1 / 4
日常茶飯事
しおりを挟む
輝きに包まれたパウダールーム。豪奢な服を着た人々。きらびやかな空気に満ちたその部屋で、一人の女性があちらこちらから呼ばれている。
「真粧美! バンから服取ってきて!」
「はい!」
「真粧美ちゃん! こっちはタオルー!」
「分かりました!」
「真粧美~! あのアクセどこ行ったか分かる?」
「あ、探してきます!」
数人から用事を言い付けられた彼女は廊下に出ると、早歩きで駐車場に向かう。
彼女の名は直枝真粧美。名だたる芸能人たちのメイクを担当しているメイクアップアーティスト事務所の雑用係……もとい、アシスタントである。入所してから半年。まだまだ慣れないながらも華やかな世界を彩る一員として目まぐるしい日々を送っていた。
言われた内容を心の中で復唱していた真粧美。突然呼び止められ飛び上がりそうになる。
「あら。あなた新人?」
「え? あ!」
振り返るとそこには、見ない日はないと言っていいほどテレビ番組に引っ張りだこの女性タレントがいた。
「お、お疲れ様です!」
真粧美は勢いよく頭を下げる。するとクスクスという笑い声が降ってきた。
「お疲れ様。最近の新人さんにしてはちゃんと挨拶できるじゃない。ほら、そんなにかしこまらないで、頭を上げてちょうだい」
優しそうな声色にそっと顔を上げると、その女性はにこやかな笑顔を浮かべていた。だがその目は真粧美にとって見慣れた仄暗い光を宿していた。
「それで? あなたどこの事務所?」
「あ、えっと……」
「どこの番組に出るのかしら。バーターなの?」
「ち、違います」
「へえ。じゃあはじめっから単独で出るの。顔がいいって得ね。それとも……」
女性は真粧美の耳元でささやく。
「そのはしたない体で買ったのかしら」
ヒュッと真粧美の喉がか細く鳴る。じっとりとした視線に絡め取られ、動くことができなくなった。
「真粧美! 何モタモタしてんの!」
「あ……」
真粧美は詰めていた息をほっと吐く。
真粧美のことを呼びにきた事務所の先輩は女性と真粧美のことを見比べると、真粧美の隣にやってきて頭を下げさせる。
「申し訳ありません。うちの者が何か粗相をしましたか?」
「あらやだ、この子陽子ちゃんのとこの新人だったの? 私てっきり新人アイドルかと思ったわ」
「すみません紛らわしくて。厳しく言いつけておきますから」
「そんな気にしないで。私が勘違いしちゃったのが悪いんだし。あなたもごめんなさいね?」
女性タレントは真粧美の肩に手を置く。柔らかい手。だがその冷たさに真粧美は体を強張らせた。
「も、申し訳ありませんでした」
なぜ私が謝らなければならないのか、というのは心の奥底にしまって、真粧美は更に頭を垂れる。
「いいのよ。じゃあ陽子ちゃん。また一緒になったらよろしくね」
「はい。よろしくお願いいたします」
朗らかに言って女性は立ち去る。
真粧美と陽子は彼女が完全に見えなくなるまで頭を下げ続けた。
「すみませんでした」
「いいのよ。別に今回だけじゃないし」
真粧美が陽子に向かって頭を下げると、陽子は柔和に許す。その許しにホッとした真粧美はおそるおそる顔を上げる。すると困ったような陽子の顔があった。
「やっぱりご迷惑を……」
「仕方ないじゃない。あんたのその顔じゃ」
「きゃッ!」
陽子は真粧美の両頬を一瞬つまんですぐ放す。ほんのり色付いた頬を押さえた真粧美は、潤んだ目で陽子を見つめる。その姿はさながら悲劇のヒロインのようで、ドラマや映画のワンシーンのように画になる美貌だった。
「まったく……その顔に生まれたのは運がいいんだか悪いんだか」
陽子のため息混じりの言葉に真粧美はしょぼくれる。
「私は良かったとは思えません」
「まあいいと思ってる子なら裏方の仕事に就こうなんて考えないわね」
「そうですね……」
ますます気落ちした様子の真粧美。そんな彼女の背中を陽子は力強く叩く。
「さ! 収録は待ってくれないわよ! さっさと荷物取ってくる! いつもの二倍速ね!」
「二倍ですか?! そんなッ」
「いいから早く行きなさい!」
「は、はい!」
陽子にせっつかれた真粧美は小走りで立ち去る。
小さくなっていく真粧美の背中を見た陽子は、一瞬の哀れみと同情を見せたが、すぐに表情を引き締めてパウダールームに戻っていった。
「真粧美! バンから服取ってきて!」
「はい!」
「真粧美ちゃん! こっちはタオルー!」
「分かりました!」
「真粧美~! あのアクセどこ行ったか分かる?」
