの闘技場に立っていた。

「やれ――《雷帝レオンカイザー》」

 主に名前を呼ばれ、獅子はその体躯を雷が如く疾走させる。観客の視線を全て置き去りにして、雷の大矢が一瞬にしてハルナの目の前に到達していた。

「っ」

 ハルナが回避行動を取るのと、巨大な前足の大槌が振り下ろされるのはほぼ同時だった。

 激しい振動と共に闘技場内が光に包まれる。飛び散る稲妻が観客席を無差別に襲うも、事前に張られていた防御壁がどうにか防いでいた。

 あまりの眩さにナツキも腕で光を遮っていた。

「ハルナ――!」

 必死に彼女の名を叫ぶ。

 その声に応えるように。



「《ライフ・ワン》」

 黄色い光の中を赤い彗星が駆け抜けた。



 赤い軌跡が雷の獅子へと吸い込まれていき、次の瞬間、雷帝の巨躯を上へと吹き飛ばす。

 黄色い光が収まることで、かえって赤い輝きが強調されていき。

 宙に打ち上げられた獅子の下。赤い妖気を纏ったハルナが、抜刀した刀を両手で頭上に振りかぶっていた。

「《月華――菊一文字!》」

 目にも止まらぬ速さで振り下ろされた一撃は斬撃と化してケリントへ殺到する。闘技場内を横断する紅い斬撃は、高々と砂埃を巻き上げながら進んでいた。

 ヨードルを一撃で昏倒させた技である。

 しかし、ケリントは顔色を変えずに腰に差していた長剣を抜いた。長剣は瞬く間に雷を纏っていき、そのまま赤い斬撃と叩きつけられる。

 競ることもなく、赤い斬撃は容易くかき消された。

「――っ!」

 赤い妖気を溢れさせながら、ハルナが顔をしかめる。相変わらず全身を襲う激痛は慣れることがなく、息を吸うだけで痛みのあまり痙攣してしまいそうだ。いっそ意識を手放せば楽だと思えてしまうほど、体中を斬り刻まれているかのような痛み。

 本当は発狂しそうな痛みを、それでも強靭な精神力で何とか持ち堪える。

 顔をしかめていたのは、痛みのせいだけではない。

 分かってはいたのだ。ケリントは強敵で、早期決着と言えど容易くはいかないだろうことを。

 だが、それでも今の一撃を簡単に防がれてしまうとは。

 その時、打ち上げられた獅子が再び身体を雷に変えて、勢いよくハルナへと降り注いできた。すぐさまハルナは強化された膂力で後方へと回避。最早ハルナの回避速度すらも、観客には早すぎた。

 獅子が大地に激突した拍子で雷が飛び散るも、ハルナは最低限の行動で避けていく。ナツキ達との特訓の甲斐あって、今のハルナの目で見切るのは余裕だった。

「……」

 ハルナが雷の獅子を見る。先程打ち上げた時、腹部を力強く斬り上げたつもりだった。痕こそ残っているが、残念ながら両断するには至っていない。

 今のハルナはヨードルの最高硬度だった土の竜を容易く断った状態と同じ。《ライフ・ワン》を使っている。

 最初の獅子の一撃は、《ライフ》を使用せねば回避が不可能だったのだ。全身を激痛が襲うがゆえに、ギリギリまで温存するはずだったが、出し惜しむことをケリントが許さなかった。

 その状態で斬ったというのに、それでも両断出来ないということは、獅子がヨードルの最高硬度を遥かに上回っていることに他ならなかった。

『ヨードルをレベル10だとすると、ケリントはレベル100だ』

 今になって、シルゲンの言葉の意味を痛感する。

「イライラするぜ」

 怒りに合わせてケリントの身体から雷が迸っていく。長剣を纏う雷も激しくなり、最早大剣のように剣腹を広げていた。

「平民如きが、まだ俺の前に平然と立ち塞がっているのがよ……!」

「……私は、あなたには負けられない、から」

 雷の獅子を警戒しながら、ケリントを視界の中に収める。

 ――っ。

 その視界が既に歪んでみえるのは、幻覚ではないはずだ。

 身体を襲う激痛は時間が経つにつれて酷くなっている。これまで、この力をこれ程長く続けたことはなかった。いつもは今以上に短時間が限界だった。激痛が襲ってくると知っていて、好き好んで《ライフ》を維持することはなかった。

「その思い上がりが、許せないんだよおおおおおおお!」

「っ!」

 迅雷一閃。轟く雷鳴がハルナへ届くよりも速く、ケリントはハルナへ雷剣を薙いだ。ケリントも剣道部員。振るわれる刃は鋭く彼女の首を狙っていた。

 ハルナは刀でそれを受け止め――ようとして、身を捩って回避した。その視界の隅、真横から飛び掛かってくる獣が見えていたからだ。

「《月華・薊(あざみ)螺旋!》」

 万物を切り裂く雷帝の鋭爪へ、赤い妖気を纏った突きを高速で放つ。刀を包む妖気は刺突の速度でより鋭利に尖っていき、更に手首の捻りで回転も加わっていく。

 まるで大槍のような一撃はハルナへ向かっていた獅子の前足を弾き飛ばした。そのままがら空きになる獅子の胴へ一歩踏み出そうとするも、到底彼が許すわけもなく。

 勢いを殺さずにハルナは片手を地面についた。

「《烈華・菖蒲(あやめ)衝破!》」

 逆立ちの要領で赤い妖気を纏った足を上げ、背中側から振り下ろされていたケリントの長剣、その柄を踵で蹴り飛ばして弾く。

「ちっ」

「《月華・菊い――っ!?》」

 そのまま反転した上下を戻す勢いで斬撃を飛ばそうとしたハルナの視界に映ったのは、彼女の真上にいつの間にか凝縮していた雷だった。

 次の瞬間、雷がハルナへと落ちる。咄嗟についた片手を押して飛び跳ねるも完全に避けきることはできず。

「っああああああ!」

 雷に身体を焼かれながら、ハルナは煙と共にその場から吹き飛んだ。何度も地面を跳ねて転がっていく。純白の制服はあちこちが焼け焦げ、吹き飛んだ拍子で酷く汚れてしまっている。

「っ……あぁっ……!」

 ようやく勢いが止まったハルナだが、雷に撃たれた身体が思うように動かない。ただでさえ激痛で強張っていた身体は、雷のせいで体内の電気信号も麻痺しているようだった。

 立ち上がろうにも、動かしたい部位が動かせずに倒れ伏すハルナ。辛うじて上げた霞む視線の先で、ケリントが《雷帝レオンカイザー》と共にこちらへ向かおうとしているのが見えた。

 たった一瞬の攻防だったが、はっきりしている。



 今のハルナでは勝てない。



 今のハルナがどれだけの攻撃を放っても獅子を倒すことはできない。それはつまり、ケリントを傷つけることもできないことを示していた。獅子を生み出せる以上、その魔力で自分自身を守ることも可能だからである。

 それに獅子だけではなくケリントも出張ってきた上、どこからか雷も襲い掛かってくる。ナツキ達に協力してもらって複数戦についても特訓したとはいえ、特訓時とは戦闘速度が比べ物にならなすぎる。

 このままではケリントに勝てない。



 やるしか、なかった。



 ハルナが体内魔力の説明をした時、実はナツキ達に少し嘘をついていた。

 第一に、「そんな魔法は聞いたことがない」と言われた時、ハルナがその言葉を否定しなかったこと。

 ハルナのこれは、決して魔法などではない。

 第二に、「命に関わる量の体内魔力は変えていない」という発言。





 生憎、この呪い《ライフ》はどう足掻いても命に関わってしまう。





 《ライフ》とは、体内魔力を消費して力に変える呪い。

 体内魔力を一割失えば、全身を激痛が襲う。二割失えば、激痛は変わらず身体の耐久性が著しく落ち、少しの衝撃で皮膚は裂け、血管は破裂し、骨は砕けるようになる。また、呼吸が困難になる。三割失えば、体中の皮膚が何をせずとも裂けるようになり、至る所から血液が噴き出す。四割失えば、同様に何をせずとも体中の骨が砕け始め、身体を動かすこともままならなくなる。五割失えば、肉体が崩れ始め、確実な死が待っている。



 そして《ライフ・ワン》とは、体内魔力を一割消費させるものである。



 ゆえにハルナの身体を激痛が襲うのは必至であった。常人では耐えられない激痛をハルナが耐えているのは、彼女の盲目的なまでの夢に対する覚悟がそうさせているだけである。

 だが、それでもケリントには勝てない。

 だから、どうすればいいかは明白である。





「《ライフ――ツー》」





 ケリントの目が、ハルナの妖気が先程よりも赤黒くなるのを確かに捉えていた。

 倒れ伏すハルナへ飛び出そうとしているケリント。それに並走するように大地を踏みしめる《雷帝レオンカイザー》。

「《月華・薊螺旋》」

 そのどちらも反応しきれない速度で。



 赤黒い大槍が獅子を顔面から貫いた。



「――なにっ」

 まるで巨大な大砲が貫通したかのように、雷で出来た獅子には巨大な大穴が開けられている。いや、最早大穴ではなく両断されていて、《雷帝レオンカイザー》は完全に掻き消されていた。

 先程まで倒れていたはずなのに、獅子に開いた大穴の先にハルナは立っていた。

「貴さ――」

 振り向くケリントのその懐に、今度はいつの間にかハルナが潜り込んでいた。

 速い。速過ぎる。先程までの速度が嘘のように、ケリントはハルナの速度を追えていなかった。

「《月華――》」

 抜かれた刀に赤黒い妖気が包まれていく。途中、ハルナの腕の皮膚が突如裂かれ、血が噴き出した。片足も同様で、ケリントが何をしたわけでもなく皮膚が裂けては血が流れていた。

 そして、ハルナの口からも血が滴っていく。だんだん、血が純白の制服を赤く染めていく。

 それでもハルナの瞳は。赤く妖しく光る瞳は。

 その瞳に宿る覚悟は何一つ変わらない。

「《――菊一文字!》」

 振り上げられる赤黒い斬撃がケリントの身体に鋭く刻まれた。

「――ッ!」

 貫通して駆けていく斬撃。肩から胸にかけて斬られ、ケリントの鮮血がゆっくりと飛び散っていく。

 それでも真っ二つではないのは、決してハルナが手加減したわけではない。《雷帝レオンカイザー》以上の魔力で咄嗟に身を包んだことで、ある程度威力を押さえることに成功しているのである。

「この、俺に傷をつけるなど……!」

 今までで最大レベルの雷がケリントから溢れ出ていき、長剣とは別に雷で作られた剣がもう片方の手に握られる。

「もうここで死ねえええええええええ!」

「――っ」

 轟く雷鳴すらも置き去りにして、ケリントが二振りの雷剣をハルナへと振るい続ける。ハルナも赤黒い妖気を刀に纏わせて斬り結ぶ。

 弾ける稲妻。飛び散る火花、そして鮮血。

 斬り結べば斬り結ぶほどハルナの身体から鮮血が飛び散り、地面を赤く濡らしていく。決してケリントの凶刃が届いているわけではない。激しい猛攻をハルナは完全に耐えきっている。

 ただ、互いの刃が交わる衝撃に、ハルナ自身が込める膂力に身体が耐えきれないのである。既にあちこちの骨も砕けつつあったが、体内魔力を変換した妖気で何とか無理やり固めていた。

 それでもハルナは決して引かない。

 ここで引いた先に、彼女のなりたい騎士はいない。《魔狼ボロスガロス》を三日三晩かけて倒したアイズのように、たとえ三日三晩かけようとも最後まで抗ってみせる。

 ハルナの覚悟が鋭い視線となってケリントを射抜く。

 その目が気に入らなくて、ケリントは斬り結びながら叫んだ。

「騎士は、誰もがなっていいもんじゃねえんだよ! 選ばれし者だけが、これまでもこれからも騎士になる! 平民が騎士になるだと? 目指すこと自体愚かで烏滸がましく、吐き気がする!」

「――誰が、選ぶんですか!」

「ああ!?」

「選ばれし者がなれるのだとして、誰がそれを選ぶんですか!」

 鍔迫り合って、両者の顔が近づく。ハルナの大きな瞳は両方とも酷く充血していた。

 ハルナがケリントに負けないくらいの声で叫ぶ。

「仮に誰かが選ぶものだとしても、少なくとも貴方じゃない!」

「俺は五聖家、進撃のサンドライトだ! 王国の剣だ! 脅威を排除する権利がある! 脅威を選ぶ、権利がある! だから今排除するんだ! この社会の仕組みを壊そうとする、世界を壊そうとするお前を!」

「っ」

 感情が刃に乗り、ハルナは遠くへ弾き飛ばされた。何度か地面を転がりつつも体勢を立て直す。転がった地面には血がべったり付着していた。

 肩で息をしているハルナの身体はあちこちから出血していた。これ以上の戦闘は本当に命へ届いてしまうかもしれない。

 戦っている二人をよそに、外野はざわめいていた。どのような形であれ、死人が出ていいわけがない。

 ナツキ達も葛藤していた。止めれば、やはりハルナは目指す騎士になどなれない。この敗北は、ハルナにとって夢の終わりにも等しかった。

 それでも、やはり命があっての人生だろう。ここでハルナが死んでしまうのを易々とみていられるわけがなかった。

 アイズもグレイスも、いつでも闘技場に下りられるよう準備している。

 もう十分だと、十分ハルナは戦った、善戦したとその場にいる多くの人間が思っている。相手は学園で十番以内に入る実力者。ここまで食い下がることができるのは、学園にも多くはいない。

 最早平民だから何だと侮れる存在ではないことを、既にハルナは証明していた。ヨードルに勝利したのは偶然ではないのだと、示すことができていた。

 ただ、決して本人は十分だと思わない。終わらせるわけには行かない。

 フルルに手をあげたケリントがそのままで良いわけないし、平民だからと関わってきた人全てを侮辱されるのも腹が立つ。

 ケリントのそれらが全て間違いだったと、証明しなければいけない。

 終わる時は、勝利か、死か。

 迷いなど、ありはしなかった。

「俺が今ここで、お前が選ばれし者ではないと、証明する。それで終わりだ」

 ケリントが二振りだった雷の剣を全てに長剣一本に凝縮させる。

「《刹月華――》」

 ハルナは納刀し、姿勢を低くした。その姿勢のまま駆け出す。途中、頭上から雷が何度も落ちてくるも、最早ハルナの速度にはついてこれず、捉えきれない。

 真っすぐ突っ込んでくるハルナへ、ケリントも長剣を振りかぶっていた。

「《――春息吹!》」

 間合いに入り、高速で抜刀するハルナ。

 そして彼女は目を見開いた。



 ケリントは、長剣に纏わせていた雷を消していた。



「《天衣・雷剛雷護》」

 凝縮させていた雷がケリントの全身を包み込んでいく。

 ケリントはここに来て、最大の防御を展開していた。ケリントから見ても、最早ハルナが満身創痍であることは間違いなく、この防御を突破することはできないと踏んでいる。

 ここで防ぎ切った後、完膚なきまでに叩き潰す。

 ケリントを包んでいた雷はやがて雷を纏った黄金の鎧に変貌していた。その左手にある大盾が、ハルナの居合を受け止めた。

「くぅっ!」

 凄まじい衝撃が二人を中心に弾ける。ハルナ自身その衝撃に吹き飛ばされそうだったが、必死に踏ん張って振るった一撃に力を込め続ける。たとえそれでどれ程出血してしまおうと、ハルナは力を入れ続けた。

「《月華――》」

 その抜刀状態で更に技を掛け合わせる。今ケリントとの距離は零。全てをここで放つ。

「《――菊一文字!》」

 赤黒い斬撃を零距離で放とうとして。





 ハルナの刀が砕けた。





 スローモーションのように、刀身が幾つにも砕け、宙を舞っていく。

 ハルナの瞳が今まで一番大きく見開かれた。

 父アキツグが作ってくれた、彼女の為の世界に一つしかない刀。

 ケリントとの戦闘に耐えきれなかったのは、得物の方だった。

 ケリントが冷笑を浮かべる。

「言っただろ、平民如きが思い上がるな!」

 そうして、雷の鎧を解こうとするケリント。

 まだハルナの瞳は生きていた。

「――ッ」

 解除するはずだった鎧を解かずに、何故かケリントは二撃目に備えていた。もうハルナは刀を持っていないというのに、本能がまだ危険であると告げていた。

 ハルナは振るっていた勢いそのままに右回転し、鮮血をまき散らしながら右腕を後ろへ大きく振りかぶった。

 お父さん、ごめんなさい。折角私の為に作ってくれた刀を壊してしまいました。

 ……でも、だからこそ、刀を折られて終わりにはしません。





「《ライフ――スリー》」





 この勝負、必ず勝ちます。

 赤黒かった彼女の妖気は、更に黒へと近づいていく。

 次の瞬間、ハルナの身体全身から血が噴き出した。

 白い制服は最早真っ赤に染まり、より黒くなった妖気を血が赤く染めていく。

 誰もがこれ以上は駄目だと動き出す、よりも速く彼女が動く。

 早く、決着がつく。

 流れていく鮮血の間から、ハルナはまっすぐケリントを見据えていた。

「《殴華――》」

 振りかぶった右腕、その掌を大きく開く。五つの指の先に、赤紫色の大きな花びらが顕現した。そして、掌には妖気が凝縮されていき、やがて赤黒い光球が生み出された。

 血に濡れた花が、ハルナの右手に咲いていた。



「《――桜鉄鋼(さくらてっこう)!》」



 回転の勢いそのままに、右手に咲いた桜の花を全力で目の前の大盾にぶち当てる。

「はああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 どれだけ血が足元を染めようと、ハルナは意に介さない。

 この一撃に全力をかけていた。

 大盾を構えている左腕が折れそうで、ようやくケリントの顔に焦りが生まれ出した。

「馬鹿な、あり、えないだろ……!」

 そして、大盾に亀裂が一気に走った。と同時に砕け散る大盾。

「俺は、五聖家サンドライ――」

 言い切るよりも前に、鎧の腹部にハルナの右腕が叩き込まれた。一瞬で鎧全体に罅が入り、その衝撃でケリントが大量の胃液を吐き出していく。

 今にも千切れてしまいそうな右腕に、全身全霊をこめてハルナは更に一歩踏み出した。

「飛んでけええええええええええええええええええええええええええ!」

 そのまま殴るように振るわれた右腕。完全に鎧は砕け散り、ケリントの腹部に光球がめり込んだ状態で血に濡れた桜が闘技場内を目にも止まらぬ速さで駆け抜けた。

 轟音と共に揺れるコロシアム。観客の為に張っていたはずの防御壁はその衝撃で砕け散り、ケリントは闘技場の壁を幾つも貫通して場外に吹き飛んでいった。

「はぁ……はぁ……」

 闘技場内に聞こえてくるのはハルナの荒い呼吸音と、崩れた瓦礫の音だけ。

 視界に映るは立ち昇る砂埃と、血にまみれた少女。そして大量に滴る血、血、血――。

 最早ケリントの状態を見に行くまでもなく、二人の戦いは決着した。その場の誰もが、目の前で起きた事態に頭がついていかなかった。

「はぁ……はぁ……」

 目の前の壁に開いた大穴を見つめながら、ハルナがか細く呼吸をする。

 だが、その呼吸もやがて――。

 瞳も何も映してはいなかった。

「やっ……た」



 そしてハルナは、まるで糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちたのだった。
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