84 / 91
猫の額にある物を鼠が窺う
84
しおりを挟む
紺色の空に満月がぽっかりと浮いている。
風はそよそよと漂い、桃色の花弁と甘い香りを連れて男の元を訪れる。
男は窓の外からやってきた一枚の花弁に気づくと、そっと掌に乗せてやり、じっと見つめる。すると不意に、部屋の外から小さな足音がする。
「王。夜分遅くに失礼致します。今御時間宜しいでしょうか?」
囁くように伺う男の声に、文生はぶっきらぼうに応える。
「……良い。入って参れ」
「ありがとうございます」
部屋に入ってきた官吏は、窓辺に座っている文生の傍に寄って拱手する。そこでふと気づく。
「珍しゅうございますね。王が酒を召し上がるなど」
しかし文生は何も言わない。男は慌てて頭を下げる。
「し、失礼致しました。御不快にさせてしまったなら申し訳ございません」
文生は彼の旋毛に一瞥をくれ、再び窓の外に目を向ける。
「其方は事実を述べただけだ。気にするでない」
そう言いつつ、文生は杯に残っていた酒を一息に呷る。
「……それで? 何用で参った」
「あ! そ、そうでした。こちらなのですが……」
官吏は懐から数枚の木簡を取り出す。
「今年の桃の宴の列席者の一覧になります。宴まで残り一週間ですので……差し出がましいかと思いましたが、こちらで簡単に纏めておきました。御一助になれば幸いでございます」
彼は恭しく木簡を捧げる。が、文生は無言で見つめるだけだ。
「あの……? 如何されましたか?」
官吏は不安そうに仰ぎ見た。が、それを無視して文生は立ち上がり、侍女に杯を渡す。そして冷然と彼に言う。
「今年の桃の宴はない」
「え」
文生の言葉に官吏は呆気にとられ、口が閉まらなくなる。
「り、理由は……?」
「…………戦を起こさねばならんからな」
そう言って文生は、掌の花弁を握り締めるのであった。
風はそよそよと漂い、桃色の花弁と甘い香りを連れて男の元を訪れる。
男は窓の外からやってきた一枚の花弁に気づくと、そっと掌に乗せてやり、じっと見つめる。すると不意に、部屋の外から小さな足音がする。
「王。夜分遅くに失礼致します。今御時間宜しいでしょうか?」
囁くように伺う男の声に、文生はぶっきらぼうに応える。
「……良い。入って参れ」
「ありがとうございます」
部屋に入ってきた官吏は、窓辺に座っている文生の傍に寄って拱手する。そこでふと気づく。
「珍しゅうございますね。王が酒を召し上がるなど」
しかし文生は何も言わない。男は慌てて頭を下げる。
「し、失礼致しました。御不快にさせてしまったなら申し訳ございません」
文生は彼の旋毛に一瞥をくれ、再び窓の外に目を向ける。
「其方は事実を述べただけだ。気にするでない」
そう言いつつ、文生は杯に残っていた酒を一息に呷る。
「……それで? 何用で参った」
「あ! そ、そうでした。こちらなのですが……」
官吏は懐から数枚の木簡を取り出す。
「今年の桃の宴の列席者の一覧になります。宴まで残り一週間ですので……差し出がましいかと思いましたが、こちらで簡単に纏めておきました。御一助になれば幸いでございます」
彼は恭しく木簡を捧げる。が、文生は無言で見つめるだけだ。
「あの……? 如何されましたか?」
官吏は不安そうに仰ぎ見た。が、それを無視して文生は立ち上がり、侍女に杯を渡す。そして冷然と彼に言う。
「今年の桃の宴はない」
「え」
文生の言葉に官吏は呆気にとられ、口が閉まらなくなる。
「り、理由は……?」
「…………戦を起こさねばならんからな」
そう言って文生は、掌の花弁を握り締めるのであった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
宿志の剣 ―新陰流物語―
平野 周
歴史・時代
永禄九年九月。上野国箕輪城は武田信玄の猛攻によって落ちた。