「あ、探してきます!」
数人から用事を言い付けられた彼女は廊下に出ると、早歩きで駐車場に向かう。
彼女の名は直枝真粧美。名だたる芸能人たちのメイクを担当しているメイクアップアーティスト事務所の雑用係……もとい、アシスタントである。入所してから半年。まだまだ慣れないながらも華やかな世界を彩る一員として目まぐるしい日々を送っていた。
言われた内容を心の中で復唱していた真粧美。突然呼び止められ飛び上がりそうになる。
「あら。あなた新人?」
「え? あ!」
振り返るとそこには、見ない日はないと言っていいほどテレビ番組に引っ張りだこの女性タレントがいた。
「お、お疲れ様です!」
真粧美は勢いよく頭を下げる。するとクスクスという笑い声が降ってきた。
「お疲れ様。最近の新人さんにしてはちゃんと挨拶できるじゃない。ほら、そんなにかしこまらないで、頭を上げてちょうだい」
優しそうな声色にそっと顔を上げると、その女性はにこやかな笑顔を浮かべていた。だがその目は真粧美にとって見慣れた仄暗い光を宿していた。
「それで? あなたどこの事務所?」
「あ、えっと……」
「どこの番組に出るのかしら。バーターなの?」
「ち、違います」
「へえ。じゃあはじめっから単独で出るの。顔がいいって得ね。それとも……」
女性は真粧美の耳元でささやく。
「そのはしたない体で買ったのかしら」
ヒュッと真粧美の喉がか細く鳴る。じっとりとした視線に絡め取られ、動くことができなくなった。
「真粧美! 何モタモタしてんの!」
「あ……」
真粧美は詰めていた息をほっと吐く。
真粧美のことを呼びにきた事務所の先輩は女性と真粧美のことを見比べると、真粧美の隣にやってきて頭を下げさせる。
「申し訳ありません。うちの者が何か粗相をしましたか?」
「あらやだ、この子陽子ちゃんのとこの新人だったの? 私てっきり新人アイドルかと思ったわ」
「すみません紛らわしくて。厳しく言いつけておきますから」
「そんな気にしないで。私が勘違いしちゃったのが悪いんだし。あなたもごめんなさいね?」
女性タレントは真粧美の肩に手を置く。柔らかい手。だがその冷たさに真粧美は体を強張らせた。
「も、申し訳ありませんでした」
なぜ私が謝らなければならないのか、というのは心の奥底にしまって、真粧美は更に頭を垂れる。
「いいのよ。じゃあ陽子ちゃん。また一緒になったらよろしくね」
「はい。よろしくお願いいたします」
朗らかに言って女性は立ち去る。
真粧美と陽子は彼女が完全に見えなくなるまで頭を下げ続けた。
「すみませんでした」
「いいのよ。別に今回だけじゃないし」
真粧美が陽子に向かって頭を下げると、陽子は柔和に許す。その許しにホッとした真粧美はおそるおそる顔を上げる。すると困ったような陽子の顔があった。
「やっぱりご迷惑を……」
「仕方ないじゃない。あんたのその顔じゃ」
「きゃッ!」
陽子は真粧美の両頬を一瞬つまんですぐ放す。ほんのり色付いた頬を押さえた真粧美は、潤んだ目で陽子を見つめる。その姿はさながら悲劇のヒロインのようで、ドラマや映画のワンシーンのように画になる美貌だった。
「まったく……その顔に生まれたのは運がいいんだか悪いんだか」
陽子のため息混じりの言葉に真粧美はしょぼくれる。
「私は良かったとは思えません」
「まあいいと思ってる子なら裏方の仕事に就こうなんて考えないわね」
「そうですね……」
ますます気落ちした様子の真粧美。そんな彼女の背中を陽子は力強く叩く。
「さ! 収録は待ってくれないわよ! さっさと荷物取ってくる! いつもの二倍速ね!」
「二倍ですか?! そんなッ」
「いいから早く行きなさい!」
「は、はい!」
陽子にせっつかれた真粧美は小走りで立ち去る。
小さくなっていく真粧美の背中を見た陽子は、一瞬の哀れみと同情を見せたが、すぐに表情を引き締めてパウダールームに戻っていった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
お願い! 猫又先生!
たんぽぽ。
大衆娯楽
お父さんの部屋の押入れで見つけた古い急須をこすると「急須! 急須! 万事急須!」とダミ声がして、オスの三毛猫又が飛び出して来た。
彼は不思議な力を使って、非常にまどろっこしいやり方で、ぼくの願いを叶えてくれるんだ……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる