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1年生篇 春の章

第四話「課外授業」

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 寮の自室、その窓から外を見る。今日は晴天、雲は一切なく、延々と広がる青空と差し込む日差しが自身を見下ろしていた。時刻は正午を一時間ほど過ぎた辺りで、学生達は昼食を終えて午後の授業に出ている頃合いだろう。

「……はぁ、実質今日が初日みたいなものなのに」

 長い溜息と共に、ハルナは二段ベッドの下で毛布に身を包んでいた。

 三十八度・三分。昨日のヨードル・スルーバックとの試合、その疲労が出たのだろう。昨日の夜から身体が怠くて仕方がなかった。食欲もあまりなく、身体を起こす気にもならない。風邪こそ引いていないものの、残念ながら授業に出るのは難しかった。

 昨日は入学式で午前授業。今日から本格的な授業が始まるというのに、早速休んでしまった。ミカは大層心配していて、「私も一緒に休むか!?」なんて言ってくれたけど、流石に申し訳なくて断っていた。



 こうなることを《予想》していたとはいえ、実際に休むのは罪悪感がある。



 自分は平民。スタート時点で周囲の貴族からは遅れてしまっている。今日はどうにもならないにしても、明日には復活できるように今すぐ寝てしまおう。

 そうして瞼を閉じようとした時だった。

 コンコン、と自室の扉をノックする音が聞こえた。

 こんな時間に……? 生徒じゃ、ないよね?

「えっと、はい……!」

 驚きが先行して遅れたが、慌てて声を出す。玄関へは少し遠かったが身体を動かす気にもならなかったので、何とか大きめに。



「私だよ、アイズ・エルカインドだ」



 え。

「えええええええええええ!?」

 返ってきた言葉は予想だにしないもので。自分の身体が調子悪いことをすぐに忘れてしまった。

 どうしてディアルタルカ王国の英雄がこんなところに!?

 何がどうなっているのか分からず。でも、訪ねてきたアイズへ急いで向かわなければとベッドを飛び出した。

 そして、ふらついた身体がテーブルに引っかかって大きな音を立てて転んでしまった。

「あいたーっ!」

 薄桃色の絨毯にひっくり返り、頭を箪笥にぶつけてしまう。鈍い痛みに頭を抱えてしまうハルナ。

 そこへ差す影。涙目の瞳を開くと、そこには心配した様子のアイズが映った。

「アイ、ズ、様……?」

 綺麗な白髪が日差しに照らされた煌びやかに光る。アイズは転んでいるハルナへしゃがみこんでいて、長髪が綺麗なカーテンのようにハルナへ降り注いでいた。

「ごめんね、勝手に部屋に上がらせてもらったよ。大丈夫かい?」

 両肩を支えられる形でハルナはどうにか身体を起き上がらせた。熱でボーっとした頭が、今の状況を理解しようとフル回転するが、生憎学年主席の脳みそも熱には敵わないらしい。

「どうしてここにアイズ様が……?」

「ハルナが熱を出したと聞いて、居ても立っても居られなくなってね」

 アイズは優しくハルナをお姫様抱っこの要領で抱きかかえると、先程まで寝ていたベッドへと運んでくれた。その間、ハルナはまるで夢うつつのようにアイズの顔を見つめていた。ずっと憧れていた人が、ここまで傍にいるなんて、夢以外にあり得るだろうか。整った顔は美しくて、カッコいい。思わず熱視線を送ってしまうのは、きっと熱のせいだ。

「きっと君が体調を崩したのは昨日の試合があったからでしょ。ごめん、その元凶は私だ」

「そんなこと……」

「いや、あるんだ。入学式で私は君が平民出だと皆に伝えた。伝えなければ、今君はここで苦しんではいない。だから、ごめんね」

 毛布を掛けてハルナの頭を優しく撫でながら、アイズは悲しそうに眉を伏せていた。確かに平民だということが伝わっていなければ、あそこでヨードルが突っかかってくることはなかっただろう。

 でも。

「謝らないで、ください。私のことを思って、話して下さったんですよね?」

 シルゲン先生も言っていた。わだかまりも疑問も、最初に解消するに限る。平民だ何だと後々発覚する方が、面倒なことになるイメージはハルナ自身持っていた。

 アイズが、シルゲンが決してハルナを陥れようとして話したわけではないことを、ハルナは知っていた。

「入学式での言葉、とっても感動しました。何者にもなれるんだと、教えてもらった気がして。――それに」

 アイズが来たせいか、余計に熱っぽくなってきた視界に彼女を映し出して、ハルナは微笑む。

「私のこと、覚えていてくれて、本当に嬉しかったです」

 たかが一度だけ会っただけの存在。それも十年前に一度だけ。それなのに、アイズは自分のことを覚えていてくれた。多くの人を救ってきているはずなのに、アイズにとって自分は決してあの日だけの関係ではなくて、有象無象なんかではなくて。

 憧れの人に自分が刻まれている。それが嬉しくて仕方がなかった。

 一瞬驚いたようにアイズは眼を見開いたが、すぐに優しく笑った。

「――嬉しいのは私の方だよ。十年前、自分に憧れてくれた少女が、今こうして進み続けてくれている。その姿を見るだけで、『あぁ、自分は間違ってなかったんだな』って思える。思わせてくれる」

「アイズ、様……」

「ごめん、じゃなかったね。ハルナ。――ありがとう、《ローディナス》に来てくれて。今もまだ夢を追い続けてくれて」

 アイズの言葉に目頭が熱くなってくる。熱のせいか、込み上げてきた涙は重力に引っ張られて枕へと流れていく。その雫をアイズが優しく拭ってくれていた。

「それにしてもハルナ、君は随分可愛くなったね」

「そう、ですか? アイズ様みたいな綺麗な人に言われると、嬉しいです」

「……様、かぁ」

「え?」

「私としては、あの日と変わらず『お姉ちゃん』って呼んでくれると嬉しいんだけどな」

「それは、流石に恐れ多いというか、あの時は私も子供だったというか……」

「そんなこと言わずに、試しに呼んでみてくれない?」

 アイズの懇願した様子に、ハルナは逡巡するも少し遠慮して、たどたどしく言葉にしてみた。

「アイズ、お、お姉ちゃん……?」

「――」

 何が起きたのか、アイズが体勢を崩して倒れそうになるが、どうにか二段ベッドの上段を掴んで耐えていた。何かに襲われたように息を絶え絶えに、アイズは苦笑を漏らしていた。

「参ったな、想像以上の破壊力だ。潤んだ瞳に弱った声音が相乗効果をもたらしているらしい」

「あ、あの……」

「二人きりの時、ハルナが良ければそう呼んでほしい。人前じゃ私が駄目そうだ」

「え、えと、アイズさ――お姉ちゃんが良いのなら」

「私が頼んでるんだよ。ありがとう、ハルナ」

 改めて優しく頭を撫でてくれたアイズ。その手が離れてしまって、とても名残惜しく感じてしまった。

「そろそろお暇するよ。薬は飲んだの?」

「あ、はい。解熱剤をさっき」

「そうか。早く治すんだよ。君の夢のためにね」

「っ、はい!」

 そう言って、いつの間に持ってきていたのか、軽食や飲み物の入った袋を置いてアイズは部屋を出て行った。

 時間にしてはそれ程長くないはずなのに、この日のことを忘れることはできないだろう。

 撫でてもらった頭にまだ温もりが残っている気がして目を閉じて感じていると、いつの間にかゆっくりと眠りに落ちているハルナだった。





※※※※※





「失礼しました!」

 職員室の前で深々と頭を下げて、ハルナはその場を後にした。

 担任であるシルゲンがわざとらしく視線をこちらに向けながら、「いやぁ、ちょっと持っていく荷物が多いなぁ」とぼやくものだから、ハルナの中に手伝わない選択肢はなかった。そもそも何もアピールされなくたって手伝うのに……。教室から職員室への距離など、然程遠くはなかった。

 昨日熱で休んでしまったこともあり、昨日の内容を担任に直接聞く良い機会でもあった。しかし、結局シルゲンはあまり教えてくれなかった。「そんなの、同じクラスの生徒に聞けばいいじゃないか」の一辺倒。

 確かにクラスの生徒と交流を深めるためにも良い話題かもしれないが、如何せんクラスの雰囲気は自分を温かく受け入れてくれるものにはなっていなかった。

 ただでさえ《ローディナス》始まって初の平民出だと言うのに、一昨日のヨードルとの戦闘で、ハルナは彼を実力をもって沈めてしまった。平民は扱える魔力量が少ないにも関わらず、なぜそのような結果になったのか、周囲は困惑するほかなく、その困惑は日常生活にも現れてしまった。

 要は、熱から復帰したハルナは結局独りぼっちだったのである。

「……はぁ」

 自分で閉じた職員室の扉を前に、ため息をつくハルナ。

「体調は戻ったのかしら」

 その時、横から声を掛けられた。てっきり自分じゃないと思ってしまったが、周囲を見てもいるのは自分と声を掛けた人物だけ。

 その生徒は、薄水色の長髪を綺麗に伸ばした女生徒だった。さながら雪の結晶のように輝いて見えるその長髪を、ハルナはよく覚えている。入学式の日、周囲が敬遠するようにハルナから離れている中、彼女だけがハルナの横に座ってくれたのだ。それが嬉しくて話しかけようとしたのだが、タイミング悪くシルゲンが入ってきたことで達成できずにいたのである。

「あなたはえっと……確かリリーシアさん、ですよね?」

 リリーシア・フィルゲイザー。全員で行った自己紹介の際、そう名乗っていたのを覚えている。ヨードルとの口論のあと、試合を始めるまでは他学級と変わらず午前の日程を進めており、その中で全員軽い自己紹介は済ませていた。その時に隣にいた彼女が名乗っていたのを、ハルナは意識的に聞いていた。

 リリーシアは長い睫毛で瞳を伏せながら、凛とした言葉を返してくる。

「リリィで良いわ」

 リリーシアよろしくリリィは、ハルナと同じ白いスカートを膝上辺りで着こなしていた。背はハルナよりも少し高くて、可愛いというよりも綺麗な顔立ちが同級生のはずなのに彼女を大人に見せていた。

「それで、質問の返答は? 体調は大丈夫なの?」

「え、あ、はい! 寝たら治りました!」

 元気よく答えるも、おずおずといった様子でハルナはリリィの顔を窺う。

「……何か、ありがとうございます」

「何に感謝してるの?」

「だって、私のこと、心配してくれたんですよね?」

 同じ学級の生徒と既にある程度距離感が出来てしまったと思っているハルナにとって、リリィのように自身を案じてくれる相手がいるのは、とても幸せなことのように思えた。

 ハルナの言葉に、リリィは穏やかに微笑む。

「何よ、心配せずに罵倒でもすればよかったの? 平民のくせに貴族に勝って生意気だって?」

 鋭くも大きい瞳が優しく細められていた。

「健闘した、頑張った相手を讃えこそすれ、けなす理由なんてないでしょ」

「リリィさん……」

「あのね、周りがどう思っているか知らないけれど、私は彼を倒してくれてスッキリしたわ。いるのよ、貴族でも自分が偉いと思っているような輩が。その地位を築いたのは自分じゃないというのに。その地位に立っているのは何も貴族だけの力じゃないのに」

 貴族は確かに資金や環境の提供をできるが、実際に働くのは多くが平民だった。決して貴族の立ち位置が貴族だけで生み出されたものではない。

「ただ、もちろん疑問は生じるけれどね」

 リリィは決してハルナの視線から目を外さない。

「どうして平民であるあなたが、あれほどの魔力を放出できたのか。私から見ても、彼の魔法はかなりの硬度を有していた。にもかかわらず両断し、彼自身を気絶まで追い込んだあなたの力、普通じゃないわ」

「……!」

 リリィの鋭い視線が、無意識の内にハルナの喉を鳴らす。

「そして、あなたが昨日休んだこと。無関係には思えないわ。もしかして、かなりの無理を身体に強いているんじゃなくて?」

「それは……」

 口を閉ざすハルナ。ただ、その視線はリリィから外せなくて、困ったように眉をひそめていた。

「……ふふ」

 すると、少しの静寂の果てにリリィは笑っていた。

「あなた、嘘は付けないタイプみたいね」

「そ、そんなこと――」

「人の好さが対応に表れているわよ。詳しいことはあまり聞かないけれど、無理しないことね」

 リリィがハルナへ向けて背を向ける。

「私、あなたがいない内にクラス委員になったから。もし何か困ったことがあったら言うのよ」

「そうなんですか!」

 やはり一日休んだだけで世界はどんどん先へと進んでしまうらしい。もうできるだけ休まないようにしないと。

「ほら、行くわよ。次の授業始まっちゃうわ」

「あ、はい!」

 先へ歩いていくリリィを追いかけて、ハルナは早足で廊下を進む。そして、隣に辿り着いたところで、彼女の横顔を見ながら微笑みかけた。

「えっと、これからよろしくお願いしますね。リリィさん」

「こちらこそよろしく、ハルナ」

 瞳だけこちらへ向けてきた彼女。青く澄んだ瞳が柔らかい感情を伝えてくる。

 想像以上に。

 平民である自分のことを受け入れてくれる人は多いのだと。

 ハルナはその事実に噛みしめながら、廊下をリリィと進んでいった。





※※※※※





「リリィさん、見てください! 美味しそうな果物ですよ!」

「おー、分かるかい嬢ちゃん! どうだい、試しに一つ食べないか!」

「いいんですか!?」

「もちろん! 《ローディナス》の生徒にはいつも助けてもらってるからね!」

「ありがとうございます!」

「……ハルナ、私達これでも課外授業中なのよ……?」

 噛り付いた果実から甘い汁が溢れ、口の中を満たしていく。その美味しさに顔をほころばせるハルナに、リリィは苦笑していた。

 リリィの言う通り、ハルナとリリィは現在課外授業中だった。その内容とは、ディアルタルカ王国内の巡視である。勿論騎士たちによる巡視は当然存在しているが、騎士を目指している生徒達にも実際に経験してもらう。《ローディナス》でどの学年も行っている週に一度の課外授業だった。街の広さは随一である為、二人一組で振り分けても足りないくらいの規模だ。

 ハルナとリリィは、人通りの多い大通りを任されていた。

「どうだい、美味しかったかい!」

「はい! 是非一つ買わせてください!」

 ハルナが出店の店主に小銭を渡して、もう一つ果実を手に取る。

「ハルナって凄いわね。よく初対面でそこまでコミュニケーションを取れるわ」

「そうですか? それより、はい!」

 リリィに差し出されたのは、先程購入していた果実だった。

「リリィさんにはいつもお世話になってますから! 美味しかったですし、是非食べてみて下さい!」

「お世話って、別に私は――」

「いいえ! 私はリリィさんが同じクラスで嬉しいんです!」

 ナツキもミカもタグマも違うクラスで、心細かったハルナを救ってくれたのは間違いなくリリィだった。この数日もリリィが一緒に行動してくれるから寂しくなかったのだ。

 少しでも感謝を伝えようと買った果実。それが伝わったのか、リリィも少し遠慮がちに受け取ってくれた。

「ありがとう」

「こちらこそありがとうございます!」

「……ハルナって何か犬みたいよね」

「ど、どこら辺がですか!?」

「何でもないわ。……うん、確かに美味しいわね」

「さぁ、見回りを続けましょう!」

「道を逸れたのはハルナでしょうに……」

 果実を食べながら、二人で大通りを歩いていく。平日の日中であるにもかかわらず人通りは非常に多い。出店の客引きや活気ある様子を見ていると、不思議とハルナの気持ちも温かくなっていた。

「確かにハルナには初めて見るものばかりかもね」

「そうなんです! もう目移りが止まりません!」

「観光じゃないんだから。見回りだって忘れないでよ」

「分かってますとも!」

 ハルナが自信満々に答える。見回りとは言うが、この大通りには本物の騎士も配置されている。人が多く、だからこそトラブルも多いのだろう。ハルナ達一年生がこの場所を巡視しているのは騎士の数が多いからだった。

「……ナツキさんと見た時は夜でしたが、やはりこの国は素敵な場所ですね」

 明るい内に見る街並みもまた、夜とは違う温かさがあってハルナは好きだった。

「……ハルナはナツキと知り合いなの?」

「はい! 初めてこの国に来た時、助けてもらったんです!」

「……ふぅん」

「……? どうかしました?」

 どこか含みのある返事に、ハルナはリリィの方を見た。彼女は少し悩んだ様子を見せたが、口を開こうとして。





「きゃああああああああ!」





 女性の悲鳴が聞こえてきた。

「っ」

 悲鳴の先へ視線を向けると、座り込んでいる女性と風の絨毯に乗っている男二人組が見えた。その男たちの手には見るからに彼らのものではなさそうな、女性用のバッグが握られている。見るからに分かる、あれは引ったくりだ。
白昼堂々引ったくりなんて、余程この国の事情を知らない者達なのだと、リリィは理解した。言ったようにここは大通り。人通りが多い分、騎士達も動きが取りにくいかもしれないが、それだけ騎士の数も多いのである。

 数秒経たないうちに、男達は騎士の手で捕まることだろう。

 正直ハルナとリリィに出る幕はほぼ無い。



 だが、この国の事情を知らない者がもう一人いた。



「待ちなさい!」

 ハルナは地面を強く蹴り、出店の支柱を足掛かりに跳躍。ベランダの柵にも器用に乗り、気付けば家屋の屋根上に登っていた。

 ハルナの身体能力が決して悪くないことはリリィ自身理解していたが、即座にあれ程動けるとは想像以上なのかもしれない。

 屋根上に上がってきたハルナの服装を見て、男二人は風の絨毯を一気に国外まで向かわせる。

「へっ、知ってるぜ! その制服、《ローディナス》って奴だろ! たかが学生に止められるかよ!」

「騎士も大したことないに決まってる! 平和ボケしてのうのうと過ごしてんだろ!?」



「誰が平和ボケしてるって?」



「なっ」

 風でできた絨毯は確かに国外へと急行していた。しかし、ほんの僅か数秒で目の前には白い甲冑。

「いつの間に……!?」

 追いかけようとしていたハルナも、騎士の姿を目にして動きを止めた。

 甲冑の中から覗く鋭い目が、男達を捉える。

「白昼堂々、我々を舐め切った愚行に感謝を述べておこうか」

「何だと!?」

「お前達のお陰で、我々は平和ボケなんてする暇がないんだからな!」

 次の瞬間、騎士が紫色の雷を纏い青空を駆け抜けた。電光一閃。男たちが乗っていた風の絨毯は一瞬で霧散し、騎士の手が男たちの顔面を鷲掴みにした。そのまま勢いよく屋根上に叩きつける。鷲掴みにされた時点で、男達の身体には電気が奔っており、既に失神していた。

 そこへ、水で出来た縄が男達を縛り上げた。

 気づけばハルナの隣にもう一人女性の騎士が現れていたのだ。

「学生さん、危ないからこういうのは大人に任せておきなさい」

 穏やかな口調、ハルナは彼女の気配に一切気づくことができなかった。

 そこに雷を纏った騎士も降りてくる。

「おおおおおおお! 流石騎士様!」

「かっこいいわああああ!」

 目にも止まらぬ速さでの逮捕劇に周囲の国民から賞賛の声が上がる。ハルナも同じ気持ちだった。一度瞬きをしただけなのに、それだけで状況は一変していた。これほどの実力を騎士は有しているのだと、実感に身体の鳥肌が止まらなかった。

 何より連携。男性の騎士が攻撃を加え、女性の騎士が捕縛する。その息の合った動きに感動すら覚えてしまう。

「まだ、まだあっちに仲間がいるんです!!」

 だが、その言葉にハルナの意識は戻された。先程バッグを盗まれた女性が別の方向を指差している。よく見ると、人混みの中にこちらを振り返りながら慌てたように走り去っていく男の姿が見えた。

 引ったくりのグルなのだろう。そのままにはしておけない。今すぐにでも追いかけないと、もう少しで見失ってしまいそうだ。

「君、悪いが彼女と一緒に彼らのことを見ていてもらっても――」

 先程一瞬で捕まえた男性騎士が同じく屋根上にいたハルナへ話しかけようとして。



「《ライフ・ゼロファイブ》」



 ハルナはすさまじい速度で駆け出していた。

「ちょっ、おい君!」

 全身を駆け抜ける激痛。でもヨードル戦の時ほどではない。出力はあの時の半分。代償も少なく持続も可能。なにより――あの速度には追いつける!

 制止を振り切り家屋の屋根を飛び回るハルナを、リリィは大通りから見上げていた。

 ハルナから溢れ出る薄紅色のオーラに、リリィはつい先日のヨードル戦を思い出していた。あの時も、いやあの時はもっと濃い色だった。オーラが出た途端にハルナの力は格段に上昇した。そして、ハルナはヨードルを倒し、その次の日にハルナは学園を休んだのだった。

 本人に言ったように、リリィはあの魔力が何かを代償にした力だと踏んでいる。

 また、無理してるのね――!

「《アイス・プロップ》」

 気づけばリリィも魔法を唱えていた。間違って人を巻き込まないように注意しながら、足元を隆起させるように大通りのど真ん中に氷の支柱を造り上げる。その上でリリィは氷の弓を構えていた。いつの間にかその手には氷で出来た矢が握られており、番えた弓は真っすぐに走って逃げる男へ向けられていた。

 人混みの中を進んで行くせいで、外せば周囲の人を巻き込んでしまう。それを分かっていて男も逃げているのだろう。

 外さないとも思うが万が一がある。それに彼女も既に走り出してしまった。せめて負担が減るようにサポートさえできればいい。

「《ブロック・ショット》」

 だからリリィは逃げている男の頭上へ向かって氷の矢を放った。矢は狙い通り真っすぐに男の頭上を通過し、そして目の前で花開く。

 空中に、花の形をした氷の足場が形成された。

「なん――」

 突如差した陰に男が顔を見上げる。



 氷の花にもう一輪、薄紅色の花が咲いていた。



「《烈華――》」

 いつの間にか氷の花に飛び移っていたハルナ。氷の花も足場にして、ハルナは男へと飛び出した。

「《――菖蒲(あやめ)衝破!》」

 脚に薄紅色の魔力を纏わせ、男の頭部へ踵を叩きつけた。男は避ける暇もなくその一撃を食らい、白目を剥く。男はそのまま地面へ叩きつけられ、勢いそのままにハルナは男の上に乗った。すぐに手と足で両手足を封じ込み、身動きを取れなくする。

 真上から一点集中で倒したため、周りの人への影響は大してなさそうだ。そもそも周囲の人々が異変を察知して離れようとしてくれていたのも功を奏した。

 男は既に気絶しているようだが、まだ気は抜けない。

「皆さん、少し離れてください。まだ――」

「離れるのは君もだ」

「あいたっ!?」

 突然頭部に鈍い衝撃を食らい、思わず両手で頭を押さえてしまう。強い力ではなかったものの、気配などまるで感じなかった。

 振り向けば先程の男性騎士が立っていた。

 男性騎士はやれやれと首を横に振っている。甲冑のせいで顔は見えないが、良い顔をしていないのはハルナも分かった。

「確か今日はローディナスの一年生が巡視する日だ。ということはだ、君はこの前入学したばかりの生徒だろ」

「そ、そうですけど……」

「騎士の騎の字も習っていないのに無理をしない。まだ入学したばかりなんだ、まずは自分の安全を第一に考えなさい。それに、かえって迷惑になることもある。現に、本来であれば私は君よりも更に早くその男を捕らえることができた」

「え、あ、そ、そうなんですね……。あの――ごめん、なさい」

 そう言って、ハルナはしゅんとして男の上から避ける。良かれと思って、いやそんなことも考えていない。誰かが困っていると思ったら、身体がいつの間にか動いていた。ただそれだけ。でも、ハルナが介入さえしなければ更に事は早く終わったという。

 邪魔な、だけだったのかな。

 俯いてしまうハルナ。いつの間にかその身体から薄紅色の妖気は消え、代わりに全身を痛みだけが襲っていた。前よりも耐えられるが、今は痛みよりも自分の失敗に顔をしかめてしまう。

「あら、ならどうしてあなたが先に捕らえなかったの? グレイス」

 そこへ先程と同じ水の縄が投げられ、気絶していた男も無事捕縛された。言葉に顔を上げると、女性騎士とリリィが連れたって現れた。

「ハルナ、身体は大丈夫なの?」

「あ、えと、はい。問題ありません」

 少し大げさに身体を動かして無事をアピールする。本当は身体が気怠くて本調子には程遠いが、前よりもマシだった。

 女性騎士が兜を外す。長い茶髪を揺らして美人な顔立ちが現れた。彼女の笑みを見て、グレイスと呼ばれた男性騎士も兜を外した。グレイスは彼女と同じように優しく笑っていた。凛々しく精悍な顔つきが柔らかく解かれている。

 グレイスは、ハルナを見た。どう伝えようか迷っているようだったが、やがてその大きな篭手でハルナの頭をぽんぽん撫でた。

「見たかったんだ、君がどう動くのか。つい期待してしまったんだ、騎士の卵達にね」

 達、そう言ってグレイスはリリィにも目を向けた。

「言ったことに嘘はない。無理はしてほしくない。その結果様々な方面に迷惑をかけることになるだろうから。リリーシア、万が一にも君に何かあったら俺は何と御父上に弁解すればいい」

「あら、私は護られなければならないほど弱くないわよ」

 リリィが当然と言うようにグレイスへ敬語も使わず言葉を返す。恐らく以前からの知り合いなのだろうが……一体どんな関係なんだろうか。

 リリィの堂々とした言い分にグレイスも苦笑する。

「まぁ、確かにそうだろう。実際、見てみたくなってしまった。リリィの手際もそうだが……特に君だ」

 グレイスの瞳が優しくハルナを見つめる。先程指導された身ではあるが、目の前のグレイスがとても優しく素敵な騎士であることは十二分に理解できた。

「困っている人を見かけたら手を差し伸べられる、護ろうとする騎士道精神。そしてその精神を可能にする行動力と実力。一体どんなカッケー新入生がリリーシアと行動しているんだろうとね」

「そうね。あなた達、とってもカッコよかったわよ? 全然物怖じしないんだもの。私が学生の頃なんて巡視一つ緊張しちゃって。ねぇ?」

 茶髪の女性の視線にグレイスは肩をすくめる。自分は違ったと言いたげだ。

「そういう意味じゃハルナは大物かしらね。今日の巡視だって観光の延長だったでしょ?」

「なっ! 巡視が目的に決まってるじゃないですか!」

「あんなにキョロキョロ周りを見ていたのに?」

「あれは……怪しい人がいないか探していたんです!」

「貴女の方が余程怪しかったわよ?」

「もー、意地悪ですよっ!」

 リリィが上品に笑う。からかわれたハルナは不満げに口を膨らませていた。実際のところ、理想はハルナの言う通りだったが、実際は巡視半分観光半分になってしまっていただろう。

 二人の会話を聞きながら、グレイスはハルナへ視線を向けていた。

「そうか、君が……」

「?」

 視線を感じてハルナがグレイスへ首を傾げてみせる。改めて微笑を向けた後、グレイスは話し出した。

「ハルナ君、どうして巡視が二人体制なのか知っているかい?」

「えっと、一人で出来ないことも二人で行えるから、ですよね? お互いの長所を生かし、短所を補い合うことで、騎士として十分な活躍をすることができる……」

「その通りだ。一人でも十分に力を扱えることは大切だが、必ず限界がある。例えば今回のように複数犯だったら。もしかすると人質を取られているかもしれない。いかなる状況においても、一人ではなく誰かと一緒であれば、連携して対応することができるんだ」

 そして、グレイスはハルナとリリィを見た。

「そういう意味で言うと、君達は今回良い連携だった。いや、どちらかと言うと、リリーシアが君に合わせた形ではあるけれど、それでも立派に動いてくれたと言えるだろう」

 急に背筋を伸ばしたかと思うと、グレイスと茶髪の女性が右手を胸の前、左手を腰の辺りで握りしめ、敬礼のポーズをとる。

「ハルナ・ミューテリス、そしてリリーシア・フィルゲイザー。君達の助力のお陰で無事犯人達を捕まえることができた。礼を言う。君達の活躍は私グレイス・サンドライトとユアン・マイントハップが確かに見届けた。《ローディナス》にも伝えておこう」

「今はまだ卵のあなた達だけれど、いつか共にこの国を護られる、そんな日が来ることを願っているわ」

 茶髪の女性ユアンがウィンクと共にそんな言葉を投げかけてくれる。

 グレイスが言ったように、確かにハルナが居なければもっと素早く事は済んでいたのかもしれない。でも、きっとこんなに嬉しい言葉を投げかけられることもなかった。

 迷子にならなきゃアイズに会えなかったのと同じだ。何が未来に影響を与えるかなど、誰にも分からない。

 見様見真似で敬礼の形を取り、ハルナも笑顔で答えた。

「こちらこそ、ありがとうございました!」

 その後ろで、彼女の初々しい敬礼をリリィも優しく見つめていた。

 初めての巡視だったけれど、こうやってたくさんの出会いも待っているのだろう。今日だけで改めて騎士ってとてもカッコよくて、憧れの存在であることを認識できた。アイズだけではない、騎士は誰もが皆立派に国を、民を護ろうとしている。元気をくれる。

 ハルナは弾む心を抑えきれなかった。

 そうしてグレイスとユアンと別れて、ハルナとリリィは巡視を再開させる。

「……ところで、どうしてグレイスさんは私の本名を知っていたんでしょうか?」

「そんなの一つしかないじゃない。騎士の中でも有名なのよ、平民出身の《ローディナス》学生は」

「……改めて素敵な人ですね」

 ハルナが平民だと知りながら変わらず接してくれた。対等に扱ってくれた。それが、とても嬉しい。

「彼、五聖家の一つだから。そりゃ立ち振る舞いは騎士のソレでしょうね」

「五聖家って……確か王族ディアルタルカとは別に、主にディアルタルカ王国を支えている筆頭貴族でしたっけ。アイズ様も五聖家の一つですよね」

 ディアルタルカ王国はディアルタルカという一族が興した国である。やがてディアルタルカを王族とし繁栄していったわけだが、その繁栄を語るのに欠かせないのが五聖家である。開闢のエルカインド・進撃のサンドライト・守護のベクター・鉄血のシルフレード・叡智のフィルゲイザー。この五つが、今のディアルタルカ王国を造り上げたと言っても過言はないという。

「確か開闢のエルカインドが国を興すにあたって―――……叡智のフィルゲイザー?」

 ハルナは思わずリリィを見た。

 どうして今まで気づかなかったのだろう。

 ようやくか、とリリィは苦笑する。

「あなた、本当に学年主席なのよね?」

 その疎さは何なんだと言いたげだが、生憎驚きが勝ってしまう。



「リリィさんって、五聖家なんですか!?」



 リリーシア・フィルゲイザーと彼女は最初から名乗っていた。その時点で気づくべきだったのだ。友達が出来たことが嬉しくて嬉しくて、全然名字の方まで意識が向かなかった。

 だが、それならグレイスと知り合いだった理由も分かる。進撃のサンドライトと叡智のフィルゲイザー。五聖家同士なら繋がりだってあるだろう。

「な、なんで今まで言ってくれなかったんですか!」

 自分の隣を歩いていた友達がそこまで凄い家系だったとは。……いや、まぁ《ローディナス》の学生は自分以外貴族なのだから、自分と比べたらそりゃ凄いのだろうけれど。

 リリィは足を止めずに肩をすくめてみせた。慌てて追いかける。

「別に聞かれなかったし。それに気づいていて触れてこないんだとも思っていたわ。だって――」

 ふと立ち止まってリリィはハルナへ振り返った。

 そして、花のように柔らかく微笑む。

「私達の間に家柄なんて関係ないでしょ?」

「――」

 リリィの言葉に、ハルナは目を見張った。続いて込み上げてくるのは、感動、嬉しさ。

 平民であるハルナにとって、もしかしたら五聖家であるリリィは高嶺の花のような存在なのかもしれない。それでも、彼女は関係ないと言ってくれる。実際、傍に居てくれる。

 リリィだけではない、ナツキもミカも、タグマも。ハルナが平民であることを気にせず接してくれる。

 今更私だけが、皆の立場に左右なんてされたら、それこそ失礼だとハルナは思う。

 関係ない、とイレギュラーな自分が言うのも変な話だが、それでも。

「そうですね、リリィさんはリリィさんです!」

「もう……」

 ハルナは抱きつくようにリリィに追いついた。ハルナより少し背が高いリリィは、無意識の内に彼女の頭を撫でようとしていることに気づく。

「……なかなか怖い存在よね、あなた」

「え?」

 驚くように自分の手を見た後、リリィは気づかれないようにそっと下げる。その一部始終をハルナは見ていたが、どうしたのか良く分からなかった。

「さ、巡視を続けましょう」

「はい!」

 連れ添うようにしてハルナとリリィは再び通りを歩き始める。賑やかな声の中を、人々の隙間を一緒に歩いていく二人。

 二人の距離は、以前よりも縮まったように見えた。





※※※※※





 橙色の日差しが町中を染め上げていく。このまま色は橙色から紺色へと変わり、街の顔も夜のものへと変化していくことになるだろう。

 ナツキは夕日を一瞥した後、巡視のパートナーへと声を掛けた。

「よし、そろそろ切り上げよう。時間的にも《ローディナス》へ向かえば丁度いいだろ」

「……」

 だが、予想される返答は一つも返って来ず。

「……」

 ナツキは渋面のままパートナーの彼女を見つめた。

「あのなぁ……そんなに俺、怖いか?」

「っ……」

 何とか返ってきたのは悲鳴にも似た僅かな声。視線の先、人でごった返している道の、その端に立てかけられている眩しい看板の横に彼女はいた。

 藍色で肩にかからない程度の髪型は、性格に似て強調が少ない。少しでも目立たないようにしているかのようだ。前髪は少し長く、時折その隙間から伏せがちな瞳がナツキに怯えるようにして覗いていた。さながら小動物だ。スカート丈は膝下、長すぎるわけでもないが、まるで「私の足をそんな誰かに見せるなんて恐れ多い」、そう主張している気がしないでもない。

「……フルーレット・セプス、だったよな。名前」

 今日何度目かのため息の後、ナツキはフルーレットという彼女の名前を呼んで向かっていく。だが、近づこうとしたら同じ距離だけフルーレットは下がってしまう。常に一定の距離。巡視が始まってからずっとこうだ。フルーレットは想像以上に自分のことを嫌っているらしい。

「……なぁ、せめて理由、聞かせてくれないか。理由が分かったら、これ以上フルーレットに声掛けたりしない。嫌な気持ちにさせないと誓うよ」

「……ら」

「ん? 何だって?」

 生憎喧騒に包まれて微塵も声が聞こえてこない。折角フルーレットが何かを伝えようとしていたのに、活気があることは良いことだが、今はこの喧騒がもどかしい。

「悪い、出来れば声を張ってもう一度――」



「えええええええええ! つまりグレイスさんとユアンさんはお付き合いされているんですか!?」



 そこに聞こえてくる声に思わずナツキは視線を向けた。通りの先、まだ姿は見えないけれど、間違いない。

 声はどんどん近づいて来ていた。

「そう。でもね、『家の都合で――』とか言って、グレイスはまだ結婚に踏み切らないの。ただビビっているだけなのは、傍から見ても丸わかりなのにね」

「確かに、五聖家程になると結婚一つとっても少し大変かもしれないですね」

「そんなことないわ。ユアンさんに甘えて一歩踏み出す勇気を出さないグレイスが悪いわ」

「あはは……でも、両想いな二人が一緒に騎士で、巡回しているって何か素敵ですね!」

 そして、夕陽で色を変えた桃と薄水色の頭が映る。

 向こうもナツキの存在に気づいたようだ。

「あ、ナツキさん!」

「げ……」

 対応は両者真逆であるが。

 ハルナが元気にナツキの元までやってくる。リリィは少し迷ったようだが、渋々といった形でこちらまで足を向けていた。

「ナツキさんもそろそろ巡視終わりですよね! 一緒に帰りましょう!」

「おう、ハルナも切り上げたところか」

「はい! とっても楽しかったです!」

「うん、顔を見たら分かるな」

 満面の笑みというか、体中からそんなオーラを感じる。巡視も一応課外授業の一つなのだが、王国に疎い彼女からしたらとても楽しく感じるのかもしれない。

「ハルナ、彼にも巡視のパートナーがいるから。巡視は帰るまでが巡視よ」

 リリィがナツキへ冷めた視線を向けながら、ハルナへは優しく言葉を向けている。こいつ、態度に出過ぎだろ。そう思ってナツキがリリィを睨むも、ふんっとリリィは顔を背けた。

「あ……そう、ですよね」

 ハルナの顔が曇る。

 折角手塩にかけて育てていた向日葵が急に萎れてしまったような感覚にナツキは陥っていた。いや、全然ハルナを育てたとかそういう話じゃないんだろうけれど、ハルナが残念そうにしているのは分かる。

「あ、そうだ。そのことで少し力を貸してくれないか」

 とはいえ、ここで巡り合えたのは何かの縁。

 ハルナと(ついでに)リリィへ、フルーレットとのこれまでを説明する。二人とも暗くなってきた街の中から何とかフルーレットを見つけることができたらしい。フルーレットも同じようにハルナとリリィを見つけては、目が合って看板の後ろに隠れてしまった。

「――というわけだ。うちの担任が今日の席の前後を問答無用で組ませた結果だよ」

「決め方はクラスに依るんですね。私達のクラスは好きにしていいぞって感じでした」

「シルゲン先生は面倒くさがっているだけに決まっているじゃない。……で、ナツキ、あなた彼女に何をしたのよ」

 リリィは話を聞いて、しっかりナツキのことを疑っていた。

「話聞いてたか? 何もしてないんだっての。それでこうなっているから困っているんじゃないか」

「あなた、匂うんじゃない?」

「ざけんな、毎日入ってるわ!」

 ナツキとリリィのやり取りにハルナは苦笑しつつも驚く。

 二人とも知り合いであることもそうだが、結構気さくに話すものだなぁと。リリィは五聖家だから、色んな交友関係があるのは分かるが、どこかリリィのナツキに対する距離感が自分とは違う気がする。

 ハルナは変に捉えていたが、違うのは当たり前である。リリィがハルナとナツキのどちらに好意を持っているかなど、傍から見れば一目瞭然だったわけだが、残念ながら内から見ていたハルナには分からなかった。

 はぁ、とため息をつくナツキ。

「お前、そんなんでハルナと上手くやれてるのかよ」

「あら、心配ご無用。誰かさんと違ってハルナはとてもしっかりしているもの。私はちゃんとしている人が好きなの。それに……どこか愛でたくなるような可愛らしさがあるし」

 後半の声は小さくなっていたが、傍に居たナツキには聞こえていた。

 ナツキは意外と言わんばかりに目を見張っていた。

「お前……愛でるとかいう感性を持っていたのか」

「ぶっ飛ばされたいのかしら」

「あの氷の女王が融かされてる……ハルナの奴、一体どんな魔法を使ったんだ?」

「……」

 ナツキの遠慮のない物言いに、リリィは無言で氷の剣を作り出していた。

 氷の女王、というのは周囲のリリィに対する評価でもあり別称だった。リリィが何かに関心を見せることは珍しい。基本、全く周りに関心がないというか、心がないというか。

 だが、ハルナとのやり取りを見るに、氷の女王はハルナには心を開いているようだった。

 単に平民出の彼女に興味があるのか、それ以外なのか理由は不明であるが。

「ていうか、ハルナは?」

 リリィの剣を無視してふとハルナを探す。全然声がしないなと思ったら、いつの間にかハルナはフルーレットの真横に辿り着いていた。

 驚くフルーレットへ向かって、ハルナは屈んで笑顔を向ける。

「フルーレットさん、こんにちは!」

 凄い行動力。将を射んとする者はまず馬を射よと言うが、きっとハルナは将を最初から狙うタイプ。フルーレットが何か困っているのなら、フルーレットに聞かなければ分からない。ハルナの行動はある意味最も理にかなっていた。

「――」

 それからというもの、ハルナはフルーレットの横でうんうん頷いていた。驚いたことに、フルーレットは耳打ちでハルナに何かを話しているらしい。ナツキには全く答えてくれていなかったというのに。

「……やっぱりあなた、何かしたんでしょ」

「してねーって。あれは……ハルナの人の好さが話させていると思いたい」

「ということは、あなたは人が悪いのね。自覚があるようで何よりだわ」

「お前に言われたくねーよ」

「ナツキさん、分かりました!」

 また不毛な争いを始めるナツキとリリィの元へ届けられるハルナの声。彼女からもたらされる真実は、ナツキにとって天国か地獄か。

 ハルナに手を引かれるように、フルーレットも看板から出てきた。そのままハルナの後ろに隠れるようにしてナツキ達の元へ来る。

 ハルナが言った。

「どうやら、男の人が苦手なようです」

「……何だって?」

 単純明快。

 予想していなかった答えに、思わずナツキはフルーレットを見る。その視線を受けてフルーレットは更にハルナの後ろに隠れてしまった。

「ナツキ、威圧しないの」

「いや、してないって。……でもそうか。だからか。じゃあ、俺が何かしてしまったわけじゃないんだな」

 少しほっとしたような、でも根本はまるで解決していないような。

 ただ、担任の生徒はいえ、巡視の間ずっと苦しめていたと思うと申し訳ない気がする。

「フルーレット、悪かったな。事情を知らないとはいえ、嫌な気持ちにさせちまった」

 頭を下げるナツキに、フルーレットは少し驚いた様子だった。

「あ、謝らないで、下さい。……わ、私こそ、ご、ごめんなさい」

 ようやく聞くことのできたか細い声に、ナツキも頭を上げる。何があったのかは知らないが、フルーレットも好きで避けているわけではないのだろう。

「これじゃ、騎士になれない……」

 そう語るフルーレットの瞳は揺れているように見えた。確かに男性と関われないというのは致命的な気もするが、その苦手を押してでもフルーレットは学園に入学したのだろう。

 それだけ騎士になりたいと願っているのだ。

「大丈夫ですよ。その気持ちがあれば」

 ハルナが握っていたフルーレットの手にもう一方の手を重ねる。そして優しく、諭すように、穏やかな言葉を続けていく。

「騎士になりたいって気持ちがあれば大丈夫です。私だって、それだけを目指してここまで来たのです」

「……!」

 フルーレットは目を見開いた。彼女も知っているのだろう、ハルナが平民であることを。それもそうか、アイズが入学式で全員に伝えていたのだから。

 平民が騎士を目指すなど前代未聞。だが、ハルナは前人未到の《ローディナス》入学まで果たしてみせた。

 ハルナの存在が、できないことなどないと証明しているかのようだ。

 そんな彼女の言葉が、気持ちがフルーレットに届いたのだと思う。

「……わ、私のこと、フルルって呼んでくれたら、嬉しい、な」

 遠慮がちに、でも確かな言葉として向けられていた。ハルナの表情に花が咲く。

「っ、はい! フルルさん!」

「私、頑張るね……」

 ハルナとフルーレットもといフルルが握手のように手を振りながら、優しく笑みをこぼす。ハルナの人を惹きつける力にナツキは感心していた。確かに平民で環境や求められている基準が全然違うというのに、ハルナはそれを物ともせず進んで行く。

「凄いな、ハルナは……」

 誰にも聞こえないように呟いたつもりだったのだが、リリィには聞こえていたようだ。

「眩しい?」

 リリィのその問いに、どんな意味が含まれているのか。

「ああ、凄くな」

 ナツキは自嘲気味にそう返したのだった。

「さて、では改めて皆で帰りましょう!」

 そう言ってハルナはフルルと並んで《ローディナス》へ向かって進んで行く。親しくなったばかり、話題は尽きないようで楽しそうに歩いていた。その横にリリィも並んで、少しずつフルルとの関係を作り出しているようだった。氷の女王と言われていた彼女にどんな変化があったのか、誰かと関わろうとしているのは意外に思えた。

「……って俺は?」

 正直、フルルが男性不信な時点で、一緒に帰るなんて無理だと思う。自分が混じっただけで途端にフルルのコミュニケーション力が低下することなんて目に見えていた。

「まぁ、今日は仕方ないか」

 皆、とハルナは言ってくれていたが、今楽しそうにガールズトークしているところに入るのも憚られた。

 少し距離を取って、でも盛り上がる彼女達の声に耳を傾け、不思議と同じように少し楽しい気分になりながら、ナツキはハルナ達と帰路に着いたのだった。
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