城方だった新陰流の達人上泉信綱は、穴山信君の説得を受けて武田信玄に降る。だが、あろうことか信綱は、信玄への謁見の場で、隠居と新陰流流布の旅立ちを願うのだった。このとき信綱は、五十八歳。〈宿志〉実現には後のない年齢だった。
武将としての才を惜しむ信玄は、後日使者を派遣する旨言い置いて謁見の場を立つ。
一方、信綱の養子秀胤は、武田ではなく北条氏康に降ろうと考えていた。秀胤は、風魔小太郎と連絡を取り合いつつ、腹心猪子兵四郎に信玄の使者を斬るように命じる。
だが、そのもくろみは、富田一法斎なる兵法者の出現によって崩れ去る。武田の使者は無事到着し、信玄が信綱の隠居と新陰流流布の旅立ちを許したことを伝える。
武田の使者の去り際、猪子兵四郎を斬った富田一法斎が大胡城を訪ねてくる。翌日、富田一法斎と名乗るそっくりの人物が、もう一人信綱との試合を求めて大胡城を訪れてくる。不審に思った信綱が確認を命じると、始めに来た一法斎はいなくなっていた。二人の訪問の目的は何か?
同じ頃、上杉謙信に追われた忍びの名人加藤段蔵が〈新陰流陰の流れ〉の秘密とその奥義書を手に入れるべく上野国に現れる。秀胤の妻てるの方に仕える侍女早苗は、その段蔵の弟子だった。段蔵は早苗に命じて〈新陰流陰の流れ〉について調べ始めるが、それは新陰流へと至る〈陰の流れ〉の歴史を知ることだった。驚くべきことに、信綱には忍びの術が伝えられていたのである。
だが、どう調べても奥義書の存在がつかめない段蔵は、ついに上泉信綱と直接対決し、奥義書を奪おうと考える。
段蔵との戦いを制した信綱は、第二の人生を一介の兵法者として生きるために上泉城から旅立つのだった。
楽将伝
九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語
織田信長の親衛隊は
気楽な稼業と
きたもんだ(嘘)
戦国史上、最もブラックな職場
「織田信長の親衛隊」
そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた
金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか)
天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!
正しい歴史への直し方 =吾まだ死せず・改= ※現在、10万文字目指し増補改訂作業中!
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
二度の世界大戦を無事戦勝国として過ごすことに成功した大日本帝国。同盟国であるはずのドイツ第三帝国が敗北していることを考えたらそのさじ加減は奇跡的といえた。後に行われた国際裁判において白人種が今でも「復讐裁判」となじるそれは、その実白人種のみが断罪されたわけではないのだが、白人種に下った有罪判決が大多数に上ったことからそうなじる者が多いのだろう。だが、それはクリストバル・コロンからの歴史的経緯を考えれば自業自得といえた。
昭和十九年四月二日。ある人物が連合艦隊司令長官に着任した。その人物は、時の皇帝の弟であり、階級だけを見れば抜擢人事であったのだが誰も異を唱えることはなく、むしろその采配に感嘆の声をもらした。
その人物の名は宣仁、高松宮という雅号で知られる彼は皇室が最終兵器としてとっておいたといっても過言ではない秘蔵の人物であった。着任前の階級こそ大佐であったが、事実上の日本のトップ2である。誰が反対できようものか。
そして、まもなく史実は回天する。悪のはびこり今なお不正が当たり前のようにまかり通る一人種や少数の金持ちによる腐敗の世ではなく、神聖不可侵である善君達が差配しながらも、なお公平公正である、善が悪と罵られない、誰もに報いがある清く正しく美しい理想郷へと。
そう、すなわちアメリカ合衆国という傲慢不遜にして善を僭称する古今未曾有の悪徳企業ではなく、神聖不可侵な皇室を主軸に回る、正義そのものを体現しつつも奥ゆかしくそれを主張しない大日本帝国という国家が勝った世界へと。
