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確信は大晦日。
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「ついたぜ」
車で走ること2時間、おしゃべり好きな灘さんはずっと話し続け、俺は飽きることがなかった。
到着した旅館は、完全に和風。よくある由緒ある古い旅館で、綺麗な庭が造られていた。
駐車場に車を止めたが、灘さんは降りる様子がない。何か考えているようで、俺は
「灘さん?」と声をかける。
するとはっと我に返ったようで笑顔を見せた。
「降りようぜ。この旅館の温泉気持ちいいんだ。温泉終わったら、酒とうまい飯。朝まで飲んで、初日の出~!」
そして急にテンション高くそう言うと、車から降りる。
よくわかんない。本当。
でも温泉って言ったよな。
温泉、あると思ってたけど灘さんと一緒か、一緒……。なんだよな。
俺は複雑な気持ちで、灘さんの後ろの付いて、旅館で受付を済ませ部屋に向かう。
部屋に到着したとたん、荷物をがさっと置き、浴衣に着替え始めた灘さんから、俺は視線をそらす。
いや、いいんだけど。
今の俺にはちょっと厳しい。
「えっと、俺……後から入ります」
誘われてもいないのに俺が先手必勝でそう言うと、灘さんは急に顔を赤らめた。そして、少し慌てた様子で浴衣を羽織り、帯を締める。
「あ、じゃあ。俺、先に行くわ」
俺と目を合わすこともなく、彼はよそよそしく、部屋を出て行った。
意識してるのがばれたかな。
そもそもゲイの俺と同じ部屋っていうのも考えなしだよな。
俺が襲ったらどうするんだって。
いや、その考えはまったくないのか。
それだけ安心されてる?信頼されてる?
……困ったよな。
今の俺は、かなり意識してる。
灘さんなんて、俺の好みじゃないのに。
なんで、気になるんだ。
着替えるときにちらっと見えた、彼の意外に白い肌が目に焼き付いている。
中肉中背――華奢じゃない。
でもあのお尻はいい形してるな。男にしては柔らかそうな……
いや、俺何想像してる?
だめだ。だめだ。
実田先輩の時は、あまりにも隙があって可愛かったから襲ってしまったけど、同じ過ちを繰り返したくない。
実田先輩は許してくれたけど、灘さんは一生俺を許さないだろう。
たとえ、俺が目的を達しても、関係は壊れる。
俺は、灘さんと友達のままでいたい。
一緒にいると楽しいし、傍にいると落ち着く。飽きない人だし、これからも付き合っていきたい。
だから、俺は我慢する。
極力、意識しないように。
俺はそう自分の気持ちを決めた。
目を閉じて、心を落ち着かせようとする。一緒の部屋で寝ないといけない。相当の忍耐が必要だ。浴衣なんて、危険なものを着てるから、余計危険だ。
浴衣か……。
そういや、着たことなかったな。
どうやって着るんだっけ?
俺は畳に綺麗に畳まれて置かれている浴衣を掴む。
地元で夏祭りあったけど、浴衣なんて着たことがなかった。温泉旅館なんて泊まったことなかったし……。
灘さんとお揃いか。
楽しそうだな。
俺は服を脱ぐと、浴衣に着替え始めた。
右向き?左向き?
男女で別って聞いたことがあるけど。
ええい、どうでもいい。
帯?特別な結びかたあるっけ?
いや、知らない。
どうでもいいか。
そうやって、初めて着た浴衣は居心地が悪いものじゃなかった。
パンツも脱いだほうがいいか。
どうせ、風呂場で脱ぐんだし。
パンツを脱ぐと、下から空気が入ってきて気持ちが悪かった。
やっぱり着た方がいいや。
結局パンツを履きなおして、部屋を歩き回る。
そうこうしているうちに、外の日差しが変わっていることに気が付く。お昼を過ぎ、それは夕方に差し掛かっていた。
今何時?
腕時計を見ると4時半になっていた。
灘さん!
どんだけ温泉に入ってるんだ。
俺は慌てて部屋を出て、温泉――浴場に向かう。
廊下を歩いていると俺はふらふらと歩いている灘さんを見つける。
「灘さん!」
俺の呼びかけに、振り向くがそのまま倒れ込んだ。
「灘さん!灘さん!」
彼を抱き起し、名前を呼ぶ。
「忠史!」
目を覚ました灘さんが俺を見るなり、飛び起きた。
「大丈夫ですか?」
かなり警戒されてるな。でもなんで、倒れるまで温泉に入ってるんだか。
「ああ、大丈夫」
灘さんは俺から離れ、立ちあがる。
「お前、今から温泉?よかったぞ。ゆっくり浸かってこいよ」
その温泉でのぼせるまで浸かっていたのは誰だよ。
俺はそんな突っ込みをいれたくなったが、灘さんは無邪気な笑顔を浮かべてる。しかし笑顔に力はない。
「部屋まで送りましょうか?」
「あ、大丈夫。俺一人で戻れるから」
心配する俺に手を振り、灘さんは一人で歩き出す。その足取りはあやしく、抱いて部屋まで連れ戻したいくらいだった。
しかし、そんなこと嫌がれるに決まっている。俺は彼が部屋のすぐ近くまで辿りついたことを確認すると、せっかくだからと温泉に浸かることにした。
風呂場から上がり、部屋に戻るとそこには浮かない顔の灘さんと豪華な懐石料理が俺を待っていた。
……これはきっと俺が抱き起したことのせいか?
なんか、警戒されてる気がするし。
懐石料理は、鍋、刺身、天ぷらという献立で、灘さんは鍋に色々具を入れていた。しかしその入れ方がぎこちない。なんか、俺のテリトリーを侵さないように箸の使い方がおかしい。
襲われるとでも思っているのか?
そんなに俺信用ない?
襲うならすでに襲ってるのに。
俺は決めたのに。
灘さんとは友達でいるって。
「灘さん、どうぞ」
俺はぎこちない動作の彼のおちょこにお酒を注ぐ。始めは緊張していた灘さんだが、飲み進めるうちに徐々に酔ってきていつもの調子を取り戻す。そして1時間もするとすっかり、いつもの明るい灘さんに戻っていた。
「忠史、今日は本当ありがとう。友達にドタキャンされてどうしようかと思ってたけど。本当来てもらってうれしい」
彼は本当に嬉しいらしくて、笑顔ははちきれんばかりだ。
俺もなんだか嬉しくなり、余計なことを口にしてしまう。
「俺も誘ってもらってよかったです。あのクリスマスから連絡がなかったから、怒らせたかもしれないって心配だったんです」
「あ、悪かったな。ごめん」
思い出させたかもしれない。そう危惧したが、灘さんはばつが悪そうな顔をしただけで、気にしていない様子でほっとする。
「忠史、飲め。今日は一緒に朝まで飲もうぜ」
その証拠に彼はとっくりを掴み、俺のおちょこにお酒を注いでくれた。
そうして彼はぐいぐいと飲み続け、俺に肩を貸してまた寝てしまった。
まったく 灘さんってこんなに弱かったっけ?一緒に飲んだことは何度もある。でも眠ってしまうことなど、あのクリスマスの一件以外はなかった。
それだけ信用されてるってこと?
警戒してたのに?
本当わかんない人だ。
すやすやと寝息を立てる灘さんは幸せそうに笑ってる。
しょうがない、寝かせてあげようか。
俺はそう決めると、彼の体を横たえる。そしてもう一つの部屋に布団を敷き、そこに彼を運んだ。抱き上げた彼は思ったより重くて、苦労しながら布団に横たえる。そのせいか、彼の浴衣がかなり乱れ、襟元が大きく開き、裾がまくり上がる。開いた胸元の鎖骨、彼の意外に白い胸板が目に入る。体毛が薄い彼の足は太ももまで見え、真っ白で、柔らかそうだった。
俺は震える指先で彼の襟元を正し、乱れた裾を整える。彼の素肌に触れ、彼を感じたいという衝動が走るが、深呼吸して押さえる。
布団の上で、彼を感じさせる自信はある。ノン気の奴は相手にしたことがない。だが、慣れていないに関わらず、感じる部分は一緒のはずだ。
でも所詮それは一瞬の快楽にすぎない。
それが終われば残るのは、別れだ。
永遠の別れ。しかも一生許してくれないだろう。
俺は彼に掛け布団をかけると部屋を出る。一緒の部屋にいて、我慢できる自信がなかった。
食べ残りの食事を片付けしてもらい、お酒だけは残してもらう。
一人でちびちび飲んでいたが、気持ちがもやもやしてしまい、立ちあがる。しんと静まっている部屋。規則正しい、灘さんの寝息だけが聞こえてくる。
今、彼に触れても気づかれない。
キスしても気が付かないかもしれない。
そんな欲望がもたげてきて、俺は窓の外に視線を向ける。
微かな明かりで照らされる庭。昼間見た時はそこそこ綺麗な庭だった。が、光がほとんどない今は、形がぼんやりと見えるくらいで、見る価値がない庭に化している。
まあ、こんな時間に庭を見ようというような奴はいないか。
すっと後ろから小さな音が聞こえた。襖を開ける音だ。
振り返ると、灘さんが寒そうにコートを羽織って立っていた。
「……起きたんですね」
俺がそう聞くと、彼がぎくりと驚いた顔をした。
「俺……酔いつぶれて寝たんだ?」
記憶を手繰るように視線を宙に彷徨わせる。
「はい。だから、布団を敷いて寝かせました。気分がどうですか?」
俺は彼に警戒されないように、明るく答える。変な気持ちを持たれたくない。触れたい、キスをしたいと思ったのは事実だけど、実際に行動に起こさなかった。
「あ、うん。悪酔いはしてないみたいだ。ありがとう」
彼は安堵したような表情を浮かべて、微笑む。
「よかったです」
罪な人だ。
俺がどれだけ我慢したか知る由はない。
「何か見えるのか?」
「いや、別に」
見てるわけじゃない。
灘さんを見たくないんだ。今の俺はちょっとおかしい。少しのことで、彼に何かしてしまうかもしれない。
「……忠史は庭が好きなのか?」
そんな俺に気が付かないまま、彼は無邪気にそう問う。
「え、まあ」
俺は曖昧に答えた。
「そうだ。忠史。庭なんか見てないで、初詣に行かないか?もうすぐ年が明ける。初日の出と思ってたけど、まだ時間がありすぎるし、どうだ?」
本当、この人は……。
彼の提案は唐突だ。
初詣の場所なんて、わかってるのか?
「……初詣。いいですけど」
だけど、俺は彼には逆らえない。行きたいならいけばいい。俺は黙ってついていくだけど。
「じゃ決まりな」
俺の返事に彼は嬉しそうに言うと、部屋に戻った。着替える気だと思って、少しだけ待って俺の部屋に戻る。
部屋に入ると灘さんは着替えをほとんど終わらせてて、俺は安心して浴衣を脱ぎ始める。一瞬彼の動きが止まり、くるりと背を向けた。
彼に裸を見られるのは嫌じゃない。だが、待たせるのも悪い気がして、さっさと着替えを済ませた。
「灘さん、行きましょう」
ダウンジャケットまで羽織り、俺が声をかけると灘さんが振り返る。そうして俺達は一緒に部屋を出た。
旅館を出て、灘さんは真っ暗な道を颯爽と前を歩いく。しかし、数分後、そのスピードが落ちた。そして立ち止まり始め、俺は嫌な予感を覚える。
「忠史、ごめん。迷った」
10分後、彼は悪びれる様子もなく、白状する。
やっぱり。
予想通りだったので、俺はさほどショックは受けなかった。
まあ、帰り道も解ってるし。
情けない顔をした灘さんは、うなだれ寒そうに腕を擦っている。
本当、この人は。
冷えるんだからマフラーくらいしてくればいいのに。
俺はマフラーを首元から取ると、彼の首に巻きつける。冷たい風が首元をなびいたが、寒そうな彼をほっとくことはできない。
「マフラー貸しますよ。俺はかなり暖かいので」
「悪いな。ありがとう」
彼はぱっと顔を輝かせ、俺が巻いたマフラーをさらに巻きつけた。
「人影が見えないな。どうしようか」
諦める気はないようで、彼は民家が広がる周りを見渡す。
「こんな時間に人の家に勝手に訪ねるのは不審者だよな」
そうだよ、灘さん。
明かりはついてるから、起きてるのは確かだ。
でもこんな時間に見も知らぬ他人に訪問されたら、不審者以外には思われないだろう。
彼が帰る気がないようなので、俺は何か神社のヒントがないかと目を凝らして先を見る。
すると先方のY字路の先に、ぼんやりと鳥居らしきものが見えた。
「灘さん!あれ」
俺が指差すと灘さんがその方向に目を向ける。
「神社だ!」
灘さんはそう叫ぶと駆け出す。
子供かよ。
見失うことはないけれど、俺も仕方なく彼の後を追いかける。
数分後、息を切らせて鳥居のある場所に辿り着いた しかし奥に広がる境内はしんと静まり返ってる。
「まじで?開いてない?」
「そうみたいですね」
灘さんは相当ショックを受けているようで、その場に倒れ込むんじゃないかと思った。
「……忠史。ごめん。まじでごめん」
彼は俺をじっと見つめて、そう謝る。その様子は叱られた犬みたいに可愛くて、俺は怒るどころか笑ってしまった。
「謝らなくてもいいですよ。部屋でじっとしてても眠れなかったですから」
「……そうか。よかった」
俺の答えに彼は安堵すると、帰り道を歩き出した。
数分後、ふいに時間が気になり腕時計を見る。
「あ!」
時間は12時半。
新年とも意識もしないままの、唐突な年明け。
「明けましておめでとうございます」
俺はとりあえず前を歩く灘さんに挨拶する。すると驚いた様子で振り返り、彼は腕時計を見た。
「ああ、もう。カウントダウンまでできなかった。本当にごめん。忠史。とりあえず明けましておめでとう」
彼は悔しそうにそう言った後、ぺこりを頭を下げる。
「はい。今年もよろしくお願いします」
頭を下げられ、俺も反射的に同じようにする。
「うん。俺も今年もよろしくお願いします」
さっき、頭を下げたばかりなのに、灘さんはまた頭を下げ、俺はなんだかおかしくなった。道のど真ん中にいるのは俺達二人。何度も頭を下げ合うのはバカみたいで、俺は笑ってしまう。すると灘さんも馬鹿らしさに気が付いたみたいで笑いだした。一度笑うと何もかもがおかしくなり始め、俺たちは笑いながら旅館に戻った。
「灘さん、飲みなおしませんか?」
部屋に着いて、俺はこのまま寝てしまうのが惜しくてそう聞いてしまった。彼はちらりと部屋のテーブルに置かれたとっくりとおちょこに視線を向ける。
「冷えてるよなー」
残念そうに彼がぼやく。
「はい。でもこれはこれで美味しいと思いますよ」
俺は灘さんと一緒に飲みたくて、強引にそう答える。
「……そうだな」
彼は一瞬考えた後、頷いた。
俺たちはテーブルを挟み、飲み始める。
灘さんは美味しそうにお酒を飲み干し、その顔はとても嬉しそうだ。
俺も彼の笑顔を見て嬉しくなる。
そういや彼に会うまで、他人の笑顔で嬉しくなることなんてなかったな。
灘さんはやっぱり俺にとって、特別なんだ。
「灘さん、俺。灘さんと知り合えてよかったです」
俺はほろ酔いも手伝い、素直に思ったことを口にする。すると彼が目を見開き、口に運びかけていたおちょこを止めた。
「別に深い意味はないです!飲んでください」
やばい。失言だった。
「ああ、そうか。あ、俺もお前と知り合えてよかった。本当いつもありがとう」
しかし、彼は何か思い直したらしい。なんだか納得したように頷くとそう言ってくれた。
「乾杯しましょう。灘さん」
「うん。乾杯!」
俺たちはお互いのおちょこをかつんと当て、中身を飲み干す。
美味しい酒はどんどん進み、徳利の酒は飲み干した。飲み足りない俺達は室内の冷蔵庫からビールを取り出す。
「忠史、お前本当にいい男だよな」
顔を真っ赤にして、完全に酔った状態の灘さんは俺の顔をじっと見る。
「クリスマスの時も、目開けたらすごくカッコいいお前の顔を見えて、見惚れたんだよな」
え?
今なんて?
「お前はかっこいいし、性格もいいし。付き合うならお得だよな」
ええ?
灘さんは多分自分が言ってることが分かっていないみたいだった。
でも俺は彼の言葉に翻弄される。
「あ、外!」
ふいに彼が立ちあがる。しかし酔っ払い。転びそうになる彼を俺が支える。
「窓の外が見たい。初日の出、そろそろじゃないか?見たいんだ。ちょっと連れて行って」
完全にいつもの警戒心がなくなり、ゲイの俺に体を預けている。
俺は仕方なく、彼を支え、窓際まで歩いて行った。
時間を見ていたのか?
しばらく二人で外を見ていると、東の空の色が変わってきた。そして太陽が顔を出し始める。
「初日の出。本当は外に出て、海岸まで歩くといいみたいだけど」
彼は食い入るように朝日を見つめ、呟く。
「忠史。ありがとう。新年、お前と一緒に迎えられて嬉しい」
灘さんは視線を俺に戻し、微笑む。
俺は言葉が出なかった。
密着してる部分が熱くなり、俺は彼の顔をまともに見れず、横を向いてしまう。
灘さん、俺も嬉しいです。
そう言葉に出そうとしてるのに、口がからからで声が出なかった。
「灘……さん、」
辛うじて出たのは、彼の名前。
「眠い、俺眠いわ」
そんな俺に彼は目を擦り、甘えてくる。
いや、俺にはそう思えた。
「悪い。もう限界」
それが彼の最後の言葉だった。一気に脱力して、俺に体の全てを預ける。俺は彼の体を支え切れず倒れてしまった。
「いてっつ」
あり得ない。華奢じゃないくせに。
あれだけ俺が派手に転んだにも関わらず、彼は俺を下敷きにして、幸せそうに寝ていた。
「まったく」
体を起して彼を抱く。俺の腕の中で、ゲイに抱かれてるのに身じろぎしない灘さん。寝ているから仕方ないんだけど。
「ちょっとくらいいよな。気がつかないだろうし」
俺は軽く彼の頬にキスを落とす。
「灘さん」
無防備だよ。本当。
俺は自制心を働かせ、その後、彼を布団の上に運んだ。そして俺自身の布団を別の部屋に運んで、そこで眠る。
うつらうつらして、目を覚ます。
再び寝る気もなくて、そのまま起きていた。
少しして灘さんが起きてくる。俺に初日の出を見たかを尋ねたので、「はい」と答えた。
覚えてないんだ。全然。
そんな予感してたけど。
でも人間酔うと正直になるっていうから、あの言葉はきっと本心なんだ。
「くそ。来年は絶対にちゃんと起きて見るんだ。覚えてないんだったら、見たうちにはいらない」
灘さんは悔しそうにそう漏らす。
来年、来年か。
来年も灘さんと一緒に初日の出見たい。
いや、見てやる。
「灘さん、来年も一緒に見てもいいですか」
嫌なんて、言わせない。
俺の気迫に彼は戸惑いを見せる。
「いいけど。彼女、いや彼氏ができたら無理しなくてもいいからな」
そんなのできるわけがない。
俺が好きなのは灘さんなんだ。
こんな人、どこがいいか自分でもわからないけど、灘さんが好きだ。
「……大丈夫です。絶対にできてないですから」
そう、彼以外に俺が付き合うなんてありえない。
灘さんは確かに、俺に好意を持ってる。
友達としての意味だろうけど。
でも、秀雄が実田先輩を落としたように、俺も灘さんを落とせるかもしれない。
友達でいるつもりだった。
でも彼が俺に好意をもっているんだったら、それを利用して恋人になれるかもしれない。
人生に不可能はないんだ。
こうして俺は新年そうそう、自分の恋心を自覚し、好きな男を落とすことを決めた。
車で走ること2時間、おしゃべり好きな灘さんはずっと話し続け、俺は飽きることがなかった。
到着した旅館は、完全に和風。よくある由緒ある古い旅館で、綺麗な庭が造られていた。
駐車場に車を止めたが、灘さんは降りる様子がない。何か考えているようで、俺は
「灘さん?」と声をかける。
するとはっと我に返ったようで笑顔を見せた。
「降りようぜ。この旅館の温泉気持ちいいんだ。温泉終わったら、酒とうまい飯。朝まで飲んで、初日の出~!」
そして急にテンション高くそう言うと、車から降りる。
よくわかんない。本当。
でも温泉って言ったよな。
温泉、あると思ってたけど灘さんと一緒か、一緒……。なんだよな。
俺は複雑な気持ちで、灘さんの後ろの付いて、旅館で受付を済ませ部屋に向かう。
部屋に到着したとたん、荷物をがさっと置き、浴衣に着替え始めた灘さんから、俺は視線をそらす。
いや、いいんだけど。
今の俺にはちょっと厳しい。
「えっと、俺……後から入ります」
誘われてもいないのに俺が先手必勝でそう言うと、灘さんは急に顔を赤らめた。そして、少し慌てた様子で浴衣を羽織り、帯を締める。
「あ、じゃあ。俺、先に行くわ」
俺と目を合わすこともなく、彼はよそよそしく、部屋を出て行った。
意識してるのがばれたかな。
そもそもゲイの俺と同じ部屋っていうのも考えなしだよな。
俺が襲ったらどうするんだって。
いや、その考えはまったくないのか。
それだけ安心されてる?信頼されてる?
……困ったよな。
今の俺は、かなり意識してる。
灘さんなんて、俺の好みじゃないのに。
なんで、気になるんだ。
着替えるときにちらっと見えた、彼の意外に白い肌が目に焼き付いている。
中肉中背――華奢じゃない。
でもあのお尻はいい形してるな。男にしては柔らかそうな……
いや、俺何想像してる?
だめだ。だめだ。
実田先輩の時は、あまりにも隙があって可愛かったから襲ってしまったけど、同じ過ちを繰り返したくない。
実田先輩は許してくれたけど、灘さんは一生俺を許さないだろう。
たとえ、俺が目的を達しても、関係は壊れる。
俺は、灘さんと友達のままでいたい。
一緒にいると楽しいし、傍にいると落ち着く。飽きない人だし、これからも付き合っていきたい。
だから、俺は我慢する。
極力、意識しないように。
俺はそう自分の気持ちを決めた。
目を閉じて、心を落ち着かせようとする。一緒の部屋で寝ないといけない。相当の忍耐が必要だ。浴衣なんて、危険なものを着てるから、余計危険だ。
浴衣か……。
そういや、着たことなかったな。
どうやって着るんだっけ?
俺は畳に綺麗に畳まれて置かれている浴衣を掴む。
地元で夏祭りあったけど、浴衣なんて着たことがなかった。温泉旅館なんて泊まったことなかったし……。
灘さんとお揃いか。
楽しそうだな。
俺は服を脱ぐと、浴衣に着替え始めた。
右向き?左向き?
男女で別って聞いたことがあるけど。
ええい、どうでもいい。
帯?特別な結びかたあるっけ?
いや、知らない。
どうでもいいか。
そうやって、初めて着た浴衣は居心地が悪いものじゃなかった。
パンツも脱いだほうがいいか。
どうせ、風呂場で脱ぐんだし。
パンツを脱ぐと、下から空気が入ってきて気持ちが悪かった。
やっぱり着た方がいいや。
結局パンツを履きなおして、部屋を歩き回る。
そうこうしているうちに、外の日差しが変わっていることに気が付く。お昼を過ぎ、それは夕方に差し掛かっていた。
今何時?
腕時計を見ると4時半になっていた。
灘さん!
どんだけ温泉に入ってるんだ。
俺は慌てて部屋を出て、温泉――浴場に向かう。
廊下を歩いていると俺はふらふらと歩いている灘さんを見つける。
「灘さん!」
俺の呼びかけに、振り向くがそのまま倒れ込んだ。
「灘さん!灘さん!」
彼を抱き起し、名前を呼ぶ。
「忠史!」
目を覚ました灘さんが俺を見るなり、飛び起きた。
「大丈夫ですか?」
かなり警戒されてるな。でもなんで、倒れるまで温泉に入ってるんだか。
「ああ、大丈夫」
灘さんは俺から離れ、立ちあがる。
「お前、今から温泉?よかったぞ。ゆっくり浸かってこいよ」
その温泉でのぼせるまで浸かっていたのは誰だよ。
俺はそんな突っ込みをいれたくなったが、灘さんは無邪気な笑顔を浮かべてる。しかし笑顔に力はない。
「部屋まで送りましょうか?」
「あ、大丈夫。俺一人で戻れるから」
心配する俺に手を振り、灘さんは一人で歩き出す。その足取りはあやしく、抱いて部屋まで連れ戻したいくらいだった。
しかし、そんなこと嫌がれるに決まっている。俺は彼が部屋のすぐ近くまで辿りついたことを確認すると、せっかくだからと温泉に浸かることにした。
風呂場から上がり、部屋に戻るとそこには浮かない顔の灘さんと豪華な懐石料理が俺を待っていた。
……これはきっと俺が抱き起したことのせいか?
なんか、警戒されてる気がするし。
懐石料理は、鍋、刺身、天ぷらという献立で、灘さんは鍋に色々具を入れていた。しかしその入れ方がぎこちない。なんか、俺のテリトリーを侵さないように箸の使い方がおかしい。
襲われるとでも思っているのか?
そんなに俺信用ない?
襲うならすでに襲ってるのに。
俺は決めたのに。
灘さんとは友達でいるって。
「灘さん、どうぞ」
俺はぎこちない動作の彼のおちょこにお酒を注ぐ。始めは緊張していた灘さんだが、飲み進めるうちに徐々に酔ってきていつもの調子を取り戻す。そして1時間もするとすっかり、いつもの明るい灘さんに戻っていた。
「忠史、今日は本当ありがとう。友達にドタキャンされてどうしようかと思ってたけど。本当来てもらってうれしい」
彼は本当に嬉しいらしくて、笑顔ははちきれんばかりだ。
俺もなんだか嬉しくなり、余計なことを口にしてしまう。
「俺も誘ってもらってよかったです。あのクリスマスから連絡がなかったから、怒らせたかもしれないって心配だったんです」
「あ、悪かったな。ごめん」
思い出させたかもしれない。そう危惧したが、灘さんはばつが悪そうな顔をしただけで、気にしていない様子でほっとする。
「忠史、飲め。今日は一緒に朝まで飲もうぜ」
その証拠に彼はとっくりを掴み、俺のおちょこにお酒を注いでくれた。
そうして彼はぐいぐいと飲み続け、俺に肩を貸してまた寝てしまった。
まったく 灘さんってこんなに弱かったっけ?一緒に飲んだことは何度もある。でも眠ってしまうことなど、あのクリスマスの一件以外はなかった。
それだけ信用されてるってこと?
警戒してたのに?
本当わかんない人だ。
すやすやと寝息を立てる灘さんは幸せそうに笑ってる。
しょうがない、寝かせてあげようか。
俺はそう決めると、彼の体を横たえる。そしてもう一つの部屋に布団を敷き、そこに彼を運んだ。抱き上げた彼は思ったより重くて、苦労しながら布団に横たえる。そのせいか、彼の浴衣がかなり乱れ、襟元が大きく開き、裾がまくり上がる。開いた胸元の鎖骨、彼の意外に白い胸板が目に入る。体毛が薄い彼の足は太ももまで見え、真っ白で、柔らかそうだった。
俺は震える指先で彼の襟元を正し、乱れた裾を整える。彼の素肌に触れ、彼を感じたいという衝動が走るが、深呼吸して押さえる。
布団の上で、彼を感じさせる自信はある。ノン気の奴は相手にしたことがない。だが、慣れていないに関わらず、感じる部分は一緒のはずだ。
でも所詮それは一瞬の快楽にすぎない。
それが終われば残るのは、別れだ。
永遠の別れ。しかも一生許してくれないだろう。
俺は彼に掛け布団をかけると部屋を出る。一緒の部屋にいて、我慢できる自信がなかった。
食べ残りの食事を片付けしてもらい、お酒だけは残してもらう。
一人でちびちび飲んでいたが、気持ちがもやもやしてしまい、立ちあがる。しんと静まっている部屋。規則正しい、灘さんの寝息だけが聞こえてくる。
今、彼に触れても気づかれない。
キスしても気が付かないかもしれない。
そんな欲望がもたげてきて、俺は窓の外に視線を向ける。
微かな明かりで照らされる庭。昼間見た時はそこそこ綺麗な庭だった。が、光がほとんどない今は、形がぼんやりと見えるくらいで、見る価値がない庭に化している。
まあ、こんな時間に庭を見ようというような奴はいないか。
すっと後ろから小さな音が聞こえた。襖を開ける音だ。
振り返ると、灘さんが寒そうにコートを羽織って立っていた。
「……起きたんですね」
俺がそう聞くと、彼がぎくりと驚いた顔をした。
「俺……酔いつぶれて寝たんだ?」
記憶を手繰るように視線を宙に彷徨わせる。
「はい。だから、布団を敷いて寝かせました。気分がどうですか?」
俺は彼に警戒されないように、明るく答える。変な気持ちを持たれたくない。触れたい、キスをしたいと思ったのは事実だけど、実際に行動に起こさなかった。
「あ、うん。悪酔いはしてないみたいだ。ありがとう」
彼は安堵したような表情を浮かべて、微笑む。
「よかったです」
罪な人だ。
俺がどれだけ我慢したか知る由はない。
「何か見えるのか?」
「いや、別に」
見てるわけじゃない。
灘さんを見たくないんだ。今の俺はちょっとおかしい。少しのことで、彼に何かしてしまうかもしれない。
「……忠史は庭が好きなのか?」
そんな俺に気が付かないまま、彼は無邪気にそう問う。
「え、まあ」
俺は曖昧に答えた。
「そうだ。忠史。庭なんか見てないで、初詣に行かないか?もうすぐ年が明ける。初日の出と思ってたけど、まだ時間がありすぎるし、どうだ?」
本当、この人は……。
彼の提案は唐突だ。
初詣の場所なんて、わかってるのか?
「……初詣。いいですけど」
だけど、俺は彼には逆らえない。行きたいならいけばいい。俺は黙ってついていくだけど。
「じゃ決まりな」
俺の返事に彼は嬉しそうに言うと、部屋に戻った。着替える気だと思って、少しだけ待って俺の部屋に戻る。
部屋に入ると灘さんは着替えをほとんど終わらせてて、俺は安心して浴衣を脱ぎ始める。一瞬彼の動きが止まり、くるりと背を向けた。
彼に裸を見られるのは嫌じゃない。だが、待たせるのも悪い気がして、さっさと着替えを済ませた。
「灘さん、行きましょう」
ダウンジャケットまで羽織り、俺が声をかけると灘さんが振り返る。そうして俺達は一緒に部屋を出た。
旅館を出て、灘さんは真っ暗な道を颯爽と前を歩いく。しかし、数分後、そのスピードが落ちた。そして立ち止まり始め、俺は嫌な予感を覚える。
「忠史、ごめん。迷った」
10分後、彼は悪びれる様子もなく、白状する。
やっぱり。
予想通りだったので、俺はさほどショックは受けなかった。
まあ、帰り道も解ってるし。
情けない顔をした灘さんは、うなだれ寒そうに腕を擦っている。
本当、この人は。
冷えるんだからマフラーくらいしてくればいいのに。
俺はマフラーを首元から取ると、彼の首に巻きつける。冷たい風が首元をなびいたが、寒そうな彼をほっとくことはできない。
「マフラー貸しますよ。俺はかなり暖かいので」
「悪いな。ありがとう」
彼はぱっと顔を輝かせ、俺が巻いたマフラーをさらに巻きつけた。
「人影が見えないな。どうしようか」
諦める気はないようで、彼は民家が広がる周りを見渡す。
「こんな時間に人の家に勝手に訪ねるのは不審者だよな」
そうだよ、灘さん。
明かりはついてるから、起きてるのは確かだ。
でもこんな時間に見も知らぬ他人に訪問されたら、不審者以外には思われないだろう。
彼が帰る気がないようなので、俺は何か神社のヒントがないかと目を凝らして先を見る。
すると先方のY字路の先に、ぼんやりと鳥居らしきものが見えた。
「灘さん!あれ」
俺が指差すと灘さんがその方向に目を向ける。
「神社だ!」
灘さんはそう叫ぶと駆け出す。
子供かよ。
見失うことはないけれど、俺も仕方なく彼の後を追いかける。
数分後、息を切らせて鳥居のある場所に辿り着いた しかし奥に広がる境内はしんと静まり返ってる。
「まじで?開いてない?」
「そうみたいですね」
灘さんは相当ショックを受けているようで、その場に倒れ込むんじゃないかと思った。
「……忠史。ごめん。まじでごめん」
彼は俺をじっと見つめて、そう謝る。その様子は叱られた犬みたいに可愛くて、俺は怒るどころか笑ってしまった。
「謝らなくてもいいですよ。部屋でじっとしてても眠れなかったですから」
「……そうか。よかった」
俺の答えに彼は安堵すると、帰り道を歩き出した。
数分後、ふいに時間が気になり腕時計を見る。
「あ!」
時間は12時半。
新年とも意識もしないままの、唐突な年明け。
「明けましておめでとうございます」
俺はとりあえず前を歩く灘さんに挨拶する。すると驚いた様子で振り返り、彼は腕時計を見た。
「ああ、もう。カウントダウンまでできなかった。本当にごめん。忠史。とりあえず明けましておめでとう」
彼は悔しそうにそう言った後、ぺこりを頭を下げる。
「はい。今年もよろしくお願いします」
頭を下げられ、俺も反射的に同じようにする。
「うん。俺も今年もよろしくお願いします」
さっき、頭を下げたばかりなのに、灘さんはまた頭を下げ、俺はなんだかおかしくなった。道のど真ん中にいるのは俺達二人。何度も頭を下げ合うのはバカみたいで、俺は笑ってしまう。すると灘さんも馬鹿らしさに気が付いたみたいで笑いだした。一度笑うと何もかもがおかしくなり始め、俺たちは笑いながら旅館に戻った。
「灘さん、飲みなおしませんか?」
部屋に着いて、俺はこのまま寝てしまうのが惜しくてそう聞いてしまった。彼はちらりと部屋のテーブルに置かれたとっくりとおちょこに視線を向ける。
「冷えてるよなー」
残念そうに彼がぼやく。
「はい。でもこれはこれで美味しいと思いますよ」
俺は灘さんと一緒に飲みたくて、強引にそう答える。
「……そうだな」
彼は一瞬考えた後、頷いた。
俺たちはテーブルを挟み、飲み始める。
灘さんは美味しそうにお酒を飲み干し、その顔はとても嬉しそうだ。
俺も彼の笑顔を見て嬉しくなる。
そういや彼に会うまで、他人の笑顔で嬉しくなることなんてなかったな。
灘さんはやっぱり俺にとって、特別なんだ。
「灘さん、俺。灘さんと知り合えてよかったです」
俺はほろ酔いも手伝い、素直に思ったことを口にする。すると彼が目を見開き、口に運びかけていたおちょこを止めた。
「別に深い意味はないです!飲んでください」
やばい。失言だった。
「ああ、そうか。あ、俺もお前と知り合えてよかった。本当いつもありがとう」
しかし、彼は何か思い直したらしい。なんだか納得したように頷くとそう言ってくれた。
「乾杯しましょう。灘さん」
「うん。乾杯!」
俺たちはお互いのおちょこをかつんと当て、中身を飲み干す。
美味しい酒はどんどん進み、徳利の酒は飲み干した。飲み足りない俺達は室内の冷蔵庫からビールを取り出す。
「忠史、お前本当にいい男だよな」
顔を真っ赤にして、完全に酔った状態の灘さんは俺の顔をじっと見る。
「クリスマスの時も、目開けたらすごくカッコいいお前の顔を見えて、見惚れたんだよな」
え?
今なんて?
「お前はかっこいいし、性格もいいし。付き合うならお得だよな」
ええ?
灘さんは多分自分が言ってることが分かっていないみたいだった。
でも俺は彼の言葉に翻弄される。
「あ、外!」
ふいに彼が立ちあがる。しかし酔っ払い。転びそうになる彼を俺が支える。
「窓の外が見たい。初日の出、そろそろじゃないか?見たいんだ。ちょっと連れて行って」
完全にいつもの警戒心がなくなり、ゲイの俺に体を預けている。
俺は仕方なく、彼を支え、窓際まで歩いて行った。
時間を見ていたのか?
しばらく二人で外を見ていると、東の空の色が変わってきた。そして太陽が顔を出し始める。
「初日の出。本当は外に出て、海岸まで歩くといいみたいだけど」
彼は食い入るように朝日を見つめ、呟く。
「忠史。ありがとう。新年、お前と一緒に迎えられて嬉しい」
灘さんは視線を俺に戻し、微笑む。
俺は言葉が出なかった。
密着してる部分が熱くなり、俺は彼の顔をまともに見れず、横を向いてしまう。
灘さん、俺も嬉しいです。
そう言葉に出そうとしてるのに、口がからからで声が出なかった。
「灘……さん、」
辛うじて出たのは、彼の名前。
「眠い、俺眠いわ」
そんな俺に彼は目を擦り、甘えてくる。
いや、俺にはそう思えた。
「悪い。もう限界」
それが彼の最後の言葉だった。一気に脱力して、俺に体の全てを預ける。俺は彼の体を支え切れず倒れてしまった。
「いてっつ」
あり得ない。華奢じゃないくせに。
あれだけ俺が派手に転んだにも関わらず、彼は俺を下敷きにして、幸せそうに寝ていた。
「まったく」
体を起して彼を抱く。俺の腕の中で、ゲイに抱かれてるのに身じろぎしない灘さん。寝ているから仕方ないんだけど。
「ちょっとくらいいよな。気がつかないだろうし」
俺は軽く彼の頬にキスを落とす。
「灘さん」
無防備だよ。本当。
俺は自制心を働かせ、その後、彼を布団の上に運んだ。そして俺自身の布団を別の部屋に運んで、そこで眠る。
うつらうつらして、目を覚ます。
再び寝る気もなくて、そのまま起きていた。
少しして灘さんが起きてくる。俺に初日の出を見たかを尋ねたので、「はい」と答えた。
覚えてないんだ。全然。
そんな予感してたけど。
でも人間酔うと正直になるっていうから、あの言葉はきっと本心なんだ。
「くそ。来年は絶対にちゃんと起きて見るんだ。覚えてないんだったら、見たうちにはいらない」
灘さんは悔しそうにそう漏らす。
来年、来年か。
来年も灘さんと一緒に初日の出見たい。
いや、見てやる。
「灘さん、来年も一緒に見てもいいですか」
嫌なんて、言わせない。
俺の気迫に彼は戸惑いを見せる。
「いいけど。彼女、いや彼氏ができたら無理しなくてもいいからな」
そんなのできるわけがない。
俺が好きなのは灘さんなんだ。
こんな人、どこがいいか自分でもわからないけど、灘さんが好きだ。
「……大丈夫です。絶対にできてないですから」
そう、彼以外に俺が付き合うなんてありえない。
灘さんは確かに、俺に好意を持ってる。
友達としての意味だろうけど。
でも、秀雄が実田先輩を落としたように、俺も灘さんを落とせるかもしれない。
友達でいるつもりだった。
でも彼が俺に好意をもっているんだったら、それを利用して恋人になれるかもしれない。
人生に不可能はないんだ。
こうして俺は新年そうそう、自分の恋心を自覚し、好きな男を落とすことを決めた。
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