……少々前説が過ぎたが、本作品ではそこに至るまでの、すなわち大日本帝国がいかにして勝利したかを記したいと思う。
それでは。
とざいとーざい、語り手はそれがし、神前成潔、底本は大東亜戦記。
どなた様も何卒、ご堪能あれー……
ああ、草々。累計ポイントがそろそろ10万を突破するので、それを記念して一度大規模な増補改訂を予定しております。やっぱり、今のままでは文字数が余り多くはありませんし、第一書籍化する際には華の十万文字は越える必要があるようですからね。その際、此方にかぶせる形で公開するか別個枠を作って「改二」として公開するか、それとも同人誌などの自費出版という形で発表するかは、まだ未定では御座いますが。
なお、その際に「完結」を外すかどうかも、まだ未定で御座います。未定だらけながら、「このままでは突破は難しいか」と思っていた数字が見えてきたので、一度きちんと構えを作り直す必要があると思い、記載致しました。
→ひとまず、「改二」としてカクヨムに公開。向こうで試し刷りをしつつ、此方も近いうちに改訂を考えておきます。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
古代ローマの英雄スキピオの物語〜歴史上最高の戦術家カルタゴの名将ハンニバル対ローマ史上最強の男〜本物の歴史ロマンを実感して下さい
秀策
歴史・時代
歴史上最高の戦術家とされるカルタゴの名将ハンニバルに挑む若者の成長物語。紀元前二一九年、ハンニバルがローマの同盟都市サグントゥムを攻撃したのをきっかけに、第二次ポエニ戦争が始まる。ハンニバル戦争とも呼ばれるこの戦争は実に十八年もの長き戦いとなった。
アルプスを越えてローマ本土を攻撃するハンニバルは、騎兵を活かした戦術で次々とローマ軍を撃破していき、南イタリアを席巻していく。
一方、ローマの名門貴族に生まれたスキピオは、戦争を通じて大きく成長を遂げていく。戦争を終わらせるために立ち上がったスキピオは、仲間と共に巧みな戦術を用いてローマ軍を勝利に導いていき、やがて稀代の名将ハンニバルと対峙することになる。
戦争のない世の中にするためにはどうすればよいのか。何のために人は戦争をするのか。スキピオは戦いながらそれらの答えを追い求めた。
古代ローマで最強と謳われた無敗の名将の苦悩に満ちた生涯。平和を願う作品であり、政治家や各国の首脳にも読んで欲しい!
異世界転生ご都合歴史改変ものではありません。いわゆる「なろう小説」ではありませんが、歴史好きはもちろんハイファンタジーが好きな方にも読み進めやすい文章や展開の早さだと思います。未知なる歴史ロマンに触れてみませんか?
二十話過ぎあたりから起承転結の承に入り、一気に物語が動きます。ぜひそのあたりまでは読んで下さい。そこまではあくまで準備段階です。
超克の艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
「合衆国海軍ハ 六〇〇〇〇トン級戦艦ノ建造ヲ計画セリ」
米国駐在武官からもたらされた一報は帝国海軍に激震をもたらす。
新型戦艦の質的アドバンテージを失ったと判断した帝国海軍上層部はその設計を大幅に変更することを決意。
六四〇〇〇トンで建造されるはずだった「大和」は、しかしさらなる巨艦として誕生する。
だがしかし、米海軍の六〇〇〇〇トン級戦艦は誤報だったことが後に判明。
情報におけるミスが組織に致命的な結果をもたらすことを悟った帝国海軍はこれまでの態度を一変、貪欲に情報を収集・分析するようになる。
そして、その情報重視への転換は、帝国海軍の戦備ならびに戦術に大いなる変化をもたらす。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる